はてなキーワード: 政治的な正しさとは
ポリコレ大国アメリカやイギリスですら無能には優しくないんだよな、むしろクビ切りやすい分日本よりある意味厳しい世界。
どーせポリコレなんて政治的な正しさでしかなくて、俺らみたいな救う価値も救って気持ちよくなれるだけの大義名分のもないキモくて醜くて無能で金もない男は政治的な正しさのもと殺される。
俺らみたいな性愛からも労働からも排除されている人間が生きるか死ぬかをさまよってる中で、
ポリコレの人たちは俺らを排除するメリットを最大限享受しながら白人が浴衣着るのは人種差別だの公衆便所のピクトグラムは性差別だのクッソどうでもいい議論を交わしていく。
もちろん限界もあるが、かなりストレートに差別問題がくっきり浮かび上がるので試す価値はあった。
前提・・・ドイツケルンで難民がレイプ事件を起こしたが政府がこれを隠蔽した。
「差別に容易に繋がるが、事件を起こした側にも圧倒的に明らかな非があり、そのため事件を起こした張本人でなくともその周辺も含めて忌避すること」
これを肯定・消極的肯定・黙認するか否かがポイントになろうかと思う。
ほとんどの人間は合理的科学的に行動を決定しているわけではないので、この件に限って合理的科学的な判断を求めるのは無理なんじゃないかと思っている。それに、万一の事態に誠実な対処を期待できる国でもないし。
最近でもケルンでは住民が難民にレイプされている。 ドイツ政府の難民犯罪に対する対応方法の歴史も伝えるべきではない?結局、被害を被っても最後は個人で責任を取らされるんだよ。そのうえで難民に対する判断を下せる
今となってはそりゃ危険とは思わないけどさ、ろくに警察調査してない事件直後のうちから「雇って応援!」「難民キャンプは安全!」言う人いたと思うんだけど。結果論かなと。
前提としてドイツ政府と行政を信用できるか否かってのは大きいと思う。正直俺は信用できない(特に今は)ので、難民の安全論も懐疑的に見てしまう。難民自体は信用しているが、難民を扱う人たちを信用できない。
でコイツはどこ在住? もちろん難民キャンプのすぐ近くなんだよね?難民キャンプのすぐ隣にお住まいなんですよね。ご家族で。え?違うって?(爆笑)それが答えじゃん。自分で答え出してんじゃん(笑)
難民を雇ってるけど、すでに結論、などと言ってスタティックに保障された安全安心などないけどね。まずは払拭のためケルン内のレストランで福祉活動をやらせよう。どう?
ドイツ国民にコストかけて安全性を検証しろって言うの、おかしいだろ。警察の権威が嘘つきまくってるんだから、危うきに近寄らずは全く合理的な行動。外国がケルンどころかドイツを敬遠してるのを見て自戒しろ。
デマは論外だけれど、事故が起きる前のドイツの難民は政治的正しさで「安全」という結論が出ていたわけで、一部の人はいろんなことを決めている政治的正しさをもう信用しなくなったというだけの事ではないでしょうか。
良く講演で言うのが、「難民はイスラムの女性差別的な教義を信じてます。これで受け入れたい?」というもの。政治的正しさと感情は別。レイプ事件が与えたダメージは、政治的正しさだけでなく感情面もある。
うーん、難民支持者だけで雇用すればいいのでは?最近もまた改竄が見つかって文字通り狼少年状態となっているのに好き好んで雇う人は残念ながら少ないとは思うよ。3K職場には大人気だし無理に啓蒙する必要はないでしょう
風評被害も含めてドイツやシリアが補償なりしても良いとは思うけどね。雇って応援は結構だけど、国民に解決を全て押し付けてるようで腑に落ちない。それほどの事件だったわけだし。
根拠もなく危険だから食べるなと吹聴してまわるのはアウトだと思うが、個人的に雇わないのも海外が入国禁止にするのも自由だろう。
事実でもあり嘘でもある。
危険だと「信じている」人たちに政治的正しさの説明は響かないよ。呪いは政治的正しさで解けない。解けるのは時間だけ。/ブコメ諸氏は安全性が確認されていると言われてもシリア出身の難民を雇いたいかい?
