はてなキーワード: シンクライアントとは
退職直後・転職直後は自分がなぜそのような行動に至ったのか冷静に書けないと考え、メモをとってあたためる程度にしていた。1年経った今、
に触発されてメモを見直しながら振り返ることにした。一般化しようとせず、なるべく自分個人の事情を書き留めたい。
私が誰かなどと邪推することではなく、自らの職場改革あるいは自らの転機にエネルギーを使ってほしい。無駄な心配かもしれないが、あまりに盛り上がってしまったら当記事は削除するかもしれない。ビビリであることを許してほしい。だからこそ詮索しないでほしい。
振り返ると、これが不満の大きな部分を占めていた。
私が働いていたのは、過去に倉庫か保管室だった場所を改造したフロアだった。年がら年中暑い。空気が悪い(雰囲気ではなく、空気の質が悪い。二酸化炭素濃度が高かったのではないか)。掃除が行き届いていない。トイレがきれいでない。天井が低い。いわゆる工場であるため、昼休みにも敷地の外に出ることは難しく(禁止されてもいないし不可能でもないが)、閉塞感が強かった。
私はコーティングをしたりシミュレーションを回したりする仕事を担当してはいなかったという前提は書いておくが、メモリは2GBのデスクトップPC。いま、自分のメモを見て目を疑っている。隠れて自腹で購入したメモリを増設してなんとか4GBでやっていた。PCを作っていた会社とは到底思えない。デスクトップだから当然会議には持ち歩けない。働き初めて数年経ってようやく会議室にシンクライアント端末とプロジェクターが置かれたのだが、継ぎ接ぎの対策だ。持ち歩けないデスクトップPCであれば物理的に紛失するリスクがないという考えなのだろう。それでどれくらいの開発能力と機会を損失していることか。
とにかく、自分のある行動が他人の貴重な時間を奪っているという意識が無い人が多数を占めていた。
会議は5−10分遅れが常であった。席まで呼びに行ったことが何度あったか。机では常に誰かの電話が鳴り響いていた。電話が完全不要とは言わないが、代替手段ならいくらでもある。メールはとりあえず「関係者」全員に送る慣習があった。連絡したという証拠と言い訳を残したかったのだろうと、今は振り返る。
人事評価で明らかなのは労働時間という指標だけだ。評価の面談で、君は残業時間が他の人に比べて少ないと何度言われて何度憤りを抑えたことか。褒められこそすれ、咎められるとは全くの心外である。半期ごとに目標を書き、前回の目標に対する達成度をレビューする。面談はあるが、それがどのようにエスカレーションされて最終的にボーナス・昇給にフィードバックされているかは見えなかった。きっと、上司やそのうえの上司にどれだけ気に入られているかというのが実際の指標だったのだと思っている。
ところで富士通の人は8:30-12:00のエセフレックスと書いていたが、私の職場はさらにひどく8:30-15:00だった。辞めた翌年度から名ばかりの裁量労働制になっているはずで、その不満たるや想像したくもない。
とかく一般論になりがちなこのトピックだが、ここでは社員(事業部で働いている人)に対する説明責任について書いておきたい。
失敗したプロジェクトについて「これは失敗でした」と認め説明することがなかった。失敗だと認め、なぜ失敗したのかを不完全なりにも分析して説明して次に活かす、その説明をする責任がリーダやマネジメント層にはあると私は考えている。期ごとに社員が集められて行われる事業部説明会(名前は忘れてしまった)では、絵に描いた餅のような目標が掲げられて、各社員に求められているものが分からないままがんばるぞー!と全員で拳を掲げて終わるのだ。私は頑張るという言葉が嫌いだ。実質的に何も言っていないからだ。
まだまだ書き足りないことがあるけれど、一般的になり始めてしまったのでここらへんで止めておくことにする。ご要望があれば他の要素も書き足そうと思う。
自分がその組織で働くことを決めたその決断を正当化し、その組織以外の市場での自分の価値が低いと評価されることを恐れていたのだと思う。そして、環境は人を変えてしまう。良い方向にも悪い方向にも。ほんとうに恐ろしいことだ。私は最後のほうで体調と心の調子を大きく崩してしまった。逆説的だが、それがきっかけで退職・転職を決断したことになる。
悪いことばかり書いてきたが、NECで働いて得たもののおかげで今の仕事を楽しく熱中して出来ていることも確かだ。その点では感謝している…と書きたいところだが、やはり感謝すべきは腐らずに気合を何度も入れ直していた自分自身だろう。幸いにいま、筋肉体操でいう「きついけど、つらくない!きついけど、楽しい!」という状態にある。
