はてなキーワード: 2ちゃんねるとは
Twitterでさあ、バズったツイートに何十件何百件とリプライがついたりするでしょ
ツイート主へのメンションもあるけど、単なる感想とかツイートの内容から発展した自分語りとかもいっぱいある
これって2ちゃんねるみたいだよね もはやバズったツイートはスレッドの1なんだよね
でもさ、2ちゃんねるって空気読めなかったりリテラシーや読解力が低かったりする人を「半年ROMれ」とか言って容赦なく追い出してたでしょ
あと「2ちゃんねるの中だけの暗黙のルール」みたいなのがたくさんあって、それに従わない人も排除していたよね
でもツイッターって本当にいろんな人がいるじゃない
絶望的に国語力の低い人がうようよしていて、そういう人が次から次へとクソリプをよこすよね
もうひとつ
例えばAという漫画の話をするとき、2ちゃんねるだったら書き込みたい内容によって板やスレッドを変えるし、自分にとって興味なかったり不愉快だったりする内容を目にしそうだと感じたらその板やスレッドには近づかないじゃない 漫画の内容を語りたいだけの人はネタバレスレやアンチスレや801板は覗かないでしょ そして覗かない限りハッピーでいられるでしょ(アンチやBLを否定しているわけではないよ)
混然一体とした場所で、自分の見たくない内容を目にしてしまう機会が本当に多いよね
そして自分の見たくない内容を目にした人が激怒してツイート主に突撃していくと
2ちゃんねるって便所の落書きと揶揄されるくらい程度の低いものと見なされていたし、実際差別や悪意の蔓延した場所だったけど、Twitterに比べればよっぽどマシだったんだなって思った
現在のTwitterって2ちゃんねる以下だよ クソもミソも一緒になってるから
2ちゃんねるって「棲み分けができる」「見たくないものは目に入らないようになっている」「リテラシーの低い人間は排除される」という意味でよくできた仕組みだったんだなと思った
EXITの「ドラゴンボールやプロレスで例えられても若者には響かない」発言は衝撃だった。
EXITはいわゆるお笑い第7世代と言われる令和の若手芸人の中心的存在で、10代20代の認知度も極めて高い。
平成のテレビは、BIG3とお笑い第3世代がその地位を盤石とし続けた時代だった。
ダウンタウンに憧れて芸人を目指した世代はもうアラフィフを迎え、若手としてテレビに出る芸人も実際は30代以上。
普通に考えれば千原兄弟もケンコバも博多華丸大吉も野性爆弾も、もう10年早く東京のテレビに出まくってても全然良かったはずだった。
上への階段が閉ざされ続けた故に、一発屋で全国的な知名度を手に入れてもM1で勝ってもテレビの椅子は空かなかった。
司会者は変わらない顔ぶれのまま、ひな壇の若手~中堅がどんどん入れ替わっていく時代だった。
90年代半ばから約20年間、ずっと大阪で有望な若手たちを育成し続けていたのがバッファロー吾郎だ。
極端に言えば、初期のアメトーークの構成や細かすぎて伝わらないモノマネは完全にバッファロー吾郎が大阪のライブでやり続けた笑いのノリそのものだ。
ダウンタウンやとんねるずがテレビのゴールデンでやり続けるエンタメとは違うアングラな笑い。
2ちゃんねるやニコニコ動画とも親和性の高かったあるあるネタや特異なノリの数々は、今のアラフォーやアラフィフにとにかく受けた。
それを「面白い」と思える世代は、もう今のアラサー世代(いわゆるゆとり世代)がギリギリなのである。
今のアラフォー位で特にネットやSNSを好む人達はまだ自分の笑いの感覚は若いと思ってる(さすがにアラフィフとなるとわきまえている人が多い)。
tiktokやSNSで無名の若者やYouTuberたちが切り開く笑いはそれまでと全然異質のものだ。
2018年のM1の時点で「もう自虐は古い」とギャロップの漫才をバッサリ切り捨てた上沼恵美子の凄さはまさにここなのである。
今ではビジネススクールでも紹介されることが多い島田紳助の伝説のNSC授業(DVD化されている)で、紳助さんは「時代の流れXと自分の力Yを常に把握し近づける努力をしなければいけない」と言った。
問題は時代の流れXに対して自分の力Yは時間をかけて努力しようとすればするほど逆方向に行ってしまう可能性が高いということだ。
子供の頃のあるあるが視聴者との共通体験と大きくかけ離れた時、もうそれはあるあるではなく自己満足の回想録となる。
