はてなキーワード: 帰結とは
アラフォーおばちゃんだけど、この10年ぐらいでパワーカップルの比率はどんどん高まってると感じる。
おばちゃんが20代前半だったころは、エリート男性&専業主婦というのがまだ辛うじて多数派ではあったけど、
それでも働き続けたい女を選んだ男は、同期の中では株が上がってる感じが、じわじわとは来てたと思う。
今、20代や30代前半ぐらいの若い人は、同じぐらいのライフスタイル(年収とか仕事の内容とか)同士で結婚する人が多いように思う。
結婚式に招待されたりしたときの限られた体感情報でしかないけど。
中年になって子供に金がかかるとか介護や自分の老後の心配も見えてきたせいもあるんだろうが、
結婚・出産で仕事やめて専業やってる奥さんがいる同期たちが、バリキャリ女と結婚した同期男性を羨む発言が増えてる気がする。
私も「お前ら夫婦でバリバリ稼いでていいよなぁ」とか言われる。
私が結婚した時は夫に「お前怖い嫁さん貰うんだなとか笑ってたくせにな。
子供産んで復職したもののヒーヒーヘトヘトで全然飲み会にも顔を出せなかった時期には散々「よーやるわ笑」とかあげつらったくせにな。
「家に帰れば可愛い奥さんがいるんだから、稼ぐ妻と引き換えでしょ」
「学生時代には私たちを、硬いだのモサいだのとバカにして見向きもせずゆるふわで可愛らしい女子大の子と
合コンばっかりしてたんだから、そりゃ当然の帰結では?」と言う。
脱工業化が進み、経済が成熟している世界中の先進諸国においては、どの国でも少子化が進んでいるという。それらの先進諸国の経済を支えているのは、昔ながらの重厚長大産業や家電産業などではなく、高付加価値を作る高度製造業やサービス業だ。一例をあげるとすれば、iPS細胞の再生可能医療であり、これは日本やアメリカと言った成熟した先進国でこそ可能な仕事であり、新興国にはまだ早い、というより不可能だろう。
そのような高度製造業が主要産業になった先進諸国で求められる人材とは、はっきり言ってしまうと「凡人はいらない」、という結論になる。日本やアメリカ、欧州諸国で求められる人間とは、頭が良くて、スマートで、容貌が普通以上で、コミュニケーション能力が高い人材と言うことになる。能力は普通で、何のとりえもない人間は今後も生きづらい世の中になるのではないか。そう考えてみると、少子化は当然の帰結だとも言える。普通の人間そのものが社会から求められていないのだから。
時代の転換点は、やはり1990年代のバブル崩壊後だと思う。日本のお家芸であった家電産業のシェアが新興国に奪われ、日本はそれらに替わる新しい「儲かる産業」を作り出す必要があった。あれから約30年が経過したが、ようやく日本にも高度産業が生まれつつある。日本で一番集積が進んでいる場所は、大阪と神戸かな。その代償として、日本は少子化が進んできているということ。
いつもふと思い立って、日記(紙のやつ)始めるんですけど、続いた試しがないんですよ。
いつも大体一週間くらいで、飽きて辞めてしまうんです。
それで、私ももう30を過ぎたし、最近思うところがあって、日記、また始めたんです。
今回は続くように、道具もちょっと良いやつ用意して。
ほぼ日のフェルトの手帳カバーと、無印の一日一ページノート、プラチナ3776の万年筆で始めたんです。
最初は良かったですよ、ウキウキでした。毎日一ページ書いていました。万年筆も良いもので、手に取るだけで嬉しくなりました。
一日の終わりに、部屋の明かりを落として、間接照明をつけて、ボンベイサファイアのジンをロックで傾けながら、プラチナの青が深く沈む万年筆で、今日の思いをしたためる。
最高でした。
でもね、私気づいたんです。
毎日、同じこと書いてるなーって。
朝起きて、会社行って、仕事が大変で、夕飯を食べて、ネットして、寝るって。
同じことを繰り返す壊れたラジオみたいな。
それに気づいたら、もう何も書く気がしなくなっちゃって。
そういう時に限って、仕事もプライベートもめんどくさい事が立て続けに起きるんですよね。
天が私のこと妨害してるのかなっていうくらいにめんどくさくてですね。
ヘトヘトになってしまったんですよ。
まあ、それも最近落ち着いてきて、普通の生活に戻っているんですけども。
