はてなキーワード: 価値とは
どんなに価値があったとしてもブクマ非表示と分かれば億分の一まで読む気が失せる。
産めることと、産む機械呼ばわりは別の話じゃん?
同じ理屈で返すけど、
「稼ぐ機械であるはずの男で低年収であることは存在意義がないのと同義だと思うんだけど、そういう低年収男と結婚するメリットって何?」
コピ・ルアク(インドネシア語:Kopi Luwak)とは、ジャコウネコの糞から採られる未消化のコーヒー豆のことである[1]。「コピ」はコーヒーを指すインドネシア語、「ルアク」はマレージャコウネコの現地での呼び名である[2]。
日本では、コピ・ルアク、コピ・ルアック、ルアック・コーヒーと呼ばれることが多い。独特の香りを持ったコピ・ルアクは、産出量が少ないその希少性により、高額で取り引きされている。
産地と名称
コピ・ルアクはインドネシアの島々(スマトラ島やジャワ島、スラウェシ島、バリ島)で作られている。このほか、フィリピンや南インドでも類似のコーヒーが採取され、フィリピン産のものは、「アラミド・コーヒー」(Alamid coffee、現地の言葉で「カペ・アラミド」Kape Alamid)と呼ばれる。
アメリカ合衆国では、Civet coffee(ジャコウネココーヒー)やWeasel coffee[3](イタチコーヒー)との俗称があり、日本でイタチコーヒーと呼ぶのも後者に倣ったものと思われる。しかし、ジャコウネコ科のジャコウネコとイタチ科のイタチは異なる動物なので、イタチコーヒーという俗称は誤解を招きやすい。
かつて、ベトナムでは同種のマレージャコウネコによるものがイタチコーヒーと呼ばれて市場に出ていたが、現在は流通経路に乗る機会が乏しくなり、人為的に豆を発酵させたものがイタチコーヒーと称して販売されている。
特徴
インドネシアのコーヒー農園で栽培されるコーヒーノキの熟した果実は、しばしば野生のマレージャコウネコに餌として摂食される。果肉は栄養源となるが、種子にあたるコーヒー豆は消化されずにそのまま排泄されるので、現地の農民はその糞を探して中からコーヒー豆を取り出し、きれいに洗浄してよく乾燥させた後、焙煎する。フィリピンではリベリカ種など複数種のコーヒーノキが栽培されており、カペ・アラミドの場合は結果的に数種類のコーヒー豆が自然にブレンドされると伝えられる。
コピ・ルアクやカペ・アラミドは独特の複雑な香味を持つと言われている。ジャコウネコの腸内に存在する消化酵素の働きや腸内細菌による発酵の働きで、コーヒーに独特の香味が加わる。なお、この腸内発酵により、カフェイン含有量は、通常のコーヒーに比べて、およそ半分に減ることが分かっている。
世界で最も高価なコーヒーとして知られており、500グラムにつき300から500米ドルの価格で販売されている。かつては主にアメリカ合衆国と日本に出回っていたが、現在は供給量こそ限られてはいるものの、世界各地で入手できるようになった。その背景として、野生のジャコウネコを乱獲して、本来肉食のジャコウネコに無理矢理食べさせることで大量生産し、「WILD(天然もの)」と偽装して販売している実態を取材したドキュメンタリーが2013年9月にBBCで放映され[4]、イギリスで大きな反響を呼んだ。レストランでコピ・ルアクを提供していたハロッズは、「天然ものであることを保証する」との声明を発表していたが、このドキュメンタリー中でBBCから追及を受けたことが放映され、視聴者からの抗議を受けて提供を取りやめた。
世界最大の消費地は日本や台湾、韓国などのアジア諸国である[5]。コピ・ルアクやカペ・アラミドは、稀少価値の高さが魅力であり、素晴らしい味やフレーバーがあったとしても、コーヒー豆としての品質が最も優れているわけではない。その独特で豊かな香りや味のコクには高評価な反面、「ウンチコーヒー」 (poo coffee) と茶化す向きもある。
また、コピ・ルアク(カペ・アラミド)は、ルアクが食べるコーヒー豆の品質により、その味や風味が大きく左右される。ロブスタ種のコピ・ルアクよりもアラビカ種のものは味に優れ、より高値で取り引きをされている。一大観光地であるバリ島(インドネシア)で市販されるコピ・ルアクは、このロブスタ種である傾向がある。また、現地で市販されるコピ・ルアクは、観光客向けに大量生産されているため、鮮度や品質が低いことがある。
ワイはこういう世界観で生きてるで
https://anond.hatelabo.jp/20221013070103#
id:red_kawa5373 id:TONKATSU 「その場所がそのようにあることについての歴史的な経緯や価値に、敬意」を払ってないのは、それこそ年間10億もの資金を使って樹を維持してきた明治神宮を「金の亡者」と決めつけてる反対派では?
