はてなキーワード: ヘンリーとは
『THE FALL 警視ステラ・ギブソン』などを手がけた英国のTV&映画プロデューサーのヘンリー・スウィンデルは、映画やTVの結末は3つのタイプに分かれると説明している。それは、ハッピーエンドorバッドエンドのように結末が決まっている"クローズドエンド"、クリフハンガーで視聴者の捉え方に委ねる"オープンエンド"、そして"皮肉なエンド"の3パターン。
https://dramanavi.net/news/2019/06/losttv.php
人の生き死にに例えたらどうなるのだろう。
爺ちゃんが死んだときはクローズドエンドだった。文字通りの終わり。息子に先立たれた不幸が最後にあったが静かに、婆ちゃんがもう少しだけ余生を生きていけるお金を残して死んだ。
オープンエンド。この世の全てをそこに置いてきた!と言えばそうなるのかな。
皮肉なエンド。スクルージおじさんはそうならないように心を入れ替えた。でももしそうなっていたら?その死を周りの僕たちは覚えているのだろうか?
☆名探偵〇カチュウ
ハワード・クリフォード:人間とポケモンが共生する夢の町、ライムシティの創設者。大企業の創業者で富豪。イケメン。
ロジャー・クリフォード;ハワードの息子。大企業のトップでいけ好かない感じのキャラ
ヨン・ロッグ:スターフォースの司令官。悪の宇宙人スクラルに立ち向かう強い精神・知能のみならず、極めて高い身体能力を持つ主人公の、さらに上回る戦闘技能をもっている。イケメン。
エージェントC 主人公の一人エージェントHが組織を裏切っているのではないかと疑う。メガネ。
エージェント ハイT :秘密組織MIBロンドン支部の頼れるトップ 超強大凶悪な敵エイリアンを主人公の一人エージェントHとともにやっつけた伝説のエージェント エージェントCの疑惑からエージェントHを庇う。背が高い。
この三作、「冒頭(一シーン目~遅くとも四幕構成でいうところの最初のブロック)から出てくる、地位があって顔が良くて主人公に親切な味方」が
敵の黒幕
なんですよ
☆イ〇クレディブルファミリー2
通信会社デブテックを率いる実業家、ウィンストン・ディバー:父親が築いた大企業の跡継ぎ経営者。スーパーヒーローの大ファンであり、困っている主人公一家に豪邸を貸してくれたりする胡散臭い富豪
ウィンストンの妹イヴリン・ディヴァー:やや社交性に乏しい天才発明家で、デブテックの技術部門を担当。母親業に倦んでいたイラスティガール=ヘレンを心身(メカ)ともにサポート。美女。
敵が大企業系ということもあり、これほぼ名探偵ピ〇チュウですよ。(こっちが先)
ロジャー・クリフォードとウィンストン・ディバー 設定かぶりすぎです。
一見悪者実は違う&一見善人実は黒幕のセットが、ピ〇チュウでは親子でイ〇クレディブルではきょうだいですが。
アーロン・デイヴィス:叔父さん。父親とうまくいっていない孤独な主人公モラレスの唯一といっていい味方として第一幕で登場する。ファッションセンスや飲み物のチョイスなどかっこいい。イケメン。
ジョン・ダゲット:主人公の経営するウェイン産業の乗っ取りを図る。あからさまに悪そうな輩。
ミランダ・テイト:ウェイン産業役員。ダゲットにウェイン産業が管理する核融合炉を悪用されることを恐れたブルースの信頼厚く、会長に就任することに。美女。
アーロン・デイヴィスもミランダ・テイトも主人公が信頼していたベタな善人なのにヴィランだったり、悪の組織の首領だったりするわけですよ。
(ノーランバ〇トマンについてはビギンズのヘンリー・デュカードも「主人公に親身になったりする」ので近い。
☆ワ〇ダーウーマン
ワンダーウーマンともう一人の主人公(トレバー)が直面する ナチスの悪い奴をやっつけるミッションへの障害 を親切に助けてくれる地位のある人。
テイトとモーガン卿は実質的初登場シーンがかなり遅め(中盤)ですけどね。
イーライ・ミルズ;恐竜たちが火山の噴火で死に絶えそうなのを救いたい主人公に手を差し伸べる(富豪の所有する財団の偉い人) イケメン。
アレクサンダー・ピアース:S.H.I.E.L.D.の理事を務める高官 イケメン。
ヘンリーダーガーは一切表に出さずに粛々と作り続けてたものの、最終的に体が弱って
創作するどころか、創作物の処分すら出来ないから大家に処分してくれって頼んだ結果
作者の死後、大家が「価値がある」と判断して、勝手に出版してしまったからある意味被害者なんだよなぁ…。