案の定というか、当然の帰結というか、もう完全に日記書かなくなっちゃって。
いまは、フェルトのカバーのついた日記帳も、青くて綺麗な万年筆も、机のすみでホコリかぶってます。
大体、一ヶ月くらいですね、日記つけていたのは。
それでも一ヶ月続いたので、私としては頑張ったほうなんじゃないかと思います。
うん、まあ、ね、でも、そう、やっぱり、続かないですね、日記。
かの有名な探偵シャーロック・ホームズは今も僕たちを魅力する。
ホームズが魅力的なのは、僕たちができることを極限まで研ぎ澄ませ完璧にしてみせるからだ。
例えば、ワトソン博士とはじめて会ったときの推理は理由を聞いてしまえば納得してしまう。
そして最近ホームズが行っていることは実は啓発書の書いてあることと類似するのではないかと気づいた。
1ホームズは何でも疑う
これはいわゆるゼロから考えろというものではないか。できないと決めつけないのもそうである。
2ホームズは考える時にパイプを吸ったりバイオリンを弾いたりする
物事を理解するにはアウトプットがよい。紙に書いたりもそういったもの。
まだあるのだがこの辺で
https://anond.hatelabo.jp/20171024075235
批判対象として話題になっていたエントリー。批判も正しいと思うのだけど、自分が気になったのは本題ではなくて、「人権とか言うのは、カルト宗教みたいなもの」というフレーズ。
人権とか民主制とか、信じてない人から見れば、カルト宗教みたいなものなんだってこと。
人権とか民主制を軽視している人が、しばしば「保守」を名乗るけれど、彼ら<も>、人権とか民主制は、「科学的」あるいは「普遍的な」ものだと勘違いしている。勘違いしているから、人権とか民主制を批判しても、それに近いものが、社会を支えてくれると思っている。
でも、そうじゃない。人権とか民主制は「カルト宗教」みたいなもので、みんながその価値を信じることにしか基盤がない。みんなが「そんなもの大したことない」と思い始めたら、いつでも崩壊する。
そして、この点において、実は左翼とかリベラルとか言われる人たちも同じ問題を抱えている。人権とか民主制が、「科学的」あるいは「普遍的な」ものだと勘違いしているから、その価値を受け入れない人の立場が分からない。そして、対話が成立しない。
大事なのは、人権も民主制も「カルト宗教」だということ。脆く、儚いものだということを、認めることだと思う。
//////
あと、別件だが、「リベラル」という概念と、国際問題や安全保証の問題につながっているのは歴史的には正しけど、現時点での政策の問題としては分けるべきだと思う。
たとえば、自分は「憲法にかかれている国民の権利に条件を付けろ(論理的には、普遍的権利としての基本的人権を廃止せよと同義)」という意見に反対だし、それが「リベラル」のもっとも典型的な主張だと思うのだけれど、一般的に「リベラル」という言葉が指しているものは、それよりもかなり広い。
国際政治について言うと、論理的には、「リベラル」であることは、「侵略戦争は批判されるべき」ということまで導く。論理的とまでは言わないけれど、慰安婦問題見直し論とか、歴史修正主義とかに、批判的な立場になることも、「リベラル」の帰結として自然とも言える。
ただ、9条をどうするかとか、米軍基地をどうするかとかは、リベラルかどうかとは関係ない話で、リベラルの立場から、9条の維持、廃止の議論はできるし、リアリズムの立場から、9条の維持、廃止の議論ができる。実際、日本は、「民主主義の価値観を世界に広めるために、世界最強の軍隊を持つべき」という立場(だった)国と友好的関係にあるわけだ。
「リベラル」ということで、こうしたリベラリズムが中立的であるはずの問題にまで、特定の立場を取っているとみられるのは、「リベラリズム」にとってマイナスだと思う。
議員定数削減についてはここでは反対も賛成もしないけれど
「日本の議員定数が他国と比較して多くはない」というのは誤解だよ
まず前提として、そもそも議員定数が人口に比例するべきだというのはおかしいよね
その理屈だと中印の議員定数は7000人以上でも少ないと言えてしまうし
ここで人口の多い順に20か国の議員1人あたり人口を見てみると(データはWikipediaから)
