はてなキーワード: 齟齬とは
昔からはてなブックマークをやってた人なら流れをうろ覚えしているだろうけど、漫画『海猿』というのは昔は「原作・小森陽一」とか紹介されていて、ドラマや映画がヒットしてる最中に佐藤秀峰先生は小学館と揉めて、原稿を引き上げて権利を取り戻したって経緯がある。
小森陽一先生は海保や海自などをテーマにした海洋漫画をいくつも手掛けてる漫画原作者で、『海猿』では立ち上げ時にちょっとだけ関わりあったけど原作者といえる仕事はしていないでしょって揉めた。「漫画原作者」の定義って普通は「原作小説の作者」か「ネーム(脚本)執筆者」かだけど、アイデアや資料提供程度の仕事だったんだろうと。
映画2作目の時に主演俳優が会った「原作者」というのは小森陽一先生のほうだったのではないか。その時に編集者も帯同して「これは漫画家からです」って事前に描かせてたサイン色紙を渡した光景が想像できる。
その後、佐藤先生は出版社と決裂し、フジテレビとも突撃取材問題でトラブルとなる中で、交渉の結果、映画3作目と4作目の制作契約が結ばれ、原作者として「初めての」撮影見学に行った際に雑な対応をされて嫌な記憶を残してしまったと。
過去ブクマ探してたら佐藤本人がサバサバと「海猿」と小森の関係を語ってる昔の記事見つかったわ。戯画化されてる「描くえもん」よりかはわかりやすい。
そもそも『海猿』は「ヤングサンデー」の編集者が、当時、映像制作会社に所属していた小森陽一(『海猿』には原案取材としてクレジット)さんと知り合いになって、お互い海が好きということで、海上保安庁の話を描こうとしていた。そこで小森さんが原作を文章で書いて企画会議に出して、「原作としては使えないけど、海上保安庁というのは珍しい」ということで、企画だけが残っていたんです。それを編集者が「佐藤君、描いてみないか」と持ってきて、話を受けたんです。なので、僕は小森さんの書いた原作を読んでいないのですが、小森さんは自分が原作者だと思っていらっしゃるようで、そこからお互い齟齬があったんですよね。
「説明責任を果たすのは日本テレビの自由ではありません。義務です」
日本テレビの持ち株会社日テレホールディングスは東京証券市場に上場しています。
日本テレビに報道する責任はありません。しかし、上場の条件となっているガバナンスを機能させ、コンプライアンス規定を遵守する必要があります。
よって原作者との契約の齟齬が原因で自死に至っている疑義がある以上、説明責任が発生します。
日本テレビは調査、監査、解決策の提示、自社に責任があれば謝罪する必要があります。
仮にこれができないなら、少なくとも東京証券市場からは去っていただく必要があり、日本テレビの権力の前にJPXが屈するのかというのも、一つの焦点です。
https://twitter.com/ssomurice_local/status/1753687108391440768?t=Q75oZ6AyPSijrhK1K4cLbQ&s=19
こんばんは
脚本家たちの深夜密談です
と言いますのもですね
やっぱり脚本家の深夜密談ということで
はい急遽決めました
私たちだけでは心もとないので
伴さんのお話を
お伺いしたいと思いますが
お伺いする前に
一応ちょっとここまでの経緯を
まずこの件の発端というのが
で当初は9割方脚本家を攻めるような
28日になって原作者の方が攻撃したかったわけではなくてごめんなさいというツイートを残してアカウントを消されてるんですよね
その段階で私自身も伴さんにこの話したいんだとお願いしてはいたんですけれど
やはり当事者の方がもう触れてほしくないのかなというツイートをアカウントを消されてるってことは
もう取り消しにしたいのかなというので触れない方がいいのかなと考えたりもしていたんですけれど
今日になって芦原さんがお亡くなりになったというニュースが届きまして
やはりここはちゃんと取り上げて
あくまでも報道やSNS上ご自身たちの発信で知ったことが全てですので
手に入れてお話しするつもりもありません
ドラマ作りなどあるいは脚色の仕方など
どんなことを脚本家がしてどんなトラブルこれまで起こってたのかなどを
お伝えできればなと思っております
伴さんもこれまでの経緯をかなり
チェックされたりされているかと思うんですけれど
伴
進んでしまってるのが一番の原因かなと思ったんですよね
僕は揉めたことなくて
そうですね
お友達になって飲みに行ってっていう方の方が多いんですけどね
ドラマを成立させてくれたんだなとは今振り返って思っててね
話し合いをしたいとこっちが言ってるけれども
間に入る編集者とかプロデューサーがそこは合わせない方がいいと思ったのか
お互い忖度してくれてるのか
合わずに
話が進んじゃう
面白かったですって言ってくれたりみたいなことがあったので
会う時間がなかったのかもしれないけれども
何かあったら直接会って話すっていうのは一番誤解もとけるし
そうですよね
私はしがちですけどね
私はして当然だと思ったりするところもあるんですよね
ただそんなに何だろう
トラブルになる
トラブルが全くなかったってわけではなく
原作者の方からこういう要請が来ましたみたいなことは結構ありますし
そこで意見がぶつかって
呼びつけられて
あなたって本当に私の原作のこと全然わかってないわねみたいなことを言われてたこともありましたけど
ただ基本的に直接脚本家が原作者の方と会うってなかなかないですよね
それはやっぱりですよね
だからそんなのを合わせたらお互い対立するに違いないみたいなこともあったり
プロデューサーが間に入り調整した結果
5聞くことにして5は原作者の方に納得していただいて
持ち帰った5だけはこちらが説得されて直すとか
やっぱりツイッター上でX上でね
とっても心が痛んだんですよね
伴
いや僕の場合結構そういう意味では原作から変えてることが多いんですよ
例えばツイッターにも書きましたけど
クリカンとか
あともう1人子供も加わってみたいなことまで
それをプロデューサー止めてたのかどうかもわからないんですけれども
本当に面白かったみたいに言っていただいて
みたいなことまで
犬がパートナーっていうのも
あのこっちで作ったやつだと思うんですよね
それが参りましたみたいなね
本当に面白いこういう漫画を書きたかったみたいなことまで書かれてたんですよ
なるほどね
そのお二人の原作に
入る時にですよ
原作ってどれくらい変えていいですよみたいな説明ってありました?
伴
これをやるんだったらこうしたいとかね
で大体そこでまとまったら
そういうのをやったと思いますよ
やっぱりそれは企画会議っていうプロデューサーさんとの会議を経て
なんか決定することですよね
そうでその企画会議でいやいやこれは原作通りにやってくださいって言われた時に
伴さんであったとしてもなかなか変えられるものではないですよね
伴
えっと原作通りにやれっていうことですか?
