はてなキーワード: 言葉にできないとは
古い友達に昔の思い出話されるのとか、過去の写真を見るのとかすべて苦手
人並みに良いことも悪いこともあった人生だけど、過去を振り返ったり懐かしがったりするのが苦手
なんて定期的に昔の写真を見返して私にも見せてくるが、正直「やめてくれ」と叫びたくなる。
というか実際思いっきり避けている。そして「子供たちへの愛情はないのか」と責められる。
愛情はもちろんあるし、そこまで子育てに苦労もしていない。さらに現在進行形で子供たちはすくすく育っているのだが、
昔の写真を見るとなんだか申し訳ないような、苦しいような恥ずかしいような
うまく言葉にできないのだがとにかく見てられないのだ
格闘技まったくの未経験から2年やってこの前はじめて自分より歴の短い人とマスボクシングやった
たいていボクシング未経験って人は(だけど空手とかキックとか総合やってました、てへっ)って人ばかりだけどこの人は僕と同じく完全未経験で、経験年数がだいたい1年
やってみてわかったけどこの1年の差ってかなり大きかった
うまく言葉にできないけどなんとか言葉にするとしたらパンチ入れられるとこがよくわかるって感じ
パンチ自体はもちろん見えないんだけどジャブのあとにツーが来るなとかぼんやり把握できたので次の攻撃を受けるタイミングのツーのあとフック入れようかなって冷静に組み立てられた
今までそんなことできなかったのにずっと圧をかけることができた
ずっと4年以上やってる人ばかりとマスとかしてたから気がつかなかったけどやってきた分だけちゃんと身についてる物があるんだなってようやくはっきりわかった
最初に言っておくけど、俺は男です。
フェミが「男は〜」って言うと、必ず反フェミが女性蔑視発言をしてくる。
はてなでのやりとりを見ていて、反フェミの人って女に負けたくないか被害妄想に囚われてるかの2択で、承認欲求を満たしたいだけだから、文章全部読まないし女が譲っても聞かないし、ただ話しても無駄な人種なんだと悟った。
フェミが「男」と一括りに語るのも悪いから一概には言えないけど。
でもふと思ったのが、そんな反フェミの人は性犯罪についてどういう認識なのか?ということ。
そんな小さなこと忘れればいいじゃん?
反フェミさんに対して話している都合上、ここで言う性犯罪の被害者は、女性とする。性犯罪の被害者はもちろん男性もいることは忘れないでほしいけど。
あなたはTwitterにある「#性被害者のその後」というハッシュタグを見たことはある?
そこには性被害者の心境などがたくさん書いてあるんだが、見ていて本当に具合悪くなるくらい辛い。
それを読んで、一体どう感じるのかを知りたい。
まさか「性犯罪は犯罪だからよくないことだよ」の一言で済ませたりしないよな?
まさかまさか、自分が同じ目に遭って見ないとわからないわけじゃないよな?被害者の声を聞いて想像することはできるよな?
なぜ抵抗しない被害者が大多数なんだと思う?自主的に抵抗をしていないから?そんなわけないことくらいわかるよな?
俺が思うに、性犯罪の何がいけないのかというと、相手の体を触ったこと、とかそんなことではないと思う。
人を人として見ないで自分の性欲処理に使う行為。つまりなんて言うの?人権侵害?差別?奴隷?殺人?言葉にできないけど。
自分が無理矢理汚いおじさんにレイプされたらどう思うか、考えてみたらいい。
もしかして、女性から見て加害者は男性、男性から見て加害者は女性、と思ってるから認識の齟齬が生じるのかもしれないね。
誰から見てもキモい存在。男とか女とかではなく。「汚いおじさん」
そう考えるとわかりやすいのかな?それで是非一度考えてみてほしい。(おじさんごめんなさい)
それで、そういった被害者の気持ちを考えてなお、「男の家に行ったのが悪い」とか「ミニスカートを履いて外に出たら痴漢されても文句は言えない」とか言うわけじゃないよな?
あなたは、人を殺すのはいけないけど殺さない程度に殴るのはokとか思ってる人?この例えだったら程度は関係なくダメだってことがわかるかな。
むしろセクハラされてる女の人はレイプと同じだけの不愉快さを味わっているだろうし、場合によっては精神的に病気になる可能性だって大いにある。
つまり、フェミさんが訴えている「性的な被害」は、ほとんどの場合加害者が男なわけ。
だから女が夜道で後ろを歩いてくる男に警戒することは理解できるんだけど、なんでそこに噛み付かなきゃいられないわけ?
