はてなキーワード: 言葉にできないとは
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355
先が気になって一気読み。
読み終わった後にページ数を知ってすごいなと思った。
自分的には、この漫画は作中でも言葉が出てくるように「佳作」ぐらいだなと思った。
だからこそ前後編とか連載とかにしないで一気に出して評価を決める必要があったんじゃないかな、ぐらい。
それぐらいのパワーの作品。
勝手な推測だけど、作者も編集も客観的にそう評価して打ち出したんじゃないだろうか。
位置づけ的には、
ぐらい。
つまり、商業作品的には成分無調整で、オマケコンテンツ的な読み切り。
全部私の妄想だけど。
じゃあなんでお前は増田なんかに来て何を書こうとしてんだよ、というと
「天才すぎる」「自信を失った」「共感しすぎて言葉にできない」などなど
とりあえず今日はこれ褒めとけモードになってる雰囲気を感じてイライラしたから。
作者は間違いなく才能あふれる実力者だけど、
この作品はチェンソーマンを超えてるかと言うとそうじゃないでしょ。
わりと目に見えて伸びきらない点があって
「才能ある人たちが影響を与え合ってひたすら努力したら、トントン拍子で成功した」
という話の筋は
「共感できる人が非常に少ない」
でしょ。
ぶっ叩かれる言い方すれば自己満足的というかで、
「テーマを書きたい気持ちが先行しすぎて、エンタメの完成度としてはあと一歩」
ってジャンプの編集者がいつも言うアレのままでしょ。圧倒的佳作感。
それをもってB級C級のプロットをA級の作品に到達させてるのはそりゃすごいけど、
絵に観点の薄い人なら「そこそこ面白かった。なんか感動した」ぐらいで止まる。
じゃあクリエイティブな読者ならみんなに刺さるかというと
正直この作者さんの力なら、もっともっとすごいの描けると思うけどな。
匹敵する(そして話題にならず消えていく)作品は昔からかなりあるような。
そういう意味でこれ単品で
「一切の隙が無い作品」「才能に打ちのめされた」「共感しすぎて言葉にならない」みたいな盛り上がりは、
言ってる人たちはここ十年か二十年はあまり他者作品を摂取してきてないのかな?
ただの読者ならともかく、
いっぱしの作者がそういうこと言ってるとただの不勉強の告白というか現在のシーンが見えてないというか、
そんな感じに思った。
創作家でも、ここまでのストイックさも成功も不幸もないでしょ。
この主人公たちと二次創作絵描いてる絵師じゃ挑戦してる世界違いすぎるし。
ロートル入りかけてる人たち主導で、
一切の隙が無い完璧な作品だと褒めなくちゃいけないムード作られるの、嫌だな。
ハサウェイ観たときもそんな感じだったけど。
もしあなたがいま無職やニートだったとしても、この人をモデルにやり直せば5年、遅くとも10年で完全に別人になれる
重度の薬物中毒を克服 48歳女性「衝撃ビフォーアフター写真」
バートンさんが公開した写真。左が薬物使用で逮捕された05年、右がワシントン大学を卒業した現在(バートンさんのFacebookより)
一方の女性は、目に生気がなく頬がゲッソリこけている。もう一方の女性は、健康的な笑みを浮かべ幸せそう。とても信じられないが、2枚とも同じ人物の写真だ――。
ある女性が、自身のFacebookにあげた画像が米国で波紋を呼んでいる。被写体は、ワシントン州に住むジニー・バートンさん(48)。幼いころから強度の薬物中毒に悩み、自殺未遂をおかしたことも。更生したバートンさんが、薬物の恐ろしさを知ってもらうと公開したのが「ビフォーアフター写真」だ。
「バートンさんは今年6月、米国の放送局『KMTR』の取材に応じ、自身の悲惨な半生を振り返っています。インタビューによると、両親はともに強度の薬物依存症だったとか。母親は麻薬の密売人。父親は、強盗を繰り返しバートンさんが4歳の時に逮捕され刑務所に入ったそうです。