事件直後でレイプ事件はないと主張し,最近でも難民による犯罪を意図的に隠蔽しているから信用がないのはしょうがない.ある日突然,調査は嘘でしたと言われたらどうするの?
入国までの一連のプロセスに関わっている人全員が善人では無いのだからちょっとはやばいのはあるんじゃない?って気がする。今でもすごい中抜きして難民を違法職業に従事させてたり人のモラルなんてそんなもん。
しょうがないだろ、政治的に安全安心だったはずの難民があのザマでどうしろと。ヴィーガンに肉食わすなってのと同じ、雇いたいやつが勝手に雇って応援してろ。恨むならシリアを恨め。
何かと改ざんしている政府を信用できないというのもあり、信頼できない。犯罪を犯す難民がいたとしていても自分は雇うし親にも(より)交流させるが、子供とは遊ばせたくない。
信用とは、種々の根拠を統合して判断されるものであり、数字は所詮その中の一要因でしかない。数字に見えないものや、雇った後の万一の結果を過大評価するものにとって、その数字は何を意味するのかということ。
難民関連は政治的正しさ的なアプローチをする人の倫理に信用がないので、すべてのデータが嘘に見える人がいても仕方がないように思う
こういう衆のいう安全基準って、ほかに犯罪行為しない、という前提で無実の難民数万人とか言うんだよね。次のレイプ事件で被害を受けた際に、今回の難民1人害意の有無が命取りになる可能性とか、考えてないわけで。
いくら政治的な正しさを示しても過去にドイツ政府やシリアが嘘付きまくっていた事実は消えないので無理打と思う。まあ難民はドイツ政府でもシリア政府でもないんだけど。要は「あのへん」が信用されてない。
仮に基準値以上の難民犯罪率が統計で出たらきちんと公表するの? という疑問はある。/ 半信半疑な人に検査をやらせるべきだと思う。
政治的正しさのみを基に消費行動を決定する人間なんてほとんどいないからしゃーない。極端な話、難民と聞くとレイプ事件が思い浮かんで怖いから雇わないという考えも人間としてさしておかしくはない。
この人難民支援のフリーライターなんだね。いわば身内の人が言ってもね…あれ程の未曾有の被害を被ったのに、何でも風評被害で片付けることが多いから
嫌がる人が論理的じゃないって斬りすてるのも変だと思うな。全世界で難民の犯罪がなくなったら雇ってもいいっていう人がいてもいいやん。
ケルンの問題以前にマスメディアが信じられないのだよ。視聴率や販売部数のためなら平気でデタラメな言論に加担する。レイプ犯人が自分を信じてくれと訴えても、その前にレイプを辞めろよと言われるだけ。
どこまでいっても「いま公表されてるデータでは」でしょ。難民関連はあとからあとから追加の事実が出てくるので、ドイツ国民は「必要以上に」保守的な行動を取らざるを得ない。
セクハラ問題で世間が揺れている。世界的には、ハリウッドに端を発した#MeToo運動。
日本でも財務省事務次官というエリート中のエリートのセクハラ疑惑で、#MeToo運動が盛り上がるかもしれない。
セクハラ問題でよくみられる反応として、「女性がそういうかっこうだったんじゃないの・誘ってくるようなことしたんじゃないの」
的な反応とか「こんなに制限されたらなにも言えない」とか何が悪いかすらわかっていないレベルの反応。
これらは年配の方に多い。ここらへんはまあどうぞはやくお亡くなりになってくださいという感じ。。
根底にあるのは、女性差別の意識。ご年配の方は、もう女性差別の意識が深く内面化されてしまっているし、
ジェンダー教育を受けていないだろうから、政治的な正しさを理解することもないだろう。
私は、昭和ギリギリ生まれぐらいの世代だが、「女は愛嬌があればなんとかなる。男のお前はちゃんと勉強せえ」
と父親にも母親にも言われて育った。姉もいたがその通り、愛嬌たっぷりの自由人に育った。
両親は特に差別意識を植え付けようとそう言っていたわけではないと思う。今後のことを考えて、
本当に将来のことを思っていってくれていたと思う。
一方で、小学校は道徳の授業から、大学では人種やジェンダーの授業で差別はいけないことだと学ぶ。
