はてなキーワード: 日露戦争とは
戦争で人を殺す兵器そのものが悪い→自衛隊も自明な悪ということでよろしいか
民間人が死んでいるのが悪い→日本も賛成したベオグラード爆撃やバグダッド爆撃も自明な悪ということでよろしいか
民間人の犠牲が大きいのが悪い→日中戦争あるいは日露戦争も自明な悪ということでよろしいか
民間人攻撃を主体とする攻撃なのが悪い→重慶爆撃も自明な悪であるか、ゲルニカ爆撃をしたドイツとの同盟はどうなのか、風船爆弾も自明な悪の兵器であるか
桁違いの威力の兵器であり民間人の犠牲が大きいのが悪い→米国の核の傘から抜ける覚悟はあるか、北朝鮮や中国が東京に核を落としても日本人は核報復を求めないと宣言できるか
いずれも「他人から先に悪事をされた場合は自分たちが悪になってもよい」という論破は可能だが、それでは「悪」を定義付けることがが個々人の気持ちの問題に矮小化されてしまうし、過剰報復をいくらでも正当化するものになるだろう。この場合当然米国の原爆投下も悪でありながら行動としては正当化される。
自分にとって一番納得できるのは、「日本は降伏直前であり、降伏のきっかけもソ連の参戦であったため、原爆を投下しなかった場合に生じる米国軍人の犠牲はごく少数であり、人道的見地からして広島長崎における多数の犠牲者数と見合わない」という歴史家の見方だと思う。
・高級車ばかり、高額なナンバー代
高齢の父親とともに格安ツアーで行って来ました。大連→無錫→上海(二泊)で四泊五日。
ちょっと見てきただけで分かった気になるなと言うなかれ。現地ガイドが付きっきりなので、リアルな話が何でも聞ける。個人旅行じゃ得られない情報源。バスは最前列に座る!
自分が気づいたことを書いてるブログ記事とかがあまり無いようなので書いてみました。主に上海の事です。
別のツアー客の方が気づいてガイドさんに質問。まさかと思って、改めて道を見ると本当だったので驚愕した。確かに大きな車なんてバスぐらいなもの。ハイエースみたいな商用車さえ見かけない。
ガイドさん曰く、共産党の命令により日中は商用車の乗り入れが禁止されているとのこと(例外はあるだろうけど)。見栄えが悪いからという理由らしく、聞いたときは独裁国らしく横暴だと思ったが、よく考えるとアリだと思った。渋滞も減るし、排ガスは減るし、事故も減る。合理的!
ここは青山かと思うくらいの高級車率。5割くらい?それが上海規模。ナンバーを取るのに何年も待たされる上に、ナンバー代が180万円とのこと。日本でそれだけ出せる世帯がどれだけあるだろう。
おのずと500万円するような高級車がポンと買える人ばかりなわけで、ベンツ、Audi、レクサスなんかがゴロゴロしてる。Cセグメントなんか買うのがアホらしいわけで、そりゃスズキが撤退するわけだよ。あと、大連だとナンバー代は35万円ぐらいと言っていた気がする。
レーンごとに制限速度があるみたいで、例えば3レーンだと
120 | 100 | 80 |
となっていて、前の車が制限速度以下で走ってようなものなら後ろの車は鬼パッシング。すぐに道を譲ってくれる。
日本の追い越しルールよりずっと合理的だし、速度違反も一度も見なかった。日本でパッシングなんてやろうものなら下手したら警察沙汰。
ほぼ電動スクーター。ガソリンバイクなんてめったに見ない。2%ぐらいか。バイク専用の側道も多かった。3輪バイクとかも多くて面白い。
オレンジ色のバイク充電器が塀にとりつけられていた。お金を入れると一定時間充電できると思うのだけど、日本で見たことない。素晴らしい。
「出川哲朗の充電させてもらえませんか」なんて番組やってるけれど、それだけ日本では電動バイクはコミューターとしてまだ実用的じゃ無いってこと事。
残念なのは運転マナーで、暗くなっても無灯火ばかり。目の前で車と衝突して吹き飛ばされてたし。大ケガかと思ったけど、しばらくしたら立ち上がってまたバイクで走って行った…。
信号の設定が頭おかしくて、成人が小走りで走って青信号中にギリ渡れるかってレベル。父親なんか高齢で足が遅いので、まさに命がけのチキンゲーム。超怖かった。
ガイドさんからも「日本は歩行者優先ですが、この国は車優先ですので気をつけて」と念を押されていた。儒教の国じゃなかったの?ガイドさんによると、交通事故の年間死者数は10万人超えてるとのこと…。
ナンバー取得制限、商用車乗り入れ制限、電動バイクやシェア自転車優遇、激短い歩行者信号。あらゆる政策が、増え続ける車で交通が麻痺しないために計算されてるように思った。頭のいいテクノクラートが超頑張ってる。人権は二の次かもしれないけど!
