はてなキーワード: 音痴とは
それじゃあ、厳しいと言うか率直な意見をば。
読んでみた印象は、歌で例えると音痴、みたいな印象。
それらは置いておいて、まずこの部分を整えないと話にならないのが、
ちゃんとした文章を書こう!みたいなことだと思う。
今は奇をてらってなのか、いや、多分好きなマンガのノリを真似しようとしてなのか、こんなノリあったなーみたいのをつぎはぎにしてる感じになってて、それがおかしいことに気づいてない。自分でも、これで面白くなってるのかな?よくわからないけど、みたいな感じなんだと思う。
キャラクターとか、まだまだ甘いんだけど、もしかしたら前記した部分がちゃんとできれば、ありになりえるかもだけど、まずまともな文章と言うか構成、と言うか起承転結、になっていないから判断しようがない。
うまそうなリンゴを見つける、買う、食べる、まずくて吐く、みたいに出来事には一連の流れがあるわけだけど、このマンガは、食べる、まずくて吐く、みたいに、リンゴはどこから来たんだよ!みたいなことが多くて、次の出来事につなぐにも、リンゴ吐く、ありが群がる、そのありをアリクイが食べる、ありがまずくてアリクイが吐く、みたいな受け渡しがが必要だけど、リンゴ吐く、の後にアリクイがありをたべだして、なんでアリクイなんだよ!みたいに受け渡しがうまくいってなくてちぐはぐな印象になってる。
まずそれがおかしいことを認識して、それが修正できたら、話の初めと終わりに関係を持たせて、そこでも起承転結をしっかりクリアーしつつ、テーマをしっかり描き切る。その上でギャグも入れて行く。
そうした時に始めてちゃんとした批評ができる段階になるのかなと思います。
自分で読んでみてわからないから人に聞きたいところもあるのでしょうが、まずちゃんと自分で何回も読んでみて意味が伝わりづらいなとか、繋がってないなとか、チェックして修正しましょう。
あとは自分でも普段マンガを読んでいて、このマンガはつまらない、とか、なんかおかしい、とか、そういうこと考えると思うから、そういう目を養って、自分の作品も見てみましょう。とはいえ、そんなことをしだすと自分の作品がダメ過ぎてやってけなかったりするのかもですが。
ここはダメ、あそこはダメ、とかやると辛いから、ここもっとこうやっていじった方が、もっと良くなるぞ!みたいな視点で取り組んでほしいかもです。
なんか殴り書きで申し訳ないんだけど、こんな感じです。
「カラハラ」に悩む人たち 苦手な歌を無理強いされ、拒否したら異動
http://careerconnection.jp/biz/economics/content_1480.html
アルハラは酒で死ぬ人がいるから見直されるようになったが、カラハラは音痴でも死ぬ人がいないので軽視され続けるだろう。
「音痴なのに歌わされた挙句接待失敗の責任を押しつけられ個人の尊厳を踏みにじられたので死にます」と誰かが自殺してみせたところで、
その効果は限定的で、世間一般という広い世界においては「自殺する方が弱い」と風化する可能性が高い。
といっても、昔の話だ
鬱病の友人だった
また、彼は大学の先輩でもあった。
大学院に進学したが休学したりしていた
私自身も鬱病なので、死と見つめ合うつらさを知っているのでわかったと返事をした
虫の知らせというのだろうか。そういうのもあって、あえて止めなかった
いいわけだが、止めたとして彼はつらかっただろうと思う
サーバのidとpassを教えてもらって、使い方もある程度理解し
そのサーバ上で運営されているサイトの共同管理者とskypeで挨拶した
私もそれを手伝った。
たくさんあったものが捨てたり、あるいは誰かにあげたりしてどんどんなくなっていく
私もいろいろ物をもらった
片付いたら、物であふれていた彼の部屋が、布団と小さなテーブルにノートPCがあるだけになった
彼は音痴だったので、カラオケは好きではなかったかもしれないし、私のいろいろな事情で誘わなかっただけかもしれない
彼とカラオケをしたのはたぶん二回目くらいだ。このカラオケで最後だ
私は口べただったので、彼のことは多くは知らなかったけれども、
自殺を決行するという話をしてくれた数少ない一人ではあるから、信用されていたのかもしれない
もはや、しるよしもないのだけれども
あと、短い期間だがカウンセリング業もやっていた。
自分は助けられなかったのに
決行する前の日、思い残すことは何かときいたら
死に向かうと、執着しなくなるともいっていた。本音かどうかわからないが
