はてなキーワード: イスラム過激派とは
五輪は大成功。冷夏で朝顔は咲かなかったけど、代わりに季節外れの桜の開花ピークに開催出来て、日本選手の金メダル獲得数が最多を更新したこともあって、「桜の奇跡」と呼ばれてるよ。今年唯一の明るい話題だね。
ゴーンは東京郊外で車の事故に見せかけて暗殺されちゃった。イランが背景にいるイスラム過激派を頼って亡命しようとした話がこじれたみたい。最後に乗ってた車は日産じゃなくてアウディだったのはネットでネタにされてるよ。ちなみに公安はそれを防げなかったことで大きな世論の批判を浴びて、警察改革が今一番ホットな話題になってる。どんどん国民の監視は強まる方向で、暗い世相になってきてるよ。
100日後に死ぬワニの死因は、人間に捕まって料理にされちゃったことだよ。ワニのスープを出された友達のネズミが、何かを察したかのように唖然とした表情になって、瞳孔の開いたような目にズームアップしていく不気味な描写で終わった。今でも賛否両論が渦巻いてるよ。
男は長年、「男だけなのはけしからん」という批判を受けてきた。
男しか会員になれないゴルフ場が国際的に顰蹙を買ったこともあった。国技で女を排除していたことが批判されたのは記憶に新しい。
だから男の考える男女平等や女の地位向上とは、「自分たちの場所に、なるべく異性を迎え入れる」という形になる。
女をもっと採用しよう、男しか入れない施設はけしからん、というのが男の考える男女平等であり女の地位向上だ。
だからゴルフ場や土俵についての問題では、女だけじゃなく、多くの男がそれを批判した。女を排除するのは性差別だと。
ところがなぜか、女で女の地位向上を訴える連中は、世にあふれる「女しか入れない施設」には何も文句を言わない。
文句を言わないばかりか、積極的に擁護していたりする。これは差別じゃない、とか何とか屁理屈をつけて。よっぽど「女だけの場所」に価値を見出しているらしい。
でも、男だらけの場所はけしからんから女も入れろ、という男女平等の理念を聞いて、なるほどもっともだ、そういう差別はけしからん、と積極的に同性だらけの場所を異性にも開かれた場所にしようとしてきた男からすると、はっきり言ってただの差別としか思えない。
池袋とか渋谷とか新宿とか、そういう繁華街を歩いていて、「男性専用」なんて看板はまったく見かけた記憶がないけど、「女性専用」の看板はあちこちに見かける。
夜の街とかに行けばひょっとしたらあるのかもしれないけど、少なくとも、若者がキャッキャウフフしながら歩いてる昼の街で「男性専用」なんて差別的な看板があったらかなりギョッとすると思う。幸いにしてそんな性差別的な看板は見かけたことがないけど、でも「女性専用」って看板はカジュアルにそこら中に存在していて、それを見る度に内心ではウゲッと思っている。
旅行しようとして、良い時間帯の深夜バスを見つけたと思ったら女性専用だった、ということはあるけど(おっ! これめっちゃいい時間じゃん! ってウキウキしながら詳細見てかなりがっかりした)、男性専用バスなんて見かけたことはない。そもそも、そんな差別的なバスがあったら何よりも男の自分がドン引きする。
それなら男性専用のバスとかがあっても彼女らはドン引きしないってことなんだろうか。男女平等って何なんだろうか。
性別によって公共交通機関に乗れない車輌があるのも、めちゃくちゃ理不尽に感じる。男からすると仮に公的な空間でトイレや風呂でもないのに「男性専用」なんてあったら「これって差別じゃね……?」って思うと思うんだけど、なんで女が平気な顔で女性専用の公的空間に出入りできるのかがわからない。
仮に男が平気な顔で男性専用の公的空間に出入りしてたら「恥を知れ」って言われて当然だと思うよ。
たかだか一両に乗れないくらい実害がないだろとかいうテンプレ反論はマジで意味わかんないよね。みんなそんなに土俵に乗る機会があるの? 女が土俵に乗れなくても99.99%の女には不利益ないでしょ? なんでみんなあんなに怒ってたの? 実害なんてほぼないのに!
