はてなキーワード: 死にたいとは
※最後に、唐突にジャニーズ性加害についての自分の考えを述べているため、ジャニーズが好きな方や苦手な方は見ないで。全体的に暴力を受けた?ような話だから苦手な人は読まないでください。
文章力がないから上手くまとめきれないけど、ジャニーズ性加害の報道を見てから、ずっと苦しい。苦しいという感情と怒りが頭の中をぐるぐるして、どうにもコントロールできそうにない。
普段は、ツイッターの鍵アカで毎日の不満を叫んだり推し活ではしゃいだりしているけど、それもいまは無理。鍵アカのフォロワーは完全なる赤の他人ではなくて、たまに会って遊んで話をする友達だ。
友達にも言えない。会社の人に言ってもしょうがない。家族にはもっと言えない。無理。
心配されたくないし、同情されたくないし、でも、吐き出さないとやってられない。顔も声も、自分のことを、誰も知らない人に、聞いてもらいたい。
数ヶ月前にも今と同じような混乱と絶望と虚しさと生きにくさを感じたときは、匿名性のカウンセラーに助けてもらえて、3ヶ月くらいしたら落ち着いた。でもまた、いま、苦しくて、手は震え食べ物を吐き夜は眠れず何をすることもなく時間だけが過ぎていってる。
なんでこんなことになってしまったのか。
当時は気づかなかったけど、幼い頃に祖父母から虐待されていたようだった。
虐待というと、殴られたり蹴られたりタバコの火を押し付けられたり性的な加害や、酷い言葉を浴びせるなど、悲惨な状況を想像すると思うが、自分はそんなことはなかった。
夜に騒ぐと、裸足とパジャマで外に追い出された。騒がなくても、遅い時間まで起きていると怒鳴られた。だから夜9時には寝ていた。
彼らにとって不都合なことが生じたときに、兄弟が殴られた。兄弟を殴ったことに抗議した母は、暴力をくわえられていた。母は殺されそうになっていた。自分はそれを黙って見ていた。自分が泣くと、怒鳴られるから、泣くことはできなかった。
1番新しい記憶の中では、彼は私に刃物を向けて、殺してやる!と叫んでた。ふとした時にあの瞬間を思い出す。あの時、自分は、兄弟と一緒に家の1番遠い部屋に逃げて、鍵をかけて座っていた。ついに殺されるんだと思った。無力だった。
今考えると、本気で殺されると思っていたなら、家から逃げて、近所の人に助けを求めるべきだった。でもそれができなかった。今なら、周囲の人に助けを求めたり、警察に電話したりするべきだと思えるが、当時の自分には選択肢がなかった。
家族に殺されかけたなんて、家族以外の人には知られたくなかった。
そんな祖父母も、もう亡くなった。
葬儀に参列したあと、夢を見たり、突然頭の中に刃物を向けてくる人の映像が浮かぶようになった。映像に襲われると、足元がぐらつき立っていられなくなりあの時の無力感でいっぱいになる。涙が出てきて、どうしていいかわからなくなる。死にたくなる。自分は死んだ方がいいと思う。死んだ方が楽なんだと思う。
でも死に方がわからない。辛い。どうにもならない。
個人的にこの体験は、児童虐待というやつで、フラッシュバックというやつなんだと思う。
でもこの決めつけも、自分が勝手にそうだと思って、自分を慰めているだけかもしれない。
自分で自分を悲劇的に脚色するのは許されると思う。別に誰に迷惑をかけるわけでもないし。
ただ、誰かにこの体験や自分の考え、苦しみを吐露しようとしたときこの話を聞いた相手に、
この体験や感情を否定されたら辛いし、嘲笑われても引かれても辛い。同情されても困るし、そもそもこの話をしたところで自分は何も得られない、と思った。だから友達にはとても話せない。
自分の顔と名前を知っている程度の仕事上の付き合いの人に話ても意味はない。
そして家族。家族に話すのは1番辛い。父母は、自分たち兄弟を守るために抵抗してくれた。でも自分は、今現在も過去を思い出して泣いたり吐いたり絶望したり希死念慮を募らせたりしている。こんなことを父母が知ったら、きっと自責的になると思う。父母を、苦しめなくない。そして自分も、楽にはなれない。
兄弟は話し相手としてどうか。同じ経験をした身だから、話し合えるか?話したことはないが、そうは思わない。同じ経験をした身だからこそ、自分が兄弟に体験を話すことで、過去に苦しんでいない兄弟が苦しむようになったら、そう思うと、兄弟にも話はできない。
以前、会話をすることで楽になったカウンセラーにまた頼るのはどうか。
カウンセラーとて暇ではない。予約が取れない、そもそも仕事を抜け出してカウンセリングを受けることも勇気がいる。会社の人にも知られたくはない。
「自分は児童虐待にあっていた。だから今も精神的に不安定だ。」と、詳細を語らずも良いのでないか?と思った。ダメだ。