大げさに言えばもう昭和のあるあるトークはそんなに遠くないうちに戦時中を経験した大師匠クラスの「昔はこんなに貧しかった話」と変わらなくなるのである。
ケンコバも友近もレイザーラモンも、バッファロー吾郎がいなかったら今の活躍はなかったかもしれない。
でももうテレビでもネットでも、ドラゴンボールやキン肉マンやプロレスネタがその活路を見出す場面は先細っていくばかりなのである。
2ちゃんねる、数年ぶりにしばらくやっていたけどもう潮時かな…
合わなくなってしまった
子育て期には育児に口出しする姑やよその人をやり込めた武勇伝に拍手喝采して、非常識な隣人の話読んで近所付き合いを学んで、子供写真年賀状とか結婚式マナーとかの多様な感じ方も知った
でもなー、自分が年取ったせいか客層がかわったのか、わからないけど、自己責任論好き・お気持ちヤクザ嫌い・ポリコレ嫌い・冷笑的…なところが鼻につくようになってしまった
昔よりも視野狭窄してない穏当なレス率も高いとは思うけど、そうでないレスをスルーしていくのが、だんだんしんどくなってきた
もしかしてまとめ用職人が来るから疑わしきはとりあえず叩いとけってのがあるんだろうか
5ちゃんはまた違った感じなのか、よく知らないけど
Twitterもあまりしてないし、はてブもそこまで楽しくは…いや楽しいけど、100字はあまりに短い時が多くてな…
紙の本に戻る時なのかもしれない
去年コネで入った会社をクビになり、早1年。大学中退引きこもりニートです。
正直口げんかは弱い方だ。ニコ生で喧嘩凸主として活動してた時もあるけど、敗戦続きだった。
多分震えが声に出てしまうんだろう、そこを相手は見抜いて執拗に責め立てる。それが嫌で300人ぐらい集めたコミュは爆破した。
そんな過去もあって、俺はこの1年溜まりに溜まったフラストレーションを発散できる場所を探していた。それがRobloxだった。
Robloxは簡単に言うと、アバターを作ってユーザーが作成したゲームで遊べるという物だ。2006年からサービス開始してるから知ってる人もおおいかもしれない。
その中に車を破壊しまくるゲームがあるのだが、俺は元来車好きなのもあってか、どっぷり浸かってしまった。課金も3000円ぐらいした。
まぁ少し話が脱線したのだが、そのゲームには「コアボタン」というものがあって、ワールドを爆発させて再生成するという機能があった。
ヘリコプターがランダムの場所に設置されるのだが、そこにたどり着いて乗れると一定の額のマネー(新しい車を買える)がもらえる。
だがコアボタンを押せるのは、350Robuxで購入したユーザーのみとなるので、誰もが押せるわけではない。
私はコアボタンのゲームパスを買い、ゲージが溜まったら押すということをしていた。前述したように誰でも押せるわけではないから、コアボタンが押されると喜ぶ人も多い。
だがそこで事件が起こった。私がいたサーバーにはA君とB君がいた。この二人は友達だったのだろう、鬼ごっこをしていたようだ。
そこで私がチャットも見ずにボタンを押したものだから、「うわボタン押した奴誰だよ」「通☆報しよう」等とチャットで書かれた。
俺はなぜか手が震えた。これは喧嘩できる...と。
彼ら(多分小学生?中学生?まぁ大人でも使う奴はいるが)の多くはまず、「キッズ」という言葉を使いたがる。相手を子供だと認定し、自分は大人であるから偉い。という様な構造を作ろうとする。
ここで「あーそうだよキッズだよー^^」なんていう言葉は使ってはいけない。絶対に。
まず大人である、ということを主張する。すると彼らは「大人ならさ~もっと...」のようなゴミ親が使うような言葉を言い始める。そこで反論する。
「いや君たちも大人じゃないの?じゃあ俺を相手にするのやめない?」等と反論する。
そう、キッズとチャットで喧嘩するにあたって、この「オウム返し」は有効である。そっちこそどうなんだ!である。
そして彼らは大人であることの証明を求める。ここでも「証明のしようがない」という返しをする。2ちゃんねると違い、画像のうpはできないので、証明のしようがないのは事実である。
ここで私がキッズなら、anonfileにでも免許証の一部でもうpしろとか言うと思うのだが、彼らにその知能はない。
次は課金額である。彼らはこのゲームに○○円課金していると自慢し始める。だがこのゲームは、課金したからといってすぐ強くなるわけではない。ある程度の運転能力は必須である。