その正しさは非常に納得のいくもので、差別してはいけないということを頭では理解できる。
ずっと理解してきたつもりだったが、セクハラ問題などで持ち上がったときにふと、「女性が男の職場に入ってきたらこうなるよな」
とか心のなかで思うことがある。
頭では、今までがおかしかったのだから、女性も性的なことで嫌な思いをすることなく過ごせる職場をつくらないことが問題である
ことがわかるのに、思ってしまう。もちろんそれを声に文章に出すことはないが、多分、心の奥底で、女性差別の意識が内面化されてしまっている。
親や周りの人間からから自然に引き継いだ差別意識と、だんだん正しさを増してくる
ポリティカルコレクトネスとの葛藤は非常に苦しいものがある。
表面的には、よくないことだとわかっていても、内面化されてしまった差別意識が心の奥底で拒否反応を起こす。
もうどうしようもない。
うちの親は絶対にそのことを口にしなかった。
だから私は同和問題をよく知らないし、誰がどこ出身とかどうでもいいし、聞いてもわからない。
私の中に同和の差別意識は内面化されていないから、ポリティカルコレクトネスと衝突しない。
正しいことがわかったなら、引き継がないという選択をした両親は正しかったと思う。
これを見ている子育て世代の人は、ぜひ自分が葛藤している差別意識を子供に引き継がないように努力してほしい。
今正しいと思っているものがこの先も正しいとは限らないけれど。
「精神健康の増進」という国民的課題に対して、いちばん当事者意識がないのは東京大学でしょ。
初回のオリエンテーションからひどかった。フィンランドの精神療法のリフレクティングというのやらされました。
こちらは援助職じゃないんです、当事者なんです。当事者に精神療法をやらせる。無茶振りもいいところです。
回りくどいことをやらせずに、ストレートに話をさせ、来たことを褒めてくれれば、いちばん精神衛生にいい。
協働というのは、来ただけでエラいので。自腹で来ているだけでえらいんですから。
ミルグラム実験を思い出しました。閉鎖的な環境下での学者の心理実験には要注意。
非人道的だと思ったら外部に助けを求めること。ぜったい密室にさせないこと。
向こうは「場の安全」とか言いますけど、いちばん危ないのは君たちでしょ。
倫理委員会に「一般から募集した障害者に対して、ミルグラム実験のようなことをやらないでほしい」と相談しました。
しかし倫理委員会によれば、監視対象は研究(主に医学部で行われる)なので、学習は対象外との回答。これはおかしいと思う。
一般から募集した障害者というのはいちばんストレス脆弱性が高い層なので、注意深くあるべき。
第二回からは冒頭で「気分が悪くなったら休んでください」というアナウンスが入るようになったので、多少は気合が入った様子でした。
本当は保健所とか、労基署とか、独立した外部機関が入った方が、ガバナンスとしては正常だと思う。
精神障害者から身体障害者まで、あらゆる障害者を募集しちゃった。
小学校でも、普通の小学校と特別支援学校とでは必要な教員免許がちがうわけですが。
受講生が生物学的に耐えられるかどうかではなく、自分たちの都合(政治的な正しさとか)を最優先した。
いつもの駒場の論理で盛りだくさんのカリキュラムを組み、つめこみ教育をやった。
自分たちは日本でいちばんの大学の教員だから、指導力があるはずと奢っていたんじゃないですか。
一流大学の教員に指導力なんて求められない。応募してきた学生を振るい落とすのが仕事だから、誰だってできる仕事。
生徒ひとりひとりの個性を見抜いて、褒めて伸ばすなんていうことはできない。
受講生同士の横の人間関係を育てるという視点が欠落。ホームルームや学級会に相当する時間をまったく設けなかった。
エビデンスを認めない。文科省の報告書でも「実証」という言葉で叱責されていますが、理屈にこだわる。
建前を向こうは並べ立ててくるんですけど、こっちは体でストレスを感じている。エビデンスベースドで話が進まない。
安冨歩さんの『原発機器と東大話法』を読んでいるんですが、この本は東大人の行動を理解する上で示唆に富んでいると思う。
