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2022-11-20

anond:20221120094656

ロビンマスクの兜や鎧を超人の体と思ってないか

劇中でどっちも脱いでる描写あるよ

行間を読め~~~~!!!

描写がなかったからそんな事実はなかったみたいな~~~~!!!

いやさ、例えば主人公応援クラスメイトが駆け付けたみないな展開でさ

あぁ主人公はみんなから慕われてたんだな!って書かれてない部分を想像して補完するんじゃなくて

主人公クラスメイト描写なんてなかったじゃん!唐突過ぎ!みたいに文句言う奴がいんのよ

でもさぁ、尺に限りがあんのにいちいち理由付けとかつじつま合わせのカット入れらんねーじゃん

そういう奴に限って自分が読解力ないバカとは思わず制作側の責任にしたりこれ面白いとか言ってる奴はバカ!みたいにアンチに回って自己正当化したりさぁ~~

じゃあどーするのがいいかっつーと、バカでもわかるテンプレ展開にするとか、あるいは勢いとかテンポで押してバカに考える隙を与えないとかになんだよね

anond:20221120102420

しかにこれ謎。

フィクション違反行為処罰や正当な罰が描写されないからって、なんで怒るのか意味がわからない。

フィクションなんだから別にいいやろと思う。

そうやって表現規制することで、面白い物語が描けなくなることの方がずっと重いと思う。

なんで国民自ら、自分たち表現の自由を捨てようとするのかよくわからない。

図書館漫画

いろいろTvとかで取り上げられて話題になるようになってからお色気描写もといキニュウ表現がすげーへってきた

なんとなく物足りない

anond:20221119161631

やりたいことが多すぎて全部中途半端なんだよな。いろいろ詰め込んでいてよくいえばテンポがいいになるけど、どう考えてもすずめの心理描写が圧倒的に足りてなくて行動原理がわからいかストーリー展開に振り回されただけに思えてくる。

年々昔の新海誠から変化していってるけど、今作で新海誠が置いてきたものの1つが「心理描写ナレーションポエム」。これがなくなったのが致命的でそのせいですずめの心理がわからなくなっている。今までの新海誠作品なら主人公がどこか現実絶望しつつ、それでもなんとなく日々を過ごしているナレーションがあっただろう。多分すずめ自身の心境や環との日常もっと暗く重い雰囲気であって、そういうところから後先考えずに行動したり、家出して草太についていったり、いろいろな行動に結びついてきたはず。

これが新海誠集大成として売り出されているのが違和感。今までのやってきたテーマフォーマット災害奇跡的にマッチした「君の名は。」のほうがよっぽど集大成だわ。

anond:20221119161631

何か大災害が起こる。男子女子出会う。映える田舎描写がある。気合の入った東京描写がある。ヒロインの母が死んでる。適当神道モチーフギミックが出て来る。女子が走る。男子も走る。カメラ回る。走るときRADWIMPSがかかる。災害で酷いことになったり災害を何とか阻止したりするけど、男子女子犠牲にはならず何となくくっつく。あたりまでが「君の名は。」以降の新海誠の基本フォーマットで、そこに入ってるものあんまり意味はないと思う。3.11描写もありきたりだし、母親常世描写ミスリードしか使ってない。

から、そこから外れた要素である廃墟風景」「椅子になった草太のアクション」がこの映画で本当に描きたかったものなので、そこを評価してあげてほしい。

ネタバレ有り 東北人だけど、すずめの戸締まり見て辛くなった

今日、すずめの戸締まりを見てきた。

どうせ新海誠のことだからキモい性癖を散りばめて RADWIMPSで無理やり感動させる雰囲気作るいつものやつだろ、くらいの気持ちで臨んだ。

冷やかしの気持ちだ。

  

そうしたらあれですよ。

謎の扉から出てくるミミズ地震を起こすやつで

映画の中盤には東北道北上して、物語舞台東北のあの辺になってきて

放射能で住めなくなった荒れ果てた街があって

  

自身東北震災で直接被害を受けたわけじゃない

ただ、ばあちゃんの家が福島にあって、小さいとき夏休みに泊りがけで遊びにいってたところ。

地元の駅は津波で流され、ばあちゃん家は放射能で住めなくなって、野生動物に荒らされて?ガラス割れ草ボーボーになって

両親が防護服を着ながらそういう状態写真に撮ってたんだけど、それにそっくりだった

  

呼吸が浅くなった

映画描写は、津波被害家屋がぐしゃぐしゃ、船がおかしなところに乗っかっちまってるようなそんな街を映していて

これには本当にびっくりして涙が止まらなくなり、口のところまで流れてきてしょっぱかった

  

