はてなキーワード: 一言とは
政府が駄目だとして、それに代わる提言はWebからは出てきていない。
はてなも含めSNSで駄目だこりゃと言っているのは、メディアが既に「ほらこんなに酷いでしょ」というのに乗っかって「酷い」といっているだけだ。
ネットの初期のころは、政府・省庁の1次資料に当たれと言われていたが見ている人は、ほぼ居ない。
拡散されれば勝ちとなって、速報ばかり、タイトルでいかに注目させるかに最適化された。
Twitterやはてブも100字程度で良いか悪いか大喜利かになっている。
https://anond.hatelabo.jp/20200524233706
1年が経った。
"知的障害者"とは書いているものの実際には身体障害1級の認定のみを受けており、知的面では障害認定はしてもらっていない。
ただ、リハビリ施設で発達度合いを診断してもらった結果、測定不能となる程度には知的なことが何も出来ない。
好意的に見て親である我々をうっすら認識しているような気がする、という程度で当然言葉は一言も発することは出来ないしおもちゃで遊ぶなんてことも無い。
病前、ことあるごとに買い揃えたおもちゃはホコリを被っている。
もしかしたら、いつか興味を持って遊び始めるかも知れないと思うと片付けることも出来ない。
そんな状態ではあるものの、大変幸運なことに身体面において回復の兆しが見えている。
なんと歩くことができるようになった。
こうなって初めて気付いたが、この社会において"歩く"ことがどれほど難しいことなのか。
車の危険性や信号の存在は当然認識出来ない。どんなに小さくても段差を認識出来なければ躓く。
手を握りしめて半分引きずるかのようにして歩かないと安全に移動出来ない。
言い聞かせる、なんてことが出来れば良かったのだけど。
2,3歳程度ならベビーカーでもいいのではと思っていたが、どうやら車椅子に乗って明らかに障害がある様子をアピールする方が良いとのこと。
そこそこ大きい子どもがベビーカーに乗っているだけで快く思わない人間がいるらしいと聞いた。
不意に心をえぐられるような体験をする可能性を下げる努力が必要だというのはなんとも言えない気持ちになる。
練習がてらに頑張って歩いていると、子どもとただ遊ぶつもりで話しかけてくれたり手を振ってくれる人達が案外多く、優しさに嬉しくなる一方で子が何も応えられないことにいたたまれなくなる。
車椅子に乗った子どもに対して話しかけて来る人はほぼおらず、それだけで「すみません」と言わなくていいのは気を楽にしてくれる。
実際に子どもが障害者となって知ったのは、意外と行政からのサポートがあり、予想通りサポートが足りないことでもある。
特別児童扶養手当やタクシーチケット、障害者控除等といった経済的なサポートはある。
それ以外は特にない、という感想。保育園に優先して入れてくれる程度はあるのかと思っていたが、普通に落ちた。加配保育士が必要な関係もあり、難しいことは理解している。
お金を貰ったところで息子が回復するわけでもないし、仕事をやめられるほどでもない。このお金で何をしろと言うのだろうか。
さらに両親の所得がある基準を超えると減額、そして停止されるものもある。もしそうなったら何のために税金を納めているのだろうか。
写真を撮ることは格段に減った。以前の写真や動画を繰り返し見続けている。
今も心から可愛いと思っているが、あの可愛かった息子はまだ帰ってきていない。
以前の息子がそのまま成長していたらどうなっていただろうと考えるのをいまだに止められない。
来年も今と変わらず愛し続けられるだろうか。
どうか。
実家は埼玉にあるんだけど,通学に1時間半かかるから正直遠すぎて帰りたくないのね.
10-23時に研究室にいるのよ.帰ったら日付回っているのよ.帰りたくねぇよ.
でもさすがに実家があるのに一人暮らしは金銭的に許してくれなくて.
実際週2くらいで研究室に泊まって床にマットレス敷いて寝ているんだけど,正直寝心地悪いし,他の学生にも迷惑だし,お布団で寝たいのよ.
という訳で,そういう学生を住まわせたい奇特な人はいないかなぁ,という妄想.