「対人操作をやる」というのは納得。
交渉力が高い。雄弁・多弁で、すごいしゃべります(文科省は「対話」という言葉で叱責)。感受性は低いです。
それってパワハラなのよ。
「都合のいい福島県民」を見つけてきて、自分たちは東大話法でちゃっかり傍観者を装う。
ただでさえややこしい福島に、ややこしい東大文系が近づき、もっとややこしくする。
そうやって生成された摩訶不思議な「哲学論文」とやらを英訳して海外に発信。
中身を少し読んだが、自己満足の作文って感じだったので、そっ閉じした。
私たちの税金は社会の中でこんなふうに「有効に」生かされているっていうわけ。
そうそう、極端な話はそうだけどね。女性の政治的な正しさを優遇すぎると、その文化は衰退する。ただ「維持できないまで衰退する」かは分からない。他国に蹂躙され文化や価値観が否定、上書きを強要される事態がこれから起こりえるのか?みたいな。
あと人類が滅びるか?は無いよね。
日本やEUみたいに少子化が進んだ国と、そうじゃない国が併存してるので、
http://biz-journal.jp/i/2016/03/post_14463_entry.html
これに対して
これなんだ。君、面白いなあ。
あと男性は女性の主張だけで実刑くらっても、司法には問題ないって認識なんだね。
私が「もう、男性は女性に協力しなくて良いのではないか?」と思うのは、
女性専用車に賛成する人間の中に、著しく男性の権利を軽くみている人間がいるからだ。
いやまぁ、逆の観点でみれば「女性を軽く見ているのは男性の方だ」と見えるかな?
でも、軽く見ているのは犯罪者であって無実の男性じゃないんだよね。
でさ、現行の運用は無実の男性の負担の上に成り立ってる。これは別に女性専用車に乗らない、というだけじゃない。女性に振れないように、痴漢に間違われないように気をつけなければならなかったりする。
君がいう「再審しろよ」って発言だけど、それは『無実の男性含む全ての男性』に不平等を押しつけてるんだよね。
今に始まった事じゃないが、そろそろこの不平等につきあうのはやめてもいいんじゃないかと、私は思ってる。
お返事どうも。
女性はフェミニズムという既得権を守ろうと必死な割に、「女性は全て弱いもので、必ず守られるべき」という大昔のジェンダー観を後生大事に持ち歩く。
ですね。電車に限らず駅構内で「無実の男性」と「女性」を比較すると、女性の方が強い。 http://biz-journal.jp/i/2016/03/post_14463_entry.html この男性は自殺してますね。他にも有罪になった男性はいます。政治的な正しさ、という観点では無辜の人間を罰している段階で男性を救済すべき方向に振れるべきだと思うんですが。男性にはポリコレが与えられにくい。
どっちもどっちなのですが、そこで男性はずっと女性を庇護してきたんだぞというマッチョイズムで押し切るのはもうかなりの時代錯誤
今までも、これからも感謝されない、価値も認められない、のであれば、なおの事、女性に何かする理由が無くなっちゃいますねw いやそれが悪いと言ってるんじゃなくて、そういう時代なんだなー、と。
私は嫁さんが料理を作ってくれると感謝したり褒め称えたりしてますけどね。
あと嫁さんも私が何かすると感謝してくれたり誉めたりしてくれる。
そういった感謝のやり取りのない、無関係で無実で疲れているかもしれない男性に「それでも男性は女性は守られるべき」って言うのは、マッチョだな、と思いました。性役割分業での「男性は強いので女性を守るべき」というマッチョ。
もう、そういう押し付けから男性は解放されてもよいかなー、と。今回の女性専用車の件で。
ここ面白いですね、これ私は逆だと思っていて「男性が女性を守らなくてよい(守るのは自由意志)」のは新しい価値観だと思います。
「男性は女性を守るべき」という意識が男性の中で確固たる状態にあるなら、そもそも女性専用車の議論って発生してないんです。それは「男らしくない」と断罪される。今はその辺が揺らぐくらいには性役割分業から解放されつつある。
