ひとりごと。ただ書き残したくて。
高校の国語の教師で、とても熱のこもった授業をしてくださる方がいた。
言ってしまえば、好き嫌いが分かれてしまうタイプの強烈な先生だった。
わたしは理系であったが和歌が好きだったので、彼がさらさらと話す古典のエピソードを聞き逃すまいと、一生懸命だった。大ベテランの彼についていけば国語は大丈夫、と太鼓判を押してくれる先生が周囲にたくさんいて、ノート片手に先生の元へといつも通っていた。
国立を受験して、結果待ちの間の卒業式で卒アルに先生にメッセージを書いてもらいに行った。そこに書いてもらった一言は以前先生がおっしゃっていた言葉でとても大きなインパクトがあるもので。「この一言で十分だろう?」と笑いながら。本当にそれで十分だった。彼らしかった。
3月末、晴れて桜が咲き、合格の報告をした。本当に喜んでくれた。
お昼ごはん食べに行こう、と誘われたものの、外せない用事があって固辞した。
「何かあげたいけど、何もないなあ…」と悩みながら渡してくれたのはなにかの会合でもらった記念品。ちょっといいボールペンだった。ちょっといいものだからすぐ使うのはもったいない、としまいこんだ。
次に行くときにはなにか古典の勉強や好んで読んでいた作家さんの話をしようと意気込んでいた。(実際に彼が好きだった筆者の本をたくさん読んで話すために蓄えていた)
しかし、これが最後だった。4ヶ月後、突然病気で亡くなった。まさか彼が突然亡くなってしまうとは思わなくて、なんとか予定を変更すれば行けた、彼とのご飯に行けなかったことを悔やんでいる。
もっと彼の頭の中を覗いてみたかったし、古典の生き字引のような存在の彼にもっとエピソードを聞きたかった。その気持ちが止まらなくて、もらったボールペンは眠ったままだった。永遠に開けられないかと思っていた。
しかし、個人的に気落ちする出来事があって気分を変えたくて、でも落ち着きをくれるものが良かったのでいただいたボールペンを使い始めた。
それは落ち着きのある書き心地と発色で。マーカーでなぞっても滲まなくて。
もともとこのペンの所有者だった、達筆で自分の信念を絶対に曲げない彼がちらついてしまって。思わず涙がとまらなくなってしまった。
先生、お元気ですか。そちらでも古典の授業をキレキレにされてますか、わたしはのんびり大学生をしています、あなたに古典のことで聞きたいことがたくさんあるのに高校に行っても会えないのが本当に苦しいです。寂しいです。わたしがいつかあなたの元に行くとき、沢山の古典の質問を抱えていくので待っていてくださいね、そのときにお答えしてくれるのを楽しみにしています。
もらったボールペンは替えのインクがちゃんとあるらしい、よかった。ずっと使える。わたしはこのペンを使うたび、彼のことを思い出すだろう、切なくなる時もあるかもしれないし、もっと頑張れるかもしれない。これからどう感じるようになるかはわからないけど、本当にこのペンの書き心地が良すぎて手放せないことは事実。
彼がくれたボールペンはあのころのがむしゃらに頑張るわたしとそれに付き合ってくれた優しい彼も思い出させてくれて、一生の宝物になる、そう確信した。