謎の扉の奥の常世は、気仙沼市の夜の火事みたいな大地だった

あの日俺は海老名仕事してて、小田急止まって家に帰れなくなって

夜中に会社の人と近くのイタリアンの店でご飯食べてたんだけど

その時に小さなテレビに映っていた映像そっくりだった

びっくりしてまた涙がぼたぼた落ちてきた

  

繰り返すが俺自身はあの地震で直接被害を受けていない

福島のばあちゃんも今は施設にいるが健在だ

原発仕事をしていた別の親戚は、仕事がなくなって引っ越したらしいが、まあそんなところだ

  

幼い日のすずめが、お母さんがいなくなった事を一生懸命説明する描写がある

あの日3月の冬の夜、帰る家も無く、たくさんの人が声を枯らして人探しをしたんだろう

そういう悲しさで辛くなって、手を合わせて祈りたい気持ちでいっぱいになってしまった

  

この映画についていろんな意見があるだろうと思う

映画作品性感想は無い

ただ辛くなり、可哀想になり、たくさんの当事者たちに祈りたくなった

2022-11-19

ジョジョ6部アニメ見てるけど…

徐倫が全く好きになれない。悪いやつじゃないけどとにかく好きになれない。

6部は子供の頃本誌掲載時に怖くて読むのを断念したので大人になっても手が伸びなかった。1〜5部は読んだしどの主人公もそこそこ好きになれたけど唯一あまりきじゃなかったのが承太郎だった。ただ承太郎が人気を博す理由は十分理解できた。女性人気が高いのも頷ける。ただやっぱり俺は承太郎が好きじゃないし、その娘ということもあるかもしれない。

しかしま徐倫が好きになれない。何処が悪いとか言語化もできない。ただ全然好きになれない。アニメ面白い怪我描写が1〜5部より小規模で痛そうだからか今見てもちょっと肝が冷える気持ち悪さが多くて漫画にも手が伸びない。

なんでこのキャラこんなに人気あるんだろう。声優結構下手くそだなって思うんだけどSNSだと大好評なのでよくわからない。

あと女同士のネタネタした獄中の人関係気持ち悪い。肌に合わない。

それはそれとして面白い気持ち悪くて登場人物誰一人好きになれなくても面白い。名作だなあ。

シン・ウルトラマンの癖(ヘキ)がすごい

配信されてたので見てみた。

庵野作品特に思い入れはないんだけどなんだかんだ一通り見てきてはいる。

エヴァとかは仕事としてやらねばみたいなのとの狭間で苦しんで、それが結果的エンタメとしての質を上げてると思ってたので、

趣味青春に全振りしそうなのはたぶん面白くないだろうと思ってスルーしてたのだ。

見た感想としては思ってたよりメジャー商業映画として作られてるなと思った。さすがに制作もしてるからそこは抑えるか。ただ溢れ出る癖はすごい。

この場合の癖はもう性癖と言ってしまっていいんだろう。とにかく全体的にリビドー的な熱量がエグいなと感じる。

公開当時言われてた批判はなるほどねという、長澤まさみへの演出全般に笑えないレベル湿度の高さを感じた。

同時に思ったのは癖を出すのもアニメだと映像的にデフォルメされるから薄まるだけで実写でやるとこんな生々しいんだなということ

いやそれにしてもシンウルトラマンちょっと異様ではあるかもしれない。分かりやすいのはセクハラ描写で、これはあまりにあざといので批判も想定済でやったのかなと思うくらいだけど、

個人的にはそこより他の部分でのヘキがなんかすげえなって感じた。特にウルトラマンの質感はエロティシズムと言っていいくらいの熱を感じた。

商業的にメジャー作品でこんなに好き放題できるのはやっぱそうそうないんじゃないか

監督樋口真嗣ということだけど庵野がどの辺に関わっているか確認してみた。

制作、総監修、企画脚本編集、コンセプトデザイン撮影絵コンテ選曲タイトルロゴモーションアクターティザー広告系デザイン、総宣伝監修

いやーすごい、手出せるとこは全部出してんのかってくらい名前出てる。

撮影タイトルロゴモーションアクターとかはこだわりが強くて自分でやったほうが早いわって話しなんだろうけど。

自分が印象に残ったのはバトル系のカメラワーク画角など、シン・ゴジラの時はもうちょっと映画的だった気がするんだけど、

シンウルトラマンではアニメ的なカットが多かったように思う。あと隊員達のカットの異常なくらいの煽り面白アングル

なんでこのへんの人らって広角パース大好きなの?

