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はてなキーワード: 小学校とは

2021-11-29

anond:20211129121057

俺逆に小学校入ったらギャンブルOKにして、ギャンブル中毒を早めにあぶり出して矯正させたほうがダメージ少なくてよくねとか思うんだが

身を滅ぼすほどに賭けなければ流動性のある金としてギャンブル有用

2021-11-28

はいじめっ子ということになるの?

小学校の頃、不潔な見た目のせいでクラス全員から避けられてたやつがいた。クラス全員なので俺もそこに入っている

これはいじめなんだろうか。たとえば今だって大学で不潔な人とかいたらまず関わらないでしょ。

はいじめっ子ということになんのか?

子供の育成チャートを組んでみるか

3歳まで童謡絵本読み聞かせにより言語視野を発達させる

5歳で運動させ8歳までの運動神経の発達を伸ばす

絵と楽器水泳を習わせて身体スキルを伸ばす

小学校から野球チームに入れ協調性を学ばす

中学受験させ学力を伸ばす

高校大学受験のために塾へ行かす

大学一人暮らしさせる

2021-11-27

大好きな愛犬を安楽死させました

タイトルの通り、20年近く一緒に過ごしてきた愛犬を安楽死させました。2ヶ月と少し経ちますが彼のことを考えて毎日涙が止まりません。少しでも自分気持ちに整理をつけられればと思い、はてな新規登録し筆をとってみました。彼との出会いからまとめていこうと思います

彼との出会い2002年の2月

物心つく頃から過ごしてきたオンボロ社宅が取り壊されることになったのでペット可新築マンション引っ越しから数ヶ月が経った頃。

せっかくペット可なのだから落ち着いたら犬を飼いたいね、とワクワクしながら家族で話していました。その当時は"どうする、アイフル〜"のCMが大流行しており母と私は、飼うならチワワでしょ!とチワワ推しだったはずなのだ夜遅くに母のコートで包むように抱かれながら我が家にやってきた仔犬はミニチュアダックスフントでした。生後2ヶ月のブラックタン

まれて初めて仔犬を見た小学校低学年の私は、そりゃーもう可愛がりたくて仕方がなかった。

しかし両親が彼を連れて来たのはブリーダーさんとのやり取りに時間がかかったこともあり22時を過ぎており、私はもちろん小さな彼もお布団に入る時間だったため寝るよう促す母に「連れてくるまで抱っこしててずるい!」「わたしもその分抱いて寝る!」などと悪態をつくも、一緒に寝たらケージで寝なくなるからダメだと言われ興奮する気持ちを抱えながら一人で寝ることになりました。

(翌朝、鳴いてて可哀想だったからという理由で彼と一緒に寝ている兄が発見された)

初対面したその日はスキンシップを取ることがほぼ出来ませんでしたがその後は勿論一緒に寝たり、名前決めで一悶着あったり、チワワ喧嘩を売って敗走したり、食欲旺盛で人間ご飯すら虎視眈々と狙ったり、参観日で留守番させたらケージ内に大を撒き散らしていたり、ここには書き尽くせないほど様々なことがあり、退屈しない日々が続きます

共働きの両親や、部活や塾バイトで帰るのが遅い兄達。いつでもすぐそばにいてくれる彼の存在はとても大きなもので愛する弟でした。

2017年の2月。兄達はとっくのとうに家を出て、両親と私、彼の4人暮らし。私の出勤時に、眠っている彼を置いて買い物ついでに両親に職場まで送ってもらい、お昼休憩の時にiPhoneをチェックすると母から連絡が。

電話して話を聞くと、買い物が終わり家に帰るといつも走ってお迎えに来るはずの彼が居ない。珍しいと思い探すと私の部屋の隅でか細い声で彼が鳴いており、そのまま動かず様子がおかしかったのでかかりつけの動物病院にいったところヘルニアと診断されたとのこと。症状は重く、紹介していただいた隣県の専門医での手術を決めました。

当時14歳だった彼が全身麻酔に耐えられるか不安でしたが手術は成功し、リハビリをして多少フラつくものの介助もなしに歩けるようになりました。(後ろ足の筋肉が弱り前足の筋肉が強くなり逆三角形のムキムキ体型になって先生も笑ってた)

そして、家族の不在時にヘルニアになったため、今後は家には常に誰かが居るようにしました。

ヘルニア以外には手術することもなく、車に轢かれてもほぼ無傷だったという過去もあり我が家では無敵の犬と呼ばれていた彼ですが、2020年の冬頃歯が痛むのか食事しながら鳴くことが増えました。かかりつけで歯周病との診断を受けましたが高齢なので抜歯も難しく投薬のみとなりました。

