2020-06-14

なぜ「殺す」ではなく「死ね」と罵倒する人が多いのか。

この疑問がずっと心の中にあった。

んで、最近誹謗中傷社会問題になった最中

こういうニュースを見つけた。

ネット上で「死ね書き込みは、「殺害予告」に当たらない?微妙表現の差が判決を左右

https://biz-journal.jp/2013/10/post_3066.html

判決文によると、裁判所は「本件投稿は、『死ね』という表現使用しているに過ぎず、『殺す』といった表現使用しているわけではない(略)

死ね』というのみで、殺害行為の日時、場所方法などの具体的な事実を予告しているわけではない(略)

本件投稿は、本件サイト2ちゃんねる)に投稿されたものであるに過ぎず、

原告会社ないし原告B氏に対して、直接、文書送付ないしメール送信させたものではないことに照らせば、

(略)殺意を示すものであると認められない」

として、誹謗中傷であるとは認めなかった。

この文でいう「殺意」というのは「自分から殺そうとする意志」のことだ。

実は、「死ね」という言葉には、この「意思」が欠けている。

欠けている分、「死ね」という言葉は「殺す」という言葉より「軽い」のだ。

いから、みんな気軽に「死ね」と投げかける。

勿論、受ける側にとっては「死ね」も「殺す」も変わらない。

いじめが取り上げられるとき、必ずと言っていいほど「死ね」という言葉

取り上げられ、「殺す」という言葉が取り上げられることはほぼない。

私的には「死ね」という言葉は、最低かつ最悪かつ最も卑怯言葉だと思っている。

  • 死ねは人格否定のニュアンスがあるから罵倒だけど殺すだと脅迫じゃん

  • 言葉狩りをしたところで違う表現が使われるだけで解決にならないということだ。

  • まずは、親切丁寧に人に死ん​でと頼むべきうんたらかんたら

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