黒歴史を勝手に売り出されて、それが一時的な認知ならいいけど、こうやって後世まで残るとか何か悪い事でもしたのかと小一時間。
岡崎体育が夢を叶えるために頑張った、夢が叶ったという話をブログに書いていた。
コミュ力があって営業努力が出来ることが結局大事なんやなと思った。
夢はあったけど、自分にはそこまで出来なかった。
それらをやると創作意欲に影響が出て本当にやりたいことが何も出来なくなっていった。
根本的に人と関わるの向いてない。
ので今は趣味でやってる。
結局そういうことだ。
ゴッホを見て。才能あっても、それ以前に「売る力」がないと売れない。
しかしゴッホに「売る力」があったらおそらくあんな作品を描いていなかっただろう。
「人手不足なのに給料が上がらないのは、経営者の強欲のせいではなく、仕事に要求される能力が高くなったから。」
https://blog.tinect.jp/?p=54573
"年功給与が崩壊した現代では、極めて単純に言えば、それなりの給与がもらえるかどうかは
だそうです。
"例えばコンサルティング会社は、優秀で人脈のあるコンサルタントが入社すれば仕事が取れるので、高額の報酬を支払います。"
"逆に、「組織の歯車」である事務員や工員、低技能のIT技術者など、売上や企業の業績に直接関係のない世界では、個人の努力の多寡や、人材が不足しているかどうかは、給与にはあまり関係がありません。"
なんか変ですね。
そもそも売上や企業の業績に直接関係のないのであれば人を募集しません。だって売り上げが上がらないですもの。
企業の人手不足は売り上げを上げようとしても人材がいない、又は高齢化によって既存の社員が辞めて足りなくなったから募集しているのです。
つまり人材募集しないままだと売り上げは上がらないか落ちると考えているからその企業は募集するのです。
人材募集や給料を上げることはすべて投資です。それをいつしか人材は単なるコストと考えて給料を上げなくなった経営者に問題があるのです。
日本企業に資金が無いなら給料を上げることも難しいでしょうが、現在の日本企業は手元資金が有り余っています。
https://www.asahi.com/articles/ASL933C3QL93ULFA002.html
内部留保と言っても色々ありますが、他の先進国に比べ日本企業は資金が活用されていないのは明白です。
そして日本の経営者は他国よりも保守的な傾向があり、さらにバブル崩壊を経験したためリストラ、コストカットの嵐が起き、従業員の給料に対する上方硬直性が起きました。デフレの原因でもあります。
また、構造的な理由として雇用規制(簡単に首を切れない、年功序列)などの理由もあるでしょう。
投資が思ったより効果が上がらないため設備や人材にお金をかけないという意見もありますが、これは経営者の能力次第です。
「内部留保を貯め込んだ日本企業が「攻めの投資」をしない本当の理由」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51671
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34168530V10C18A8DTA000/
日本企業が軒並み最高益を上げても、給料が微々たる率しか上がらないのは日本の経営者の保守的傾向と投資眼の無さなのでしょう。
"フォーディズムの画期的な側面は、生産効率の上昇に伴う利潤の増大を、労働者賃金の上昇に反映 させた点にある。"
お金は天下の回りものです。企業が最大利益を上げて余剰資金を貯め続け、消費者である従業員に回ってこなければ景気は低迷し続けるでしょう。
絵や漫画を描いてるけど、人気はない。
今のままのスタイルで活動し続けていくことに限界が見えてきている。
・自由に描きたい
・人に見てもらいたい(世の中全員ではなく理解してくれる人だけでいい)
この二つを達成するためにどこまで「寄せる」か問題がある。
すなわち、興味ない人にも見てもらう工夫をどうするか?問題。
後者はカッコ内が本心だが、理解してくれる人が10人に1人だったとすると、
その「10人」に見てもらおうと思うと、まずは有象無象の100人に見てもらう必要がある。
作品外で合わせる、寄せる方法もあるが(自分自身が人気者になったりフォロワー数を
増やすなど)向いていない・・。
作品作りとは何なのか?
