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はてなキーワード: 一言とは

2021-05-26

QOLおじさんが嫌い

わざわざQOLって言ってくるのが鼻につく

コスパがいいとか満足感が高いとか色んな表現できる幅があるのにQOLがいいの一言で済ましちゃう

かっこいいように思ってるかもしれんけど表現の幅、豊かさを自分で殺してるからねそれ

表現の幅、豊かさを殺して何がQOLがいいじゃボケ

日本語なめんなよ

anond:20210526091419

トレーナーの口調云々の奴とかはやってなくても一言言える感じが上手い

プレイしてないけどコメントしちゃったもん

2021-05-25

htr同人女ジャンル離れお気持ち吐き出し

追記

htr=ヘタレ

ヘッタクソな創作物しか生み出せないゴミカスのこと、下手くそ創作者の叩きスレ発祥

htr字書きだが、やっとジャンルから離れる決心がついた。

サイト時代を含めて約5年半。1つのカプに執着する期間としては比較的短い方かもしれないが、それでも私のオタク人生の中では最も濃くて幸せな夢を見せてもらった。良い時間だった。

海を見れば潮の匂いを浴びながら夕陽に照らされる夏の終わりの推しカプを想像した。山を見ればキャンプ飯の匂いに腹を鳴らしながらビールを煽る推しカプをそこに登場させていた。

世の中のラブソングは全て推しカプの曲に聴こえていたし、いつも2人のことばかりを考えて行動していた。

24時間365日ずっと日常の全てにカットインしてくるような推しカプだった。腐女子やカプ厨の方なら多少はご理解いただける感情かと思う。

それでも世に出した作品は30足らず。5年半という歳月から見ると相当少ない。遅筆の私は2~3ヶ月に一本新作を出すのが限界だった。どこにも出していないものを含めると100は書いたが、全て納得できずHDしまい込んだ。

なんせhtrなのだ。ここまで読んでいただいた皆様にはバレているだろうが、とにかく文章構成が下手だ。語彙の使い方もダサいてにをはがなっていない。一文が長すぎる。読んでも結局何が言いたいのか全くわからない。

人様に読んでいただく文章として下の下の下である

何よりも私の文はWeb二次小説との相性が悪い。

読み手側は起承転結のついた物語地の文が濃い文章など読みたくはないらしい。

伸びている文、評価されている作品はみな「ほのぼの」「ラブラブ」「わかりやすセリフが多い」「日常を切り取った2000字ほどの短文」これに気付くのに4年かかった。

何なら地の文なしのセリフ劇のほうが伸びる。

私のような作風書き手は本当に上手い人しか評価されない世界だった。

文章力もなく、面白みもなく、萌えもしない文章など誰が読むだろうか。ここ半年作品への反応が一気に落ちた。コメントはおろか、ブクマも二桁止まりという有様。

ツイッター作品アップの告知をしてもいいねは1つも付かない。

もちろん日常切り取り系にも挑戦してみたけれど、どう頑張って削っても8000前後は書いてしまう(普段が数万字であることを考えるとこれでも私の中では進歩だった)。日常を切り取った中でもまた起承転結を付けてしまう。どうしても「物語」を書いてしまう。

htrのくせに伝えたいこと、書きたいもの作風は常に一貫していた。読み手の皆様からすれば検索結果に出てくる邪魔ゴミである

斜陽ジャンルマイカーカプだから仕方ない……ここで書く人がいなくなったらジャンルが衰退してしまう……なんて言い訳自分を奮い立たせながら強がって書き続けていたけれど、先日ついに心が折れた。

普段小説とか読まないから字書きさんのページは正直飛ばしちゃうんだよね」

仲のいいフォロワーさんから出た一言だった。もちろん私が長文htr字書きであることは知っている。そして彼女は神絵師だった。

創作に携わる人間でも普段から小説を読まない人がいる。カルチャーショックだった。

ROMの方なら確かにからなくもないのだが、産み出す側の人間でさえそうなのかと何も言葉を返せなくなってしまった。

最後小説を読んだのは読書感想文課題だったかな。アニメは見るよ。漫画もたまに読む。映画?うーん、推しが出てたら……」

皆、物語のものに対して興味がないのだ。読み手が読みたいのは「ほのぼのでラブラブで誰が読んでも理解できるセリフの多い日常の切り取り短文」であって、私のクソ文ではない。

その頃ちょうど、私はまた1つクソ長htr小説を完成させていた。自分で読み返してもわかる。これも伸びない作品だろう。

一度書き上げた作品推敲したその翌日にアップロードするようにしていた。だけど、今回はそれができなかった。

ジャンルを離れよう。もうここで書き続けていても自分が壊れてしまうだけだ。

今朝、私はサイト支部に投げていた全ての作品を削除した。

ツイッターはちまちまと絵を投げていたけれどそれも全部消した。

絵も描けないわけじゃない。今まで出した本の挿絵や表紙は自分で描いてきた。そちらの道で勝負したほうが良いのではないかと何度も何度も考えた。

だけどやっぱり私は小説が好きだ。

その小説が書けなくなってしまったのならば、もうやめよう。

評価を気にして作品を産み出し続ける作業にはもう疲れた

作品評価に拘る時間を減らして、これから私生活を充実させていくつもりだ。

読みたかった本もたくさんある。家族との団らんを素直に楽しんで、今まで以上に仕事にも打ち込もう。幸い、職場ホワイトを極めたようなホワイト企業で仕事内容も楽しい。もちろん創作だって続けよう。

