はてなキーワード: 政治的な正しさとは
まずは少しづつですよね。女性観客側も当然、政治的な正しさを負うべきでしょう。
ダブスタに関しては、まぁこれは男性も一緒。自分に都合が良い事はあまく見てしまうものではないでしょうか。だからこそフェミニストは男性に声を上げ続けている、という。
今回の宝塚も同様。いままでリベラルが求めてきた『政治的な正しさ』って別に『コンテンツを購入したか?』に限らず非難できてた訳で今回も同様。
今回はたまたま女性向けユーザーが多いコンテンツってだけだけど、別に対応を変える必要は無く配慮するような変化が必要って事だろう。
ですね。満たされつつあるんですよねー。満たされちゃうと、あんまり真剣に求めなくなります。
でも平等とか政治的な正しさってそういうんじゃないですよね。政治的に正しいというと『もっと女性は社会進出すべき』だし『男性と同じくらいに働くべき』です。いや女性が輝くっちうともっと働くべきかなー。 と、こういった事を言い続けると「私はそこまで働かなくてもいいかなー」「男性と女性は違うよ」みたいな振り戻しってないかな、と。
いやー、最近の女性はハングリー精神が足りないっすよね。私もそう思いますw 昔の女性はもっと男女平等をガツガツ求めていたし! さぁフェミニストを見習ってみなさんもガツガツ仕事と権利を求めていきましょー!
お返事どうもです。
そうなんですよね。私もゆるい女性いいなー、って思います。ギスギスしたライバルみたいな関係性では無くて、お互いが補い合って、尊重しあえる関係、比較優位( http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120409/230749/?ST=smart )の関係ですね。
で、あなたの言うように、ゆるい人は女性に多い、という点も同感です。
私がここで何を言っても別にあなたの生き方を変えることはないでしょう。
ただ『高収入女性が生まれても、弱者男性に向かわない』というのは興味深い話です。
結局フェミが言ってた「女性が経済的に安定すれば男性も楽になるのです」みたい言説は嘘っぱちの酷い詐欺って事だし、女性の賃金が上がると少子化は進むよな、と思いましたw
フェミが流行ってもパートナー形成できない男性が増えるだけなんですよね。
(もちろん弱者男性も「結婚によらない幸福度の上げ方」で幸せになった方がいいわけですが)
いやー、あなたが悪い訳じゃないですよ?それは全くない。だってあなたはただ毎日頑張ってるだけでしょう。
ただ先進国に見られるこの傾向は、やっぱりどうしようもないよな、と再確認しました。
持続可能な、サステナブルな社会っていうんですかね。そういう観点に立つと、我々の社会はどこかで確実に間違っちゃたんですよね。凄い勢いで少子化してます(ゆるい少子化なら問題ではない)
いやぁ『誰のどんな主張で、こんな社会に変わったのか?』私、気になります。社会のデザインを間違ってしまった。みんなでズルズルとまちがってしまった。
セクハラには注意な。フェミニズムのおかげで、それで社会的に死ぬこともあるようになった。女は紙かjpegに限るって言ってた人がいた。セクハラ、政治的な正しさからすると、政治的な弱者、女性から触るのが正しい。
が、世の中的に、男女の関係性構築は男性に求められる。と、いう点から考えてマジレスすると『触って誤って済むシチュエーションで最初に触ってみる』だ。
例えば、花火大会の帰り道の混んだ交差点。お祭りではぐれそうなタイミング、人混み、映画館で出る時、歩いていて車道よりに歩いてたらそっと歩道よりに寄せたりとか、とにかく最初は『いいわけできる、謝り倒せる』シチュエーションでエスコートしてみるといーよー。と、既婚者が言ってみる。
あと結婚してからだけど、性欲と接触欲求は異なる、ので触るのは定期的に行うカップルの方が関係性は長く続くという調査がある。
結婚してからも気軽に触れるように関係性を構築した方がいーよー。ほんとフェミはクズだ。
個人的には猿の毛繕い行動が残ってるのかな、と思ってる。ちな、ボス猿の方が触る時間が長い(偉そうに毛繕いしてもらってる印象があったが、そうでは無いらしい)
町中のカップルを観察してみて欲しいんだが、みんなが美男美女ではないよね。あと「どっちがどっちに触ろうとしているか?」だ。主体的に触ろうとしているほうが関係性を支配しようとしている印象がある(個人の感想です)
1:「お前が言うな」の声も想定していた——キュレーション騒動を受けてNAVERまとめが新方針を打ち出した理由 | TechCrunch Japan
2:筒井康隆氏が慰安婦像に関連してひどすぎる発言してる件 - NAVER まとめ
1:Googleがロボット検索でやってることを人力でやってるだけ、遠回しに「著作権侵害の証明責任は侵害された方にある」と開き直ってる。罪の意識が全くない…
1:「お前誰?」
1:四の五の言ってないではやく
2:像のとなりに何かの像を追加していい感じにするというのはどうか
1:“専門家ではない人がネットに落ちている情報をもとに「美味しいみたいですよ」と記事をまとめるケースが増えてきました。” < それが NAVER じゃね?