性犯罪の被害者を相手にしてそんな軽口が叩けるのが不思議でならない。
みんなの意見を聞かせてください。
ただの王様の耳はロバの耳的なお気持ちメモなので反応は求めてません。
https://togetter.com/li/1832580
https://togetter.com/li/1832482
上手く言葉にできないのだがこの件でキャッキャウフフしてる人間どもが醜すぎて吐きそう。
「不正の疑惑があったから質問してるだけですけどー」って表面の裏側にゲスな人間の表情が透けて見えてまじで気持ち悪い。
しょっちゅういろんな人とケンカして、暴力的な言葉遣いが多く、フェミニストの印象を悪くさせて
本人だけは良い気分なんだろうけれど、あなたのせいでフェミニスト息苦しいんだよくらいに思ってた。
でも、今回のニチャア・・・って感じの擬音が聞こえるような陰湿な包囲の仕方を見てて
ああ、普段から北村さんはアカデミズムの世界でこういう嫌な気持ちを味わい続けてきたんだろうなって。
世の中を良くしたいとかフェミニズムとかどうでもよくて、とにかく自分の周りの世界を全部爆破したくて仕方ないんだろうなって。
今でも私は彼女のやり方は間違っていると思っているしすきにはなれないけど、少し同情の気持ちにはなった。
そのくらい今回の件で彼女を包囲してNDK!NDK!って嬉しそうに取り囲んで騒いでる人たちが気持ち悪い。
本来なら加勢するべきかもしれないけど、今後はこの件は見てるだけで気分が悪くなるので
AくんがBちゃんにいらんチョッカイだした
BちゃんがAくんのチョッカイを嫌がって手で押した
Aくんが転んで怪我した
こんな、本来怪我した方が悪い、って状況なんて珍しくないと思うんだけど、
おばちゃん担任、騒ぎを聞きつけると手で押したBちゃんに対して
「Bちゃんはそんなことする子じゃないよね?お話全部ちゃんと聞くから、教えてくれる?BちゃんはAくんを押したの?」
と優しい声をかけ、Bちゃんが「うん、でも」とあったことを全部話そうとすると
「Bちゃん押したのね?認めたのね?Bちゃんが悪いことしたのね?なんて子なの!?Aくんを押すなんて!Aくんに今すぐ謝りなさい!」
こんな感じで話を聞くどころかいきなり感情高ぶってヒステリー起こしてBちゃんを断罪し始める
あまりの剣幕にBちゃんが泣き出し、嗚咽で喋れない状態になっても
「泣けば済むと思ってるんでしょ!早く謝りなさい!早く!」と畳み掛け、
しゃくりあげながら懸命に喋ろうとして、でも喋れないBちゃんは過呼吸を起こして倒れる、なんてこともあった
私のように神経図太い子は頑なに謝らず、先生が話をちゃんと聞くまでは謝らない!と反抗すると、即座に親呼び出し
保護者によっては先生の言うことだけを信じて子供を殴って謝らせるようなのもいた
私が先生に断罪されたときは、母が縫ってくれた体操着袋を男子が面白がって取り上げ、紐をつけたサッカーボールのように蹴られたから
奪い返すために男子の手から体操着袋をひった食ったところを担任に目撃されて私が断罪され、母呼び出し
我が母は「うちの娘が男の子に一方的に暴力奮った?ハッ、そんなことするわけないでしょう?」取り合わなかったため、私は特にトラウマとかはなかったが、
この担任のせいで一生性格が歪むようになった不幸な転校生がいた
その子は前の学校でイジメられて不登校にまでなって転校してきたとのことだった
私達のクラスは良くも悪くも担任という絶対悪が存在したから、クラスにイジメは存在していなかった
おそらく何かしらの発達障害があったんだと思うけど、その後中学で性犯罪やらかしてるくらいのガチ問題児
転校生も早速チョッカイをだされて、何度も何度もスカートを覗かれたり、ズボンなら引っ張られて下げられたりした