決行の日。友人から連絡があった、警察から電話があったそうで、
彼が死んだ実感はなかった。今でもかすかにどこかで生きているのではないだろうかと考えることがある
心の中に生きていると、誰かが本で書いていたが、そういうものなのかもしれない。
後日、彼の母から連絡があり、彼のワードで書かれた私宛の遺書の一ページと
彼の母からの文章が綴られていた文章が一ページがFAXで送られてきた。
彼の遺書には感動するような言葉は書いてなかった。生きてるうちにだいたいのことは伝えたのかもしれない。
ほとんどは、Web関係のこうしたいという意思とidとpassが書いてあった
彼の母からの文章は、彼が自殺であることは内密にということと、彼に関わってくれてありがとうというような
彼の終活として、権限委譲されたサーバのサイトの一つで報告することを遺言として残していたので、
それを共同管理人とともに行った。
大学の先生には自殺であることを告げた。彼と親しかった先生は悲しんでいた。
その他の人には、遺族の意思通り自殺であることを内密にしていたが、
風の噂で広まってしまったらしい。
彼はある意味トラブルメーカーであったので死人にむち打つようなことを言う人もいれば、
悲しみ、残念だった。という人もいた。
いろいろなところで終活としてのプランは彼の意思とは違う物になってしまったが、
それも、現実や様々な人の感情に合わせなければならないので仕方がないだろうと思う
死ぬ決断は彼がしたのだから。という個人的な考えだ。人に話したら強く批判されるだろうが
安楽死が合法化されるとしたら、もしかしたらこんな感覚なのではないだろうかと思う
これだけでは、贖罪にはならないだろうけれども、安楽死を推し進めたい人に対して、
死と向き合うこととはこういうことだと言うことを伝えたくて書いたところも一つある。
私は創作で人を助けるようなことをしたいが、彼のことがあるから及び足なところがある
私は自らが死ぬと分かっていても、人を救うために動き続けられるだろうか。彼のように
色弱だと知ったのはつい最近で、色弱検査画像を見ていたら緑の色覚異常のところで引っかかった。
色の違いを見分け、パネルをグラデーションで並べる作業をやってみたら、間違いがとても多かった。
イメージボードに描かれた絵を見て、それに合わせてポスターカラーで色を作っていく。
これがなんだかもうちっとも上手く行かなかった。色指定してくれていてもかなり難しい。
あるとき仕事仲間が「絶対音感があるように、絶対色感というものがあると自分は思う」と言った。
幼少期に色弱テストを受けた世代だけど、緑の色覚異常はレアらしくて、そっちは調べなかった。
それに遺伝的に色覚異常が出るはずがないと言われていたので可能性を考えたことがなかった。
色の組み合わせを学んでも、色自体が見分けられなかったらちぐはぐになるように
赤いということは分かる。青寄りの赤寄りなのか、黄色よりの赤なのか識別するのが難しい。
見分けられる人でも、隣の色との関係で錯覚を起こすことはあると思う。
でも根本的に見分けられない場合、注意しても他の色と比べてもわからない。
見えない色を想像で補うしかない。それでなんだか微妙に違う色を使う。
たぶん一般的な定型発達者以上に気を使いながら、緊張しいしい生きている。
見分けのつかない微妙な色をなんとか見分けていいバランスにしようとするように
知覚できない反応の差異を、経験とその場の反応と勘でなんとか理解しようとしているから。
だから「少し考えろ」とか、「想像力を働かせろ」と言われると、これ以上に?!ってなる。
自分にはマナーブックが役に立っている。特に欧米の歯に衣着せぬ系。
建前と実際が両方書いてあるとなお良い。建前だけ書いてあるとそれを真に受けることも多々あるから。
1.時報
特に深夜0時の時報、何故に深夜帯にも拘らず大音響なのか未だに分からない。
2.アンケート
「突然ですが……」で始まる強制アンケートシステム。強制性が異常でF5を押させる位しか動画を再度見直す事が出来ない。
さらに、エコノミーユーザーにとって折角シークバーを最後まで読み込んだのに再度更新させられる苦痛は計り知れない。
最近、頻繁にネット投票を行い、深夜帯も関係なく実施されるため、アンケート協力という名の強制実施が果たしてネットの有用性に比するか疑問。
また、右寄りの質問と誘導尋問が見られる。「その他」の項目の意味がない。