国名 | 人口(2010,単位は千人) | 国会議員定数 | 議員一人当たり人口(単位は千人) |
---|---|---|---|
中華人民共和国 | 1,349,335 | 2,987 | 452 |
インド | 1,224,514 | 790 | 1,550 |
アメリカ | 310,384 | 535 | 580 |
インドネシア | 239,871 | 692 | 347 |
ブラジル | 194,946 | 594 | 328 |
パキスタン | 173,593 | 446 | 389 |
ナイジェリア | 158,423 | 355 | 446 |
バングラデシュ | 148,692 | 300 | 496 |
ロシア | 142,958 | 628 | 228 |
日本 | 126,536 | 707 | 179 |
メキシコ | 113,423 | 628 | 181 |
フィリピン | 92,338 | 238 | 388 |
ベトナム | 87,848 | 500 | 176 |
エチオピア | 82,950 | 656 | 126 |
ドイツ | 82,302 | 699 | 118 |
エジプト | 82,121 | 778 | 106 |
イラン | 73,974 | 290 | 255 |
トルコ | 72,752 | 550 | 132 |
タイ | 69,122 | 650 | 106 |
コンゴ民主共和国 | 65,966 | 300 | 220 |
力を入れたほうがいいと思ったところは、「まずいかなと思ったところ」に書いておいた。
下に行くにしたがって細かい話になるので、読みたいところまで読んで切り上げてもらってOK
・全体的に動きが分かりにくいと思うところはあるけど、そこは慣れなのでがんばってという感じ。
・掛け合いはちゃんと面白い。
読者が疲れてドロップアウトしていく感じはないので、十分だと思う。
・情報の分量的にはちょうどいいのでは。詰め込む感覚はつかめているように思う
・全体的に説明がわかりにくい。説明パートに入ると難航している気がする。
・吹き出しの形が違うから区別はつくが、誰が話しているのかがわかりにくい
一人が複数話すなら吹き出しはつなぐ。基本的に会話している二人にもう一人が割り込むなら、割り込む人間の表情を書かないとわかりにくい。
・用語はなるべく統一。違う言葉でも属性が近い言葉は似たような用語にした方が、系統立てて頭に入るのでわかりやすい。(敵性体周りの用語はもう少し練って欲しい)
・理屈付けが弱い。読者に「そんなことあるか?」って思わせてしまったら負け。
「かつて魔導は釜となり…」
それが釜になるというのはどういうことなのか。
ミスリードでもいいので、読者が推測できるような文章にしたほうがいい。
・魔方陣
なぜこの形になったのか、何らかの力学の帰結でこの形になったのかという感覚を、
作中で説明しないまでも、作者は把握している程度には持っておいたほうがいい。
細かいことを言うと、体の文様は浮かぶ途中を書いたほうが変身の様子が想像できるので読者のテンションが上がる。
索敵魔方陣は、索敵する様子(指先の陣の方から通路に光が伸びるとか)を見せた方が動きがあっていいと思う。
通貨のレートの説明はここでせずとも、おいおい明かしていけば「こいつら稼いでるんじゃん!」と見直す間を与えられていいのではないかと思う。(実際にお金をもらっているシーンで書いたほうが効果的)
序盤は必要最低限の説明以外はしないほうが、読者の思考力をストーリーに専念させられていい。
逆に、チカの名前がいつまでも出てこないと読者に名前を覚えてもらえない。
2ページ目くらいで、ミユキにもう呼ばせてしまって欲しい。
貯金やぞ
恐らく、「カジノで磨ってるのは先行投資で、いずれ取り返す」という意味なのだろうけど、
この一言だけでは伝わりにくいというのと、
交互に発言している吹き出しで、いきなり片方の発言が連続してしまうと混乱するので、
「あれは貯金や」「戻ってこない貯金?」くらいのほうがわかりやすいかも。
悪態の口は開く
なんらかの比喩に聞こえてしまうので、「悪態言う元気はあんのな」くらいのほうがいいのでは
高いんや!
