はてなキーワード: 農作物とは
農薬取締法では、「農薬」とは、「農作物(樹木及び農林産物を含む。以下「農作物等」という。)を害する菌、線虫、だに、昆虫、ねずみその他の動植物又はウイルス(以下「病害虫」と総称する。)の防除に用いられる殺菌剤、殺虫剤その他の薬剤(その薬剤を原料又は材料として使用した資材で当該防除に用いられるもののうち政令で定めるものを含む。)及び農作物等の生理機能の増進又は抑制に用いられる植物成長調整剤、発芽抑制剤その他の薬剤をいう。」とされ、また農作物等の病害虫を防除するための「天敵」も農薬とみなす、とされています。
’90年代のはじめ頃、オカルト分野に興味を持っていた私は、ある新興宗教団体が主催する(オカルト的な)催しに参加した。
その催しは、参加者の運勢を占ってくれるという類のもので、(新宿駅西口に机を並べていたような)占い師みたいな人が適当に占ってくれたのかというとそうではなく、ガチムチの能力者っぽい人たち(50〜70歳くらい)が現れ、私のリーディングをして、「あなたは2021年の7月頃に死ぬ」そして、「同じ時期に沢山の人が死ぬ」と言い、後者について、とても不思議に感じているという意味のことを私に話した。
それを聞いた当時の私は、『ノストラダムスの大予言』に強い興味を持っていたので、ミレニアム(1999年から2000年)の時期に全然関係のない話で、しかも、2021年という当時の自分にとっては遠い未来についての予言でもあり、とてもがっかりしたことを憶えている。
なお、その能力者の人々には社会常識もあり、会場にいた若い女の信者が私を宗教施設に案内しようとしたのに対して、私が未成年だという理由で、そのまま家に帰してくれた(当時はカルト宗教団体や詐欺商法に対する知識が欠落していたので、オウム真理教でなくて本当に良かったと思う)。
上記の体験についてはすっかり忘れていたが、今年、コロナの問題が生活に影響するようになってきて、マスクを買ったりコロナに効果があるという既存薬について調べるようになって、ふと、この件を思い出した。
当時の(宗教団体の)能力者の人々は、沢山の人々に対して(アカシックレコードの様な感じの)リーディングを行ない、何かを探っていたのだと思う。
どうしてこの件を思い出したのかというと、現在的な知識で解釈すると、「2021年の7月ごろに私が死亡する」「同じ時期に沢山の人が死ぬ」という30年近く前の予言は、コロナの今後を占う上での材料になりうるからだ。
もっとも、それは「曖昧な記憶の上に築き上げられる真偽不明なもの」であり「私が個人的に感じている事柄」に過ぎない。それが前提条件だ。
率直に、その材料を元にコロナの今後を予想すると、「来年もコロナの問題は終結せずに日本で蔓延(第2波)し、しかも、強毒化する」と解釈することが出来る。
私は地方政令都市のベッドタウンに住んでいるので、私が感染して死ぬという仮定だと、東京・大阪あたりの感染爆発では収まらず、地方都市にも蔓延するというストーリーになる。
だが、実際には来年のコロナの蔓延など起こらず、普通にオリンピックが開催されて、私もこれを書いたことをすっかり忘れていて、レスリングや柔道の試合に熱中している可能性もある。
しかし、また、私を含む多くの日本人は、もしかしたら、「ある種の思考停止に陥っている」のではないかな、とも感じる。
どういうことかと言うと、現状として、世界中で1400万人、アメリカで376万人、ブラジルで209万人、インド107万人がコロナに感染していて、未だに感染者の急激な増加が続いている。
そして、フランスにおける致死率は17.4パーセント、イタリアが14.4パーセントでもある。
日本では感染者2万4642人、致死率4.3パーセント、死者1001人。
私もそうなんですが、海外における惨状を、どこか「対岸の火事」だと感じ、自分とは関係のないことだとタカをくくっていはしないでしょうか。少なくとも、私自身はそう。
最近も、豪雨災害がありましたが、自分自身が被災していれば別ですが、そうでない以上、被災者本人の精神的・物質的な痛みに鈍感になってしまい勝ちなのです。
そう、「今年のイタリアやフランス、アメリカが、来年の日本」になる、コロナの問題は「対岸の火事」だとでも感じていたところが「此岸の火事」になる可能性がある。