本当に、自分でも意味がわからないけど、今でも苦しめられている相手を、虐待した人だ と声に出さない。報復が恐ろしいわけではない。報復なんてされるわけない。
本当に、信じられないことに、祖父母を虐待加害者として扱うことに抵抗がある。意味がわからない。思い出が邪魔をする。優しい祖父母のことも知っている。当時は、ただ厳しいだけの人たちだと思っていた。でも、テストでいい点を取ると褒めてくれて、こっそりお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれたときは楽しかった。幸せだった。
混乱する。事実と感情がごちゃ混ぜになって涙が止まらない。ここ数日は仕事にも集中できず、何もできない日々が続いている。
そんな自分が情けない。
悪い奴は悪い奴だから、と裁ければいいのに。感情なんて無くなればいい。事実と感情の整理ができない。烈しい記憶と優しい思い出と交互に出てきてもうどうすればいいかわからない。死にたい。それだけで頭がいっぱいになる。
でも知らなかった人や知ってて無視した人はしょうがないと思う。逆らえるわけない。
被害を受けたのにも関わらず、愛情を持っているように見える行動についても、理解できる。思考と感情は結びつかない。精神科医ではないからよくわからないけど、そうやって、自分の心を守ってしまうらしい。本当に守れているのかは疑問がある。
誰が悪いのか?加害者が100%悪い。加害行為を知っていて隠蔽した人も100%悪い。噂程度にしか知らなかった人は、しょうがないと思う。
被害者が悪いという声がある。被害者が、被害を訴えなければ良かったと。本当に被害にあったのか疑う声もある。二次加害。二次加害が1番見ていてきつい。被害者が本当のことを言っているのかわからないけど、今後補償を検討する際に在籍時期とか証言の妥当性を判断するだろうから自分にはどうでもいいし、自分にはどうすることもできない。
被害者に対して「金目当てでしょ」「デビューできなかったひがみ」「ブスが調子に乗るな」と。
広告取り下げ企業に対しては、「タレントの人権侵害だ!」と突っかかる。見てられない。
嗜めた。不満そう。納得できないらしい。
「警察に訴えないということは金目当ての揺すりに決まっている」
と。
本当にきつい。自分にも当てはまる。
いわゆる普通に生きてきた人には通じないらしい。
もう、対話する元気も勇気もなく、ツイッターのアカウントはログオフした。
死にたいとか希死念慮うんぬん言ってるのに、お前生きてるじゃんって思うひともいるんだろうなぁ。そうなんだよ、なんで自分は生きているんだろう。早く死んだ方がいいんだよ、生きる価値がない。
ここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうございました。
絵といっても何十日も手間をかけたものではなく、
なので特に上手くもならないし、SNSには上手い絵がたくさん掲げられているのでそれを見て落ち込むこともあるが、とにかく続けている。
しかし飽き性な自分がなぜ絵を描いてるのか自分でも不思議に思う。
でもある日ふと思った。
普段自分は希死念慮があって死にたいと普段から思っているが、絵を描いてるときはそれが消える。
稀に描いてるときに自分の力ではない大きなものを感じるときもある。
見えない力を感じる。
これは多分言葉だけではわかりづらいだろうし、実感としてわかる人にはわかるかもしれないけど。
理由については「社会に向いてなかった」と言われて想像できる程度の話で、特に面白味もないので深くは触れない。時期についても自分にとってキリが良いとかその程度の理由だった。
とにかく、死ぬことすらも「まあいいか」と投げやりに考えてしまうくらいには限界だったんだと思う。
不思議なもので、自分の死期を決めた春あたりからは比較的楽に過ごすことが出来た。タイムリミットが分かっていると「今やりたいこと」に対する躊躇がなくなる。気になっていた漫画を大人買いし、SNSで見かけた美味しそうな料理を通販で取り寄せる。傍から見たら人生を満喫しているように映ったかもしれない。
それでも、「まああと一年もせずに死ぬんだけどさ」という薄暗い気持ちが消えることはなかった。「今日は楽しかったな」と思いながら布団に入っても、電気を消して目を閉じた瞬間にすんと心の奥が冷たくなってしまう。気が付くと涙がこぼれている。遠い未来に希望が持てないから、目の前の一日を消費することしかできない。そういう日々を過ごしていた。
そうやって時間を潰すうちに暑い夏が過ぎ、季節の変わり目に差し掛かった、ちょうどその頃のことだった。
Splatoon3が発売した。
元々前作をプレイしていたし、発売日直前はSNSで異様なほどの盛り上がりを見せていたのもあって、自然と興味を惹かれていった。「これを最後のゲームにするのも悪くないかも」なんて考えながら、割と軽い気持ちで購入ボタンを押した。
