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2024-11-23

自分史上最低のラブコメ漫画家ジャンプに帰還

このタイトルを見てどの漫画家を思い浮かべるかは人それぞれかと思いますが、

私史上最低のラブコメ漫画家は「ぼくたちは勉強ができない」の筒井大志先生です。

筒井先生は今週のジャンプで「シドクラフトの最終推理」という作品で連載を開始しました。

相変わらず魅力的な絵です。話も評判がよくきっと長期連載になるのでしょう。

ただ私にとっては今もぼくたちは勉強ができない先生なのでこれを書きました。

これは個人的な恨みですがこの作者の漫画を読んだから抱く恨みです。

作者の元ファンの一人として綴ります

なぜ最低なのか

話がつまらいから最低というわけではありません。

筒井先生ぼくたちは勉強ができないという漫画を描いていました。

週刊少年ジャンプで5人のヒロインそれぞれのマルチエンドを実装したということで一時期話題になりましたので、もしかしたらご存知の方もいるかもしれません。

この評判は必ずしもいいものばかりではありませんでした。ですがそれは最低な理由ではありません。

ジャンプには星の数ほど打ち切られた作品がありますから、話の面白さでいえばそれらよりは上でしょう。

筒井先生が最低なのはキャラクターサプライズのための前座道化扱いして、ファン地獄に叩き落としたから。これに尽きます

具体的にはサプライズ演出するためにそのキャラを掘り下げた長編話を書かなかったことと、作品の終わりかのように演出したうえでラストを次のヒロインへの踏み台したことを指します。

前座扱いされたのは武元うるかというキャラです。

彼女は昔から主人公のことが好きな元気系の幼馴染系のキャラで、いわゆる負けヒロインと呼ばれるタイプキャラでした。

ぼく勉には彼女を含めて5人のヒロインがいますうるか以外のヒロイン過去トラウマ主人公の力を借りて乗り越えるというそれぞれの掘り下げをした長編がありましたが、うるかにはそれがありませんでした。

長編がないまま連載が続いていき、話は佳境を迎えて主人公視点の話が多くなり、主人公の掘り下げが進みました。それからラストに向けて色々あって主人公うるか告白しました。したがってここに至っても彼女長編はありませんでした。

これ自体はこれで作品自体が終わるのであれば、今までとは主人公ヒロイン立場が逆転するというある種王道な展開になりますので、そういった構造でしたらありかと思います

しか現実にはこのように話は続くことになりました。

https://i.imgur.com/j9weYzw.jpeg

https://i.imgur.com/i4udZqB.png

集英社 週刊少年ジャンプ 2020年15号 ぼくたちは勉強ができない問150 作者:筒井大志 より)

上記うるかルートとされている話の最終ページとその後のパラレルストーリーの告知です。

「君の笑顔のその先に――」とあるように、ここでは最終ページであるにも関わらず、うるかではなくうるか以外のヒロイン存在に焦点を当てています。(ぼく勉において花火(背景の白い光)はルート分岐の起点であるため)

うるかルートの終わりにあえて他のヒロイン存在に焦点を当てているわけですから、他のヒロイン前座扱いにするための演出という以外に解釈余地はないでしょう。

武元うるかというキャラクターの恋が実った瞬間、それを取り上げ台無しにする。

この瞬間の気持ちを例える言葉を私は持ちません。きっと私だけではないでしょう。

上記のような扱いによって私の好きなキャラクター前座道化扱いにされました。

このような扱いとなった理由は話の良し悪しではなく、作者の哲学問題です。

話の良し悪し、すなわち実力不足は出来るか出来ないか問題です。出来ないことは仕方がありません。

誰もが面白い話を作ろうと思って結果的につまらなくなってしまうだけですから、それ自体を責めることはできません。(ぼく勉の話の出来が悪いという話ではなく一般論です。)

ですが扱いを変えるのはやるかやらないか問題です。キャラクター間で扱いを変えるのは意図してやらなければそうなりません。ファンを踏みにじり地獄に叩き落すこと。それを意図してやったのです。

例えば作中のキャラクター言動を以って作者の人格否定するのは誤りです。それは作者の思想を反映したものとは限りません。

ですが作品内容以外でのキャラクターの扱いは作者本人の判断によるものです。それは作者が決断したものであり、筒井先生哲学を反映したものです。

哲学問題であるからこそそれが変わることはありません。作者にとって改善すべきものではないからです。

また同じことを繰り返し、また同じように一人のキャラ犠牲にされるでしょう。

作者にとってはそれが正しく、また書きたいことなのですから

もっとも、キャラクターに損をさせることやファンを踏みにじり地獄に叩き落すこと。おそらくそ自体がやりたいことではないのだろうと私は信じています

単に筒井先生は多くの人を幸せにしようと思ってそうしているだけなのです。

想像力がなく無神経なのでその行為でそのキャラクター好きな人間がどう思うかわかっていないというわけでもないでしょう。一般的感覚がわからない人間が人気漫画を書けるはずがありません。

自分の行動がどういう感情を与えるのか理解した上で、そのファンを切り捨ててでも自分の我を通しているのです。これが一番多くの読者を幸せにできると信じているのです。

武元うるかというキャラクターと、それによって踏みにじられるファン気持ち犠牲にして、より多くの読者を幸せにしているのです。

うるかが報われることで気落ちしたより多くの読者をサプライズの発表で盛り上げるために、あえてひた隠しにしていたのです。それでうるかが好きな読者が傷つくことも、どれほど深く傷つけるのかということも知りながら。

実際、筒井先生は連載終了後に送られた、筒井先生へのお疲れ様リプライ原則全て返信していました。「ぼく勉は物語ではなく設定集だ」という、筒井先生リプライしたわけでもない一読者の批判的な呟きにもわざわざエゴサして「勉強になります!」とクソリプしていました。

しかしながらお疲れ様という言葉と合わせて武元うるかの扱いが悲しいという趣旨のことが含まれたいくつものリプライには一切の反応を示しませんでした。切り捨てた後ですから丁寧に扱う必要はないと思っていることの証左でしょう。

現に筒井先生批判的な感想を呟いたアカウントミュートしています

連載終了以前にうるかの扱いへ不満をこぼしていた方がいました。当然筒井先生リプライしたわけではなく、単に呟いていただけです。

その方は連載が終わったときにはお疲れ様という趣旨のことだけを筒井先生リプライしてましたが、それへの返信もいいねもありませんでした。不満を呟いていたときとはアイコンID名前も変わっていましたから、ミュートしていなければ返信していたはずです。

筒井先生はご自身の取り組みについて色々な意見があるとおっしゃっていましたが、色々な意見があることは知っていても批判的な意見を見る気はないのでしょう。

こうした扱いに耐えかねて、実際にX上でアカウントを消してしまった方も多くいました。

ぼく勉の感想を熱心に呟いていた方、うるかの可愛らしい絵を描いていた方、うるかへの大きな愛を語っていた方。色々な方がいましたが、筒井先生の行いによって嘆き悲しみ、アカウントを消してしまいました。