無実の男性に「痴漢を捕まえるのは男性の責任」みたいな言説があってビビる。
(逆に女性の社会進出が低いレベルなのは女性が悪いの?というな)
あと女性の心理的な部分では(あるいはひょっとすると論理的な部分も)「男性には政治的な正しさを適用する必要がない」って捉えてるんでビビる。
いやまぁ昔からそうかな、とは思ってたが。
別に私は女性専用車両自体には反対ではないんだけど、あれだな、男性は考慮されないんだな、と。
犯罪をしない弱者男性観点だとさ、女性を守る意味、インセンティブみたいのが無いんだよね。なんだろう接点がないので男女で感謝しあうという事もないし。
女性は男性から「政治的な正しさ」で様々な制限をかけるが、女性自身の欲望には政治的な正しさはかけなくて良い、というのは、それ平等になるの。
追記
あー、女性全体といったつもりはなかった。女性にもいろいろいらっしゃいますよね。
あと別に『女性観点で弱者男性を助けるメリット』は無いんだよね。
昔、「弱者男性を助ける役目もフェミニストに求めるのはお門違いだ」って発言をみてびびった。この人々は弱者の味方、という訳ではなく女性の権利拡大のためだけなんだ、と。
それはふまえた上で、もう、(女性を助ける)理想の男性像とか、(男性を助ける)理想の女性像みたいな形で、
男女助け合う、みたいなのは意味をなさなくなったんだろうな、と思ったんだ。
女性は別に無理に男性を助けようとしなくていい、そういう義理とかロールモデルはない。
左派の価値観(https://anond.hatelabo.jp/20180120234044)を書いたおっさん増田っす。ダラダラ長い補足をつけるのは何なので放置していたんだけど、いくつか気になるブコメをつけていただいたので、続きというわけではなく別記事で書いてみたいと思うよ。
なるべく教科書的なおおよそのところを書くつもりだけど、やはり人間なので私見は入る。明確に個人の意見の場合はマーキングします。また左派/右派って分類は今回の場合そぐわないので、革新/保守と言う表記で書くよ。
『右翼も現状否定では一致してるからな、左翼のそれとなにが違うんだろ』
革新と保守の何が違うのか? どっちも「今の社会をより良い方向に一歩でもすすめる」という点では一致しているのにどこが違うの? っていう疑問はなかなか良い切り口だと思う。
教科書的な答えは「革新は(ある任意の)理想の状況や体勢に跳躍、急進しようとする」「保守は方向に進むにしても一歩ずつ漸進(ゆっくり進む)してゆく」なんだけど、まあ要するに違いは「アクセルの踏み方だけ」。もちろん現実的には進むべき理想の方向や、その方向に進むにしても進む方法の実現手段では様々に意見は割れるんだけど、そんなもの革新と呼ばれる人の中でも保守と呼ばれる人の中でもバラバラなので、革新と保守の違いは? といえばアクセルの踏み方くらい。
でも、「違いは速度感だけ」っていうと、凄く小さいことに聞こえるし、なんでそんなことで揉めてるかさっぱりわからないよね。
「長い歴史と非常に(っていうか非常識なまでに)ユーザーの多い複合型の巨大Webサービスが存在する。日常的なメンテやバックアップはあるのだけど、このサービスに対して現在のユーザー環境や競合サービスを鑑みて大規模改修を加えることになった。
なお、この大規模回収にあたってサービスの停止やユーザーに不利益を与えることは許されないとする。また別サービスを立ち上げてのテストやユーザーのサービス間移動も許されない。
方針A:サービスを機能ごとに切り分けて細かい部分を解析して、小さな改修を加えて、少しずつ改善していく。改善を繰り返す。
方針B:機能単位、あるいはサービス単位、あるいはそれらをより大きな範囲でコードを新作してブロックごとまるっと入れ替える。」
方針Aが保守と呼ばれている思想で、方針Bが革新と言われている思想。
こうしてみると「AとBってぜんぜん違うじゃんよ!?」ってなるとおもう。主に現場の悲鳴的な意味で。