【条件】
・めちゃくちゃ贅沢言うとシャワーも提供してくれると嬉しい.なかったら研究室のシンクを使うだけなのでまあなくてもいい.洗濯は実家でするので不要.
・私が着くのが23-2時(日による),出るのが8-9時(もっと早い時間がいいなら応相談)を許可する.
・平日に不定期に2-3回くらい勝手に入って勝手に寝て勝手に出ていく状況が理想.
・金もあまり持っていないですが出せなくもないです.月3万くらいが限度.
・その他もろもろ応相談.
書いて思ったが貸す側が得するものが一切ないな.どうしようかな.何かあるかな.
どこで募集するのが一番いいのかなぁ.
【追記】
爆サイだな?言ったな?掲示板は増田しか知らないから爆サイとはどんなものか全く知らないが,これで反応が無かったらお前のせいにするからな???
私は攻めと受けのラブラブセックスが読みたいのであって攻めとお前のラブラブセックスが読みたいわけじゃないんだわ。
BじゃないとダメなAと、AじゃないとダメなBをくっつけるABカプ推しのお人形遊びをしてるのこっちは。お前の疑似セックスにお付き合いしてるわけじゃないの。
覆いかぶさってくる攻めくんかっこいい!スキ!余裕のない攻めくんかわいい!スキ!じゃねぇよ。攻めと愛し合ってるのはお前じゃなくて受けなんだよ。攻めが覆いかぶさってる相手はお前じゃなくて受けだし、攻めの余裕を奪ってるのはお前じゃなくて受けなんだよ。分かれよ。
なんでABが読みたいのにAとBの面を借りたお前のセックスを見せられなきゃならないんだ。
キモいは主観であるので何かの主張をする際に発端となる場合だけキモいという表現を使って構わない
議論や言い合いをしてる最中でキモいという表現を使うと、理屈ではなく主観や感情を前面に出してしまってるのでその時点で議論や言い合いが成り立ちにくくなり、キモいと言った側が議論や言い合いに事実上負けてしまう
会ってる時とか折角だからお互い楽しく過ごしたいなーと思って
相手の話にも興味持って聞いてると途中で
(つかこれ会話じゃないな?相手が自分語りしてるのを私が聞いてるだけだな?)
となってくるんだよね。気づくとどっと疲れを感じてシラケる…
しかも相手も楽しくお喋りできたからって気に入ってくれたりしてでも
自分が一方的に喋ってることにずっと気付かないからさよならしかないやつ
もしかしたらこちらから自分の事を話したら聞いてくれる可能性も考えて2度目会って
相手が「こうなんだよねー」と話したらそれに一言感想を言ってから「私もこうなんですよー」と
言うのを試したら全部「ふーん」「・・・」「しかもさー(自分語り再開)」で
あー私に興味ないんだなー私を気に入ってくれてるのは自分が楽しく語れるからなんだなーと
というのが何回かあったな
LGBTやら文化の盗用やら弱者男性やら昔なら「うるせえ黙っとけ」で済んでた話しがやたらクローズアップされる昨今。
昔はさ、一言でいえば世界中が「強者たれ」で統一されていてその価値観が良くも悪くも人類を進歩させてきた。
その価値観を背景にしたときにマイノリティはマイノリティになる相応の理由あったわけ。
しかし今は誰もが「弱者に権利を」と言い、マジョリティもそれを受け入れる流れにある。
今や弱者って最強の盾で矛になってて、なんだったら日々最新の弱者ムーブをみんなが探してる。
でもさ、呼吸するだけで微生物を殺すように、誰もが何かをしたら絶対に誰かを傷つけてて日々弱者は発生してる。
傷つけられた誰かの声が大きくてみんながそれを受け入れてたら人類は進歩できなくなるじゃん。
もしかしたらこの流れって人間を観察してる高次の存在が「SNSを与えたらこの共同体がどうなっていくか、ちょっと実験しようぜ」って始めたんじゃない?
