はてなキーワード: ダンピングとは
生活保護「受給者バッシング」の正体---年間支払額3.3兆円、受給者210万人の「世界」を徹底検証 【第1回】(現代ビジネス)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33620
生活保護「受給者バッシング」の正体---年間支払額3.3兆円、受給者210万人の「世界」を徹底検証 【第2回】(現代ビジネス)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33621
不正受給のないようにっていう議論は理解できる。
しかし、
「自分達が苦しい思いをして働いているのに楽しやがって」
だってまともな収入があって人間的に暮らせる仕事に就けないのに、
『仕事なんかいくらでもある!!どんなとこで働いてでも受給するな!!』
って本末転倒でしょ?
なぜなら、
受給者を叩くくらいなら、
ブラック企業や下請けにしわ寄せして不当に設けている大企業を叩くのが筋なんじゃないの?
言いたいことは、
「働けど働けど なお我が暮らし 楽にならざり じっと手を見る」
なのは受給者のせいじゃなくって、
労働力を買い叩いてるヤツらのせいだろってこと。
だからまともな収入のある仕事につけないからといって労働力の不当廉売するくらいなら、
生活保護受給するほうが経済的には正しいはずなんじゃないかなって思うんですが、どうでしょうか?
受給することを恥と感じる人が多かったり、
なかなか申請を通そうとしない行政も悪いよね。
なぜ、今さら、マルクスの『資本論』なのか?①──現代日本こそ、革命前夜である
http://www.mikasashobo.co.jp/column/tahara/20110428.html
なぜ、今さら、マルクスの『資本論』なのか?②──「100年先の未来を見通す」眼力
http://www.mikasashobo.co.jp/column/tahara/20110601.html
なぜ、今さら、マルクスの『資本論』なのか?③──「新興国」vs「先進国」という新しい階級闘争
http://www.mikasashobo.co.jp/column/tahara/20110615.html
なぜ、今さら、マルクスの『資本論』なのか?④──資本主義を、これほどわかりやすく説明した本はない
http://www.mikasashobo.co.jp/column/tahara/20110701.html
なぜ、今さら、マルクスの『資本論』なのか?⑤──僕たちの「働きがい」はどこへ行った?
http://www.mikasashobo.co.jp/column/tahara/20110719.html
なぜ、今さら、マルクスの『資本論』なのか?⑥──福島第一原発とマルクスの格差社会
http://www.mikasashobo.co.jp/column/tahara/20110802.html
みなさん仕事してください
▼この1年で出会った愉快なSIerの皆様、多分何社かは推測できる人もいると思う。
・ユーザ部にマジレスしてすぐ喧嘩するマジレス厨のSIer(一番まし)
・ユーザ企業のシステム部門に丸投げのSIer(いや、そこを自分でやる意思があったら外注せんよ)
・見積もりからライセンス費用が漏れてたので何とかならないかとか言い出すSIer(なお10桁円の模様)
・提案書が仕様書のコピペなSIer(確かに誤った内容を提案するよりはマシだが・・・)
よく絵師は他の業種と比べて天狗とかふっかけてくるとかいうけど
全然そんなことないよ
売れてる絵師も同じように出来るけど、あくまで商業的に売れてる第一線の人だけ。
下手っぴも多いけど、それなりに描ける人がわんさかいるの
漫画やアニメが文化としてあるんだから、当然クリエイタの数も多くなるわな
供給が多いと、当然ふっかけても「じゃあ別の人使うわ」ってなって
賃金は安くなる
そうなると、真ん中くらいの絵師はどうするかって
エロ同人にはしる。
案件を請け負うよりもエロ同人やってたほうが儲かるし好き勝手出来るからね
結果、ソシャゲー界隈とかでロクな報酬を出せないところが絵師不足と騒ぐ
絵師を捕まえても、彼らは同人で好き勝手やってるからワガママでリテイク拒否とか描きたくないとか言い出す。
結果、やっぱり彼らは同人に戻っていく。
絵師はリテイクを一番嫌う
それだけは覚えておいて。
「造幣局がバングラの硬貨鋳造を受注」というニュースが流れている。
要は、「電子マネー普及で鋳造量が激減してリストラ危機の造幣局が、
存在感アピール、組織防衛のために、赤字を承知でダンピング受注した」というのが真相で、
こんな姑息なことをせず、正々堂々とバングラにODAを供与して、造幣局をリストラするのが王道である。
ところで、硬貨流通量のピークは1974年で、今の7~8倍も流通していたらしい。
そのことが「造幣局の黄金時代」で、あとは凋落の一途だが、なぜ1974年がピークだったのか?