もちろんアカウントは消さずに悲しみと怒りを吐き出した方もいます。そしてこうした行動に移した方々よりも黙って傷ついた方々のほうがずっと多いのは言うまでもありません。

サプライズのために平気でファン地獄に叩き落す。今まで支えてきたファンを平気で切り捨てる。

人の気持ちを大切に扱うべき恋愛漫画で人の気持ちを雑に扱う。それでいて描くべきことを描いたのだと胸を張る。

から筒井先生は最低のラブコメ漫画家なのです。

おまけ

上記のとおり武元うるかという女の子筒井先生によって犠牲にされました。

犠牲にした後、使い終わった後の扱いは更に象徴的です。

作者本人がヒロイン5人は平等だ。並列だと言っているにも関わらず、その扱いには露骨格差があります

些末な話ではありますが例としてあげていきます

ジャンプではセンターカラーとき扉絵が書かれます。各ヒロイン単独扉絵うるか以外のヒロインは2回以上、少なくとも1回はありました。うるかは1回もありません。

単行本の表紙も同様です。次のURLを見ていただけるとわかりますが、うるかを除いた各ヒロイン単独の表紙は2回ありますうるかは1回もありません。(褐色の子が武元うるかです)

https://www.shueisha.co.jp/books/search/search.html?seriesid=37225

18巻以降はモチーフイラストと称して各ヒロインモチーフとなったおとぎ話アレンジした表紙にしています。素敵なイラストですね。

うるかの分は作者個人のXと作者個人YouTubeチャンネルで公開されました。ジャンプでの連載が終了してから2ヶ月、パラレルが発表されてからは1年経ってからのことです。

ジャンプの本誌や増刊にはそのイラストどころかその情報すら載ったことはありません。ジャンプ公式Xでもぼく勉の公式XでもRPなどで宣伝されることはありませんでした。ぼく勉の単行本にすらその情報はありません。

このイラストを見ることができたのはあれほどの仕打ちを受けた後でも1年近く根気強くぼく勉の情報を追っていたファン、もしくは作者のXをフォローしていたファンに限られます

ジャンプ単行本を読んでいただけでは絶対に辿り着けません。

言葉なく離れていった、おそらく一番見たいであろうファンに届くことはありません。

連載終了後にぼく勉を読み始めた読者にも当然届くことはありません。

後世に残るのは、好きになったキャラクターは一人だけ表紙が貰えなかったという事実だけです。

なおぼく勉の公式Xではうるか以外のキャラYouTube動画やグッズの情報RP宣伝されていました。

うるかのそのイラストの後に描いた、ヒロインの一人の両親というサブキャライラストすらRPされていますが、うるかイラストはされていませんでした。

あえてうるかだけやらないのはもう切り捨てているかファンは残っていないとわかっているからですね。エコロジー。一秒で出来るところまで公式が徹底するんだからこれはいっそ感心しました。

Youtubeチャンネルで作者のお絵かき動画がアップされた回数も、うるか以外のキャラは3回以上アップされていますうるかはそれ未満です。扉絵がなかったり表紙がなかったりする分増やすこともなく、むしろ他のキャラより少ないのです。

他にもぼく勉アニメ版権絵を描いていた人が連載終了後にskebでぼく勉キャラの絵を描いていました。うるかを含めて何人かのキャラを描いていました。

筒井先生うるかイラストには反応しませんでした。他のほとんどのイラストにはRPをしたり引用RPをしてコメントを付けたりしているのに、うるかイラストにはRPどころかいいねすらせずスルーしました。(これは他人いいねが見えていた頃の話です。)

もっと前にフィギュアが出たとき真冬のものRP画像ツイートしたのにうるかフィギュアRPツイートしませんでした。一貫してますね。

他にもぼく勉では各ヒロインそれぞれのルートのボイスドラマが作られて単行本の特典になっていましたが、これもやはりうるかルートのボイスドラマだけ作られませんでした。そしてうるかだけないことについて、筒井先生が気にされている様子も今に至るまでありませんでした。

単行本の描き下ろしでも同じように格差があります。他のヒロイン単行本では最終話の後にその後の様子の描き下ろしがありますうるかにはなく、代わりにパラレルルート開始の告知が掲載されていました。うるかより後のルート単行本が発売されてそれを知ることになったときは、まるで煽りのようにも感じられました。

筒井先生のこのような反応を受けて、私自身以前に読み切りとき感想を書きました。私以外にも替え歌を作った人もいましたし、別に感想を書いていた人もいました。これらは言い過ぎや被害妄想などと言われて一部から非難されていました。

キャラに対する作者のこういった扱いの差を見たときに、嫌われているという感想を持つことは言いすぎでしょうか? 被害妄想でしょうか?

筒井先生の内心はいずれにせよ、言われて当然だろうと私は思います。人の内心はわからいから、その行動から推測するしかないのですから

あなたの好きになったキャラはこのような扱いを受けるのです。

(これは筒井先生うるかを嫌いなわけではないという意見否定するものではありません。ただ作者の行動を見たときに、嫌いなんだなと思うことを否定することは困難でしょう。嫌いじゃないと思うにしろ嫌いだと思うにしろ、作者の内心はわからないという点で等価ですから

なお筒井先生はどのキャラも大切だとおっしゃっていたという指摘がありそうですが、

最終話サプライズのための犠牲にされたのはうるかだけです。単独の表紙がないのはうるかだけです。ボイスドラマがないのも単行本での最終話後の描き下ろしがないのもうるかだけです。

まりサプライズ犠牲にしていいと思う程度に大切で、センターカラー単行本の表紙も描かなくてもいいと思う程度に大切で、一人だけボイスドラマも描き下ろしもなくても何ら問題はないと思う程度に大切なのでしょう。

これほど大切という言葉空虚に響くのを私は知りません。

最後

筒井先生は絵が上手です。可愛く魅力的なキャラばかりですから、読んだ人であれば全員か、そうでなくとも一人は好きなキャラができるでしょう。

ですが熱中することはやめましょう。報われることはありません。

キャラを愛することはやめましょう。作者はキャラを愛しません。

あなたの好きになったキャラクターは作者の自己満足犠牲になり、一人だけ冷遇されてしまうのです。

その深い怒りと悲しみは、あなたを酷く傷つけます。時間が経ってもふとしたときに思い出してはあなたを苛みます。決して癒えることはありません。

なぜ彼女だけボイスドラマが与えられなかったのか。

なぜ彼女だけ単行本の表紙が与えられなかったのか。

なぜ彼女サプライズ犠牲にされなければならなかったのか。

いかけても帰ってくる答えはありません。作者は何も語りません。

自問自答も苦しみも。絶えることなく際限もなく続きます

筒井先生の新連載は今週発売のジャンプからまりました。

面白漫画だな、可愛いキャラクターだなと思った方。

あなたの好きになったキャラクターがこのような扱いを受けるということを意識して読んでください。

たとえ同じ扱いでなくとも似たような扱いは必ず受けます

作者の哲学ではそれが正しく、また描きたいことなのですから

前作で犠牲にされたキャラクターが好きだった、作者の元ファンの一人から

どうか心のどこかに留め置いてください。

最後にまとめます

事実として起きたことを挙げると、

うるか人生の夢が叶った瞬間をサプライズの発表という形で台無しにする。

・一人だけ長編を書かない。

・一人だけ単独センターカラー単行本の表紙も書かない。

・一人だけボイスドラマを作らず、またそのことについて説明どころか申し訳無さそうな素振りもない。

・一人だけお絵かき動画がアップされた回数が少ない。

・他のヒロイン単行本最終話後にその後の話が書き下ろされているがうるかにはなく、代わりにパラレルルートの告知が掲載されている。

後はキャラ説明でのうるか留学先の誤字(正しくはオーストラリアだがアメリカにしていた)やパラレルルート解説パラレルルートの連載中毎回ジャンプに載っていたコラム)でうるかの顔の上にタスク処理かのように「完了」と書いたこと(うるかの次のキャラの話が終わった後には「完了」ではなく、「Happy end」と書き直した)などいくつかありますが、筒井先生裁量が大幅に及ぶ範囲内であればこのくらいになるでしょうか。