ウルトラマンと「禍威獣」のデザインビジュアルはどれも好きだった。オリジナル着ぐるみ感とかどれくらいやるつもりなのかなと思ってたけど、

思ってたより現代的なもので、かつウルトラマンの肉々しさとか素直なカッコよさというよりはなんか間抜け雰囲気もあるとことかもよかった。

きのこだわりとかはよくわかんないけど、ウルトラマンが棒立ち状態のままくるくる宙で回ってるのとか、敵としばし見つめって唐突にスペシウム出すのとかも良かった。

全体として失敗作と思うかと聞かれたら失敗作とまでは思わないし映像的にはすごく面白作品になってると思う。

ただやっぱセクハラ描写は見ててキモかったし登場人物がみんな薄っぺらいので人に薦めにくい映画だな、くらいの感想

本編にあやかって言うなら「禍威作」って感じ。

すずめの戸締まり駄作です

ダメだろ、これ。

失敗の原因は5つ。

①導入の失敗

冒頭、どこか非現実的で、しか東北震災を思わせる風景はいい。

踏切を渡らない演出や、立ち入り禁止看板を乗り越えるところなど、日常へ行かず、非日常へ入っていくことを描写していくも、よくわからないまま立ち去り学校日常描写→そして地震、なんか山から祟り神みたいなの出てる→再び廃墟へ。

ここが一つテンポが悪かったと思う。

どういう物語かを提示するという形で及第点ではあるが、特段面白くはない(わずか35秒で説明し、全く本編が面白くなかったソラとウミのアイダを見習ってほしい)

その後、猫(ダイジン)を追いかけ、船に乗るというところまでが、序盤といっていいと思う。

気になるのはすずめが船に乗るのは自発的意思に基づくものであって、君の名は。不可抗力で入れ替わったこととは違う。

ここにご都合的な強引さを感じるのだ。

さらに致命的だと思うのが、ダブル主人公のうちの一人、草太が早々に椅子の姿になってしまった。

この結果、ロードムービーでありながら、草太は椅子の姿であることからコミュニケーションをとることに作劇上の制限が加えられてしまった。

コメディ的なキャラクターになったことで、ラブストーリーとしての進め方にも違和感が出ている。

草太がどういう人物なのかが明示されないまま物語が進んでいく。役割しか持たされていないんだよね。

で、そのメンタルのまま、後半、突然の死にたくないっす。要石なりたくないっす。→私も草太がいない世界怖いっす。

義務的ラブストーリーにもっていくな!!

ロードムービーをやりたいのか、と思ったけれども、ロードムービーって基本的に旅する二人が、旅先での人との出会いによって関係性が変化するというのが定石じゃないですか。

でも、本作のヒロイン、すずめは一体に何に不満があって、成長するのかというのが不明瞭なんですよね。

3.11というモチーフと、ファンタジー表現の嚙み合わせの悪さ

災害の原因であるミミズが出てくる扉を閉める、という役目を帯びた青年が全国行脚しているようだが、ファンタジー職業ありがちなどうやって食べてんだ?という疑問には普通に大学生であるし、将来的には教師を目指しているという謎の情報が与えられた。役目が重すぎるだろ……。

関東大震災ミミズが原因だったという描写があり、直接的に言及されていないが、3.11も同じミミズが原因であったと推察できる。

こいつらがきっちり仕事してれば3.11を防げたってこと?という疑問点が観客の引っ掛かりになるのではないか

感動部分は、作品によってではなく、3.11悲劇性と記憶に頼って泣かせているんだよな。そして人間馬鹿から感情が動くと名作だと錯覚する。

③「世界」か「君」か

本作の中盤では、首都直下地震を思わせる災厄を封じるために、東京舞台に駆け回る。

通常の映画で言えばクライマックスに相当するようなアクションの末に、すずめは草太を要石として使用し、東京を救うことになる。

天気の子が「世界」か「君」かの選択で、「君」を選んだ結果、めちゃくちゃになった世界があって、それでも生きていくという話だったのに対し、今作では「世界」を選んだその後を書くつもりか?と思っていたが違った。

物語はこの要石となってしまった草太を救うために、幼少期に見たあの世への扉を探すことになる。

そして終盤、気仙沼炎上を思い起こさせるファンタジー災害空間で、暴れだす巨大なミミズを背景に、主人公を走らせる。この絵を描きたかったというのは分かる。

要石となった草太を解放することで、ミミズの抑えがきかなくなる。

さあ、どうする?

すまん!今まで要石やってくれとったダイジン、サダイジン!またやってくれ!

了解!!

おわり。

は?

世界」か「君」か、という選択と代償の話が、第三者委託したら何とかなったわwで終わっていいわけねえだろうが。

気まぐれな神としてのダイジンが、都合で動きすぎている。

自然に外れちゃった東京の要石ことサダイジンは、なぜか主人公たちの旅に付いてくる上に、最終的にはまた要石として役目を担うことになる。

ええ?