2:強烈な皮肉だと思うけどな。
1:NAVERまとめが役に立った事はないし、今となっては押し間違える事もないから正直どうでもいい。みんなも「楽して儲けてるやつが憎い」以外の感情はないのでは。
1:同じコピーでも検索エンジンが許されてるのはアクセスをもたらしてくれてWin-Winだからだが、NAVERまとめの場合はNAVERとキュレーター()が肥え太るだけでコピーされる側のサイトになんのメリットもないからなあ。
2:本人的にはポリコレにザーメンかけてやった狂犬な俺様なつもりなのだろうか。だとすれば勘違いだし、これは恥ずかしいなあ。もうボケちゃったのかな。歳はとりたくないものだ。。
1:これはもうLINEという会社の「体質」としか言い様がないね。いくら批判しても根っこのところが変わらないと思う。
2:(´・ω・`).。oO(素人に批判されるようじゃ手ぬるかったか、とヤル気に燃えた筒井氏がこれを上回るもっとえげつない表現で挑んできたらどうするの)
2:底の抜けた当世ともなれば、いくら不謹慎芸人ぶった(&俺は不謹慎芸が理解できる相対主義厨なんだ)ところで「アウトサイダーアートやりたきゃそっち行けば?」にしかならないのが辛いですね。
1:“ネット界隈で有名な人に引用されたら「ありがとうございます」となるのではないでしょうか”役員からしてこの認識とか、ほんまクズやな。
2:昔からこんなんやん。「俗物図鑑」とか読んでないのかしら。/この騒ぎで懐かしくなってkindleで短編集買って読んでたら、「問題外科医」で吹いた。
1:一ヶ月寝かせたTechClunchに悪意を感じてしまう。 / Naverまとめ側は前提の認識時点で相当「ハズしている」感があり各項目ごとにツッコミどころが満載。特に現段階でNAVERまとめを善意のサービスと認識している点。
2:胸糞悪い事を言うのが筒井だし、胸糞悪い言葉を集めた本だって出てるじゃないか。「あの爺またか……」と思わない奴は筒井作品まともに読んでないだろ?