なぜ1975年以降減少したのか?
推察できる理由は2つ。
1)この頃から「現金払い」から「口座振込」へ時代が進んでいった。
1974年頃は、まだサラリーマンの給与も「現金」で支払う会社が多数だったのだ。
その分、オヤジの威厳も保たれていた訳だ。
あるいは、アパートの大家さんに家賃を払う、学校に給食代を払う、
電気や水道の公共料金を払う、そういう局面でも、結構現金払いが主流だった。
なので、「集金人」なんて職業も、成立していた。
現金払いの主役は紙幣ではあるが、端数分は硬貨が使われていたから、硬貨の流通量も増えていった訳だ。
しかし、1975年頃から、生活の中に、徐々に「口座振替」「振込」「ATM」が普及し始め、
「自動口座引き落とし」とかで、わざわざ銀行に出向く必要もなくなる便利な社会になった。
今までだとリアル紙幣・リアル硬貨の出番だったのに、銀行内のバーチャル電子データ移動で
同時にサラリーも口座に振込まれるようになった。
総務部の仕事はラクになったが、オヤジの権威の源泉は喪失された。
2)口座振替の普及とほぼ同時期に、クレジットカード、いわゆるVISA・マスター・JCBが普及した。
今までなら、デパートで買い物、レストランで食事、となると、1万円札数枚に千円札数枚、
100円玉や10円玉・・・となっていたのが、カード決済だと紙幣も硬貨もいらなくなった。
ということで、1974年をピークに、貨幣・硬貨流通が減少したのは
「第一次キャッシュレス革命」と呼べる現象じゃないか、と思っている。
徐々に「公共料金の支払いにカード使えます」「電車乗るのにカード使えます」
「病院の支払いにカード使えます」「コンビニにATM置きました」てな程度でしか進まなかったが、
2007年前後の電子マネーの普及は、一気に少額決済のキャッシュレス化をもたらした。
電子マネー普及による少額貨幣流通量激減、これを「第二次キャッシュレス革命」と呼びたい。
この革命は特に大都市圏、いわゆる「SUICA経済圏」で進行中である。
ただ、第三次キャッシュレス革命は、法律の手助けも必要かもしれない。
第三次キャッシュレス革命とは、電子マネーを法定通貨とみなし、全店舗、全個人に電子マネーと読み取り装置を配布し、
紙幣貨幣を全廃する、という「資本主義の血液の総交換作業」である。
今から見れば第三次キャッシュレス革命は「絵空事」のように見えるだろうが、
第一次キャッシュレス革命の時代(1975)から現代を眺めれば、
「SUICAで自動販売機ジュースを買えるなんて、SFの世界に見える」だろう。
それと同じで、第三次キャッシュレス革命、つまり貨幣硬貨全廃は、決して絵空事じゃない。
第三次キャッシュレス革命、つまり「オール電子マネー化」のメリットはこちら
↓
http://d.hatena.ne.jp/itarumurayama/19700215
「線量が減ると生活していけない」=下請け会社がブラックで、適正な価格で労働者の労働力を購入していない。更に言えば、下請けは不当に安い価格で東電に入札している。要するに、二重のダンピングが行われているということ。(もっと言えば、つまり、「原発が安い」という宣伝は、細部に至るまでこういう嘘に支えられているということ。)
これは、「サビ残なんてみんなしてる。そうしないと仕事取れねえだろ」と、言い放ち、労働力をダンピング購入しダンピングして商品を販売することを正当化するその辺の会社と同じ。今の日本にたくさんいる奴隷農場の農場主であり、「よくあるブラック会社の構図」というだけで、ブラックでないという話ではないと思う。ちなみに、ウチの会社もその意味でかなりブラックです。ありがとうございま(略
ちなみに、ダンピングは「市場経済」に対する破壊行為であり、資本主義の根底を破壊する悪そのもの。日本人は、ダンピングを「滅私奉公」と読み替えて勝手に正当化する傾向があるけど、サービス残業もそれに付随する商品価格も、歴とした不正競争であり社会の根底を揺るがす犯罪だという認識を、みんなもつべき。
今年に入ってから、フェイスブックであたって、スカイプやメールを通して、ギリシャ人20人と話しました。実際に話した人数はもっと多かったのですが、相手の身元がはっきりしているのがそれくらいということです。
使用言語は英語、ひとりだけ1970年から1985年にかけて日本に在住していたと言う人がいたので、その人とは日本語で話しました(その人は英語よりも日本語で話す方が楽だと言っていたので)。
高校生から年金生活者まで、多岐にわたります。経済学者も含まれています。