ところで、発展途上国では浄水施設が整っていないので、ペットボトルに入れた水を6時間位太陽光に曝してから飲用することが推奨されている。
これは、太陽光に曝すことにより、水に含まれている細菌(のかなりの程度)が殺菌・消毒されるからだ。
また、朝、日光を毎日浴びることが健康につながることは常識になりつつある(体内でビタミンDが生成される)。
ところが、その日光の源である太陽の活動低下が科学的に確認されている。
https://www.youtube.com/watch?v=l3QQQu7QLoM
太陽活動が低下すると、スベンスマルク効果で火山の活動が活発になり、地震が多発し、雲が多くなり、農作物が不作になります。経済活動が低下する。
直近では、1645年から1715年のマウンダー極小期に太陽活動が低下していますが、ルーベンスやブリューゲルが『嬰児虐殺』を描いた飢饉の時期(暗黒の中世)にあたる。
なお、スベンスマルク効果、太陽活動の低下については、(国内では)神奈川大学学長の桜井邦朋氏が研究されている。
※眠りにつく太陽――地球は寒冷化する(祥伝社新書215) (amazon)
https://www.amazon.co.jp/dp/4396112157/
※太陽の活動減退で「ミニ氷河期」が2020年から2050年にかけて到来する可能性(GIGAZINE)
https://gigazine.net/news/20180217-global-warming-solar-cooling/
※あと5〜10年で地球は極寒に? 最新の太陽研究が予測(WIRED)
https://wired.jp/2015/07/14/mini-ice-age-earth-sunspots/
https://www.afpbb.com/articles/-/3004321
この太陽活動の低下により、日光による地表に対する浄化・殺菌作用が低下している、また、個々人の浴びる日光の力が弱まることにより、健康改善作用が低下している可能性は高いと感じる。
また、そのことが巡り巡って、人間の免疫力が低下するなどして、コロナウィルスの蔓延につながっている可能性も「なくはない」。
ちなみに、マウンダー極小期の前後の時期と、(主にヨーロッパで)ペストが蔓延した時期は重複している。
【おわりに】
冒頭の体験は、過去の体験を記憶に基づいて記したのみであり、私自身が、来年自分が死ぬということを予言・宣言しているわけではありません(だから、来年、再来年頃、私が普通に生活していても怒らないでくださいね。ちなみに、全く収入が無くなっても2〜3年生活する分くらいの蓄えはあります)。
コロナが終結して、東京オリンピックが無事に開催され、街なかに活気が満ち溢れるようになり、この国が繁栄していくことを願っています。
また、現代社会がディストピア化し、死亡イベントが多くの人間にとって「生地獄と化した現世からの解放」だと感じられるようになる、そのような未来が現実化するような事態は避けなければならないでしょう。
コロナに対する上で何かのヒントになる、少しでも役に立てば幸いです。
なにがまずいかって、はっきり言えば、海外で作り放題なんだよね。
和牛と同じ。
海外に優良品種を横流しすることだってあり得るし現に起きてる。
ちょっとだけ専門的なことを書くと、「品種によってはコピーがくっそ簡単」
なんですよね。
だから、海外に流出するのを何とか防がないとまずい事例が実際に起きてるんです。
しかも、対象となっているのは「新しく開発された登録された品種」だけである。
要するに「いい品種が不心得者の農家にコピーされて海外に横流しされて勝手に栽培されないようにしましょうね」
ってだけの法律なんだよね……。
海外資本に種を独占されるとかいうのははっきり言えばプロパガンダであり、日本の品種の大半は日本の開発会社が作っている。
なんで潰れたかというと、「検察でめちゃくちゃやった反動がすごかった」ので政府がビビったというところだろう。
もしも小規模農家の経営を圧迫するというのならば小規模農家には「原則自家採種の登録料を安くする、補助金で実質免除」とかにしたほうがいいとは思う。
日本の農産物はあまりにも無防備で、「いいものを作っても横流しされて海外ですぐコピーされる」から、種苗会社が疲弊してるんだよね。