1:死ね
今回はリバイバル……リブート…リメイク……まあ、他の人も明確に区別しているわけではないから、何でもいいか。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
明確な元ネタは分からないが、はてなではとあるユーザーのブコメによって大きく注目されたワードだな。
最初はそこまで注目された言葉ではなかったが、とあるユーザー間でのトラブルが、ここ匿名ダイアリーに書かれてホッテントリにまでなったことがあってな。
そのトラブルの発端となったブコメに「ポリコレの棍棒」というワードがあり、これが印象に残った人が多かったらしく、はてなではイメージが徐々に形成され、認知されていった模様。
使われるようになってから間もないこともあって、用法は明確に定義されているわけではない。
主な使われ方としては、政治的な正しさ(ポリコレ)による主張が過剰だったり、或いはズレているように見えた際、それを揶揄する意味合いで使われることが多いようだ。
そして、その主張がより過激に、攻撃的になった場合に「―で殴る」といったように表現するらしい。
武器の中から「棍棒」が選ばれたのは、原始的な武器で野蛮なイメージがあるためとされている。
「主張は理知的に見えても本質は粗野である」みたいな皮肉が含まれているのかもしれない。
……いや、実際のところどうなのか私は知らんよ。
その言葉を使っている人たちに聞いてくれ。
それにしても、はてな村の手斧といい、妙なものを武器にしたがるものだ。
最近ポリティカルコレクトネスが流行ってるらしいが、うんざりしているのでとっとと滅びてほしいと思う
ポリティカルコレクトネスをポリコレで略しているうちはいいがPCと略してる奴がちらほらいる
毎回文脈でパソコンかポリティカルコレクトネスか判断しないといけない
読むのにオーバーヘッドが発生する
そもそもPCは略し過ぎだろ
カッコつけて英語読みにしているのは別にいいとして政治的な正しさってなんだよ
後、ポリコレ棒とかいう言葉が出現した時点でポリティカルコレクトネスのイメージは失墜しているから
いずれポリコレとか言ってもリベラルが何か言ってるとかいうありがたみしかなくなるだろうよ
いい加減、俺の正義に反しているとか言ったらどうだ
二次創作をしたいと思った。
とあるアイドルをプロデュースするゲームの、とあるアイドルが凄く気に入ったので、
公式の供給だけじゃ物足りず、自作しようと、日夜頑張っている。
頑張っているのだが、どうも自分の中に「政治的な正しさを元に創作物を批判する人達」が住み始めたようで、
文章を書いていると、その人達が批判するので、修正するのだけど、はっきり言ってキリがない。
例えば、今書いている二次創作の冒頭の三行だけでも、
「うひひひ、お山、お山、あたしのお山、このお山、あたしのお山、うっひょー! お山、お山の先っちょも登るうううううう」
夏場の外回りの仕事を終えて、クーラーがよく効いた自社に戻ると、いつものように○○ちゃんが△△さんのおっぱ……もといお山を堪能していた。
今部屋に居る事務員も、他のアイドルたちも止めようとしていないし、△△さんもあきらめの境地に達しているのか黙々といつものように読書をしていた、それとも熱中して気付いていないのかもしれない。
たったこれだけの文章なのに、
「同性愛者を色情症のように書くのは間違っている」(いや、同性愛者かどうかは、そのちょっとよくわからないんですが……)
「たとえ同性同士であってもセクハラはセクハラ、正しく罰するべき」(はい、その、ですので、これをセクハラと咎められたあと、きちんと告白をして同意の元に恋愛関係にですね……)
「そもそも、中学生女子と、大学生とは言え未成年の女性のペッティング描写など論外」(それは……その……はい、すいません)
「もう大前提、アイドルという職業そのものが……」(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい)
などと、自分の中に「政治的に正しい表現をするべき委員会」が立ち上がり、いろいろと評論をしてくる。
それで、なにかを創作するってことは、なにかを切り捨てるってことなんだなあ、と思った。
政治的な正しさもそうだけど、そもそもこうして、公式の外でキャラクタを動かすってことは、どうしたって、それを認められない人がいる。
「でもさ、こうも考えられない?」
え?