それが計画を狂わせた。
前作と比較したSplatoon3の特徴として、「ゲームがあまり上手でない人向けのやりこみ要素がめちゃくちゃ増えた」ことが挙げられる。
前作Splatoon2では、一人用モードをクリアしてある程度の収集要素をクリアしてしまうと、あとは自分の腕前を磨いてゲーム内ランクを上げるくらいが目標となる。勿論それはそれで楽しいのだけれど、自分のようにゲームがあまり得意でない人間にとっては限界を感じてしまうところもあった。
Splatoon3もメインコンテンツとして同様のランク制度はあるが、それ以上にやりこみの幅が格段に拡がっていた。
多種多様な武器それぞれを使い続けることで経験値がもらえる熟練度システム、ギア(服装)ごとのレベルアップ、協力プレイの報酬を溜めて交換できる景品、種類と量が格段に増えた収集要素、それらに付随する実績システムとしてのバッジ……などなど。
これらは「上手い人が達成できる」ランク制度とは違い、「下手な人でも時間をかければ達成できる」類のものだった。ソーシャルゲームのログイン報酬めいたカタログやくじ引きなんてものもあり、ゲーム全体としてじっくり長い時間をかけてプレイすることが推奨されていた。三日徹夜してトロフィーコンプ、のようにキリ良く終われるゲームではない。
肝心のゲーム内容については人によって好みがあるところだろうが、個人的には十二分に楽しめるものだった。ランク上げ以外にも目標のある対戦は飽きが来ないし、やり込み甲斐のあるサーモンランの新要素はどれも自分にあっていたし、一人用モードはストーリーも演出もBGMも素晴らしかった。おまけコンテンツの陣取大戦ナワバトラーも非常に奥が深く、対戦よりこっちにのめりこんでしまうことまであった。
やりたいことが山ほどあるゲームだった。
で、そんな盛り沢山なゲームを買ってしまった自分がどうなってしまったかというと。
カタログ報酬のために一日一回起動する。一戦だけのつもりがつい一時間。サーモンランもとりあえずオカシラ一回出るまで。そろそろカタログ一周目終わりそうだな。ストリンガーって使ったことないけどどんな武器なんだろ。通信エラー出ちゃったしナワバトラーでもするか。
ふと気が付くと、夜中に自然と涙が出るようなことはなくなっていた。玄関を出るだけで吐き気を催すこともなくなった。呑気に青空を見上げて歩けるようになった。
今日も明日もやりたいことがある。たったそれだけのことで、一日一日を生きていける。向精神薬に頼っていた頃には思いもしなかった。
死にたいという気持ちや、社会と自分への絶望が丸っきりなくなった訳ではない。でも、死ぬべきタイミングを失ってしまった。予定していた日の直前には、ちょうど発売したポケモンの新作を買った。最後のゲームじゃなかったのかよ。
そんなこんなで、Splatoon3発売一周年を迎えた今日まで、生きてしまっている。
Splatoon3について検索すると、結構散々に叩かれているのがすぐ見つかると思う。対戦環境が終わってるだとか、アップデートが手抜きだとか、プレイ人口どんどん減ってるだとか。
それらについて特に否定する気はない。対戦環境については自分がそれを実感するランクにすら達していないので何とも言えないが、それ以外の批判については「まあそう思う人もいるよね」という共感半分くらいの気持ちで見ている。
でも、そんなクソゲー認定待ったなしのゲームだったとしても、どこかの誰かにとっては明日生きる理由になってたりするんだよ。
別にゲームじゃなくてもいい。連載中の漫画でも、ネット配信のドラマでも、もしかしたらコンビニの新商品がそうなるかもしれない。
もしも今死にたいと思っている人がいるとして、私にはそれを止める有効な手段がないのだけれど、せめて最後の瞬間まで自分の好きなものへアンテナを張りっぱなしにしておいて欲しいと思う。自分の内から生きる理由を見つけないことには何も始まらないと思うから。
じゃ、フェス行ってきまーす。
隣に座っているおっさんがとにかくウザい。今ミームになってるBさんの増田を見て、このおっさんもその類の奴なんじゃないかなって思った。
そいつは半年ほど前に「この業界にとても興味があって転職してきた」と鳴り物入りで入社してきたのだが、ハキハキ喋って受け答えも明快なのにどうしてか仕事ができない。空気が読めないと言うべきなんだろうか。
例えば単純なデータ入力の業務があるのだが、これがとにかく遅い。例えば1時間に30件の入力が目標のところ、そいつは10件しか終わらせられない。これでも早くなった方ではある。
彼の作業ファイルを見ると、「データ入力の際に気づいたことのメモ」が事細かに書かれている。