筒井先生の新連載も自分の好きなキャラクターがこういった扱いをされることに耐えられる人が読むことをおすすめします。

逆に次はどの子花火キャンセルされるのかという楽しみかたをするならいいかもしれないですね。

私はするつもりはありません。

十年ほど前にとあるアニメ作品に沼落ちして同人誌活動を始めた。

友人やジャンルに恵まれ、とても楽しい十年間だった。

このジャンル出会ったすばらしい相棒(友人)の存在が大きい。

数十冊の同人誌を発行したわけだが、満足したのでジャンルを離れることを決意した。

現在在庫の本を整理して廃棄する作業を進めている。

一種類あたり十冊から数十冊の余剰在庫というのは同人活動がうまく回っていたことの証左だが、ちょっと大変だ。

最初はそれほどでもなかったけれど、積み重なればいつの間にか段ボールで部屋が圧迫されていた。

甥っ子が年末に遊びに来ることになったので、いい機会だから在庫とはお別れ。

活動規模は身の丈にあっていて、読者にも恵まれた。

コロナ禍で気の狂ったようなアンソロを出したのも今はいい思い出。

手元に一冊ずつ残して残りの在庫はすべて廃棄する予定。

すべての本に思い入れがあって、なかなか作業が進まない。

年内に作業が終わるといいな。

在庫は整理するけれど、また心に余裕ができたら同人やりたい。

2024-11-16

日産、新型EVセダンN7発表〜日産の存亡をかけた一手

日産広州モーターショーで発表したミッドサイズセダン「N7」。

一見すると中国市場での単なる新型EVだが、実はこれが日産の存亡を左右する重要な一手となる可能性が高い。

https://autogear.pt/ja/nissan-unveils-the-n7-the-sleek-electric-sedan-that-s-redefining-the-chinese-ev-market-ja/

中国市場に合わせた高性能

N7には、日本車では考えられないほど高性能な車載チップQualcomm Snapdragon 8295」を搭載。これは現在中国EV市場トレンドに沿ったもので、N7が本気で中国市場を狙っていることの表れだ。

また、「ナビゲート・オン・オートパイロット」という高度な自動運転支援システムも搭載。これも中国の最新EVに引けを取らない機能で、日産中国市場要求に応えようとしている証左だ。

https://car-l.co.jp/2024/11/15/90192/

苦境に立つ日産中国市場重要

リストラ9,000人の発表をした日産。この苦境の理由は、日産中国市場でのビジネスで近年苦戦を強いられているのが一因である

日産の国別販売で、中国は主力。だが、かつて主力だったシルフィ販売台数は低迷し、収益性の高かったティアナエクストレイル販売2022年から激減。

その背景には中国市場の急速なEVシフトがある。

しかし、日産の主力EVであるアリア中国での販売状況は壊滅的だ。中国では値下げを実施しても全く売れていない状況。なお、日本では逆に100万円ほど値上げしている。

https://ev-times.com/2024/07/04/25363

N7成功の鍵

N7は性能面では他の人気中国EVと遜色ないスペックを持つ。しかし、従来の販売ネットワークでは売れない可能性が高い。中国の新興EVメーカーは斬新な販売手法採用しており、日産もこれに追随する必要がある。

N7は日産にとって中国市場での巻き返しを図る最後のチャンスかもしれない。性能面では申し分ないが、販売戦略の抜本的な見直しなくしては成功は難しいだろう。日産中国戦略の成否が、同社の今後を大きく左右することは間違いない。

2024-11-15

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

2024-11-09

anond:20241109213952

疑わしいものに罰を与えるのは法律というより倫理とか社会通念の問題から

マスコミ倫理観が終わっていることの証左ではある

anond:20241109175122

気持ち悪いという言葉を浴びることは、凡人にはたどり着けない境地に至っていることの証左なので、オタク長文界隈においては最上級褒め言葉です。ありがとう

2024-11-06

anond:20241106103219

でも増税の話しかしてないか選挙で負けたんですよね

与党財務省の犬って国民は分かってるんですよ

それだけ国民生活は苦しくなってきている証左だと思います

2024-10-31

anond:20241031145310

みんな非表示にしてるならそれはそれで異常であることの証左でもあるしな

2024-10-29

自民党ダメだけど反ワク陰謀論原田はありってどういうこと?

多分だけど、自民党が嫌いだから自民党の悪いところしか見えてなくて、他の政党にどんな悪いところがあるのか知らないんじゃないか

こんなのほんの一部だからな(一部でもかなり強烈だけど)

試しにだけど、立憲民主党の悪いところ上げてみて

もし自民党みたいなノリでポンポン答えられなかったら、まさにその通りだと言うことの証左になる

まあ頑張ってあげてみてくれ

2024-10-26

(続き)週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ25選(改訂版)

anond:20241026155116の続き

14.SLAM DUNK 作:井上雄彦 1990年42号 - 1996年27号

ハイキュー最終回を迎えた際、Twitter感想を漁っていたら、「なんでバレーしてるだけなのにこんなに泣けるんだろう」というファン投稿が目に入った。自分ハイキューで泣けるほどの感受性はとうに持ち合わせてなかったが、そこから数えて24年前にほとんど同じ気持ちを味わっていた。

井上雄彦作品通底するのは徹底したリアリズムである。彼が本作で行ったのは、本気でバスケットボールに挑む人間思考感情をつまびらかにするだけで面白くなるということの証明と、人気が出なかった時のため不良路線でも行けるような作風を選んだことだけである(当時バスケットボールマイナースポーツであったことに留意したい)。この結果、フンフンディフェンスを除くあらゆる要素が後世のスポーツマンガにリアリティ基準点をもたらすこととなった。

桜木花道バスケットマンに変貌するたった4ヶ月の物語は、命のやりとりや世界が終わることよりも一本のシュートの成否の方が遥かに切実で重要問題になりうることを、今なお我々に伝えている。

15.るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 作:和月伸宏 1994年19号 - (ジャンプSQで連載中)

講談社1970年代末期には後発のジャンプマン業界盟主地位を明け渡しているわけだが、それを奪い返す最大のチャンスが90年代後半に訪れた。DB幽白スラダンといった作品が終了した暗黒期のジャンプを、金田一はじめの一歩GTOを擁するマガジン苛烈に追い上げ、ついには発行部数で逆転したのである