物に当たる行為が試合中の適切なアンガーマネジメントであるかのごとく正当化する評論家の口調を見て、自分もテニス界に失望した。ヨーロッパではスポーツの社会的地位が高いとされ、いくらスポーツに秀でていても社会人としての振る舞いが適正でなければ批判の対象となる、という。その中でもテニスのトッププロは社会意識が高く、しばしばその「ノーブレスオブリージュ」な振る舞いが例に挙がるくらい「スポーツ界の優等生」なのだというイメージがあった。だが、この件でそれが「勘違いした貴族意識」なのではないかとさえ思わされた。
「物に魂が籠もる」というのは、決してメジャーではない勝手な信仰に過ぎないのかもしれない。だが一方で、「金さえ払えば好きにしていい」という考えがメジャーなものだとも思わない。一流の料理人は、客が金さえ払えば自分の渾身の一皿を床にぶちまけられても平然と対応するべきか? 一流の家具職人は、客が金さえ払えば全力で作った家具を落下実験に使われても平気か? それでいいなら、テニスのトッププロとやらは、自分らが命を賭けて戦った大会の映像を使ってネタ動画作られても、一言の文句を言う資格もないことになるだろう。
何かを壊したいのなら、最初から自分で土をこねて焼き物でも作ってそれをベンチに置いておけと思う。別に彼女に限った話ではない。そもそもラケットを壊すな。少なくとも人の見本になろうとする人間の振る舞いとして、それは見苦しいことこの上ない所行である。
好きなクリエイターにお金払ってリクエストで作品を作ってもらう、いわゆるコミッションというものが好きで、今までに何人かの人にお願いしてる。自分が求めてたものを作ってもらえるのって最高だ。
でも、あるクリエイターさん(これまでにたくさん作品を作っていてその分野では無名ではない)に3年前にコミッションを依頼して、今連絡が取れなくなっている。2019年まではメールの返信もあったけど、今は繰り返しメールを送ってても返信なし。でもその人はSNSは月一以上のペースで更新してる。それじゃあと思ってSNSの個別メッセージに連絡入れても音沙汰なし。
どうしたもんかなあと思っていたら、最近長文の投稿があった。要約すると「たくさん締切があって肉体的精神的にも追い込まれた。自分の時間が全然取れていない。重要なのはセルフケアだとやっと気づいた」みたいな感じ。
確かにたくさん仕事あって忙しそうだしお大事に……とは思うけど、一言でもメール送れないもの?SNSの更新の片手間でもいいからメール返して欲しい……安くないお金を前払いで払ってるから不安になる。「お忙しいのは承知しておりますが、大雑把で大丈夫ですのでいつくらいに仕上がるのか予定を教えていただけますでしょうか?それとも、返金していただいてお取引を白紙に戻したほうがよろしいでしょうか?」って聞き方悪かった?
なんか今はこの状態でメール送っても追い討ちっぽくて送れない気がする……こういうの別のクリエイターさんでも1件あって未だにお金も戻ってこないし、作品も手元に来ない。
こういうのどうしたら解決できる??
もう私にはわからない。
【追記】
これ海外のクリエイターに頼んでる話なんだけど、仲介の事務局も本当にあてにならない。
納期が遅れてても、こっちが連絡しない限り向こうからは言ってこない。
定期的にこっちから「この件どうなりました?」って連絡してて、最近やっと「スタッフに確認したところ、ちょうど最近作品が仕上がって事務局に納品されていたようです。これから送ります」っていう返信がもらえた案件もある。
この一言で、増田とは見ている物がまったく違うんだなとわかった。
そんなテーマ、俺は1ミリも感じやしなかったよ。俺にとっちゃ、持たざる者がカブという何かを手に入れた話なわけで。
第一話からそうだったよ。不快な静寂の中、画面は白黒に近い彩度で、小熊という女子高生がレトルト食品をむしゃむしゃと食べている。美味しいでもなく不味いでもなく、無表情で食べているだけ。生きているというより、社会のルールに則ることで生かされている、そんな無欲さを表すような描写。だけど小熊がスーパーカブに乗る時だけ画面は色づき始める。あれは、小熊の欲望そのものなんだよな。