ある日階段でそいつが後ろから転校生のスカートをめくり、転校生が「やめて!」と手で振払おうとして、運悪くかわした男子が階段から転げ落ちた
周りで見てた誰もが「男子が勝手に落ちた」と認識していたが、救急車で運ばれた男子が「転校生に押された」と言ったことで転校生が担任にロックオンされた
転校生が突き落としたわけじゃないとはいえ、骨折した男子の姿はなかなか衝撃で転校生のショックも大きかったため
担任はいつものように、優しく「何があったか教えてくれる?ゆっくりでかまわない、ちゃんと全部聞くから、ゆっくりお話してみて?」と声をかけた
私は転校生に「先生、話し始めると絶対にヒス起こすから」と話してはいたんだけど、
実際に転校生が話し始めて「手で振払おうとしたら」まで言ったところでこれまで見たことないくらいの勢いで担任がヒスってキレ散らかした
キンキン声で怒鳴り散らし、転校生のことをずっと人殺し呼ばわりした
私と友達も大声あげて人殺し呼ばわりするなと応戦したけど、担任のヒートアップは止まらない
担任は感情が高ぶりすぎたのか、「いい加減にしなさい!」と手元に置いてあった花瓶を持ち上げ、机にダン!と叩きつけた拍子に花瓶が割れた
私も友達も一瞬それで殴られるかと思うような軌道で振り下ろされた花瓶は転校生の目の前で砕けた
転校生の保護者は信じられないくらい気弱な人で、転校生の話なんか聞こうともせず、担任と問題児の男子にペコペコ頭を下げ続け、
転校生にも無理やり謝らせて頭を下げさせた
その日から担任は転校生を他人を加害する犯罪者予備軍として扱い、転校生のちょっとした言動に目を光らせて、難癖をつけるようになった
例えば廊下の角で他の子とぶつかったとか、どちらにも悪いところはない不慮の事故でも、
ちょっとでも自分が責められると感じたら、黙りを決め込んで石のように動かなくなる
何かを喋れば担任から揚げ足を取られ続けた結果、それが転校生にできる唯一の防衛だったんだと今ならわかる
でも当時は転校生も私達も小学生、誰も理解できる子なんていない
転校生はみんなから嫌われて、「前の学校でイジメられたのも自業自得じゃん」と言われるようになった
転校生は誰かから嫌がらせをされることはなかったけど、みんな転校生を避けるようになった
中学は1学年6クラスあるような学校で、私達の学年だけで小学校のころの全校生徒より多かった
だけどそれだけの人数がいながら、転校生の悪い噂はすぐに聞こえてきた
「自分が不利になるとすぐ黙り決め込む」と
私も中学のとき、一度掃除の時間に転校生からバケツの汚水をかけられて、対面して話したことがあった
着替えるために保健室に行く私に転校生が黙ってついてきたんだけど
そのときに私は「自分が悪いと思ってるの?それとも何も悪くないと思ってるの?」と聞いた
責める感じではなく、なんとなく気になって世間話ふうに
そしたらボソッと「私が悪い」とつぶやいた、そして深々と頭を下げた
顔は見えなかったけど、涙がポタポタ落ちていた
悪いとわかってる、言葉にしなきゃ相手に伝わらない、でも言えない、言いたいのに言えない、どうしても言葉にできない
私は父親を病気で亡くしてるんだけど、死の間際の父にひどいことを言っちゃって、でも父の死が認められなくて、謝りたくても言葉にできなかったことがあった
謝ったら父が死んでしまうような気がして、謝るまで父は待っててくれるような気がして
だから転校生の、絞り出すような声を聞いたときに、その一言を言うのがどれだけ大変なことなのか私は理解できた
でも、どうしてあげられることもできなかった
友達が転校生のことをひどく怒ってくれていたから、「ちゃんと謝ってくれたよ」と言うのが精一杯だった
転校生は不登校になったりならなかったりを繰り返して、卒業後は別の高校に行ったからその後は噂でちょっと聞いただけ