どちらかというとエンターテイメントがやりたいわけではなく、芸術がやりたい。(趣味なのでお金の問題はなし。)
でも今のままだと独りよがりになる。
誰にも評価されたくないは嘘。
時代に合う合わない問題もあるけど、それは自分でコントロール出来ない問題なので無視。
好きな作家は多いけど、みんな多少時流に合わせたり、興味ない層にまで届く工夫をしてるんだろうと思う。
どういう工夫が適切か、考える必要がある。
どっちかっつーと、リメイク版は
最初からビアンカ一筋だったのに(ヘンリーにビアンカの話をしていたりと、ずっとビアンカを気にかけてるのが分かる)
途中で他の女にふらっと行ってる感じに見える。
んで他の女(フローラorデボラ)と結婚して8年石化後も、他の男がビアンカと結婚したいと言い出すと本気で怒ったりする有様なので
最低な奴と言われても何も擁護できない。
すまんそんな情報すっかり忘れ去っていた。聞いてなかったかも。
(スマホ版動かしにくいんだよ!モブに話しかけるのも面倒なんだよ!と言い訳)
でも「純粋に盾のため、結婚そのものはどうでも良かった」って意図で行われた演出ではないと思うんだよね。
でなければ展開上あんなに結婚いいぞと煽られる意味が分からん。
いきなりサンタローズが滅んでる必要性も分からん。ラインハットの状況が異常である事を強調するとしてもそれだけの意味だろうか。
サンチョとの再会をもっと後に引きのばす為ってのも、サンチョは国に帰った、その国はどこかは知らない、と町民に言わせるだけで済むはずだし。
(アルカパでビアンカ一家は引っ越した、と町民に言わせてるだけなのと同じで)
パパスの手紙と天空の剣だって別にサンタローズが滅んでる必要ないし。
ヘンリーがラインハットの状況がおかしいから戻ろうと決心するのはサンタローズじゃなくてアルカパの宿屋だし。
あれ、主人公の故郷を失くして孤独を演出する為のものじゃないの?
主人公は、奴隷から逃げ出して昔の記憶を当てにしてサンタローズに行ったら滅んでたのを見て絶望しただろう、とか
そこに僅かに残っている人たちが自分やパパスを覚えていた事で少しは救われただろう、とか
その足でアルカパに行ったらビアンカ一家が居なくなっててがっかりしただろう、ってのはあの辺りで十分想像ついたよ。
んでヘンリーは無事故郷の魔物倒して平和にして戻り、弟もいて、結婚もして幸せそうだけれど自分は故郷も仲間も何もない…と言う状況で
そりゃっうりゃっとしか喋らないピエール他と旅してても「人間の仲間が欲しい!会話したい!!」って気分になるんだよ。
プレイヤーはたかが数時間の話だしゲームだけやって生きてる訳でもないけど、主人公はそれが1年以上続いてるんやで?