…と「じゃあいっとく?」の方向性が同じなので、落ちてないというか締めを引きずってしまっている。
「魂ナシとアンノウンじゃ、もらえる金○倍やで!」とかミユキに言わせて、
逆にチカが「じゃあいっとく?」と言うことで、おまえも結局金か!みたいな二段落ちにしてはどうだろう。
ヒト多すぎ
見た感じだと言うほど多い感じに思えないので、正面の人ごみ突っ込んで埋もれながら言ってみてはどうか
ヘンな名前やねんな
・ヒロムが押し売りを追っ払うシーン
なぜ追っ払えたのかわからない。警察だとふかすくらいしてもいいのでは。
ほんまはなんも売る気無かったんちゃうんか……
もう少し照れるか怒るか拗ねるかしないと、自分がお子様扱いされてくやしい様子が伝わらないと思う。
お前ほんとひねくれてんのな
さすがにここは察してると思うので、チカに「そ、そんなことは無いとおもうよぉ」とか言わせておいたほうがチカが萌えている表現もできるし自然に流せるのでは
枯れ葉のみの呪殺が横行し
さすがにここまでカジュアルでは、今までに横行していないほうが不思議になってしまうので、
術式が凝ってるとか、術師が特別とか、コストは掛からないけど真似はできないという説明はないと
説得力がなくなりそう。
読者が理由を想像しづらいように思う。「自立活性魔導素子」という言葉を作ったのだから、
「自立成長」ではなく「自立活性」「活性化」のほうが分かりやすいのでは
「経年・信仰による素子の蓄積、存在意義獲得による活性化、そして他者の魂の直接摂取です」
(「社会性」というのは、集団の思惑による魂の発生と解釈したので「信仰」と言い換えた)
漫画の肝であるルールの提示はなるべく分かりやすく、あとから見返えせば理解できるようにしたい。
・発端の説明が少し雑すぎる
「教えて」を「殺して」と書き間違えることは「さすがにない」と読者に思わせてしまう
手引き
「手続き」か「手順」の間違いでは?
ここは「自立活性魔導素子」という用語を使ったほうがいいのでは
「足がかり」「希」
どちらも通じるが、あえて通じにくい方の言葉を使う意味はなぜなのか
嫌っているのは現地民として、助けにきたところをなぜわざわざ殺すのか。
全滅しているような状態なら、誰かを嫌っている余裕はないのでは?
行方不明てなに?
先の行方不明22名への対応なのだが、読者は流す部分なので伝わりにくい。
「行方不明22てなに?全滅ちゃうん?」とか、もう少し説明がほしい。
もしくは「行方不明22名」と書いてあるシーンで、ミユキになんらかの反応をさせてほしい。
授業で言う「ここ、テストに出ますよ」みたいなガイドがほしい。
煙に巻くべく
行政のごまかしはありとして、住人の不信感に警察が屈するというのもおかしい。
捜査が棚上げになったというなら、臭いものに蓋をしたい政府側の思惑か、
これ以上関わって欲しくない住人の非協力的態度による迷宮入りでは?
本体と遭遇し~
この辺りに説得力を持たせたいなら、呪術的なアプローチで調査をするなどの説明が必要なのでは。
・死の条件について
「窒息」と明言されているのだから、「息を吸ったらアウト」ではなく、「酸素が切れたらアウト」では。
「水中にいるのと同じです」といった説明をしたほうが、読者には想像しやすいのでは。
解呪は?
生還者0でこのやり取りは無理があるかと。
・落ち
さすがに無理矢理すぎるのでは…
・3話に関しては、2話でのルール設定が固まってないので、話が転がらなくなってしまっているように思う。
6年という月日が流れているなら、主人公たちが存在をしらないのはおかしいし、
今更カルトが暗躍したところで、シャットアウトは完了しているのだから、
話が行き詰ってしまった印象を受けた。
「〇〇はある(ない)」という話をするときに、〇〇の内容が曖昧なら論じようがないと思うんだけど、そういうところが気にならない人もいるらしい。
「差別」を「不合理な区別であり、かつ、許されない(自由が認められない)行為」と定義するならば、「差別する自由」は、差別の定義からして、ないことになる。
他方で、「差別」を「不合理な区別」と定義するならば(厳密に言えば、不合理、区別も定義する必要がある)、「差別する自由」の有無は、「不合理な区別の自由」に依存する。
(ここでいう「不合理」に「許されない」という意味が含まれるなら一つ目の差別の定義と同じ帰結にたるが、普通はそのような意味までは含まれない。)
第一の定義をとると、ほとんどトートロジーになるので、第二の定義をとるとしよう。
特定の行為を示して、「この行為は許されるべき(この行為をなす自由はあるべき)だから、差別する自由はある(べき)」というのも、当然には成り立たない。
まずは、当該行為が、「不合理な区別」にあたるか考える必要がある。
モスクの持ち物制限・服装制限の例で言えば、一般的な理解では、これは不合理な区別ではない。
モスクは所有者・管理者には、財産権の一環として、誰を立ち入らせるかを決める権利がある。
「特定の持ち物や服装をしている人は、立ち入らせない」ということも、この権利に含まれるのである。
そういう意味で、モスクの持ち物制限・服装制限は、不合理な区別ではない。
(不合理な区別だとしても上記の権利が優先される、という言い方をしても良い。)
だから、モスクの例を出して「差別する自由」はあるといっても成り立たないのである。
これが、モスクではなく、国が所有する施設であったら少し話は違ってくるだろう。
彼女が欲しい。
切実にだ。
恋愛というものを、二次元で疑似的にしか味わったことがない、あの恋愛をしてみたいんだ。
もう30歳にもなっても恋愛したことがない俺は経験多き増田から見ればカスだ。
気持ち悪い30過ぎのカスがどこにぶつけようのない思いをネットに書きつけているんだと冷ややかな目で見るがいい。
そうだよ、心から人を好きになったこともないよ。
そもそ好きになっても、このご時世、男側は何かしらのハラスメントを掛けることにしかならない。
人を好きになるのは何ハラだ?