ただ、やはり9年は長すぎたな。4、5年で良かったと思う。
省庁のシステム全部クラウドにして、議事録もアレクサ経由で機械学習にして。
国会中継の動画は全部YouTubeにアップロードして、使用するテレビ局からは使用料金徴収。
アクションカムの装着も義務付けておいて、会った人を顔認識で記録。Googleカレンダーの予定に会った人の名前が追加される。
教科書はKindleで管理され、一日の学習時間の把握も容易。
公務員のパソコンはシンクライアントになってクラウドですべて管理し詳細なログを取る。
市内や店舗の監視カメラをすべてつないで顔認識。スマフォの位置情報と連携して渋滞緩和。
給料をAmazonポイントでも支払えるようにして、Amazonパントリーで現物支給。
いろいろ突っ込まれることを前提でエントリをぶちまけるので、忌憚ない意見が聞けたら良いなとおもっている。
さることの昨年九月、とある財閥企業グループの子会社に転職をした。
親会社にくっついたエンジニアリング会社といえば聞こえは良いが、要するに工事会社だ。親会社が不採算で利益率の低い部門を分社化しただけのことだ。
この企業に転職して数ヶ月、起こったこととそれに対する意見をぶちまける。異論、反論、大募集だ。ただし討論に興味はない。
思ったことをぶちまける代わりに、それに対して思ったことが返ってくることを期待する。
サマリーはおおまかにいって以下にまとめることができる。
①工事会社としての技術力とは一体なんなのか、それは情報漏えいを恐れるようなレベルのものなのか
②内部の人間同士で『人間性』に言及し始めるようなら、その組織は終わってる
③ドメスティックタイプの企業における『コミュニケーション能力』という名の限界
会社に入ってきて思うのだが、いわゆる施工規準や施工方法に関するデータの流出を上層部が過度に恐れているように思える。
しかもそれは本質的な『情報漏えい』に関する健全な怖れというよりは、子会社にありがちな親会社や風評被害を怖れての脊髄反射に見える。
PCをシンクライアントにするのは良いが、いくつかのクラウドサービスをアクセス禁止にするのはいかがなものか。はてはフラッシュメモリからフリーソフトのダウンロードまで規制されている。
顧客情報流出を怖れるのは良いとして、施工規準や施工方法に関する教育データぐらいある程度コピーして弊害があるか?
原価見積りに関するデータが流出することで、利益源泉が素っ裸になってしまうリスクは分かるが、正直言って建設業関係で中小のエンジニアリング会社に、セキュリティをかけてまで守る技術などない。
とてつもない機械をどっかから買ってきて、数値を入力して、資金力にものを言わせて人を雇って、膨大な工期を費やして建築物を完成させるというだけのことだ。
だいたいエンジニアリング会社なんて、自社の技術なんてなにも持っちゃいない。
太陽光発電事業者なんかがよく自らをEPC(エンジと調達と構築をワンストップで行う事業モデル)とか言っちゃってるわけだが
要するに知識と人員と情報収集力&編集力はあるから、必要なもんは金かけて集めてきて設計して作ってやんよ、っていうだけの話だったりする。
だからエンジニアリング会社がプラントに持ってく装置や設備のほとんどは、実は盤屋に筐体だけ作らせて中身は中小メーカーやどこぞの電子メーカー製品の寄せ集めだったりする。
ぶっちゃけ施工会社としてのエンジニアリング会社はエンジニアリングっつーよりはむしろ商社に近い。投資事業モデルを使ってないだけ。
客先常駐型の派遣モデルで収益を上げているが、結局設備そのものの校正やサービスはメーカーの技術者を呼ぶわけで、ビジネスの形が顧客との利益相反になってる。
これが例えばプロパティマネジメントのように、顧客の一部となって設備投資利益の最大化を目指す形ならばいざ知らず、結局は政府の公共工事に縋る建設コンサルタント業界とほとんど変わらない。
相手がメーカーに切り替わっただけの話で、二年三年単位で作られる景気を見越した設備投資計画によって投入された予算に従うだけ&なるべくその予算を多く取るために張り切るだけのビジネスだ。
現代における技術力の意味合いはどちらかといえばもっとサイエンスであったりコンピューティングなものだと思う。
少なくとも、いくら工事会社が『我々の技術力を守る』だのと言っても、そこに書かれていることのほとんどは日本の電気事業法だの高圧ガス保安法だのに則ったものを超えられないし、そこから幾らでもリバースエンジニアリングが可能なものでしかないと思う。
つまりなにが言いたいのかというと、会社のPC持ち帰れないんだから教育資料ぐらいクラウドサーバーにアップして家でテスト受けることを許可しろ。