まあまあ会議上
伴
まあそれはもちろん同意がないとできないですもんね
できないですよねっていう
あの僕がやる時は大体プロデューサーと一緒に本を作ることにしてて
出来上がったもので
でただ****の場合はもう現場の周りもすごい面白い監督なんで
まあやったんですけどそれもまあ僕のシナリオからはみ出してない
それも面白がってくれてたんですよね
あの原作者の方の中にはやっぱりなんか2種類いるなと思っていて
もうご自由にどうぞ出来上がりを楽しみにしていますっていうタイプの
まあそういうタイプの多分今のね2ケースの場合は2ケースの場合は多分そういう原作者さんだったのかなっていう気もするんですけど
その一方で特にあの
初めて書いた本ですとか小説ですっていう原作者さんに多いのがやっぱり自分にとってすごくこだわりがあるので
原作はなるべく変えてもらいたくないですっていうようなケースもありますよね
まあ以前前々回かな深夜密談でもちょっと話題に出た柔らかい生活のね
小説なのでっていうことでまあちょっと裁判になってしまったりとか
伴
この作品だったら自由にやってくださいでもこれはっていうのがあって
だから私の場合は原作で企画ができた段階で原作者の方ってどれくらい変えていい方なんですかっていうのはまず聞くようにしてますね
そういうぐらいちょっと最近はやはりこだわられる方が増えてるのかなっていう以前よりも感覚として
という感じは
伴
で実は東野圭吾さんが**賞を撮って放課後っていうのを脚本してるんですよ
それは高校が舞台のやつだったんでもうちょっと青春よりな青春ものっぽいノリで書いたんですけど
それに関しても東野さんと会ってもいないし
なんか*****も聞いたこともないんですよね
うんうんうんそうなんですよね
ただやはり今回の場合すごく実は特殊なケースだったんだなって後から分かったのが
そのドラマ化を許可する段階の条件として原作通りにやってくださいという条件が出されていたっていうのが
ただそれを受けてしまったというか伴さん可能ですかと思うんですよね映像化するにあたって
原作まんまみたいな
伴
何をもってまんまっていうのかだってもう媒体が違うわけだから絶対同じものにはならないじゃないですか
同じものにはならない
そうですね
なんですけれどやっぱりそれをどこまでならないですよ
だけどできる限り原作を生かす方向でいきますみたいな説明がなされたのかとか
やっぱりそのあたりがまずどうだったのかっていうことと
あとその点をどれだけ脚本家に伝えていたのかっていうこの2点が分からないので
伴
脚本家のインスタ見るとそれは全く伝わってない感じですもんね
それは丸山雅樹さんが書かれたけれどもこれだから約束ごとの問題ですよね
なんか良い悪いとかじゃなくてそこがちゃんと伝わってない
両方が思ってることが違うっていう違ってたっていうことですもんね
伴
えっと僕とは多分交わしてると思うんですけど
伴
どういう約束しましたかみたいなことは聞くことは可能かと思うんですけど
ただえっと
**せ再びって
筒井康隆さんの原作のやつをNHKでやったことがあるんですけど
その時にはもうプロデューサーが筒井さんにこういう風に変えたい
なぜならこういう理由でみたいなことを愛を込めた文章でメールを送られて
そういったところから始まったみたいですね
それもこういう理由でみたいな
そういったことを言って多分テレビ化をOKしてくれたと思うんですよ
原作者チェック以上にここはこのセリフは繋がってるかみたいなことまで毎回メールをいただいて
そういうやりとりをやりました
始まる前にちょっと原宿のお家にも挨拶というか説明に行ったこともありますけどね
いやだけどなんか伴さんの今の話を聞いてなんとなく問題点が分かってきたなって ちょっと感じたのがですね
とある原作者の方がすごくドラマ化に当たってもめている最中にその原作者の方と
あってお話する機会があったんですよ 私はかからなかったんですけど そしたらその原作者が言うには別に変えてくれてもいいんだけど
変えるなら変えるなりの理由を説明してもらいたいんだよっていう そういうあたりをふわっとしたまま変えられても納得いくわけないじゃないですか
その方がおっしゃってて うんまっその通りだなと思ったんですよねうん こっちだってね他の方の原作を変えるには 変えた方がいいっていう確信がなかったら
安易に変えてるわけじゃないじゃないですか でそれをどれだけねお伝えして納得していただけるかっていうのはやっぱり丁寧な
プロセスだし時間が必要なんだと思うんですよ だけどやっぱり最近のテレビドラマの撮影のスケジュールとか制作のスケジュールを見る
ともうそういうスケジュールを取る余裕さえないような状況で作られている場合と多いかなと思うんで なんかまあねー
でもそこは時間かけるべきところですよねぇ
ほんとそう思いますねーどってそこに時間掛けなかったら その原作者にも意図も伝わらないし
うーん脚本家にもにもう 何ですか原作者にも意図が伝わらないから
そうなんですよだから不信感だけが募ってって ことなのかなってちょっとコメントいただいているので
木村さん、芦原さんは最後の2話をご自身で脚本を書かれていますが、全話ご自身で脚本を書く話はなかったのかなと思いました
いやそれは多分ご自身もなんか出ているニュースを読む限りは本当は書きたいよ 書きたくて書いたわけではなかったという
うんでねえまあを推測はしないというは言いましたけど 多分最初の約束として提示されていたんですってこれを憶測じゃなく事実として出てるん
ですけれど 完結していないからドラマの完結するその話に関しては
自分の通ストーリーを使ってほしいし、セリフもそのまま書いてくださいという条件を出していたんです
企画の時に でただその最中ですごく加筆が多くて時間的なことも考えて自分で書いた方がいいん
じゃないかって決断されたんだろうと思うんですよね だからやはり脚本は脚本家で最初のうちはきちんと任されていたんだろうと思います
そんなになんか色んな要求をされていたわけでもないしいただ やはり
何て言うんでしょうね その芦原さんには芦原さんのファンもいらっしゃるし
その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけでそのファンの方々がそれぞれね自分の好きな脚本家さんあるいは原作者さんに期待するものが多いしその期待に応えたといと
思うのってやっぱりそれはねお二人とも当然 じゃないですかだからああいう説明に至っ
たんだろうと思うんですよね でそれぞれのファンの方はそれ読んで納得
すればそれで済むことだったのに そうじゃない人たちが
なんかあまりにも攻めすぎなんじゃないのっていうのは
ちょっと感じましたね
伴
まあね芦原さんの最後のツイートがツイートっていうかポストがね攻撃したかってわけじゃ
なくてって そうなんですよだからこれね
それなのに原作者がこういうことを書くっていうのはやっぱり
心を痛められたのかなぁと思っちゃいますよね
まあ 推察なんですけど
その辺りはあれなんですけれど
そうなんですあのなんでしょうねやっぱり ここ最近本当に私自身がもういけない風潮だなーって
やめてもらいたいなと思っているの がすぐに対立構造でものを語りたがる
対立したりしていた話ではなかったように思うんですよ
なんかそれで脚本家が意地悪をしたとかねー
語ってしまっているからこういう 原作者さんにしても胸を痛めるような
になってしまったのじゃないかと思いますし なんか意見を言うのは本当にねまあ
憲法で保証されている 言論の自由みたいなものを重ねておっしゃる
作られるのか先ほども言ったように脚本家1人の独断でなんて絶対改編できないのに
そんなことも知らずに なんか脚本家が一人で
な原作を変えたかのように決めつけ 避難するっていうそこはやっぱりしてはいけないことだと
私は思いましたし それは本当に皆さんにお伝えしたいなと思って
うーん今回時間を設けさせていただいているんですが
つづく
→ https://anond.hatelabo.jp/20240203204953
AIに書き起こさせて、途中まで手を入れましたが面倒になったのでひとまずここで公開。