カブに乗り始めた小熊は、まずはお金を欲しがる(バイト)。そして、友情を欲しがる(二ケツ)。
なので、カブを通じて己の欲望に目覚め始めた小熊が、やがて反社会的になっていくのは、すごく納得がいくんだよね。
別に「スローガンは論理的に正しくあるべき」なんて一言も言っていませんよ、他の方が言ったかもしれませんけど。
論理とはあくまでも前提から演繹されるルールでしかありませんが、スローガンはその前提そのものともいえるものなのでそれ以上のことは言えないのではないでしょうか。
またお前か、って思われるだろうけど、滅多に増田に書かないから許して。
私が言ったんじゃないのです。ネットで情報を拾い集めている最中に、私でない反ホロコースト否定論ぽい意見を見つけて、その人が言ってたのです。その人曰く、いろんな証拠を示しても、例えば「イェーガー報告書」というリトアニアでのユダヤ人虐殺を報告する文書があるのですけど、あるネット否定派はこう言ったそうです、「そんなものタイプライターがあれば捏造できる」って。
イェーガー報告書って、旧ソ連が持ってたのですけど何故か、ニュルンベルク裁判には提出されなかった証拠でして、1963年になって初めてドイツに公開されたものなのです。なぜそんなに遅くになって? というのは、詳細は知りませんけど、一説によれば旧ソ連って特にスターリン時代がそうなんですけど、「ユダヤ人が虐殺された」って主張するのを嫌がったのです(なのでアウシュヴィッツ博物館の犠牲者数400万人を刻んでいた石碑には、ユダヤ人とは一言も書いていませんでした。現在の石碑は冷戦後に修正されて150万人(ユダヤ人犠牲者数は110万人)になっています)。イェーガー報告書はまさにそのユダヤ人を集中的に殺戮して、「ユダヤ人をもっと殺したかった」のようなことまで書いてある報告書なので、旧ソはあまり出したくなかったのではないかと。そうした出自を考えれば、捏造される事はあり得ないのですが、否定論者にとっては非常にまずい報告書なので、どうにかして捏造ということにしたいわけです。
しかし、いくら何でも「タイプライターがあれば捏造できる」とか、めちゃくちゃにも程があります。そんなこと言い出したら、世に存在するありとあらゆる文書は捏造の可能性があり信用出来ない、とまで言えてしまいます。これでは、デカルトが方法的懐疑でやった「悪魔に騙されているかもしれない」レベルにまで至ってしまい、議論にすらなりません。
ネットで話題の「陰謀論チャート」を徹底解説&日本語訳してみた | ハーバー・ビジネス・オンライン
「我々は(陰謀組織に)騙されている」のようなのが陰謀論の一つの特徴ですので、ホロコーストの場合は連合国であるとかユダヤ人であるとかですから、十分すぎる程陰謀論です。ちなみにですけど、よくある「でも600万人は多すぎだろ、絶対盛ってるに違いない」と言った主張も陰謀論に含まれます。何故なら、600万人説は純粋に調査組織や研究者たちが独立して調査した値で、それら値が概ね同じになってるだけだからです。これも素人なりに調べているとわかります。大体で少なくとも500万人以上はユダヤ人犠牲者がいないと計算が合いません。何れにしても、「盛ってる」ならば、そうした研究を裏で操っている(私もか?w)人がいるという示唆なのですから、結局それも陰謀論になってしまいます。「盛ってる」的批判は戦後割とすぐぐらいから予測済みだったようで、ジェラルド・ライトリンガーという1950年代の研究者は、可能な限り低く見積もって450万人程度のユダヤ人犠牲者数を主張しました。
ともかく、ホロコーストには裁判でも膨大な証言もありますし証拠文書なども提出されてますし、裁判以外でも同様に証言・証拠などもあるので、それらを全部否定しないことにはホロコースト否定は成り立たず、結局、陰謀に見立てなければならなくなります。そうするととんでもない話になっていきます。
これの例を挙げると本当にキリがないのですが、例えば、ユダヤ人世界人口の推移を見ると少しわかります。
1880 7,800,000
1914 13,500,000
1922 14,400,000
1925 14,800,000
1931 15,700,000
1939 16,728,000
1945 11,000,000