要石が外れたけど、機嫌治ったんで、自主的に役目に戻ってくれましたみたいな解決である

主人公らの選択と苦悩が壮大な茶番になってしまっている。

④単調な展開。

基本的四国神戸と行く先々でミミズを見かけて戸締まりするアクションシーンというのが連続で起きる。

また各地で出会う人々もそれほど深掘りされることはない。

これが東京まで来るとそれなりに街の描き方が生き生きとしてくるし、後半のキーパーソンになる芹澤が登場する。前半と後半で明らかに映画趣旨がガラリと変わっている。

からこそ前半の時間の使い方はもったいなかった。(後半にほとんど繋がっていかない)

おばさんも遠くで心配してる描写を延々はさむぐらいなら、もう少し後半の決裂に至る問題点避難者受け入れ、被災者遺族の家庭の問題)をやっとけばよかったのに。

⑤やりたいことが何もかも多すぎる

ロードムービーをする都合上、各地を巡り、そこで出会う人々とのつながりを書く必要があるので登場人物が増える。

そうするとそれぞれのキャラクターに割ける時間相対的に少なくなるので、魅力を描写する時間が足りなくなる。

途中で出会った人々を後半に繋げるでもなく、主要キャラ問題点提示や成長に繋げるわけでもない。何がしたいんだ。

新海が触りたかったものロードムービー3.11被災者への応援、衰退する地方都市避難民と家庭環境自然への畏敬、民間信仰恋愛あたりだろう。

終盤で、主人公過去自分を見つけ、この世界は明るいんだと、ド直球な被災者への応援メッセージを長々とぶちかましていく。

過去自分を救いたいという趣旨は分かるけど。

一方で衰退する地方都市自然に還る廃墟を映し、戸締まりの際の呪文山河をお返し申す、人間が使ってきた土地自然に返すという話であろうが本当に触れるだけだし、それを3.11テーマとどういうリンクをさせるつもりだったんだ。

ある種の無常観というか平家物語的な持っていき方をするわけでもなく、災害はそれはそれとして悼みます、という一貫性のなさ。

おばと主人公の決裂も、避難の子供引き取っちゃったせいで人生めちゃくちゃやん→ごめん言い過ぎたわ……。で終わり。

ダイジン、サダイジン、それにキャラクター名前を見ても民間信仰というか古代神道系の話っぽいなぁとは思ったが、そこもそれほど深掘りされず。

どうでもいいけど九州の要石、廃墟と化してるとはいえめっちゃ現代的な施設の真ん中付近に刺さってるの謎すぎるやろ。

そして終盤唐突恋愛映画的なスペクタクルと、抱きしめ。

男側の感情が一切見えない上に、女側もイケメンと旅して、神戸でいきなり発情し始めて椅子キスするという展開を伏線としてクライマックスで結ばれましたってやるの強引すぎるだろ。

今作は終盤に使うために仕込んだ伏線が、全て雑すぎて、「前に説明してましたよね?」と新海が言い訳するために挟まれるシーンが多すぎる。

戸締まりをする際に、その土地の人々に思いを巡らせる、というのもすずめにとっては何の縁もない土地の思い出が想起されるのは変だろう、と思っていると、終盤に被災前の人々の情景を描くシーンがあり、ああ、これのための言い訳だったのかと理解した。

なんなんすかね、これ。

2022-11-17

anond:20221117093639

南総里見八犬伝て、獣姦してたっけ?

馬琴の原作を読んだはずなんだけど、うろ覚えながら、やらずぶったくりだったような。

瓶詰の地獄も直接の描写は無いので、pixiv的にはありなのでは。

個人的には、日本書紀あたりを推したい。

すずめの戸締まり説教されているように感じた

君の名は。や天気の子と同様ではないにしろ、同クラスエンタメを期待して見に行ったら説教された気分。

宮崎駿と思って見に行ったら高畑勲だったみたいな違和感

友達と久しぶりに飲みに行ったらアムウェイ勧誘されたみたいな気持ち

すずめの戸締まり説教部分が多すぎて、キャラや背景の掘り下げがあまりに雑。

例えばダイジンの行動が意味不明

出てくる奴ら全員テンション高すぎ。もう少し親交を深める描写有っていいでしょ。

なんであの流れで全国旅行から恋愛?(君の名は。や天気の子くらいまで描写しろや)