書きたいときに書きたいものだけを書いて、いつかまた活動したいジャンルが現れたときにオンでもオフでもなにか作品を出してみよう。

ジャンル移動というよりジャンル離脱と呼んだほうが正しいかもしれない。

女性向けジャンル男性向けジャンルとは少し毛色が違い、作家ではなくジャンルに人がつく。ジャンルの切れ目が縁の切れ目である

ジャンル活動者も少なく村社会化しているから、仲良くしていただいたフォロワーさんには少し申し訳ない。ただ、私のようなhtrが消えたくらいで衰退するような場所ではないだろう。

検索するときこの人の作品邪魔だなあ」くらいにしか思われていなかっただろうし。

今参加中のアンソロ(脱稿済)の献本が届いたらツイも支部アカウントを消す。サイトはもう閉じた。

離脱する私が言うのも変な話だが、少しでもジャンルが長く太く息をしてくれることを願っている。これは本心だ。

こんなにもジャンル離脱に体力を奪われるものだとは思ってもいなかった。今から気が重い。いっそのこと、あの人がいなくなってよかったね、くらいに思ってもらった方が気が楽かもしれない。

それも私のわがままだな。

自分わがままで去ることになるのだからジャンル者には失礼のないように努めたいと思う。

anond:20210525103046

やってる事はかわらないって書いてるだけで法的根拠があるなんて一言も書いてねえだろ馬鹿。てめえはネット環境のない地方の山奥で暮らしてろ。

2021-05-24

コロナ風邪とは思ってないけど、最近特に危機感を覚えなくなった

罹ったら残念だなって思うくらいで普通に出歩いてよくね?

今まで通り人が密集しても良いかな〜って思う

どうでもいい。の一言

庶民ばっかり圧迫されて、アホくさくない?

この国って壊滅的な状況にならん限り動けないし、国に協力するのもアホかと

自分仕事一言説明できない

従事している業種はサービス業なのだが、私自身は接客サービス現場に出ることはほとんどない。

では何をやっているかというと、毎月の売上管理未収金回収などを含む)、社内システム管理ベンダーコントロール不具合時の対応など)、販促企画立案業務省力化のための新システム企画立案(前出のベンダーコントロールともかかわる)、など、どちらかというと現場直接より管理間接的な内容が多い。

しかし総務でも経理でも人事でもシステムでもない、何でも屋のような感じ。

何でもできてそれはそれで助かっている人もいるのかもしれないが、果たして自分は何者なのか」ふと疑問に思うときがある。

そして「何でも屋」というのはなぜかとてもイメージが悪いことに気付いた。

適当な感じがするんだろうな、自分でもそう思うわ。

本当に自分は一体何者なのだろうか。

2021-05-23

世界で一番好きな人から一緒に住まない?と言われた

詳細は省くけどそういったことを打診された。

好きとかきらいとかそういうことではなく、ただ利害が一致しそうだからというだけのことだけれども

本当にその一言だけで至福。泣ける。

本当にありがとうあなたのことを好きで良かった。一生好き。絶対に!!!!

彼とペンわたし

ひとりごと。ただ書き残したくて。

高校国語教師で、とても熱のこもった授業をしてくださる方がいた。

言ってしまえば、好き嫌いが分かれてしまタイプの強烈な先生だった。

わたし理系であったが和歌が好きだったので、彼がさらさらと話す古典エピソードを聞き逃すまいと、一生懸命だった。大ベテランの彼についていけば国語大丈夫、と太鼓判を押してくれる先生が周囲にたくさんいて、ノート片手に先生の元へといつも通っていた。

国立受験して、結果待ちの間の卒業式卒アル先生メッセージを書いてもらいに行った。そこに書いてもらった一言は以前先生がおっしゃっていた言葉でとても大きなインパクトがあるもので。「この一言で十分だろう?」と笑いながら。本当にそれで十分だった。彼らしかった。


3月末、晴れて桜が咲き、合格の報告をした。本当に喜んでくれた。

昼ごはん食べに行こう、と誘われたものの、外せない用事があって固辞した。

「何かあげたいけど、何もないなあ…」と悩みながら渡してくれたのはなにかの会合でもらった記念品ちょっといいボールペンだった。ちょっといいものからすぐ使うのはもったいない、としまいこんだ。


また遊びに来ますね、とにこやかに約束して別れた。

次に行くときにはなにか古典勉強や好んで読んでいた作家さんの話をしようと意気込んでいた。(実際に彼が好きだった筆者の本をたくさん読んで話すために蓄えていた)

しかし、これが最後だった。4ヶ月後、突然病気で亡くなった。まさか彼が突然亡くなってしまうとは思わなくて、なんとか予定を変更すれば行けた、彼とのご飯に行けなかったことを悔やんでいる。