職場で仕事の成果物に対する評価を下すならまだしも、従業員の人間性に言及が終始するような職場は終わってる。それは単なる噂話や陰口の温床だ。上司が部下の人間性に口を出す組織も終わってる。
コミュ障やアスペ、発達障害やうつ病についての言及をするような職場、とりわけそれを「脱落者」「人として未熟」という組織も同様だ。まず間違いなく組織として終わっている。
仕事をするにしても各自に割り振られたタスクそのものがなく、社内営業や油売りによって仕事を獲得するような組織だ。
指示系統にせよ、組織でありながら組織化が徹底されてない証拠だ。
誤解を怖れずにはっきり言うが、そもそも『人間性』に着目しはじめたとき、その組織もあるいはその人間関係もある意味で終わってる。
多くのビジネス書では地図よりコンパスの方が重要だとよく言われるが、はっきり言ってそれは嘘だ。
コンパスはたしかに重要だが、それよりも地図を手に入れることの方が先決だ。
コンパスは主観だが、地図は自分がいる位置を相対化して知る事ができる唯一のツールだ。GPSがあっても上空からの映像がなければ何の役にもたたない。
人間性を期待するべき側とそうでない側がTPOで変化する。また人間性の定義もTPOで変化するし、人間性を評価する人間もまたTPOで変化する。
そして多くの場合、人間の語る評価はポジショントークで、現代人は一個人でありながら日常生活の中でさまざまなポジションに立つ(親であり上司であり母であり父であり弟であり..)から、人間性の評価軸そのものが普遍ではない。
人間関係は一元的なものではない。人は誰と対面しているかによってコロコロと相を切り替えるので、ある人間から見た印象が必ずしも別の人間から見た印象と一致するわけではない。
しかもそれは個々の人間が持つ評価軸に連動しており、その評価軸は各々の視野・視座によって変化する視点であり、複雑系で曖昧だ。
『評判』そのものに実は信頼性などなく、『何故その人はそのような評価を下したのか』に着眼し、評価を下した人間の立場や背景にまで目を広げなければ、客観的な『結論』を得ることは難しい。
facebookの『いいね』の個数は重要ではない。『どこの誰が〝いいね〟を押しているのか』が重要で、さらに言えば〝何故いいねを押したか〟の方がもっと重要だ。
その理由の如何によっては、『いいね』そのものをデータの指標として無視するという選択すら十分ありうる。
ビジネスの現場において、始末書や反省文に人間性に対する言及があってはならない。
それはなんら解決にはならない。根本的な問題が仮に人間性にあるとしても、それを逆手に取って上手に外的要因に沿って問題に取り組んでいく以外に道はない。
上司がパワハラであるからといって、我々は生計を立てることを諦めるわけにはいかないし、部下や従業員が怠惰や傲慢であるからといって、具体的な目標を立てずにビジネスが進展することはありえない。
結論を言えば、『人間性』に言及し始めることは、ビジネスにおいて必須たる〝コト〟に向かう姿勢を歪める。
それが蔓延する組織は、組織化が上手くいっていないか、もしくはそのビジネスが限界を迎えているかのどちらかだ。
(※ 筆者の場合、所属しているのは子会社タイプの工事会社なので、ビジネスそのものが危うく、社内が内向きになっているのだと考えている)
阿吽の呼吸のことを『コミュニケーション能力』と呼ぶ時代はとうに終わっている。
すべては文脈と宣言型言語によって語られ、記述と構造化が優位に立つ時代になるはずだ。
曖昧さは削られていく。
世界全体で大きなストーリーが崩壊した今、ドメスティック企業において求められていた『コミュニケーション能力』を担保にした『仕事が出来るヤツ』『仕事が出来ないヤツ』の評価軸は揺らぐだろう。
なにが言いたいのかというと、現場ごとに施工ごとに異なる大同小異の部分で小さく競い合うのは不毛だし醜くてむしろ哀しくなってくるから辞めろ。
たかだが一つの装置の細かい機能に過ぎない部分で知識自慢と知恵比べをするのは不毛だから辞めろ。
文脈レベルでの競い合いなんざ無意味だ、職人同士の張り合いは趣味でやれ。ささやかな自慢なら良いが、無駄にプライドを持つと逆に扱いづらくで邪魔だ。
★個人情報のアングラルートとして、「遺品処理業者からの名簿横流し」がある、という話を聞いた。
遺族が故人の遺品をまとめて処分を依頼
⇒遺品処理業者は「換金出来るものは換金する」から、同窓会名簿などを遺品の中から見つけたら即換金する、という流れ。
私見だが、名簿屋の持ってる高齢者名簿の大半は、実は遺族経由の名簿なんじゃないか?