父が亡くなり、かかりつけではなく、家の近所の動物病院に通うことも増えました。そのまま年が明け、20歳の誕生日には何をしようかと考えていた2021年の6月。歯を痛がる頻度が高くなり近所の動物病院にも不信感が募ってゆき、かかりつけの病院へ行くと歯石が口の中に当たっていることがわかりました。

麻酔なしでチョチョイと歯石を取ってもらいこのまま薬を飲ませて様子を見れば良くなるかと思いきや、次の受診時には歯石が当たっていた箇所が小さなさな黒い腫瘍になっていました。

その腫瘍は癌の一種メラノーマでした。大学病院に紹介してもらったり、顎の骨が溶けていたので胃瘻の手術をしたり、藁にもすがる思いで治験を受けたりしましたがみるみる彼の病状は悪化していきますトイレに行くことも寝返りも打つこともできない彼のすぐとなりに母と並んで眠り、1時間半おきに彼の悲しい声で目が覚める。

その度に寝返りを打たせたり、撫でてみたりしながらまたうつらうつらとする日が続きます

大きくなった腫瘍のせいで目も閉じられなくなり、てんかんの発作も起きはじめ、ついには腫瘍が喉に転移し呼吸も荒くなり落ち着いて眠ることもできなくなったため酸素室をレンタルすることにしましたが、2、3日もすると酸素室に入りたがらなくなりました。

酸素室に入れるとロクに動けない体を無理矢理動かして鳴くのです。

酸素の量は減りますが背に腹は変えられないので酸素マスクを口元に持っていきますが、顔の向きを変えて嫌がりますご飯を吐くようになりました。

1日中目も虚ろで、苦しそうに鳴く彼。

母が、これ以上呼吸も出来ずに苦しむのならば、と。かかりつけに電話をして、安楽死をお願いしました。

いつも行っていた公園カートでお散歩して、タクシーに乗り病院に。

最初の鎮静剤を打たれる時、少し身を捩って嫌がる彼を見て、病院では泣かないようにしようとしていたのに涙が溢れ出てきました。

目が見えてるかもわかりませんが最後まで視界に入りたかったので診察台の上に横たわっている彼とずっと目が合うようにしていました。

そして処置が終わり、彼は見ている限りではとても穏やかに息を引き取りました。

帰りは30分以上かかる道を彼と母と私の3人で帰りました。相変わらず9月の半ばだというのに暑くて暑くて汗と涙と鼻水でグシャグシャです。こんなに暑くなければもっともっと散歩行けたのにね。

家に着き、母は何度も彼を抱きしめていました。私は力の抜けた彼の体を抱きしめることが怖くて、横たわっている時に撫でることしかしませんでした。そのうちに死後硬直が始まり、抱きしめておけば良かったと後悔するのですが。

2日後、兄にも見守られながら彼は骨になりました。

寝ている父の頭に粗相したり、兄の局部に噛み付いてぶら下がったり私達の躾が行き届いていないトンデモ馬鹿犬の部類に入る彼ですが本当に可愛い子でした。大切な家族でした。

そんな子を自らの意思で殺しました。

会いたい、寂しいと思う度に殺した癖に、とも思ってしまます

でもやっぱり会いたいです。あのキラキラな瞳で見つめられたい。美味しそうにご飯を食べるところが好き。お散歩してる時の後ろ姿が可愛いクリクリ耳毛を触りたい。お尻をもみもみしたい。肉球香ばしい匂いを嗅ぎたい。また海にも川にも山にも行きたい。そんな思いでいっぱいです。

まさかこんなことになるとは思っていませんでした。天寿を全うして老衰で亡くなると思っていました。今年の誕生日も一緒にお祝いできると思っていました。

大切にしてきたつもりでも全然足りていませんでした。彼から一言恨み言でも聞けたら楽になるのにな、なんてズルいことを思ってみたりも。

私はこれからも彼の命を奪ったことに責任を持ちながら、その重さを負いながら生きていくしかないと思っています

何にもまとまっていませんがそろそろ終わろうと思います

ここまで読んでくれる方がいるかわかりませんが、もし読んで下さったならありがとうございます

2021/12/21追記

たくさんの反応いただいていたみたいで驚きました。

一番初めについたコメントを見て、まあそりゃそうだよな、と思いそれから確認せずにいたら思っていた以上に暖かい言葉をくださる方が大勢いらっしゃって……。今更にはなりますが全て読ませていただきました。涙がドバドバと溢れ出て大変汚い顔面になりましたが、本当にありがとうございます

一部父について触れている意見がありましたが、意図的に省きました。予期せぬ父の死だったので母も私も心が砕けそうになり、更に翌年には祖父が亡くなるも葬儀に出ることも叶わずまた心がバッキバキ!…なんて事もありましたがその時の悲しみや苦しみを書くことは本筋ではないし、長くなりすぎると思ったので。でも、その辛い時に彼にたくさんたくさん助けてもらったので書いても良かったかもしれないですね。

で、なんでここを覗いたかというと先日とある出来事がありまして。

彼を失った時に苦しかったので新たにペットを迎える気は更々無かったのですが、たまたま寄ったペットショップで彼に瓜二つな子と出会って目を奪われてしまいました。いやいやそんなまさかと思いながら誕生日確認すると彼の命日の次の日で。母と二人でショーケースの前で号泣。彼の生まれ変わりなんだとしたらまた辛くてもいいから一緒に生きていきたい、と思ってしまいました。生まれ変わりなんてあるか知らないですけど!!!!!!!!