1948 11,500,000
1950 11,297,000
1955 11,800,000
1960 12,079,000
1970 12,585,000
1980 12,819,000
1990 12,868,000
2000 13,150,000
2010 13,854,000
2018 14,606,000
2019 14,707,400
Vital Statistics: Jewish Population of the World
ホロコースト否定論者によれば、ホロコーストの600万人ユダヤ人虐殺は起きていないので、今もなおこのユダヤ人世界人口は捏造されているという話になってしまいます。確かに、この値は研究者によって調整されたものであり、1945年などは特に終戦年でもあってセンサスデータなどありませんから戦前の値からユダヤ人消失数の推定値である約600万人程度を差し引いて、切りのいい1100万人にしている可能性がありますが、1947年くらいからはセンサスが始まっており、それらの調査データを用いていると考えられるので、このように2019年に至っても戦前人口を回復していないのであれば、延々と捏造がなされていることになってしまいます(グラフ化すると何を言っているのか一目瞭然です)。
戦前の値は、戦前の書籍などに記述があるため、ホロコーストが起きていない時期の人口数は捏造のしようがありません。さらに実際には、ユダヤ人世界人口は細かい国や地域ごとの値を積算したものであり、ユダヤ人世界人口を捏造しようとするとそれら細かなデータの整合性を取る必要があり、不自然な人口推移にならないようにしなければなりません。例えば、アメリカユダヤ人人口が戦後に一気に500万人減るなどという事は不自然過ぎてあってはならないわけです。しかも、ユダヤ人人口の細かな数値は、各地のシナゴーグやあるいは役所が持っていたりするので、それらの辻褄さえ合わせなければならなくなり、はっきり言って人口数値合わせの陰謀だけで気が遠くなります。
なお、古くは一部のリビジョニストが「ユダヤ人はソ連に囚われている!」とバビロン捕囚のように言っていたようですが、冷戦が終わってもそれらユダヤ人は全く現れませんでしたので、残る主張は「ソ連が殺したんだ!」となりますが、もちろんそんなの何の証拠もありません。付け加えると、もし仮にそうした主張の通りにソ連がユダヤ人を隠していたのなら、「ユダヤ人を隠していた」のですからそもそも人口数値は捏造されておらず、発表されてきた人口数値は普通に合っていたことになります。ちなみにソ連に普通に住んでいたユダヤ人は戦後にどんどんイスラエルに移住が進んだのは周知の事実であり、人口推移的にも完全に裏付けられていて不自然な点は全くありません。
ホロコースト否定派の大難問:一体ユダヤ人はどこに行ってしまったのか?|蜻蛉|note
こうした証拠がらみの荒唐無稽な捏造話もあれば、どうでもいいようなところにまで捏造は行き渡っています。例えば、私は『アウシュヴィッツの子供たち』という本を持ってますが、これはアウシュヴィッツを奇跡的に生き抜いて生存者となった何人かの子供の足跡を追って本人にインタビューするなどしてまとめた本ですが、ごく普通に「ガス室」の話が書いてあります。子供たちだった人たちは普通に色々な形でガス室の話をするのです。ホロコーストに関連する本を出版する際には、ユダヤ人陰謀組織のチェックを経て「ありもしないガス室の話」を記述するように変更を迫られるのでしょうか?
あるいはまた、戦時中に、アウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスを告発したある文書があるのですが、ルドルフ・ヘスが囚人の女性の一人を愛人として収容所内に囲っていた、というものでその話は非常に下衆なのですけど、それはさておき、その文書の中にたった一箇所だけ「ガス室」の話がサラッとフツーに出てくるのです。その囚人の女性が他の囚人と混ぜられてガス室送りにされそうになった、という話なのですけど、別にガス室を証明する証拠資料でもなんでもありません。そんな細かいところにまで陰謀組織は目が行き届いているのでしょうか?