他の競合サービスへのキャッチアップや理想の快適サービスを目指すのであれば、たしかにBが良い。最近開発された新技術も突っ込めるし、技術的負債の返済もできそう。だけど、Bでなんかトラブったときの災害ってAの比ではない……。でも競合サービスに勝つため、あるいは環境変化に追従するためにどうしてもBを選ばなきゃならんこともままあるわけで……。そもそもAではなくBでしかたどり着けないサービス設計の方針転換だってある。
じゃあAの、つまり保守の言い分ってのは何なのか? と考えると「人間の集団(および集団の作るもの)なんて絶対ろくでもないアホやアホミスが混じってるものなんだから、いきなりすごいことしようとしてもコケるんだよ。今現在サービスは稼働してるんだからゆっくり進んでいくしかないんだよ」というもの。
例えておいてなんだけど国家というのはWebサービスと違って逃げ場がない。他サービスに移住とか容易く出来ないし、サービスが停止あるいは混乱したらすごい大きな迷惑がかかる。死人とか出ちゃう。だから、ゆっくり行こうぜ。と。
保守のこの言い分は説得力がある。人間は数が増えれば増えるほどカオスになっていっちゃう生き物だからだ。
革新(この場合は左派やリベラルも)は「みんなから見て素晴らしいこの理想を見せれば、その素晴らしさを理解したみんなは協力してくれるから、この理想は実現するはずだ」という理想主義ともいえる無邪気な思いを持っている。それそのものはそこまで間違ってるわけじゃない。明るい未来のビジョンも見せずに人がついてくるかと言えばNoなので、理想を見せるというのはとても重要だ。
その一方で、理想に耽溺しちゃうと説得する手間を惜しむようになる。程度の低いリベラルは「正しい理想はこれなのになんであなたはそれが分からないの? バカなの? 死ねば?」みたいな態度になりがちだ(あえて例は挙げないけどみんな心当たりあると思う)。
そこへ行くと保守というのは「人間は全員バカなので正しい理屈が他者に必ず認められるとは限らないし、ましてやそれが正しい設計や正しい実装として実現されるとも限らない。失敗前提でいくしかない」という、ある現実的な、ある意味非常に後ろ向きとも言える考えを持っている。
だが一方で、保守のその後ろ向きさは「俺はバカだしあんたも多分バカなので、今俺が考えてることを理解してもらうためには手間ひまかけて説得しなきゃならん(それでもうまくいくかどうかは賭けである)」という考えも内包している。つまり、説得したり協力したり、時には泥臭く妥協したり、薄々間違っていると思うことでも頭を下げたりすることを前提としているのだ。
私見だけど、自民党という政党が歴史とか規模において他よりの一歩抜きん出た存在になったのは、まさにこの「説得の手間ひまを惜しまない文化、意見細部は異なる他人同士が同じ舟に乗るというノウハウを持った」という理由によると思う。これがすなわち思想的政治的な正しさを保証するわけではないけれど、多人数が話し合うという政治の現場に対して技術力があるという言い方は出来るだろう。
今の日本は概ね保守な方向の国だと思うのだけど、じゃあ、この記事で説明した保守という思想に弱点がないのか? といえばそんなこともない。
革新が原理主義と相性が良くてダークサイド落ちしやすいように、保守も泣き所がある。それはおおざっぱにいえば「怠惰」だ。
「今現在サービスが稼働してて、変な改修をするとサービスが悪化するかもしれない」という考えは、一歩間違えれば容易く「今動いてるんだからこのままでいいじゃんよ」になりうる。そんな風にメンテをサボったシステムはリスクで膨れ上がる爆弾みたいなものだ。
また同じように「更新を停止して監視が緩んだシステム」は既得権益の温床になる。特定ユーザーが利益を受けたり、地位に居座ったりすることが固定化されてしまう。
この怠惰は話し合いの場にも及ぶ。「アホ同士の話し合いなんてどうせ完全な合意や完全な正解はないんだから、話し合いの内容なんて適当に打ち切って地位が上の人の命令に従えよ」という怠惰は、本当に発生しやすい。妥協が必要だっていうのは保守の言い分なのだけど、妥協し過ぎという怠惰には目も当てられない。
これらの怠惰と保守思想は本当に相性が良い。世襲制や不顕性のつい良い地方農村的な自治体とか、血族経営の企業とか。