私は最高級の戦車を用意して、彼らの車を破壊し続けた。リスポーンして5秒の無敵期間が終わるまで隠れて、ブーストを使って一気に車を踏み続けるのである。
彼らは私のクソデカ戦車に踏みつぶされるおかげで、身動きがとれない。リスポーンするしかなくなるのである。
彼らは戦いをやめ、「嘘をやめろ」ともう一度自分のことをキッズとして認定してくる。ここで私は一回ゲームを終了した。
そして2分後再接続した。案の定そこでは「落ちた~www逃げ逃げwww」という様なチャットが繰り広げられていた。
ここで適当な嘘(アプリが落ちた)等ということを言って、再開する。
わざと落ちたのには理由がある。多少大人なら、落ちた=逃げという論理を使うことはない。
だが彼らは使ってしまった。ようするにこの喧嘩の勝敗はどちらかが、このゲームを終了するか他のサーバーに移るしかなくなる...ということを彼ら自身で作ってしまったのである。
私は長々と「~でちゅね」「~でちゅよ」という語尾を使いあおりまくった。よっぽど彼らに効いているのかわからないが、誤字が多くなる。
そこで私は誤字を指摘する。彼らは「誤字があっても解釈できないなんて...」等と言い始める。たしかにそうだ。
だが、ここで私は「多少誤字があろうと、意味の伝わる文章は書ける。だが君たちの文章は誤字以前に日本語として成立してない」といったことを言い、また煽る。
そして気づいた、B君が落ちているということに。A君一人で私と喧嘩していたのである。
私は涙した。そして許してあげようと思った。「一人で頑張って偉い。許すよ。俺もごめんな」という言葉をかけた。
だが彼はあろうことか、「いやあなたの謝罪なんて必要ないですよ」と返してきやがった。
俺はこんな奴に情けをかけたことを後悔しながら、もう一度喧嘩した。彼は「昼ご飯作ってくるから抜けるわ~」「実家に戻りてぇ~」という捨て台詞を残して去って行った。
また他にも色々口挟んでくるキッズもいたが、2,3言で言い返さなくなった。
そして私は「あ~俺も晩ご飯食べるから抜けるわ~」と言って接続を切る。完璧である。
私はA君とB君と割と仲が良かった。彼らは9歳と7歳だそうで、バスケと釣りが趣味だそうである。
課金厨の私になついてくれて、「ほらこれ見てみて!」といった感じで何にも面白くないことを見せてきた。私は好きだった。
だがA君とB君だけで遊ぶようになり、私はイライラしていた。だからこそ1時間程度チャットで喧嘩するなんていうことができたのだろう。
彼らはきっとスマホの前でイライラしながらポチポチしていただろう。「なんだよクソ!」とか言ってたのかなぁ...。
私はティッシュを二三枚取り、彼らの顔、体を想像しながら夢中でシコった。
夫のことが大好きなので書き残しておこうと思い開きました。
本当は人に話したいくらいだけど、人に話すのはちょっと難しいので…
優しい夫。
私より年下なのに、私を親のように庇護し、ともすると親以上に愛してくれる夫。
私が発達障害でメンタルヘルスに問題があることを受け止めてくれる夫。
神経過敏だから毎晩寝付けない私をマッサージしてくれて寝かしつけようとしてくれる。
夜になると過去のことを思い出して死にたい、生まれてきたくなかったって涙ぐむのを添い寝して撫でてくれる。
料理も大して上手くない私。精一杯料理した日に、今日のごはんは~と作ったものをLINEしたら
「おしながきが送られてきた!」って喜んでくれる。
眠れないって言ってる私の手を握って、
「ほらあったかくなってきた。もう眠たいんだよ。楽しく寝るんだよ」と話してくれる。
いつも抱きしめてくれる時に「お前はいい子だよ」と語りかけてくれる。
洗濯やゴミの管理はすべて夫がやってくれて、料理も掃除もやってくれる時もある。
私がヒステリーを起こしてもそれにつられて怒ることなく、いつも先に折れてくれる夫。
夜中に目が覚めて寝付けないのに苦しんで夫のベッドに潜りこむと「どうしたの?」と撫でてくれる。
次の日申し訳なくて、「昨日起こしてごめんね」とLINEすると、「俺はすぐ寝付けるから全然OK。いつでもおいで」と返してくれる。
先生や友人にもあまり恵まれたとは言えない人生を送ってきました。
無人島に何か一つ持っていくなら夫がいい。
もしそれで何も食べられなかったとしても夫と一緒ならそれでいいと思います。