マイページに“①”が赤字点滅した時、以前なら入会コミュニティからのお知らせだとかお気に入りユーザーの新着、個人的な物関係の通知であったのに
実際入ると「〇〇wwwwww」といった、どうでもいい単語につぶやくだけの物が他の通知を押しのけてマイページの新着に出現する。
4月から新社会人になるみんなに、アドバイスと言うほどではないけれど、一言。
会社のほとんどのおじさん・おばさんたちは、みんながびっくりするほどPCが使えません。
PCが使えなければ大学の履修登録もできない、つまりは卒業もできない時代のみんなとは違います。
もし、使い方を訊かれたら、易しく教えてあげましょう。そうすることで、きっとあなたの評価も上がります。
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かくいう私のPCリテラシー(笑)は、Officeを使って資料を作ったり、ネットを使って欲しい情報を探し出せるレベルです。
プログラミングなどはできません。こんな私でも入社以来PC博士扱いです。
最近受けた質問は、wordで文書の文字数を確認する方法、IEのスタートページを変える方法、エクセルのセルの中で改行する方法等々。
全部ググれカスな質問ばかりですが、上司や先輩にググれとも言えず、いつも黙って教えています。
上司のPCヘルプに一日割かれることもままあり、かといって自分の仕事の締切が延びるわけでもありません。
はじめは上司自らググっていただく方法を考えたりしましたが、上司のPCの面倒を見ることも含めて業務の一環であると考えなおして諦めました。
PC音痴の人たちは、使いこなせないことが恥ずかしいことだとは思っていません。
PC使えない奴は全員クビにしてしまえばいいのに、と思ったこともありますが、マネジメント層からそういった人がいなくならない限り、これも無理でしょうね。
637 :ソーゾー君:2013/11/29(金) 22:45:29 ID:2AOkFFWU
国防関係のネタになると中国や北朝鮮を批判して官僚主義=官僚主導を批判して情報封鎖を批判するのに
このダブルスタンダード発言を同じスレやればそりゃ理論破綻するわな・・
秋葉原連続刺殺事件を「一人でやれる!返り血も浴びずに三分程で11人を刺せる!
胸部貫通もナイフで出来る!警察がアイツ一人でやったと言ってるんだから間違ない!」とキチガイ発言をして無知をさらけ出す。
「軍事音痴の虚弱体質に何が解る?」と煽られプライドを刺激されると
インテリモードに変わって「ナイフを使用して人を札害する方法と注意点」を語る。
「お前アホだろ?w秋葉原連続刺殺事件をもう一度やるか?w」と言われて逃走・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
30歳 174cm 痩せ型 高卒 地方在住 月給手取り23万。
クラブやバーなど大人の遊び場に行ったことがない。スタバも焼き肉も回らない寿司もファミレスもいったことない。回る寿司は一人でいってお持ち帰りだけならした。飲み会に行ったことがない。風俗も行ったことはない。童貞ではないが恋愛経験はなし。
飛行機に乗ったことがない。船は修学旅行以外で乗ったことがない。というより住んでいる土地から修学旅行以外ででたことがない。四国九州沖縄に行ったことがない。当然海外なんて行ったことがない。
英語はできない。
友達は一人も居ない。ネットでの長い付き合いのある人を友達と言うならネットでは3人位いることになる。
親にもハブられぎみで10年位会ってないし電話もこない。ちなみに親は中卒。
アニメは見ない。ネトゲは少しするけど所詮ネトゲもリアルと同じでぼっちなのでFF14みたいのは面倒でできない。ギャルゲーはやったことない。家庭用ゲーム機は子供の頃から一度も所持したことがない。カラオケ行ったことがない。ろくに歌ったことがないので多分音痴。お年玉を貰ったことがない。将棋、囲碁、麻雀、トランプの各種ゲーム、UNOのルール知らない。ポケモンやったことない。スマフォもったことないから当然LINEなどしらない。スカイプやったことない。
もう一度言う、友達は一人も居ない。
なのにTwitterでは何故か有名なアプリの開発者や最新のネトゲ渡り歩いてるヘビーゲーマーや音楽作ってる人や絵のうまい人にフォローされてツイートに感心されることがある。自分とは対極の今風のきらびやかな世界にいる人達に何者なのか気になると言われたり。なぜかみんな騙されてるか騙されてるフリをしてる。進んで嘘をついてるわけではなく、言わなくていいことは言わないようにしてるだけ。不思議だ。空の上の人たちが自分の何に興味をしめすっていうんだ。