アウシュヴィッツの様々な議論(18):ルドルフ・ヘスの不倫・愛人問題と戦時中に書かれた「ガス室」。|蜻蛉|note
あと、今思い出したのですけど、ニュルンベルク裁判以降も、ナチス犯罪関連裁判は近年まで数多く行われておりますが、ガス室を否定した証言者や被告は一人もいないのです。「知らない」と言った人はそこそこいますが、「ガス室などなかった」と言った人は本当に一人もいません。例えば1960年代に当時の西ドイツで行われたフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判がありますが、250名以上の証言者や被告が出席して、ガス室を否定した人はゼロなのです。99%が伝聞ないしは直接目撃者として肯定的に証言しており、残りが「知らない」だけなのです。これも、否定論者によれば陰謀だと思いますので、多分全員が脅迫されているか金もらってるかだと思われます。もちろん積極的に証言した人たちの話が辻褄が合うようにきちっと細かくサポートされているでしょう。そしてそうした陰謀者の働きが暴露されたことはこれまでないので、陰謀組織は素晴らしい働きをしていることになります。一体それどんな凄腕陰謀組織???
アウシュヴィッツのガス処刑を否定した人は当時の関係者にいるのか?|蜻蛉|note
というわけでホロコースト否定論者のいう通りであるならば、こんな荒唐無稽な陰謀話が数限りなくあることになってしまうわけです。否定論者にとっては600万人虐殺や、ガス室は絶対になかったことと決まっているので、それらの全てについてこうした荒唐無稽な陰謀を蔓延らさなければなりません。しかし、ホロコースト否定論者はその荒唐無稽さを言い立てることはありません。陰謀だから全ては可能!なのでしょう。
えー、例外なく、陰謀論者でした。出会った全員に確認したわけではありませんが、確認が取れた人は全員、反ワクチン派、または、9.11テロは陰謀、または、例の大統領選は不正なのだそうです(どれか二つ以上です)。流石にフラットアース信者はいませんでしたが。
で、それ以外の特徴としては、その全員が、非常に自意識過剰というか、尊大な態度を取られました。どう考えても、自分でこう言っちゃなんですけど、明らかにホロコースト関連議論では私の方がはるかに知識が豊富なのは明らかなのに、私をバカ扱いするのです。もちろん私の妄想が入ってるとは思いますが、どう考えても、ディスプレイの向こう側でニヤついている否定者の顔しか思い浮かびませんでした。ある人は、コロナワクチンについて「君はあんなの打つ気なのか? バカじゃないの?」とまで言い放ちました。打つ・打たないがその人の価値を決めるわけではないと思いますが、私は正直内心で「じゃぁさっさとコロナに罹って治療も受けずに死ねばいいのに」とまで思ってしまいました。その人は例外的かもしれませんけど、あの陰謀論者の独特な上から目線は、他のタイプの論争議論では見られないものです。昔ですけど、ある有名な新興宗教の信者とやり合った経験がありますけど、それと似ています。どうやら彼ら・彼女らにとって「陰謀」こそ宗教なのだと思います。彼ら・彼女らにとっては「陰謀」への揺るぎない信仰があるので、自分たちは絶対に間違っていないという確固たる自信を保てるに違いありません。
そんなホロコースト否定者さんたちは、あなたの知らない世界かも知れませんが、欧米ほどではないと思いますけど日本人にもめっっっっっっっっっちゃ多いですよ。
おっと、特徴で言い忘れてはいけない。ホロコースト否定者って「凄まじい馬鹿」であることは疑いようがありませんです、はい。増田にも何人かいる、と思われますケド。
実際そうなんです。否定ではなく普通にホロコーストそれ自体に興味を持つ人は結構いらっしゃいます。やはりそれなりに人気コンテンツ的なテーマだからでしょう。ですが、必ずと言っていいほど、例えばYouTubeにホロコースト関連動画があると、コメント欄に否定者のコメントがつきます。酷い時には大半が否定者のコメントになったりします。『否定と肯定』の予告編動画なんかがありますけど、かなり酷いですよ。Youtubeにはそうした人向けに人気を博している『ホロコースト論争』なる否定論そのものの動画チャンネルもあり、これがまた素人目には良くできてるように見えてしまうので、もしかして一定程度否定者を増やしている気配があります。内容は酷いんですよ、実際。欧米では使い古された否定論の焼き直しみたいな構成でしかなくって、オリジナリティの欠片もありません。でもYouTubeですからねぇ、信者がつくんです。ちなみに私は、いくつかコメントしましたけど、動画主にコメントブロックされてしまいましたw