私がこれを行った理由は、日本にいるとどうしてもギリシャ人に対して辛辣な見方になってしまうので、もし自分がギリシャ人だったらどう感じるだろう、そこにはまた別の感じ方があるのではないかと思ったからです。
大雑把に言うと、おおむねこんな感じ方が主流でした。
自分たちは今までと同じ生活を送っていただけで、特別贅沢をしたわけではない。きちんと働いてもいる。にもかかわらず突然こういう状況になってとまどっている。これが自分たちの責任だと言われてもしっくりこない。
ユーロ加入後、融資のダイレクトメールがうるさいほどにくるようになった。金融機関はどこも「借りろ、借りろ」の大号令で、要りもしない融資を押し売りのように押し付けることもあった。その大本は外国の資本のはず。そういうことをしておきながら、今になって銀行が犠牲者みたいに振る舞うのは釈然としない。連中は金儲けでやっていただけ。
政府は確かに腐敗し、虚偽の報告をしていたが、ギリシャは弱い統治力を外国資本に付け込まれた。政府はずっと腐敗していたのだから、今になって急に腐敗したわけではない。腐敗しているなりにそれなに回っていたものを、外国資本に介入されてこういうことになってしまった。弱いことは問題かも知れないが、こうなったそもそもの原因は政府の腐敗ではなく、外国資本の行動にある。
そういうのを聞いていて、うーん、私もギリシャ人だったらそう感じるかもしれないな、と私は思いました。日本だって膨大な借金があるわけですが、それを私個人の責任にされても困ると、思いますし。仕事もない、あっても給与は遅配している、病院はやっていない、福祉は崩壊しているというような状況の時に、「お前が悪い」と言われてもこれ以上どうしろと?となるのは無理からぬことだと思いました。
腐敗なり、税捕捉率の低さなり、問題はあるにしてもドラクマ時代はギリシャはギリシャなりに安定してやっていたわけですよ。これがユーロになって、言ってみれば生態系が崩れた。
そういうことだと思います。
先進国の医療援助「だけ」が入ってきて、途上国で人口爆発が起きて更に貧困化が生じているのを、「計画性がなく産むのが悪い」と批判しているようなものです。計画性というのは時間をかけて、生態系の中で最適が練り上げられているわけで、何かの要素だけが外部からもたらされると生態系全部が破壊されてしまう、ギリシャはそれが金融で生じたということです。
反ドイツ感情も、こういう事情を踏まえて起きているわけで、ただの感情的な反発ではありません。
そのあたりをお話を伺った人のうちのひとり、経済学者の男性はこう指摘しました。
「ユーロ統合は、ユーロ圏内の低開発諸国に産業の発展をもたらす可能性もあった。だから南欧諸国もユーロに加盟したのだが、ドイツは年金支給開始年齢を67歳に引き上げるなど、いわば社会保障ダンピングを行ってそれに対抗した。ギリシャの開始年齢61歳は現状から言えば早すぎるかも知れないが、ドイツは遅すぎる。ドイツにギリシャが対抗しようとすれば開始年齢を75歳程度にしなければならず、それでは高齢者はが餓死してしまう。ドイツでは高齢者にも職があるかも知れないが、ギリシャにはない。ドイツの行動がユーロ圏全体の利益を無視したものであったことは確かなことだ」
「そういやデジカメや家庭用PC、プリンタの普及で写真プリントのお店って激減したよな~、
おまけにセルフプリントの機械が置かれたりコンビニでプリントもできたりして、プロの仕事奪いすぎ。ダンピングってレベルじゃない」
って思った。
いや、思うわけがない。プロに頼んで質のいいプリントを頼まなくても高性能な機械が
それなりに高画質に安くプリントしてくれる世の中になったんだからしょうがない。
ならイラストレーターも同じだ。プロに頼んで質のいいイラストを買わなくてもちょっと絵が上手いレベルの専門学生が
それなりに見栄えのする絵を安く描いてくれる世の中になったんだからしょうがない。
PEGGSという専門学校生に安価でイラスト作成を依頼できるサービスが炎上しています。
Twitter、はてブやら、facebookやらで「単価が低すぎる。クリエイターをなめるな」と騒がれているのです。
このPEGGS問題を起点に、定期的に話題になる「絵描きの単価が安すぎる問題」を検証してみましょう。
依頼するクライアントは安価で目的のイラストが手に入る。専門学校生だって、仕事の経験とお小遣いが手に入る。牛丼屋でバイトをしてお金を稼ぐよりも、絵を書いてお金を得る方が専門学校生にとっても楽しいはずです。独立して仕事がないときは、このサイトでダンピングをして凌ぐこともできる。要するに、ウィン×ウィンですよね。