今日も便利な場所にネカフェがあるな~と思ったら女性専用だった。なんなんだこれ。
やっぱりわけがわかんない。実は俺の思い描く男女平等と世間様の男女平等とは違うものだったのか。そういう施設を見かける度にモヤモヤが心の奥に溜まっていく。
マジか、知らなかったわ情報感謝。まだそういう人権意識皆無な差別的営業をしてる店ってあるんだな。ワイからするとドン引きなのでそういう店はなくしていかないとな。
女性専用は安心感の提供、女性優遇はビジネス上女性客の割合を引き上げたいって理由はあるかな。優遇はともかく、男性は男性専用は特に求めないからな
安心感を理由にした排除、教科書に載るくらい典型的な差別だよね……
男性被害者もいるし、性別関係なく誰もが「安心して」使用できる場所が理想なんだけど、犯罪者だけを拒絶するの難しい。現状は女性隔離の一時措置で男性被害者は救えてない。性教育で激減するといいんだけど。
安心を重視して差別します、っていう人権感覚の欠如っぷりが本当にすごい。つきまといや盗撮やレイプをする人がいたらその人を排除すればいいだろ。事前に属性でくくって排除しようとするのは差別そのもの。
女性専用のサービスは過去そこで痴漢やセクハラストーカー等のトラブルが発生した経緯があるか発生することが想像できるから。例えばジムだと他が空いてるのに女性の隣のマシンを使い移動するとついてくる男とかいる
職員や警備員がつきまといセクハラしてくる男を個別につまみ出して出禁にする分にはなにも反対することはないけど、一律に性別で区切って出禁にしたらただの差別やんけ。イスラム教徒はつまみ出せとか黒人を見かけたら通報とか言ってる連中と同程度の倫理観しか持ち合わせてないって告白して恥ずかしくないんだろうか……こういう連中、アメリカならきっと嬉々としてトランプを応援してるんだろうなー。
差別されたくなければムスリムはイスラム過激派を非難しろメソッド! 差別されたくなければムスリムはイスラム過激派を非難しろメソッドじゃないか!
やっぱ女性専用○○を積極的に擁護するようなやつって差別主義者ばっかりなんだね……
ほらよ、実害なんてないのに怒ってた市長さんの例な>女性理由に土俵下であいさつ「悔しい」 兵庫・宝塚市長:朝日新聞デジタル
この場合、この人が土俵に上がれなかろうが何も実害はないよな? 土俵際でスピーチはできてるわけだし、土俵に上がったからといってスピーチのパフォーマンスが良くなったりはしない。たかだか数十センチの土盛りに上がれないのなんてもう感情の問題でしかない。
でも、それこそが重要なわけじゃん。俺はこういう差別は認めるべきではないし、こういう差別を「何も実害はないじゃん」と切り捨てる気にはなれないし、それと同じく「たかだか一両に乗れないだけじゃん」なんてロジックを振りかざすべきじゃないと思うけどね。
男性専用施設やサービス、どんどんやったらいいと思う。やってほしい人が声を上げたら?女性専用車両は声を上げた人がいたから実現したのだと思うし、レディースデーは儲けのための施策でしょ。差別目的ではない。
文章読解力/Zeroかよ。俺は「男性専用施設も作れ」と言ってるんじゃなくて「○性専用施設は差別的だから基本的に存在すべきじゃない」って言ってるんだよ。
InstagramやTikTokが大好きなキラキラ女子がストレンジフルーツという言葉を聞いたら飛びついていくだろうな。
これって何のことか分かる?