その中で強引に看板作品祭り上げられ、ジャンプ屋台骨を支えることになったのが本作だ。後に和月伸宏は「次につなげたい」という気持ちで描いていたと語っている。明治という激動の時代の中で不殺剣士・剣心が刀を交える相手は、旧時代に未練を持つ者や、新しい時代の荒波に飲み込まれた者たちであった。黄金期と暗黒期の狭間で奮闘した本作のありようは、皮肉にもそこに重なって映る。

ワンピナルトが出てくるまでを空白期間にせず、少年マンガ誌の代表というジャンプアイデンティティを守りぬいたのは同時代の誰も比肩できない功績だ(幕張封神演義BOYSにこの役割代替できたか考えてみてほしい)。現代ジャンプ読者はもっともっと本作に感謝すべきだと、佐藤健超人的なワイヤーアクションを眺めながら思うのである

16.セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん 作:うすた京介 1995年52号 - 1997年40号

連載終盤、もはや燃え尽きる寸前だったといううすた京介は後年、「マサルさんシュールではなく、ベタシュールに見せていただけ」と語っている。自分を含め、多くの読者は同意しかねるだろう。彼が未来永劫に参照点となりうる新たなベタを作り上げたことに疑いの余地はないからだ。

本作はギャグマンガでやってもいいことの範囲を大幅に拡大した。キャラクターの行動原理なんてなくていい。話の展開は唐突でいい。絵柄は毎ページ変わっていいし上手くなくていい。読者が知らなさそうなパロディだって入れてよいのである現代観点では至極当然と思える要素を2年弱、全7巻に惜しげもなく詰め込んだ。

彼の次回作(ピューと吹く!ジャガー)ですらも、ついにその革新性を更新することはなかった。90年代にうすたに憧れ新人賞に応募した有象無象ワナビー達も誰一人として出来なかったことを考えれば少しは気が休まるだろうけども。

17.遊☆戯☆王 作:高橋和希 1996年42号 - 2004年15号

闇の人格を持つ主人公によるダークヒーローものというコンセプトで始まった本作は、ほどなくしてマジック&ウィザーズという架空TCGを中心にした物語に変化した。この変化が、数十枚の紙束を並べる行為を、玩具ゲーム業界において最も存在感のあるエキサイティングな遊びに位置付けることになる。

コナミでは社内の遊戯王関連の部署をしばしば「造幣局」と呼ぶそうだが、紙を刷って売上1兆円に到達するコンテンツなど他に存在しないことの証左である。こうした状況に、高橋和希の優れたキャラクターデザイン、ストーリー構成が大きく貢献したのは言うまでもない。ゲーム友情を育むツールになりうると示し、メディアミックスの力を世に知らしめた功績は間違いなく彼のものだ。

18.ONE PIECE 作:尾田栄一郎 1997年34号 - 連載中

世界で最も多く発行された単一作者によるマン作品について何か語るべきことがあるだろうか?まだ言及すべき余白が。本作のように自然カテゴライズを避ける作品というのは極めて少ない。友情、夢、自由、強さという最もありふれたテーマに挑み、ついにそのすべてを超然と飲み込み描き切ろうとする本作を何らかの箱に入れて理解するのは難しい試みに思える。

毎週月曜日ワンピを読んで喧々諤々と考察できる世界に我々は慣れ切ってしまった。30年間マン業界の頂点に君臨する男がいるという現実に。一定年代以上の人間にとって、本作の終わりがジャンプという雑誌終焉に見える人がいても無理のないことだ(今ワンピの次に長寿連載しているのはハンタを除けば2019年連載開始の夜桜さんである!)。ルフィ尾田栄一郎という二人の男の、幼少期から練り上げた夢の果てを世界中が見届けようとしているのだ。我々がこうした光景にふたたび立ち会えるかは疑わしい。

19.HUNTER×HUNTER 作:冨樫義博 1998年14号 - 不定掲載

幽白は極めて質の高い作品でありながら、冨樫義博が抱える巨大なアイデアの数々を収めきれた作品ではなかった。それでも仙水編と、その後に異例の月一で掲載されたレベルE前人未踏領域に踏み込んだ彼は、自身4作品目の連載においても既視感のある展開とご都合主義執拗なまでに避け続けた。彼の描くキャラクター達は自身が取れる最善の選択を積み上げた末に、我々が期待する最善以上のドラマを生み出す。幾度もの休載を挟みながら。

「今週の『HUNTER×HUNTER』は休載いたします」の表記(今はこれすらなくなったが)を昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらぬ平常心で見られるようになってもなお、自分に限ってはこんな感じであった───「HUNTER×HUNTER最終回を読める可能性があるというだけで、どんなクソみたいな人生でも生きる理由が生じる」

いまや冨樫は少しずつ体調を取り戻し、我々は一時期とは比べ物にならないほどコンスタントに彼の創り出す世界に触れることができる。何百何千もの作品ジャンプにおいて連載され、本作に近い作品、それ以上のものを期待し続けてきたが、その度に彼の偉大さを突き付けられるだけなのだろう。

20.テニスの王子様 作:許斐剛 1999年32号 - (ジャンプSQで連載中)

前例のないテニスマンガでの成功女性読者の流入クール生意気で強い主人公像、菊丸が分身して以降のテニヌ...といった誌面上で読み取れる新規性だけでは、本作のもたらした文化のごくごく一部しか語りえない。

1000曲近いキャラソン、出役としての役割を求められる声優たち、2.5次元文化の源流かつ若手俳優登竜門としてのテニミュ...現代における狭義のオタク文化の根を辿れば、必ずテニプリが残した功績にぶち当たる。「推し」という文化が、人間を描くあらゆるコンテンツ侵食して久しいが、許斐剛が生み出した世界は、ジャンプで築き上げられたあらゆるファンダムの中でもっとも複雑で永続的な強度を保ち続ける、史上最も「推す」に値する文化であり続けている。

21.NARUTO 作:岸本斉史 1999年43号 - 2014年50号

すみませんほんとに書くことが思い浮かびませんでしたでも世界的にマン文化を広めた功績は鳥山に並ぶと思ってますマジで

22.BLEACH 作:久保帯人 2001年36・37号 - 2016年38号

まりに多くの言及がこの作品になされ、そのどれもが口をそろえて言う。「描き分けが上手い...絵の引き算が上手い...ルビ振りのセンス...久保帯人中二病...ストーリーが薄い...」これらすべてはもちろん真実だ。

連載中、ワンピナルトブリーチの三枚看板最後尾というポジションが崩れることは一度もなかった。果たしてこの評価妥当だったのかは分からないが、少なくとも我々ネット民久保帯人センスバカにし過ぎたことに対し大いに反省すべきところがあるのではないだろうか。海賊忍者のような明確なモデルがいないのに、久保帯人はどうしてあれほどまでに洒落キャラクターセリフ回しを無尽蔵に生み出せたのか、系統立てて説明できる理屈は未だ見つからない。もしその答えが彼の脳内しかないとするならば、我々は本作を源流に大いなる歴史が作られていく可能性を認めなくてはならないだろう。

23.DEATH NOTE 作:大場つぐみ原作)、小畑健作画2004年1号 - 2006年24

デスノートという作品複数の点で極めて例外的成功を収めた。肉体的攻撃を伴わない心理戦、一切の引き伸ばしをしない、公権力宗教的崇拝、欠点の無い主人公ゴシックキャラ造形、ダークヒーロー、死亡エンド...