(とここで思ったけど、DQ4コマみたいに仲間モンスターと会話成立してコミュニケーション取れる状況なら別に結婚したいとは思わないかもしれん)
そんな中で盾以外に家族が欲しい、って気持ちもあったんじゃないか(少なくとも、堀井としてはそう思わせるような演出じゃないのか)と。
丁度スマホやってたので便乗して熱く語ってみる。
SFC版は忘れたが、スマホ版だと「ルドマンはフローラの婿に家宝の盾をくれる予定」と言うのは最初から分かるんだが
「その家宝の盾は天空の盾という噂がある」って情報はフローラの婿候補として名乗りを上げた後でないと聞けなかった、と思う。
(単に見落としただけかもしれないが。一応サラボナ町民全員と話したと思うんだけど。
まああったとしても相当隅々まで聞きまわらないと手に入らないくらいの情報って事だ)
婿候補になった後は、町の真ん中という目立つ所にいるモブが教えてくれるんだけど。
となると(設定としては)「主人公がフローラの婿候補になった目的は天空の盾」という最初の前提は崩れる。
じゃあ何で結婚しようと思ったんだよ、ってのは、基本的には「主人公=あなた(プレイヤー)なのであなたが考えた通り」ではあるんだが
(殆どのプレイヤー目線だと「とりあえずイベント進めないと先に進まないから」と言う100%ゲーム的な理由だろうが)
「一緒に旅していた親友のヘンリーと別れて一人になる→旅先でヘンリーが結婚したという情報が入る→ラインハットに戻って新婚の二人を見せつけられる
→更にその辺のモブからも「結婚はいいぞ」と言われまくる」と言う状況で自分も結婚したいと思っていた所で
ヘンリーの結婚情報聞いた所で丁度ルーラを覚えてラインハットに戻れるようになるし(ゲーム的には戻らなくても進めるんだが、まあ普通は戻るだろ、って状況)。
特にリメイク版だと仲間会話があるので、ヘンリーがいなくなった後の誰とも会話出来ない寂しさはプレイヤーとしても感じるんだよね。
ゲーム内では一人旅期間が1年以上ある設定なので(青年期開始時16歳、グランバニア到達時20歳、なので結婚時18歳くらいだろう)
それまで幼少時はパパスと一緒で、その後は奴隷として集団生活、脱走後も最初はヘンリーと一緒、で
人生で初めて一人きりで当てもない旅をしている主人公としてはかなり寂しかったんじゃないだろうか。
ビアンカと再会したら、幼少時の思い出を共有出来るビアンカにより惹かれるのは自然な成り行き。
これもプレイヤーからしたら「数日間お化け屋敷行っただけの相手」だけど
主人公目線だと「父親殺されて10年奴隷生活→逃げ出して故郷に戻ったら故郷も滅ぼされてて自分や父親の事を覚えてる人は殆どなし、帰る所もなし」と言う状況の中で
ビアンカは貴重な「父親や故郷の思い出を共有出来る相手」なので。
堀井雄二は恐らく、盾よりもそういう心理描写でもってビアンカと結婚した、と言う演出にしたかったんだろう。
でもゲーム的制限(主人公が喋れない)&SFCの容量制限(ろくに台詞を盛り込めない)故によく分からん事になってしまった(勿論堀井の描き方も悪いが)。
なので堀井は「殆どがビアンカと結婚すると思ってたのに、フローラと結婚する人も割と多くて意外」などと言ってるが、
プレイヤーからするとそこまでの意図が分からんので「盾目当てでフローラ」「イオナズン目当てでフローラ」なんてのが多いわけだ。
その辺のモブに「かっこいいお兄さん」とか「素敵な人」とかよく言われる事に気付いた。
11→6→7、と一人ドラクエ祭り開催中だけど他はこんなに言われた記憶ないのに。
子供の頃SFCもやってるけど気付かなかった(リメイクで台詞変わってるのかもしれないけど。もう記憶ないわ)
でも主人公は旅立っちゃったからヘンリーと結婚した、ヘンリーもそれに薄々気付いてて受け入れてる、ってのが妙にリアル。
そりゃあてのない旅を続ける根無し草よりは王子の方がいいよなー。
二人(リメ版だと三人か)の女どっちと結婚しても何だかんだで上手く行くのも
子供の頃から抱いていた「ビアンカはまだ分かるがフローラは親が決めた相手と無理やり結婚させられてそれでいいのかよ」
と言う疑問に対して、何だか答えが出た気がして納得してしまった。
1869年、ドイツの生理学者フリードリッヒ・ゴルツ(Friedrich Goltz)による脳を切除したカエルを用いた実験が発端と見られる。
しかし、ゴルツの実験でも脳のあるカエルは摂氏25度から落ち着かない様子になり、温度が上がるごとに激しくもがき苦しみ42度で死んでしまった。
1873年、ジョージ・ヘンリー・ルイス(George Henry Lewes)による追試験結果がネイチャーに掲載された。
この実験は、精神の所在(つまり、反射ではない意識)を探ろうとするものだったが、
1872年と1875年に生物学面からの反証、つまり十分穏やかに昇温(一例では0.002℃/秒)させれば脱出しない、とする報告が寄せられた。
1888年、アメリカの生物学者ウィリアム・トンプソン・セジウィック(William Thompson Sedgwick)は、温度変化の速度差が原因と解釈し、これが定着した。
何だろうね。一言で言うと「めっちゃ金かけたるろうに剣心」みたいだった。
何のことを言ってるかと言うとさ、るろ剣の映画版ってさ、1は評判いいんだけど、
2以降ってあんま評判よく無いじゃん?