いずれ、女性向け雑誌が「自分に近寄る勘違い男はストレンジフルーツにしてもらおう」「キモいアニメオタクはストレンジフルーツにしてもらおう」という記事で煽るだろうな。この「~してもらう」という表現が極めて重要。女性は誰だって「男性に庇護されるお姫様」になりたいのだ。
今後、日本中の女性たちは非モテ男を排斥するフェミニストになるだろう。フェミニストによって、恋愛ができるまともな男性たちは血に飢えた殺人鬼に変貌していくだろう。
まともな男性たちは、イスラム過激派組織やメキシコの麻薬カルテルに触発されて非モテ男を拷問して殺害するだろう。残虐な動画はネットを探せば簡単に見つかる。
そして、女性たちは、殺害された非モテ男をInstagramやTikTokに晒し上げるだろう。「こいつキモいから殺してもらった」というコメントを付けて投稿する。
大学生時代に「涼宮ハルヒの憂鬱」ブームを経験した三十代。当時はひねくれた人間だったので、ハルヒが流行っている真っただ中に、原作ではなくその元ネタとなった「ハイペリオン」に手を伸ばした。当時の自分はきらきらとした学生生活にあこがれていたくせに、そういう青春をテーマにしたラノベを避けていた。みんなと同じものを読むのが嫌だったのと、そういうきらきらしたものを読むと、自分の灰色の生活と引き比べてしまうからだ。そういうわけで、「涼宮ハルヒの憂鬱」の知識は、書店で一気読みした第一巻と、ウィキペディアの情報、断片的に見たアニメの数エピソードに頼っている。おそらく粗があるので、話半分に聞いてもらいたい。
「ハイペリオン」とはダン・シモンズが1989年に発表したSF小説である。邦訳は1994年に出版された。ヒューゴー賞・ローカス賞・星雲賞を受賞している超大作で、登場人物である長門有希が読んでいる。
ジャンルは一応スペースオペラなのだが、あえて言うならばSF全ジャンルと英米文学のごった煮である。というのも、七人の登場人物がそれぞれの身の上を語るのだが、それぞれがホラーだったりサイバーパンクだったり時間SFだったりで、しかもそれぞれの出来がいい。
続編として「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」がある。作者の思想がややうるさいところもあるが、絵になる場面が多くて楽しい。また、人類の各文化の多様性を高らかに褒めたたたえているのが、やや西洋・アメリカ中心主義ではあるが、気持ちがいい。
長門は「情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」であり、言い換えるならば「宇宙人が作った人間の形をした存在」ということになる。「情報統合思念体」には「主流派」「急進派」「穏健派」「革新派」「折衷派」といった派閥が存在し、それぞれの思惑ごとに動いている。
一方、「ハイペリオン」には、英国の詩人ジョン・キーツの人格を再現したサイブリッド(人造人間みたいなもの)が登場する。これは、人類に様々な助言をするAI群「テクノコア」によって、ある目的のために作られたものである。彼は長門ほど万能ではないが、この背後にいるテクノコアには「穏健派」「急進派」「究極派」が存在していることが共通している。ちなみに、それぞれの立場としては、当面は人類とは共存する、さっさと人類を滅ぼして自分たちが覇権を握る、人類も自分たちも滅んでもかまわないので究極の知性を創造する、である。このAIたちはとっくの昔に人類を超えており、人類を裏切ろうとしている。というか、作中ではすでにある方法で人類をひどく搾取しているのだが、これは読んでみてのお楽しみだ。
設定の上ではよく似ているけれども決定的に異なるところがたくさんあり、よくできたオマージュだと思う。
結論から述べると登場する。そもそも、舞台となるハイペリオンという惑星には「時間の墓標」なるものがあり、そこの封印が開くと未来から様々な事物や情報が送られてくる。同時に「シュライク」という殺戮マシーンが封じられているが、シュライクは時折人間の願いを叶える、とされているのだ。七人の登場人物がハイペリオンまで巡礼に向かうのもそれが理由だ。
ここで未来と述べたのだが、実は未来は確定していない。「テクノコア」が作り出す究極知性が宇宙を支配するか、人類の集合意識が生んだ究極知性が覇権を握るか、この二つの間で揺れ動いている。ここでいう究極知性とは神と言い換えてもいい。つまり、遠い未来で行われる人類とテクノコアの戦いが、現代にも影響を及ぼしているのだ。なんといったって彼らは神なのだから、なんでもありなのである。
この状態は、まさに朝比奈みくる(大)の周囲の事情とよく似ている。現代に干渉し、自分たちの望む形の未来を確定させようと活動している点が近い。
「涼宮ハルヒの憂鬱」の全てを読破したわけではない自分が、本文から有効な証拠をあげることはできない。というか、いくつかのブログでそれを示唆する記述が十分に述べられており、自分が付け加えることは何もない。