それで効率化できて作業が早くなるんならいいが、全く何も変わらない。何のために残しているんだそれは。やめさせたがあまり作業速度は変わらなかった。
ある程度経ったので、そいつに資料作成の業務を依頼したが、これも非常に遅い。
まず、「この資料は、こういった方針に基づいて作成します」みたいなテキストが毎回きっちり送られてくる。
その割にこちら側が「この業務はイレギュラーなケースが多いので、まずは過去の資料を参考にしてね」と言って渡したものは明らかに目を通していないと分かる成果物が上がってくる。
「3日で終わらせてね」といったものが1週間かかってようやく上がってくる。そのうちの丸1日はファイルの見直しに費やしたらしいがその割にミスがめちゃくちゃ多い。何を見直したんだ。
しかも提出する時に「このファイルの期限って明日ですよね?(なのでさっさとチェックしてください)」とか平気な顔をして言ってくる。なんでお前の遅れを私が最優先でリカバーしないといけないんだ。
結局(ミスが多すぎるので)チェック→修正→再チェックの工程が間に合いそうもなく、期限を延長することとなった。
そんな風に仕事が出来ないのに態度だけは一人前なのも腹が立つ。
あんまり細かく書くとアレなんで曖昧にするが、雰囲気がいわゆるスタバにMac持ち込んでドヤ顔してるビジネスマン。
ぜんぜん業務の本筋には関係ない、何となく空気を読んでスルーできるような部分を、やたら丁寧で細かな文章で質問してくる。
全体的に、どこに力を入れて取り組むべきか感じ取れていないというか。
行動は立派かもしれないが結果が伴っていない。ただワークの問題を解いて丸付けをしておしまいの中学生みたいだ。
あと普通にうるさい。10分に1回デスクで鼻をかむ。病院に行け。
しかも「ハァー…」とか「フゥー…」とかずっと言ってる。
文字起こしすると
「(カタカタカタカタッ!)……フゥ。…………(カタカタッ)ハァーーー……(鼻ズビー)……コレハ、……スーッ。ソウカァ…(カタカタカタ)」
みたいな感じ。これが1日中続く。
お前はプログラムのコードでも書いてんのか?それだけため息と独り言が多いならせめてCV石田彰であれよ。
仕事が出来ないくせに意識が高くて勤務中もうるさい。好きになれるところが一つもない。
そんな風に加速度的に嫌いなところを感じ取っていると、「こいつのこと嫌いになりたくてなってんだろうなー」という感じがする。
たぶん一番正しいのは業務をいちいち教えてやることなんだろうけど(とはいえ私も「見て覚えて!」と言われ、突き返された資料を見て業務のパターンを掴むという体当たりで覚えさせられたんだが)、
それはやりたくねえーーーという気持ちがあり、これは私が時給換算すると最低賃金で働かされている契約社員なのと、そいつの直属の上司ではないというのも加味したうえで、根本的にはそいつのことが大っ嫌いだからだと思う。
そいつが無能なままだと私にメリットは全くないと分かっているのに、話もしたくないレベルで嫌いだというあまりに愚かしい感情の方が優先されている。
「女は感情で動く」と言うとバカ叩きされる昨今だが、実際のところ私は毎月のPMSと生理でしっちゃかめっちゃかにされているので少なくとも「”私という女”はホルモンバランスによって乱されがちな感情で動く」ことは正しく、こんなんならいっそ男に生まれたかったみたいな気持ちもなくはない。いや、性別はどうでもよくて、なんかもうロボトミー手術とか受けたい。感情を失いたい。
とかなんとか考えていると、自分という人間の愚かさとか、いっこうに上がらず食べていくのでやっとの給料とか、Twitter(X)で日々おすすめタブに流れてくる男女のうんぬんとか、そういうのがずっと流れ込んできて、「私はもう幸せになれることはないんだろうな」という気持ちで死にたくなる。なっている。
ある程度の年齢が行った女なので恋愛とか結婚とかいうものを考える、或いはそれが救いのように妄信している、のだが、
そもそもの性根が卑しいのだろうか、「私があなたを幸せにするので、あなたも私を幸せにしてください!」みたいな互助精神みたいのが一切なく、「しんどくてたまらんから誰か助けてくれ~~~~」と縋りつく気持ちばかりがいっぱいで、こんなんじゃ絶対幸せになれねえよ~~~~~~と地団駄を踏むばかりの日々。
というので、結局のところ、冒頭に書いたような、職場の無能なおっさんを見下してイラついているような、感情的なうえに悪い性格が根本的に不幸の原因のような気がしている。
たぶん、思い直しておっさんに対して親切にするとか、いっそ完全に”凪”でいるとか、そういう風になれないと駄目なんだろうなーーとは分かってはいるんだが、ムカつくものはしょうがなくないか?????