当事者でもないのに「許せない」って騒ぐ人以外は、みんなが得をしています。
で、この問題について、BUTA、豚共がわやわや騒いでいます。彼らの主張を要約すると、こうです。
『単価として、一枚絵8000円は安すぎる。これはやりがいの搾取で買い叩きだ。許せない」
この主張って、どうしようもなくバカだと思います。なぜなら、専門学校生の立場で『不当に安い』と感じたら、仕事を受けなければいいだけだからです。
その値段で仕事を受ける学生は、その値段に納得して仕事を受託するのですね。だから、外野がブヒブヒ言っても、彼らが満足している限り問題にならない。
仮に「不当に安い」が本当ならサイト自体の存続が不可能になります。それはそれでオーライですよね。
もし、サイトが続くとしたら、その価格が妥当でイラストレーターも納得しているということになります。
「業者がイラストレーターに払う金が少なすぎる問題」って、わりと定期的に炎上する問題ですよね。でも、もっと待遇の悪い仕事はあまり話題にならない。
では、なぜイラスト単価問題だけが、これほど炎上するのかというと
こういう前提があるからです。『高い対価が払われるべきイラストレーターを安く使い倒す業者は許せんよ』という論理ですね。
でも、この前提ってほんとうに正しいのでしょうか。クリエイティブな行為はしかるべき対価が払われるべきなのでしょうか。
正直、クリエイティブさとか、つくるための労力って、価格には関係ないのですよ。値段というのは、需要と供給で決まります。
どれだけ絵を描くことがクリエイティブな作業だろうと、「そこそこの絵を描ける人がたくさんいる」現状では、値段が安くなるのって、当たり前すぎます。「それの持っている本質的価値」では、値段は決まりません。ゴッホの絵が牛丼より安く買われたのですから。
日本のイラストレーターのレベルは抜群に高いです。プロでない人でも、お金になる絵を描ける人が増えていますね。
なぜイラストレーターの平均レベルが上がったのか?それは、インターネットによって、学習の高速道路がひかれたからです。
インターネットなら、レベルの高い絵を見れるし、先駆者のノウハウものっている。良いノウハウはソーシャルネットワークで共有されてすぐに伝わってくる。その潮流をPixivがさらに推し進めています。
Pixivのコミュニティはどんどん広まっているので、これからますます絵描きは増える。すると、供給が増えて、価格に下方圧力がかかります。既存の市場にいるプレーヤーが「安くてやってられん」という値段で喜んでやる腕のたつ素人がガンガン生産される仕組みが出来上がっているんですね。結果、買い叩きが慢性的になっていきます。
このように、神の手に任せていると、絵描きの地位というのは、どんどん下がっていきます。絵で飯を喰う難易度が高くなる。参入障壁の低い仕事というのは、みんなそうですよね。
外野で「この値段は安すぎる』と批判をしても無駄です。なぜなら、安い値段でも仕事を受ける人達はいつも存在するからです。騒いでも、自分の仕事がなくなるだけで、損をします。
バラバラのままで交渉をしていると、神の手にさからえません。したがって、このままいけば、イラストレーターは最低賃金以下の待遇がデフォルトになります。
また、絵描きの仕事は時給ベース換算がしづらい。イラストレーターは自営業者だから最低賃金法も適用しにくい。取引形態もバラバラだから法規制は著しく困難です。ゆえに、神の手が幅を利かせる。
だから、もし絵描きの地位を向上させようというなら、労働組合的なものをつくるべきです。『適性価格』ってのを設定して、業界内ルールを作りあげる必要があります。絵描きを統一する組織なんて無いから、無理かもしれないけど、労組をつくるのが効果的な方法です。
けれど、Twitterで騒いだところで、何も改善されないのですね。
「残業は好きでやってるわけじゃない」はおそらく半分うそ。ノー残業デーとかあっても、
なんだかんだと、「帰れない理由」を作りだしてみんな残るもの。
だから、「猫も杓子も禁止」ってやって無い袖は振れない状況をつくってやんなきゃダメ。
お金がなければある範囲で何とかしようとするだろ?時間だっておんなじなんだよ。
「残業しないと終わらないから仕方ないじゃない」って言ってる人の何割かはコスト意識がないんだと思う。
経営者ならともかく、あんたが残ることで割高な人件費が発生しているわけだよね?
だったらそもそもそんな儲かんない仕事を発生させてる時点でそれはむしろ会社の害なんじゃないの?
