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おい、文章なげーんだよチー牛!と言われる前にポイントを書く。
・曖昧な概念で社会的弱者を生み出し、強者が弱者を叩く弱いものイジメの構図が平然とまかり通っていること
・ルッキズムに基づいた弱者のイメージは商業主義において利用されやすく、チー牛顔に限らず今後も資本家による弱者イメージの流布・それを利用したビジネスが展開され経済的搾取を招きやすい
チー牛に限らず、大衆にとって"叩いて良い対象"となったものは相手が人間だろうと平然と"リンチ"のような誹謗中傷が行われてきた。
しかしチー牛はそれらとは大きく異なる。チー牛男性というあの一枚絵に象徴されただけの曖昧な概念であり、一個人や団体ではない。
では概念を叩いているのか?それは違う。叩きたい人がチー牛男性という概念を引用し、社会的弱者として扱い叩く。ここにチー牛叩きの問題の本質がある。
真の問題はチー牛という概念でも、ルッキズム至上主義でもなく、社会的弱者を誰でも簡単に作り出すことができ、レッテル貼りによるリンチが平然と横行している点だ。
そしてもはやチー牛という概念を使ったリンチはネットに留まらず、現実の社会においても表出しつつある。
やがては子供、学校社会にも影響するだろう。子供はコミュニケーション能力が成熟していないし、キャッチーなワードに引かれやすいのでチー牛が合言葉のようにイジメのキーワードになっても何ら不思議ではない。
ここまで書けばもう理解していただけるだろう。「なぜイジメがダメなのか」を一から説明しなくとも、曖昧な概念によるレッテル貼りで誰かを叩くというのは誰でも被害者になり得るし、加害者が許されて良い理屈はないことは自明である。芸能人叩きでも、学校、会社のイジメでも自殺という最悪な結末によって事が収まる事があるように、チー牛叩きから人が死ぬこともあり得るのだ。
全く別の観点での問題がある。ルッキズムに基いた社会的イメージというものは「簡単に作り出せてしまう」ということである。
ファッションが分かりやすいだろう、「今年のトレンドは〇〇」のように多くのメディア、企業によって簡単にイメージというのは作り出せてしまう。
恐らく直近数年以内に、「脱チー牛」を促すための邪悪な広告がメンズサロンか、美容院か、美容外科か、出てくるだろう。
ではその流れが終わったらどうなるか?
チー牛効果で商売が繁盛すると分かれば次の弱者のイメージを作り出し、それをネタにまたビジネスをすれば良い。美容系でなくとも、一時期バリバリ財布がネタにされたように何かを貶す風潮さえできればそれがお金になるのだ。そうして企業による不安を食い物にした経済的搾取を受けるのは一般人である。
どちらの問題もチー牛男性叩きに限った話ではなく、過去似たような社会潮流はあるだろう。
この文章で伝えたいのは「強者側に回りたい人間の私利私欲に加担してはならない」ということだ。あなたが安易に加担してしまうことで被害を受ける人が生まれるし、あなたが被害を受けない保証はない。ちょっと叩きたい、馬鹿にしたい人がいたとしても、その小さな悪意の集合体が呼び起こす邪悪について、今一度立ち止まって考えて欲しいものだ。
https://www.sankei.com/article/20240430-IRGZ5336PRCMFLQGJCIBE6IEPU/
一部、ネットで『間違った』『申し訳なかった』というコメントを掲載した所もあったが、これだけ騒がせたのだ。本来草津町に来て謝るべきではないか。寄ってたかって叩いておいて、都合が悪くなると逃げだして…。
草津町長が謝るべきとしているのはどのような人たちなのだろうか。草津町長の心中はわからないが、草津町長や町民に対してネガティブな発言をした事例を備忘録として記録しておこうと思う。
(朝日新聞、ガーディアン、ニューヨーク・タイムズ、フランス24)
https://www.asahi.com/sp/articles/ASNDL3DYBNDKUTIL060.html