とコメントしてもらったので元コメの者としてちゃんと書いておく。
明治神宮は元々「国民の神社」として全国の青年団をはじめとした勤労奉仕によって(青年会館が隣にあるのはその関係だよ)、そして資金面では内苑は国費、外苑は寄付金によって造営された神社ですよね。
それが戦後、GHQによって国と切り離されて宗教法人になるわけです。ちゃんと調べてないけど、このときおそらく、宗教法人としての明治神宮はその対価を国に対して払っていないか、あるいはわずかな対価で手に入れているでしょう。だって新設された法人なのでそもそも金を持ってるわけがない。寄付があったとしても、時勢的にそんなに集まらんでしょう。
つまり法人としての明治神宮は、国民のために作られた、国費と寄付でできた国の財産をタダもしくは見合っていない対価で手に入れてるであろう、という点。
この歴史的な経緯が、国民が明治神宮の開発に対して意見を言うことは正当な権利としてあるはず、と私が考える根拠のひとつである。これがまず1点。
んで2点目として今回再開発される外苑だが、その設計思想や、それがどのような変遷を経て今の形になっているのか、というところに、保護されるべき歴史的な価値があると考えている。球場なども含めた外苑の施設が特定の意匠で統一されている(いた)こと、あるいは外苑がNYのセントラルパークに範を取った本邦における西洋式公園設計の先駆けであること、その上で当時一流の建築家たちが考えていたことが具現化されたものであること。言ってみれば当時の一大建築プロジェクトてあった外苑にはこういった歴史的な要素・価値があるわけだが、これだけ再開発が話題になっているのにもかかわらず、その中でこれらがどのように取り扱われているのか、それがまったく見えない。
だから私は、再開発の事業主体(もちろん宗教法人明治神宮を含めて)が外苑の歴史やその価値に経緯を払っていない、と感じている。
もちろんid:red_kawa5373が言うようにかなりの額を投じて景観を保護したきた明治神宮の、もう資金的に限界である、というのは重みがあるとは思う。ただそれは、1点目のことを踏まえれば、国民の意見をスポイルする言い訳にはならんと思う。そして2点目に関連して、その歴史的な価値を鑑みて、必要であれば民間の宗教法人(殊、明治天皇を祀っているという政治的な厄介さがあるにせよ)である明治神宮に、どうにかこうにか道筋をつけて公金を突っ込んででも、その価値を保存しなければならない事案であるとすら考えている。
金の亡者がどうこう、という話は別に私にとってはどうでもいいし、よく知らん。
anond:20240630235502 でちゃんと調べてねえくせに批判すんな、と言われたので、用地及び建造物の取得の際に政府に金を払っていない根拠として、明治神宮叢書などいくつか参照してることは書いておく。決定的にこれが証拠である、というものを見ていないというだけであって、調べていない訳ではない。勝手に妄想すんなよ。
水の出しっぱなし案件がSNSを騒がす季節となったので、元水泳部顧問の立場から。
まずは衛生管理上、満タンになっても意図的に注水し続けるケースがあることを知ってほしい。プールの水面には髪の毛、唾液、葉っぱ、虫の死骸(から出たアブラ)など様々なものが浮いている。網でキャッチするのは気休めみたいなもので、とにかく溢れさせて流すしかない。体育とかで大人数がジャバジャバ泳ぐと水位が下がるので、そんな時はメインのバルブを全開にすることもあるし、たいして減っていない時でも家庭用ホースからチョロチョロ給水して満水状態を保つ必要がある。そんなわけで、「既定の水位になったら自動的に止まるようなシステムを導入すれば?」というネット上の意見は正直聞く価値がない。
「家のお風呂は自動で止まるのに!」もよく見るけど、学校のプールって重いバルブを頑張って開け閉めするんですよ。家庭菜園レベルの給水システムなら一定時間給水したあとに自動停止する機能もあるだろうけど、水道の口径が全く違う学校プールでそれは難しいのでは。公認プール(タイムが公式な記録として認められるプール)ですら、大きなバルブをせっせと開け閉めしているので、普通の学校レベルで自動停止システムは無理だと思う。ちなみに、配電盤みたいなものをポチポチしているイメージの人もいるだろうけど、あれは給水バルブではなくろ過機。