大人になると、本人の性格や問題は本人だけのせいにされるけど、転校生は大人たちに歪められた例だと思う
現実思考で商業高校卒業してすぐ就職、みたいなしっかり者の仕事できる高卒の人が苦手。
自分がどちらかというとぼんやりしている方なのもあって、ハングリー精神旺盛でやる気があってかつ成果も出せている高卒の人が正直怖い。
友達と昔、「高卒の人って比較的辞めないで長く働くよね。私たちポンポン転職しがちだけどさ」という話になったことがある。「高校の就職って学校通してとかだし、自分で全部決める就活の経験があんまりないからじゃない?」なんて結論に至ったりした。
うまく言葉にできないけど、もちろん仕事はできるけど、全体的な視野が狭い人が多いように思う。おまえは何様だよという感じだし、たいした大学を卒業したわけじゃないのですが。
ただ、取引先の人との雑談のふとした話題とか、歴史の話だったり美術の話だったり、大学の必修で当時はボーッと受けていた一般教養の講義でさらっと知ったことが社会生活で活きる瞬間があり、当時は何も思ってなかったけど意味のあることだったのかなあ、なんて思ったりする。
まあそんなことは自分で学ぼうと思ったら学べるし、大したことじゃない。仕事ができる人に対して自分がやっかんでいて、ただひとつでも秀でているところを無理やり見つけて安心したいだけかもしれない。
ただ、「学歴じゃないよね」とか「同じ仕事してるのに給料違うのはおかしい」という発言に対してはどこか違和感を覚えてしまう。
大学通うのに莫大なお金がかかったし、同じ就職先だとしでも学校推薦の一回の面接とお遊びみたいな筆記試験でほぼほぼ内定みたいな試験フローとは違って、高い倍率の中、がっつりESで絞られて、何回やるんだよというほど面接され、ふるいにかけられて、かつ筆記試験の難易度も格段に違う。そう思うんなら同じ試験受けてみろよ、受かんねえだろ、と思ってしまう時がある。ああほんと性格悪いな。でも苦手なんだもん。
「家族のサポートがない老人は困難が付きまといます。」というフレーズを見て、思い出したことがある。
特定防止のため詳しくは書けないが、近所に孤独な徘徊老人がいた。
でも身なりや言動が多少でもマトモなら、おせっかいな心優しい人が警察や役所に通報してくれるだろう。
だが、その老人は「山姥」と「ゾンビ」を足して割ったような出で立ちで、はっきり言って異様だった。
長年の徘徊から髪の毛は歌舞伎の役者みたいなボリューム(もちろん洗髪していないので超不潔)、身につけていた衣服はボロ布で、ほとんど上半身は素っ裸に近かった。
しかも近所中を言葉にできないよう叫び声を上げて歩き回っていたので、それを見た祖母は「またいたよ…」と引いていた。
とある情報通から聞いたところ、(詳しくは書けないが)「色々とあった結果」ロクな治療も受けられず、ああなってしまったらしい。
20年近く前に実在した妖怪みたいな人だったが、東日本大震災前後から見かけなくなった。
どこかで保護されていればいいが、「家庭の事情」から察すると楽観的なことは考えにくい。
増田含むはてなーやツイッターでも頻繁に見かける「(病んだ)独身高齢者」が増えていくにつれて、こういう事例は珍しくなくなるだろう。
ふらっとたちより目の前のまったく興味のない本を手に取った。
塩を取ってもいいって、昨今の減塩指標にまっこうから反論しそうなタイトルだから手を取った。
内容は神話や漢方やそれ英訳したら通じないよねって言葉遊びやらを駆使して塩、に関連しそうな、あるいは塩が含まれているものの良い側面だけをだらだらだらだら羅列するというものだった。
中盤からもう頭がクラクラしたので目次から結論の「じゃあどれぐらいとってもいいのか」のページに飛んだ(そこは中盤の最後あたりでそれ以降なにを書いてるのかは目次すら覚えていない)