それもこれも災害をメインに置きながら多方面配慮して中途半端になったせいでしょ。

別に震災テーマにするのはいいけどさぁ、エンタメやります!!!!みたいなガワから不意打ちするのやめてくれよ。

そんな映画ならわざわざ飲み物ポップコーン買って見たくないし、そもそも映画館まで行きたく無いんだよ。

【君はシャイニングを】皆のシャイニング教えてほしい【知ってるか】

シャイニングという映画にでてくる超能力シャイニング)について。

劇中ではテレパシーで会話ができたり、未来が見えたりという超能力描写がある。


人によって違うが、

気づかないだけで誰もがシャイニングを持っている。


僕もシャイニングを持っている。


追い込まれると、だいたいシャイニングが発動する。

ちなみにコロナやいつかの大地震は僕のシャイニングだと思っている。


発動は残念ながら自分意思ではできない。

いつ起きるかもわからない。必ず起きるものでもない。


でも起きた時には これは自分シャイニングだ、と認識できる。


過去の僕のシャイニングでは

・嫌いな人物自分のまわりの環境から次々といなくなったり

・気乗りしないプロジェクト前触れなく突然終了になったり

仕事に疲れ果ててたら地震が起きて何日か休めたり

コロナがまん延して在宅ワークになったり

など。


かにもいっぱいあるけど、嫌な気持ちが充満したり、

追い込まれると、いつか発動する。

だいたいは自分に有利な方向に事が進む【事象回避】っぽいことが起きる。


ただ自分で発動できないのでいつも必死こいてヒーコラしてる。

必ず発動するかどうかはわからないしね。

起きなかった場合を想定してまじめに生きてる。


みんなのシャイニング、教えてほしい。


たとえば、

コーヒー飲みたいと思って、コーヒーが飲めるのもシャイニング

ある人がいると場が明るくなるとかもその人のシャイニング

気づいていないだけで、小さなシャイニングをみんなもっている。


自分シャイニング認識しはじめると、シャイニング効果が上がる気がするよ。

anond:20221117163223

>女の体に興奮してるだけなのを萌えるシチュみたいな扱いしてるのがキモい


読者が萌えてるのは女の身体に興奮してる男の方ではなくて

心は男なのに親友に興奮されて、内心キモいと思いつつ「しょうがないなぁ」ってヤラせて上げてるTSF側に萌えてるんだよ。

女体化した途端男好きになるシチュが嫌いなのは同意。女の身体快感を覚え込まさせる描写絶対に欲しい。同人誌といえども段階は踏むべき。

anond:20221117103453

「何の個性も魅力もないクソレズ同士が絡み合う粗雑な下劣ネタ」も、絵さえ良ければ「(エロが)丹念に描かれた百合描写」と評価されるんやな

感情機微がどうでも良いもの扱いされるのが現状なんや

ファックやな

「すずめの戸締まり」を観たら要石で後ろから頭を殴られた

新海誠の新作映画、「すずめの戸締まり」を観てきた。これがどうにも周囲の人間に話がしづらいというか、未視聴の人に「どうだった?」と聞かれたときに応えづらい、しかし観た所感、体験だけは誰かと共有したい気持ちがすごくあるので書く。

この作品について語る上では、この映画が何を主軸に据えているかは避けて通れない。なので多少のネタバレ有りということは承知の上で一読されたい。

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この文章現在30代、11年前は20代前半だった人物が書いている。

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本作のあらすじを簡潔に書く。

九州に住む主人公少女すずめが旅の青年草太と出会う。草太は日本中廃墟にある「後ろ戸」と呼ばれる扉を締めて回る「締め師」だ。すずめはその草太との出会いをきっかけに後ろ戸の脇に埋めてある「要石(かなめいし)」と呼ばれる石を抜いてしまい、その結果後ろ戸が開き、中から現れる巨大なミミズ地震を起こしてしまう。(椅子になる呪いなどについてはここで書きたいことではないので省く。)

抜かれた要石は「ダイジン」という名前の猫になり、登場人物たちはダイジンを追う過程東北被災地を訪れることになる。

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これは2011年3月11日日本列島を襲った未曾有の災害東日本大震災を主軸に据えた映画だ。

いきなりテーマについて述べるが、「この映画が何を描いているか」は本作エピローグで草太の口からわかりやすい形で語られている。

「人々が失ったものへの無念、悲しみが忘れられ軽くなったところに後ろ戸は開く。」

一度しか観ていないので正確なセリフではないが、このような趣旨言葉が語られる。

「後ろ戸」とは現し世(現実)と常世(とこよ・霊界のような場所)を繋ぐ扉であり、そこが開くと扉から巨大なミミズが現れ(このミミズは締め師である草太、主人公のすずめにしか視認できない)、空から地上に落ちることで地震を起こす。

後ろ戸は廃墟にあるものだが、廃墟であるが故に、その地での災厄の記憶、失われたものへの想いは風化していく。そこには要石という石が埋めてあり、再び扉が開き災害が起こらないよう守っているのだ。

この映画は我々が体験してきた被災記憶が風化されないよう、呼び起こすような映画だ。そして未視聴の人に説明をするのが難しいのもそのためだ。

映画館に足を運んだとき自分は事前情報を全く入れずに行った。そして何となく映画を観始め、巨大ミミズ地震を起こし、物語舞台神戸へ移ったところで「おや」と思い、オープンカー首都高を経由して東北道へ向かい始めたところで確信に変わり、そして気付かされた。「忘れていた」と。