バートンさんが初めて麻薬に手を染めたのは、6歳のころ。母親から勧められ、マリファナを吸ったと語っています。以来12歳で覚醒剤、14歳でクラック(高濃度の薬物)、21歳でヘロインを知り、クスリを打ち続けていないとヒドい禁断症状が起きる身体になってしまいました」(米国在住ライター)
バートンさんは、16歳の時に母親からクスリを買っていた男性にレイプされ自殺を図る。17歳で別の男性の子どもを身ごもるも、彼はトラブルから銃で撃たれ死亡。直後に結婚したが、夫からは毎日殴る蹴るの暴行を受けていた。
生活はどんどんすさんでいき、仲間とつるみ不法滞在中のメキシコ人の麻薬仲介者を脅しクスリを入手する日々。違法入国したメキシコ人たちは、身元がバレることを恐れ警察に被害届を出さないことを知っていたのだ。『KMTR』のインタビューには、次のように語っている。
〈すれ違う人がいれば、カバンをふんだくっていました。車を盗み、銃で人を撃ったこともあります。すべてはクスリを手に入れるため。無気力感からシャワーを浴びる気にもならず、ヒドい体臭を放ちながら街をさまよっていたんです〉
バートンさんは17回逮捕され、刑務所に3回収容された。毎朝「今日こそクスリを止めよう」と思っても、昼には注射をうっている。「もう死んだほうがまし。誰か私の命を奪ってくれないかしら」と、本気で思っていたという。インタビューは、こう続く。
〈最後に逮捕されたのは12年12月です。これが人生のターニングポイントとなりました。麻薬中毒になった多くの人々の悲惨な最後を目の当たりにし、「絶対に人生をやりなおす」と決意。裁判所の特別更生プログラムへ参加したんです。裁判官の監視のもと、薬物依存の治療や教育を受けました。禁断症状が出て、言葉にできない苦しみや想像を絶するツラさも経験しましたよ。しかし、おかげで私は薬物から完全に解放されたんです〉
バートンさんは自身の体験をいかし、ボランティア活動を始める。教会で貧しい人々や薬物中毒者を支援したのだ。健康な身体を手に入れると「学びたい」という意欲がわき、40歳を過ぎてから短期大学に入学。成績優秀だったため奨学金をもらい、名門ワシントン大学に編入し政治学を学んだ。インタビューで、彼女はこう話している。
〈クラスで一番年上だったから、若い人たちについていくのは大変でした。私が大学を卒業したのは、48歳の時ですからね。最後まで頑張れて自信になりました。こんな私でも「やればできるんだ」という実感がわき、とても嬉しいです〉
バートンさんがFacebookにあげたのが、大学卒業式と05年に逮捕された時の写真だ。彼女の言葉を引用する。
〈昔の写真を見ると「あの頃の自分は道を誤っていた」と思います。地獄です……。私はこの数年間で20人以上の薬物依存者のお葬式に参列してきました。中毒は死と隣り合わせ。薬物依存者には、罰を与えるだけはで意味がありません。私は彼らに、「必ず復活できるわよ」と伝え希望を与えたい〉
現在バートンさんは、大学院に進み修士号取得に向け勉強中だ。プライベートでは、同じく薬物依存を克服した男性と結婚。今後も薬物依存者へ自身の壮絶な半生を伝え、支援活動を続けていくという。
男子に彼女の名前を出しても、ピンと来ない程度の知名度だったし、誰かと付き合ってるなんて話も全く無い。
話せばよく笑うし、話も面白い。
あと、顔が良かった。上手く言葉にできないが、麗しく透明感のある顔だった。うっかり見惚れた回数は枚挙に暇がない。
この話に賛同してくれる人もいたので、個人的な好みでは説明しきれない。
なんで男は彼女に見向きもしないのかなって思ってた。見向きされて付き合い始めてたら、お相手に嫉妬してたかもしれないけど。
2次元にしかいないはずの、男人気はあまりないが話せば面白いし顔がいい女の子は実在するって話
おわり
非常に憤りを感じている。
今朝方流れてきた以下のような言説。このような差別発言は今に始まったことではない。
「土日くらい休ませて」というパパへ。
https://www.instagram.com/p/CQDvgRTDA-N/?utm_medium=share_sheet