そこにあったのは
「血圧が上がらなければ体が欲しがるだけ取っていい」
だった。
何の根拠も量的指標もなく読者の総合的な健康への心がけに依存する、とても良い見事な突っ込まれないはぐらかしているようで信じる人には納得させられる結論だった。
元厚生大臣・藤本孝雄氏も絶賛! ってアオリに間違いなし。本文でも誇示されているのですばらしくて泣けてくる。
なんだかもう悲しくなって棚に本を戻した…
けど、これが表現の自由だよな。出版の自由だよな。と自由のありがたみをかみ締めたんだけど、ほかにも俺の常識を覆すようなタイトルが目線がちょうど良い場所にいくつもあるんだよな。図書館に。
俺の周りでもネットでも宗教や陰謀論など異なる世界があることはもちろん知っているんだけど、本の世界でもそういうのが、なんかヤバイとも良書とも区別されず混合されてる現状は俺になんらかのショックをもたらした。
上手く言葉にできないけど、いろいろ衝撃的で刺激的ではあったものの、「良い体験」ではなかったと思う。
なんかもう本棚からザッピングして未知なる出会いが~なんてのは俺にはノーサンキューで、ネット上で良書と耳に入ってきたり信頼できる人のレビューだったりシステムのサジェストで薦められるような探し方が合ってるのかなと感じた。
生きづらいは誇張表現なので軽く捉えて欲しいのだけれど、他人に心配されるのがマジで苦手。
気をつけなくちゃいけない場面での注意喚起とかは全然大丈夫なんだけど、例えば家を出るときに
「隣町で刃物を持った男が出たらしいから気をつけてね」とか言われると、シンプルにすごいテンション下がる。
刃物を持った男に遭遇して刺されるところまではその一瞬で想像してしまうし、自分側に余裕がないと「刃物を持った男と遭遇しろってこと?」みたいな曲解解釈さえ頭をよぎることがある。
親に宿題やったのか聞かれる感じのウザさというか。
第一刃物を持った男に遭遇してしまってもこちとらどうしようもなくないかという。逃げられるようにヒールやめとけみたいなそんな感じなのか?
別に刃物男じゃなくても、「忘れ物しないようにね」とか「遅刻しないようにね」みたいなのも同様の気持ちになる。
当たり前に自分で気をつけることをわざわざ言ってくるほどこっちがスカポンタンって認識なんだろうか、みたいな。
上手く言葉にできないけれど、馬鹿にされているように感じるというか……。相槌感覚で心配ワードを使ってくる世話焼きみたいな性格の人間とマジで相性が悪い。
インターネットで、夫婦は話し合いが大事ってよく見るから、七十代の俺の親にも、なにかあったら早め早めに二人で話し合うことをすすめてきたんだわ。
そしたらまあ、夫婦仲が悪くなって仕方ねえの。ウケる~。(ウケない。なぜなら俺はパラサイトこどおじだから)
父親が、自分の言いたいことをうまく言葉にできないから、母親の方が筋の通った話ができてしまう。その場の話し合いは母親の意見が主に通る。そんで父親が不満をため込む。父親が言葉にはできないけど不機嫌そうな態度にはなり、イライラが滲む。母親がそれにストレスを感じる。結局話し合いをご破算にして父親の希望を叶えたりもする。そんなこんなで両方がイライラを感じて夫婦仲が険悪になる。
あの世代の高齢男性の言語能力が低い率って、かなりあると思うよ。
俺の父親がとりわけそうだって可能性もあるけど、世の中に「男はコミュニケーションができない」「寡黙で言葉少ない」「男の方が言語能力が衰える」みたいなステロタイプが流通してるのを見ると、そこそこ本当なんだと思うわ。
こういうことの組み合わせで、夫婦で言語能力が違いすぎるから、話し合いをすればするほどディスコミュニケーションが浮き彫りになってボロボロになるんすね~。
どうしたらいいんっすかねえ~~?