スピードが違う人がいると難しい。
夏休みの宿題を早々に終わらせるタイプと、中盤になってから終わらせるタイプ。そもそも夏休みの宿題はラストにやるタイプ。一緒に生活していて合うわけがない。
ラストにやるタイプの私はなんでもギリギリでやるので、早々に終わらせるタイプの人間からしたらグズらしく「なんではやくにやらないの!ああもういい!」と怒鳴られ、そのままやっていってしまわれる。こうやって自分で何かをする機会を奪われていき、何かをやろうという自発的な気力されも多分持っていかれたんだと思う。私がやらなくてもやっていくんだろうな〜って。そのせいで時折というかまあほぼほぼ毎週のどこかしらで理不尽に怒られたりしている。あまり気にしなくなってまたこの人わからないで怒ってるな〜って思っている。直接的に言ったことはあるんだけれども、でも待とうとしてくれなかったし、私の段取りの悪さにイライラしちゃってすぐ手を出す。どうしようもなくて笑って過ごしていたらヘラヘラして!って言われてもうどうしようもない。まあ私が上手くできないのが悪い。何考えてるかわからないと言われるけども常に死にたいな〜って思ってるなんて言えない。どうしてこんな簡単なことができないの、いつも言われる。本当になんでだろうね。こんな何もできない私が生きていて申し訳ない。
50歳手前、
特に可も無く不可も無く、
とくに最近気力が無い、
これからずっとただただ生きているだけだと思うとゾッとする。
というか、もらえてそれだけで暮らしていけるのか?
その亡くなった方たちが生きたかった明日が自分にあると思うと、
生きているだけでも、とは思うが、
最近気が滅入ってきていて生きているのが辛い。
みんなこんな感じでただただ生きているだけなんだろうか?
出掛けることもない出掛けてみたいがなんか億劫。
みんな元気に生きているよなって思う。
眠るように寝てそのまま死んでしまうのが一番いいのかなーって思うけど、
そんな都合の良い死に方なんてないよね。
そんな毎日。
「頑張らなくていい」って言葉が嫌い。
自分が幸せがどうかって自分でしか評価できない。自分の人生の目標が叶っているか、理想通りであるか、何を持って幸せと思うかが評価基準になると思うんだけど、それって人それぞれで、人によっては努力をしなきゃ叶えられないものもある。だから人によって幸せになるためには努力は必要。
「仕事(学校)に行かなくてもいい」という言葉も嫌い。行かなかったツケは誰が払うの?誰が責任取るの?誰が困るの?そこまで考えて言ってる?どうしても行きたくなかったらこういう選択肢もあるよという提案ならまだわかるけど、単純に「行かなくていい」を強調するのは無責任。
「生きろ」という言葉も嫌い。自殺した人に「あなたには可能性があっただろうに」という言葉も。自殺した人にしかその人の気持ちはわからない。死ぬより生きてる方が地獄だから死を選んだのに。自殺を止めてあとはサヨナラなら、その人は地獄を歩んでいく。自殺だってその人の大切な意思です。(自殺を助長しているわけではない)
死ぬこと自体が悪みたいに言うな。死にたくなる環境や世の中が悪なんだよ。どうしようもない時だってある。
ただ側に「死にたい」という人がいたら、少しでも楽になれるように視野を広げさせる言葉をかけたり、こういう生き方もあるよという話はしてあげたい。決してその人の死にたい気持ちは否定しない。生きることが大事なんじゃなくてどうしたら生きててもいいと思えるかを一緒に考えたい。
世の中綺麗事を言えば楽になれるわけじゃない。ネガティブも闇も受け入れなきゃいけない。共存しなきゃいせない。
「生きろ」という言葉は、その人に一生添い遂げることが物理的にできる人、その覚悟がある人しかいっちゃいけない言葉だと思う。自殺未遂すらしたことない人が安全地帯から無責任なこと言ってんじゃねーよ偽善者。恵まれた人生で何より。
「死にたい」と頭に浮かんだタイミングで、「11月に死ぬ!大丈夫!だから今は死なない」と誤魔化して死にたい気持ちを未来に送り込むことにより、"今"は楽に生きられるようになった。
11月末まで荷物を整理したり、やりたいことをして過ごして、それでもまだ死にたければ実行すればいいし、止めたければ止めると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230902053424