よって本記事では、「ハイペリオン」で行われたテクニックを間接的な証拠として用いたい。以下、「ハイペリオン」のネタバレに触れる。読みたくない方は引用部分を読み飛ばしてください。
「ハイペリオン」の七人の登場人物は、旅の無聊を慰めるため、それぞれの出自を語る。一人はフィドマーン・カッサードという兵士である。仮想訓練の度に謎の美女モニータと遭遇し、そこでむさぼるように体を重ねるが、彼女とは仮想空間とでしか会うことができなかった。やがてアウスター(人類連邦に所属しない宇宙の蛮族)の襲撃を受けるが、そこで彼女と再会し、殺されかける。カッサードは彼女との再会を目指している。
もう一人の人物はソル・ワイントラウブという学者である。彼は娘である赤ん坊を抱えて巡礼に来た。彼の願いは、娘であるレイチェルの病を治すことである。レイチェルはかつて学者としてハイペリオンを訪れた際、シュライクによって年齢を逆行する呪いをかけられてしまった。父と同じ聡明な学者であったレイチェルは日に日に幼くなり、とうとう赤ん坊にまで戻ってしまった。レイチェルが「誕生」の日付を迎えるまで、あと数日しかない。
さて、結論を簡潔に述べよう。レイチェルの病は癒される。そして彼女は未来世界へと連れていかれ、そこで再び大人へと成長する。やがてレイチェルはモニータと名乗り、カッサードと出会うのである。
つまり、「涼宮ハルヒの憂鬱」のオマージュ元である「ハイペリオン」では、意外な二人の人物が同一人物であった、そしてその片方は未来人であった、というギミックが存在するのである。
もちろん、年齢遡行までオマージュしているのかどうかはわからない。記憶に蓋をしているだけかもしれない。ただ、妖艶な美女と無邪気な赤ん坊が同一人物であった、という驚きを、朝比奈みくる(大)とキョンの妹が同一人物であった、というかたちで本歌取りしている可能性は、検討される余地はある。
どうなのだろう。キョンの妹は小五だが低学年にしか見えないという記述もあるので、実は成長がストップし、年齢が逆転し始めているのかもしれない……。
鶴屋さんは「宇宙人と未来人だったら、どっちがいい? そろそろ決めといたほうがいいかもにょろよっ!」と発言したそうだが、これは今後の展開を予測する大きな鍵となる可能性がある。というのも、「涼宮ハルヒの憂鬱」が「ハイペリオン」をどこまでなぞるかははっきりしないが、もしも設定を強く意識しているのなら、「ハイペリオン」で「テクノコア」が人類を裏切ったように、「情報統合思念体」が最後には人類に敵対する可能性があるからだ。そして、みくるは人類と「情報統合思念体」との争いの中で、少しでも人類に有利な未来へと導こうとしているのではないか。となると、長門とみくるの決別は避けらないことになる。みくるが長門を幾分苦手としている描写を考えると、興味深い。
少しだけ触れておく。「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」のなかには、超能力は出てこない。出てくるのは「エディミオンの覚醒」以降であり、主人公たちがある能力に目覚めることで、クライマックスに人類の命運を大きく変えるのだが、これも読んでみてのお楽しみだ。
「ハイペリオン」であらゆる願いを叶えるとされるのは殺戮者シュライクである。実に気まぐれな神なのだ。そういうと、ハルヒが悪役シュライクだということになってしまうのだが、自分は違うと思う。明るい青春ラノベにこの設定は似合わない。願いが叶う、ということだけを拝借したのだろう。とはいえ、物語全体を通しての謎の一つ、ということは決定している。
それと、実はシュライクの正体は作中でも若干ぼやかされている。テクノコアが作った殺戮マシーンを人類側がのっとったことが示唆されているが、時間を行き来できるのだから時系列がはっきりせず、筆者の記憶も確かではない。
「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」の語り手はいたって普通の青年ロールであり、彼は破天荒な少女アイネイアーの守護者に任命される。とはいえ、物語の大半は奔放な彼女の振り回されながら進む。それこそ「涼宮ハルヒの憂鬱」の本編のように。
しかし、ロールとアイネイアーは最後にはひどくつらく悲しい別れ方をしなければならない。この設定が本編のキョンとハルヒの関係に輸入されていないことを願う。
それと、ジョン・キーツ(ジョン・スミスではないが)のサイブリッドは二つ存在し、片方が殺される運命にある、とだけ述べておこう。
彼は「ハイペリオン」四部作ののちに「イリアム」「オリュンポス」を発表している。トロイア戦争の世界、遠未来の没落した人類、機械知性たちの話が入り組んでいて、文学とSFのマッシュアップ具合が楽しいのだが、残念ながら「ハイペリオン」四部作で述べた人類の多様性を寿ぐ姿勢から後退し、明確なイスラム嫌悪が出ているのはいただけない。さらに、邦訳されていない最近のシリーズは、ヒラリー・クリントンが大統領になったパラレルワールドで、国民皆保険で怠け者になったアメリカ人が薬物におぼれているというすごく政治的に偏向した作品なので、翻訳されないんじゃないかな……。