ともあれ、そうした状況のコメント欄にはちらほら「否定論酷いなぁ」的コメントをする人も見かけます。Amazonプライムに『アウシュビッツ ナチスとホロコースト』ってBBC動画シリーズがあるんですけど、そこに秀逸な修正主義レビューに対する反論レビューがあって、今のところ「参考になった」数でトップを走っています。Amazonレビューであんな長いレビュー見たことないですけど、修正主義的レビューを完全に論破しているという興味深いレビューです。「参考になった」数でトップってことは、それくらい修正主義的レビューが迷惑がられてるってことだと思います。Twitterで流れてきたあるツイートには、「修正主義が完全論破されててスキッとした」というコメントさえ見たことあります。同動画のレビュー欄にも「修正主義のレビューはAmazonが責任を持って削除すべき」とレビューする人もいます。
私自身は、言論の自由が保たれている方がいいと思っているので、あっても別に構わないと思ってますけど、日本はホロコーストの情報があまりに少なすぎるのとあまり関心がないのとが合わさって、申し訳ない言い方だけど、無知な人が大半なのである程度は否定論に傾倒してもやむを得ない面もある気もします。でも、ちょっと知るだけで、ホロコーストへの懐疑がどれほど荒唐無稽なことであるかがわかるので、少しは勉強して欲しいなぁと思ってます。舐めんなよ!ホロコーストを!どんだけ膨大な情報量だと思ってんだ!どんだけ学んでも知らんことだらけじゃ!ゴルァ!ってなもんです。
せめて、中公新書の芝健介氏による『ホロコースト ナチスのユダヤ人大量虐殺の全貌』程度はパラパラめくってくれたらなぁと思います。
単純な話ですけど、陰謀って「バレないように」企てられ密かに実行されるものであるはずなのに、なんでそんなにあっさり「陰謀だー!」と発覚するんでしょうね? ・・・ああそっか、それで陰謀論者はあんなに超上から目線なんですね、「私たちこそ世界の真実を知っている優秀で選ばれた人間なのだ!」と多分思い込んでいるに違いありません。ああそうだ、9.11テロを陰謀だと言っている人に聞いたんですよ、「ビルに飛行機が衝突しただけであんな崩れ方はしない!」って仰るんで、それどこで見たんですか? って聞いたら「テレビで」って・・・。てめーら、テレビとかは陰謀の片棒担いでるマスゴミじゃなかったのかよー!w
id:daydollarbotch 「タイプライターがあれば捏造できる」に対しての「そんなこと言い出したら〜」がよく分からない。こっちの増田https://anond.hatelabo.jp/20201008002119で書いてたような何らかの文脈があるんだと思うけど
そのその増田を書いた頃より、知識は相当増えてるので、それはちょっと気恥ずかしいものがありますが、グリクシュ報告書の場合はその文書それ自体を徹底的に検証してあることを無視して「捏造」と言うのはおかしいと言う趣旨でしたが、イェーガー報告書はちょっと違います。ていうか否定者のいう捏造主張全般ですけど、この主張には大きく二つ問題があります。
結局のところ二次創作はジャンルとしてはもっぱら「恋愛小説」なので、例えば冒険とかアクションとかミステリーとかそういうのはあまり求められていないかもしれない。
たとえばONE PIECE(冒険バトルもの)とかるろうに剣心(時代劇、剣戟アクション)とかの二次創作でも原作の主題抜きに、読み手は恋愛が読みたいのね。なぜなら原作では恋愛こそオマケでそれを詳細に描写する暇がないのだから。
二次創作では、原作の行間を埋めるお話が求められる。原作のアナザーストーリーを展開するのは、原作同様、話のテンポをよくするためにキャラの日常や人間関係の描写を犠牲にしなくてはならないので、読者のニーズは満たせない。