反ワク親
既往歴:大学生の娘のうつ病を、霊能者の助言を信じて「そう思い込んでるだけ」と一蹴し、通院を拒絶、うつ病の話をするとばつの悪そうな顔をして「もう過去の話」などと述べる。私まだ治ってないんですけど….。
現病歴
2021年頃:「ワクチンは様子を見たほうが良い」などと主張していた。イベルメクチンを輸入しはじめる。
2022年頃:「3回目接種は本当に危ない!」などと喚きだす。理由は、自己免疫疾患の増加と循環器疾患による急死らしい。なお、本人は遠方在住の不倫相手がコロナに感染したところ、わざわざ飛行機に乗って看病に行き、ノーワクチン感染。その結果、「コロナはただの風邪」論が強くなる。
2023年頃:「政府による統計操作」「ロット番号」などを主張し始める。
•うつ病の一件から殆ど信頼0なので無視し、接種券は自治体窓口に「親に捨てられた」と相談して自治体窓口で再発行してもらって接種を重ねている。
•ワクチン、ワクチンとうるさくて私が発狂しかけたのが2022年9月頃。以降、相手をし始めるが、以下の特徴があった。
①Twitterとニコニコ動画の噂を断定的に言う。特に、◯◯大の名誉教授や宝塚市の◯◯◯がお気に入り。
②あくまで噂を繋げて壮大な物語を頭の中で作ってるだけなので、ワクチンが危ない理由がコロコロ変わる。
③××だから危ない危ないと騒いでいても、××が否定されると、その話を一瞬で忘れ、新しい危険な理由の話に移るので、客観的にみてると「自分がパニックになる原因を必死に探してる」ように見える
バトった背景
・最初は「好きにすれば良い」と無視していたが、何度も同じ話をされると、「何故、こんな馬鹿の相手をずっとしなければならないのか」と私がイラつきだす。それを「ワクチン接種したから、健康を害さないか心配してる」と勘違いしたらしい。こちとら10年死にたいんだが、「心配させるのはかわいそう、でも危ない」などと勝手にクヨクヨしはじめたので私がブチギレた。
・「反ワク親が見つけた噂話か事実かを私が代わりに調べる」を何十回か繰り返した後に、淘汰圧が働いたのか、話題が徐々に検証不能な壮大なスケールへ移行した。超過死亡は調べれば「ワクチン接種が死亡率を下げ、救急医療の麻痺により心臓病で死ぬひとが増えた」が判明するが、「政府による人口削減政策の一環」は役所に問い合わせても、隠してると因縁をつけられるので不明。
・一時期は相手の主張するウェブサイトを目の前のPCに置いて、一緒に検証することもしたが、「時間をかけて馬鹿にされた」と思うようであまり効果はなかった。
・親は、私と話せて嬉しいとこぼしていた。親が反ワクチンにハマり、私をブチギレさせるまでに重症にならなければ、親子の会話はほとんどなかっただろう。
・恥があるのか、周囲の友人などには反ワクチンの話を一切していないらしい。
・精神疾患の妄想と、カルトの終末論に近いと思う。UFOに追われたり、自民党からスパイを送り込まれるのは、「自分は特別な存在」と思い込みたい背景がある。
そして「◯月×日に世界が終わり、信心深い我々だけが生き残る」代わりに「ワクチン接種者はみな死ぬか病気になり、自分で判断した未接種者だけが生き残る」物語を信じたいのだろう。
「たまたまAと相性が悪く、Aがパワハラを繰り返した結果、Bの脳は破壊されてしまった」
これに思い至る人が本当に少ない。
これが実にホラーなんだよ。
僕らは「もしかして僕もまたBなのでは??」なんて考えたくない。
ましてや「今は大丈夫でも突然Bになってしまうのでは?」なんて意識の外に置いたまま死にたいんだよ。
老人になって判断力が落ちたから運転免許証を返したのを忘れて車に乗ってしまった老人を「人格の腐った老人だから自分の都合を優先したんだ。俺は人格がちゃんとしてるから絶対こんな老人にはならないよ」と言い張りたいんだよな皆。
だって自分が好き放題投げてきた罵倒がブーメランとして返ってくるのも、ブーメランが返ってくる可能性に怯えて発言を控えまくるのも、そうしているのを「はは~~~コイツさてはBだな?コイツもボコろうぜ~~~」と標的にされるのも嫌だもんな。
分かるよ。
この社会で生きていくウチにいつの間にかそういう癖がつくのは。
でもそういった思考の悪癖に流されたまま生きてしまうという事こそが、Bになるための最も大事な才能を持っていることを意味してるんだぜ?