忘れていたわけではない。事実としてはまだ記憶に新しい。ただし映画の中で鳴り響く緊急放送津波で一掃された土地、そういったもの映画の中での情報感触は、普段触れる情報とは全く異なったレベル自分記憶を呼び起こすものだった。その点に関しては映画スタッフ美術演出の面々に感服させられた。

からこそ、「東日本大震災のその後の物語だ」ということすら知らずに観るべきだ。なのにここにこんなことを書いていることについては矛盾にもほどがあるのだが。それでも、あのはっとする体験は代えがたいものだったように思う。

その点からまずこの映画の良かったのは、テイザーや物語冒頭でわかりやす過ぎる形でテーマを明かさない点だ(それでも屋根の上に船が乗っているのだけれど)。これも意図した演出なのだろう。

これが少しでも YouTube予告編で明かされていようものなら、こんなに「観てよかった」と思うことはなかっただろう。

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この作品について語る上で、村上春樹短編集「神の子どもたちはみな踊る」、特にその中の一編「かえるくん、東京を救う」を避けては通れない。

こんな話だ。

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東京で働くうだつの上がらない銀行員中年男性が、ある日かえる出会い(「かえるくん」、とかえるくんは指を立てて訂正した)、かえるくんと共に地下に眠る巨大ミミズと闘い巨大地震を阻止する。その後男性は病室のベッドで目を覚ますが、傍らには闘いでボロボロになったかえるくんがいる。ふと気がつくとかえるくんの身体からボトボトミミズが現れ、男性身体ミミズに飲み込まれたところで、男性はその夢から覚める。

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こんなに似通えば嫌でも取り挙げたくなる。

この小説1995年日本で起きた阪神淡路大震災を柱に据えた小説である

1995年オウム真理教による地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、日本安全神話が崩れた年だ。

作者である村上春樹は、この年を経て、地下鉄サリン事件関係者被害者へのインタビューを行い、「アンダーグラウンド」という書籍をまとめ、普段我々が当たり前と感じて暮らしているこの社会他者との関係性、足元の地面ですら、ありとあらゆるものが決して確かなものではないという危うさを看破し、小説への考え方について「デタッチメントからコミットメントへの転換があった」と語っている。簡潔に述べるが様々な関係性を一旦切り離して書くのではなく、コミット、深く関わっていく姿勢への移行だ。

氏はこのコミットメントについては、「日の光も届かない深い井戸の底へ降りていき、その中で手を取り合うような行為」というような言葉表現している。光の一切届かない暗闇、自身身体と周囲の空気現実と非現実境界曖昧になる。死に近い場所だ。

人の日常生活では感知し得ない深い場所心理、そういった部分で他者と手を取り合うこと。自分は氏の言うコミットメントをそのように捉えている。村上春樹はそのような時を経て2000年にこの小説を描き下ろした。

翻って本題の映画はどうだろう。いつも地の底に潜んでいる「地震を起こすミミズ」というモチーフ、すずめが自身ルーツである過去と向き合い、草太と再開を果たした、井戸の底のように現実霊界境界が危うくなる「常世」。何から何までが一対一対応というわけではないものの、通ずる部分があるように思えてならない。

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神の子どもたちはみな踊る」は善悪二元論ではなく陰陽論の物語集だ。

太極図、という白と黒勾玉が互いに合わさって円を作っている図を見たことがあるだろうか。

こんなのだ

白黒互いの勾玉の中心に、相反する色の小さな点が存在する。

善悪明暗などの世の中の事象は二分に切り分けられるわけでなく、互いにグラデーションにように折り重なり、それぞれが互いに内在し合うものである、という考え方であり、太極図はそれを表しているように読み取れる。

太極図について、ちょうど三角関数を学んだとき単位円の中で動径をθに合わせて回したように、円を描くように眺めると良い。

日が暮れるように、徐々に陽に陰が重なっていく。やがて陽がすべて陰に飲み込まれるが、その陰の中心には陽が内在する。

かえるくん、東京を救う」の最後のシーンはまさにそれだ。主人公ミミズを飲み込み、それを夢として目を覚ますが、ちょうど「夢でしかない」くらいの点となって主人公の中に静かに存在する。

この小説中の作品に関して言えば「かえるくん、東京を救う」に限ったことではない。

宗教二世を描いた表題作神の子どもたちはみな踊る」にせよ、バンコクホテル神戸に住む男の存在を思う研究者女性にせよ、海辺焚き火にあたる男女にせよ、自身の中には消して割り切ることのできないもの存在し、それですら目を背けることはできない自分自身なのだ