「目が前についてるのは、前だけを見て生きろと与えられた使命に違いない」
去った、過去気にせず……
予想をも、つかない、素敵な運命
「待ち構えている。……かもじゃん。だから、がんばろうよ、いっしょに」
そっか……
そうだよね……
頑張る、僕、頑張るよ……
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
質問が長いなあ。
怯んだが、まあ答えよう。
君の主張がそこまで的外れだというつもりはないが、少し誤解している。
「アホの坂田」こと坂田利夫は、プライベートで芸人仲間にアホ呼ばわりされると怒るというエピソードは有名だな。
だが、これは矛盾していない。
芸人などが自分の美醜などのコンプレックスをウリにすることと、他者がそれをいいことに笑いのタネにしようとすることには違いがある。
何も道徳的な、政治的な正しさという観点から、それらを「笑い」にすること自体を非難しているわけではないのさ。
何かが足りなかったり、或いは過剰であったり異常であることは、人間が感じる「面白さ」に密接に関係しているだろう。
その点で「笑える、笑えない」に、「健全かどうか」であったり「政治的正しさ」を無理に結びつける必要性はない。
長所を活かすことを是とするなら、短所を活かすことだって是としてもいいかもしれない。
誰かにとっての短所が、誰かにとっては長所になりうるという側面、まあよくある話だ。
だが、“そういうこと”に過敏な人や、或いはそれらの要素を罵って人格を不当に貶める人がいるのもまた事実だ。
誰かにとっての長所が、誰かにとっての短所になりうるという側面、これもよくある話だな。
そんな人たちの視線を基準に考えるべきか否かなんてことは、私が決めることじゃあないが。
仮に決めるなら、その世界の住人たちだろう。
例えばの話だが、障害者が障害をウリにした芸をやり、それを他の障害者や関係のある身内たちも笑う。
もしそんな世界があるのなら、それはそれで健全だとは思うが、まあ非現実的かな。
小人プロレスとかのように、そういう「正しさ」でもって誰かが割を食う側面はあって、それは必ずしも善悪の二元論で語ることが難しい可能性もあるのだが。
まあ、現環境に即した「健全さ」を目指して最適化していくしかないだろう。
さて、今回学ぶべき教訓はこうだ。
そういうツイートをフォローしている皆さんは普通にご報告なさる。
結構な事だとおもう。
美しいもの、かわいいものを見て癒やされたり、嬉しくなったり、チンコが立ったりする。
人として健全なありさまだと思う。
俺は性的な視線の暴力や政治的な正しさをうんぬんするつもりはない。
でも、それ以前の問題として
ダメなんだ。
その態度がダメなんだ。
すれ違う他人を自分の価値基準で勝手に自分の世界観に取り込む、
その無神経さがイヤなんだ。
そういう行為を残酷だと考えずにネットという場に書きこんでしまう、
でもとにかくイヤなんだ、ダメなんだ、怖いんだ。
ほんとうによくわからない。
一番近いのは、優しげな飼い犬とかが時折一瞬だけ見せる野生の獰猛さに「ああ、こいつも動物だったんだ」と感じる瞬間かもしれない。
こいつも動物だったんだと。無害ではないんだと。
もちろんtwitterでこんなことは言えない。リアルでもいえない。
みんなやっていることで、社会的にも悪いことだとはされていない。
右翼だろうが左翼だろうがオタクだろうがリア充だろうがパンピーだろうがフェミニストだろうがラッパーだろうが誰だろうが、
みんなやってる。
そこに罪悪感を誰もおぼえない。そして、おそらく、この場合はそれが正しい感性だ。
間違っているのは俺の方だ。
です。
詳細はググれば判るのでここでは繰り返さないが、のうりんポスターは剥がされた。
今後この手のことは避けられないだろうなと思うので、その話をしたい。
と思うだろう。要は「どんなモノでもネットに晒される」という事だ。
例えば、政治家が酒宴でオッサンばっか集まった中で下品な冗談を言った。
現地では大受けゲヒャゲヒャ笑って女性参加者苦笑い、とかなったとしよう。
これ、新聞記者が聞いてニュースで配信されたりすると、当然批判を受ける。
Twitterなんかで「公に発言すると」問題になる社会はもう来てる。