逆に「残業代なんかもらってないから!」ってのもそれはそれで、人件費に対するダンピング行為なわけで、今度は社会への害だよ。
残業見越してスケジュール立てるとか論外だし、定時に仕事を終われないというのは時間を守れなかったって言う自覚は必要だと思う。
17:30までにお届けしますっていってんのに、21:00に荷物が届く運送はおかしいだろ?
ここまで書いておいてちょっと違うのは、残業がなくなれってわけじゃないんだ。定時後は自分の仕事をしたいんだよ。
有給とるために前倒しで進めたい仕事とかさ、ルーチンでまわしてる仕事のほかに、仕事を生み出すための仕込みとかさ、
要するに、ソーシャルがうんたらかんたらという話は所詮は一過性のブームで、そのうちゲーム専用機への回帰が始まるよって話。
でもって、アプリケーション開発の中でもゲームソフト開発はかなり特殊なので、一朝一夕でどうにかなるわけじゃないから、この業界でゲームで真剣に生き残りたければ今のうちに準備しといた方がいいよ、みたいな。
つまりスマフォは、「いつでも遊べる」というカードのみで、今後ゲーム専用機と戦い続けなければならないことになる。携帯ゲーム専用機に関してはそれさえもカードとしては強力とは言いがたい。
しかしそんな不毛な戦いを挑むゲームソフトメーカーなど現れないだろうから、ゲーム専用機とは別のカテゴリの娯楽として存在することになるだろう。それは既存のゲーム専用機の領域を「多少は」食うだろうが、果物にたとえるならば皮の部分程度で、芯に到達することはないはずだ。
AppleにとってもGoogleにとっても、ゲーム機能は自社製品を普及させるための付加価値の一部でしかない。だから万が一ゲーム部分と他の付加価値が競合する事態になった場合、前者を優先することは絶対にありえない。対するゲーム専用機メーカーは、自社製品をゲーム機として普及させるためにあらゆる選択肢を模索するだろう。高価すぎるという批判に対応するためにPS2ソフトの互換機能をオミットしたPS3の例や、販売不振を挽回すべく発売からわずか半年で1万円の値下げ(実質4割引)を実行したニンテンドー3DSといった事例もある。
そもそも、「何でも出来る」がうたい文句のハードやOSが、ゲーム専用機にゲーム分野で太刀打ちできるはずがない。
それは「何でも出来る」はずのWindowsのゲーム分野で主導的なポジションを作り上げながら、その市場の小ささゆえにわざわざゲーム機を発売したマイクロソフトが証明してくれている。
WindowsがインストールされているPCなど、世界中に何億台、下手をすれば十億台以上は存在しているはずなのに、ゲームソフトの売上や販売本数ではゲーム機に完全に負けてしまっているのだから。
これらが今後のスマートフォンにも当てはまることは自明だろう。
といったものがある。
http://anond.hatelabo.jp/20111029232710
の続きね。結構気になっている人が多いのだなと思ったので、さらに追加解説を。
最初に書いておくと、Amazonはアコギだけど、ユーザーには(短期的に)歓迎される可能性が高い。
それ故に対応を間違えると、日本の電子書店は太刀打ちできずに壊滅するだろう、
それはAmazonが世界最大級の小売りで十分利益を上げているからだ、という話。
(あくまでも友人が出版社につとめていてその話を聞いた中から)さらに説明しようと思う。
迷惑かからないようにぼかして書いてあるし、版面権や絶版、DRMや市ヶ谷方面の話題は煩雑すぎるので割愛している。
一ツ橋が出版社の全てみたいな話をするな!とか気になる人も居ると思うけれども、大枠で読んで欲しい。
(それに、これがググらずに判る人は、たぶん説明は不要で十分判ってると思うので)
最初に「経費圧縮による分は、安く出来るはずだ」というところから。
取り分は、作者(10%)→出版社(60%)→取次(8%)→書店(22%)→読者
例えば講談社がOnline書店を新たに作ったとして、取り扱いの本が講談社だけなら、取次8%分は削れる。
なぜなら、取次とは「多数の出版社と多数の書店を繋ぐ役割」だから。
ここで「多数の出版社と、講談社Onlineを繋ぐ役割」だと、0%ではできない。
そして、経費が削れても、利益を上乗せする方向にいっちゃいけないって事はない。
「ネットでの課金徴収、データ管理やバックアップにサーバ管理で、コレぐらいの値付けはしても使ってもらえるだろう」
という見込みがあってやってしまっても悪くはない。
それは「そこは消費者に還元しろよ」という感情はわかるけれども、商売としては別。
元々「電子出版なら安くなるはず」と圧力のある状況で売っても、一冊あたりの利益は薄い。
すると、その面倒なところ(他の出版社への声かけ、販売対応、サーバ管理等々)を、既存出版の割合でやってくれるなら、ギリギリなくはないかな、
といくつかの出版社は考えてもおかしくない、というのが前回のお話。
まずは、お金の流れの一般論として再販制度の仕組みについて触れておこう。
(矢印がお金の流れ、その逆向きが本の流れ)
判り難いので、具体例で列挙すると以下のような感じになる。
(出版の70%は作者の10%含み。本屋群の78%は、本屋の取り分の22%を引いたもの)
これに月末締めの翌月払い、条件返本相殺締日とかが絡むけども、胃が痛くなるので割愛した。
……ついてきているだろうか?