◯英ガーディアンはリコール成立2日後の8日、「日本のある町で、唯一の女性議員が性暴力で町長を告発し、追い出される」という見出しの記事を配信した。
◯米ニューヨーク・タイムズは9日、「彼女は町長を性暴力で訴え、町は彼女を攻撃した」との見出しをつけた記事を配信。
◯仏ニュースメディア「フランス24」も(略)新井氏の支持者などから「セカンドレイプ」だと懸念する声が上がっていることを報じた。
(アエラ(朝日新聞社))
(ハーバービジネスオンライン)
セカンドレイプ上等で、神聖なる温泉の壁にまで堂々と実名入りのポスターを貼る始末。草津温泉は、いつから「ミソジニーの湯」になってしまったのでしょうか。
日本共産党
「日本共産党は、今回の草津町議会でのリコールには反対の態度です。また地方議会での少数者の排除やあらゆるハラスメントを許さない立場を貫いてまいります」というコメントを発表しました。
(明日の自由を守る若手弁護士の会/あすわか@asuno_jiyuu(共産党山添拓参議院議員も所属する共産党系弁護士団体))
(bioより)
差別はあらゆる暴力の温床であり、戦争の温床です。暴力を許さず、平和を希求し、戦争に反対するなら、唾棄すべき差別・優生思想に対して「なにがなんでも許さない」毅然な態度と抗議を続けましょう。差別されヘイトされた当事者だけが叫んでも、差別はなくなりません。傍観は、黙認です。
草津町への誹謗中傷とオープンレターと「差別的言動を生み出す文化」 (https://anond.hatelabo.jp/20231104225250)
#草津温泉には行かない
↓
司法の場で適切な裁きがあることを信じ見守っています。冤罪があるならば晴れるといいですね。
草津、イプセンの『民衆の敵』じゃん(地元の温泉に都合の悪い事実を公表しようとした科学者が、貴の町長の画策で「民衆の敵」認定される)。
↓
↓
https://togetter.com/li/2273978
https://togetter.com/li/2273498
(人権団体spring)
※このデモの参加者としてspringのほか、共産党、社民党など
(ポルノ・買春問題研究会)
the town mayor sexually assaulted... Arai Shouko
He had a history of similar offences
草津町長がこの中の、またこの中には含まれていない無数の発言のうち、どの程度を念頭においているのかはわからない。
しかし、一方的な、それも極めて大きな被害を受けた被害者である草津町長が、単に謝罪撤回だけではなく、「本来草津町に来て謝るべきではないか。」と言っている以上、心当たりがある者はそのとおりに行動すべきだと思うのだが。
また、これは「誠意持って謝罪すれば受け入れるよ」との草津町長のポーズでもある。
被害者の立場に立って相手を失職まで追い込む昨今のリベラルによるキャンセルカルチャーよりもよっぽど理性的な対応で好ましく思う。(これって何通でもオープンレターを出せたよね?それをしないだけでも極めて穏当)
まさに。何故かオープンレター関係者と草津町へのネガティブ発言していた人はかなり重なっているが、「中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択」(オープンレターより)を取ることができるかな?注目したい。
関係ないオープンレターを持ち出してまた呉座氏を辱めるの趣味悪いよね。草津の問題は草津の問題として論ずれば呉座氏も誹謗中傷してしまった過去を思い出して居心地悪いことにならないのに。
オープンレターって「私たちは、研究・教育・言論・メディアにかかわる者として、同じ営みにかかわるすべての人に向け、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけ」(オープンレターより)てたんだよね?