あれの理由ってさ、よくある漫画原作の実写映画でさ、めっちゃ説明するじゃん。
病的に説明しすぎなのがだいぶ大きいと思うんだよね。
例えば、るろ剣2でどっかの村で誰か死んだ所に弥彦が遭遇するシーンなんだけど、
あれさ、2回やるよね。一回の映画で同じようなシーンを2回やるよね。笑かしにきてるやろアレ。
アベンジャーズとかさ、もうそれがお家芸でかつ、何連作もスピンオフも無数に出して深み出せるならいいけどさ、
たかだか映画の2時間だけに剣心、弥彦、左之助、薫、あおし、なんかずっと笑顔のやつ、火傷男、お坊さん.....etc....
短い時間で出過ぎやろ。漫画見てだいたい知ってたからまだいいけど、
一作目のウドじんえさんは完全に狂人だからアレはよかったね。こきおろしてるけど、一作目は名作だと思うよ。
ワールドの話題に戻っちゃうけど、いやむしろそっちが本題なんだけど、
ヘンリー・ウー博士っていう恐竜を現代に再生させたすごい人が出てくるのね。
その人ってワールドの研究所長としてシリーズにほぼ皆勤なのよ。
所長だよ?所長。
単純にすごい成果出しただけならイチ研究員何だけど、所長だよ。所長。
何で?????
すごい功績残してるのにその状態って何なの?
恐竜再生の第一人者としてさかなクンばりに人気者になるはずなんだけどおかしいよね?
「お前、それやったらどうなるかわかってるよな?」
まあこんな感じで、現在の立ち位置や功績からしてそんな行動をとるとは思えない人たちがイキナリ屑化してるんだよね。
パーク時代は人間の描写も説得力あった、恐竜の生態をちゃんと研究しているからなのか
人間の行動や思考もちゃんと論理的に組み上げた脚本じゃないとせっかく演出しているのに、
どちらか一方が陳腐に見えたら映画全体がギャグに見えてしまうんだよな。
そこらへんは、他のハリウッド映画とは一線を画したシリーズだと思ってたんだけどなあ。
そんじゃーねー。
先日ジュラシックパークの最新作が全国公開された。
クリス=プラット演じる主人公が活躍する新生ジュラシックパーク第二弾とも言える作品だ。
前作よりもよりホラー寄りに回帰したりラプトルとの交流が見られたりとにかく面白いので是非見て欲しい。
ちなみに僕はまだ見ていない。
前置きはさておき、ジュラシックパークの恐竜たちは一体何者かという僕独自の考察をここに記しておこうと思う。
結論からいうと彼らは恐竜ではなく恐竜のようにデザインされた何かである
ジュラシックパークファンなら勿論知っている情報だと思うがおさらいをしてみよう。
蚊が木で休んだ際に樹液に絡め取られ、恐竜の血を体内に含んだまま長い時間をかけ「琥珀」になった。
現代になり琥珀の中に閉じ込められた恐竜の血から取り出されたDNAを元に恐竜たちが生まれた。
これが定説というかジュラシックパーク第1作目で作中アニメで語られている内容だ。
確かに説得力があり、当時子供だった僕はそのサイエンティックな内容に釘付けになり、よりストーリーに惹きつけられた。
このような記事がある。
恐竜をDNAから復元することは不可能?(オーストラリア研究)
http://karapaia.com/archives/52104981.html
つまり、物質は必ず劣化するものであり、恐竜のDNAも例に漏れてはいないということだ。
ただし、作中ではそれを予見してか、「不足しているDNAはカエルのもので補っている」とも語られている。
これにより、一見して最新の学説へのアンサーとしては成り立っているように見える。
どうしてだか、僕はここに違和感を感じている。
なぜカエルなのか。なぜ進化の経路上として爬虫類や鳥類よりも遠い両生類のDNAを使うのか。
パークの恐竜たちを語る上でこの人は外せない。
氏は新旧パーク双方に勤務し、実際に作中にも登場している。
いわば恐竜たちの生みの親であるパーク研究所の遺伝学主任である。
作中で語れられている氏の実績を大雑把に下記の通りまとめてみた。
先に仮説を述べておくと、