自分が何言っても、現代の文化を知らない人が適当にそれっぽいこと言ってるだけなはずなのに、興味深々な反応をもらう。わけがわからない。俺に媚を売ってもなにも得るものは無いはずなのに。
ただ、不思議でならない。
もしかしてネットなんてみんなそんな架空のイメージをやりとりしてるだけなんだろうか。
でも何か作ったり行動している人のそれは、間違いなく本物なのに。そんな本物を持ってる人が中身のない自分に興味を持つというのが不思議でならない。
Twitterの検索で適当に何人かクリックしてみると、"この人をフォローしている自分のフォロワー" がぼこぼこでてくる。そっちのほうが、はてブが増えたことより驚きだった。知り合い7人たどると全世界がなんとか理論だったか。
こういうベクトルの話題に反応する人たちが自分のフォロワーと近いところにいるのは自然だろうし。Twitterでは必要以上を書いてないだけで、俺という一個人からでてしまう匂いはここでも同じものになってしまうのだと思う。
Twitterでは必要以上を語らないことに徹しているので、逆のことをやってみたくなった結果がこれだった。けど、それが及ぼした影響は俺から見える範囲では結局Twitterと変わらないんだな、俺から見える範囲そのものもさして変わらないのだな、ということを俯瞰して残念なような。
本当に伝えたかったことは、ネットは上辺だけだということじゃなくて、流行りの音楽聴いたりガジェット所持したりかっこいい遊びをしておしゃれをしてということは必須ではないのではないかということかもしれない。俺はずっとそういうことを必須だと思って現実では他の人との壁を厚く感じてた。それがネットではそっちがわの人間の興味あつめる結果になっている。みんな騙されてるフリをしている、という可能性を忘れればだが。
基本的には、ネットだけに特殊な人間関係効果があると自分は考えていない。ネットにも壁はある。事実、他のSNSというものを一度登録だけはしてみたが、全く使い物にならないままに放置された。現実や密なコミュニケーションを要求するSNSやネトゲでは、有限の時間と労力と気力を使ってコミュニケーションを取る以上、より中身のある面白い人物とつきあった方がメリットが大きいのだろう。同じ害にならない人物なら、一緒に過ごして何も得られない人よりも、得られる相手のほうがいいと多くの人が考えているように感じる。
Twitterという場所は少し違う。害にならない人物ならとりあえずかき集めておいて損はないという方向性をTwitterの設計は恐らく意識的に加速させてる。むしろその軽さがTwitterの他のSNSとの違いに思える。フォロー、アンフォローはいつでも気楽にできる。とりあえず見てみることにリスクがない。
そのような場では、何か一つ琴線にふれる部分が対象にあれば、(現実や密なコミュニケーションを要求するSNSやネトゲのように)他の色々が足りなくても対象が有限の時間と労力と気力を無駄に食いつくすということはないので、損にならないように相手を吟味する人が少ないのだと思う。これは現実でいうならお祭りとかボランティアの場とか、ネトゲでいうなら先に出したようにわーわーと大人数で協力する場に近い。いるだけでまあ害にはならないしちょっと得だよね、という。
私は最終回見てモニョッた人間なのですが、何故自分がモニョッたのか原因がはっきりしなかったので
アクターズスクールっぽいところに俳優や歌手、アイドルを目指して頑張ってる
遙、凛、真琴、渚が居て、凛の提案で発表会か大会みたいのに4人で出て
それが最高のステージだったけど、凛が歌の勉強のためロンドンかどっかに留学したため解散。
しかし、高校になって既にダンスでそれなりに評価されてた怜をスカウトし
新生Free!として復活。しかし、怜は音痴だった…でも、努力してご当地アイドルの大会かなんかで
勝ち上がってついに地方大会決勝!これに勝ったら全国大会!ってなったら
凛が今活動していたグループの選抜メンバーから外されて個人での結果も散々、歌うのをやめると言い出す。
で、Free!の怜以外のメンバーが動揺、センターの遙が歌えないとか言い出す。
もうそんなこと言われたら、怜が凛にポジションを譲るしかない。で、譲る。
最高のステージ、再び!ルール違反!?そんなの関係ねぇ!!やっぱ初代Free!最高だぜ!!