今回、まさに「中傷を生み出す文化」が見られ、しかもそれを実行した人達の中に多くのオープンレター関係者がいたわけだ。
関係ないわけないよね。
性加害においては男性の信頼が地に落ちてるせいでこうなっている側面があり、それとは別に町長の名誉既存の回復は必要で、そう踏み込んだ内容なら万人に受け入れられるんだから。
今回の町長の被害と男性の信頼が地に落ちてることは無関係なんだよなぁ。
旧日本軍は経済統制団体無視して、勝手に物資を流通させて儲けていたという事実があった
そのことがバレるリンクを、ナニカ組がこっそり外そうとしていた
それでゆるい編集合戦になっていた
しかし法務系の言葉遣いの人物( 「「防衛食容器」の作者)が記事引用方法が誤りだという理由でこれを削除し、さらに誰かが「小沢専七郎」の字で新記事を作ったのだ
この戦争物資屋は、稚内の広大な土地を(基地用に?)確保していたり
226事件に関わった旅館を潰したりしている(跡地は今アメリカのプルデンシャル生命の建物がドーンと立っている)
結局、軍部と法務団体が、どこかの国のエージェントだったのだろう
そして、226事件は英米ソにとって都合が悪かったということがわかる
→多数が死刑になったのは、北一暉が批判していたユダヤ系ソ連人のヨッフェ(弟の北昤吉の知人だったらしい)が手を回した可能性もあるし、小山松吉のようなソ連派法曹もいた
ポイントは、クソメディアは戦後長い間、226事件を悪いクーデターのように書き立てていたということかな(軍政を敷いた斎藤実が暗殺されたクーデターだったのにだ)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.4gamer.net/games/049/G004996/20240425020/
TriQ いくらでも語ってもらうのは結構なんだけど一応ゲーム系メディアなんだから年齢制限破って遊んでましたを屈託なく言うのはやめようよ
事件や事故の名称+「当時」とかのワードで検索かけでもしたら、
検索結果のトップから軽く100本はテレビ局や新聞社の公式チャンネルの動画に占領されるからそうでない動画にぱっとたどり着くことがほぼ不可能なようにされている
おまけにYouTubeは商売上の理由で、ユーザーの好みで特定のチャンネルを検索結果に表示しないようにするブロック機能的な設定をできるようになっていないので、このメディア公式チャンネル検索結果占領問題を解決する手段が現状存在しない(特にアプリのYouTubeでは)
マスコミや芸能事務所や大企業の公式チャンネルにどうやっても検索上位を占領される仕様が変わらないのなら、テレビがYouTubeという器を通して好きな時に寝転がりながら観れるようになっただけで、YouTubeが結局テレビにされちゃってるのではないか
芸術作品には、そのメディア特有の表現を駆使し、他のメディアでは再現できないような唯一無二の体験を観客や鑑賞者に提供することを目指したものがあります。このような作品は、そのメディアの可能性を最大限に引き出し、芸術としての価値を高めるでしょう。
例えば、絵画であればキャンバスや画材の特性を活かした表現、彫刻であれば素材や造形の特徴を活かした表現、音楽であれば楽器や作曲技法を駆使した表現など、それぞれにしかできない表現があります。このような作品は、そのメディアの特徴を深く理解し、表現の可能性を追求した芸術家によって生み出されます。
一方、商業的に成功を収める作品には、メディアミックスがしやすいという特徴があります。メディアミックスとは、一つの作品や物語を複数のメディアで展開することです。例えば、小説が映画化や漫画化され、さらにゲームやアニメなど様々な形で展開されることがあります。
このような作品は、元となる物語やキャラクターの魅力を幅広いメディアで伝えることができ、より多くのファンを獲得することができます。また、複数のメディアで展開することで、それぞれのメディアの特徴を活かした表現を楽しむこともできます。
芸術作品において、そのメディア特有の表現を追求することは重要です。絵画、彫刻、音楽など、それぞれにしかできない表現を極めることで、芸術としての価値が高まります。一方、商業的な成功を目指す作品では、メディアミックスがしやすいことが重要となります。小説や映画などを複数のメディアで展開することで、より多くのファンを獲得することができます。
このように、芸術作品と商業的作品は、それぞれに異なる価値観や目的を持っています。そのため、良い芸術作品と売れる作品は、決定的に異なるものとなってしまうのです。