もっと彼の頭の中を覗いてみたかったし、古典生き字引のような存在の彼にもっとエピソードを聞きたかった。その気持ちが止まらなくて、もらったボールペンは眠ったままだった。永遠に開けられないかと思っていた。


しかし、個人的に気落ちする出来事があって気分を変えたくて、でも落ち着きをくれるものが良かったのでいただいたボールペンを使い始めた。

それは落ち着きのある書き心地と発色で。マーカーでなぞっても滲まなくて。

もともとこのペンの所有者だった、達筆で自分の信念を絶対に曲げない彼がちらついてしまって。思わず涙がとまらなくなってしまった。

先生、お元気ですか。そちらでも古典の授業をキレキレにされてますか、わたしのんびり大学生をしていますあなた古典のことで聞きたいことがたくさんあるのに高校に行っても会えないのが本当に苦しいです。寂しいです。わたしがいつかあなたの元に行くとき、沢山の古典質問を抱えていくので待っていてくださいね、そのときにお答えしてくれるのを楽しみにしています


もらったボールペンは替えのインクちゃんとあるらしい、よかった。ずっと使える。わたしはこのペンを使うたび、彼のことを思い出すだろう、切なくなる時もあるかもしれないし、もっと頑張れるかもしれない。これからどう感じるようになるかはわからないけど、本当にこのペンの書き心地が良すぎて手放せないことは事実

彼がくれたボールペンあのころのがむしゃらに頑張るわたしとそれに付き合ってくれた優しい彼も思い出させてくれて、一生の宝物になる、そう確信した。

いまは元気をもらえたから苦しい世界でも頑張ろうと思う。

anond:20210523003100

宿題が親子関係大量破壊兵器になったパターンです。

父(私。発達)

母(妻。健常)

元増田はすごい。尊敬する。

うちのもwisk150くらいの発達、宿題に限らず、既に理解したつもりのことを繰り返すことを嫌悪し、やれというと大暴れ。

音読は超高速で読み、意味を感じなかったが、やったことだけで万々歳。

苦しいのは、漢字計算ドリル

一周目はまだ嫌がりながらもやるが、なぜか現れる2周目、もう大戦争

やれば10分で終わることのために1時間近く押し問答。特に健常の妻はこのバカバカしさが全く理解できないため、我慢し切れず叱ってしまうことも。

こちらが諦めて出さないことを了承したものの、学校教師から宿題をださないことを責められ、学校に行きたがらないように。

もともと社会性が低いことを親としても心配していることもあり、不登校は避けてほしいという気持ちを拭い去れず、なんとか行かないか、と説得するも、ムダな上に、学校に行かないことがいわゆるフツウではないことに本人も気づいているが、嫌だという気持ちが勝ってしまいら言い争いになるだけ。

私も発達である自覚はあるが。社会性は高く、人付き合いに困ったことはないし、宿題を忘れてもヘラヘラしていた。親子で発達でも表現形は全然違う。

ふとした時に、「なんでこの子はこうなんだ」という気持ちが込み上げてきて、言ってはいけないとわかっている一言

飲み込めない。

宿題ぐらいやれよ、納得がいかないことでもやらないといけない場面があるんだ!」

言った自分で嫌になる一言私自身、発達の巣窟のような職場仕事しているが、近年常識の波が押し寄せてきて、こんなに打たれ弱くて、この子は、私の職場ですらうまくやっていけないのではないだろうかという不安が口を開かせてしまう。

親に味方でいてほしいはずなのにこんなことを言われ、心穏やかにいられるわけもなく、癇癪で答える子と、うまく対応できない自己嫌悪の親による争い。しんどい

「もういいよ、宿題なんかやらなくても。」と言うことにしていったんは平穏を取り戻し、学校にも行けるようにはなったが、宿題ぐらいやってほしいな、という気持ちを抑えるのは大変。

元増田みたいに工夫することも出来なかった。

中学は近所の公立中はやめたほうがいいかと思い、公立中高一貫校を調べると、これでもかというくらい課題がでると知り、諦めた。

金銭的に余裕はないが、ガバガバ校則ゲキユルで有名な某私立中学になんとか合格したので、この春から通い始めたが、意外に宿題は出る。ただ、無意味と思える反復練習はないし、内容的にも歯応えがある。それだけでなんとかやれるようで、友達学校でやってから帰ってくるようになった。

公立小にきめ細やかな指導は望むのは酷なのはわかるから、できないことは理解して、出来ないならそれで構わないとだけ言って欲しかった。

人が怒られてるのを見るのが凄い嫌だ

凄くストレスになる。

大学講義があったんだが寝てるバカがいて教授が怒るのは当然だと思うんだが、そこで怒鳴ったりされるとこっちまでビクッときしまう。

その後の授業なんて全然集中出来なくなったしいつも何百文字も書いてたリアクションペーパーもその日だけ数十文字程度に抑えてしまった。

怒るのは当然だと思うし、そこに文句を言うのは甚だ可笑しい話なのは理解しているんだけどストレスの吐口として一言言いたい。

僕の前で他人を怒らないでください

でも怒らないと寝てる人も反省しないしこっちが我慢するしかないんだろうなぁ。

寝てるカスが一番悪いんだけどね

anond:20210523120219

最初寄生虫っていう表現を出したのはお前な

男ならそんな妻を寄生虫扱いしても許されるのに

元増田はそんなこと一言も言ってないな

anond:20210523084534

痴漢なんてちょっと我慢すればいいのにそれと比べて冤罪悲惨

女様の微々たる不幸自慢のために人生を奪われるほうの身にもなれ。

お前の言う「不幸な冤罪事件」てはやしますみとかその辺だろ?