昔高校生くらいのころに、2ちゃんねるに書き込みしていました。
人生に希望が持てなくて早くこの苦しみから逃れたいと思っていました。
そんな折に私の書き込みに返信してくれた方が、
とおっしゃっていたのをはっきりと覚えています。
その時は
「この人は見ず知らずの私にこんなに優しい言葉をかけてくれる人だから、
だから素敵なパートナーに愛されたんだろう、私には絶対にこんな未来は訪れない。」
と思っていました。
今、その当時の自分にあなたのありのままを愛してくれる人が寄り添ってくれているよと伝えたい。
そして、もし私と同じように考えている誰かがいるとしたら、
今から数年前pixiv で絵を描くのにハマっていた。当時は点数制で底辺絵師だった自分はいかに絵を描けど閲覧は100以下、点数は数十点、他の絵がどんどんブックマークされる中自分はブクマゼロみたいな散々たる状態だった。
それでも評価が欲しくて日がな毎日絵を描いていたが上手い絵、アニメ絵、を意識するほど絵は下手になっていった。
人形やモデルをデッサンしてもアニメ絵とリアルの人間は違う。現実の人間を意識すると骨格はゴツくなるしアニメの骨格を意識すると折れるほど細すぎて違和感がする。じゃあどうすればいい?まさに迷走状態。体がかけない。
その頃同時にpixiv はヲチスレという存在が盛り上がっており、やっているのは大概絵師叩きなのだが同時に下手な絵師への風当たりも非常に強かった。正直pixivをオワコンにしたのはこのヲチスレが元凶だと思う。
絵を描かない消費するだけの本来なら最底辺の連中。ただ数が多いだけにその勢力はまるで自分が一番偉いかのような勘違いをして上から目線で人気絵師をこき下ろしていた。pixivでは誰かしら絵師がトレパク疑惑で炎上しているといった状態になり始めていた。対してトレパクでもない言いがかりみたいな理由で炎上している人もいた。
「下手くそw」
そしてしばらくしてまたクレームがコメントで来るようになった。
自分のpixiv には1人のユーザが粘着し2ちゃんねるという地味〜な掲示版で晒しまくっていた。当時はツイッターがそこまでメジャーじゃなかったので地味〜な匿名掲示板で晒すしかなかったのだ。
ただ掲示板を見ている絵師はそこそこ多く、あーこの人痛いよねwみたいなノリで悪口大会が始まっていた。
それからpixiv をやめ、絵を描くのをやめた。ネット上から全ての絵を削除し、ユーザ名で検索しても何も出てこない状態にした。それから数年間絵を描かなくなった。家族からも絵が下手になったと言われたがどうでもよかった。絵なんて仕事には全く使わない。
実はpixiv を辞めたのは炎上とは関係なくて、当時就職した際、会社がアニメや漫画に理解がなく絵を描いていると遊んでいると密告され出世に影響が出るからだった。
絵を描くのをやめて数年経ち、何か趣味が欲しくて忘れた頃になって絵を書き出した。腕は衰えていたので幼稚園児の落書きみたいなのしか描けなくなっていた。
まあいいやと思い適当にアカウントを作って適当にアップしていた。閲覧数は知らないうちに数千になっていてブックマークもかなりついていた。ランキングにも入っていた。
まあ確かに観察眼と構造への理解は高くなったから立体的にかけてるような気もする。バランスもよくなった。
だが胸が熱くなるような情熱はもうなかった。
ランキングに入ってブクマもらって何になるんだろう。金にもならないこんな無価値なものにハマっていた自分も炎上に必死になっていたかつての人たちもなんか馬鹿みたい。
男性と比べ女性は平等でなければならないという拘りが非常に強い
ただし、彼らがこだわる「平等」とは通常使われるそれとはニュアンスが異なり「業」的な感覚だ
つまり
「真面目に生きている人には祝福が与えられるべき」
「かわいそうな人には救いが与えられるべき」
「悪いことをしている人には天罰が下るべき」
女性と比べ男性は「世の中は理不尽であり弱肉強食」という価値観がインストールされているので、上記を男性的価値観で言い換えると
「真面目に生きていても成果に繋がらなければ無意味」
「かわいそうな人は(運も含めた)能力がないからかわいそうな状況になっている」
「悪いことしてても結果を出しているのなら問題ない」
といったところか
この価値観どちらが正しいとか適当かは判断が難しいし、今語るつもりもないが
ともかくそんな女性的価値観で最も重要視されるのは「悪人(=自分が気に食わない存在)が不幸になっているか」だ