「みんなで気を付ける」と言うと袋叩きになりそうだけど、私の小さな脳みそだとそれしか思いつかない。本校では事務員さんが毎日水道のメーターで学校全体の使用量を記録して管理職に報告しているから、数日間出しっぱなしの事故は発生しない。水泳部顧問や体育科の教員だけに任せると、事故は十分に起こりうる。結局は校長が具体的にどういうチェック体制を組織的に敷くかだと思う。
自腹はさすがにおかしいと思う。懲戒処分としての減給ならまあわかるけど。話は逸れるけど、夏に雷や豪雨で停電したりすると濾過機も止まるから(配電盤をポチっとしない限り運転再開はしない)、停電に気がづかないと数日後にはプール一杯の青汁スープができていたりする。そうすると掃除と水の汲み直しで20万円以上かかるから、学校の近くに住んでいる教員や生徒に日ごろから「停電があったらすぐに連絡して!」とお願いして、休日だろうとなんだろうとろ過機のスイッチを押しに行く。
「家のお風呂とは違うんだぞ」だけを言いたかったのに、こんなに長くなってしまった。ちなみに私は「学校にプールはなくてもいい派」なので、そこんとこよろしく。
暇の人、なんで出馬したんやろな
彼が都知事という立場から都政を健全なものにしようと本気で考えているとは思えない。公金チューチュー以外の都政に興味はないだろうし、やる気があるとも思えない。
俺の観測範囲の暇空信者も、そこは切り分けて考えているとは思う。「海苔弁撤廃をこっそりやめた百合子はクソだが、かといって奴に都政を握らせるわけにはいかん」という考えの人は存外多い。もちろん暇空に投票する人もいるけどぬ。
暇空が命の危険に脅かされているという話もあるが、彼が本当に危ないならば荒っぽい手段を使ってでも既に消されているだろう。今日まで生きているのだから、彼を消すのは難しいか、彼を消す価値はないということだ。それは都知事になって回避できるリスクではないと思う。何なら都知事になったほうが危険まである。
暇空が当選を目的に出馬したとは到底思えない。彼自身は当選したあとのことをきちんと考えているような言動をしているが、全部ポーズだろう。あのポーズがずっとできるのは普通にすごい。
「暇空信者は反百合子だが、反百合子票が蓮舫・石丸に行ってしまうのはもっとまずいので、それを防ぐために、体を張って止めている」というのが一番有り得そうな気がする。そうなんかな。
暇空自身は東京都や共産党という「ナニカ」に勇敢に切り込む英雄であればよくて、百合子を敵視するのは、彼女がかつて黒塗りゼロを掲げた都知事という攻撃しやすい立場の人物だからであり、彼自身がアンチ百合子なわけではない。しかし彼が百合子をあげつらい続けたため、彼の信者がアンチ百合子になってしまった。暇空はその立場上百合子を応援することはできないが、蓮舫や石丸よりかは百合子のがマシと考えていて、自分が出馬することで票が流れるのを防いだ。だいぶ筋は通る。つまり間接的に百合子応援なのかも。なんかツンデレっぽい。やっぱ違うかも。
あんま打算的に動く人間ではない(それなら面白半分で訴訟などしないだろう)かもしれないし、もしかしたら百合子は本当にダメで、自分が都知事になったほうがいいと思っているだけかも知れない。働かなくて良い暇人の行動はマジでわからん。
関西に限ってみるぜ! 行ったことがある中で、特に印象に残ったところ(あるいは定期的に足を運んでるところ)をリストアップ。増田は今は阪神間在住なので行きやすいところがどうしても多くなる。
京阪神+奈良以外は日頃の行動範囲に入ってないので、だいぶ適当。
PSAとは、アメリカ合衆国を拠点とするトレーディングカードの認証および格付けを行う鑑定会社である。世界最大の認証サービスを提供しており、1991年の設立以来4,000万枚を超えるトレーディングカードの認定を行い、鑑定したアイテムの累積価値は10億ドルを超えている。 ウィキペディア
「攻略法を調べるか調べないかでゲーム体験が変わるって本当か?」
まず、この問いにはネット上でも様々な意見が飛び交ってる。攻略法を調べる派は、目的は明確だ。「早く、効率的に、確実にクリアしたい」そのための手段として情報収集を活用するわけだ。