商用車の都市部への乗り入れ制限や高速道路の速度制限のルールなんかは、日本で取り入れても面白いかもしれない。あとバイクの充電ステーションが日本に無いのは理解できん。
これこれ。こういう聞いたこともない話が出てくるとうれしい。
安田善次郎の日露戦争の話初耳だわ。確かに彼がまともに生き残っていたら止められそう。おそらくそれが一番難しいけどな!
トラウトマン和平交渉は良く知らなかったけど、戦争回避に一番近づいたタイミングっぽいね。そのタイミングで政府四大臣の誰かであれば、太平洋戦争は止められた気がする。本当にバカだな、当時の政府。
日本人は、自分が少し優位気味くらいのところで引くのは苦手な印象がある。外交の経験の蓄積がないのが響いたのかね。逆に、下の立場でおいしいところだけかすめ取るのは上手にみえる。
日露戦争も日本海海戦で勝利はしたが、日本側も資金的に満身創痍。
で、安田善次郎が「これ以上資金調達はできません」と突っぱねて井上馨に「この非国民!」とののしられ、「安田の一語、日露戦争を止ましむ」とボロカスにいわれ、
賠償金は取れず、挙句の果てに日比谷暴動まで起きたが、日本は勝利という形で日露戦争を終えた。
日中戦争だって、蒋介石がトラウトマン和平交渉を受け取ったので、日本側が条件引き上げをしなかったらそのまま日中戦争は終わってて、アメリカ、イギリスの介入もなく、第二次世界大戦は欧州の局地戦争だった。
日本って、空気がイケイケだったらどんな悪事でもするってのはあるわ。
とにかく、キリがいいところでけりをつけるというのができない。
オリンピックに向けたサマータイムの導入などできるわけがないと考えている。
多くの企業はシステムの対応が間に合わないので反対するだろう。
しかし、日本にはアメリカ相手に戦争を始めた悪しき前例がある。
当時の政治家や軍の上層部にも対米開戦して勝てると考えている人はほとんどいなかった。
でも、やってみなければ分からない、と考えていた人も少なくない。
システムに詳しくない人はこう思うかもしれない。
ITの連中は2000年問題のときにも大騒ぎしたが、何も起きなかったではないか。
その裏舞台でどれだけの準備をしたのかは知られていない。
それに、表沙汰になっていないだけで、裏では様々なトラブルが発生したはずだ。
2000年問題は自動的にやってくる、言わば自然災害に近い部類のものだが、サマータイム導入はやらなくてもいいことだ。
こういう例えはどうだろう。
大規模システム経験者は、太平洋の真ん中でジェット旅客機のエンジンが止まる心配をしている。
例の自称ITジャーナリストは、目覚まし時計が止まったら電池を交換すればいい、と言っている。
同じ「止まる」というキーワードだからってジェット旅客機と目覚まし時計は比較できないよね。
このくらい、感覚の差がある。
イエズス会による侵略を察知した日本は鎖国へ向かう。西洋人たちは地球を破壊しながら技術力を付け、ついに日本を開国させる。日本人の知的水準の高さや、労働者としての素質を知っていた彼らは、植民化する代わりに、富国強兵殖産興業によって日本から利益を得ることを選ぶ(野麦峠、蟹工船、足尾銅山の公害などをもたらしたのは西洋人)。日露戦争の勝利もまた国際金融家たちの胸先三寸で決まったこと。支那事変(日中戦争)では、国民党に資金を提供して戦いを長引かせることで利益を得、真珠湾には使い古しの戦艦を再配備してほとんど実質的な損害なしに、日本を叩けという世論を盛り上げる、実際の歴史を知ってみれば、西洋人たちのやり方は、まさに「汚い」の一言。それにも関らず、学校教育とマスコミは真実を見えなくさせ、日本人に罪悪感を植え付ける。
ついでにいえば、法による支配は、国際金融家たちの都合に合わせてできている。そのせいで、私たちは私たちの土地を守ることを違法とされ、(外資系)企業による開発活動を否応なく受け入れさせられている。そんな世界に順応させるのが、このスレの学校のような場所なのだ。
アメリカは日本へ2発の原子力爆弾を投下して、日本は無条件降伏した。
無条件降伏だったので、日本はアメリカの植民地、奴隷にされた。
江戸幕府は鎖国政策を行っていたが、欧米はその間にも技術を発達させ、軍事力も増大させていた。