あんなの滅多に起こらないじゃんか。

それと比べて痴漢冤罪は女が一言叫ぶだけで完成する。

こんな簡単なこともわからいかフェミニストって言われるんだよww

anond:20210523000826

評価されたくて書くならマイナージャンルから抜けてしまえの一言だな。支部もなろうも基本は流行りのジャンル流行りのタイトルなら1日100PVくらいはつくもんだ。好きなものを好きに書きたい、それで評価されたいってのは商業でも難しい。実力を試したいならメジャーどころを書いて投稿してみるといい。

友達を紹介してくれたら1000円は良いのだが

ギフト券目当てにともだちに これいいよ という場合 広告だけどさ これいいよ

と言わない場合

立派なステルス広告誘導から 最悪詐欺だし

広告だと書いてくれと言わない場合 ギフト券を配っている企業が不当な広告誘導している

友達サイトを紹介する場合 有償広告だけどと 一言言うように

仕事時間中に会話をしなくても仕事ができるように

してあって

頭が痛いか

一言伝えているのに

あのすみません

というから確認すると

やはり

話をしなくても作業ができることばかり

なぜ会話をしようとするんだろう

 

それじゃぁ給料下がっちゃう

会話のない作業苦痛 そりゃそうだろうねぇ だから給料が高い職場

ベルセルク自分の話

三浦先生訃報を聞いてから時間が経ったが、ショックすぎて気持ちがまとまらないのでここに吐き出させてほしい。



高1のときベルセルク出会った。


リョナ趣味の後輩から主人公のやられが多くて興奮するから見てくれ」と勧められて以来頭にはあったが、グロが怖くて読んでいなかった。でも受験を終えて燃え尽き症候群に陥っていたから、この際フヌケの自分を変えてくれるならグロでもなんでもいいかと思ってなんとなく1巻を手に取った。


なんだ、この漫画主人公がめちゃくちゃやさぐれてるじゃねえか。自分の巻き添えになった爺さんのことも何とも思ってなさそうだし、美少女建物から落ちそうになってんのに助けないのかよ。


ジャンプ漫画の清く正しく美しい主人公しか見てこなかった自分にとっては衝撃的な展開の連続だった。


人を助けないし、自殺教唆するし、お供の妖精はいじめるし、一体なんなんだこいつは。


けれどもそういう殺伐とした殺るか殺られるかの世界観は、案外すんなり肌に馴染んだ。

これは自分の家庭環境ボロボロで、現代日本なのに親と殺るか殺られるかの戦いを毎日繰り広げてたからというのも大きいと思うが、とにかく「綺麗事で済ませない」といったベルセルク雰囲気自分感覚に合うな、という印象があった。

親の金でユニバに行くクラスメイトよりも、親代わりのガンビーノを殺しつつも愛を求める気持ちを捨てられないガッツの方が身近に感じた。


ガッツが鷹の団に入るまでのストーリーは読んでてキツかったが(親代わりの大人貞操売られてぶち殺すってどんな話だ?)、黄金時代ストーリー面白くて夢中になって読んだ。ガッツの初仕事(川沿いで奇襲かけたあと殿ひきうけたやつ)の話も、ユリウス伯爵暗殺も、ドルレイ戦も、そんなに上手くはまるわけないだろと思いつつも毎回読んでてワクワクした。

読み進める度に胸が熱くなるようなシーンが次々出てきて、この先どんな物語が待っているのかとページをめくる手が止まらなかった。

(個人的にはプロムナード館での夢の話が好きだ。「夢に支えられ、夢に苦しみ、夢に生かされ、夢に殺される」……夢を表した言葉としてこんなにも的確な言葉は珍しいと思う)


そして黄金時代も佳境に入り、グリフィスが全てを失い絶望の果てに蝕を起こす。

無数のモンスター対峙する鷹の団の見開きの絵を見たとき、初めて気がついた。


(あれ、もしかしてこの人、メチャクチャ絵が上手い?)