本作に散りばめられたこれらの要素は、すべて従来のジャンプ漫画では邪道、あるいは不要とみなされてきた要素であった。このような野心的な作品メディアミックスにおいても成功を収め、国民の誰もが知る作品となったのは驚異的だ。この作品が出たことは心理戦を描こうとする後世のマンガ家にとっては悲劇かもしれない。夜神月ほど賢く、悪どく、魅力的なキャラクター矛盾なく作れる人間大場つぐみくらいしかいないのだから

24.鬼滅の刃 作:吾峠呼世晴 2016年11号 - 202024

2010年代ジャンプを購読していた人間はみな共通してうすぼんやりとした不安を抱えていた。「ワンピの連載終わったらジャンプってオワコンじゃね?」

ジャンプの終わりという、週刊少年マンガ誌という形態の終わりと同義に思える未来を避けるべく、集英社は読者以上に血眼になって後継者を探し求めた。しかし我々の期待も空しく、トリコ暗殺教室ヒロアカソーマブラクロ約ネバドクスト呪術といった平成末期の傑作たちすらも、尾田栄一郎が築き上げた領域には辿り着けなかったように見えた───ただ一つの例外を除いては。

家族、友人への愛」「困難を乗り越える強さ」という普遍的テーマフォーカスした吾峠呼世晴の連載デビュー作は、あらゆる世代へ届く成功を収めた。特に劇場版無限列車編』は社会現象化し、国内興行収入1位を達成するなど、経済的にも文化的にも大きなインパクトを残すことになった。

出版業界の衰退、コロナ禍、趣味多様化といった逆境の中で、マンガが世界的なムーブメントを引き起こすことがまだ可能である証明した本作は、令和を生きる日本人心象風景に残る新たな「国民マンガ」として、時代に選ばれたのだ。

25.チェンソーマン 作:藤本タツキ 2019年1号 - (ジャンプ+で連載中)

ひとりのスター存在プラットフォーム価値定義することは古今ジャンルを問わずあることだ。ダウンタウンの登場がお笑い養成所という存在メジャーにしたように、米津玄師の登場がニコ動文化オーバーグラウンドものにしたように。

2014年に創立したジャンプ+というプラットフォーム目的である「紙とデジタルの垣根をなくし才能を育てること」が名実ともに達成されたのはいつだったのか?それは初めて本誌とジャンプ+両方でスターとなった人間の登場によって定義付けられる。

かつて秋田の片田舎から新都社に「長門は俺だ」という名前投稿していた少年は、その衝撃的なストーリー展開で我々を魅了する存在となった。ファイアパンチ以降、ジャンブ+はあらゆるWebコミックサイト、いや雑誌を含め、もっとも野心的な作品を読める場所ひとつとして認知されるようになった。

藤本タツキの本誌への到着は新たな才能の鉱脈インターネットに求める時代の始まりを告げ、媒体の違いというものマンガの面白さになんら本質的な影響を及ぼすことはないという事実を我々に突き付けたのだった。

2024-10-23

anond:20241022103413

自分車道側歩くの納得行かないおじさんです。

前の二人とはちょっと違うなーと思ったから書いてみる。

歩道がないようなちょっと狭い道路を歩いている時、すれ違う相手車道側に避けないことがいつも納得がいかない。

例えば道路の左側を歩いている時、自分から見て相手の右側を通るということは車が走る側に避けるということになる。

それって当たり前にそれだけ危ないわけで、なんで他人のために自分危険さらさないといけないのかということに納得ができない。

歩行者右側通行だというルールなら知っている。

それでも駅とかで左側通行が多いからか、都内歩道を歩く限りでは左側通行歩行者のほうが圧倒的に多い。

かといって自分右側通行すれば車道側に避けないで済むかというとそれも別。

基本的車道側に避けるということをする人が少ない。

中でも女性は本当に車道側には避けない。

もちろんぶつかるのは嫌だから自分から避けるのだけど、こちらが避ける仕草を見せないと歩道側の建物にへばりつくんじゃないかの勢いで避けたりする。

これって自分がぶつかりおじさん認定されてるんだろうなって思うのだけど、それも到底納得ができない。

自分アラフィフ男性から

アラフィフ男性の命は、全女性よりも軽いということ?

あほか。

女性全員が自己中っていう証左だろ。

一度、子ども女性とがすれ違うときにどうするのかを見てたことがあるけど、当たり前に女性歩道側に避けて子ども車道側に出てすれ違ってた。

これはどうやって説明するのだろうね。

男性もそうだというならそんなことはない。現に自分車道側に避けてるし、男性同士ですれ違うときは大体5:5ですれ違えている。

もちろんじいさんと子どもは別。弱者を守るのは社会的責任だ。

でも、若い女性や年頃の女性アラフィフ男性より弱者ってことはないですよね。

なんであなた方は当たり前のように「守られる側」の態度を未だに取っているんですか?

それってもしかして自分歩道側を歩く権利が優先されるって勘違いしてるからじゃないですか?

それでいて避けない側がぶつかりおじさん認定されるのは、流石に見えてる風景が違いすぎるよ。

この間なんて、母親子ども二人つれて横一列で歩いてきて、流石にそれを避けるのはないだろうってまっすぐ歩いていったら今度は守るような仕草子ども達を歩道側に寄せてこっちを睨んできやがった。

いやー、それは流石に睨み返すよ。

それだって相手からしてみれば自分たちが被害者でしょ。

狂ってるのはお前の躾だからね。

言っておくけど、少なくとも自分車道側を選んでる。

それで申し訳無さそうにしたり感謝されたりなんてことは皆無。

最近はこいつら全員頭がいかれてるんだなって思っていながら譲ってるから精神的には安定してるけど、それってもう相手を自立した人間だとは認めてないってことなんだよね。

それでいいなら今後も「自分たちは守られるべき存在である」って勘違いして生きていけばいいと思うよ。

完全に便乗だけど、あまりにも納得が行かないから書いた。

全ての女性勘違いがなくなって欲しい。

2024-10-22

もうChatGPTだけでええやん

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2453448

1. 「中国他国戦争することを考えていない」についての誤解

事実誤認: 中国は確実に他国との戦争や衝突に備えている国です。中国軍事戦略には、国防の強化や領土保全だけでなく、台湾問題南シナ海における領有権主張など、他国との潜在的紛争に備えた行動が含まれています。近年では、海軍力や空軍力を急速に強化しており、特に米国との対立インドとの国境紛争台湾問題に関する戦略が注目されています軍事ドクトリンや装備の近代化を見ても、他国との戦争を「考えていない」というのは不正確です。