インドミナスに限らず、パークの恐竜たちは全て「リデザイン」されたのではないのだろうか。
つまり、形状的に模倣はされているが、必ずしも遺伝子として合致あるいは類似しているものではない。
作中のヴェロキラプトルは実際の世界のヴェロキラプトルとは違うというのは割と有名な話だとは思う。
実際のヴェロキラプトルは鶏ほどの大きさで主に小動物や昆虫を餌にし、大きくてもせいぜい小型の角竜を襲うことができていたのではないかと言われる。
実際にはデイノニクスと呼ばれる馬ほどの大きさの肉食恐竜がヴェロキラプトルの名前と足についている「大きな鉤爪」だけ借りて登場している。
演出のためだと言われればそれまでだが、
これは「リデザインされた恐竜に名付けた結果」と想像している。
あれだけ一作目から科学的考察が作中でされているのに、そこだけ演出のために実際の世界と違えるというのは個人的には違和感だ。
一緒にモニターに現れるスケールが確認できると思う。スケールには単位が表示されていないので正確には分からないが
あの同時に現れたスケールは「実際のラプトルと同じスケール」だと示唆する製作陣からのメッセージなのではないかと考えている。
また、博士が持っているラプトルの爪は「デイノニクス」の爪としては小さすぎる気がする。
つまり、アラン博士はパークのラプトルをラプトルとしては認識していない
少なくとも作中に出てきたパーク監視員のロバートに確認するまでは認識していなかったと思う。
学者全般に言えることだと思うが、学者は全てが解明されているという前提で研究をしているものはいない。
常に新しい情報で自らをアップデートしていくため、パークでラプトルそのものを見せつけられたら
パーク内で生まれたラプトルは大きな個体のものが存在すると捉えるのは自然なことだと感じる。
ましてや、欠損部分をカバーしていると事前に聞いているので多少の差異は覚悟しているとは思う。
アランはきっと「我々が思っているよりラプトルの整体はずっと大きかった」と思ったのではないか。
ジュラシックパーク一作目が公開された当初から、羽毛恐竜の存在はほぼ定説となっていた。
それらを作中に取り入れなかった理由として単に「一般の恐竜イメージが損なわれる」というものではない気がする。
どちらかというと、パークの経営的な判断として、よりイメージに近い「恐竜」を生み出して欲しいというオーダーがウー博士にされた結果、
羽毛のない恐竜になったというのが個人的にスッキリ腑に落ちるところである。
その極たる例としては、前述した「インドミナス・レックス」が当てはまる。
あれは作中でも経営層から「より恐ろしい恐竜」を依頼されたため、その通り作ったと氏自身が語っている。
(まあこれは恐竜ではないが)
作中のモササウルスだが、ものすごく巨大な生き物として描かれている。
少なく見積もっても30m以上はある。
実際に発掘されたモササウルスは18mが最大だそうだ。
水中に生息しているモササウルスの血を吸えるのか?
これも非常に疑問に思う。
原生のクジラなどと同じく極度に海中に特化した外形のため、モササウルスはその巨体故に陸上が近いと座礁してしまう。
そのため、陸に近い、蚊が発生する真水のある環境近くに接近し、蚊に吸血されてしまうとは考えづらい。
仮にされたとしてもその頻度は非常にレアなのではないだろうか。
「戦争のおかげで科学技術が発展した」とかドヤ顔で言っちゃう人たちがいる。
「インターネットの元であるARPANETは軍事用ネットワークだったんだぞ!」みたいな大嘘を
未だにバラ撒いている人たちでもあるが、それは脇に置いておく。この人達の言っている事は本当か?
本当に戦争のおかげで我々はより優れた技術の恩恵を受けているのか?
サルファ剤もペニシリンもレーダーもその起源は軍事目的とは関係のないところで始まっている。
それらを「戦争によって(後々民間でも普及するほど)広く使われた」なんて言い出したら何でもありじゃないか?