こんばんは、脚本家たちの深夜密談です。今週はちょっと先週からの予告を変更しまして、急遽セクシー田中さんのお話をしたいと思っております。言いますのもですね、やっぱり「脚本家の深夜密談」ということで脚本家の名前を貸している以上、ちょっと脚本家の立場からこの話をして、ご理解していただきたいところもあるなというところから、はい、急遽決めました。なかなか勇気のある決断だったので、私達だけでは心もとないので、40年にわたってテレビドラマで活躍されている伴一彦さんに急遽ゲストとして来ていただきました。伴さん、よろしくお願いいたします
よろしくお願いします。伴さんのお話をお伺いする前に、一応ちょっとここまでの経緯を簡単にお伝えしますと、まずこの件の発端というのが12月の24日に脚本家の方が、そして今月の26日に原作者である芦原妃名子さんが、それぞれなぜセクシー田中さんの9話と10話を原作者である芦原さんが書くに至ったのかという、経緯をSNSに投稿されるんですよね。
それを受けて、ニュース、Webニュースなどでも取り上げられたり、X上、SNS上で大炎上し始めるんです。当初はもう9割がた脚本家を責めるようなツイートが多くて、「原作クラッシャーだ」などとひどい攻撃が上がっておりまして、28日、昨日ですね、になって、原作者の方が「攻撃したかったわけではなくて、ごめんなさい」というツイートを残してアカウントを消されてるんですよね。その段階で、私自身も伴さんに「ちょっとお話したいんだ」とお願いしてはいたんですけれど、やはり当事者の方がもう触れて欲しくないのかなというツイート、アカウント消されてるってことは火消しにしたいのかなというので触れない方がいいのかなと、考えたりもしていたんですけれど、今日になって、芦原さんがお亡くなりになったというニュースが届きまして、やはりここはちゃんと取り上げて、脚本家のドラマに関してですよね。この件に関して私達は当事者ではなくて、あくまでも報道やSNS上、ご自身たちの発信で知ったことが全てですので、憶測で物も言いたくないですし、業界関係者から新たな情報を、確信もなく確認することもなく、手に入れてお話しするつもりもありません。あくまでも今わかってる事実に基づいて、ドラマ作りなど、あるいは脚色の仕方など、どんなことをキャッチし、脚本家がしてどんなトラブル、これまで起こったのかなどをお伝えできればなと思っております。はい。ということなんですけれど、伴さんもこれまでの経緯をかなり、こう、何て言うのですか、チェックされたりされているかと思うんですけれど、
はい。
いかがですか。
いや、僕もツイート、X、ポストか、したんですけど、やっぱり両方、原作者と脚本家両方がお互いの意向というか意思を知らないで、進んでしまってるのが一番の懸念かなと思ったんですよね。
うんうん。
そうなんですか。
そうですね、お友達になって飲みに行ってっていうかパターンの方が多いんですよね。
ええ、ええ
そのとき、もう、いや、だから、別に責めるっていうか、まぁ番組って、だから、脚本家が自由に書けるわけじゃないじゃないですか
はい。
監督が勝手に言っとるわけで、やっぱりプロデューサーが全ての責任を負うんですよね。この番組の方向性だとか、そういう本にするとか、誰に書かせるとか、そういうのは全部、あのうそこ、プロデューサーの仕事なので、僕の見えないところで、原作者と、いろんな交渉をして、ドラマ、バリューチェーン繋げてくれたんだなとは、今振り返って思うんですよね。
つまり、トラブルがなくすのが、プロデューサーの仕事というふうに思ってるんで。ただ、原作者の意図とかわからないときに「話し合いをしたい」とこっちが言ってるけれども、やっぱ間に入る編集の人とか、プロデューサーが「そこは会わせない方がいい」と思ったのか、お互いに忖度してくれてるのか、合わずに、あの、話が進んじゃう。で、最後に、何か打ち上げか何かでお会いしたときにはもう、記者会記者発表のときか、お会いしたときにはもう「面白かったです」って言ってくれたりみたいなことがあったんで、もっと早く…多忙な作家さんだったんで、うん、逢う時間がなかったのかもしれないけれども、何かあったらやっぱり直接会って話すというのが、一番誤解も解けるし、やりたいことも再確認できるし、いいんじゃないかなと思いますね。
そうですよね。私も、まぁ、テレビに限らず映画なんかでもそうなんですけど、やっぱり、私の感覚からすると、やっぱり脚本家と原作者って、やっぱり作家同士ですのでね、性質上どうしたって対立したりってする、しがちっていうか、私は当然だとは思ったりするところもあるんですよね。
ただ、そんなになんだろう、トラブルになる、トラブルが全くなかったってわけではなく、やっぱりこちらで書いたものを、原作者の方からこういう要請が来ましたみたいなことは結構ありますし、そこで意見がぶつかって、はい、まあね、「ちょっとうちで話しましょう」みたいな呼びつけられて、「なんかあなたって本当に私の原作のこと全然わかってないよね」みたいなことを言われてたこともありましたけど、ただ、やっぱり基本的に直接脚本家が原作者の方と会うってなかなかないですよね。それは、やっぱり、ですよね、だからそんなの「会わせたら、何かお互い何か対立するに違いない」みたいなこともあったり、プロデューサーが間に入り調節した結果、だから原作者の要望も十聴くのではなく、五聴くことにして、五は原作者の方に納得していただいて、持ち帰った五だけはこちらが説得されて直すとか、なんかそういうことで仕事をしてきた経験があるので、やっぱりTwitter上、X上でね、なんか「脚本家が原作を全部変えている」みたいな発言を見ると、とっても心が痛んだんですよね。
伴さん、経験上、ご自身、勝手に「もうこのキャラクターこっちに変更しますから」って言って通るってどれぐらいの確率であります?
いや、僕の声結構そういう意味じゃ、原作から変えてることが多いんですけど、例えばツイッターにも書きましたけど、クリスチャンとかも原則を歴史小説家なんですけれども、それもやめて探偵事務所にしてジョシュ担当の上司がいるんですけど、それも原作だと女性だけのお2人の男女にして、あともう1人、子供も加わってみたいなこともあるんで、ほとんどもう原作のエピソードも使ってないんですよね。
なるほどなるほどはい。でもそれに関しては寺沢さんって原作者の方からは何もなくそうですか。そのプロデューサーが止めてたのかどうかもわからないんですけれどもうん、うん最後のスタジオ収録の日、最終回のスタジオ収録のときにいらっしゃって、ホテルとかですって僕はちょっとドキドキしてたんですけれども、本当にご紹介あったみたいでいただいて、それから結構一緒に飲みに行くようになって、うん。
エースの悪口を言ったりとか、みたいな部分までだし、後で頑固も、もう、うん。原作はほとんど使ってないし、多分ちょっとだいぶ忘れてましたけどええ。昨日、犬がパートナーっていうのも、こっちで作ったやつだと思うんですよね。
ええ。国際の森本と書かれると森本翔子さんっていう方が原作者なんですけれども。はい。そう、何回目か、進んだときに、スタッフルームに手書きの漫画付きのFAXをいただいてそれがほ参りましたみたいな、多分本当に面白いこういう番号を書きたかったみたいな言葉で書かれてたんですよ。
なるほどねそのお2人の原作2入るときにですよその仕事を受ける段階でプロデューサーから原作ってどれくらい変えていいですよみたいな説明ってありました。いやあ、僕になかったと思いますなるほど。それいや、ちょっとこの、これをやるんだったらあれだ、うんをしたいとかね、運行しましょうみたいなのを企画会議でやって、うん大体そ、そこでまとまっただったと思いますよ。
やっぱりそれは企画会議っていうプロデューサーさんとの会議を経て、何か決定することで、強ねそれでその企画会議でややこれは原作通りに行ってやってくださいって言われたときに、晩餐です。あったとしてもなかなかるものではないんですよね。
原則通りにやれっていうことですか。ママ会会議場を、つまり晩餐1人の力で変えられるものなのかなっていう、それはもちろん、同意がないとできないです。できないですよねっていう僕がやるときは大体、プロデューサーと一緒に訪問することにしててはいはいええ。
監督後から入ってくる先生も出来上がったもので、うん、うん。ただ眼光の場合はもう現場のありもすごい面白い監督があって現場で思いついたことを入れてたりとかねやったんですけどそれを僕のシナリオからはみ出してない、原作からははみ出してると思ったんですけれども。