一方で、調べない派は何を求めているかって?それは、純粋な冒険と発見の喜び。自力で問題を解決することによる達成感と自己肯定感を味わいたいんだ。
「じゃあ、どっちが優れてるの?」って話だが、これは完全に主観の領域。プレイヤーによって最適なプレイスタイルは変わる。攻略派はゲームを「制覇するもの」と捉え、調べない派は「体験するもの」と見なすんだ。
だから、どっちがいいかなんて一概には言えない。大事なのは、自分がどんな体験をゲームから求めているかを理解して、その上で選択すること。
しかしこれだけは言える。ゲームはただの時間つぶしじゃない。「感じるもの」だと思うんだ。攻略法を調べるかどうかで、その「感じ方」が変わってくる。どちらを選ぶかは個人の自由だけど、その選択がどう体験を変えるかは、考える価値があるだろう。
つまり、攻略法を調べるも調べないも、それぞれがゲームの深さを異なる角度から楽しむ手段なんだ。どっちもゲームの魅力を異なる形で引き出しているってわけ。
1915年にヘレンは重度の精神障がい者、身体的奇形のある乳児に対して安楽死を支持する書簡を発表しています。
内容は「人生に高潔さを与えるのは幸福、知性、才覚の可能性であり、不健康な、奇形の、麻痺した、思考をしない生き物の場合、それらは存在しない」
「精神障害者はほぼ確実に、潜在的な犯罪者になる」といった偏ったものでした。
日本の未婚率が急速に上昇しているのは言うまでもないだろう。なんと2020年の国勢調査の段階で、すでに30歳前半の男性の約半数にあたる47.7%が未婚であった。その後、皆も知っての通りコロナが到来し、以降、婚姻数・出生数ともに戦後最低を更新し続けている。出生数に至っては100万を切ってからすでに久しく、最近では80万人を切り、2023年には72万人で、今年(2024年)には70万人を切るんじゃないか、なんていうすごい話もある。筆者は98年生まれの今年26歳だが、僕が生まれた年の出生数は120万だったようで、それでも少子化だなんだと騒がれていたので、それから半分近くにまで減ってきていると考えると驚くべき数字だと思う。そして当然、超高齢化社会なので出生数よりも死者数が多く、人口の自然減は2023年には83万人である。これは驚くべきことで、一説によると、1937年から45年までの約8年にわたる戦争での日本人の戦死者は310万人らしく、これは年換算すれば38.75万人なので、現代では戦時下の平均の二倍のペースで人が死んでいる、という見方もあり、しかも戦時下でも日本の人口は増加幅が減っただけで総人口はまだ上昇していたので、人口だけに着目すれば戦時下よりももっと凄惨な戦争状態にあるというふうに捉えることができるかもしれない。
前置きがとても長くなってしまったが、ここでは、これから結婚だなんだという年齢に差し掛かかったいわば「結婚現役世代」になりつつあり、さらにZ世代でもある僕の超主観的な肌感覚に基づく、「マッチングアプリがZ世代の非婚化に決定的なトドメを刺し、それによって残念ながら未婚化・少子化はもっともっと加速するだろう」、という仮説について語らせてほしい。
「なぜ結婚を促進するはずのマッチングアプリが未婚化にトドメを?」と思うだろう。順を追って説明していく。まず、未婚化の原因としてニュースなどでよくとり挙げられるのは、「女性の社会進出」、そして、「経済的な問題」の二つだと感じる(主観)。だが、それが未婚化の要因として合理的に考えられたのはひと昔前の話だろう。まず、「女性の社会進出」については、「25くらいには結婚して女性は専業主婦になって男性に生活を支えてもらうもん」、みたいな空気感がなくなって、働いて自立して生活できるようになっとか、そのこともあり女性(だけでなく男性も)が「まだ結婚していないの」みたいなプレッシャーから比較的解放された、みたいな話とか、色々包含してると思うけど、「女性の社会進出」が日本より進んでいるけど日本より未婚化・出生数がマシな先進国は結構ある(e.g. フランス、ドイツ、アメリカ)ので、それは言い訳にはならない(日本文化が欧米の文化に合わせようとしてるのだから不利なのは当然だが)だろうし、僕の世代では女性が働いているのは普通で、むしろ結婚相手となる女性には経済力を求める男性が増えているという話まであるので、僕の世代(Z世代)においてはそれが未婚化の直接的な要因とは考えづらいだろう。