HoYoFairチャンネルだから外部アーティストによる公式コラボ的な感じのもんだが一本の動画として洒脱な作りで、予算…いや気合が違うわ
5組の中で2組日本からH ZETTRIOと大橋トリオが参加してたのも偉いわね
いやーこんなこともあろうかといいイヤホン買っておいてよかった
中価格機からは低域中域高域どれも抜かりなく解像度や響きが一定水準あるようになる
最近は平面駆動が流行ってたし骨伝導ユニット入ハイブリットも流行の兆しがあるけど
やっぱ1DD+4BAが鉄板の隙のなさだわ
それはさておき、このイベントページにあるカクテルレシピに添えられたフレーバーテキスト
https://act.hoyoverse.com/puzzle/hkrpg/pz_0cLNSIl80j/index.html
まあ、「はるか昔に滅びた星トワッテイ」だからおふざけとも言えるが
しかも英文では"an ancient and long-forgotten planet named Tavyet"だから滅びたとは言ってない
それからレンがロビンの本名だとしたら…いや明らかにロビンの意匠に満ちたカクテルになってるが…初出情報だろう
あの公式SNS上でのホタルの実装発表のフレーバーテキストで初出の設定が明かされたのと同じように
ほのめかしという意味では、原神のレムリアのオルガン風建築の意匠や
夢による統合・支配をフィーチャーした内容も明らかにピノコニーを意識させる作りだったし
もしかしたらこの先の展開をレムリア世界任務によって示唆している側面もあるのかもしれない
というか崩壊3rdも、千織の実装に同じくして裁錦・裁断要素のあるセルマの深堀りイベをかぶせてきたり
セラペウムが図書館という夢の中に人々を「結合」させる様子を示してきたり
これはあれの示唆なのか?それともそっちなのか?全部が繋がっているのか?と
作品やメディアの境界を超えてセンス・オブ・ワンダーを感じさせに来てる感じがする
とにかく、レムリア世界任務の水路で演奏するシーンはめちゃくちゃよかった
美しすぎてなんか謎の部位が極まるようなへんな感動した
話を戻すとスタレの考察については
一介のナナシビトもとい名無し増田にすぎん自分は体系立てて語れるほどの能力はないが
今日みつけたネタを元にググってたら、サンデー大好きっぽい人による鋭い考察をみつけたので貼っておく
https://note.com/ashino_open/n/n97d91b350e70
https://note.com/ashino_open/n/n499ddac2e1fa
こんだけ考えて楽しめる作りになってるシナリオ作り、どう考えてもアツすぎる
「推し」という言葉が広く使われるようになり、最近では日常会話やメディアでも耳にすることが多くなりました。しかし、この「推し」という言葉は、単なるファンを意味する言葉として使われるだけでなく、商業主義的な意味合いも強く、個人的には非常に嫌悪感を覚えます。
「推し」という言葉が一般に広まったきっかけは、言うまでもなくAKB48の成功でしょう。AKB48は、特定のメンバーに熱狂的なファンがつき、そのメンバーを「推す」という文化を生み出しました。CDを複数枚購入することで投票権を獲得し、好きなメンバーを応援する、いわゆる「AKB商法」が話題となりました。この商法は、ファンの熱量を商業的な利益に結びつける非常に巧妙な戦略です。メンバーを「推す」という行為は、いわばファンの感情を操り、商業的な利益を追求する手段として利用されているに過ぎません。
「推し」という言葉が持つ商業主義的な側面は、アイドル業界だけでなく、アニメやゲームなど、様々なエンターテインメント業界にも波及しています。キャラクターや声優を「推す」という行為は、熱狂的なファンを生み出し、グッズや関連商品の販売促進に繋がります。企業側は、ファンの感情を煽り、商業的な利益を追求する手段として「推し」という言葉を利用しているのです。
「推し」という言葉が持つ、ファンを操るような商業主義的な文脈は好ましくありません。本来、ファンは自分の好きな対象を純粋に楽しみ、応援するべき存在です。熱狂的なファン文化は、時に行き過ぎた行動や、商業的な戦略に踊らされる危険性もはらんでいます。
エンターテインメント業界は、ファンの感情を尊重し、商業的な利益のみを追求しない健全な方向性へと進むべきです。ファンは、自分の好きな対象を純粋に楽しみ、応援する姿勢を忘れず、商業的な戦略に振り回されることなく、冷静な視点を持つことも大切でしょう。商業的な利益のためにファンの感情が利用されることなく、健全なエンターテインメント業界が形成されることを願ってやみません。