もちろんグループは失格、でも新生Free!の絆もSMK48(鮫柄48)の絆も拗れていた初代Free!の絆も深まったぜ!
~終~
…なわけねーだろ!!
てめぇ、怜や怜ヲタの気持ち考えてみろよ!第一、SMK48の凛ヲタの気持ちも、新生Free!ヲタの気持ちも考えろよ!!
(どうでもいいですが、Free!はSPEEDをイメージしました)
「ハルちゃんのソロが終わった後ステージ上でハルちゃんに抱きついて泣いてて可愛かったー!」
なんて書き込んだら炎上どころじゃありません。もう担降り祭り、リムブロ祭りですよ
Free!のメンバーも続々とブログに意味ありげに「皆さん、すいませんでした。怜、ありがとう」みたいなことを書くのです。
そして怜ちゃんがブログに
「応援してくださっていた皆様には本当に申し訳ないことをしました。でも僕は後悔してません。
これはFree!が本当のFree!になるために必要だったことです。」なんて書いちゃうんですよ。
で、5人での写真を掲載するんですよ…
と、ここまで妄想して何故か勝手に自分の中で昇華しちゃってるんですが
結局、私が言いたかったのは、
いくら追い込まれてても替え玉なんて普通しねーし、第一するにしてもちょっとは考えろよとか
なんか来年も…みたいな雰囲気になってるけど不正しちゃったから来年は無理だろうし、再来年は真琴と遙いねーよとか
テメーら運良く次の大会出られて1位じゃなくても最高の景色見れなくても「やっぱ怜じゃ…」なんて絶対思うんじゃねーぞとか
色々あるんですがまとめて言うと
「視聴者なんて関係なくピッチピチの男子高校生が短く儚い青春に自分たち中心の世界で色々やっちゃうアニメが見たい」と思ってたが
ホント、女は面倒くさい
こういうことを求めているなら、ファンをやめればいいのである。
あのさあ、
廃業やAV送りが多発するよ。
それをわかってて言ってるの?
(俺はそれをわかってたうえで「アイドル」に絶滅してほしい立場だが、
大して美人でもねえ、歌は音痴、踊りもちょっと気合入れた学芸会。
じゃ、どこを消費してもらうか?
気合、根性、アイドル業へのコミット具合、人格や私生活の切り売り。
でしょ?
なんだそれは。インテリ層すらそんな感じなのか。
そりゃそうだ。
「アイドル」のどこを応援すりゃいいんだ?
女子アナと並んでも素材で劣る。
そんなことは画面に映るだけで視聴率上がるような水準以上の美貌とか
プロとして完全に成立するレベルの歌踊りを身に着けてから言ってくれってんだよ。
例えばしゃべくり7なんかにメインゲストとして出演し、下にも置かぬ扱いを受けるレベルの格。
それぐらいの格を得られない素材なのに
「華やかな世界でちやほやしてほしい」なんつって芸能界に飛び込むから
バラエティに出て来れば女芸人以下の雑な扱いで頭けられたりしてる。
ろくでもねー。
逆だ馬鹿。
それでも芸能界に入りたいがために「なんでもします!」つって始める仕事だ。
ここはどうでもいいが一応言っておくと、
アイドルの恋路を縛る権利は私たちにはないし、そんなことは不可能であるし、
できたことろで、何ら生み出さない。
産み出してるよお。
そのアホみたいな幻想のおかげでこそ
ジャガイモ級・カボチャ級のねーちゃんがアイドルでございとスポットライトを浴びて楽しい、
キモオタ達もそんなもんにカネや時間をたくさんみついで楽しい、
ゴミみたいな素材に制約で付加価値をつけてビジネスにしあげたんだ。
すっごいじゃん。
俺はその成果物である「アイドル」が結局ゴミにしか見えないので大嫌いだが
ビジネスとしては文句のつけようがないわ。
日本人てここまで幼稚だったのかよ。
それで、
俺なら、
会いに行けるアンドンクラゲじゃなくて、
無理だろうねえ。
ただみたいな仕入でいくらでも交換効く「アイドル」の方が商品として優秀だもんなあ。