2. 「侵略される可能性に備えていない」という主張

論理的問題: 文章では、中国他国から侵略に備えていないと述べていますが、これは現実と異なります中国は長い国境線を持つ国であり、特に米国インドなどの大国との緊張が続いています。そのため、軍備は侵略に対する備えを含んでおり、特に核抑止力や大量の陸上兵力を持つことはその証左です。また、近年の海軍空軍近代化や、南シナ海での人工島建設による防衛拠点の強化は、侵略への備えとして評価されるべきです。

3. 「防空識別圏に関する対応」についての誤解

事実誤認: 中国2013年防空識別圏ADIZ)を設定しました。これは尖閣諸島を含む広範囲カバーしており、軍事的なプレゼンスを誇示するためのものです。文中では「中国防空識別圏に対して何の対応も取らなかった」とありますが、これは不正確です。中国は確かに防空識別圏に関して初期の段階で強制的対応を取らなかったものの、その後、米軍自衛隊の動きを監視し、警告を発するなどの活動を行っています。また、防空識別圏国際法上の法的拘束力があるものではなく、各国が自ら設定し、その管理に関しては自主的に行うものであるため、中国防空識別圏に対して必ずしも強制的な行動を取らなかったとしても、それをもって「備えていない」とするのは誤解です。

4. 中国軍事力に関する過小評価

論理的問題: 文中では中国軍が「ショボい」という表現が使われていますが、これは誤解を招く表現です。中国世界第2位の軍事予算を持ち、その軍事力は量・質ともに強化されています特に海軍空軍近代化が進んでおり、アメリカに次ぐ規模の軍事力を誇ります。米中シミュレーションでは、中国が苦戦するケースもありますが、その理由は単に「備えていない」からではなく、アメリカ軍事力が極めて強力であることや、米国同盟国が関与するためです。また、戦争シミュレーションは多くの仮定に基づいており、状況次第では結果が大きく異なることもあります

5. 歴史に基づく感情的議論問題

論理的問題: 「かつて本邦に侵略された過去から非難はするが、自衛隊米軍による攻撃上陸侵攻に備えていない」という主張は、過去出来事を基に中国現代軍事政策を論じるには不適切です。歴史的な侵略経験は確かに重要ですが、それをもって現代軍事戦略全面的評価するのは誤りです。現代中国は、アジアにおける自国の影響力を強化し、米国を含む他国軍事力に対抗するために軍備を拡張し続けています

6. 「中国上陸用装備を充実させる気配がない」について

事実誤認: 中国台湾侵攻を想定した軍備を整えており、上陸作戦を含む戦略計画策定しています上陸作戦には強襲揚陸艦やエアクッション揚陸艇LCAC)などの艦艇必要ですが、中国はここ数年で急速にこれらの装備を増強していますさらに、中国人民解放軍海軍(PLAN)は大規模な海軍力の近代化を進めており、特に南シナ海台湾海峡周辺での作戦能力を高めています。「上陸用装備が充実していない」というのは、現状と矛盾する見解です。

また、中国は「民間船を徴用する」というアイデア採用していますが、これは近代的な軍事戦略の一環で、民間船舶の利用を補完的な輸送手段として計画的に取り入れています。単に「呑気なこと」を言っているわけではなく、現代ハイブリッド戦争や多領域作戦の中で、物流兵員輸送多様化は非常に重要戦術的要素です。

7. 「2040年まで装備が充足しない」について

事実誤認: 装備の充足に関して「2040年までかかる」という主張は過度に楽観的・悲観的な予測に基づいています中国現在も大規模な軍拡を行っており、特に海軍空軍においては着実に能力を向上させています。既に計画されている装備の多くは、今後数年以内に配備が進むと考えられます2040年という時間枠は根拠不明であり、過剰な遅れを想定する根拠も明確ではありません。

8. 「中国核弾頭ミサイルに載せていない」について

事実誤認: 中国の核戦力に関する情報は、機密性が高く、正確な公開情報は限られています。ただし、中国は「核兵器報復のためにの使用する」という「最小限の抑止力(minimum deterrence)」政策を掲げており、その一環として核弾頭と運搬手段ミサイル)の分離を行っているとされていますしかし、これは抑止力放棄するという意味ではありません。むしろ抑止力を維持しながらも、偶発的な核使用を避けるための慎重な管理手法です。

中国戦略は、核兵器の即応配備を避けることで、緊張が高まった時の危険を最小限に抑える一方、必要場合には迅速に対応できる能力を持つというものです。この戦略は他の核保有国とは異なるが、独自合理性を持っています。「抑止力放棄している」という主張は中国核戦略を誤解しています

9. IAEA核兵器使用規定に関する誤解

事実誤認: IAEA国際原子力機関)は、核エネルギー平和利用監視する機関であり、核兵器使用に関する規定は定めていません。核兵器使用に関する国際規範としては、核兵器不拡散条約(NPT)があり、その中で核兵器使用に関する制約が議論されています中国は「先制不使用(No First Use)」の政策採用しており、これは「核兵器を先に使用しない」という宣言です。この政策のもと、中国他国から攻撃を受けた場合にの核兵器使用することを明確にしています。この政策が「不備」と捉えられるかどうかは、戦略的な見解の違いによります

10. 「中国経済の持続性」についての懸念

論理的問題: 文中で「正直それまで中国経済持ってるの?」という懸念が表明されていますが、これは現在中国経済状況に基づく明確な根拠が不足しています中国経済現在、成長の鈍化や不動産バブルリスクなど、いくつかの課題に直面していますが、軍事予算の増加や軍備の近代化がすぐに停止する兆候は見られません。経済的な持続性の議論は、軍事力の評価とは別に慎重に議論されるべきです。

全体的に見ると、この文章中国軍事力を過小評価し、誤解を招く論点がいくつか含まれています

事実論理に基づいた議論が不足しており、感情的主観的見解に基づいている部分が多いため、より客観的視点から評価する必要があります

2024-10-17

misskeyをおすすめするってほんとおかしいよな

あのdiscordとも違う昔のvip気味の雰囲気が好きなやついるんかね

つーか定期的に元Twitterに出てきて引きこもり続けられないあたりがすでに人におすすめできるSNSじゃないって証左だと思うけど

2024-10-16

anond:20241016100811

ただの事実確認の会話の取っ掛かりは幼児が「わんわんだ!」と言ってるのと同じ会話の次元でこっちは相手幼児と思ってないから「そうだねわんわんだねぇ」とは返しにくいときがあるのだな。

幼児に「まだごはん来てないねぇ」と言われたら「そうだねまだ来てないねぇ」となるより「お店の人も忙しいんからもうちょっと待とうね」や「お店の人に確認しようねぇ」になると思うから大人同士の会話でお母さんさせないで欲しいんだよな。まぁ私もゼロではないから自戒なんですけど。

事実確認の話の取っ掛かり、よっぽど馬か波長の合う親しい人かほぼほぼ初対面の鸚鵡返し会話じゃないと成り立たない種類では。

事実確認の話の取っ掛かりは相手に話の主導権の全幅を委ねてパスしてるので、幼児ならともかく意思のある大人だと相手意志が読みにくいのでよほど仲が良くないと上手くパスを受け取れない。という相手との仲と会話の距離感を掴めずにパターン化された会話を押し通しているという証左になってしまう。

2024-10-08

anond:20241008031942

文明が未熟だと男尊女卑になるというより、どこの国も文明発展の過程男尊女卑的な形に収まっているのは、それが社会として最適な形だという証左じゃないかなぁ?