バカなので蝕に辿り着くまで三浦先生の絵の偉大さが全く分かっていなかったのだが、大量のモンスターと鷹の団の苦悶の表情を前に、三浦先生凄さを""分からされて""しまった。


びたびたと飛び散る内臓。好きだったキャラクター割れ頭蓋骨と、はみ出した脳みそ。どういう骨格をしているのかよく分からないがとにかく気持ちが悪いことだけは分かるモンスターの群れ。一度見たら忘れることのできないガッツの咆哮の表情。抜ける女体。死ぬほどイカした造形の新生グリフィスことフェムト


ゴッドハンドの女が「愛、憎悪苦痛快楽、生、死、すべてがあそこに……」と言っていたが、まさにその通りだった。読んでるだけで頭がおかしくなりそうだったし、自分体験したわけではないのに脳みそ上下に全力で揺さぶられたような衝撃で心がめちゃくちゃになった。


蝕のシーンがショッキングすぎてトラウマになり、心ここにあらずな日が続いた。授業も全部上の空だった。何をしていても蝕のことが頭をちらついた。あん凄惨光景は二度と見たくないと思うのにもう一度触れさせるような、魅力を越えた魔力があった。蝕の絵は、麻薬だった。


蝕のショックから正気に戻った後は坂を転がり落ちるように、その時出ていた最新刊(36巻だったかな)まで一気読みした。蝕以上にショックなシーンはなかったが、ただただガッツの行く末を見届けたくて、三浦先生の絵が凄すぎてもっと見ていたいという気持ちが強くて、一心不乱に読み続けた。

(個人的には蝕以降のエピソードだとロスト・チルドレン(偽エルフの谷)の話が好きだ。エルフ女王の造詣がクリーチャーとしてクオリティが高すぎるし、女王になった女の子の親父が自分父親そっくりで「ああ、いるいる、こういうくそ野郎」「不幸な家庭があることをぼかさずに書いてくれるんだなあ」と、汚いことも忌避せずに描いてくれる姿勢に信頼が置けたからな)


やがて奨学金を借りつつも大学生になり、バイトを始め金に余裕が出てきたので、スイパラのコラボも行った。

普通なサンリオみたいな可愛いものコラボするようなところがなんでベルセルクコラボした?と思わなくもなかったし、店内にはファンシー雰囲気にはミスマッチキャプ画が張られてて一種異様空気が漂っていた。

どう見てもベルセルクファン自分場違いじゃねえか。コースターポスター目当てで行ったが終始いたたまれなかった。

注文したベヘリットチョコケーキ普通に美味かった。まあ中身スイパラだもんな。



そんなこんなでちょろちょろベルセルクコンテンツに触れたり、他の漫画アニメ浮気したりしつつ、ずっとベルセルクは続いていくんだろうな、早く次の巻出ねえかなー、でも三浦先生には無理しないでほしいしな……と思いながら、年1ペースで出る単行本を追っていた。



2018年の40巻発行から続刊の報が入らなくなって3年目。

相変わらず知り合いに「ベルセルクは良い漫画から読んでくれ、トラウマになるとは思うが読まずに人生終わるよりいいと思う」と吹き込み続けながらいつも通り41巻発行の報を待っていたある日、そのニュースは訪れた。




三浦先生、ご逝去享年54歳。




何が起こったのか全く分からなかった。職場トイレにいたのにどういうことなのか分からなくてしばらくぼうっとしていた。胸の上にどすっと重たい何かがぶつかり、心を胸の内側から弾き飛ばししまったようだった。


もうベルセルク新刊は出ないのか。もう、三浦先生のお描きになった素晴らしい新作の絵を見ることはかなわないのか。


そのことが信じられなくて逃げるように仕事に戻った。全く効率は上がらなかったが、何もしていないよりかはましだった。

けれども何をやっても三浦先生がこの世にもういらっしゃらないのだと知らされた衝撃が消えることはなくて、明日会社に行くのをやめようかと一瞬考えた。


仕事を終え、訃報を聞いてから4時間ぐらい経ったあたりで、自分もっとお金を落としていれば、先生に美味しいものを食べて気持ちよく寝てもらってと、健康的な生活を送ってもらえたのではないか自分を責める気持ちが湧いてきた。

もちろん自分高校生ときには既にベルセルクは大ヒット漫画だったし、その時点で三浦先生ポケットにはベルセルクマネーがドカドカ入っていたのだろうからファン一人がたくさんのお金をつぎこまなかったからこんなことになったというのは馬鹿げた考えだというのは分かる。

だがそんな考えが浮かんでくるぐらい、自分にとって三浦先生訃報がショックだったのだろう。


結局当日はショックを受け止めきれず、友人に話を聞いてもらった。

自分にとってベルセルクがすごく大事作品だったこと、もう二度と続きが出ないなんて信じられないこと、自分を責める気持ちになってしまたこと。拙い言葉での話だったのに、友人は最後まで黙って聴いてくれた。

それで大ベルセルク展が9月に開催されるから絶対に行こうと思っていることを伝えると、友人は穏やかにこう言った。


「そうだね。でもたぶん売り上げは関係者のところに行くと思うから、ご家族とか近しかった人に届くと思うよ」


この一言が、沈んだ心を救ってくれた。


三浦先生ご本人には届かなくても、近しい方には届くのか。

一般的に言って、亡くなった方が気がかりなのはなんといっても残された家族のことだろう。自分の金が三浦先生のご家族のところに行ってその生活に役立つというのなら、天国におられる先生安心してお休みになられることに繋がるはずだ。


ショックで放心状態になっていたが、友人のおかげで「大ベルセルク展で金を落とす」という目標ができた。


今年9月に大ベルセルク展が無事開催されたら、ガッツマウスパッドと複製原画烙印ピアスを買おうと思う。そのためにいらないものメルカリで売って、給料から天引きする形でささやかながら貯金もすることにした。三浦先生がお亡くなりになられたショックは消えたわけではないが、今から少し楽しみだ。