あとは「経済的問題」だが、実は、少子化による人材不足も相まって、新卒の初任給は上昇傾向にある。「いや、物価が上がってるし実室賃金は下がってるやろ。」って言われると、「せやな。」としか言えないが、男女ともに稼いでる人が多いんだから、同棲して家賃を折半すれば普通にもっといい暮らしができそうな人はたくさんいるように感じる。
ではなぜZ世代は結婚しないのか、その最も直接的な要因は、中高生の時から当たり前になったスマホ、そしてSNSであり、最後にトドメを刺すのがマッチングアプリ(ここでは、Pairs, With, タップル、Tinderなどの普及しているマッチングアプリを想定)である、というのが僕の考えであり、その未婚化に対する効果は大きく分けて二段階あると考えている。
一つ目は、「結婚しなくても精神的に満足して生きやすくなったこと」。スマホがなかった小さい頃は、朝起きて、飛び起きて、家族に挨拶をして身支度をして、外に駆け出さないと楽しいことなんて何もなかったのに、ある時から急に、布団から出なくても楽しいコンテンツにいくらでも触れられるようになった。LINEを使えば友達といつでも話すことができるし、Youtubeをひらけば世界のいろんなコンテンツに出会えるし、Twitterを始めれば孤独を紛らわせることができるようになったし、それまででは考えられないような性的なコンテンツにさえも、いくらでも簡単にアクセスして、性欲を解消できるようになった。それは僕らにとって大きな大きな変化であった。しかも、僕の世代では、働けば男女関係なく穏やかに暮らせるくらいには稼げる人は多くなってきたので、結婚しなくても、友達や職場の同僚と、それなりに良好な人間関係を築けていれば、経済的な不安や強い孤独感を感じずに、それなりに満足して平穏な生活を送ることができるようになったのである。いつの時代も4割は結婚や恋愛に興味がなく、積極的なのは三割だけ、という話があったりするらしいが、それが本当だとしたら、その特段積極的でない7割は、それなりに満足して生きることができるのだから、僕も含む彼らにとって結婚や恋愛は相対的に価値の低いものとなっただろうし、むしろ、現状の生活を相手に合わせて大きく変え、時には我慢も伴う結婚や恋愛は、よりハードルが高いものになったのではないかと思う。実際、結婚しない理由を聞くと、「結婚の必要性を感じないから。」とか、「独身の方が自由だから。」みたいな根も葉もない理由がほとんどだというし、それが本質だと思われる。便利で快適で、楽しくて夢中になれることが沢山ある生活に慣れすぎたのだ。
二つ目が本題だが、「(主に女性が)マッチングアプリにより結婚相手を比べて選り好みすることができるようになったこと、さらには、その経験を無視できない割合の女性がすること。」だ。これが、ただでさえ相対的に価値が低くなり、ハードルが高まった結婚のハードルをさらに上げ、未婚化・少子化を取り返しのつかないレベルにまで引き上げる決定的な一撃を加える、と僕は予想している。マッチングアプリは、特にコロナによる外出自粛期間中、つまりただでさえ30代前半の男性の未婚率がすでに約半数であった2020年以降に急速に広がり、ちょっとググったところによると、今では最大手のPairsではユーザー数2000万人、2番手のタップルでも1700人以上であり、それ以外にもたくさんのアプリがあるということだ。2020年時点において、20代から30歳前半の人口は2300万人弱くらい(ここでの「弱」は2300万人に満たないくらい、という意味。最近は「弱」に多義性があるらしいので補足。)であることを考えると、今や婚活、恋活をしている20代、30代のかなりの割合が一度はマッチングアプリを使ったことがあるのではないかと思われる。そんなマッチングアプリでは、男女に圧倒的な非対称性がある。