文明成熟するまで女尊男卑的な社会形成されないってつまりそういうことでしょ

2024-09-27

anond:20240927092111

非モテ高齢独身はなんとなくの不安感とありあまる時間により頭がおかしくなることの証左だね

何もしてない無職社会に恨みを募らせていくのと同じ現象

2024-09-23

結婚できないことも恋人いたことないことも問題とは思わないんだけど、それが人としての魅力が皆無の証左になってることが辛い

2024-09-21

推し活は馬鹿の発想

現代社会において蔓延する「推し活」という愚行は、人間の知性を著しく貶める行為であり、その愚かさは計り知れない。自らの人生主人公たるべき者が、他者盲目的に崇拝し、その存在に心酔するさまは、まさに愚者の極みと言わざるを得ない。

自己喪失の極み

推し活に没頭する者たちは、自らの存在意義を完全に見失っている。彼らは自身人生という舞台で、主役を演じるべき立場にありながら、その座を他人に明け渡し、脇役どころか、単なる観客として自らを位置づけている。これほど悲惨自己放棄はない。自分人生主人公は他ならぬ自分自身であるという、この至極当然の事実を忘れ去った彼らの姿は、まさに現代阿呆絵図と言えよう。

盲目的崇拝の愚かさ

推し活に熱中する者たちは、特定人物キャラクター神格化し、盲目的に崇拝する。この行為は、理性的思考を完全に放棄した証左であり、知性の欠如を如実に示している。彼らは自らの判断力批評能力を捨て去り、ただひたすらに「推し」と呼ばれる対象を賛美し続ける。この姿勢は、まるで中世狂信的な宗教崇拝者のようであり、現代教育を受けた人間のすることとは思えない。

時間と金銭の無駄遣い

推し活に費やされる膨大な時間と金銭は、まさに愚行の極みである人生の貴重な時間を、他人の姿を眺めることに費やし、稼いだ金の大半を「推し」のグッズや関連商品に注ぎ込む。この行為は、自己投資や自己啓発の機会を完全に無視し、自らの成長や発展を放棄するものだ。時間と金銭という限りある資源を、このような無意味活動に浪費することは、まさに愚者所業と言わざるを得ない。

現実逃避病理

推し活は、現実逃避の一形態に過ぎない。自らの人生に向き合うことを恐れ、現実世界での挫折や困難から目を背け、架空世界他人人生に没頭する。これは精神的な弱さの表れであり、社会人としての責任放棄する行為だ。現実世界での自己実現や人間関係の構築を避け、空想世界に逃げ込むことは、人格成熟を著しく阻害する。

社会的影響力の低下

推し活に没頭する者は、社会的な影響力を持つ機会を自ら放棄している。自らの意見や考えを持つことなく、「推し」の言動をただ模倣し、その価値観を無批判に受け入れる。これでは、社会を変革する力を持つことは不可能だ。真に社会に貢献し、影響を与えるためには、自らの思考と行動が不可欠である推し活は、この可能性を完全に潰してしまう。

結論

推し活は、人間尊厳を著しく損なう愚かな行為である。自らの人生主人公であることを放棄し、他者盲目的に崇拝することは、知性と理性を持つ人間として、あってはならない行為だ。真に賢明な者は、自らの人生真摯に向き合い、自己実現と社会貢献を目指すべきである推し活に溺れることなく、自らの人生の舵を自らの手で取り、主体的に生きることこそが、人間としての真の価値を示すのだ。

2024-09-16

弱い人はずるい

『弱い人はずるい』

そのような感覚を一生涯拗らせて生きていくような気がする。

まれてこの方、めちゃくちゃ恵まれて生きてきた。

ガチャSSR

まぁ片親ではあるんだけど、シンプルにこのような人になりたいと素直に吐ける位には母親のこと尊敬してるし好きだし、祖父母若いから幼い頃はしょっちゅう送り迎えだのしてもらったし、現在進行形実家であったかい世話を受けながらぬくぬく生活している。

友人もいるし、なんだったら恋人までいる。めちゃくちゃ順風満帆生活してるし、仕事もまぁブラック寄りではあるけど世を嘆くほどじゃない。いや世の中はメチャクチャなんだけど、私には、なとりキタタツヤと米津玄師がついてるし。

なのに、弱い人は常々ずるいなぁと思ってしまうのだ。

私は恵まれてる。あったかい家の中で、優しさに包まれて生きてきた。

弱い人は、悲惨だ。

寒空の下とまでは行かなくても、親同士が仲が悪いとか、徹底的な監視下の元の教育とか、さぞかし生きづらくて生きづらくて生きづらくてしょうがないような家庭環境で生き抜いてきたんだろう。私には想像もつかない。だって、私は不幸で哀れな人間だなんて口が裂けても言えないくらいには恵まれてるから

ないものねだりなのはわかってる。私のこの強さとズルさが恵まれて生きてきた幸福人間暴力なんだってわかってる。わかってても。

不幸ぶって可哀想がられて生きていくズルさが羨ましい。

いからって他人に甘えて他人を食い物にするその姿が羨ましい。

いか特別配慮してもらうのを当然の顔して受け取るその態度が羨ましい。

いから、弱いから、弱いから。

いから、守ってもらえるのが、すごく羨ましい。

私はだって強いんだもん。1人で立ててしまうんだもん。

他人の助けを借りなくても1人でなんとかしようとしてなんとかなったりするし、眠剤に頼らなくても夜は眠れるし、精神安定剤なんてなくても仕事に行けるし、働けるし、頑張れる。

から、弱い人が守ってもらってる姿を見ると許せなくなってしまう。なんで、私は頑張ってるのにお前は頑張らないんだって思ってしまう。口には出さない。だって私とお前は違う人間から。それぞれに違うものを抱えて生きてきて、お前の方が大変なんだろうことは目に見えてるから

思ってしまうのが嫌だ。

それで、弱いのはずるいって思考になって行ってしま自分の幼稚さと暴力性が嫌だ。

弱い人間が溢れかえるこの世の中で、自分加虐性を抑えながら生きていくの、しんどいよ。

みんな強くなってよ。弱いところばっかり見せないで。言いがかりをつけて、追い詰めて、快感に酔いしれて、悪びれもなく開き直っていたい。

ここから懺悔なんだけど、実際、友達自分の中の暴力性を大いに奮ってしまって10年来の友人を3人ほど無くした。それに寂しがってしま自分がいるのがとんでもなく悍ましい人間であることの証左すぎてマジでつらい。