数分経って追記しはじめたことだから読んでないのかもしれないけど
幼児は語彙が足らないから自分が置かれた状況を正しく表現できず虐待があっても見過ごされてしまうということがある。
その段階を越えるとまあ生存に必要な意思は伝えられるようになるよね。
それでもより高度な思考を持ったり発表したりしたいということになるとむしろ語彙そのものの豊富さよりは語彙を整理したり統合する能力の重点の方が大きくなると思う。これはもう地頭であり才能次第なところがあるよね。俺みたいな馬鹿はそもそも高度な問題をもやもやしたとして一時的に抱えることはあっても的確に対象化したりすることはできない(ので思考として固定化されない(一時的⇔固定化の対比))。こればっかりは文章読本やらボキャブラリー集や役に立たなかったわって話。
そして考えるということには結局言語が必要で切っても切り離せないものだからね。
生きる力には才能とは無関係なのもあるかもしれないけど少なくとも考えを言語を使って統合する力は地頭依存なんじゃないかね。
そうだと知らずに勝手に、言葉にできない場面に遭遇する機会が目に見えて減った感じしなくて報われないなーってなってただけと気づたってのが元増田の話。本も言語能力のない人間に頼られていい迷惑だったよね。
俺は単純に感情を吐露するのではなくもっと人間的な、といえば語弊があるとすればホモサピエンス的な大脳皮質があるから初めて可能になっているような思考をしたり発表したりしたいものだけどないものねだりだよなーって。
数日前にTwitterにて回って来たアマゾンの書籍レビュー。
ある日突然、大切な子供が自ら命を絶ち、そんな現実を受け入れられないまま、それでも世界は回り、
受け入れられないまま葬儀の手配をする。
今まで、子供を育てた二十数年間の日々。明日も続くと思っていたそんな日々を突然失った人が、
どうにかして、何かに、多すぎて言葉にできない怒りとも悲しみとも喪失感とも呼べるものを、その書籍にぶつけたい。
そんな悲しみに満ちた話かと思った。
違った。
そんなお綺麗なものじゃない。
既視感がある。
それを私はみたことがあるぞ。
そもそも「後始末マニュアル」と出た時点で私はそのツイートを読むのをやめるべきだった。
私はだいぶ油断していた、それなりに良いことがあったし、最近はほとんど思わなくなっていたし、
というより考えるのをやめるコツをちょっとだけうまくなって、どうにか思考停止もできるようになっていたし。
だから油断して全部読んで、気分が悪くなった。
全部読まないで途中でやめればよかったのに、怖いものは見たいし、臭いとわかってるものは嗅ぎたくなるような、そんな心情。あるよね。
そんでもって、この体たらく。最悪だね。
私は、十代の義務教育後半から、義務ではないけど世間一般に義務教育みたいな扱いを受けた学生時代。
それはそれは死にたかった。
病院には行かなかったし、この先だって行く気もないし、そこまでではない。
その頃は手首はバレるからと、腕を切り刻んでいて、そろそろ十年ほど経つのに、それは二度と消えない真っ白のケロイドとして三十本は残っている。
私は、それを消したいとも思わないし、誇りだとも思わない。見せびらかすなんてありえないし、憐れまれる原因、弱みとなるものなんて見せるはずない。
話が逸れた。
想像でしかないのだけど、その子供が死ぬことを選んだのは、おそらくその家族間にも問題があったのでは。とも思う。
実際何がいやで、何がそこまで追い詰めたのかなど知らないから、どうでも良いのだけど。
この、レビュー主のおそらく母親の言い分が、めちゃくちゃに刺さった。最悪な形でね。
そろそろ埃でも積もるかと思っていた、だいぶ前に閉じた箱が、まさしくパンドラの箱のごとく蓋がずれた。
確かに、きっとおそらく、子供を愛する母親なのだろう。でもそこに、恥ずかしいと、書くべきではなかった。
程度が知れてしまうよ。
薄っぺらい。
子供を、育て、愛し、清く正しくまっすぐに、間違ったことをしても謝れるように。そういう風に育てる、母親。
私だって大変なんだと、きっと言ったいた。
それくらいどうしたっていうの、それより私の話を聞いてよ。
病院に行けば?と言いつつ、本当に行こうかと思っていると相談をすれば、本当に行くの?いや、良い大人なんだから好きにすれば良いと思うけど?