その点でいえば、主人公すずめを育て上げながらも苦悩を抱えたまま中年期を迎えた叔母や、キャラクターが極端に振れるダイジンのあの姿に、どうしても自分勾玉の形を照らし合わせたくなってしまう。

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映画自体の話に戻す。

我々が当たり前のように立っているこの足元、地面というのは確かなものではない。しかし一方でそれをある程度信頼した上で営んでいかなければならない生活がある。するとその表層上の信頼感によってその奥底にはら危険性をつい忘れてしまう。

東京都心の上空を巨大ミミズが覆い、今にも落ちて地震を起こそうとする。そこで一瞬ミミズ描写が消える。ミミズはすずめと草太にしか見えていないのだ。ずごごごご、と地震前兆のような地鳴りが響いてきそうな予感を、スクリーン越しに観ている我々は感じるが、作中の街ゆく人々はそれに気付かず日常生活を送っている。

そこの描写が本当に良かった。地震はいつもこうやって突然にしかやってこないんだ。そう思わされる。知ってはいるがいつも忘れている。今日この映画館に足を運んだ俺だってそうだった。そう思い知らされる。

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少し自分語りをする。ここは読み飛ばされても差し支えない。

東日本大震災の発災当時、自分東北地方からは離れた実家の部屋で揺れを感じていた。

2回目の大学4年生だったと思う。その年度も卒業の見通しは立たず、試しにやってみた就職活動も上手くいかず(リーマンショック直後の年だ)、大学にも足が向かず、鬱々とした日を過ごしていた。

インターネットに張り付いて、東北地方や東京情報をひたすら追っていた。津波が町の何もかもを薙ぎ払っていく様子が全国に衝撃を与え、日が暮れるに差し掛かり日本全体が絶望に飲まれていくような空気を感じたように記憶している。

当時地元から離れた東京で働いている友人が数名いた。幸いにも彼らに大きな怪我はなく、交通機関による帰宅が困難となり、渋谷から半日かけて家まで歩いた、などという話を聞いた。

日本は強かった。余裕がない中でもそれぞれが自助共助に取り組み、生きながらえようとしていた。各大手企業にしても、サントリー被災地飲料水を発送し、ソフトバンク公衆 Wi-Fi無償開放した。当時流行っていた Ustream では日本若者NHK による被災状況の中継をカメラ撮影して流し、その行為の是非について当時の NHK Twitter 担当者自身責任判断でそれを認め、情報共有を助けた。Evernote有償の容量無制限サービス日本人に向け一時無償提供を行った。

今ではウクライナ戦争真っ只中のロシアプーチン大統領の「ありったけの物資を今すぐ日本に送れ」の大号令のもとに支援を行い、アメリカ軍作戦名 Operation TOMODACHI を実行し日本に対し援助活動を行った。

しかった。社会の一員として何かを為せている人たちが立派に見えて仕方なかったし、事実立派であった。大混乱で帰宅避難がやっとという友人たちでさえ、懸命に行動している姿が眩しく、自分が情けなくなった。俺は何をやっているんだ、と。

あれが人生の転機になった。転んでばかりの青年期、気持ちも前を向かず、ただただわがままばかりでいつも誰かのせいにしてばかりだった生活と、ようやく決別することができた。まずは目の前の事を片付けて四の五の言わずに働けと、アレがしたいコレはしたくないではなくどんなに小さく些細でも社会の中の一コマとして人のために出来ることをせよ、と自分に言い聞かせた。

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東日本大震災から11年。

働き始め、転居をし、新しい人間関係を築き、仕事もも若さでは乗り切れない年になりつつもやり甲斐を感じながら生活をしている。

10年間生きていると色々なことがある。見聞きしたもの体験した記憶は、古いものから後ろに流され色褪せていく。

あの頃自分が感じた、鮮明ではなくなった様々を、しかし、劇場唐突に思い出させられた。「お前はあの時どうだった、今はどうだ」と。

そこに前述の草太のセリフだ。2011年東北地方に向けて自分が抱いた思い。それが忘れられ軽くなっていたところに、この映画は重さを再度伝える石となって自分にのし掛かったのだった。

あの時あの日本社会全体の空気感を体験した人が、今観るのに本当に良い映画だった。難解すぎず、わかりやすく、無駄がない。

新海誠の新作となれば中高生大勢観るのだろう。ただ時間が経つのも早いもので、今の高校生でも発災当時は5,6歳だ。そういった世代災害の恐怖を知る目的ならば「東京マグニチュード8.0」辺りを見ればよい。良い作品だ。

もしあなたが「君の名は。」や「天気の子」のような純度の高い恋愛ファンタジーを、あるいは「秒速5センチメートル」のようないじらしい恋愛アニメを期待するならば、この映画は応じない。