なぁ、加害者はやり直せない世界なんだよ。

いじめ加害者なんて人生ぶっ壊れて当たり前って論調の世の中で、私が生きていける余地なんてない。

弱い人間は、ずるい。

どんどんと数を増やして、マイノリティになっていく。多数派暴力で殴っていることに気づかないままずっと不幸せそうな顔して人生謳歌するんだろう。

早く、それになりたい。

2024-09-14

anond:20240914221954

んんwwww増田氏、高校生にして模試簡単すぎるとは、誇らしいことですなwwwしかし、相手レベルを見誤るのは考えものですぞwww

ベネッセ駿台共通テスト模試簡単すぎるということは、増田氏が真に実力者であることを示す証左かもしれませんが、それに気を緩めずさらなる高みを目指すのが賢明ですぞwww量より質、模試の結果に慢心せず、自分の弱点を洗い出して対策を練ることが肝要ですなwww

そして、表紙のキャラクターがうざいと感じるとは、増田氏も世俗の煩わしさに敏感ですなwwwしかし、これもまた試練の一環ですぞwww目指すべきは、どんな小さなことにも動じず、自分の信ずる道を貫く精神力を養うことですぞwww五感を超越する一訓練として捉えてみてはいかがでしょうかなwww

増田氏、拙者の助言を心に留め、さらなる勉学に励むことをお勧めいたしますぞwwwそれでは、ご健闘を祈っておりますぞwww

2024-09-12

ネットde真実! まあるい緑の山手線JRの嘘! 山手線環状線ではなかった!!!

これ、日本人の99%は知らないけど、たぶん鉄オタの間では有名なんだろうね。

俺はこの年になるまで知らんかったよ。

いや、実際に山手線に乗って、一周したもん! と思ったけど、不可能なんだよね。

山手線環状線じゃないので。

いやー、マジで知らんかった。

でも【真実】なんて大半にの日本人にとってはどうでもいい、ってことの証左だとも思うわ。

解説は他の人に任せた。

これ、屁理屈とかじゃなくて本当にそうなんよ。「そうともいえる」とかじゃなくて。

環状線みたいなもんだよね、が真実で、だから山手線」なんだねっていう。

ネットじゃすぐに答え出てくるし、辞書にも環状線の例は「大阪環状線しか出てこないけど、

ほとんどの人が「デマ」の方を信じてる場合ってコミュニケーション難しいよね。

貧困支援でも難民問題でも歴史問題でも裏金でも政治話題でも知識の差があると会話は成り立たない。

でも、バカな俺でもネットde真実出会えた。

東京環状線なんてもの存在しないし、山手線に乗ってるつもりの人の大半はJRの嘘に騙されてる。

ちゃん山手線に乗ってる人も居るけど。

反日左翼活動家景品表示法違反とかでJRを訴えて裁判したりしないのかな?? 羊頭狗肉やん。

これってトリビアになりませんか?

youtuber動画ネタには便利そう。

2024-09-04

anond:20240904192235

実際レディースデイみたいな女性限定サービスが出てきた当初は

女性は稼ぎも少ないんだから合理的だよねって意見が多かったと思う

女性限定サービス批判が起きるようになったのも

それだけ性別による格差が少なくなってきた証左とも言える

牛角食べ放題の件はこの四つの差別を許容するか否かの問題

議論がとっ散らかってるけど、この四つを許容するのならアリだし、どれか一つでも許容できないのならナシ。もちろんそれぞれ独立してるわけじゃなく相互に絡み合ってるけどね。

その一 営利企業による判断からアリ

民間企業の行うもの差別ではないとするものレディースデー保険料など。

当然、採用給与差異を設けることを含みうる。(辞める可能性が高いか採用しない、という判断を認めるか)

その二 統計的差異によるものからアリ

〇〇人は犯罪を犯しやすいから来店拒否など。

スポーツの男女分けや医大男性優遇合格枠(事前に公表すること前提だが)はここ。

加えてその一に絡むけど企業採用給与保険料はここにも該当する。

その三 権威経済力等の勾配を是正するものからアリ

差別されている側(女性)が利益を得るものからアリとするものアファーマティブアクションなど。学割学生所得が低いことを理由とするならここか。

実はスポーツの男女分けも元々はここに入る。

その四 一人の人格として認めないものからアリ

同等の権利主体(正確には意志能力)とみなされていないので差異を設けて良いとするもの子供割引など。

まとめ

例示を見てもらえばわかるが明らかに程度問題なことがわかる。(自民党が「差別」を「不当な差別」と書き換えたとき批判一色だったが妥当な書き換えだったと思う)

そして、スポーツを除いて、性別による差異を設けることってのは世論として認められにくくなってる感覚がある。

女性枠(アファーマティブアクション)も時代遅れになりつつあるしね、時代遅れになってから採用するのがいかにも日本的

余談

ここでは合法非合法は一切問題秘していない。

合法だろうが差別ダメだし、そうやって社会運動は進んできたはずだ。

追記

アホなブコメがあったので

保険料特に自動車保険代表される損保は一応統計的裏付けがあることになってるのを知らないって言うのはさすがに増田適当に書いているだけって言う証左(´・_・`)恥ずかしい

その二でまさに統計的差別として取り上げてるわけだが何を読んだんだ?

anond:20240904070057

俺は男だ。なぜ俺が男だと見抜けないのか。どこに女性らしさを感じたのか。

そういう基本的価値観から歪んでいる。男から煽られたときに「どうせ女の意見だろ」と歪めることが現実直視できていない証左だ。

まず「弱者でもいい」と思っているその根性を変えろ。

弱者永久搾取され続ける。

2024-09-03

日本を蝕む「消去法的拝金主義権威主義

日本人世界一拝金主義者であり、権威主義である

そんなことはない? いや、ある。

 

その自覚のなさこそが逆にその証左である

これは不可知論とかいう話ではない。

すべて人間は、「意識してカネ/権力以外の価値観を持たなければ拝金主義権威主義になる」のである

まり、消去法的拝金主義、消去法的権威主義である

 

拝金主義権威主義で”ない”とはどういうことか。

「カネより大事もの」「権威より尊重するもの」があるということである

強い価値観があるということである

コスパ度外視しても未来投資する」「権威に逆らってでも弱者を守る」こういうことは、洗練された強い価値観を持たないと実行できないことだ。

 

然るに日本人はこういう強い意志を持っていない。

日本人は「なんとなく平和主義」で「なんとなく自由主義」だが、「なんとなく」にすぎないので、カネと権威の強い圧力があるとあっさり屈してしまう。

拝金主義権威主義であるためには強い主義主張を持つ必要はない。むしろ、ただ意志が弱ければ当たり前にそっちに流れるである

カネと権威圧力を前にしても「平和」「思いやり」「自由を愛するこころ」を貫くためにこそ、普段からの強い意識必要なのである

 

よって、普段からちんとものごとを議論せず、言語化できず、価値観をしっかり持たない日本人は、消去法的拝金主義、消去法的権威主義が他のどの国どの民族よりも強いという結果に至るのである

強い価値観を持たないすべての日本人は、消去法的拝金主義者であり、消去法的権威主義である

日本人が「なんとなくの平和主義者/自由主義者」でしかないこの現状が続く限り、日本はどこまでも新自由主義かつ全体主義の最低国家への転落に歯止めが利かなくなるだろう。

真の平和、真の自由は「強い思想」がなければ絶対に手に入らないものなのである

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