差し引きで見てみよう。
ほぼノーリスクで作者は100万円を手にするのに対して、本屋は頑張って110万、出版社も250万。
クリエイターに対する印税10%が低すぎると思っている人は、少しだけで良い。お金の流れを追って欲しい。
(ただ、返本率は、実際には4割程度だろう)
また、取次の集金機能にも着目して欲しい。
配本流通集金と、色々やってるのが取り次ぎだ。
さあ、管理も煩雑、処理も大変、もはや本が札束に見えてくると言う悲惨な状況下の中、Amazonが提示したのが55%という数字だ。
さて、例のリーク記事のAmazonが提示した契約書とされている部分、実はあの式にはちょっとしたポイントがある。
Amazonは当月中の各本件電子書籍の顧客による購入の完了につき、希望小売価格から以下に定める金額を差し引いた正味価格を出版社に対して支払うものとする。
先ほどの金額の流れを見た後だと、気がつくことがないだろうか?
そう、これは「出版社に対してAmazonが支払う金額」についての式なのだ。
具体的に見てみよう。
1500円のハードカバーを、出版社が「電子版だから、じゃあ1000円にするよ」と希望小売価格を決めたとする。
Amazon.com でのKindle版の価格から鑑みるに、おそらく、500円で売るだろう。つまり50%OFFだ。
すると、希望小売価格 1000円x55%=550円を差し引いた金額、450円をAmazonが出版社に支払う事になる。
希望小売価格は出版社が決められるが、紙の本より高くは出来ない。
そして、Amazonは希望小売価格から55%を引いた額を出版社に払えば良い。
50%OFFで売れば、Amazonの儲けは、一冊あたり5%になる。
どういうことになるか、火を見るよりも明らかだろう。
Kindleが8000円、Kindle Touchが1万円ぐらいで発売されてしまったら、どうなるだろうか。
紙の本には手に取れる書き込みできる、そして所有する喜びがある。
しかし、紙の本 1500円 vs kindle本 500円 ならどちらを選ぶだろうか。
10冊買えば本体代の元がとれると思った時に、Kindleデバイスを買わない自信があるだろうか。
Kindleデバイスを売る為だとか、ロングテールで値下げせずとも良い本から利益を回収する為だとか、色んな理由があるだろう。
でもきっとAmazonは、市場で無視できないサイズとなって十分利益が回収できるようになるまで、じっくりゆっくり粘り強く低調に成長を続けるだろう。
なぜなら、オンライン小売の巨人は、他で利益を出せば良いからだ。
もちろん出版社は、1500円の本を、他の電子書店には1000円で卸して、Amazonには1500円で卸すことだって出来る。
忘れてならないのは、Amazonは1500円x45%=675円を出版社に払うことだ。
他の電子書店は、1000円で卸された本から20%だけとって800円払うこともできる。売れればだが。
そして、Amazon対抗のためだけに他の電子書店に750円で卸したとして、電子書店側も決意の10%として675円を出版社に払っても良い。
1万冊売って75万円利益の電子書店、しかも様々なフォーマットでデバイスも様々で、本当に継続できるだろうか。
読者が安い本を買うことは止められない。非難も当然出来ない。
安いKindle版を出さずに独自の電子書籍を出す出版社に、文句を言わないだけの理性があるだろうか。
そして、(アメリカのペーパーバックがでかくて重いという理由があるにせよ)電子版が紙の本を売り上げを上回る世界で、
Amazonを無視して自己流を貫く事での機会損失を、オーナーや株主は許容できるだろうか。
流石にアマゾン、(アメリカ市場からの推測でしかないが)相当にえげつないことをする。
出版社は、既存の電子書店に卸してもAmazonに卸してもそう代わりはないが、消費者は安い方から買う。
そして、Amazonは限界まで値引きをして売るだろう。ダンピングにならないように5%程度の利益を抑えた上で。
黒船Amazonが、日本の電子書店と違う点は、既に成功したネット上の小売業者である点だ。
赤字をものともせず待ち続けられるのは、アメリカの市場で証明済みだ。
商売なんだからきちんと儲けてくれよ、金なら払うから経費圧縮分は利益にしてくれよ、
そう消費者が言ってくれないことは判ってる。
でも、電子書籍は安くて当たり前、デジタルなんだから薄利多売で消費者に還元してくれ、
そういう意見一辺倒だと、現状ではAmazonは無視できる存在ではない。
そしてこれは、Amazonの用意したハードルを乗り越えて契約できる出版社が増えれば増えるほど、
赤本といえば大学の過去問集として受験生のバイブルとなっているので知らない人はいないだろう。