うんそれも面白がってくれてたんですよね。ですよね原作者の方の中には、やっぱり何か2種類いるなと思っていて。うん。もうね、原作は原作映像化は映像から全く別物なので、もう50にどうぞ出来上がりを楽しみにしていますっていうタイプの原作者さんも少なからず、いらっしゃるっていうそういうタイプの、多分今のね2ケースの場合は、バケツの場合は、多分そういう原作さんはファンだったのかなっていう気もするんですけど、その一方で、特に初めて書いた本ですとか、小説ですっていう作者さんに多いのが、やっぱり自分にとってすごくこだわりがあるので、はい。
原作はなるべく変えてもらいたくないですっていうような大きいケースもありますよね以前、前々回かな。陳亜美さんでもちょっと話題に出たやわらかい生活のね、はい車や作者さんも本当に思い出のある小説なのでっていうことでちょっと裁判になってしまったりとか、うんやわらかい生活でしたっけ、やわらかい生活ですねはいっていうのもあったりですねお父さんこんばんは。
もうアンさんのポストも拝見してます。ゆはい、拝見してましたってことでした。はい人偏に半分の判断でよろしくですそうです。はい。3社になってますねこれ細谷さん違います違います。それさんではないです。別な方失礼しました。
患者さんの知らないファンの方もいらっしゃるということで、はい、はい、うんそういうはい。いや、僕東野圭吾さんってどっちタイプなんですか。私は東野さんやったことないのでよくわからないただ作家の方でも作品るケースも結構あるんですよね。
この作品だったら自由にやってください。でもこれはっていうのがあって、だから私の場合はもう原作で企画ができた段階で、原作者の方ってどれくらい変えていい方だなんですかっていうのをまず聞くようにしてますねっていうぐらい、ちょっと最近はやはりこだわられる方が増えてるのかなっていう、以前よりも感覚としてこうっていう感じは、今月は東野圭吾さんが担当相を取った放課後っていうのを着色してるんですよ。
はいはいはい。ドスパラ部木曜ドラマストレートだったかな、うん、うん、それは高校が舞台のやつだったんで、もうちょっと青春寄りな精神者っぽいノリで書いたんですけど、それに関しても東野さんと会ってもいないし、何か意見を聞いたこともないんですよねそうなんですよねただやはり今回の場合、すごく実は特殊なケースだったんだなって後からわかったのがもうそのドラマー化を許可する段階の条件として、原則通りにやってくださいよという条件が出されていたっていうのが、うん。
ちょっと今回の場合、かなり特異なケースだなとは感じたんですよねただ、それを受けてしまったというか伴さん可能ですかと思うんですよね映像化するにあたって、原作まんまみたいな。上着を持ったまんまっていうのがあっても、媒体が違うわけだから、絶対ね同じものには何年か同じものにはならないですね。
なんですけれどやっぱりそれどこまでならないですよ。だけどできる限り、うん、もう原作を生かす方向でいきますみたいな説明がなされたのかとか、うん。やっぱりそのあたりがまずどうだったのかっていうことと、あとその点をどれだけ脚本家に伝えていたのかっていうこの2点がわからないので、いや、脚本家にすすめるとそれは全く伝わってない感じですもんねそうですそれはそうそう丸山を正木さんが書かれてるけれども、これだから約束事の問題ですよね。
何か緑色に悪いとかじゃなくて、そこがちゃんと伝わってない、両方が持ってることが違うっていう違ってたっていうことですかね。こういうのって普通の契約書みたいなのって交わすんですか。特に多分返してると思うんですけど、僕は1回も原作者と局が交わした契約書を見たことはないです。
脚本家が見れるものではないんですね。そうですねどういう約束しましたかみたいなことを聞くことは可能かと思うんですけど、僕は聞いたことはなくて、そういう質問したこともないんですけど、ただ、七瀬再び行って、筒井康隆さんの原作のやつをNHKでやったことがあるんですけど、そのときにはもう、プロデューサーが、筒井さんに、こういうふうに変えたい。
なぜならこういう理由ねみたいなことを、もう愛を込めた文章でメールを送られて、たところから始まったみたいですね。だからヘンリーっていう円だったかな、黒人が出てくるんですけれども、ちょっと時代的にも今の時代はちょっと黒人が上位に出てくるタイミングでみたいな、うん能力の話ですけど、それはちょっとまずいかなっていうものもあって、日本人に変えたんだけどね。
うん。ヘンリーというそれそれもこういう理由でみたいなこと言って、多分テレビかOKしてくれたと思うんですよ。手続きの場合は、もう本当にあの台本隅から隅まであって、原作者チェック以上に、ここはこのセリフは繋がってるかみたいなことまで毎回、メールをいただいてそれをプロデューサーが僕に直接見せてくれたんですよね。
そういうの直したまんま直したかちょっと忘れましたけれどもそういうやり取りをやりますよって言って始まる前にちょっと原宿のおうちにも挨拶というか、説明に行ったこともありますけどねうん。いやだけど、なんかお母さんの今のお話を聞いて何となく問題点がわかってきたなってちょっと感じたのがですね、とある原作者の方がすごくドラマ化にあたって揉めている最中にその原作者の方と会ってお話する機会があったんですよ私は関わりがなかったんですけど、うん。
そしたらその原作者が言うには、別に変えてくれてもいいんだけど、変えるなら変えるなりの理由を説明してもらいたいんだよっていう、そういうあたりをふわっとしたまま帰られても納得いくわけないじゃないですかってその方おっしゃってて、うん。
全くその通りだなと思ったんですよね。うん。こっちだってね他の方の原作を変えるには、変えた方がいいって確信がなかったら安易に変えてるわけじゃないじゃないですか。うん。それをどれだけね、お伝えして納得していただけるかっていうのはやっぱり丁寧なプロセスだし時間が必要なんだと思うんですよ。
うん。だけど、やっぱり最近のテレビドラマの撮影のスケジュールとか制作のスケジュールを見ると、うん多いスケジュールを取る余裕さえないような状況で作られてる場合って多いかなと思うんで、なんかねでも、そこは時間かけるべきところですよね。
本当そう思いますね。だってそこに時間かけなかったら、原作者にも意図が伝わらないし、虚構化にもう、なんですか、原則省の意図が伝わらないから、結局齟齬は発生してそのままずっといっちゃいますよねそうなんですよ。
だから不信感だけが募ってってくることなのかなってちょっとコメントいただいてるので、6木村さん、芦原さんが最後にはご自身で脚本を書かれていますが、前はご自身で脚本を書く話はなかったのかなと思いました。いやそれは多分ご自身も何か出ているニュースを読む限りは、本当は書きたいを書きたくて書いたわけではなかったという。
うん、うんね。推測はしないというは言いましたけど、多分最初の約束として提示されていたんですって。これは憶測じゃなく事実として出てるんですけれど、完結していないから、ドラマの完結する和に関しては自分のストーリーを使ってほしいセリフもそのまま書いてくださいという条件を出していたんですって、許諾のときにただその最中ですごく過失が多くて、時間的なことも考えて自分で書いた方がいいんじゃないかって決断されたんだろうと思うんですよね。
だからやはり脚本は脚本家で最初のうちきちんと任されていたんだろうと思います。そんなに何かね、無効な要求をされていたわけでもないし、ただやはり、なんていうんでしょうね。芦原さんには芦原さんのファンもいらっしゃるし、その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけで、そのファンの方々がそれぞれね自分のが好きな脚本家さん、あるいは原作者さんに期待するものが多いし、その期待に応えたいと思うのってやっぱりそれはねお2人とも当然じゃないですか。
だからああいう説明に至ったんだろうと思うんですよねそれぞれのファンの方はそれ読んで納得すればそれで済むことだったのに、そうじゃない人たちなんかあまりにも攻めすぎなんじゃないのっていうのはちょっと感じましたね。
まあね芦田さんの最後のDとかツイートっていうか、そこがね、攻撃したかったわけじゃなくてってそうそうそうなんですよ。だからやっぱりね、うん。すいません、このプランだから、あの脚本家の方に非難が集中してるけれども、原則車に避難っていうのはな、ほとんど僕見たことがないんですけどそれ、それなのに、原作者がこういうことを書くっていうのはやっぱりSNSへの誹謗中傷に心を射止められたのかなと思っちゃいますけどね省察なんですその辺りはねあれなんですけれど、そうなんです。