★「80歳のおじいちゃんの自宅にあった同窓会名簿なんて、ベネッセの子供名簿と比べたら大した価値はない」、
と遺された遺族は思い込み、安易な気持ちで遺品整理業者へ依頼する。
しかし、高齢者の同窓会名簿は、振り込み詐欺業界・投資詐欺業界・リフォーム詐欺業界からすれば「宝の山」だったりする。
★そもそも、わざわざ故人の遺品蔵書を全て目を通す「暇な」遺族は少ないのではないか?
主だった遺品を抜き取ったら、あとは「この一部屋全部、遺品整理業者さんお願いします」な感じで依頼していて、
部屋の片隅に「帝国大学同窓会名簿」が転がっていたことなんか、気付きもしない
えてして、「帝国大学同窓会名簿」とか「大蔵省職員名簿」とか持っている人はハイクラスな方々なので、蔵書の数が庶民とは桁違いだったりする。
だから、遺族側も、膨大な蔵書の全体像を把握出来てないし、その中に名簿があるかどうかも知らない
だから、そういうハイクラス層の物故に伴う名簿流出って、結構あるような気がする。
★名簿とかじゃなく、設計図面とかだと、理系な高齢者の遺品とかで結構ありそう。
そういう理系な遺品の中には「企業秘密に属するような遺品」も、中にはあるのではないか?
★例えばベネッセ的な個人情報が入ったメモリーを「私物的に」持ってた人が、交通事故とかで突然死した場合、
一般論でいえば、たとえ「盗品」であっても、実は盗品だと知らない遺族が、遺品(=盗品)を処分するのは合法。
但し、仮に遺族が「盗品」だと知っていたら、どうなんだろう?
★最近は、仮想化デスクトップ、シンクライアント、クラウドが花盛り。
顧客情報などの個人情報をクラウドなデータセンターに預けて、そのデータセンター業者が倒産した場合、データセンター業者の破産管財人が
企業倒産というのは、バッタ屋にとっては「稼ぎどき」。倒産企業の備品を買い叩く。
今後のデータ社会で「倒産企業のデータ財産の取り扱い」が気になる。データのバッタ屋にとっては「稼ぎどき」
例えば、山一証券の顧客名簿は、適正に「廃棄処分」されたのか?破産管財人が名簿屋に売却してないか?
真っ当な債権回収屋もいなくはないですが、「893」な債権回収屋も多いからなあ。
彼らが債務者が持つ各種情報(含個人情報)を「適正廃棄」してくれる、なんて期待薄。
★例えばベネッセとかジャストシステムが、仮に今回のデータ流出の件で倒産とかした場合、
果たして大量の名簿データが、「適正に廃棄」されるのか、極めて疑問。
「倒産」となると、社員のモラルも無くなるし、セキュリティもザルになる。
たとえて言えば「ソ連崩壊時の核兵器技術拡散と同じ状況」になる
倒産法制の中で、倒産企業が所有するデータについての取り扱い規定は、ちゃんとあるのか?
なければ改めて規定すべきでは?