しかし近年は大学も競争に晒されている時代、人気のない大学では赤本が廃刊になった例も珍しくないようだ。
進学校出身で東京で私立大学を受けた人は「赤本は学部ごとに買う」というのは常識だろう。私もそうだった。
「○○大学の赤本」として一冊にすべて収録されているものがほとんどだ。もちろん価格帯は同じままである。
これは不人気校のダンピングだと考えられる。いわゆる「福袋商法」だ。
そこまでしないと売れないのである。
早稲田大学 慶応義塾大学 上智大学 明治大学 青山大学 立教大学 中央大学 法政大学 日本大学 学習院大学 成蹊大学 成城大学
驚くことに一学部ごとに赤本が出されているのは上記の大学だけであった。
早慶上智、マーチ(日大を加えたNMARCH、学習院を加えたGMARCH含む)、良家御用達として有名な成蹊・成城など「名門大学」だけが意地を見せている。
関西の名門とされる各大学でさえも軒並み「福袋」で叩き売りしている現状で、これらの大学には今後のリーディングユニバーシティーとして大学淘汰の時代を代表する存在となってもらいたい。
http://anond.hatelabo.jp/20110816014625 を書いた増田だよ。
昔は書いたような会社にいたけど、今はまともなところにいる。
ブラックの時は、タイムカードを定時でおしてから残業があたりまえだった。そしてひたすら効率化されない仕事、無駄な仕事している古い社員、何をやるにもガタガタになった残骸との後方互換性。枯れた安定したものをやってるなら全然いいんだけど、そうじゃなくて、長年のスパゲッティが降り積もった突付いたら倒れるような残骸の山を引き摺ってるから。だからなおさら新しいことをやるリスクが高く改善できないという悪循環だったな。
今まともなところにいて満足してるけど、ここが広い意味でベンチャーに近い会社で、会社に入れる人間をバイトのスタッフ含めてかなり慎重に選んでいるというのはあると思う。誰かがネックになってやり方を変えられないということが殆ど無い。まるで別世界だ。
そりゃだれだって万能ではないから、誰かの言うことを僕が理解できなかったり、僕のいうアイデアを誰かが理解できないこともあるけど、「それでもとりあえずそれをやってみよう、やれば良さがわかるかもしれない」という雰囲気が会社にあって、多少のリスクは折り込めるフットワークの軽さがある。皆得意なことは違うし、だれが何を得意なのかわかっていて、自分のできない事を他人ができるのを嫉妬するような人もいない。
とまあ僕の現状はさておき、色々ブコメを読んで最後に思い浮かんだのは "世の中の仕事の絶対量に対して人が多すぎるのか" という疑問だ。
既存の仕事を水増しするような "仕事を増やす仕事" は労働力の単価を下げるしかなくなる。縦割りの中で、その悪循環の一部分しか見えていないと、限定された範囲では利益を伴った仕事が増えているように見える。でも全体では労働力の単価が下がっているだけなんだよね。
今の会社で「こういう新しいアイデアがあってマネタイズもできそうなんだけどちょっと人足りなくね?」ということはあるけど、既存の仕事を水増しする "仕事を増やす仕事" とは全く別のものだ。水増しではなく利益と需要が伴った仕事が新たに生まれる、そういうのがもっと増えていかないと "世の中の仕事の絶対量に対して人が多すぎる" 状態はいつまでたっても改善されないのだろう。
んー、僕は経済についてはうといし、いい意味でも悪い意味でも技術者畑の人間だから、見当違いのことを言っているかもしれない。
それでもなんとなく、"利益と需要が伴った仕事を生み出せる" 会社がホワイトで、"既存の仕事を水増しするしかない" 会社がブラックだというのはわかる。生み出せない限り、技術によって既存の仕事は減って行き、人はあぶれ労働力のダンピングをするしかなくなる。
ブコメに "ラッダイト" という言葉があって色々調べてみた。ネオ・ラッダイト運動か。今の社会全体がゆるやかにそういう過程にいるのかもしれないね。そこからあぶれる人たちをどうするかだよな。
「自分の子どもや親戚に、自分の勤めている会社を勧められるか?」
この質問の答えを考えた時、答えは明らかにNOだ。
を書いた元増田だが、話が発散するので書かなかったけど、もう一つ言っておきたいことがある。
「善良で空気の読める人たちがブラック企業をつくる」ってことだ。
ブラック企業をつくるのは、
・私利私欲を肥やしたいおっさん
・話の全く通じない上司
だけではない。こういういかにも悪そうな連中がブラック化の原因ならば解決は見えている。
近づかない、関わらなければ良い。(仕事上、そうはいかない人ごめん!)