これ以上良いものはできないと言われた品種を、農家がすぐに海外に持ち出して、コピー商品を作られてしまう。
種苗法を改正して、もう少しだけハードルを上げようって話である。
今後、自家栽培された優良品種がまた海外でコピーをされて、問題になるまで待たねばダメだろう。しかし、「政府は何をやっていたんだ」と言われたら、「芸能界と世論と報道が反対しました」と返答するしかなかろうな。
和牛の件しかり、他の農産物しかり、「もうすでに火事が起きてる」のに、自分たちだけは安全だと思ってる。
農研機構の作り出した、「これ以上良いものはできないかもしれない」と言われた品種すらコピーされてしまったのが現状だ。
もうちょいいうと、日本の農業がハイテク企業に乗っ取られるのではとか、伝統品種が失われるとか。それらは法案を読めばわかるように誤解である。
どちらかというと、漠然とした不安による漠然とした反対であり、検察の不祥事でなし崩し的に消えたようなものである。
ブランド農産品種の苗木などを海外に持ち出そうとしても止める手段がほぼない。
「泥棒が横行してるのに政府は何をやってるんだ」と言われても、「捕まえる法律がありません」というのが、いまの現状なのだ。
「農産物を保護せよ、政府は何をやってるんだ」というが、海外に持ち出せないように種苗を保護しようとしたら、今度は政府の陰謀ですか。
どうしたものかな。
今後、ワイドショーで「どうして保護ずる法律がないんですか。政府は怠慢だ」と芸能人が言い出したら、「お前らが反対したからだよ」と、農業従事者はグーでパンチしてやってほしい。
取り急ぎ、いまは時期がまずいということで秋の国会で即決してほしい。
2020年の初めに広がり始めたコロナウイルスは、瞬く間に人類の死亡原因第一位となった。
初期のコロナウイルスは、空気感染せず、免疫細胞の1つT細胞を破壊するだけだったのでまだ良かったが、
その後、突然変異で生じたウイルスは、はしかのように空気感染し、エイズのように免疫を壊してゆく。
経済が衰退する中で、人類が生き延びるためには、消毒薬を大量に散布してクリーンな居住空間を作り出す以外に手段が無かった。
だが、貧しい人間には希少となったアルコールや界面活性剤を手に入れることはできず、
彼らは、廉価な食塩水を電気分解して作られる、次亜塩素酸水を多用していた。
しかし、低純度な次亜塩素酸水には大量の塩化ナトリウムがそのまま含まれており、
建物内で何度も繰り返し撒かれた結果、いたるところで塩害が発生した。
鉄筋コンクリートの鉄筋が錆びて劣化し、コンクリートが崩れていったのである。
塩害は農作物の不作をも引き起こし、それは大飢饉の発生に繋がった。
今にして思えば、コロナよりも大飢饉による餓死者の方が多かったのではなかろうか。
食糧をめぐる争いで治安は悪化し、無政府状態となるまで1年も掛からなかったと思う。
各地で自警団なる組織が作られたものの、やってることは略奪と縄張り争いだけであった。
ようやくタイムマシンが完成した。
残念ながら、島の風力発電で過去に送れるのは文字情報が精一杯だ。
運が良ければ、このメッセージは2019年の11月1日に読まれることになるだろう。
文明崩壊を回避するために、君たちが今すべきことは、くぁwせdrftgyふじこlp(ここで文章は途切れている
クソハヤ農場では、いつもうんこで稼ぐノウハウをお伝えしてますが、今回はその手法をまとめて伝授します。まずは肥料制作。肥料制作とは、何かというと、農作物を育てる時に出てくる土のことです。この土を作ることが仕事につながるんですね〜。クソハヤの場合は、成人男性のうんこ1回分の肥料で100円をお支払いしてるので、1日200回うんこできる人なら日給20,000円となります。かなり美味しい。しかも、肥料制作は習得難易度が圧倒的に低いです。野糞慣れてる人だったら、1〜2時間勉強すれば肥料を作れるようになるんじゃないですかね。クソハヤのような一度農家を掴んでしまえば、あとは安定して仕事をもらえるのが特徴です。そんな肥料制作の勉強方法ですが、最近まで体系化されてなかったのですが……、ついにうんこ活用法の教科書が登場しました!クソハヤ農場の肥料を作ってる、くそすけさんが作成した電子書籍です!90万円で販売予定です!