そうやって、否定的なものをにじませた声色で言うのだ。きっと。
そこにふざけたような笑い方も付け加えていなかったか。
冗談のように言っていただろう。
子供の意思を尊重させていると言いつつ、自分の思い通りにならなかったら、育て方が悪かったのだと、泣く人。
絶対にそうだと思う。
外面が悪い。
マンションから出られない。泣くときは窓を閉める。声が聞こえないように。線香をあげるとき、窓を閉める。だれへの配慮だ。
本当にマンションだからか。人が死んだと陰口を叩かれたくないだけではないか。
人の目が気になる。親族に自殺だなんて言いたくない。でも、友達には「見送らせてあげたい」
ああ、本当に嫌だ。
まるでそっくりだ。
悲劇にヒロインぶりたい人だ。正しい母親であること、普通の母親だと、愛があるのだろうが、それだけではないだろう。
本当に気分が悪い。
本当に。
死んだのが私で、私の母親がこれを書いたのではないのかと思ってしまうほどに。
他人の目なんか気にしていないよ。と、そんな風に振舞って、そのくせとても人の目を気にしている。
おそらく過保護。
人のことを考えて。と言いつつ、自分のことしか考えていない、根底は優しくても、本性は愚かしい人だ。
思い出されたのは、私が学生の頃、程度は違うのだがしこたま言われたことだ。
私は頭の出来があまり良くなかったから、勉強に苦労した。覚えが悪いし嫌いだった。
全員で首をくくるしかない。
進級できなかったらどうするの。恥ずかしくって表を歩けない。
あんたのやることをやりなさい。
学校自体に辛いことはなかった。ただただ、毎日のようにそう言われるのが、恐ろしくしんどかった。
言わなくちゃあんたはやらないでしょう。
もうそろそろ、一番初めの頃から十年は立ちそうなのに、まさかここのパンドラを開く羽目になるとは思わなかった。
まあ、私は途中でふざけて袖をまくられ、切り傷まみれの腕を見られ大泣きされたし、
恨みつらみを書き連ねた日記帳を投げつけたりもしたし、それ以降はまるで本当に傷物で腫れ物に触るように
だいぶ甘くされている。
だから今でもフラフラしていても、そこまで辛く当たられることもない。
それでも、時折見せるその視線の先を感じるし、耳障りで仕方がない。
もう今では切り刻んでいることはない。タバコに切り替えているからね。私は自傷行為の延長で吸っている。
遺書があればよかったのか。
それで満足したのか。きっとしないだろう。
自分のことばかりだ。子供を愛していると抱きしめた手と、その口から出る言葉の温度があまりにも違う人だろう。
よかったね。君は救われたのだろう。それしか選べなかった君。とても勇気があり、ともに愚かしい。
けれど私はとても羨ましい。
私は学生のころ、とても死にたかった。成人以降はだいぶ楽になったけれど。
私はだいぶ特殊というか、恵まれたというか、恵まれている、甘やかされていると言われるような
振る舞いをしているのだから、本当に同じように辛い人の気持ちはわからないのだろうけど。
本当に気分が悪い。久しぶりに吐きそうな叫び出しそうな泣きそうな走り出しそうな気分だ。
「誰か、残される人のことを考えてください。」という人。
それで引き止められる人は優しい人。
確かに、考えてしまえば足を踏み出すのをためらってしまうだろう。
けれど、そんな言葉を口にした、その人が本心から心配をしているのだろうか。
この人のように、誰かの目を通した自分を、心配しているのではないだろうか。
集団の中で生活し、生きているけれど、自分自身の命の使い方くらい、自分で決めさせてほしいものだと、私は思う。
だいぶ前から、いつかその書籍は読みたいと思っているし、これは話題になったしそろそろ買う時期かしら。と思った。
その書籍を読んで、実行に移す人が少なかったという話を、私は知っているよ。
結婚して10数年。
子供も10歳を過ぎて、そこそこ自分のことは自分でできるようになってきている。
仕事も順調。残業は適度にあって、過度になる前に調整してもらえるホワイトな環境。
決して不幸ではないと思うし幸せな部類だと思う。
ただ、妻は僕を愛してくれているのか疑問だ。
妻は僕に触られるのを嫌う。
「やめてよ~」っというような冗談な感じではなく、本気で嫌がる。
しかし、僕を嫌っているわけではないという。
好きかと言われれば好きだという感じらしい。
こっちは好きだとハッキリ言葉にするのに、妻は自分からは言わないし聞かれても濁すような感じ。
浮気を疑ったこともあるけど、子供の習い事の送迎等でそんな時間は無さそうだし、面倒事は嫌いなタイプなので無い。
(信じたいだけかもしれないけど、浮気の可能性は0と断定している)
なぜ触られるのが嫌なのか聞いても「感覚的なことで言葉にできないけど、触られるのは無理。」と言われる。
疲れているからと思って晩ご飯は作るようにした。(残業のときはお願いしているけど)
風呂掃除は毎日やっているし、休みの日は昼と夜のご飯作りもしている。
それでもダメ。
時間が出来たら縫い物をしたり、PCで写真まとめたり、決して休む時間にしない。
いやいや、休んでよ。
夫婦ってなんだろう。
助け合うのは当然だと思うし、そうあるべきだと行動している(つもり)。
ただ、こちらとしてはそこに愛情表現も含めてほしいのはワガママなのだろうか?