なんでしょうねやっぱりここ最近、本当に私自身がもう行けない風潮だなって、やめてもらいたいなと思ってるのがすぐに対立構造で物を語りたがるっていうだからこれだって別にね、そこまで本課さんと原作者さんが直接的に2人で対立したりしていた話ではなかったように思うんですよ。
いやこれ日テレの自己弁護の可能性があるよね。芦原先生のXと齟齬がある
「芦原先生の意向を小学館側から正確に伝えられていなかった」「脚本家も聞いていなかったらしい」
と回答している。
原作者とドラマ制作側で一体何があったのか?あるフリーのプロデューサーに取材しますと、あくまで日本テレビ側から聞いた話として、
「日本テレビは芦原先生の意向を小学館側から正確に伝えられていないようだ」
「原作を変えてほしくないことを脚本家も聞いていなかったようで気の毒」
などと話していました。
うわぁ!机が喋った!と同レベルではあるけど「Live News イット!それが見えたら終わり」の取材では
1.そもそも原作者→小学館→日テレで情報の伝達に齟齬があったのではないか
2.さらに日テレ→脚本家への情報伝達に齟齬があったのではないか
という話が出てきている。
ただ実際に原作者は日テレを通じて脚本に何度もリテイクを出して、自分で手直しもしているし
※ 始めにこの文は現在公開されている映画「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」の内容やSEED本編には全く関係が無い、ただの人生の半分以上を同人という世界に身を浸してきたオタクの同人懐古話である事を注記する。
20年越しでのSEED映画公開に対して某先生がコメントしていたというのを見て、走馬灯のように思い出した昔のBL同人界と同人誌の話をする。
まだインターネットが一般に普及しきっておらず、当然Twitterやpixivも無く、2ちゃんねるも出来たばかりぐらいの2〇年前の話だ。
当時の情報媒体はまだ雑誌が主体であり、同人誌の頒布方法はイベントか通信販売だった。
書店委託(当時はアニメイトかまんだらけ)で買えるのは一部の大手だけであった。(書店委託できるサークルは大手の証であった時期)
では大多数はどう通信販売をしていたかというと「自作同人誌の情報を雑誌(ぱふ・アニメーシュ・COMIC BOX ジュニア・ファンロード等)に掲載・ペーパーを配布(イベントかアニメイトかまんだらけ)し、欲しい人は記載された住所に手紙を出し、サークルと直接取り引きをする」だった。
前述通り、住所で調べたら行き方や家の画像が出てくるNAVITIMEやgoogleMAPは勿論無い時代で、むしろ住所は載せなければ通販はできない時代だった。(個人情報保護の考えや法案等は勿論無い)
この「サークルと直接取り引きをする」というのは、つまり当時通販作業は殆ど全て作者本人の手作業でやっていたのである。同人誌の梱包作業の為の資材準備から、何十・人によっては何百・何千件の郵送手配まで全て。
当時は資材準備に便利な百均や郵送を遅い時間や土日祝でも受けてくれるコンビニも無かった(コンビニ自体はもうあったが郵送受付は2004年以降)為、生まれた同人界のマナーがあった。
「通販を頼んだ同人誌は1ヵ月以上待つ事もある、だからと言ってサークル主さんにせっつくのは辞めよう!貴重な時間を使わせているし様々な事情もあるだろうから」
ここまで前提として話した上で、当時同人界隈の問題の一つとしてあったのは「サークルで予告された同人誌が出ない」だった。
中には予約まで受付して代金を徴収していたにも拘らず、作者がやる気を無くした、または別ジャンルに移る等様々な事情で発行できなくなったケースがあり、仲間内で話されるも表沙汰にはなかなかならなかった。
何故かというと前述した理由により、何ヶ月でも待つ方が多かったというのと、予告はサークル側の口約束であり、法に問える可能性は少なく、被害額も一人何百円程度が殆ど、そもそもが同人活動という一種のグレーゾーン社会の中での出来事と有耶無耶になってしまい、結局は通販を頼んだ側の泣き寝入りになっていたことが多かった。
某先生の話に戻す。
某先生は既に商業誌で活躍されていらっしゃる中、漫画ジャンルのかなりマイナーなカップリング(A(攻)×B(受)と表すると、B受自体が少数派の中、B受の主はC×Bだった)の同人誌を出されており、高い画力と美しい表紙で人気だった。
シリーズ長編として銘打たれた分厚いA×B本を発行し、「続きは次のイベントで発行します!」と宣伝。
売り子さんだったとは思うが発行延期になったという話にガッカリはするも楽しみに待ち続けた。
Bはその当時、最愛キャラとして推していた(当時は「推し」という単語は無かったが)のと、某先生の美しい絵での貴重なカップリングでの重厚な物語にすっかり虜になっていた。
友人も某先生の大ファンであり、その本については予約もしたと得意気に話していたのを覚えている。
自分の中での妄想を(今でいう三次創作になるだろうか)ノートに綴ったりもしていた。
その後、ペーパーにて「発行が遅くなってすみません」の言及で、出す気はあるんだと少しの安心と、「○○の本は出すのにこっちの本は出さないんだな」とモヤモヤした思いを抱き続けていた。
月日は経ち、ペーパーからはその本の発行予定は消え、ガンダムSEEDが放映され人気ジャンルとなり、人気サークルの中に某先生の名前をお見掛けし、ガンダムSEEDの推しキャラAへの愛を綴っているのを見、自分の中で
「あの本はもう出ないんだ」とやっと諦めが付いた。
あの当時同人誌を出されていた方々で、今では一般誌やBL商業誌で活躍されている方も多数いる。
この件についてはとっくに時効でもあるだろうし、自分も今更問い質すつもりは毛頭無い。
当時の同人界隈ではサークル規模の大小拘らず「良くある事」だったのだ。
ただ、某先生の名前を見かけるたびに未だに思ってしまうのである。
「あの本は出なかったな、せめてどんな話だったかは見たかったな」と。
※2〇年前の話なので勿論齟齬や記憶違いも多分にあるかとは思うが、記録として残したいとも思い投稿した。訂正、指摘は歓迎する。
勿論、「某先生を侮辱するな、あの本は発行されている」の話があれば喜び勇んで検索の旅に出てこの文は全消去する。
※また、蛇足ではあるが、当時同人誌の通販をした人が何ヶ月でも待つ方が多かったというのは、決して我慢強い方が多かったという訳では無いと言っておく。
そしてその経験があるからこそ、自分は今の同人文化については「良い時代になった」という思いでほぼ占められている。自分の欲しいカップリングやジャンルの同人誌を探し手に入れる為に作者本人に手紙を出し、通販希望のみだと作者に失礼に当たるからと感想を捻り出し郵送を時には何ヶ月も待つ、あるいはイベントでのパンフレットのサークルカットの絵やジャンルカップリング表記だけを頼りにするしかなかったあの頃になんて戻りたくない。
んだけど、私の考えは少数派かなと思うのでここに書く。(多数派に攻撃されないかと怖いから)
事件概要としては、Adoが他の歌手とコラボしたことについてSNS上で否定的なリアクションがあったらしい。
具体的にどれのことなのかは分からなかったけど、Adoとコラボ相手は釣り合ってない(コラボ相手の方が格下?)から嫌だみたいな意見があったのかな。
それに対してAdoがお気持ち表明していて、主張を要約すると概ね以下だった。原文はまあSNSを見に行ってもらえると。
まあ要するに、「マイナスの意見をSNSで言うんじゃあねーよ」って趣旨なのかなと思った。
言うにしても言い方考えろや、みたいなニュアンスというよりは「マイナスの意見をSNSで言うのは邪悪な人でなし」「言うな」という主張なのかなーという感じ。
気持ちは分かる。
せっかく楽しんでもらいたいと思ってやったことが楽しんで貰えなかったり、自分ならまだしもコラボ相手を悪く言われるのは辛いよな。
だけど、クリエイティブやエンタメをやってる側が「マイナスの意見は思っても言うな」っていうのはひどく身勝手だなーって思っちゃったんだよな。
わざわざリプライして攻撃するとか、これみよがしな当てつけとか罵詈雑言はさすがにねーわと思うよ。
そういう明らか悪意でやってんのは限度超えてるけど、「あのひとは好きだけど今回のは残念だったわ」とかつぶやくのもダメなのか?