経験者はよく知っているかもしれないが、マッチングアプリ会員の男女比は大きく偏っており、男性は健気に「いいね」を送り続けてもほとんど報われることはなく、たまにマッチしたらそれをものにするべく頑張るのだが、女性は何もしなくても毎日のように「いいね」が届く。男性である僕目線からすると、顔写真も載せてない、もしくは他の会員と比べて魅力的とも思えないような女性であっても、100いいね近く軽く稼いでいるのを見て、驚くことにも慣れたことだろう。そういうモテ体験をした女性が、「いいね」を送ったたくさんの男性の中から良さそうな男性を選び(もしくは自分から送り)、実際に何人かと会い、最後に1番良かった人をパートナーに選ぶ、という具合だ。ここで、巷でも言われている通り、実際に選ばれる、「モテる男性」というのは少なく、全体の一割ほどが総取りしているという。つまり、大局的に見ると、悲しいことに多くの女性はほとんどの男性に目もくれないのに対し、一部の「モテる男性」を多くの女性が取り合う、という現象が起こるということだ。(外見に気を使って自分磨きをしている女性が多いのに対し、それほど十分に自分磨きをしている男性が少なく、男性側の怠慢が問題なのではないか、という見方もある。)それ自体はまあ、悲しいが学生生活を思い出せば特段驚くべきことではないが、問題なのはそうしてマッチングアプリで「モテない男性」と、「モテる男性と付き合えなかった女性」、という経験を、全体で無視できない割合の人がすることになる、ということだ。男性はモテない経験をすることで奮起できれば良いが、ただでさえ婚活・恋活がマストではない現代では、自信やモチベーションを決定的に低下させてしまう可能性もあるし、何よりもっと問題なのが、女性側の「目が肥える」ことで、よりそういった比較的に魅力的に思えない「モテない男性」によりいっそう目もくれなくなる、ということだ。マッチングアプリで、無視できない割合の女性が、何もしないでもアプローチを受け、自分は男性を「選べる側」だと思い、「モテる男性」のことを知ってしまえば、それがうまくいこうがいくまいが、ただでさえハードルが高くなっていた結婚・恋愛のハードルをより高くし、よりいっそう「モテない男性」と恋愛・結婚する理由を相対的に感じなくなり、それがさらに「モテない男性」のモチベーションを低下させる、という負のスパイラルを生む。これが、僕の言う「マッチングアプリが下す未婚化・少子化を取り返しのつかないレベルにまで引き上げる決定的な一撃」である。
お気づきかもしれないが、この説が当たっていたとして、婚姻数を上げるためにおそらく最も効果的かつ生産的な解決策は至ってシンプルで、より多くの男性が自分磨きを頑張り、「モテる男性」を増やす、ということだ。男性諸君には厳しいかもしれないが、僕も頑張るので共に頑張ろう。あとはそれ以前に重要なこととして、より多くの人が、「他者に対して寛容になる」ということや、ケネディが「国があなたに何をしてくれるかを問うな。あなたが国に対して何をできるかを問え」、といったが、「自分のために他人が何をしてくれるのか」ではなく、「他人のために自分が何をできるか」という視点を思い出すこと、ではないかと感じる。
長くなったが最後に、僕はこの予測が外れることを願っている。だが、当たっとしても、日本人は反出生主義的には倫理的な道を辿った民族である、とも捉えられるし、共に穏やかに死に堕落していこうじゃないか、という楽観的かつ破滅的な考えもある。でもみんな、できればいい人見つけて結婚しような。
マチアプやら婚活やら手段が充実してる時代にこういう事言うのって謎だな
社会人になると学生時代に評価されづらかった収入や実直さが力を持つから社会人デビューなんて珍しくもない
ワイは他人が困ってることを解決してあげられるかどうかで人間の価値が決まると思ってるわ
大抵の困りごとはその人がやれない・できない・やりたくないことであり、それを代行してやるからこそ対価に金銭を得られるんで
やりたくないことを頑張ってやって利益を得ると言えばまあそのとおりかもしれない
とりあえず貸金やホストみてーな新たな困り事を生みながら金を稼ぐ奴らは人間としての価値は底辺だと思うやで
産み落とされた側も産んでほしゅうなかった問題もあるしなあ
無理して生まんでええで感あるわ