二次小説書いてる腐女子だけど、書きたいのに書けないのがしんどい

タイトルの通り。書きたいのに、書けないのがしんどい


今年1月に超メジャージャンルAのドドドマイナーCPの1万字の話投稿して、2ブクマ4いいね

2月落陽ジャンルBのマイナーCPSSまとめ投稿して、ブクマ1いいね0。

4月落陽ジャンルCのモブ×受の本を出して、はけたのは1冊。


完全に私の心が弱いのが問題だと思うが、この低評価三連発で心がバチボコに折れてしまった。

ジャンル自体マイナーから数字が少ないと言い聞かせるのは簡単だが、自分作品が下手くそから評価されないという可能性を捨てきれない以上、「マイナーからしょうがないじゃん」と開き直ることもできない。

評価がほしいというのなら、もっと上手い小説を書けばよかったのではなかろうか」と自分を責めるような気持ちを止められず、心が折れると同時に一旦筆を置いてしまった。


改めて自分の心を見つめ直してみると、評価がほしいというよりかは「あなたの書く小説は下手ではない」という一言がほしいのだろうな、と思ったりする。

自分としては持てる力の全てを使っていいものを書いたつもりだ。

けれどもそれを投げてみて反応が少なければ「上手いと思っているのは自分だけで、他の人にとってはただ下手な作品として映るのだろうか」という疑いを捨てきれない。

そうなると「面白い話を上手く書きたい」という、私の書く理由に対する取り組みが全部無駄になってしまったんじゃなかろうかという気持ちまで湧いてきて、どうにも次の話が書けなくなってしまっている。


また投稿して低評価になり、自分の下手さ加減が原因かもしれない事象直視するのが怖い。

情けない話だが、これが今どうしても筆が進まない理由なんだろう。


かといって、何も書かないままではどんどん腕が劣化していく。地の文必要な語彙やキャラクター性格に関する考察も頭の中からすっぽ抜けていくし、魅力的なストーリーライン日常的にネタ出しをすることを忘れてしまった脳では描くことができなくなっていく。

創作スキル筋肉と同じだ。クオリティを保ちたければ走り続けるしかない。低評価を食らったぐらいで倒れていては、本当に下手くそ文章しか書けないただの人間になってしまう。

それが分かっているのに、立ち上がることができない。私の心は恐怖という得体の知れない不安に打ち倒され、地面に横たわったままソシャゲの画面を見つめている。


心に留めている格言の中に、こんな言葉がある。

「一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに立ち上がろうとする。 並の選手は少しばかり立ち上がるのが遅い。 そして、敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである


はいつでも、創作というフィールドで一流の選手でありたいと思う。実際のスキルが一流の作者には遠く及ばなかったとしても、心意気や志といったものはそうでありたいと願っている。

自分よりも上手い作品を見たときに、妬むことも嫉むことも羨むこともなく、素直に賞賛し己の足りない部分を磨く人間でありたいと思う。

だが今の私はこの言葉区分で言えば、恐怖に負けグラウンドに横たわったままの敗者だ。

みっともないことこの上ないが、まだその恐怖にタックルする勇気が湧いてこない。横たわったままの敗者である一方で、「私も創作を始めたいか勉強する方法を教えてほしい」と言ってくれるフォロワーに自らの通った道を簡単ながら教えている。

それのなんとちぐはぐなことか。情けないことか。現役のプレイヤーでなければコーチになってはいけない道理はないが、三流の敗者が己の道を語るほど滑稽なこともなかろう。



時間を置いて心を癒せば、この上なく情熱を燃やせるような作品出会えば、あるいは誰かからあなた作品は下手ではない」と保証してもらえば、私はまた恐怖に立ち向かい新しい小説を書くことができるだろうか。

でもそうしたところで勇気が湧いてくる保証はどこにもない。いつもらえるか分からない他人言葉など、あてにするだけ愚かだ。

となると、自分の膝の上にどんと手を置いて、なんとか立ち上がるしかないのだろう。たぶん。

すりむいた傷が痛くても、それをいちいち気に留めて手当をしてくれるほど世界は優しくない。



明日くら寿司食べに行って、元気出します。読んでくれてありがとう

2021-05-22

anond:20210522155238

私は男だし、女だなんて一言も書いてないけど?

2021-05-21

anond:20210521204438

この「よく考えて?」の一言が、最強にいらっとさせられる。

おめでとう。

新幹線運転士トイレのために無断離席した話、やっぱりモヤモヤする

これがJR東海責任ていうの、ちょっと無理があるでしょ

きちんと社内規定で「体調不良時は指令に連絡」って決まってるのを

運転士個人的感情無視したって話なのに運転士は悪くないって論調はまったく同意できない

運転士が2人体制じゃないことを問題視するのもわからないではないけど、

飛行機パイロットが2人体制なのは即座に緊急着陸不能場所(洋上とか)があるからじゃないの?