もしそうなら、FF14は好きだけどあのインフルエンサーは起用してほしくなかったわ、みたいなことを言うのもダメってことになるじゃん。
もしそうなら、パルワールドのキャラクターデザインには本当に不愉快にさせられた、みたいなことを言うのもダメってことになるじゃん。
残念だった、嫌だった、期待外れだったみたいな感想を言うのは「想像力も優しさも配慮もない無神経」なんだろうか?
それに、クリエイティブを世の中に公開したときにマイナスの反応が出ることを押さえつける、否定するのって提供側としてあるべき姿なのか?
クリエイティブやってれば思ったとおりに受け取ってもらえないことや、逆に迷惑に思われちゃうことだってよくあるじゃん。
表にアウトプットを出す以上、そういう反応が出ることもひっくるめて覚悟キメる必要があるんじゃないかなーって思った。
さよなら絵梨でも主人公の父親が言ってたじゃん。創作やってれば自分が傷ついちまうこともあるって。私はこの感覚・価値観大事だなあって思うんだよな。(今回は創作物自体というよりコラボについてではあるけれど)
なもんだから、クリエイティブをやってる側が「私が正しい、お前たちが間違ってる、正せ」ってよう言えるなあって。
自由な意見を配慮に欠けた言葉として区別して、攻撃された傷ついた、傷つけた人間は悪、ってドツボにハマってるのはAdoの方なのではと思ったりした。
「あいつはけなした、僕は怒った、それでこの一件はおしまい」とか、畜生ムカつくなあ今に見てろ、みたいなマインドが大事というか。
「私は嫌だからブロックする」っていうのと「こんなやつはブロックされて当然の人でなしだからブロックする正しさが私にはある」ってのは全然違うというか。
もちろん何を言われても我慢するべきって言いたいわけじゃないよ。中には行き過ぎた、腹に据えかねるコメントもあったんだと思うよ。
なら「こういうのはやり過ぎ」って話を限定するなりがよかったんじゃないかなあ。
あのお気持ち表明に周りの大人もだれもフォローしなかったのか? って思った。
もし本当に「SNSでマイナスの意見を言うのは悪」「マイナスの意見がない状態があるべき正しい姿だ」って思ってるんだとしたらかなりヤバいし怖いな、って思った。
世の中の風潮としても、マイナス意見は絶対悪みたいな流れがある気がしてよけいに怖さを感じるんだよな。
私は「これはよかった」「これはおもんなかった」みたいな色んな意見が言える世の中がいいよ。
まあそんな感じ。
気がついたらトラバ・ブクマがたくさんついていた。色々な意見・反応をしてくれてありがとう、たぶん全部読ませてもらった。
中にはちゃんと読んでから書いたのか疑問なものとか、私がうまく伝えられなくてすまないと思うものとか、あるいは当てこすりだったり暴言だったりするなーとか思うものもあったけど、なるほどと思うようなものやそういう見方もあるんだなと膝を打つようなものもたくさんあった。
なんにせよ、疑問だなあと思って書いたものに素直に反応してもらえるのは本当にありがたいし、全員に感謝したい。
もらった反応のうちいくつかピックアップしてコメントしたいなと思う。せっかく書いてもらったのに全部に反応できなくてごめん。
あの文は
A「公開アカウントでコラボについてマイナスな意見を言う人間を否定している」
B 「公開アカウントでコラボについて暴言を言う人間を否定している」
C「公開アカウントで引用rtやリプライ、DMなど本人に届けるかたちでコラボについてマイナスな意見を言う人間を否定している」
D「公開アカウントで引用rtやリプライ、DMなど本人に届けるかたちでコラボについて暴言を言う人間を否定している」
Dに対して彼が怒るのは真っ当。CとBもまあ理解できる。
これは私の感覚に近いと思った。
Dはさすがにないだろと思うし、BやCも発言する前にちょっと考えたほうが良いんじゃないかと思う。
私はAも含意されてるのかなと感じて、だとしたらそれはとても恐ろしいことだと思った。
この意見は私の思ったことをよりクリアに指摘してくれたと思う、ありがとう。
如何も何もアーティストがエゴサを当たり前にしていてそれが周知されてる時代に、公開でツイートするのって結局暗に見せるためにやってるんじゃないの?
別にadoだけでなく配慮して鍵でやってる奴らも、オープンにやってる奴らに対して「ああ攻撃するためにやってるんだなあ、鍵かけろやボケ」って思っとるぞ
「結局暗に見せるためにやってるんじゃないの?」には私は同意しないなあ。見せる意図なしにSNSに書き込むは普通にあると思う。
「まともな奴はそこを大前提に」っていうのも、何がまともかの線を引くにはちょっと勇み足な領域じゃないかなあ。
もちろん、だからといって何でも言っていいわけじゃないよね。言葉遣いや書き方をよく考えるのは必要だと思う。
前提となるコンテクストもひとつじゃなくて、前提が違うと受け取り方や判断が変わってくることもあるなと思った。ありがとう。
お気持ちは自由/好きすぎてコラボ相手を下手くそ呼ばわり、はコラボ相手を傷つけるから怒ったんだろう/大人の目線だと「好きすぎて周囲を傷つけて回るファン」はショーバイの邪魔になるファンだとも言える笑
商売の邪魔になるファン(と言っていいのか微妙だけど)を遠ざけるとか、ファンを教育・コントロールする意図っていう場合もあるんだね。
そういう発想はなかった。確かにそういう見方もあるかもしれない。ありがとう。
否定的な意見を書く自由もあるし、Adoがファンを選ぶ自由もあるのでは。Adoに対して「どんなに不服でも不愉快でも客扱いしろ」と遠回しに要求している自覚はある?