江戸幕府は当初「公武合体」によって、新しい日本の体制作りを目指した。
公武合体(こうぶがったい)は、幕末(1850年代から1860年代)の日本において、朝廷(公)の伝統的権威と、幕府及び諸藩(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとした政策論、政治運動をいう。
しかし、公武合体は失敗に終わり、薩長のテロリストたちがクーデターを起こした。
イギリスに支援された薩長同盟 VS フランスに支援された江戸幕府
英仏の代理戦争が日本国内で展開されて、イギリスのフリーメーソンが勝利した。
明治維新以降、日本は日露戦争に勝利する等、外国と戦争して勝つことができた。
調子に乗ってアメリカにも戦争をしかけたら(真珠湾奇襲攻撃)、逆にボコボコにやられてしまった。(原爆投下で第二次世界大戦敗北)
天皇が「勝つ見込みはありますか?」と尋ねたら、軍部は「短期決戦で勝ってみせます」と応えた。それならOKと戦争を開始した。
軍部は「アメリカから買っていた石油がなくなったので、これ以上戦争を継続できない」と判断した。(そりゃ戦争やってる相手に石油を売る馬鹿はおらんわなw)
松谷誠のように、早期講和を検討した者もいたが、軍部に握りつぶされた。
日本が2年程度で戦争を止めていれば、満州を失うだけで済み、日本の本土まで取られることはなかった。
結果的に、天皇と軍部は判断を誤り、早期の損切りができなかった。
松谷 誠(まつたに せい、1903年(明治36年)1月13日 - 1998年(平成10年)10月7日[1])は、大日本帝国陸軍の軍人、陸上自衛官。
天皇の悲劇は、周りにイエスマンしかおらず、適切な判断材料となる反対意見を言う者がいなかったこと。
(天皇一人が悪いのではなく、取り巻きの連中が使えなかった。)
もしも、松谷誠らが天皇に直接提案する機会があれば、完全敗北を避けることもできただろう。
歴史を振り返ると、ワンマンのリーダーが判断ミスすることによって、国が滅ぶ例が多々ある。
日本の近代史を振り返ると、日本の岐路は、「公武合体」にあった。
もしも日本が、天皇と将軍のツートップ体制だったら、どちらか一方が判断ミスをしても、リカバリーできる可能性があった。
しかし、ワンマン体制だと、一人のリーダーが判断ミスすることによって、ドミノ式に全体がミスに巻き込まれる。
公武合体が成功していたら、日本は今とは違う歴史を歩んでいただろう。
負け惜しみで、明治維新を賞賛する向きもあるが、敗戦の結果を見れば、明治維新の天皇制は失敗だったことに気付く。
残念だ。
1.黒人~奴隷解放宣言後のアメリカの黒人の立場は非常に低かったが、第一次世界大戦と第二次世界大戦に従軍したことによって、アメリカ国内における黒人の地位が向上するようになった。第一次と第二次の当時は、指揮官になれる黒人はいなかったが、湾岸戦争時のパウエル元国務長官をはじめとして、黒人のエリート軍人も現れるようになった。
2.女性~第一次世界大戦と第二次世界大戦は国家総力戦であり、女性も銃後を支える戦闘員と見なされるようになる。しかし、女性の徴兵は実現できなかったので、戦後も女性の地位は低いまま。北欧では女性も平等に徴兵しているので、女性の社会的な地位が高い。
3.東北人~明治維新後の東北人は、戊辰戦争の賊軍の子孫として扱われていたので、日本では東北人と言うだけでバカにされる風潮があった。日清・日露戦争においては、伝統的に弱いと言われる西日本部隊を差し置いて、戦況を変えるほどの活躍を見せた。第二次世界大戦時には、東北人の総理大臣を輩出するほどまで、東北人の名誉は回復された。
白米の友・日本漬物史。その光と影(近代食文化研究会)/そして「福神漬」とは何か? - Togetter
戦前のカツレツはフォークとナイフで食べます。ナイフで沢庵を刺し、それを齧って、ナイフでフォークからこそげ落とし、フォークでライスをすくう。非常に面倒くさいこととなります。
沢庵をあらかじめ細切れにしておけば、その様な手間が省けます。
しかし、1日1万食以上のカレーを売った阪急百貨店をはじめ、巨大食堂や須田町食堂のようなチェーン店では大量の漬物を毎日消費します。沢庵を細切れにする手間やコストも馬鹿になりません。