このような言説により、普段育児に参加しているしていないに関わらず、「休む」という言葉を封じられる。これは男親に対して顕著であることに疑いはなく、女親に対しては「休む」ことを推奨する言説がほとんどだ。
深夜に夜泣きでミルクをあげることを男親がやることだってもはや珍しいことではないし、そもそも育児とは何歳のことを指しているんだ?24時間体制なのはそれこそ乳飲み子の間。幼児くらいになれば保育園幼稚園もあれば夜に「異常時以外で」ケアが必要なことはない。異常検知にしても幼児側のアウトプット(泣くなど)のアラートで検知してるのであって、常にウォッチしているわけではない。そのくせウォッチして消費しているかのような言説を宣う。
その上で男親はフルタイムで働くことをもはや前提とされている。主夫なんてものが市民権を得ているのは「意識高い系が遠目から第三者的にそれを観測した場合」のみだ。近くにいる場合は蔑すむまではいかないまでも下に見ている。
俺は文章が下手なので、俺の憤りが貴様らに的確に伝わったり、言説としてちやほやされることもない(作文的弱者、発言弱者)。だからこういう男性属性でもって(先の例では「土日くらい休ませて」と言う者のみ対象にしているように見せているが明らかに男性という属性への警告という内容である。そうでなければ「パパへ」と絞る意味がない。パパは必ずしも男性ではないと言うならそれは書いたときの動機でなく後付の屁理屈と推察せざるを得ない。それはさらに卑怯な行為だと俺は認識する。)偏見を持つ、さらにそれに屈服することを半ば強制する同調圧力に対してしっかりと皆に届く形で異を唱える“代議士”が欲しいと本当に思う。(ただしその“代議士”には所謂ミソジニーの様な言説はやめてほしい。男の方が大変だとか言いたいのでなく、とにかく偏見とそれへの屈服の強制をやめろと言いたいのだ。)
俺は憤りを感じているが、それを上手に言葉にできない。作文としては子供のようなものだ。だが“よしよし”してほしいのではない、筋を通してほしいのだ。
妻子はいるけど友人は1人もいない。仕事と家庭で忙しすぎて友人と何かをする余裕はないのでそれでいいんだけど、1人も友達がいないのは欠陥人間なのかなとは思う。
ただ、そんな私でも会社では割と良識派だと思われている。複数からそう言われるので間違いない。感情が安定していると言われる。
しかし、そんな私ですが、部下が人事にパワハラ的な扱いを受けていると相談した模様。
この部下はなかなか困った子で、人の気持ちが病的にわからないため、その子の行動からこちらが受ける一般的な感情の流れをどうにかこうにか言葉にあらわして説明し、普通の人のフリができるようになってほしいと願っていたのだが、指導をやりすぎた模様。
そもそも他部署から追い出された子で、その子を知っている部下からは初めから受け入れに難色を示されていたし、受け入れ後には違う部下からも「あれには深入りしないほうがいいと思います。」って言われていたのに、どうにかできると思ってしまった自分が甘かった。
心を開いて話せばわかる、通じ合えるというのは定型発達同士の話であって、メンタル疾患者には通用しないということを学んだ。
で、人事と面談したわけだが、1時間面談したそう。それを受けて私も面談されたわけだが、最初から人事の人があまりにこちらに同情的だった。
フラットな感じで来るのかと思っていたが、最初からあまりにこちらに肩入れしてくるので聞いてみた。
「やはり人事のプロの方なら短時間の面談でもわかるものですか?」と。
「わかります。あぁ、こういう人の問題か…とすぐに察しました。ご苦労されて大変でしたね。」
という感じだった。
その子はお客様にも一回の対応で即座に嫌われてクレームや、その子以外での対応を求められるなど、とにかくほぼ全ての人間に嫌われる。
具体的な問題行動ももちろんあるんだけど、言葉にできない部分が大きい。なんていうか、こんなこと言うとはてなでは特に怒られると思うけど、キモいんだよね。所謂「生理的に無理」ってやつ。