例えば自分の嫌いな人がいて、それを公然と発言すると、問題になることがある。
正確に言えば「俺は嫌いだ」ではなくて「それは異常だ(と俺は思う)」という発言をするとだ。
これはまあ、良いことだと思う。
(いずれ「俺甘いもの苦手なんだよね」と同じニュアンスで「俺、異性愛は苦手」と言える社会になるかもしれない)
のうりんが、一地方の内輪向けの話だから、というのが通用しなかった件。
コレはつまり、「政治家が身内のパーティーで放言した」と同じレベルだ。
小規模だから、ひと駅だけだから、前にもやってるから、と言うのが通用しない。
なぜならば「ネットに紹介された時点で、公の舞台に立った」からだ。
自分からTwitterでアピールしなくても、誰かに紹介されると公の舞台に立ってしまう。
そうすると、文脈から切り離されて「その対象そのものが、正しいか?」を求められる。
株式会社やお役所なんかだと、説明責任、というやつが生まれる。
つまり「コレコレの批判があったのに、何故止めないのか?」に対する説明責任だ。
大抵の場合、強い根拠やしっかりした後ろ盾がないと、「止めない理由が無い」状態になる。
だから、「オマエのやり方に賛成だ。良くやった」という激励の電話や投書は、無駄にはならない。
悲しいかな、文句を言う人は文句を言いたいので電話をするが、賛同するひとはひっそりとテレビの前で応援したりする。
役所の担当者の前に、非難の投書が数通あり、ネット上に賛同の声が多数あると、投書が勝つ。手元の文書は強い。
「のうりんポスター」の件は、今後頻繁に起こるだろう「リアル炎上」の話だと思う。
ほんの少しの「公」要素があれば十分だ。
どんどん晒されるだろうし、晒されればそれはTwitterでアピールしたのと同等に扱われる。
(その意味でガルパンの海水浴ポスターは良く出来ている。アレを批判すると文脈上海水浴場批判に繋がるので「抵抗する理由がある」ポスターになってる)
ある程度、公人や公の場所が、政治的な正しさを求められるのは、方向性としては良いことだと思う。
本来当然配慮されるべきものが、いろいろな言い訳でナアナアに済まされてきただけだからだ。
ボチボチ、そう言うところにリソースを割いても良い頃だろうとは思う。
そして、いずれは高校生が友達に「アノ黒人が居なけりゃな」みたいな愚痴が晒される世界が来るような気がしている。
少なくとも、ネット上の発言は「Twitterは世界に公に発信している」として判断される社会には既になっている。
これが、隣の友人に喋ったら、ネットに即アップされて特定されて晒される、という社会になりそうだ。
政治家のような公人と、影響力のある私人、そして一般人というのは、それほど高い垣根ではない。
そうは言っても、法律上も判例上も「公人」はワリとハッキリ線引があるぜ?とか言いたいかもしれない。
でも「のうりんポスター」は、法律も判例も、捜査も公判維持判断も、なにもなかったんだぜ。
たった一度のブコメの放言で、社会的制裁を受ける日は、たぶんそこまで遠くない。
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一人増田アドベントカレンダーの1日目としてネガティブにお送りしました。
政治的な正しさとか、表現の自由とか、その辺の思想的な話は知らん。
規制派やフェミの人達に行動する理由を与えないでいただきたい。
もちろん、のうりんのポスターがあるから即二次元は規制だ、とはならないであろう。
風が吹けば桶屋が儲かる程度の話かもしれない。
だた、あの程度のイラストであればpixivに無限に転がっているので、なくても俺は一切困らない。
あのポスターが存在することで俺にメリットは欠片もないのに、規制される可能性をごくわずかにでも高めるというデメリットがあるから、ああいうのは止めてほしいと思う。
かつてのチャンピオンREDいちごのように、一般誌を名乗りながら中身はほぼエロ漫画というのも勘弁してほしい。
せめてゾーニングはしっかりしていますよ、というポーズくらいはとってほしい。
コンビニにエロ漫画が普通に置いてあるのも、問題だろうなと思っている。
(再度確認するが、ここでの問題とは、規制派やフェミの人の神経を逆なですることである。青少年がどのように育とうと知ったことではない。)