【追記】最新作ではないのだが、2011年の「Flashback」という作品。シリーズではなかった。失礼。
【もう一つ追記】その薬物は、いつでも自分の人生の最高の瞬間を追体験できるというしろものだ。そして、世界のほとんどがイスラム過激派に支配されている。経済は日本に牛耳られ、南西部の州はメキシコのギャングに支配され、作中では地球温暖化が否定されている。アメリカの保守的な世界観を煮詰めたような感がある。
ヒラリー・クリントンについての記述は記憶違いかもしれない。ただ、イスラム嫌悪が強いのは間違いない。
https://sosbrigade.miraheze.org/wiki/ハイペリオン
おそらく、ハルヒ全盛期の頃に、こうした議論は出尽くしていると思う。だが、検索をしても類似した意見が見つからなかったため、ここに記録した。
それから、ろくに原作を読んでいないのに、そして記憶もいい加減なのに、好き勝手言ってどうもすみませんでした。
多数のコメント、感謝しております。また、「全部読んでいないのに書くなんてずうずうしい」との指摘、まったくもってその通りです。ファンの気持ちを逆なでするような行い、お詫び申し上げます。また、立ち読みも迷惑でしたね。未成年の頃とはいえ、今にして思えば赤面ものです。
自分としては、「ハイペリオン」を読んだ人間からは、「涼宮ハルヒの憂鬱」の設定はこう見える、と伝えたかったのです。笑ってやってください。また、類似した意見がネットになかったので、記録しておこうという思いもありました。
ただ、ブクマカにもあるように、ジオシティーズやインフォシーク、ヤフーブログなどの一斉削除が原因の可能性のほうが強いですね。はからずもアーカイブの問題にも思いをはせることになりました。
それでは、失礼します。
これらは普段対立し、憎しみ合っているが、これらの思想グループに共通する特徴がある。
そのイデオロギーに属する、努力をせず、自分の無能力を他人のせいにする「そのイデオロギーしか価値がない人間」が大暴れするということだ。
この手の人間はプライドが高く、無意識のうちに「自分がこの世で最も優れた人間である」という幻想を守るために、唯一のイデオロギーの価値を最大限まで上げるべく行動する。
だが、上にあげたように努力をしない。そうすると彼らができることはたった一つ。
「自分の持つ価値以外の全てを否定する」という行動に走る。そのためにわかりやすい悪人を発見、または開発し、徹底的に攻撃する。
そうすることで自分たちは「可愛そうな被害者かつ正義の戦士」に早変わりし、自信、正義の安心感、大義名分の全てを一気に獲得できるという具合だ。
もしあなたがこれらの思想に属する人間なら、この手の人間(敵がそういった人間を装う場合もある)は敵以上に味方の評判を落とすので、はっきりと批難すべきである。
そうでなければ、あなたの正義の正当性を判断する第三者は、そのイデオロギーはそういった正義の蓑をかぶった差別的言動を許すものだと判断し、距離をおいてしまうだろう。
そうでなくても、そのイデオロギーに関して本当に困っている人が「そうか、あいつらが悪いのか!」と安易な結論に飛びついて過激派に走り、問題を起こしてしまう。
ひどい話だが、被害者意識がある人間が大義名分を得ると、とんでもなく残虐になるというのはルワンダ虐殺が証明しているところだ。
また、被害者を焚き付けて自分たちの兵士にするというのは利権ゴロやイスラム過激派に見られる典型的な悪へのリクルート方法でもある。
最後にもう一度いうが、これはフェミニズムやリベラル、愛国だけの問題ではない。趣味、仕事などありとあらゆるイデオロギー活動で必ず起こることだ。
最近BBCワールドニュースのポッドキャストを通勤中に聞いているのだけど、安倍政権の桜を見る会のことをカバーしていました。
ざっくり言うと、安倍政権が開催している桜を見る会は、その年に特別な功績を残した人を招待するという本来の趣旨から外れ、政権支持者を接待する会になっている。税金を投入することが問題視され、政治的な腐敗が野党により追求され今年は中止になった、と。
ナイジェリアの若い女性がヨーロッパに不法移住を計画し、ヒューマントラフィックに捕まり奴隷として働かされた挙句に強制送還された。移住するために叔母から$4,000のお金を盗み、自分の子供を捨てた女性は家族から受け入れを拒否され心から後悔している。
もう一つは、イスラエルのネタニエフ首相がイスラム過激派の幹部を暗殺したことにより、パレスチナからロケット弾を撃ち込まれ緊迫が高まっている。今回の一連の行動は政権の支持率の低下から民衆の意識を逸らすための行動かと疑われている。
ナイジェリアは貧困のもたらす人間の辛苦であるし、イスラエルは政治家が人間の命よりも支持率を優先させるというリアルなニュースだ。それに比べると、安倍政権の話はなんかショボすぎて、ほんわかしてくる。平和であることってとても貴重なのだなと思いました。