「どんなに不服でも不愉快でも客扱いしろ」には私は同意しないな。
「自分が嫌だから」客を選ぶのは自由だと思う。「こいつは排除していいやつだ」は違うかなと思った。
ファンの側も、出されたものに対して「これは嫌だった、面白くなかった」って言うのは(言い方はあるけど)自由だと思う。「これはダメなものだから引っ込めろ、やるな」は違うかなと思う。
あれはニコ動とかでよく見た古のオタク仕草では。コラボさせていただいてるんだから私を理由に相手方に迷惑をかけるなよ、っていう。//コンテンツの批判は良いがAdoを叩き棒にしてコラボ相手を殴るのはどうかと思う。
コラボ相手のことを悪く言うなよっていうのが動機として大きいんだろうなあとは思った。心情的にもビジネス的にも。
一方で、コラボコンテンツだとしてもプラス・マイナスどちらの感想も出てくるものじゃないかなとも思う。言い方かなあ。
Adoの書いた内容は個別事例を起点としながらも一般論として述べちゃった(と私は感じた)点で齟齬が生じてるような気がしなくもない。
そんな0100でとらえなくてもというか増田もだいぶ強めに受け取ってると思うけどなあ
大人が止めるほどひどい発言にも別に見えなかった…まあ私がそこまで彼女のことを知らないからかもしれんけど
彼女が百戦錬磨45歳くらいのベテランアーティストだったら増田の言うこともわからなくもないけど
Adoさんはそれこそ「あいつはけなした、僕は怒った、それでこの一件はおしまい」のよくネットで見る言葉も元ネタもリアルタイムで知らないくらいの若い人でしょ
創作者やアーティストである以前にまだたくさん経験することがこれからある人間としてあのくらい感情が迸っても仕方ない醜い発言たくさん見たのかなって少しわかってあげてもいい気がする(若いファンの人びっくりするほど過激なこと書く人いるしね)
何か言えばすぐ大きな話になってアーティストとしての矜持や凡百の創作論みたいなものが(こっちからは可視化できないけどたった一人の人間にいっぺんに何千何万分)ぶつけられるのネットって本当に不自由だと思うわ
彼女が何を言ったところで実際には増田が例に挙げたそれらすべての発言が今日から全部しちゃだめです!にもならないし、はいわかりましたやめます!ともなるわけないんだし
言いたいやつは誰に言われたところで言うしそこまでの力はAdoさんにも誰にもないんだからさ
増田が箇条書きにして書いた最後のことが一番言いたかったことなんじゃないのかな
もしそうなら、で例に挙げてるようなことはだいぶ拡大しすぎて捉えてると思うよ
「これはよかった」「これはおもんなかった」を言うなとは全然書いてないと思うんだよね…受け取り方かなあ
「増田が箇条書きにして書いた最後のことが一番言いたかったことなんじゃないのかな」っていう趣旨の反応をくれた人が結構いた。
私はAdoの書き込みを「本来マイナス意見は言い方に関係なく言ってはいけないものだし、言う人間は想像力も優しさも配慮もない無神経」って趣旨が含まれているかなと思った。
言うにしても言い方考えろっていう観点については同意。そりゃあそうだよね。
同じような意見をくれた人は多かったけど、この意見は順序立ててあって書き方も丁寧だったからピックアップさせてもらった。ありがとう。
「コラボ相手に見えてしまう場所」のレベルが個々人の受け取り方で違う
あと「配慮に欠けた言葉」も多分、一人一人で思ってるレベルが違う
「コラボ相手に見えてしまう場所」→引用リポストやAdoのポストへの返信ぐらいのレベル(→コラボ相手がエゴサまでして見に行ったら知らん)
もらった色々な意見を見ていて、これだろうなあと思った。
私は
「コラボ相手に見えてしまう場所」→パブリックに参照可能だけれど特にリプライはしていないSNSのつぶやき
「配慮に欠けた言葉」については、配慮というよりもマイナスの意見全般について問題
って言ってるのかなと感じた。
書いてくれたもので例示されている内容に基準を置くと、わたしもフンフンそうだよねって思う。
この観点において、どう受け取るか、またどこにラインを引くか、が人それぞれで結構分かれるんだろうなと思った。
この意見と趣旨が同じ意見もたくさん書いてもらっていたんだけど、観点を分類・例示してくれて理解しやすかった。ありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/20240126111326
長文だから引用しきれないけど、上記のトラバは後半ちょっと関係ないというか牽強付会な議論かなとおもったけど、前半の「トキシックイエスマン」という概念を用いて困ったファンっているよな、という話をしているのが興味深かった。
発達障害かどうかってのは多分関係ない。いわゆる健常者だってそういう言動をすることはよくある。自分の欠点を、自分の意志の欠如の結果ではなく、単なる現象として説明する言説を手に入れると、人はどうしてもそれを使ってしまう。なにせ責任を取る必要がないわけだから。
意志と責任はセットの概念で、自分の意志で行ったのだからこそその責任を取らなければならない、というのがこの社会のルールになっている。でもまあそんなのフィクションなわけだ。人間はただの物理現象で、原子分子がエネルギーポテンシャルの坂道を転がった結果でしかない。とはいえ、人間は意志というフィクションを共有することで互いに関係することができている、というのも事実である。もちろん、人間は皆ただの物理現象であって自由意志なんてない、ということを合意することで回る社会というのもありうると思うが、少なくとも現状そうなっていない。個人が意志を持って行動し、その結果を何らかの形で引き受ける、そういう形で人間社会は回っている。
しかし、能力不足だったり人格の形が社会の多数派からズレていることによって、相当頑張らないとそのフィクションに乗れない人、あるいはそもそも不可能な人、というのが一定数出てくる。つまり意志と責任の物語にうまく参加できない人だ。でそういう人に対する一つの救済の道が、宿命論、つまり君は仕方なくそうなったのであって君に責任はないとする言説である。一番よく行われるのが医学化で、要するに「それは病気だ」とすることだ。これによって「患者」とされた者は責任自由ゲームから少しだけ降りることができ、心の平穏を得ることができたり、そういう形で社会に受け入れられることによってうまく生きていけるようなったりするわけだ。
問題はこのゲームからどの程度降りるのかということだ。本来はちょうど良い塩梅に降りるべきである。例えば自分の不注意に関してはADHDのせいだとしてしょうがないものとする。その一方で、自分の能力の範囲内では、意志と責任を引き受けた方が良い。というのは、ゲームに真面目に参加している他の人間と齟齬が生まれるからだ。この増田が良い例である。増田の彼女はゲームを降りすぎており、その問題に気付いていない。彼女は自分のことを「単なる自然現象だと見てくれ」と言っているのだ。自然現象と人間はうまく関係できるわけがない。だからいまの増田は自然現象をうまく操縦する人という役割になってしまっている。これが「理解のある彼くん」の正体だ。様々な理由によって、相手をただの現象だと思い、何が起こっても「雨に降られたようなものだ、仕方がない」と考えてしまう人のことをそう呼ぶのである。
だからこれから増田がしなければならないことは、彼女を人間に戻すこと、つまり可能な範囲でゲームに参加させること、ということになる。私は自由な意志によってあなたと関係したいと思っている、だからあなたも意志によってそうしてほしいと理解してもらうことである。それができないうちに彼女と結婚したのだとすれば、増田は雨の降る部屋で孤独に人生を送ることになるだろう。
追伸(2024/02/09):ふと思い至って書いた文章が想像以上に反響を呼んでいてびっくりしました。勢いで書いてしまったので重要な論点が一つ抜け落ちていて、それが一部の人を怒らせてしまったようです。お詫びします。というのは、「増田が自然現象になる」という道ももちろんあるからです。2人とも雨になったっていい。虹だって作れるかもしれない。わたしは別に「人間」が偉いとは特に思っていません。お互いにゲームから降りることによって成立する関係も存在すると思います(それはそれで困難があるでしょうが)。しかしこれを書いていたときは、「彼女と互いに人間として恋愛したい増田」の視点に立っていたので、この観点を書きそびれてしまいました。
「お付き合い」の概念が違いすぎた。私はいろんなイベントを通して価値観や相性を確かめて、その先に性的なやり取りや結婚があると思ってた。途中で合わなければその先には進まないイメージ。男は違った。「お付き合い」OKイコール性交渉OKだったらしく、めちゃくちゃグイグイきた。友達に愚痴ったら「それはガッツいてるね」いや、ガッツくとかで済むのこれ?価値観違いすぎで引く。付き合うまでは非常に丁寧な扱いで、交際OKしたら言い方悪いけど性奴隷にしようとするんだよ?こっわ!お付き合いについて認識の齟齬があるのキツいわ。契約書交わしたいわ。お付き合いの同意はしたけど性交渉は別で手続き踏んで欲しい。やはり契約、法律、大事な〜!!すぐ別れた
相当に有名な作家だったら対応も別なのかもしれないけど、基本的にほとんどのライトノベルにおいて、イラストレーターは本文を読んでない。
(そもそも、オタクの中で活字を読む層ってかなり少ない一部の層だけ。それはつまり、それらオタクの中から生えてくるイラストレーターも同じだということで、本一冊分活字を読めるイラストレーター自体が少ない)
髪型はこう、体格はこう、胸の大きさはこう、服装はこんな感じ、雰囲気はこう、という指示を全部書いていく。
そしてもちろん、というか言及先エントリを書いたこいつは確実に関係者ではあると思うんだけど、既存のどのキャラに似た感じにするかの指定が入る。
その上で、編集とどのシーンに挿絵を入れるか相談をして、編集が「これこれこういうシーン」っていう風に発注をかける。
そして返ってきたイラストは、本文を読んでないから細かいニュアンスが伝わってないのでメチャクチャだったりする。
もちろん、例えばエルフ耳で発注をかけたキャラなのに人間の丸い耳をしていたら、これはもうそもそも発注と違うので直しを入れられるんだけど
(本文の描写と明らかに食い違うレベルだと、そもそも挿絵として成り立ってないので、これはしょうがない)
基本的に発注内容と齟齬がなければ直しは入れられない文化。特に「大御所」で当たりと言われているイラストレーターほどこれは顕著になってくる。
本文を読んでないっていうのがどういう風に問題になってくるかというと、例えばだけど、日常滅多なことじゃ笑わない寡黙キャラがいたとする。
そのキャラの挿絵で、笑っている印象的なシーンを発注したとして、大口開けてゲラゲラ大爆笑している挿絵だったら雰囲気的に相当おかしいよね?
