はてなキーワード: 農作物とは
似たような例だと、豚とか農作物の盗難も同じ国同士のコミュニティという売れる場所があるから起きる。
転売を起こす人たちを取り締まるのではなく転売を出来ない環境を作らないといつまでたってもなくならない。
フリマサイト側は手数料が入れば転売だろうと知ったことではない。企業の良心というか、品格が問われる。
現状、場所を提供する企業側の良心が期待できないので、法規制をしないと解決しないだろうね。
あと、商売の基本は転売とか言って転売行為を正当化する人それなりにいるけれど、小売店はメーカ製品を流通に乗せる窓口というサービスを提供している。
せどりは地方の店や小さい店などから人の目に付きにくい商品を発掘して入手しやすくしているという付加価値を提供している。
転売ヤーは正常な物流の流れを塞き止めて法外な価格を要求するだけ。紛争地帯で井戸に毒投げこんで「水が欲しけりゃうちの井戸を金払って使え」というマフィアとやっている事同じ
「これはビジネスです!ノウハウ教えます!」とか言ってる転売ヤーなど特に救いがない。褒められた行為じゃないよ。
本人たちに転売をやめろと言っても、もうすでに取り返しのつかないところまで精神が腐ってしまっているので無駄。
人間、一度楽して利益を享受できる甘味を知るとまともな道に戻るのは難しい。ギリシャとかナウルの話有名だよね。
そんな転売ヤー、調べると地獄にぴったりの場所があるという。如飛虫堕というエリアらしい。
【如飛虫堕処(にょひちゅうだしょ)】
人々から得た物品を高額で販売し、しかも儲けがなかったと嘘をついて自分だけ大儲けした者が落ちる。獄卒が罪人を斧で切り裂き、秤で計って、群がる犬達に食わせる。
ここ数日、はてな匿名ダイアリーで、都会から田舎へ引っ越してだるーんな人の記事が話題になっておりましたので、ここで一つ自分の話をしようと思いました。
私はまず埼玉の、池袋や新宿まで自宅から1時間くらいのところに産まれ20才で家を出て、東京23区内に10年、多摩地区に2年、そして鹿児島のとある離島に嫁いで12年になります。
何で離島まで行ったかと言えば、色々事情が重なり、夫婦共々義実家にお世話になる以外選択肢がなかったからなので、行きたい嫌だ以前に、行かざるを得ません、という感覚ですね。
で、特徴を箇条書きしてみます。
1.一軒家かつ隣が遠いので、騒音を気にせず音を出せる。
これは住んでみると案外大きかったです。
声量や足音を気にしないで行動できますし、いつでも音楽を流せます。
コーポやマンションはそうもいかないと思いますが、大体見知った仲の人たちがぐちゃっと住んでいるらしく、お互い様感覚だとか。
2.買い物する場所がない
私は車の免許を持っていないので(取ったら人を死なせるか自分が死ぬかのチキンレース)、徒歩で買い物に行きますが、10分圏内だと個人商店が2軒だけで、20分で薬局兼雑貨屋、といったところです。
肉や魚は冷凍、他の食品も高いので、夫が休みの時に車で15分くらいのスーパーに買い出しに行きます。
私の住んでいる場所から20〜30分のところに島で一番栄えてる港がありますが、そこもスーパーが3軒、ホムセンが1軒、あとは個人の専門商店が多いです。
何でか知りませんが肉屋が多くて、関東よりお肉がおいしいです。
ただ、通販の著しい発達で欲しいものは大体Amazonや楽天で揃います。
ウィンドウショッピングや、書店やレコード屋がないためジャケ買いができないのはキツいです。
3:都会を一番感じるのはコンビニ
3軒あるなら別々にして欲しいですが事情があるので仕方ありません。
この島で流行の最先端や都会の匂いを嗅ぎたければコンビニが手っ取り早いです。
品物の入れ替わりが頻繁ですし、流行しているものを多く取り入れてますから。
島には書店がないので、雑誌や流行しているマンガの単行本などは本来の発売日より3日遅れで棚に並びます。
流石に鬼滅の刃は置いてありませんでしたが、予約取り寄せはしてくれるようです。
4.娯楽施設がない。
大きな公園・遊園地・動物園水族館博物館美術館・映画館・ゲームセンター・ショッピングモール、全滅です。
あと、男性の一部にとってはつらいかもですが、キャバクラと風俗がありません。
鹿児島と我が島に予算や力が無いのと、風営法が絡んでそのような状態になっています。
我が家はインドア派なので、休日はTV・PC・スマホ・ゲーム機がフル稼働していますが、正直なところこの環境で他の家庭が休日に何をしているのかさっぱりわかりません。
いや本当に何してるんだろう?