新幹線なら陸路基本的に停車不可の区間ほとんどないわけだし、

交代要員がまったく呼べない環境ではないんだから、その中で2人必ず確保しろって無茶がある

駅の近くなら停車駅じゃなくても止めることはできるし、最悪駅間でも緊急停車はできるよ

まず停車させてから、次の行動に移るべきなのにそれを個人判断で怠ってるのは運転士だよ

 

入社してから何回も「危ないと思ったらまず列車抑止」と何度も教育されるのに

それを無視して指令にも申し出せず離席っていうのは同業者的にはフォローできないミスだと思ってる

お腹いから同情はするけど、本人だって『まあこのくらい誰にも気づかれないし大丈夫だろ…』って

気の緩みはあっただろうし、規程違反しても処分されないなら絶対同じように無視する人は出てくるし

結局そうやって腐っていった国鉄時代に逆戻りでしょ

これでもし事故って人死んでたら絶対みんな運転士の行動も問題だと責め立ててたと思うんだけど、

所詮は高みの見物だなあと思ってしま

東海体調不良による緊急停車は処分するなんて一言も言ってないのに、みんな妄想ですげえ叩くじゃん

それ中傷じゃないんですかね?っていう 西みたいに事実がわかってからでも遅くないでしょ

もうみんな自分の思ってるストーリーがあってそれに沿って叩いてるだけで気持ち悪いなと思う

2021-05-20

恩師の下着感謝

中学時代下着校則違反を数えて、体育祭得点から減点するという「伝統」があった。

当時は管理教育の全盛期。

下着だけでも色・形状などが細かく校則指定されていた。

悪質なのは、それを生徒同士で監視するシステムになっていたこと。

違反者は教師にチクられ、その分がのちに体育祭の持ち点から減点されるという決まりなのだ

赤組白組それぞれの減点数は日々校内で告知され、連帯責任を煽る構造ができあがっていた。

もちろん、これに反抗する生徒は多かった。

二年生のあるとき体育祭の出し物を決める学級会のなかで、この制度おかしいという話になったことがある。

「生徒だけ監視されるなんて、不公平です!」

立ち上がって先生に抗議したのは、ボス格の女子だった。

やがて「そうだ、そうだ」という声が教室のあちこちから起こる。

私たち担任はといえば、まだ若い女教師だった。

いま思えば、先生自身もこの制度おかしいと思っていたのだろう。

しかし、新人立場ゆえ学校方針に逆らうことはできなかったのだ。

すこし黙って考えたあと、彼女は落ち着いた声でこう言った。

「それでは、私の下着監視していいですよ」

この一言から先生相互監視対象に加わることになった。

問題はここからである

先生下着は、校則という狭い檻を軽々と飛びこえていった。

端的にいって、先生毎日のようにエッチ下着を履いていたのである

赤、ピンク、紫、Tバック、紐パンハイレグなど、色とりどりの大胆な校則違反によって、いままでにない大規模な減点が生み出されていった。

そして私たち生徒は、その集計に追われる日々を送ることとなった。

集計にあたっては、色や形状など要素ごとに配点が決められていたので、その日の下着をよくよく調べる必要がある。

生徒手帳を片手に、校則下着を照らし合わせていく。

たとえばレース場合は1ひだ5点の設定なのだが、先生前後に幾重にもレースの連なったピンクパンツを履いているときもあって、それを数えなければならない。

このときは最終的に84ひだで420点に決まるかと思ったのだが、その後ピンク色は減点2倍だというルール存在が判明し、結局840点という結論になった。

こうして、体育祭を迎えるころには、16450点という天文学的な減点が積み上がっていた。

さて、ここで問題になるのが、私たち先生赤組白組のどちらに属すかという問題である

この中学では、体育祭の当日まで、先生たちの赤・白は決まらないことになっていた。

事前練習中の不公平感をなくすためか、最終種目である教員リレー」のときにはじめて、赤・白がクジ引きで決定されるのである

16450点の減点は、赤組白組どちらのものとなるのか。

体育祭勝敗先生次第といっても過言ではない。

そうして迎えた10月体育祭当日である

両チームともに熱戦を繰り広げ、お互い一歩も譲らない戦いとなった。

教員リレー」の時点で、赤542点に対して白551点と、白組が優勢。

私は赤組である

この種目ですべてが決まるのだという緊張感があった。

先生はどちらのチームなのか。

入場ゲートに全校生徒の視線が集まる。

長い髪を後ろで縛り、ジャージを着てすらりと立つ先生

かぶっている帽子の色は……赤だ!