最初に結論じみた事を言っておくと、「戦争のおかげで科学技術が発展した」という言葉は
間違ってはいないが誤謬がある。話を分かりやすくするためとりあえずターゲットを両大戦に絞ろう。
おれが言いたいことは二つだ。ひとつは「その予算が別に使われたらまた違った『発展』があり得た」事だ。
「戦争のおかげで科学技術が発展した」というのは、分解すれば「戦争という非常事態では、
国家によって採算性や費用対効果を度外視した大量の予算と人員が動員される。ために
日頃日の当たらない分野が劇的な進歩を遂げたり、ある分野の研究が大きく加速したりする。
よって戦争には技術を発展させる効用がある」と言い表せよう。だが、国家がその予算を別方面に
使っていたらどうだろうか。マンハッタン計画では現在の価値にして約250億ドルの予算が投じられた。
その金によって人類は原爆と原子炉と放射線障害に関する幾ばくかの知見を手に入れた訳だが、
例えば同じ金額が平時に教育と産業振興に投下されていたら、別分野で大きな進歩があったのではないだろうか。
その多くは「今までの3倍頑丈なミシン」とか「今より半分の価格のゴムタイヤ」とか「ちょっとイケてるコーヒーショップ」
といった地味極まる結果として出てくるだろう。しかしそれらが相互作用し、あるいは積もりに積もって、
「収穫加速の法則」的結果を生んで今より遥かに科学技術が進歩した世界が表れないとは限らない。
もうひとつは「戦争による死傷者が起こすはずだったイノベーションはどうなる」って点。
太平洋戦争で軍民合わせて約310万人の人々が亡くなった。戦傷者や震災関連死ならぬ戦災関連死、
戦争で将来をズタズタにされた人を含めればもっと多くの人が未来を失っただろう。彼ら彼女らが
生み出すかも知れなかった「科学技術」とやらは、君たちカウントしてるのか? 科学技術に限らない、
生まれてくることの無かった名社長・名先生・名作家・名俳優・名選手始め名哲学家から名漫画家まで
途方もない可能性が潰えてしまった。戦争があったからこそ生まれた名作や優れた発明があるのも事実だろう。
だがそのために十万百万単位で人が死ぬことを肯定してしまっていいのか?
ヘンリー・モーズリーや沢村栄治を知らないとは言わせんぞ。なるほど確かに生み出されるのは
「科学技術」では無いから「戦争のおかげで科学技術が発展した」という言葉の範疇ではなくノーカンだという
論法もアリだろう。じゃあ聞くが科学技術とやらはそんなに偉いのか?
ところで、太平洋戦争によって失われた国富はどのくらいだろうか。資料に寄れば
「昭和10年の資産的一般国富総額は1,868億円(昭和23年末価格12兆1,388 億円)、終戦時の残存
資産的一般国富総額は1,889億円(同12兆2,754億円)であった。つまり、日本は太平洋戦争で、
「難しい作業」の慣れない要素に関しては、チェックリストを使うことで、使用する注意の量はぐっと減らせる。
デカルトは「困難を分割せよ」と言い、ビル・ゲイツは「問題を切り分けろ」と言った
ttp://www.huffingtonpost.jp/satoshi-nakajima/difficulity_problem_b_10325526.html
スティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグ、オバマ大統領がいつも同じ服を着ている理由
ビル・ゲイツがいちいち顔を合わせて聞いていたら、膨大な時間がかかります。だから彼は、コストをかけてでも、説明を聞く時間を効率化するために専門のスタッフを雇っていたのです。
どうでもよいことについては中庸の道を選ぶことによって、われわれは自分自身の人生の大目標に全力を集中しえる。
【認知的節約】 人は、必要以上に認知資源を用いない傾向があることを示す。 【認知資源】 注意を向けて考える、記憶する、といった認知活動に要する能力。認知心理学では、「認知資源には一定の限界があり、そのために認知的節約が起こる」とする。
ttps://twitter.com/shakaiaku/status/563371671277817856
悩みに対して「ストップ・ロス・オーダー」という歯止めを用いよう。一つの問題に対してどの程度まで気にかけるべきかを決めて、その限度を超えたら忘れてしまうこと。
『私の考えでは、①好きなことをやり、②それで食べることができ、③その上それが他人のためにもいささかの役にたった人生が自己実現の人生であり、理想の人生である。』
ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。: 本: マイク マクマナス,Mike McManus,ヒューイ 陽子
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4900550132