なんか、山林はたくさんあります。
ただ、本州ではみたことのない樹木や植物がワサワサしていて、それらは常緑樹?みたいで、紅葉や落葉をしません。生体よく分からない。
また、夏場はハブがでるので草深いところに行くのは厳禁です。噛まれたら死にます。保育園の避難訓練に「ハブ」がある程度には頻繁に出ます。
農作物に関してはサトウキビ畑がうわーっと広がっていて、その間に個人所有の畜牛の牛舎があって、秋になると空き地が耕されジャガイモを植えます。
その年によって台風や気候がかなり違うので、取れ高やキロあたりの価格も相当違いますが、島で農業をしている人はそこらへん余り気にしていないようです。
高く売れたらヤッホー!安い時はショボーン、みたいな。
まあ皆さん元々がいいかg…おおらかなので、そこも大雑把でやってるようです。
7.帰省が難しい
イマドキの増田さんなら、こんなところで生きたく無い育ちたく無いと感じる方も多いでしょう。
もう子どもの頃からネットに触れて、全国、特に大都市圏の事情を知っている人がここにきたら、出生・移住ガチャで大失敗をした、と感じるはずです。
ただ、私としては、ネットがあるから隣の芝生がエメラルドグリーンに見えちゃうし、ネットがあるからこんな僻地でも生きていける、という二律背反はひしひし感じます。
嫁いでから島に友人知人が全くできなくとも寂しく無いのは、リアルタイムで住まいがどこであろうと友人達にアクセスできるからですし。
いや、人として1人くらいリア友いるべきなんでしょうけど。
長々と書いてしまいましたが、何というか、暮らしに飽きたりモノがないことにブーブー文句言いながらも、割と快適に生きてはいるよ、という感じです。
住めば都、とは申しませんが、まあ都会の方が圧倒的に楽しいのはそうですけど、楽しいばかりが生活でもないので。
何か尻切れ蜻蛉ですが、これにて。
オレんちと同じくらい田舎やったんねw
ウチでは、昭和の末期ごろに家を建替えるまでは、掘りごたつが現役だったね。四辺に足を乗せる板があるけど、中央部はそのまま炭火を置く構造だから、ヘタに足を突っ込むとテキメンに火傷するw
かまども(平常時は主にプロパンガスだったが)盆正月などに大量の料理するとか、味噌仕込むのに大豆を煮るとかのときは現役だった。
裏山に炭焼き窯があって、自前で木炭も作ってたし、風呂を沸かすのも薪で火を焚いてた。
農道は、そのころ絶賛建設途上で、クルマで行けない山の上から農作物とか木材とかをふもとに運ぶのは、架線(かせん)と呼ばれるケーブルカー的なものだったが、昭和50年代後半にはほぼ使われなくなったな。
思いついた順。順番に意味は無い。
・田舎の道路は舗装されて無いのがあたりまえだった。ごく一部が舗装されていたが、舗装はコンクリートだった。アスファルト舗装はまだほとんど無かった。
・川にかかる橋はまだ木と土でできていた。わずか数年のうちに、全部コンクリート造りに作り変えられた。その時の橋がまだ現役。
・石炭がまだ日常的に使われていた。学校の隅の方には石炭を積み上げておく小屋があって、冬は当番の子供がその日のストーブで燃やす石炭を小屋から教室に運んでいた。炭の燃えカスの掃除は先生がやってくれていた気がする。石炭ストーブが石油ストーブに置き換わると、石炭小屋は鶏小屋に改装されて、学校でニワトリを飼っていた。
・火鉢や七輪がまだ現役だった。火鉢の中では炭を燃やして暖をとっていた。
・掘りごたつの底は格子状になっていて、その下で炭か何か燃やして暖を取る構造だったが、それは当時すでに廃れていた。電熱線を使った電気ごたつが安くて便利なので、かなりはやくから普及していた気がする。
・家にかまどがあった。物ごころついた時にはもう使われなくなっていてプロパンガスだった。お年寄りの家ではまだ現役でかまどが使われていた。