★逆にいえば、企業が保有するデータ類、個人情報とか技術情報を、きちんと会計評価すべきなんだろう。
ベネッセが2000万件のデータを持ってるなら、会計士が適正にデータの資産価値を時価評価して、
1989年に東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界で最初のノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝、アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成した。
1990年代中頃から、国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコンの出荷台数はデスクトップパソコンを追い越した。
2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPadで代表される新しい形態の携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。
とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝に代表される日本企業が業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンがパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。
ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズのパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。
・1984年 NEC PC-8401A
(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池やフロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。
T-1100の仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大512KB
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵
・サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg
最初のノートパソコンは1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。
発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初のノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。
J-3100SSの仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)
・電源リジューム機能の提供 ・ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機
・サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)
1990年代に入ると、IBMとアップルがノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成したといえよう。
・1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載
・1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー付
・1991年 アップル PowerBook 170 世界初のパームレストとトラックボール
・1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)
・1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA
・1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ、表計算などアプリケーションをROM内蔵
・1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶。世界初のトラックポイント装備
・1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池で駆動
・1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート
・1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載
・1994年 アップル PowerBook 520 世界初のトラックパッド採用
1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいことから人気が高まり、2000年にはノートパソコンがデスクトップパソコンの出荷台数を上回る状況になった。
・1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用。プレインストールソフト多数
・1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量
・1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート
・1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート
・1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学式トラックボール搭載
・1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)
2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的にモバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争は1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。
筺体の軽量化
軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。
パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。
SSD(Flash Solid State Drive)
SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要なノートパソコンに適している。しかし高価格である。2004年頃から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。
ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格化競争が進むのに伴い、台湾や中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業の技術向上により、現地企業に生産だけでなく設計も委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内で生産している製品は、特に高度技術が要求される小型の高機能のパソコンに絞られるようになってきた。
2000年後半には、ノートパソコンが多様化した。ディスプレイサイズで区分すると、次のようになる。
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
───┬─── ─┬─── ──┬──
│ ──┬──│──┬── │
│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイルを意図せず高機能機
│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用
│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準
├ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視
シンクライアント(Thin client)とは、処理機能をサーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである。1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。
1996年 オラクル、シンクライアントの概念を提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。
1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表