悪人(=自分が不快に思っている存在)は「平等」の名のもとに裁かれねばならず、もし自分が不幸な状況であるならば悪人(=自分が許せない存在)はより不幸になっていなければならない
悪人(=自分が見下している存在)が真面目で正しい自分より評価を得ているなんてことは到底許されることではない
そんな価値観だ
なのでスカッとジャパンやそれに類するストーリーは非常に女性受けがいい
もちろん、男性中心のコミュニティである2ちゃんねるで「メシウマ(他人の不幸で飯が旨い)」といったスラングが生まれるなど、男性(的価値観)に上記のような感情がないかと言えばそんなことはない
しかしながら男性的価値観で語られるそれは「人が不幸になることにより相対的に自身の幸福度が上がる(所謂世界ランキング的な考え)」であったり、多重債務者が命がけの鉄骨渡をするのを楽しむようなエンタメ的な文脈であり、あくまで自身の幸福のための「メシウマ」なのだ
なので「悪人」が不幸になっていないことで、自身のメンタルを著しく病んだりすることは稀だ
一方女性(的価値観の持ち主)の場合、この「悪人が不幸になっていない」ことでメンタルを病んだり、場合によっては自傷行為等に至ってしまう程深刻な状況になるケースは驚くほど多い
所謂「学級会」などに代表される男性(的価値観の持ち主)からすれば「いったい何のメリットがあってやってるんだ?」の思われる女性(的価値観の持ち主)や女性(的価値観の持ち主)が多くを占めるコミュニティの事象は、幻想でしかない「平等」を実現するため
「悪人」をより不幸にするため
この疑問がずっと心の中にあった。
こういうニュースを見つけた。
ネット上で「死ね」書き込みは、「殺害予告」に当たらない?微妙な表現の差が判決を左右
https://biz-journal.jp/2013/10/post_3066.html
判決文によると、裁判所は「本件投稿は、『死ね』という表現を使用しているに過ぎず、『殺す』といった表現を使用しているわけではない(略)
『死ね』というのみで、殺害行為の日時、場所、方法などの具体的な事実を予告しているわけではない(略)
本件投稿は、本件サイト(2ちゃんねる)に投稿されたものであるに過ぎず、
この文でいう「殺意」というのは「自分から殺そうとする意志」のことだ。
欠けている分、「死ね」という言葉は「殺す」という言葉より「軽い」のだ。
勿論、受ける側にとっては「死ね」も「殺す」も変わらない。
いじめが取り上げられるとき、必ずと言っていいほど「死ね」という言葉が
取り上げられ、「殺す」という言葉が取り上げられることはほぼない。
男の方……白羽さんはあれはあれで変人とか発達障害とは違う、「普通」の人っぽいと思った。取り入れる常識が偏向してるだけで、彼は彼なりに自分の目に留まった世界に適応している。それが2ちゃんねるを通した世界なのでああいう風な人になっているんだけど。
だから白羽さんは、古倉さんが落ち込んで何も出来なくなっちゃってから急にあれこれ立ち回って古倉さんになんとか就職してもらおうと画策する事ができた。自分じゃ働かないにしても……。
むしろ、2ちゃんねる全盛期の00年代のように、住み分けして他ジャンルの動向や異なる人の意見に目を向けず、みんな自閉して慢心してた時代のネットのほうが不快だったのだが
正常です。これからも清く正しいインターネットライフをお過ごしください
気をつけてください
インターネットに向いてなさそう
芸能人が多く「#検察庁法改正法案に抗議します」とハッシュタグ
をつけてツイートしているが、これに対し
「2ちゃんねる」創設者の西村博之(ひろゆき)氏(43)が12日、
TBS系「グッとラック!」(月~金曜前8・00)にリモート出演。
検察官の定年を延長する検察庁法改正にSNS上で抗議意思を示す
活動が芸能人にも広がっている理由を、独自の観点から分析した。
たひろゆき氏。「今、テレビとや映画の収録とかライブもなくて、
にあるんじゃないかと思う」と推測した。(スポニチアネックスより)
日弁連も反対しているし、乗っておくか~くらいの気持ちじゃないかい?
日弁連はそりゃ反対するよねー
弁護士側についておいたほうがいいかー的な気持ちもあると思う。
騒ぎ立てているけど、検察官も含めた国家公務員の定年を段階的に引き
上げる法案の話でしょ?