そもそも、一本のたくあん漬けを輪切りにする作業すら、漬物を大量に消費する大食堂やチェーン店では、手間や作業場やコストの問題にはねかえってきます。
余談ですが日露戦争において、漬物の主役が沢庵から福神漬に変更になった理由の一つが、戦場での兵士の手間の削減にあったのではないかと推測しています。
福神漬以外だと、刻み紅生姜はフォークやスプーン、らっきょう漬はスプーンですくいやすい漬物です。いずれも、カレーの薬味となりました。梅干しはスプーンですくえますが、種が厄介です。
元吉田寮生として簡単に。一応二十年前くらい前に住んでた絡みで。
現在築100年を超える吉田寮では、大学当局より新吉田寮(2015年入居開始)への移転を求められ、
過去数年にわたる団交が不調に終わった事により、最終的な退寮期限を当局に定められ、強制代執行を匂わす措置に対しての抗議活動が行われている。
「京都大学の自由な学風」とは全く違うのが、「大学当局」または「学生部」でして。
https://sites.google.com/site/yoshidadormitory/kakuyaku
確約書は、団交の結果を貰ってハンコついてもらってるもので、実の所、ここに上がっているよりも前のやつもまだ寮にあるんじゃないかなと。
去年ちょっと都合あって近くに行ったので覗いたんですが、未だに自分が貼ったポスターがありました。「季節を抱きしめて」というやつですが。
寮生の生活空間としての寮を維持したいというのが主であり、文化財であれば退去が求められるかと思います。
なので、二十年前の時も内部で議論が分かれた所です。
なお、大学当局(っていうと大げさですが、学生部とか文科省から出向してくる人とか会計監査院とか)にはその考え方はありません。
無いんだからどうしようもない。
学内の認知度も低く、学生部のところには「京大に来る謎のバイト」とか「月一万で住める間借り」とかあったりするんですが、知る人ぞ知る魔境ではあります。
「日本初の合成繊維を作った研究室」とかも潰れてますし、大学の感覚としては、「残しているんじゃない、残っているだけだ」という感じでしょう。
大学の敷地内に、廃墟みたいな温室があったりするのも京大らしいと言えば京大らしい。らしいじゃなくて多分廃墟だと思うけど。
b 構造改修が事実上不可能、又はほぼ新築と同額の予算がかかり、実際に予算を出す当局としては二の足を踏む構造改修費用である
独立行政法人と言われても、結局の所、文科省に申請~国家予算に計上~みたいな流れになるんですね。
で、毎年どうも勝手に適当に予算申請はしているっぽくて、たまに通ると急に通達やってきたりとかします。
寮だけではなく、大学運営の問題ではあるんですが、そもそも独自に使えるお金なんてほとんどないのと、後付けでお金を補填する事も難しいという事があります。
「急ぎなんで建て替えるけどちゃんと後で補填してよね」という話が通じないんですよ。
故に、職員の給料にしわ寄せがいくような運用がなされるんですよね。
という事は、社会人になって地震後の官公庁のお仕事してみてよく分かりました。予算申請してて取れるとか言われてたけど蓋開けてみたら取れてなくて来年とか、マジで平気であります。
日本国内において築100年程度築浅(?)のたかが木造宿舎に、保存価値はないとみられている可能性が非常に高く、
保護を得られない前提で耐震改修が必要となるが、所詮学生向けの安普請なので、耐震改修を行ったうえでのPL法責任を負う
稀有な建設会社はこの世に存在しないと考えられる。また現在の耐震基準で改修した場合は、ただ置石の上に支柱が立っているだけであろう
日露戦争の賠償金で建てられたとかのネタがある寮ですが、「安普請」ではありません。
http://tabenokoc.blogspot.jp/2012/03/blog-post_9674.html
とか読んで貰えば。
あとは疲れたので適当に流しますが、そこそこ情報出てるんですけどね。。。。。。
頼みもしないのに勝手に湧いてきて寮かくあるべし論を述べられる方も、二十年前にもだいたい二年に一人はおられました。
まあそんなところです。そんな憧れる所でもないと思いますけどね。
※詳細版
神話時代:天照大神が岩戸に隠れて真っ暗!!この世の終わりだ!