好き嫌いは防御反応だなんて話もあるけれど、社会人生活はそれではいけないよなと思って、ウマが合わない人も尊重してやってきた。自分が苦手だと思っても信頼する部下が高評価している人材はやっぱり尊敬できるところもあったし。
だから仕事に好き嫌いは持ち込んではいけないと思って今回も自分なりには頑張ったつもりが会社に迷惑をかけてしまった。
この、大多数の人が一見しただけで「生理的に無理」と思うのって何なんだろう。アスペとかそういうのもあるのかもしれんけど、別にジョブズは一見しただけでキモいわけではないし。一緒に働くのはキツいんだろうけど。
これ、何なん?これを教訓に今後どうしたらいいのだろうか。田端さんみたいに履いて捨てるほど人材が集まる業界でもないのでどんどん切ればいいってことにはならんのよ。ギリギリ使えるようにできるならそこは拾いたい。でも、またこんなん拾ってしまうと組織に大ダメージなので、そこは見抜いて水際対策したい。日本では正社員を解雇にすることは実質不可能なので。
今回の件で一番の原因は、一見してキモい人材を採用しておいて、自分の直属では使い物にならず放り出した上司なんだけどね。
もう人材面では二度と協力しない。
背景がよく分からないけれども、もしそんなことを言う面接官がいたとしたら地雷臭がするからだと思うけど。
地雷臭ってよく怒るとかよく泣くとかもあるけど、他の要素にどんな時にどう言う理屈でどう感じるのか分からないってのがあると思う。
まぁそ言う意味では感情を言葉にできないってのが原因はあってるか。
多分ほとんどの学生は月並みな話もできないし、たぶん増田もやろうと思ってもいざやろうとしたらできないから。
あと
思ってもないことをたくみに話す学生も周りにいなくはないが、私にはそういうマインドコントロール力や知識は残念なことに備わってないし、彼らとは仕事に求めるものが違うと思うので実行しようとも思えない。
みたいに他者を極端に印象悪くてギラギラした邪なキャラにして、自分はそうでないって逆の方に極端にしちゃってバグっている印象。
以下、大学のオンライン授業に関するノウハウを列挙していますが、大学に限った話ではありません。ビジネスにおけるビデオ会議、企業における新入社員研修にも当てはまります。
https://online-edu.astr.tohoku.ac.jp/knowledge/open.knowledge/view/30
https://online-edu.astr.tohoku.ac.jp/knowledge/open.knowledge/view/46
https://utelecon.adm.u-tokyo.ac.jp/improvement/
週明けから、テレワークの促進、オンライン授業への移行により、ネットワーク帯域が逼迫し、企業の会議、大学の授業、新入社員研修に影響が出ることが想像されます。また、1年経っても社会人、学生、教育サービス事業者いずれも、「モバイルWiFiで何とかなるだろ」と回線を整備していません。(一方で、この期に及んで、まだ数百人規模の企業合同新卒研修を開催している研修会社もありますが)
その中で、過剰な解像度 (受信側の画面サイズでZoomが自動調整) でのカメラ表示、全員の手元にある教材をわざわざ画面共有しての講義、画面を最大化しないと見えないほどの文字で詰め込まれたパワポでの、会議・講義・研修は、結果としてコミュニケーションロスを生み、意思決定や学びを阻害します。上記のノウハウなどを踏まえ、ネットワーク負荷の少ないオンライン会議、講義、研修を実施しましょう。
そもそも、授業や研修でカメラなんていらんよ。研修 (新卒だけでなく、いい年したオトナ相手でも) だと「講師は受講者の顔を見て様子を観察」とかさせられるけど、大人なんだから、わからないことがあったら質問してよ。わからないことが言葉にできないということも含めて質問してよ。「私が困っている顔をしているのにサポートしてくれない!」とかやめてよ。
姉は美人。たまにモデルの仕事をするらしい。国家資格を持っていて安定した職についている。旦那さんも姉と同様の人。二馬力で働いて大層金を持っている。