だけど身の回りをみると、こんなわかりやすい連中、はっきり言って少数派ではないだろうか?
私利私欲を肥やすことに一生懸命な部長とか、見たことあるだろうか? 俺は正直ない。
なのにこんなに日本中にブラック企業が溢れ帰っているのはなぜだろうか?
それは、いち平社員である我々がブラック企業化の根本原因であり、日本中そんな連中で溢れているからだ。
突然メールで仕事がふられても、すぐやっとかなきゃ忘れるからといって、メインタスクを中断してまで対応する。
上司から「悪いけどこれやっといて」と言われたら、「いいですよ」なんて気軽に返答する。
気がつけば、夕飯を食うタイミングを逸して、空調の切られた熱帯雨林のような居室でパソコンを叩いている。
仕事の進みが悪ければ「すみません、休日出勤させてください」って謝りながら申請しに行く。
みんな引き受けすぎているんだ。
基本的に頼み頼まれたら断らない。丸抱えする。
できなければ、一人で悩み、自分の能力が低いせいだと絶望する(特に若いやつは)。
これは上司だって同じだ。上司の上司に対して「できない」なんて言えない。
「いいですよ」なんて気軽に答えて、部下に仕事をふると「いいですよ」なんて答えてもらえる。
悪いなと思いつつも、できるって言ってるんだからやらせてみるか、と思っているはずだ。
こうやって善良な人々は、抱える荷物の大きさに疑問を持ちながらも
「仕方ないよな」って具合に荷物を増やしていく。
人事からコンプライアンスだ、なんて言われれば遵守を証明する書類を書き、
情報部から情報セキリティの審査だ、なんて言われれば、セキリティソフトでPCを使いづらくし、
知財から特許ノルマだと言われれば、絶対使えないだろう特許でもなんとかひねり出し、
エンジニアなのに、肝心の技術開発の使う時間がガシガシ削られる。
その技術開発も納期が厳しく、ほとんど最小限の手間でやっている状態だ。試行錯誤なんて夢のまた夢だ。
おかしいな、と日々感じている。
けれど、みんな我慢しているから俺も我慢しないと。
と日本人の9割は考えているんじゃないか? 我慢大会の参加率9割だ。
みんな空気を読んで、休みたいのに休まず、誰かの期待に応えようと健気に仕事をする。
……これがブラック化だ。
悪いやつはそんなにいないんだ。
でも俺らはシステマティックに、実に見事に会社をブラック化しているのだ。
総務だって知財だって上司だって鬼じゃない。人件費をけちって人を増やせないのではない。
上司の上司の期待に応えるために、人件費の増額を打診できないのだ。
無理そうなんだけどなんとかやりくりしてみよう! と無限の努力を試みているだけだ。
無限の努力を示してくれる善良な人々が、悪意なきダンピングを9割の参加率で行っている。
今、自分が置かれている会社なり立場というものが、やがて自分の子どもに引き継がれるとしたらどうだろうか?
日が変わらなければ帰ってこれない会社で働いてもらいたいだろうか?
夕食を一緒に食べない日が家族が当たり前で良いだろうか?
善良な私たちの子どもは、親の世代が我慢したのだから私たちも我慢しないと! とブラックシステムの歯車になってしまわないだろうか?
それが嫌ならば、やり方を変えないといけないだろう。
そしてやっかいなことに、今の俺らはバブリーな時代ではなく
人口が減って経済活動が縮小していくような閉塞感のある先進社会に生きている。
バブリーな頃はあらゆる矛盾や我慢が、お金の力によって解消されてきた面がある。
英国の暴動ではないが、閉塞感のある社会ではそういった矛盾が一気に顕在化し、俺らをさらに苦しめかねない。
やり方を変えないといけないと書いたが、滅私奉公しても給料上がんない、あんまり景気の良い時代じゃないよねってことも念頭にやり方を考えないと。