そして彼女が欲しいと言えば
本当に簡単に言う。
え何で行動しないの?と平然に。
30過ぎまで彼女ができなかった奴が、すぐにそのための行動ができると思うとか馬鹿か。
できないから今の俺があるんだよクソが。
でもあんなスペックのぶつけ合いのところで俺の居場所はなかった。
経験多き増田よ、こうやって非モテは詰んでいくんだ。わかるか?
そして日々の忙しさに流れて生涯未恋愛者が出来上がっていくのだ
--------------------------------------------------------
追記です。
数多くの経験多き増田よ、こんな愚痴に多くの助言(一部投石)をしてくれてありがとう。
友人に関して、実際に気軽に食いに行ける友人は10人はいるが、彼女できていない時点でそんな友達は友達じゃないし、
お前は友達として見られていないという理論に帰結してしまう増田の地獄よ。
こんな俺に、友人はいることすら許されていないのか、経験多き増田よ。
女の伝手の有るなしで付き合っているわけではないのだ、すまんな。
二次元のような疑似的な恋愛というと、白馬の王子様を求めるような脳内アーパー感が増してしまったが、
その先にあるのは、他人に与え、他人から得ることができる、信頼であり、承認である。
そして、そういう状態でイチャイチャするのマジで幸福感すごいんじゃねというものである。
これを期待することも許されないことなのか。
女はヒトだ、人間だ。俺はミソジニーに陥りそうなとき、そう自分に言い続かせてきた。
あくまでも対等であるこそ、その上でお互いに関係が築けていかなければと信じている。
むしろ、そんな特別視する奴は我々の中においても例外も例外だ。
経験多き増田よ、30過ぎのカス(俺個人)が無様にあがいている様子を見て楽しんでくれて何よりだ。
こんな奴がまだ。この全男子草食化まったなしの現代においてもいることを知ってほしかった。
そしてこんなこじらせている奴がいることを世間のこじらせ女子に認知されることを願う。
え、こんな男子いるならこじらせている同士うんたら。
あわよくば、あわよくば。
この問題はカントの言う定言命法と、ベンサムが言う功利主義の違いに帰結するのだろうか
元増田が言うように内心、つまり行為の意図・動機を判断材料とするのか、行為の結果を判断材料とするのかの違いなのだろう
ひいては、リバタリアニズムとリベラリズムの違いなのかもしれない
いや、それ以前に
親であろうが他人であろうが、子供の写真を勝手に撮ってアップロードするという行為自体に問題はないのだろうか
子供を保護監督する責任と権利はあるだろうが、写真のアップロードは保護監督の範囲なのか?