一方の私はブサイク。顔を褒められたことなんてない。資格もない。姉と比べ物にならない学歴。人と付き合ったことはない。親と同居している。
両親はかなり老いている。今にもガクッと体調を崩して寝たきりになってもおかしくない。母が拾ってきた猫は、両親同様に老いていて、毎月獣医に連れていかなければならない。
私は経済的に両親に依存している。だけどその分、同居して色々な世話をしてきたつもりだった。
姉が久しぶりに家に帰ってきた。姉は家の中を見渡してから、「可哀想」と言った。それから母親と父親から、二人がここ数年に患った病名を次々聞き出して、「何にも伝えてくれないんだね」と私を責めた。
姉は泊まりもせず帰っていった。父と母はそれから姉のことを褒めた。「モデルさんみたいに綺麗になって」とか、「あのドラマに出てる女優に似てた」とか。
それが1ヶ月前のことで、私はそれ以来頭が痛くて仕方がない。微熱が出ているからコロナを疑って病院に行ったが陰性だった。他の病院で血液検査を受けて、「特に問題はない」と返された。
寝る前に思い出すのは姉の帰ってきた日のことばかりだった。「腹が立つ」とかいう薄っぺらい言葉では表現できない、頭の中で怒りがハウリングするような感覚がした。
一昨日、姉に連れ出された。姉の持っている綺麗な車に乗り、数千円するランチを食べさせてもらった。姉は「ごめんね」と言った。1ヶ月前の話を夫に話して叱られたそうだ。「話したいことがあったら言って」と言われて、私は答えた。
母と父の病状を連絡しないのは、姉のラインの返信がいつもそっけないからだ。何行にもわたって書いたラインに、「めっちゃ長いね」と茶化すような返信が来るたびに、姉へ連絡する気持ちが削がれた。私もこれからはちゃんと連絡するようにするから、今度からはもう少し愛想のいい返事をしてほしい。
私が頼むと、姉は笑った。「家族なのに、そんな気遣いしてられない。忙しいのを察してよ」
その返事を聞いて、私は感情的になった。お金を置いて家へ帰った。家に帰り、父と母の食事を作った。父は私の様子がおかしいのに気づいて、何があったのかと聞いた。
私は姉と話したことを全て話した。姉のことが許せない、悔しい、虚しい。
私の話に返事をせず、父と母は料理の話を始めた。「久しぶりに食べると焼売って美味いな」
私は部屋に戻って眠った。
翌朝起きて、いつも通り働き、また眠った。
今朝起きて、午前の作業を終えた。
今の感情がうまく言葉にできない。大学にも行っていない私は語彙が少ない。もし私が姉だったら自分の気持ちをうまく両親に伝えられるのかもしれない。自分の気持ちを言葉にできないくせにわかってもらいたいなんて傲慢だろう。
私は両親に甘えていたのかもしれない。自分の方が出来が悪いから、親から愛されて然るべきだなんて思っていたのかもしれない。自分の方が親の世話をしているから、親から愛されると思っていたのかもしれない。そういう私の甘えが今の感情を産んだんだろう。
疲れて仕方がない。早く眠りたい。
https://togetter.com/li/1678814
これのブコメで「この先生は素晴らしいが、同じことを他の先生に求めないでほしい」というのがトップになっていた。
それに対して「せっかく理想が見えてるのに早々に諦めるのは悲しい」というブコメもあった。
私は前者の意見。教員ではないけど学校に勤めている。「教員」に対してこういうような対応を期待することはいいと思う。多くの教員にこの素晴らしい対応を見習ってほしいと思っている。だけど、あなたの子どもの担任にはそれを求めないであげてほしい。そういう気持ち。うまく言葉にできない。。。。
教員全体に期待するのはいいけど、直接担任に期待という圧力をかけないであげてってことかな。この教員のような素晴らしい対応ができる人もたくさんいる。できない人もいる。