1997年 マイクロソフト、Windows CEをベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表
それが2005年頃から、外部記憶装置の接続ができないこと、パソコンに情報が残らないことが、セキュリティの観点から重視され、パソコンメーカーはシンクライアントを発表、多くの企業が採用を検討するようになった。
2005年 日本経済新聞「日立製作所がパソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。
2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷
2005年 NEC Mateシンクライアント、VersaProシンクライアント 出荷
ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである。2005年頃、発展途上国の教育分野にインターネットの活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産、支援団体等を通して提供する計画が進んだ。
ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンドマシンとしての重要が高まり、2008年頃から、その用途を目的とした機種も出るようになった。
2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来の目的用の例
・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価
・記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載
・ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャを採用して、パソコンとの互換性あり
iPadの出現
タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトはタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。
2010年、アップルはiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。
【iPhoneではアップルはフラッシュメモリを10倍高く売って儲けている - 竹内研究室の日記】
フラッシュメモリでこれだけ大儲けできるのだから、メモリカードのスロットをiPhoneやiPadに作らないはずです。
もし、メモリカードが使えるようになったら、ユーザーはiPhoneやiPadを購入する時は一番メモリ容量が小さいモデルにして、メモリが必要な時は、メモリカードを自分で購入して容量を増やすようになるでしょう。
(略)
ほとんど労力をかけずにフラッシュメモリで儲けられる、というビジネスモデルがある限り、アップルはいわゆるシンクライアント、ネットワークコンピューターといった、データをできるだけクラウドに記憶して、端末のメモリを少なくする、という方向には行かないのかもしれませんね。
(略)
中盤の文章からは竹内氏がメモリーカードスロットの付いたiPhoneを望んでいるかのように読めるが,終盤ではクラウド化を求めているかのようだ。
端末容量を後から増やせず,しかも大容量版が(異常に)高いという現状は,ユーザーにとってデータをできるだけクラウドに記憶して、端末のメモリを少なくする、という方向
の動機となる。
つまり,竹内氏がお手軽
と詰るAppleのビジネスモデルは,竹内氏が望んでいるかのように言うクラウド化の推進に役立つ方向性である。
(実際にiPhoneを拡張する数多くのクラウドサービスが成功していることを,まさか竹内氏が知らぬはずはあるまい。)
逆に自分に必要な容量を簡単に増やせるSDカードスロットが付いていれば,クラウドの必要性は薄まるだろう。
氏はいったいAppleのビジネスモデルをどのように見ているのだろうか。
容量と価格が顧客に明らかなのに「Appleは大容量版を不当に高く売りつけている」などと考えはしないはずなのだが。
もし大容量が必要であっても,クラウドによる代替は既に充実し,しかも拡大を続けている。
大容量版は,クラウドという普通の解決策では対応できない特殊な需要(ニッチ)に対する商品であり,需要が特殊・少数である以上は,それに見合った価格が設定される。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51205914.html
確かに、ケータイってプル型だのプッシュ型だの、情報等のゲートウェイとしてはすごくいいんだけど、じゃあ情報の発信側になってるかっていうとそうじゃないよね。
メールの送信とか、掲示板に書き込むとか、その程度のこと言ってるんじゃなくて。
確かにTwitterとかケータイ版Twitterと言われる「リアル」とかプロフとかってのも、ケータイレベルでは十分「発信」してるものかもだけど、PCを自在に利用している人の「発信」に比べたら全然レベルが違うのかなって。
で、ここまで書いといてあれなんだけど、「じゃあPCで多くの人がやってる発信ってなに?」って言われると、ケータイから出来るような発信しかしてないなって思った。
メールにしても掲示板にしても、はてなにしてもブログ更新もだいたいケータイで出来る。
dankogaiさんのようなギークな人にとってはパソコンって凄い重要なものかもだけど、別に一般人にとっては必要不可欠でもないんだなーって。
よく使わなくなったパソコンをサーバにしたり、リビングのテレビの横に置いてDLNAサーバとかメディアサーバ化することもできるとか、チューナー付ければテレビなんて要らなくなる!って言うけど、逆に、パソコンじゃないと出来ないって事がほとんどなくなってきたんじゃないかなーって。
テレビにしても音楽とかメディア系にしても、ゲームにしても、専用の機器があるんだけど、パソコンに一本化できるってことにパソコンの用途が進んでいって、パソコンじゃないと出来ないことをする人はほんとにIT系の人くらいになってきたのかも。
iPodとか音楽プレーヤーのためにパソコン買う人もいるけど、テレビに繋げるセットトップ(au BOXみたいなの)がもっと使いやすくなったりしたら必要なくなるし。
もちろん、今のケータイには限界があって、画面のサイズが小さいこと、キーボードが小さいこと、拡張性がないこと。
いわゆるI/Oってやつ。今のケータイだとせーぜー3.5インチ程度で情報量が少なく、文字の打ち込み等は遅い。
また、まだまだ「PC向けサービスをケータイでも使えるようにした」程度だから、まだまだUIがこなれていない。ま、それはiPhoneの登場によって、タッチパネルとアプリケーションで解消できるとわかったわけだが。
もし、ケータイのフルブラウザがネットブック程度のブラウザ性能を得て、かつ、繋げるだけで大画面出力、QWERTYキーボードが使えるようになるような機器が当たり前になって(シンクライアントノーパソみたいなものにケータイを繋げる的な感覚)、いろんな機器をつなげて拡張できるようになると(できればBluetoothとか近距離無線で)、いわゆる「パソコン」ってものが一般人からすると要らなくなるんじゃないかなーと思う。
個人的には、有線じゃなく無線、さらに言うなら、電脳コイルみたいにメガネとか視覚に直接投影するとかで、バーチャルI/Oが出来ればワクワクする。
脱線したけど、結局dankogaiさんの記事は結局ギークな人や開発者による視点でしかなくて、一般人の視点からすると、パソコンなんてもうただの「なんでも出来る魔法の箱、だけど、個別に買ったほうが楽。」であったり、「リテラシーや知識のある人にはすごく使いやすい、だけど、ケータイでもほとんどのことが出来る。(使いやすさや快適さを我慢すればだが)」という箱になってしまったんじゃないかなーって。
それさえクリアしてしまえばいろんな「当たり前」が変わってしまうんだろうなー
在宅勤務制度の記事を集めてみたよ。
「2005年時点のテレワーク人口推計(実態調査)結果について」平成18年6月14日
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha06/04/040614_.html
「大手ITベンダー“在宅勤務”一斉導入の真意/Tech総研」06.11.29
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000956
「急速に普及する在宅勤務制度 松下が今春、3万人対象に実施」2007/5/ 7
http://www.j-cast.com/2007/05/07007330.html
http://japan.internet.com/research/20071205/1.html
「NTTソフトウェアが子育て/介護中の社員を対象に在宅勤務制度を導入」2008/04/24
http://journal.mycom.co.jp/news/2008/04/24/003/
「NECが在宅勤務制度を社員2万人に展開、シンクライアントやWebカメラを貸与 」2008/07/01
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080701/309862/
世間は在宅勤務を認める方向に進んでるみたいよ。