・洗濯ものは川や湧水のあるところでやっていた。湧水は出口すぐが飲用水の採取場所、数m下ると食器や食べ物を洗う場所、そこからさらに数m下るとそれ以外を洗うもの、と順番が決まっていて、いつもだれか数人の主婦が何か家事をやっていた。水道が普及するといつしか誰も使わなくなり、掃除されなくなり、廃れた。
・秋には落ち葉のたき火で焼き芋を焼いて食べるのが定番のおやつだった。
・農業に使うかごなどが、まだ藁で作られていた。この伝統は数年後にはすっかり無くなってしまった。
・村の加治屋さんがいて、農機具の修理などをやっていた。
・軽トラックが普及しはじめていたが、農道がまだほとんど整備されていなかった。車が通れない歩行者用の山道を、天秤棒をつかって前後に思い荷物をぶらさげて運ぶという仕事がまだあった。
・コンクリートブロックを使って塀を作るのが流行り、みんなで競うように塀を作っていた時期があった。へー。
・車はどの車も数年でサビサビになった。今のような耐久性のある焼付塗装がまだ開発されておらず、車検のたびに車の塗装をやりなおしていた。車検とはある意味、車の塗装をやりなおすイベントだった。
・街へ行くたびに、あちこちでボコボコビルが建ち始めていた時代。1970年より前に建築されたコンクリート作りのビルというのはかなり珍しいが、1970年代にはめちゃめちゃ大量のコンクリート造りのビルが建設されて、日本の街の風景が一変した。
・いまはシャッター街となっている田舎の商店街に、もっとも活気があった時代。
・軍隊帰りの教師が現役でいた。ゼロ戦の特攻隊の訓練生だったとか、広島に原爆が投下された後の遺体を積み上げて燃やす作業をやったという教師がリアルに居た。多くの大人たちが原爆のキノコ雲の目撃者だった。
・家を建てる時、壁は土壁だった。そのへんの土に藁を混ぜて建材として使っていた。土壁の中の芯は細い竹を格子に編んだものだった。
・貯金の金利がめちゃめちゃ高かった。しかし実際には金利以上にインフレになったので、真面目に貯金した人はむしろ損をした。
・缶ジュースは当時から1本100円だった。子供には高級な飲み物だった。
・お豆腐屋さんに毎日お豆腐を買いに行っていた。田舎でも数100mも歩けば、一軒は豆腐を豆から作っている豆腐屋さんがあった。
・主婦が買い物に行くときは、細い竹を編んだような、かわいらしい買い物かごを持って買い物に行っていた。レジ袋などというものはまだ無かった。せいぜい紙袋。
・生ゴミはかまどで燃やして処分していた。灰は肥料として活用された。街のゴミの収集車は、不燃ごみの回収が主だった。
・冠婚葬祭は、5人組といわれる隣近所のグループで協力しあって、自宅で行うのが当たり前だった。
・どこの家にも子供がいた。夜は外出を厳しく制限された。今思えば、どこの家庭も夜になると夫婦でセックスして楽しむのが当たり前だったんだろう。
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・子どもは神社やお寺の境内に集まってよく遊んでいた。缶けりとかが定番だった。
・そんなド田舎にもエロ本はあった。子どもたちが拾い集めたエロ本の隠し場所が神社の床下だった。
・雨の日はよくトランプしていた気がする。
・こたつのテーブルの板をひっくりかえすと麻雀用の緑のフェルトが貼ってあった。
・蛍光灯が爆発的に普及したのがこの頃だった。電球よりずっと明るいので最初はみんな驚いた。
(しかし、統計を見ると子どもが減り始めたのもこの頃。電球の方がエロい気分になりやすかったというメリットはあったのかもしれない)
・バスには運転手のほかに、切符を売ったり、バックする時に誘導したりする車掌がもう1人乗っていた。それがワンマンになったのも昭和50年代
・国鉄で荷物を送るときは、包み方にめんどくさい規定があって、紐で縛ったり指定のタグをつけたりしなくてはならなかった。
・昭和50年代に複数の宅配便会社が競争で一気に普及して、国鉄で荷物を送ることは全くなくなった。