でも、本文を読んでいないから平気でそういう感じのシーンに合わないイラストを提出してくるわけ。
もちろん、そういうところは編集がカバーすべき領域なんだけど、編集のほうもそういう細かいニュアンスを他人に伝えるには文章能力が必要だし
そもそもイラストレーターに読解力がなかったらどうしようもない。
編集もイラストレーターも両方高い能力が備わっていて、すり合わせができていればイメージが合っていくんだろうけど、そんなケースはごくごくわずか。
もちろんラフで提出した段階で「ここ気をつけてくださいね」って注意できればいいけど、それにも限界がある。そもそもラフが雑すぎて、口の大きさや細かな表情のニュアンスなんて読み取れなかったりする。
「不満なら作者側でNGだしてやり直させりゃいいじゃん」
って思うでしょ?
それができないんですわ。
イラストレーターには、そういう面倒なNGリテイクを回避する方法があるのよ。
締め切りギリギリに出されて、表紙と口絵と挿絵、全部揃えるのに、NGでラフの直しをさせてたら間に合わないよ?
そしたら原稿落ちるわけだけど、それは困るよね?
ってやり口をしてくるわけ。
それでも先に書いたように、エルフ耳が人間の耳レベルの間違いや、そもそも本文の助けになるどころか雰囲気をブチ壊しにする挿絵だったら、修正させざるをえない。
そうなった場合は挿絵の点数を削っていくんだよ。いちばん重要な表紙のクオリティだけは犠牲にできないけど、挿絵は犠牲にできる。
挿絵の点数を削るのは、本当に日常的に慣れてしまうレベルで行われている。
これは俺が取引してきた1つの編集とイラストレーターの話じゃなくて、3社で仕事したけど全部そう。
同じ作家の友達でも、きちんと読んでくれて納期を守ってくれる(つまり編集側が考える、直しを入れられる時間的余裕を設定した上での適切な納期を守る)イラストレーターって、
それこそ一定以上のクオリティの仕事をしてくれる絵師の中では殆どいないのよ。出会えたら奇跡レベル。
俺はみんなが神絵師なんて持て囃してる人とも仕事してきたけど、そういう人でも当たり前にそういうことをしてくる。
んで、ライトノベル作家は納期ギリギリでイラついてる編集に言われるんですわ。
「◯◯さんの考える解釈が✕✕さんと違うだけなので、それは受け入れてくださいよ」
って。
いや、俺作者だよ? 本文も読んでない納期も守らないクソイラストレーターと、作品世界をまるごと守ってる作者本人の解釈のどっちが正しいなんて、議論以前の問題だろうがと。
読んでるなら、もちろん違う解釈も最大限尊重するけど、読んでないんじゃ解釈もくそもない。
ちなみにイラストレーターの都合で一ヶ月スケジュール伸びるっていうの、普通にあるからね。
そんで、作者は「大人の対応」を要求されるから、それは告知できないんですわ。楽しみにまってる読者からしたら「作者が落としたんか?」って疑惑がつきまとうのを我慢しなきゃならないわけ。
まあとにかくイラストレーターっつーのはクソばっかりですわ。
AIで出力したってことは、出力するためのプロンプトがあるだろ。
・こんな絵柄
・こんなポーズ
・こんな見た目
・こんな表情
・こんな雰囲気
・こんな画角
直接話して齟齬ないように進めるよ。
付き合いが長ければ省くけど、省けるまではしっかりコミュニケーション取るよ
「こんな感じにお願いします」なんてもんを依頼書だなんて言うなよ。
参考素材を探す行為自体がイラストを描く際の要素の理解に繋がってるだろ。
イラストを描けるようになれとは言わんけど、
ある程度欲しいイラストの完成図がイメージできてるならそれを伝える努力しろよ。
他人はエスパーじゃねえぞ。それで「思ってたのとちょっと違うんですよね」とか言うなよぶっ飛ばすぞ
あと「ポーズ指定しなきゃいけないんですか?」とか言ってるけど基本そうだよ。指定するよ。
売れない絵師さんはそういう所を自分から提案しなきゃ軌道に乗らないのも事実だけど、
売れてる人は完全おまかせか、細かくオーダーさせてもらうかのどっちかだよ。
こういう依頼の業務を適当にやった結果イラストレーターと揉めて仕事増やしてるのよく見る。
知識ゼロのパリピみたいなやつ最近めっちゃ多くてうんざりするわ。
シンプルに意図を伝えるのが下手くそなのをイラストレーターのせいにするなよ。
あとAIが仕事奪うって言ってる人多いけど、それもあんまり正確じゃ無いと思うぞ。
個人的には「絵柄パクられたAIイラストが商用利用されてる」でイラストレーターさんに被害報告が行くことが多くて
↓
楽しい?
股間を強調したプリントのスラックス(GUで買える)を履いたり、
乳首や腹筋を強調したプリントのシャツ(Amazonほかで買える)身に付けたりして、
性器を見せてないし肌を見せてないし特殊な店で買ってもいませんよね?
でもこんなんで出歩く人おらんやん
↓
↓
アクロバティック過ぎるんだが?長かったのか?
キャンペーンイラストで特に問題となった作品
😡「なんでこんなイラスト作ったの!!」
🥺「悪気は無かったの。一部イラストの監修が漏れてたの」(イラストレーターが勝手に描いた)
じゃけん嘘はいけませんね〜
イラストレーターと齟齬があったわけでもイラストレーターが暴走したわけでもないよ
最初の『みるタイツ』のアニメコラボから女子高生の黒タイツ伝線パンツ見せでカッ飛ばしてたが、クレームが入らなかった
https://originalnews.nico/216814
フェチエロ画集(黒タイツでマングリ返し・黒タイツでM字開脚)を公式垢で画像RTで褒め称えても、クレームが入らなかった
https://twitter.com/atsugi_jp/status/1310797873752072193?s=21
この路線で行こう → この路線で行ったところ絵師の影響力でオタク女までフェチ絵ツイートが届く → オタク女怒りの引用RT → 一般人女もおこ → 炎上 だぞ
前提として真偽はこれから、LINEのスクショで状況は変わらない。
最初の報道に対するブコメから、松本のことが以前から嫌いだった、という自分語りの上の批判が殺到してた。何ならこの騒動前の関係ない松本の話題に対しても。
松本を叩くためなら憶測でもお構いなしのコメントも散見された。(これは今もいる)
松本憎しの消えろ勢としては、松本が何かしらの罪に問われてないといけない。問われないのだとしたら、ただの派手な女遊びに過ぎず、ダメージほぼゼロで終わるから。週刊誌の文面からは読み取れない罪に対しても、憶測で松本叩きに使ってる人たくさんいた。
しかし、文春の追撃が中々出ないので、世間は一旦静観モードに入った。ただブコメだけはルサンチマンで松本叩きを続けている。
ブコメときたら、吉本のコメントの齟齬や、LINEの捏造/小沢の自演を疑い始めてる。
これは常軌を逸してると思う。
文春の追撃がない以上、A氏の証言だけなのに。
正直「俺の子供産めや!!」も、文面だとキモいけど、文脈次第ではお笑いかもしれない。これはよくある切り取りだと思う。ネット記事の見出し詐欺と同じやり口。その上でサブいのはさもありなん。
派手な女遊びで終わっても、その中での暴言や、過去のごっつでの蛮行などは発掘されるので、露出減少くらいのダメージはありそう。