承認欲求が全く満たされない。仕事をしている方が満たされるくらい。
(マズローの欲求五段階説は人の有り様を的確についていると思う。)
腕組んで歩くことなんてしたことないし、手を繋いで歩くことも昔から拒否されてきた。
子供が出来たから変わるのはわかりけど、拒絶する方向に舵を取るのはなぜ?
昔は笑顔で受け入れてくれたスキンシップも、今では嫌悪感をむき出しにした拒絶。
当然キスも無い。子供生まれてから数年はキスもあったのに、いつの間にかそれすらもダメになった。
こちらからの一方的な愛情表現だけで、向こうからは全く無い。会話はあるのにね。
法律上の意味合いだけではない心の繋がりを持った『夫婦』なのだろうか。
少なくとも、一方的な愛情表現は非常に虚しくなるし、心の繋がりは感じられない。
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妻は「見た目で結婚したわけじゃなく、性格で結婚した」というくらいだし。
「またまたぁwwww ほんとは好きなくせに~w」ってノリで1年くらい頑張った時もあるけど、本気で嫌悪する対応され続けたら折れた。
それに相手も一人の人間なのだから、こちらの気持ちの押し付けも良くないだろうという考えもあってやめた。
「愛してる」と月イチで真剣な顔で二人きりの時に言ってるけど、「はいはい、ありがとうね」って返し。
その後に勤め先の愚痴とか最近あったことなどの雑談に移行されて有耶無耶に。
体を鍛えてオシャレにというのも実践してみた。
身長170cmで65kgに体脂肪率22%だったが、1年掛けて58kgの体脂肪率15%にした。
服装も着古したものは整理したし、男性向けのファッション雑誌見たり、人の意見を聞きつつ見直した。
効果は全くなかった。ちなみに三十代。
家計はすべて妻が管理。給料も全て渡してる。小遣いは年間10数万。
夫婦ってなんだろうね。スキンシップすら出来ない関係は求めていた夫婦関係ではないのだけれど。
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追記その2
相手が気持ち良くなるようにしっかりやってたし、問題なさそうな反応だった。
肩を揉むのすら嫌う。柔軟等の補助は全て子供にしてもらってるから入る余地無し。
家族として見ているというのは納得。
実際、そういう風な言われ方したことある。
つまらないとか快楽的な側面じゃなく、愛情表現が無いということが辛い。
「愛してる」とか言われたこと無いし、求めても嫌がられて、挙句の果てにはキレられたこともある。
そういう経緯もあって辛く感じるし、ATMと同じじゃないかと感じる。
妻のことは愛しているけど、返ってくることの無い愛情表現は虚しく感じてくる。
虚しさを解消するには外に求めるしかないのかとも考える。
本気で愛情に飢えていると思う。
とりあえず運動して気を紛らわせてるけど、いつかどうにかなってしまいそうな気もしてる。
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追記その3
店も利用したことないし、利用するとたぶんハマる。
で、年間10数万円のお小遣いが一瞬で溶けるのは目に見えているので行かないようにしてる。
自分がされていたら心が張り裂けそうになると思う。
上述した通り、浮気は無いと断言できるけど。
結婚したことない人にはわからないことなのは仕方ないけど、愛し合っていた状態が突如として一方通行になる。
出産という一大イベントがあったことで、妻は母親になり僕は夫のまま父親になりきれなかったことが原因だと思う。
取り残されたというか、変化についていけなかったというか、変わらないと思っていたものが変わったというか。
セックス=ストレス発散というわけではなく、最大の愛情表現という考え。
キスやスキンシップもその一種だと思うけど、それも相手に取ってはNGなわけで。
病気で倒れた時にすぐに病院連れてってくれた時は心の底からありがとうと思ったし、結婚してよかったとも感じた。
(同期の男性は倒れても奥さんは救急車呼んでくれなかったという話を聞いて余計にそう感じた)
そういうのもあって離婚は全く考えていないし、それは話が飛躍しているというか些か短絡的かと思う。
とにかく、突発的なことで愛情は確かに感じるのだけれど、日常では0。
普段は仕事で承認欲求満たされているけど連休中は本当に辛い。家に居ると虚しくなるってヤバい気がしてる。
今は連休明けたから仕事行ってバランス取れているけど、休みの日は皿洗いしながら「夫婦ってなんだろうなぁ。心は別居中なんですかねぇ」っと思う。