「子供は十分な判断能力がないので、保護監督する必要がある」という発言は、
日本国民の「右傾化」が叫ばれて久しい。現政権は「保守政権」と自称している。
なるほど、保守。たしかにそのネオナショナリズムは過去に立ち戻るような考え方のように映る。
しかしながら私はこの保守、あるいはネオナショナリストこそ日本国において最も急進的で未来に希望を託している人種なのでは無いかと思えてならない。
現代日本はさながらラピュタのようだ。我々の足元には確たる基盤がなく、ゆらゆらと宙に浮いている。それには様々な原因があるだろうが、今回は三つの思想的敗北によるということで話を進めていく。
まず、第二次世界大戦の敗戦がある。明治以来国民を支配してきた全体主義・国粋主義が間違いであったことを身を以て知った我々は頼るべきイデオロギーを失った。1回目の敗北である。
次に我々が依拠せんとしたのは共産主義である。ソ連や他の共産国の秘密主義のためにその惨状を知らない日本人は共産主義的桃源郷に夢を馳せた。東大闘争に始まったこの熱は日本中をのぼせ上らせたが、セクト間争い、連合赤軍、そしてソ連の崩壊と暗黒面が目につき、我々は夢から醒めた。
バブル崩壊。アメリカ式資本主義は敗戦からずっと生き残り続けた。奇跡の復興、宗主国アメリカのど真ん中の大きなビルを買えるくらい、日本は資本主義化において成功を収める。しかしそれは文字通り膨らんで行く泡であり、遂には弾け、資本主義さえも信じられなくなった。
無主義・無思想・無宗教の日本に残されたものは、敗戦国という烙印と無機質なハコモノだけであった。今までならば誇るべき別の点のお陰でさほど気にしないで入られた「戦後レジーム」が今更になって癪に触る。
こうしたアイデンティティの喪失によって創り上げられたのがネオ・ナショナリズムである。
先に「ネオナショナリズムは過去に立ち戻るような考え方のように映る」と書いた。しかし歴史上どこに立ち戻るべき過去があるというのか?日本帝国の政治体制が戦禍を巻き起こし(彼らが全てアメリカの陰謀であると主張したところで同じことである。米国にまんまとしてやられ冷静さを失う体制のどこが間違っていないというのか)、華々しい経済も泡沫と消えた。立ち戻るべき場所は本来どこにも無い。では彼らはどうするか?
美しい日本、日本帝国の真実。書店に立ち寄れば過去を美化している本が並んでいる。しかし彼らの言葉の指す「かつての日本」は過去をベースとしたファンタジーなのである。
かの有名な江戸しぐさを思い出して欲しい。教科書にも掲載されたデマであるが、あれは全く過去をベースとしたファンタジーである。いわばベイマックスのフランシストーキョーや銀魂の大江戸のような「そうであったかもしれない日本」の姿であり、それは過去に存在していない以上幻想以外の何者でも無い。
当たり前の話だが、戦前の日本を知るものはもはや生きていない。戦争の怖さは子供にもわかるだろうが、怖い社会を感ずるためにはある程度の年齢が必要だから。誰も知らない、ということは現在の我々が過去を思う時、そのほとんどは幻想に頼るしかないということである。モニターの奥の二次元世界となんら変わらない。現在と過去との間には次元を隔てる障害があり、こちらからあちらへは干渉できない。
たしかにアニメのネオ日本は格好がいい。しかしそれを現実で語ればアニメ脳、ゲーム脳と言われるのがオチだろう。同じようなことをやっているのがまさにネオナショナリスト達なのである。
ネオナショナリストは現時点での閉塞感を解消するためにカッコいい幻想を過去に投影した。そして「これに戻るのだ」と主張しながら未来を作ろうとする。
結果、彼らは前しか向いていない。過去を省みてはいないではないか。これがいわゆる保守こそが進歩的な人たちだという理由である。
私は右傾化を否定も肯定もしない。戦後から不安定さの解決のために右往左往してきた日本人を思えば、当然の帰結だろうと思う。お粗末な思想、主張だが、日本国民がそれを望むのであれば、それも良かろうと思っている。なに、高い授業料になったって構いやしない。
ただ、一つだけ加えておきたいことがある。私は先程からネオナショナリストの思想の根本は幻想、ファンタジー、アニメ的だと主張してきた。幻想、現実ではない、ありえないものなのである。つまりは霊的なもの、神的なもの、呪い的なもの、それらと変わりないオカルティズムだ。オカルトによって国が動くのだとしたら、あなたは怖いと思うだろうか、素晴らしいと思うのだろうか、それを尋ねてこの紙片にピリオドを打ちたい。
俺は「裏で言うと」なんていう数学用語をわざわざ使えとも言ってないぞ。「逆に言うと」なんて前置き付けなきゃいいだけだろ。そのくらいのことも思いつかないの?
逆と呼ぼうが裏と言おうが、俺の言ったことからお前の言ってることが論理的には帰結しないことは確か。
他人に「人殺し」と呼ばれることは、たしかにそんなに頻繁にないかもしれないが、だからどうした?他人から「痴漢!」と呼ばれて痴漢に間違えられることも、「泥棒!」と呼ばれて万引きに間違えられることも、なかなかないよな。頻繁にあることではないからこそ、あらかじめ議論して対策しておく必要があるんだろう?