すでにブコメや言及で書いてあるけど、人に貸す場合を想定している。
で、次第にリビングに電話の居場所が移っていくわけだが、法律の制定や条約の締結とかと違って、各家庭の事情が絡んで「いつ」は言いにくい。
ただ言えることは各家庭に電話が普及するのと表裏一体の動きだということだ。
ところが、電話の普及ってのも技術革新と絡んで複雑な経過をたどる。
電話の普及は、ただ電話線が家に引かれることを想定するだけではダメという話。
「交換士あり」から「即時電話」(これには二つの意味合いがあって複雑なんだが)への変化を見なくてはならない。
私は北海道の事例しか調べたことがないのでそれを例にすると、市街地では昭和20年代後半から30年代丸々をかけて、まず「市内即時化」がなされていく。
これはある一定範囲の市内通話だったら交換士なしで自動で繋がるシステム。それまではトトロみたいに電話をつなぐ中の人がいた。
これを「即時化」とか「自動化」という。「即時化」「自動化」は地域ごとにボトムアップで進んでいく。中央から一気に御達しが出て一斉スタートになるわけではない。
その際に電話番語が改まる。それまでは電話の開通順で「1番」とか「8番」とか「53番」とか「104番」とか番号が割り振られていたが「即時化」で全ての番号が再編成され、私の調査値だと4XXXみたいな4桁の番号が新たに割り振られる。詳しくは忘れたけど、官公庁や公共施設はは2XXX、病院は3XXX、みたいにある程度分野ごとに割り振りがあったと記憶している。
今でも市内だったら全部の電話番号押さなくても下何桁かで連絡できるでしょう。それはこの時期に出来上がった技術。
今まで手動でしなければならなかったところが自動化されたことで、通信線が強化されつつ、電話が急速に都市に普及していく。
市内での即時化が完了したが、都市ごとの連絡には未だ交換士に繋いでもらうことが多かった。
これも次第に、時に市内自動化と並行して解消されていく。
例えば北海道なら札幌を起点に、札幌ー函館、札幌ー釧路、札幌ー東京、札幌ー大阪、函館ー釧路、釧路ー小樽……みたいに自動化がなされていく。なおこの順番は適当だぞ(道内では多分誰も順番調べた人いないんじゃないだろうか)。ともあれ網の目状に進んでいったという点に留意されたい。
都市間の自動化は、都市に固有の番号を割り振りそれを頭につけることで実行される。
戦後、農村部ではラジオの普及と電気・電話の開通が急務だった。
また北海道では、NHKが地理的にも経済事情的にも農業の勉強がかなわなかった農家に対して、朝早く(野良に出る前に)「ラジオ農学校」を開設しており、地域ごとに識者を読んで種まきや農作物の維持管理の啓蒙に努めた。不作や冷害の場合への対策も、時にラジオを通じて伝えられた。
農業の成果に直に関わるため、各地域の農家のリーダー役の人々は、請願運動をし、時に自分たちで出資して電気・ラジオ・電話を普及させていった。
農協から何キロも線を引っ張って、自分たちで電信柱を立てて、地元に情報をもたらそうとした。
こうした事情もあり、農村各地域に電話は限られ都市で自動化が進む時期においても電話を借りる、というシチュエーションは多く残されていた。
ラジオ・電気に遅れるも、おおよそ昭和40年代丸々をかけて、農村部でも電話は普及していく。
私が見たことのある昭和37年の北海道の事例だと、小学校の連絡先にその児童の隣のうちの名前と電話番号が書いてあったり、農協の事務所の番号が書いてあったり、電話ないけど学校から近いから直接連絡伝えてください、と書かれているものがある。
とってもわかりにくいんだけど、「即時化」と呼ばれる現象はもう一つある。
交換士が特に都市間の電話をつなぐ時、回線が限られており、相手先に繋がるまで相当待たされた。これを「待時」という。
場合によっては数時間かかる。いったん電話を切って、交換士さんからの電話を待つ。
数時間後、交換士さんから電話がかかってきて「〇〇さんとつながりました」と言われる。
それでようやく遠方の人と会話ができる。この現象がよく起こった時期は調べたことがない。
それで、この「待時」の解消も、時に「即時化」と呼ばれる。
この辺りの事情は連続テレビ小説「なつぞら」の考察をした人が最近詳しく書いている。
https://www.excite.co.jp/news/article/E1562427232846/