・女子の体操服はブルマだった。バレー部が人気だった。部活やマラソン大会では女子が校外を体操服(下はブルマ)で走っていた。
・ダンボールは既に普及していた。ダンボールが普及する前は農作物は木の箱に入れて出荷していたらしい。使われなくなった木の箱がよく他の事に転用されていた。
・そんなド田舎でも新聞と牛乳は毎朝届いていた。牛乳はビンに入っていた。
・学校の校舎は当然木造。体育館も木造。今思うと、体育館のような大きな建物が木造っていうのは当時としてはなかなか凄い事だったんじゃないかという気がする。
・バイクといえばスーパーカブのことだった。それ以外のバイクは見たことが無いレベルだった。
・車と言えば軽トラだった。それ以外の車も見かけたが、変わり者扱いされるレベルだった。
・仕出し弁当とかは薄い木で作った箱に入っていた。プラスチックや発泡スチロール製のトレ―が普及したのも昭和50年代
・幹線道路なのに1車線のところがあり、ときどき渋滞でにっちもさっちもいかなくなって警察を呼ぶことがあった。
・リヤカーを引いて魚を売りに来るおじさんがいた。スーパーカブに山ほど靴を積み上げて靴を売りにくるおじさんもいた。富山の薬売りもいた。
どこの誰だか全然しらない人に相手のなにかしら欲求に合わせてこちらが何の用事もないのに合うことにはコストがかかる
コストといってもいろいろあってそれぞれ出すのも面倒なのでまとめて一つだけ言うとそういう客に出会ってサービスを提供するのにけっこうな金額がかかる
工事の施工とかお水の接客とかファストフードやコンビニでも一番高い原価は人件費
ゲーム会社とかコンビニとかお水とか官公庁とかなんでもそうだけど一番価値の高い基軸的な取り扱い商品は個人情報
君が言ってるのは畑を公開してみんな直接買い付けに来たらすっごいいいじゃんって事と同じ
畑とお客と農作物はwin-winな関係でいい取引ができるだろうけど恣意的に物量を集中させ利益を不毛に競争させて差益を得ようとする人がわいてくる
そう 転売ヤーみたいにね
カプコン商品なら即ポチな高額商品購入履歴の客を閲覧できたら そいつら100人の名簿を手に入れて「カプコン限定商品100名限定先行公開商品」と銘打って10万円の勧誘をできる
100人に対して10万円で1000万円の純利益 5人のスタッフで3か月かけるとしたら日当1万円で10,000x5x(30x3)=4,500,000 だから500万円ほど「詐欺商品・詐欺サービス」の作成に割り当てれる
この辺の数字は適当のなのでそういうやつらのコネと才能と発想で変わるだろうけど これで釣れる相手のいるいけすにピンポイントに釣り糸を垂らせるわけ
そういう層とか人種とか団体とか個人っていうリストはあつめてるやつが公開しないかぎりうっすらと点在しているだけなので不毛な努力を重ねに重ねてはじめてリスト化できる
これを携帯電話とか銀行とかのやつらがそういう偽商品を作るようなところに売ってるから詐欺がなくならない
政治なんて単純化すれば、AとBどちらがいいかという選択の繰り返しなわけだが
「Aにはこんなメリットがある」「でもAはこういうデメリットがありますよね」「それを言ったらBだって」……と議論を続け、AとB両方のメリットとデメリットが出揃った後は、『それでも僕はA(B)がいい』という主観と感情による戦いに行きつく。
そもそもなぜAとBで意見が対立するかと言えば、感情的にAが良いと思う人とBが良いと思う人がいるからである。その感情のひとつに「得をしたい、損をしたくない」という利己的な欲求があげられる。
例えば、農家は、キツネを撃つことで鹿が増え農作物が荒らされるのを危惧して、キツネの狩猟を止めること求めるかもしれないが、猟師は食い扶持のためにキツネを撃つだろう。キツネ狩猟のメリットやデメリットは他にもあるだろうが、それはさておき農家と猟師の対立は感情的な理由に基づくのである。そしてこの感情的な対立に正しい答えというものはない。この答えのない争いを仲裁するのが法である。政治を利害の調整とする見方はここにはじまる。IRはモロに利権が絡む問題だ。