お前らとは一段違うんだな。
まあそこからいつ転がり落ちるのか分からないことも自覚してるけどな。
ふふふ。
https://anond.hatelabo.jp/20230902053424
反ワク親
既往歴:大学生の娘のうつ病を、霊能者の助言を信じて「そう思い込んでるだけ」と一蹴し、通院を拒絶、うつ病の話をするとばつの悪そうな顔をして「もう過去の話」などと述べる。え?私まだ治ってないんですけど….。
現病歴
2021年頃:「ワクチンは様子見たほうが良い」などと主張していた。イベルメクチンを輸入する。
2022年頃:「3回目接種は本当に危ない!」などと喚きだす。理由は、自己免疫疾患の増加と循環器疾患による急死らしい。なお遠方在住の不倫相手がコロナに感染し、わざわざ飛行機に乗って看病に行き、ノーワクチン感染。その結果、「コロナはただの風邪」論が強くなる。
2023年頃:「政府による統計操作」「ロット番号」などを主張し始める。
•うつ病の一件から殆ど信頼0なので無視し、接種券は自治体窓口に「親に捨てられた」と相談して自治体窓口で再発行してもらって接種を重ねている。
•ワクチン、ワクチンとうるさくて私が発狂しかけたのが2022年9月頃。以降、相手をし始めるが、以下の特徴があった。
①Twitterとニコニコ動画の噂を断定的に言う。特に、◯◯大の名誉教授や宝塚市の◯◯◯がお気に入り。
②あくまで噂を繋げて壮大な物語を頭の中で作ってるだけなので、ワクチンが危ない理由がコロコロ変わる。
③××だから危ない危ないと騒いでいても、××が否定されると、その話を一瞬で忘れ、新しい危険な理由の話に移るので、客観的にみてると「自分がパニックになる原因を必死に探してる」ように見える
バトった背景
・最初は「好きにすれば良い」と無視していたが、何度も同じ話をされると、「何故、こんな馬鹿の相手をしなければならないのか」と私がイラつきだす。それを「ワクチン接種したから、健康を害さないか心配してる」と勘違いしたらしい。こちとら10年死にたいんだが、「心配させるのはかわいそう、でも危ない」などと勝手にクヨクヨしはじめたので私がブチギレた。
・「反ワク親が見つけた噂話か事実かを私が代わりに調べる」を何十回か繰り返した後に、淘汰圧が働いたのか、話題が徐々に検証不能な壮大なスケールへ移行した。「政府による人口削減政策の一環」など。
・一時期は相手の主張するウェブサイトを目の前のPCに置いて、一緒に検証することもしたが、「馬鹿にされた」
・親は、私と話せて嬉しいとこぼしていた。親が反ワクチンにハマり、私をブチギレさせるまでに重症にならなければ、親子の会話はほとんどなかっただろう。それで良いんだけど。
・恥があるのか、周囲の友人などには反ワクチンの話を一切していないらしい。じゃあ私にもしないで欲しかった。
・精神疾患の妄想と、カルトの終末論に近いと思う。UFOに追われたり、自民党からスパイを送り込まれるのは、「自分は特別な存在」と思い込みたい背景がある。
そして「◯月×日に世界が終わり、信心深い我々だけが生き残る」代わりに「ワクチン接種者はみな死ぬか病気になり、自分で判断した未接種者だけが生き残る」物語を信じたいのだろう。
「死にたい」と他者に向けて言うことは他者に害をぶつけているようなもので
他者に害をぶつける行為が大げさに言えば他者への加害行為がストレスの一時的な(そして根本的でない!)解消効果があると考えると
「死にたい」と他者にいう人が二日三日後にさらっと自死を選ぶ可能性は低いが、長期的な目で見ると破滅している可能性が高いというのは腑には落ちる
とはいえ二日三日後にさらっと破滅しない以上長期的に危害を加えられる被害者が出てくることとなり
「死にたい」と愚痴られた被害者が「あいつ全然死なないじゃん」と考えてしまうのはこれもまた腑には落ちる
まあ実際に死なれると私はあの人を救えたんじゃなかろうかと気に病んでしまうってパターンは多く、なので一番いいのは「死にたい」と言う人のサポートをし「死にたい」と言わずに済む精神状態に持っていくこと…となるのだが
自尊心はまだない。
何でも小学校の頃からイジメられていて死にたい死にたい言っていたことだけは記憶している。
他人の言った言葉をなんとなく真似て組み換えてきただけで、未だに他人が何をどういう意味で喋っていてどう考えているのかが分からない。
ウィトゲンシュタインはコミュニケーションとは子供の玉蹴り遊びの延長であり、その場その場で生まれてきたルールが連綿と連なってきたものにすぎないと語っていたとツイッターで誰かが言っていたように思う。
まさに私が苦手としているのはそのような、持って生まれついた世間一般的な共感能力と空気を読む力によって、その場に発生するルールの力場を正しく掴んでいく言語ゲームなる遊びそのものなのだ。
一流の声優は「あ」という言葉で100通りの表現ができると言うが、私はそういう人間のコミュニケーションの曖昧さが本当にもう耐えられない。
明確で論理的で常に同じ意味で言葉が扱われることは、法律の世界においてさえ存在せず、裁判所で弁護士や裁判官がアレコレ言い合った挙げ句に出てくる判決などの中でさえ、アレヤコレやの曖昧なものがその場限りの意味と解釈を持って無数に絡み合っていると知った時は、もうこの世界には私の居場所なんて本当にないのだと絶望したものだ。
私からすればマインスイーパーの最後の数クリックのように50:50の運任せになってしまったようにしか見えない状況を、別の人間から見れば明白に99:1でほぼ正解と言えるほうが当てられるらしいというのだから恐ろしい。
恐ろしいのは、その99:1が出来る人間の割合が95:5の95の方であって、私のような人間こそが異常として扱われていることだ。
いつからそのことに気づいていたのか分からないが、なんとなく分かっていて、でもそれが未だに確信を持ちきれない所がある。
彩度いっぱいに5色で塗り分けられているはずの戦隊ヒーローの何人かが誤差でしかない状態を幼少期から強いられてきて、それを当たり前だと感じた人間は、その僅かな誤差を見出して必死に見分けている状態が実は異常であるを薄々勘づきながらも確証を持てず、その病名と共に他者との違いを伝えられてもそれを認知することが出来ないのだ。
犬笛の音を聞き分けられないことを「そんなはんずがないだろう」と誰かに言われたら、何回までその言葉に耐えられるだろうか?