音痴、ったってはっきり言って評価する様なれべるじゃないし、悪い成績をつけようが無い気がする。
まだ低学年程度なら、思いっきり甘やかしてでも取り敢えず褒めて伸ばす、って方向も間違ってないと思うし。
それ高学年程度になってきてもそれならひどい話だけどな。
声優さんにとって、演技を聞かれて名前を当てられるのは名誉なのだろうか、それとも不名誉なのだろうか。
いい声だな、すごい演技だな、と思うことはあるが、それが誰なんだという事には執着がないし、よほど特徴的だったり野沢雅子レベルのメジャーな声以外は「声優当て」も全くできない。
俺は音痴だ。音を聞いても音階がわからないうえ、自分で音程も取れない。たぶん音という情報の処理が苦手なんだと思う。
だからと言って「声優当て」ができないことへの劣等感は全くなく、逆に多くのキャラクターの声を先入観なしに聞く事ができて得だとすら思っている。俺の中で、ルイズとシャナは全く無関係な別人なのだ。
ところが俺の弟はたいそう声優にご執心だ。
アニメを観ては「お、この声は誰々だな」「○○の主人公の××の声だよ」と、聞いてもいないのにクレジットを見る前に各キャラの声の主を当てていく。
俺はそれを聞くたび、いま見ているキャラクターにその別の作品のキャラクターのイメージがかぶってしまい、苦い思いをする。
俺にとっては、そのキャラクターはただ「そういう声」なのだ。別のアニメの別のキャラクターとは何の関係もない。そのキャラクターを気に入っていればいるほど、イメージに横槍が入るのは気分が悪い。そういう目で見る(耳で聞く?)のは無粋だとすら思う。
弟の「声優当て」は、悪気はなくとも自慢の範疇には入るのだろうから、正直バカにされているようで不快だ。そういう話は声優オタの間でやってもらいたい。
が、そんなもの気にするなと言われればそれまでだ。
というわけで、冒頭の疑問に戻る。
声優さんにとっては、果たして俺と弟、どちらが「嬉しい観客」なのだろう。
キャラクターの背後にいる自分ではなく、声と演技のみに目を向けている俺か。
演技で声を変えても(そうでない時もあるだろうが)ちゃんと見破ってくれる弟か。
当然声優もさまざまだろうけど、基本的には自己表現の仕事なのだから、自分を認識されたいと願うのが普通だと思う。
しかし、「七色の声」という表現もある声の演技者においては、そうでない部分もあるのではないかという気もする。
どうなんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20130521232607
http://anond.hatelabo.jp/20130521214503
http://anond.hatelabo.jp/20130521211635の元増田です。
ごめんなさい、話が長過ぎて要点が伝わらなかったみたいですが、
ってことを確認したかったのではなくて
ってことを聞きたかったんです。
私の例が例なのですけど
みたいな!
もっと強調していいましょうか。
タイトルが悪いんですけど、
デジタルネイティブが生まれつき操作できるのか?みたいな話は正直もういいんです。
私たちよりも下の世代でPCも携帯も触ったことがない人なんて絶滅危惧種ですし。
それよりも、デジタルネイティブの言葉だけに甘んじて自主性に身を任せた結果、
大成しても良かったエンジニアがアフィリエイトでアダルトサイトをちまちまPHPで書く小物になりさがり、
ハッカーの言葉だけに誘われてへんな方向に進んでデジタルヤクザみたいに足を踏み外したり、しやすくならないかなって。
デジタルネイティブは正直よくわからない存在ですけど、それでも目を離すのはよくないし、
教師役が必要ですよね、って。そういう存在と社会的な人間関係で見つけて行ってほしい、巡り会ってほしいってことを言いたかったんです...