究極的に、全て突き詰めてしまうとこの世に答えなど一切ない。答えを出すためには、ある価値観に基づき、どちらがより良いかを判断するしかないが、何を価値基準にするかというのは話者の感情によって決定する。『政府から適正に合わせた仕事を与えられ、適齢になると出産を要請され、老いると死を促される、少子化も高齢化もない代わりに自由は一切ない』という社会の是非を問うとき「生産性の高い社会こそ素晴らしいから賛成だ」と答えるにしても「自由な社会こそ皆が幸せに暮らせるものだから反対だ」と答えるにしても、そこに自己の主観的感情的判断を引用しないことは不可能なのである。
消費税が10%にもなってしまったこととの背景には、地方の資産税収入の減収という要因もあるんだろうな。
地方の地価は下がりっぱなしで、それに伴い、土地に課税される資産税の税収も下がる一方。
それだけでなく、耕作放棄されたような土地だと、その少ない資産課税すらボイコットされる。
なぜなら、売ろうにも売れない土地の評価額に妥当性なんて無いからだ。
妥当性の無い評価額に従って決められる資産税額にも妥当性なんてないということになる。
この傾向が健全化する兆しは無い。代わりの財源として消費税が必要とされている訳だ。
そもそもなんで田舎の土地がタダ同然になっているのかといえば、
農家は自分で作った農作物の値段を自分で決められないという歪んだ産業構造が背景にあったと思う。
市場で買い付けするバイヤーどうしがつるんで農作物を安く買いたたく、「逆談合」とでも呼ぶべき状況が、昔から野放しなのである。
1990年代は、それでも、農業しかできない人たちは我慢して農業していたんだよ。
でも、今はもうそういう時代じゃない。やってられない。廃業するしかない。
そして農地の地価下落→税収減少→代わりの財源が必要→消費税UP
農作物の盗難被害をツイッターに書いたところ、加害者が「外国人」だとは書くなと、町山智浩氏、米山隆一氏などリベラルの人々が激しく批判している。そのツイートは「外国人を加害者と決めつける行為」で、「外国人ヘイト」だと、批判している。
で、最近のリベラルといえば、Black lives matter (BLM) 。おおざっぱにいうと、白人警官が黒人を射殺したことが問題になっている。しかし、リベラルが、「警官が白人だと公表するのは、白人を加害者と決めつける行為」で「白人ヘイト」だと批判したことがあっただろうか?実際に、白人と黒人の対立や非黒人に対する暴動も起きていて、無関係の非黒人が被害を被っている。
町山智浩氏、米山隆一氏などリベラルの人々は、「白人へのヘイトスピーチ」はOKとする、白人差別主義者ということなのだろうか?
そう思わない人も居るかもしれないが、犯罪報道の際、犯人の家にあった漫画やアニメグッズを報道するのと同じだと言えば「なるほど」と思う人もいるのではないか。
犯人は性別、国籍、年齢、病歴、趣味、様々な属性を持っている。その中で「犯人は外国人だった」「犯人はアニメオタクだった」と1つの属性を殊更に取り上げるのは、その属性と犯罪を結びつけようとする行いだ。
もちろん逆も真だ。
「犯人はアニメオタクだった」という報道に憤る人が「犯人は外国人だった」をセーフだと思うのは矛盾だが、
それを指摘する人がもし、「犯人はアニメオタクだった」という報道を問題だと思わないのに「犯人は外国人だった」に憤るなら、それもまた矛盾だ。
「犯人は外国人だった」が問題だと言いたいなら、「犯人はアニメオタクだった」も問題だとしなければ理屈が合わない。
さて、だとしたら、つるのを批判している人たちの内、一体どれくらいが矛盾せずにいられるだろうか?