ふざけているわけではない。
色盲にとっての戦隊―ヒーローであり、人間にとっての犬笛であるものが、私にとって人の語る言葉の機微なのである。
これはもう大変に厳しいことだ。
きっとこの文章を読んでいる人は「そうは言うが君はちゃんと文字をかけているではないか。それなのに言葉がわからないんなんていうことがあるのかね?」と思うだろう。
私だってそう思う。
だが分かっているつもりで分かっていないようなのだ。
これはもう自覚のないアンドロイドがある日チューリングテストにかけられて「貴方は実は人間ではないのです」と告げられても、全く自分にはその自覚が持てないかのように全く分からないのだ。
今これを書いている私は共感能力をフルに稼働して自分と似た状況にある人間の姿を思い浮かべているように見えるだろうが、実際にはある種の論理的なパズルを解くような気持ちで相似している事象を探してきているに過ぎないのである。
普通の人が心によってやってみせるようなものを、私はただひたすらに論理的にやってみせているのを、そんなことをする必要があると思わない人間が、私も同じように共感能力によってこれらの考えに辿り着いていると勘違いしてくれているわけだ。
こうやって勘違いしてもらうのは私にとってはある意味で都合がいい。
何故なら、実際にはそうではないことが分かると途端に私は人間扱いされなくなり、ヒトマネの上手なロボットであるかのように扱われるだけだから。
これもそれも親から譲られた遺伝子が生まれつき現代社会と上手く折り合えていないのが悪いのであり、私が悪いわけでも親が悪いわけでも周囲が悪いわけでもないと分かってからは、割り切ることで楽になった部分と一生終わらない牢獄の中にいる自覚とで心はより有耶無耶になってきている。
私に出来ることといえば、とりあえず今までのようにヒトマネを繰り返して何とか自分を生き延びさせつつ、同じような気苦労を持つ人間を増やさないようにヴァージンを守ったままでこの人生を終わらせて見せることぐらいだ。
行き詰まった人生に方針を求めて性格診断や適職診断なんかをやると、いつも「小説家や芸術家になりましょう」「発明家や研究者に向いてますよ」と無責任な言葉が返ってくる。
実に下手くそに「貴方は社会不適合者なので、象牙の塔なり自分のアトリエなりに引きこもって居てくださるのがお似合いですよ」をオブラートに包んでくるものだと、自覚のない悪意なのか、純粋な善意によっての社会からの排斥なのかも分からないものをぶつけられたことを感じ入る。
その度に、「ああ、やはり自分はまともに生きるのは諦めるべきなのだ。だが、特別な生き方を出来るほどの力はない。だからまともなフリをして今日も迷惑をかけながらこの社会に張り付くのだ」と自己憐憫に浸るのだ。
これはもう精神的なリストカットとしか言いようがないわけだが、同時にソレはある種の瀉血でもあるように感じる。
私がこの社会に望むのはもうベーシック・インカムの導入ぐらいだ。
もうこれ以上社会の中で「私は貴方達と同じように働ける人ですよ」と偽って暮らすのはしんどすぎる。
いい加減疲れた。
人生の先行きのなさが、生来生まれ持った脳の作りから始まっていると突きつけられ、まだなんとか自暴自棄にならずにいるのがすでに奇跡のようなものだ。
これ以上我々を責めないで欲しい。
責めるべきは、我々のような人間が人間のフリをして社会に紛れ込まなければ生きていくことさえ出来ないこの社会の仕組みの方ではないか?
本当に、ベーシックインカムが導入されれば、我々はそれを頼りに暮らし、もう二度と社会の表側で「私は給料分の仕事ができますよ。何故なら普通の人間なのですから」と心にもないことを言ったりしないで済むのだから。
自分もそのBさんと同じように職場で何度も質問して怒られたけど
よくメモをしろって言われるけれど正確にメモ出来てる自信がない
自分ではちゃんとメモしたつもりでも自分の判断はいつも間違えてて怒られた経験が蓄積しているから
メモも間違っていないという保証がなくて不安だからその都度何度も何度も質問してしまう
職場の方で正式に用意してくれたマニュアルがあればまだマシなんだけど、そのマニュアルだって全ての事例を網羅している訳じゃないから
今自分が遭遇している事態がそのマニュアルで本当に対応出来る場合なのか分からない
(例:マニュアルには英語圏のお客様対応しか載っていないけれど、お客様から中国語や韓国語で尋ねられた)
でもそうやって質問する事自体を責められると、遂には質問するのをやめるしかなくなるんだよね…