デジタルネイティブはほんとにネイティブ、生まれつきなのかなと疑問にがふとよぎったことがある。生まれた時にPCが隣にあれば放っといても使い出して、いつの間にかコーディングを始めて、行く末はWebサービスを支えるエンジニアみたいな。デジタルネイティブを足らしめる要素は枕元に情報機器を置くことだけなのかって。
TechCrunch Japanの記事はそんな自分の疑問に答えるものだった。
Naverまとめで新世代ェ・・・デジタルネイティブの恐るべき生態なんて見かけると、iPadを与えた全ての子供たちが何も教えなくても自然に使い方を覚えて、勝手にデジタル環境に適応していくように思える。幼少時代、外で誰に教わることもなく缶けり、鬼ごっこ、お人形で遊んでいたように。
デジタルネイティブなら当たり前にできて当然じゃないの?と見過ごしがちだけど、デジタル機器もまた単なる道具。見るだけで使い方がわかるアフォーダンスデザインなんて存在しないんだ。誰かが使うのを見て知らず知らずのうちに子供は使い方を学んでいく。ある日突然しゃべりだすように。でも、それだけだ。コミュニケーションが場数を重ねて上達していくように、人と交わりあって自然と人間関係の難しさを覚えていくように、デジタル機器もまた教える人、教わる関係があって初めて学べることはすごく多いんだと思う。まとめを見ていたら、デジタルネイティブはすごい、すごいともてはやす裏に、自発的に歩む可能性に全てを押し付けて、教えることを放棄してるんじゃないか、なんてことを勝手に考えて勝手に暗くなった。
大学が推奨してたiBookG4を買ったはいいけれど正直持て余してたのでそれっぽいことをしなければと思ったからだ。
その最初の受講日、スライドを見ながらぼちぼち打っていた時、後ろからちょんちょんと肩をつかれた。
「漢字、かな」の変換はコマンドキーとスペースの両押しでできるよ。
スペースキーの隣にある林檎のアイコンを押してみてと言われるがままに実行すると、
...それまではマウスボタンでわざわざ右上にもっていって逐一切り替えていた私。Windowsと比べて、右クリックのボタンはないし、「半角/全角」のボタンもないし、UIもおかしいし、@の位置は違うし、起動の音はでかいしとMac使いづらい理由のトップ5が初めて切り崩された瞬間、自分はどんな顔をしていたのだろうか。
後に友人になる彼にはその後もいろいろ教えてもらった。ジョブズの名前を初めて知ったのもその一つだ。彼の死亡が報道されて、名前が連呼するようになった後、初めて正しい発音を知った。他にも似たようなことがあったので当時の彼は自分と五十歩千歩だったのかもしれない。だが、yahooで質問することを覚え始めた自分には、顔が見えるだけで安心するかけがえのない貴重な師だったことは間違いない。予断だけど、ウェブの善意が最初は怖かった。どこの馬ともしれない自分にどうしてこんなに親切に回答をくれるの?とあの頃は不思議でしょうがなかった。そんな自分が今増田で書いているのがひどく可笑しい。ここまで来るのに義務教育と同じ時間がかかってる。ここまで来てなんで増田なのか、振り返らないこともないけど、私の人生の分岐点を担ったのは紛れもなく友人だ。YahooによるTumblrの買収について、Gizmodoの記事読んだ?そんな話を振ってくれる彼は今も私の前を走り続けている。
ショートカットキーの一つや二つ、普通は勝手に覚えるものじゃないかと思う大半の方にとっては奇妙な話なんだろうけど、少なくとも私にとってショートカットキーは教わるものだった。教えてくれる教材はウェブにいくらでも用意されているけど、「ショートカットキー」という言葉を知らなければたどり着くこともない。yahooポータルのホームページには「ショートカットキー」という言葉は載っていないから。だから、無知に気づくこともない。知らないことを知らないから。
勉強をするための教材も、
全部ネットにはあるけれども、
ただあるだけ。
そこへ行くのは誰でもない本人の意思だけど、
本人の意思じゃない。
その動線はやっぱりリアルなのかなと思う。リアルの知り合いでフォローしていたら偶然回してきたリツイートで知らなかった世界を知った時にそこで新たな世界を知るか知らないかを決めるのは、今までに築いたリアルなソーシャルの環境だから。デジタルネイティブと言われ、みんながみんな、同じような情報機器を所有する中で、私たちの世代には予想だにしなかった"格差"がこれから生まれるのかな。