今生きる私たちも、ガラケーからスマホへの劇的変化の時代を生きている。
契約方法もどんどん変わる。誰もそれを詳しく記録していないし、きっと、全部は記録しきれないだろう。
個人的には、カメラ付き携帯がではじめた頃の数秒に一度しか画面が更新されないカメラから現在の自撮りの時代に至るまで、たったの十数年なのに隔世の感がある。
都心部に住んでいる人からすると、中国経済圏に取り込まれるのは嫌だという割合が多いと思うが、
地方に住んでいる身としては中国経済圏に入れないかと考えてしまう。
東京に本社があり、地方に工場を建てていた企業も、工場を海外に移してしまって、後には何も残らなかった。
工場が残っているところでも東京と同じ生活ができるわけじゃない。
工場の食堂が昔ながらのプラスチック食器にカレーかうどんか蕎麦くらいしかメニューがないが、
今残っている工場も、いつか海外に移転していくんだろうなと皆想像し、効率化・コストカットで成果を出せないか四苦八苦する。
追加の投資がないのだから、自分達がコントロールできるのは身を削っていくことしかない。
東京が豊かになれば地方も豊かになるトリクルダウンなんてなかった。
地方でよくあるのが、農作物の特産品を作るだとか、自然をウリにした住みやすい街、温泉などで観光、ゆるキャラ、などがあるが、
観光だと訪日外国人が3000万人を超えたが、東京を訪れるのが1400万人だ。
よく訪日外国人アンケートで、日本の何が目的で訪日したのかの回答で、日本食と自然とあり、
なら地方のわが市でも努力すれば人が来るかもと思わせられているが、アンケートが作為的なのだ。
自然といいつつ、京都のお金と人手がかかった日本庭園の自然がいいのであり芸術なので価値があるのであって、
どこにでもある山がインスタ映えするはずがない。
異文化を体験し、非日常を体験しに訪日するのだから、文化発信の中心である東京に行くのは当然なのだ。
東京から地方への観光にしても、地方に魅力があると思えない人が大半だろう。
そんなお金あったら美味しいもの食べるか、ディズニーなどに行くか、ガチャを回す。
ツーリングにしても、ほとんど地方にお金を落とさないのはYouTubeを見ればわかる。
100万以上のバイクを買った人でも、ほとんどの地方にお金を落とすのは、ガソリン代かネカフェ代くらいだ。
数万のカメラで写真も撮りにくる人もいるが、東京で落ちるお金でしかない。
そんなこんなで、国内だとダメなので中国経済圏に入れないかとなる。
幸いなことに、スタジオ用照明用意してスマフォで商品を紹介すれば売れる時代になった。
相手が東京から中国に代わっただけの構造ではあるが、1400万の東京と比べれば人数が違う。
なにより自分達で工夫して変わるので、東京に広告費が出ていくこともない。
一時的なのもわかっているが、地方の強みは土地くらいしかない。
照明を置けるような部屋とキッチンは、東京にもあるが高くつく。
ひと昔だったら自宅をスタジオにするということは考慮してなかっただろうが、
科学というのは、明証、分析、総合、枚挙と、合理的批判からなる知識の集合体。
デカルトが提唱してから400年、科学がおおう範囲は非常に広がってきた。世の中のすべてのことが科学で解明されるかのように思えてきた。
例えば、農作物を雀が食べるから、雀を全部殺してしまえば、農作物は大量に作れるように思えた。
例えば、なにか思いついたら、すぐにそれが期間、費用、収益見込みが作成できて、投資に馴染むもののように思えてきた。
すぐに期間、費用、収益見込みが作成できて投資をうけれるはずなのに起業が起きない。なぜだ?ただ単に起業家精神が足りてないだけだ。
それ以外の物事は無駄であり、費用をとにかく削減すれば良いように思えてきた。
結局、共産主義も、新自由主義も、今までにわかっていた科学でこれからの事象も全部わかるという誤解のもとに生まれたのだろうね。
そうして、どんどん社会は衰退していった。
無論、わからないものはこれからもまだまだあるのだから、科学でないものを科学にするのに金は出していかないとならない。
後、社会科学は、偉い奴の言った物事に忖度するための学問じゃなくて、現実世界を解明するツールだぞ。合理的批判が難癖と紙一重だからなかなか難しいところはあるし、文系不要論なんて生まれるが。