できるけど、30人のクラス全員に対してはできない人もいる。あなたの子どもまで手がまわらないこともある。あなたが担任に期待するほどその担任は他の子の対応が疎かになり、家庭が疎かになったり、自分に疎かになる。そういう人たちを何人か見てきた。まぁ全部が保護者の期待のせいだったわけではない。でも求められることが多すぎてかわいそうだなと思うことが多いのは確か。家庭でちゃんと躾けられないのに教員に求めんな。
言いたいのは過大な期待はもたないでってこと。教員も人間なので、全員が立派な大人ではない。だめなところもある。
いろいろと分かってくれる保護者もいる。そういう保護者に会うと嬉しい。協力的だし、応援してくれてるのがわかる。そういう人が割を食うのが嫌なんだ。
なんだかんだ言ったが、極端な保護者を念頭に置いて書き始めてしまったから批判的な意見もあるだろう。言葉遣いも悪くなってきたのでもう寝る。おやすみ
今年の所謂年末年始は半分以上勤務予定で、丸一年田舎に帰れていない者の取り留めのないつぶやきである。
患者さん(以後患者)は感染予防の意識があるのかないのか、しゃべりにくいという理由で高確率でマスクをわざわざ外して話そうとするのを毎回マスクをつけてくださいというのにも疲れてきた。正直あなたのために言っているのではなくこちらを濃厚接触者にしないでほしいという気持ちだけである。個室の患者にマスクなしの状態で泡をとばしながら詰め寄られ二重の意味で怖かった。高齢者とはいえ大柄の男性に詰め寄られることがどれだけ怖いか想像してほしい。高齢になればなるほど理性の箍が外れるのか威嚇や恫喝は当たり前で、何度も詰め寄られたり物を投げられた。コロナ患者はベッドを長期間占有するので経営と人員が圧迫される。医療機関への例の20万円はまだ…?コロナ病棟に関わる時の緊張は言葉に尽くせない。どこの病院も面会謝絶で患者はストレスが溜まっているのかスタッフに対する当たりがきつい。そしてすごく絡まれる。病気というストレス要因にさらに負荷がかかっているからしょうがない。
ただ、前からだけど正直男の人に夢が持てなくなった。女性も獰猛な人がいるので性別に限らないけれども。やっぱり筋肉量の差というか物理的な差は大きい。大柄な人を見ると将来介護大変だな…せん妄の時の抑制とか薬剤の調整難しそう…とか思ってしまう。そういえば記憶から抹消していたが、以前男性患者に言葉のセクハラ受けたことが何回かあったな…。とめどない不快感と予後不良な患者だということ、こういう心理状況だから言っているんだろうなっていう予測と。でもやっぱり気持ち悪さが渦巻いて、一瞬絶句した後受け流したけど、今思い出してもやっぱり気持ち悪い。今まで誰にも言ったことないけど気持ち悪かったよ。どの接客業にも有り得る話。
医療従事者でも危機意識はばらばらだとは思う。なぜ三世代同居の同僚の方が一人暮らしの自分より危機管理が甘いのか(食事等)疑問である。自分が感染していても自分が一人で苦しむだけだが、あなたが感染すれば祖父母を殺す可能性があることに意識が向かないんだろうか。我慢しているから…みたいなことを同僚が前に言っていたが、家族と同居してごはんを食べ、昼は他の職員と一緒にご飯を食べ、年始は家族旅行に行くと言っていたあなたのどこが我慢しているんだろうか。なったらなったときに考えるという他の同僚の言葉にボロボロに傷つけられながら一人でご飯を食べる。一般の人の無理解や行動にはそこまで傷つかないが、同職種の言葉や態度にはこんなに傷つけられている。クラスタ発生の医療従事者を断る医療機関のどちらの気持ちもわかるから辛い。友達からの食事の誘いを断るのにも疲れてきた。
少し前は所謂コロナ鬱だったんだろう、食事が食べられなくなって一か月で5㎏痩せた。体重が10%以上減少するのは正直危険だとはわかっていた。ここまで追い詰められたのは国試の時以来だったと思う。心の中をよくわからない不安が渦巻いて食べ物を見ても食べ物と思えず、ずっと動悸が収まらなかった。寝ることもできないし、這う這うの体でいつも通りの仕事をしていた。同期にも友達にも家族にも誰にも言えなかった。恐慌状態に陥って混乱していた。縋る思いで行った産業医に薬(ジプレキサっていう抗精神病薬)を飲んだ方がいいといわれて突っぱねて数か月、なんとか回復してきた。