この映画はあの時を生き、その後を生きてきた人へ向けた作品だ。そしてそういう人たちとこんな風に、観た後の感想を共有したい。

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これで最後だ。

東北地方に差し掛かったところで、ドライバーの「綺麗なところだ」というセリフに対し被災であるすずめは「綺麗?ここが?」と無感情な様子で返す。

遠くで震災を感じていただけの自分のような人間と、実際に被害に見舞われ大切な人や物、土地を失った人との間には、やはり件に対する感じ方にはどうしようもなく深い断絶があると思う。

やり切れない想いに対しては哀悼の意を持たざるを得ない。その上で、外野から眺めていただけの立場に立ったこ文章不快に感じる部分があれば、そのような人がいれば、謝罪したい。しかしながら今のところこれが、11年経った今、この映画を観て自分の感じた率直なところだ。

またしばらく経ったら観に行ってみようと思う。

2022-11-16

俺の支持してたり使ってたりするサービスが俺が憎んでる層や界隈を攻撃している

UFJTwitterを買収したイーロンに出資→俺を永久凍結したTwitterJPの奴らが会社BAN

マスターカードpixivケモナー四肢欠損などの描写排除

最高!最高!マジ最高!!!

すずめの戸締まり 感想 ネタバレ

ブラックパンサーカンダ・フォーエバーが最悪だった

途中までは楽しく見てたんですよ、いきなりのティ・チャラの死の喪失感から始まってタロカン帝国の壮大さ、シュリをはじめとして活躍するのはほぼ女性キャラ、こんなに充実していていいの?というくらいのフェミニズム描写

キルモンガーの登場や、復讐心を乗り越えて前に進もうとするシュリには感動した

それがずっこけたのはスタッフロールの途中で唐突に出てきたナキアの息子

最初養子可能性も考えたが、残念ながらティ・チャラの実子で間違いないらしい

まさか「女の王は中継ぎ!男系男子こそが正当な後継者!」なんて話をフィクションの中でまで見せ付けられるとは…

つい先日イギリスエリザベス女王が惜しまれつつも亡くなった記憶が新しいのに、なんで映画の中で今更こんな古臭い描写

作中でも女性が王になる事への反対意見とかがあった訳でもなく、みんな当たり前のように女王を受け入れていたのに

スタッフロールをぶった切ってこの唐突男系男子至上主義描写

ていうかナキアがティ・チャラの子供を産んで、ティ・チャラもそれを承知ハイチでナキア一人で育ててましたって

父親が甥を見捨てた事に憤ったティ・チャラとも思えぬ無責任さ。

育児放棄のクソ親じゃん…

恋人子育てを全部任せて、母親や妹には王位の面倒なところを押し付けて、自分と同じ名前の息子が正当な王位継承者ですって?

ティ・チャラ役のチャドウィック・ボーズマンって確か、結婚はしてても子供はいなかったと思うけれど、彼に対してもあまりに失礼じゃないだろうか?

ラストの「ブラックパンサーは帰ってくる」って、ティ・チャラの息子を指しているとしか思えないし

要はシュリ正式ブラックパンサーじゃなくて女王は中継ぎに過ぎないって事だよね?

アフリカ系の人達ってなんだかんだで異性愛至上主義かつ男尊女卑保守的な人が多そうだから、その辺の人達に受け入れられるようにした結果なのかね。

異性愛なら普通にリリのポジションを年頃の男性キャラにして、シュリの婿として迎えられて二人の子供が後継…みたいな感じじゃいけなかったのかねえ

とにかく絶対男系に拘りますとでも言いたげな製作陣の態度に、秋篠宮妃が突然第三子を妊娠した時の事を思い出したわ

もうシュリはネイモアと組めばいいんじゃないかな…ネイモアの言う通り、マジでシュリ孤独で気の毒になった

対等な友達になれそうだったリリも結局出て行っちゃうし、愛する兄は自分達に内緒子供を作っていた事が明らかになるし。

こりゃあ闇落ちしても仕方がないわ

anond:20221116011550

おっゴールずらし。「あからさまな性描写はないです」っていったらカード会社様は絶対にOKだしてくれるんか?おおん?

成人設定(体格的にも成人のように見える)毛がモサモサでマズル有りのケモノ度高めの獣人とのセックス描写獣姦に入るのだろうか?

ポケモンでいうとガオガエンとかゴロンダぐらい

2022-11-15

anond:20221115232044

そういう話で思い出したけど龍が如くを筆頭とするヤクザ系ってあれどうなん

指詰め描写あるゲームとか堂々とクレジットカードで買えるし実況配信収益化できてるっぽいけど

一応医療範疇であるものやり玉にあげるよりそっちのがやばそう

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