それに、物語を展開させると、どうしてもストーリーの面白さの為に原作から逸脱させないといけなくなるのだが、そうするともうそれは二次創作とは言えなくなるじゃん? そういうのが上手い字書きもいるけど、小説は漫画と違って絵で二次創作であることを示せないから、読者はなんか違うもの読まされてるって思ってしまう。
また、キャラぶれが生じ易いのも問題。登場人物の人間性は、たった一言、たったひとつの動作で大きく変化する可能性がある。オリジナル小説だったら、キャラぶれをするに任せて後のストーリー展開まで方針変換をすることもできるけど、二次創作でそんなことをすると「飛影はそんなこと言わない」という大事故を起こして顰蹙を買う。
文章が長くなればなるほど、物語が進めば進むほど、キャラぶれは起こり易くなるもの。むしろキャラの変化を楽しむのが小説の醍醐味のひとつであると思えば、二次創作小説で長編小説を書くのはかなり難しいと思う。できなくはないけど、かなりの技量が要る。
という訳で、読んでもらいたいなら諦めて恋愛小説として二次創作を書くのがおすすめだね。物語を書くのが諦められないなら、思いきって一次創作に転向して、なろうやカクヨムで書こうか。
だがしかし! 世はキャラ萌え時代というかなんというか、ストーリーの面白さだけを追求してもなかなか読者は食いついてくれないので、それなりユニークで愛されるキャラ作りをしなきゃいけないのだが、文章だけで愛されキャラを描くというのはなかなか至難の技である……。
商業BL小説の大人気タイトル。BLは少女漫画から派生したジャンルだと、凪良先生はAbemaTVの何かの番組で仰っていたのだけど、その言葉通りに恋愛漫画定番のネタを次々とくり出してくるのだが、それがどれも「そう来たか」とクスリと笑ってしまうような斬新な描写のされかた。糞ベタなネタでも書きようによってはこんなに面白いし萌えるという見本。登場人物の心理描写も秀逸でキャラが立ってるので、またこの主人公達に会いたいと思い再読してしまうのである。
『幽遊白書』(冨樫義博)の二次創作漫画。漫画家 榎本ナリコがプロになる前に野火ノビタ名義で書いていた同人誌の再録。ちなみに第1巻は『新世紀エヴァンゲリオン』の二次創作で、第3巻には幽白二次漫画をオリジナルに焼き直した作品が収録されているはず。私の小説が確かならば。
そもそも原作『幽遊白書』は、ストーリーの為に人間関係の描写を惜しげもなく切り捨てつつ、確かにそこにはキャラ同士の確かなリレーションシップが存在するというのを端的に描写した点が秀逸。二次創作のし甲斐のあるコンテンツなのである。
本書はそんな幽白の二次創作であるのだが、漫画という表現方法の強みを存分に活かして無茶苦茶をやっている(誉め言葉)。
特に飛影の人物描写がかなり思いきっていて「飛影はそんなこと言わない」の連発なのだが、絵が飛影なんだから飛影だよな(絵柄もだいぶ独創的なので、ツンツン頭やあの服装で飛影だとやっとわかるくらい。)……と思いつつ読んでみれば、思わぬ所ですごく飛影みのある描写を差し込んでくるので、驚嘆させられる。
メインカップリングの蔵馬×飛影が振り切っているのに対して、蔵馬と海藤の会話は原作に非常に忠実で、再現力がすごすぎてすごい。
収録されている『宇宙士官候補生』は蔵馬と飛影のその後ifを描いたSF作品なのだが、そこまでやる!? って感じのオリジナリティの高い漫画である。オリジナルでやれったって、主人公達が蔵馬と飛影じゃないと何だか分からない話になっている。ベタな恋愛コメディ同人に食傷した上級者向け。蔵飛ラブラブやおい漫画大隆盛という背景事情あってこその、切ない物語。
KADOKAWAから出版されているので「商業BL」の括りには入らないのだが、中身は実質主人公総受けBL。
主人公は、男性カップル専用一見さんお断り連れ込み宿の長男坊、という萌える設定だったのに、なんと、シリーズ第二作目にして、早くもその美味しい設定はカットされてしまう! 江戸情緒の残る怪しい宿屋での情事はどこへ。以降はそんな設定などなかったかのように、作者独特の世界に読者は引摺り込まれていく。これはこれで面白いけど、なんか違う所来ちゃった感。面白いけど。
設定にホイホイされて寄ってきた読者達にど派手な裏切りをかましてマイワールドに引きずり込むなどという暴挙が許されるのはプロの小説家だけ、という見本。