7世紀:白村江の戦いに負けてしまった!唐の大軍が攻めてくるぞ!!
19世紀:黒船キター!!日本も欧米列強の植民地にされるぞ!!
1920年代:不況で娘は身売りせんとあかん!昭和維新せな日本は滅亡や!
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1945年:大東亜戦争が敗北に終わるなんて!日本はもう滅亡だぁああああ
1960年:米ソ核戦争が起きて日本も巻き込まれるぞ!ヤバイヤバイヤバイ
第2次ベビーブーム:このままじゃ人口増加で資源と食料がヤバイヤバイヤバイ
1973年:石油ショックで高度経済成長が終わった!日本はもうおしまいだ!
1989年:今のバブル景気はまやかしだ!道徳的に堕落した日本は滅亡する!
1991年:そら見ろバブルが崩壊した!!驕った日本人に罰が当たったんだ!!
1995年:阪神大震災に地下鉄サリン事件、日本滅亡が始まったぞ!!
1998年:北朝鮮が弾道ミサイルを開発した!今すぐ戦争になるぞ!!
2100年:■■が起きた!今度こそ日本は滅亡だ!!
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無限に続く予定
山本七平 著 「日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条」 より引用
なぜこのように全く成果のあがらない事をするのか。言うまでもなくそれは、成果があがらないとなると、その方向へただ量だけふやして、同じ事を繰り返す事が、それを克服する方法としか考えられなくなるからである。
ひるがえって自らの意図を再確認し、新しい方法論を探究し、それに基づく組織を新たに作りなおそうとはしない。 むしろ逆になり、そういう弱気は許されず、そういうことを言う者は敗北主義者という形になる。
この傾向は日露戦争における旅順の無駄な突撃の繰り返しから…毎年毎年繰り返される「春闘」まで一貫し、戦後の典型的同一例をあげれば「60年安保」で、これは、同一方法・同一方向へとただデモの数を増すという繰り返し的拡大にのみ終始し、その極限で一挙に崩壊している。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。同じ型の突撃を馬鹿の一つおぼえのように機械的に何回も繰り返して自滅したり、同じ方向に無防備に等しいボロ船船団を同じように繰り返し送り出して自ら大量「死のベルトコンベア」を作るようなことはしなかった。
あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。
これらの言葉の中には「あらゆる方法を探究し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。
ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるため払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。
米首都、高校生の呼び掛けで数十万人が銃規制要求デモ 過去数十年で最大 https://t.co/g9va8K9mdH— AFPBB News (@afpbbcom) 2018年3月24日
その昔、司馬遼太郎が「明治までの日本は良かった。日露戦争後の日本はだめになった」という趣旨のことを書いていた。
この併合の最大の失敗は、朝鮮人を日本人にしてしまったことだ。
大日本帝国国内では、「朝鮮を自国領土に組み込み朝鮮人を皇民とせしは皇国民の質の劣化である」という見地により、反対の意見も根強かった。併合時に必要となる莫大な資金の負担についても政財界より併合反対の意見があった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/韓国併合
ヨーロッパ流の植民地支配で朝鮮人を奴隷にすればよかったのに、朝鮮人を日本人にしてしまったのが失敗だったのだ。
この失敗が今につながる癌になった。