「犯人は外国人だった」の問題点は犯罪に無関係な属性と犯罪を結びつけている点だ。この問題点は「犯人はアニメオタクだった」にも共通する。
当然ながら、こうした偏見を助長する発言の問題は犯罪に限らない。
犯罪に至らないが一般的に悪いとされている性質や、能力など、犯罪以外と結びつける場合も問題である。
つまり「なにかしら悪いもの」と例えば「オタク」を結びつける発言はどれもまずいのだが、そうした発言をしていない人がどれくらいいるだろうか?
「オタク」じゃなくてもいい。男でも女でも子供でも大人でも、ゲームでも漫画でも演劇でも映画でも、中国でもアメリカでも日本でも、右翼でも左翼でも、ロリコンでもペドでもショタコンでもゲイでもレズでもバイでも。(*)
「どのような偏見も持ったことが無い者だけがつるのに石を投げなさい」とは言わない。そうすると恐らく誰も石を投げられない。
しかしせめて、「自らの偏見を自覚し、悔いる者だけがつるのに石を投げなさい」と言わせて貰えないだろうか?
この事を以って「外国人に犯罪者が多いと印象付ける行為はするべきではない」と考えたいなら、「統計的に誤った認識を印象付ける行為はするべきでない」に同意する必要がある。
けれども「児童を対象にした性犯罪の加害者にペドフィリアが多いという統計的事実は無い」としたらどうだろう?
「統計的に誤った認識を印象付ける行為はするべきでない」に同意する限り、児童性犯罪者とペドフィリアを結びつけるような発言は出来ない事になる。あなたのスタンス次第では、それをすればあなたは直ちに差別主義者となるだろう。
それでもあなたは「統計的に誤った認識を印象付ける行為はするべきでない」に同意する覚悟があるだろうか?
もう1つだけ問題を提起しておきたい。つるのの発言はアウトである、では、つるのは差別主義者だろうか?
恐らくつるのを批判する多くの人は「差別主義者だ」と言うだろう。
けれども、つるのは問題のある発言をしたのと同時に、犯罪被害者でもある。
例えば、警視庁の性犯罪への注意喚起ツイートを引用する形でRTした女性が「私も被害に遭いました(現行犯でしたが※「日本語わからない」の一点張り)ので気をつけてください。」とツイートしたら、あなたはどう思うだろうか?
あなたが差別に反対する者なら、口調に気を付けつつ窘めるかもしれない「それは外国人への差別を扇動してしまう言い方だから、やめたほうがいい」と、
もししないとすれば、その理由は遠慮だけだろうか?本当は差別主義者だが、そう言えない事情があるだけなのだろうか?
無論、性犯罪と農作物の盗難は違う。しかしその違いの種類は、差別主義者であるか否かの程度に影響こそすれ、正否には関わらないのではないか?
あなたが農作物の盗難より性犯罪を重く見たとしても、私はそれに反対する事はしない、けれども、農作物の盗難を「どれだけ軽視するか」には注意を向けたい。その軽視は本当に適切な量の軽視だろうか?
もしかしたら、あなたの不当な程の軽視が、つるのを差別主義者と呼ばせることに繋がってはいないだろうか?
* おそらくここで違和感を持つ人も居るだろう。そう。「犯人はいくつも属性をもっているのに、何故外国人という属性だけ抜き出すのか」という差別の糾弾は、「偏見を持たれている属性はいくつもあるのに、何故外国人やLGBTという属性の時だけ問題になるのか」という違和感と実はパラレルなのだ。
そこにはひとまず「外国人やLGBTへの差別がより深刻だから」という理由が付く。これは正しいと私は思う。しかしそれは他の属性への偏見が正当化される理由にはならない、ただ優先度の高低が正当化されるだけだ。
にも拘らず、他の属性(オタクやロリコン、ペドフィリア、男等)への偏見は進んで嬉々として広める事自体の欺瞞は払拭出来ない。尤も、これをする人はこうした問題を認めないだろう。