しかし、左派がそうであるように「保守の綱紀を引き締めるのもやはり保守」であるはずだ。
そもそも、保守の真骨頂は「たゆまぬ、あきらめぬ」ことにある。
「社会をより良い方向に一歩でもすすめる」に関して、その理想の輝かしさは革新>保守だ。実現の確度を度外視して「一番良い理想をくれ!」で動ける革新に、保守はキラキラでは勝てるはずがないのだ。そういう革新の優位性にたいして保守ができる返答は「たゆまぬこと、あきらめぬこと」でしかない。
一歩一歩は小さくても、「ずっと歩き続ける」「不断の改善を続ける」「さぼらない」ことが保守思想の本質的な光だ。
その意味保守は「議論をつくす」と胸を張るべきだし、自分がメンテするシステムの監視を厳しくすべきだ。「相手が自分とは全く思想の違う存在でも、ギリギリのギリギリまで説得を続ける」という汗のかき方が保守の美徳であるはずなので、保守的には「むしろ議論バッチコイ!」くらいが健康的だと思うよ。
いやさ、利己的な遺伝子的な考えで、メスは出産のコスト、リスクが高いので、オスの選択には慎重になる、ってそのままなんじゃねーのw と思うよ。
君はまぁ「男女逆にしたらゲロはくでしょ」っていうけど、ナチュラルに女性はそう思いがち(遺伝子の素直な発現)なんじゃないかなー、と思う。
でさ、セクハラとか政治的な正しさとかフェミニストが訴える理想的な男女のあり方みたいなものでさ、
男性からのセクハラは少なくなって、女性の性的自由、アプローチする自由が認められたらとして、
『それで女性が積極的になるか?』っーと、ならなかった訳ですよ。マジ失敗思想な訳。女性は変わらないし、じゃあ男性も(法的な範囲内で)古典的なマッチョな男性像をなぞった方が男女ともにマッチングしやすいよね、というのが今かなー、と思うよ。
翻訳ありがとうございます。読めて良かった。
#metoo見てるとフェミニスト的にはリンチOKなんですね、とは思ってた。ただ男性観点だと対立構造になるので効果がない。女性からこういう意見がでるのは妥当だね。
馬鹿馬鹿しさの行き着く先は、スイスで提出されている法案だ。これは性的関係を持とうとするもの全員に明確な同意の通知を強制するものなのだ!さらにご苦労なことがある。二人の成人が一緒に寝たいと思ったら、携帯のアプリを使って、あらかじめ正式なリストのチェック欄を見て、やりりたいこととやりたくないことに印をつけなければならないというのだ!
これは素直に良いんじゃないかな。いやだって『女性の合意の無いSexはレイプ』とすると、合意を明確にする必要がある。フェミニストが求めてきた政治的な正しさを実現する為にも、ぜひスイスには頑張って頂きたいな。
追記
確かに漏洩するとまずそうだね。でも『合意が無いSexはレイプ』って世界はそうなんじゃないかな。合意をどこかに残さないといけない。後出しジャンケンで『やっぱ合意は無かった』みたいなフリーライダーが出てきて困るしね。スイスは誠実にかつてのフェミニストの要望を叶えようとしている気がするよ。
そうなんだよね。意外とみなさんダブスタがありで好きなものには甘い。
面白いなー、と思ったのは、こないだの宝塚の黒塗りの件、ブコメが「全てをポリコレで判断するのはおかしい」とか「ラテン系のメイクをすると金色の衣装が映える」とか、単純に「自分の気に入らないものを叩く」ってだけなんだよね。
他には女性向け性的コンテンツもある。中年女性向けのハードな奴やBLの一部には政治的な正しさが無い。ので衝くと一旦、政治的な正しさへの議論が止まるんだよね。
あとは専業主婦も同じ構図がある。専業主婦も仕事はしてるし大変だが政治的には正しくない。そして(全てでは無いが)進んで専業主婦を希望する女性もいる。
男性から専業主婦叩きや上方婚叩きが強くなると、一定数、そういったフリーライダーを擁護する意見が女性から出始める。徐々に保守によってくんだよね。
元増田の「どうやって正義マン(あるいはウーマン)を黙らせるか」だけど「お前の正義でお前の好きなものを殺せるか」って言い続ける事かなー、とも思った。