だって心が弱っている医療従事者に誰も世話してもらいたくないでしょう?別に薬を否定するわけじゃないけど、もう少し踏んばりたかったし、負けたくなかった。正直自分はあまり心が強くない方なんだと思う。夜な夜な色んなこと思い出してワーッとなるし、消えたくなる衝動が何回もある。生きたい人がいるとかもっといいことがあるとかそういうことじゃない。自分というものを飲み込んで、思考が覆われて身の置き場がない衝動。今は若さというか理性が衝動をねじ伏せているけど弱った時や理性が働かなくなった時が怖い。家族が死んだときの「もう逝ってしまった」という親の慟哭が耳に残って離れない。自分の患者が休み明けにいなくなっていることは何度もあった。老いも若きも関係なくあっという間に、少しのことで人は死ぬ。わかっているし、患者の死にももちろんダメージを受けている。それなのに家族というだけで死というものがこんなにもつらい…このダメージは何だろうか。ずっと前に祖父母がなくなったときに親がポツリと呟いたもうこれだけになっちゃったねという言葉が心に迫る。
当直明けのぼんやりした頭でこれを書いている。ずっと今年の頭からため込んできたよしなしごとをどこかに吐き出したかった。これくらいは守秘義務を逸脱しないし個人を特定されないと判断する。今年のボーナスは厳しいかもしれない。奨学金も家賃も待ってはくれないから働かないと。ほしいのは感謝でも賛辞でも卑下でもなく切実に金や資材だ。いつまで続くのか、そして出会いもないままこのまま独り身なのかはわからないが、だらだら頑張っていきたい。医療の基盤のお金も経済活動から生まれるので経済を回している皆さんには頭が上がらない。うまく言葉にできないが頑張ってくださいと言いたい。とある団体(グループ)のファンをしているが推しが楽しそうにおいしいものを食べて好きなことをしているのを見て救われている自分もいる。忙しすぎて机の上で突っ伏して寝ていたDrは、途中で何回も電話が鳴って起こされていた。その後食堂でスマホでドラマを見ながらご飯をかきこんでいる光景を見て好きなドラマをめいいっぱい見てくださいという気持ちになった。現場に差し入れというか製品を寄付して下さる企業もある。人が生み出すいろいろなモノに支えられている。ありがとう。
患者さんにはよくなってほしいし、予後が悪い人には少しでもいい時間を長く過ごしてほしい。自分が接する人は元気になって帰るというより完治しない病気とどうつきあっていくか、そしていつか訪れる最期を楽にするかという人が多い。痛みや苦しみをやわらげてあげて、ご飯を食べられるのならお楽しみレベルの好きなものをたべてもらって、お家が好きなら最期はお家で。家族の心の準備も大事なので少しずつ心づもりをして、家族も本人も穏やかに最期が迎えられるように。
この気持ちは嘘じゃないのに。
きのうはじめてビリヤニを食べた
府内某所、けっこう有名な店だ
第一印象としては、「難しい」 エスニック料理を食った時特有の、受け止めるというか理解するのに時間がかかる感じがあった
スパイスが広がるのはわかるんだけど、なに味かというと言葉にできない イメージとしてはカレーピラフみたいなもんだと勝手に想像してたんだけど、カレーとはまた違う風味だった
味の5要素で言うと塩味酸味甘味あたりでできてるとは思うんだが、じゃあそのうちのどれがどのくらいの割合か?というとわからなくなる
小さい容器に入って出てきたヨーグルトソース(ライタというらしい)をかけるとマイルドになり、酸味が加わってまた違った感じになる 付け合わせのサラダはコールスローみたいな感じで、酸味と甘みのバランスが良く、冷たいのでいい箸休めになる
全体としては正直まだよくわからないという感じだった 一口めより最後の一口のほうが理解できている感じがしたし、もっと慣れたらもっと美味しく感じるんじゃないかと言う予感はある
ただ恐ろしいのが、今また食いたいような気がしていること
少なくともめちゃくちゃうまいとは思ってないはずなんだが、どういうことなんだ
これがビリヤニの魔力なのか?