そうだ。

先生下着で一番多いのも、この鮮やかな赤色だった。

きっと、いまジャージの下に履いている下着も赤なのだろう。

先生赤組なのも必然というわけだ。

これで赤組の負けは決まってしまった。

それでも私たちは、落胆などしなかった。

先生、がんばれ!!」

声援がどこからともなく起こり、増えていった。

それはやがて大きな波となり、校庭を包み込んでいく。

私たちと一緒に下着監視しあった先生

そうして積み上げられた16450点の減点。

こうやって先生私たちに教えてくれようとしたのは、この校則不条理ではなかっただろうか。

先生リレーで勝ってもらいたい。

そうして、赤組不条理な敗北へと導いてほしい。

私たちの心は、このとき一つになっていた。

歓声の渦に包まれながら、先生は猛スピードで左コーナーを走る。

まさに瞬足だ。

……こうして赤組は「教員リレー」に勝利し、10点を獲得した。

先生の減点を加え、赤組マイナス15898点、白組551点。

赤組の敗北である

しかし、不思議と負けた感じはしなかったことを、いまでも覚えている。

それから数十年、私もいまでは大人になり、日々エッチ下着を履くようになった。

でも、あの日先生を見ていた私は、そのことを決して恥ずかしがったりしない。

いまも減点1273点の下着はいて、この文章を書いている。

舗装された道があるんだけど、そこを曲がるときに横着して芝生なんかのとこを通ってシュッていくんたけど、それをみんなでしちゃうもんだからそこの芝生がはげて道になっちゃうやつって何ていうんだっけ??このことを一言でいうやつなんだっけ???

標準語しゃべってて方言見下してるやつに文句言いたい

まれ育った土地言葉たまたま標準語だった。

それの何が偉いのか、私には分からない。


私は関東レンタルビデオ屋で働く、京都出身の女である

今日は延滞の常連のヤツがいるので電話をかけた。施工屋のオッサンだ。


「あのー、延滞の商品がございますので、本日中にご返却を」

「分かったよ!返せばいいんだろ。ったく、いちいち訛りやがって、うっとうしい」


接客という職業柄怒鳴られるのには慣れている。延滞のことででかい声を出されるのなんか日常茶飯事だ。

だが、「訛っている」というのは聞き捨てならなかった。この一言で私の殺意は頂点に達した。

延滞の電話がしつこいとキレられるならまだしも、私の話し方と延滞は何の関係もないではないか。全く関係のないことで愛する故郷を貶められるのは納得がいかない。今すぐ腹を三段に捌いて詫びてほしかったし、殺人罪に問われないのであれば首の骨をバールでへし折りたかった。


しかし一応は店員と客。適当に茶を濁して電話を切った。

訛っていることに対しては謝らなかった。理不尽な怒りに対して謝る必要がどこにあるのだろう。私は必要事柄を伝えるという仕事をしただけだ。その伝え方が相手にとって気に入らないものであろうが、そんなことは私にとっては関係ない。


しかしやはりこの客は気に入らない。全くもって気に入らない。

いくら私の故郷が夏はくそほど蒸し暑くて冬は凍える程に寒く、観光に来るところであって住むような街じゃないと罵られようと、スーパーで買い物をしようと歩道自転車を止めていたら5分で市役所迷惑駐輪として撤去されるようなところでも、この十年で観光に来るのが修学旅行生ではなく外国人観光客になり、個人旅行客で市バスパンクして歩道バス待ちの客が溢れるくせして四条以外の歩道の幅が全く広がらなかろうとも、わけのわからない景観規制のせいで中途半端な高さの格好のつかないマンションしか建たなくとも、私にとっては四季の色づく愛すべき街だ。愛おしい街だ。大切な故郷だ。


それをたかだか現在の主要都市である関東に生まれついたというだけで、見下し踏み躙るのか。東の田舎者風情の癖に、随分とまあ偉そうだこと。

半ば本気で、そう思った。


もちろん私は、こちらの言葉尊重してくれる関東の人に「東の田舎者風情が!」と思うことはない。無分別に刀を振り回しているわけではないので、そこは分かってほしい。

が、それと同時に、自分京都人から


東京からきはったん?関東訛りが抜けてはらへんから、すぐ分かったわ」


と言われたら、腹が立たないか?ということを考えてほしいだけなのだ


だいたい、標準語というくくりが私からすればよくわからない。

日本という国のくくりからすれば、標準語関東地方の一方言に過ぎない。それを「標準」などという偉そうな冠を被せたから、標準語故郷言葉というだけで特権意識を持つ頭のいかれた輩が出てくるのではないか

そんなことで特権意識を持っている輩は私からしたら、やっぱり理解不能だ。


他に誇るものがあればそれを誇ればよいものを、生まれつきの何かしらしか誇るものがないのだろうか。そんなところにしか縋るものがないから、それで人を見下さなければ自分を保てないのだろうか。

己の手で掴んだものが何もないからと生まれつきのもの他者を嘲り踏み躙るのは、あまりにも惨めで格好の悪いものだということが分からないのだろうか。


閑話休題

とりあえず、標準語話者で他の方言を「汚い日本語だ」などと見下している人は早急に考えを改めてほしい。私にバールで頭を殴られる前に。あなた言葉など、京都出身の私からすれば『関東訛り』でしかない。


他の方言のことも同じ重さを持つ言葉として見てくれている標準語話者あなたありがとう。どうかそのままでいてほしい。

そしてできたらでいいのだが、方言馬鹿にしている人がいたら「そういうのは良くない」とたしなめてほしい。人のアイデンティティ貶めるのは、誰に対しても許されない行いだから


おわり。

anond:20210520182114

中学生男子なら「成績上がったらお姉さんが筆おろししてあげる」の一言で奮起するのは間違いない

ただしお姉さんがブスだった場合を除く

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