というわけでした。勝手運命を感じただけなのでこれからどうするかはわかりませんが。

長々と追記までしてしまい、ここまで読んでくださった方ありがとうございました。

やさしくない世界

①老人や妊婦が込んでいる電車に乗ってきたら、確実に彼らを席に座らせるために電車からおろして、空いている電車が来るまで駅で待たせる

②報告する・連絡する・総括する(検討評価する)のほうれんそうが徹底されている

自分がされて嫌なこと以外は人にしてよいと教える

④道で困っている人がいたら、声をかけずにSNSで道で困っている人がいたことを報告し、その投稿を見た人は総括する

通知表クラスメイト全員から評価欄がある

一年に一度、市区町村単位陶片追放(オストラキスモス)があり、選ばれると当該市区町村10年立ち入りできなくなる

⑦姥捨て山のボスが入れ替わったニュースがワンシーズンに一回くらい放送される

バスバス停のあるところにきちんと停まる

限界集落公民館前にあったバス停は今は県庁所在地ファミマの前にある

限界集落公民館前には隣の限界集落小学校前のバス停がある

電車はまだ来ない

anond:20211125210527

からそれが普通な時点でもうこの国は貧困なんだって

考えてみろよ、普通に学校出て普通に働いてる普通人間外食も娯楽もせず家も嫁も車もない、それが普通ってこんな国絶対滅びるやん

まあかく言う俺も最近気付いたけどな、貧困ってこういうことだったんだなって、小学校で習ったアフリカガリガリの子供みたいなのが貧困だと刷り込まれていたけどあれは極端な例であって、実際はみんな自分らが貧困って気付かないで貧困になれるんだなって

第5章 ニートマンセー

前回 https://anond.hatelabo.jp/20211125221032

人生の行く先は、2chのトップページに置かれていた壺の色だった。

大学に通い出した私が思い知ったことが4つある。

1 オタク教師以外とのコミュニケーションの仕方がもはや分からない

2 プログラミングはやはり自分には向いていない

3 とにかく就活の準備をしなければならない

4 就活の準備をするためにはサークルバイト勉強を頑張らなければいけない

それは致命傷じみたコンボとして繋がった。

開幕小足が入ったらそのまま10割のクソゲー

というほどではない。

ただ反撃の機会がないまま画面端で起き攻めを喰らい続け負け続けて4ラウンドを使い切った形である

何故、勉強ぐらいは頑張れなかったのか。

簡単である

「こいつらには流石に勝てる。だって俺の通ってた学校は仮にも中高一環で割とみんないい大学言ってるんだぜ?」

なんて思って見くびっていたからだ。

実際はゲームオナニーしかしてない7年間だった。

勉強なんてほとんど出来ない。

必死問題文をゲーム的に読み込んで4択を2択にまで減らして運ゲーを繰り返していただけだ。

クイズゲームの要領で受験をやって、それで入った滑り止めだ。

まりは、ゲーム的に問題を解く能力が低い代わりに自分より基礎学力が高いやつなんてすでに腐るほどいる中で舐めていたのだ。

勉強で結果出すからバイトしねーわ。

サークル時間無駄っしょ。

でも俺、地頭勉強できるから勉強はほどほどで。

意味不明勘違いの中で大学時代は浪費された。

就活が始まると、手持ちの弾の無さに愕然とした。

ソレ以上に、振り返ってみると成績が思ったより悪いことに驚いた。

なんだか全てが嫌になった。

そして、大学に行かなくなった。

滑り込み単位をかき集めた。

無気力課題を提出しては助教から「いっそ丸写しぐらいしたらいいのに」とたしなめられた。

ボロボロ卒論発表。

脳が記憶ロックをしていたので何を研究していたのが思い出せない。

しゅごい……トラウマって本当にありゅんら……。

モチのロンで、就活は失敗したままで大学卒業した。

就活浪人である

ひとまず、現実から逃げるためにゲームネットをして過ごした。

半年ほどがたち、親と喧嘩をし、流石に不味いなと思って

「実は公務員試験勉強してたんだよ!」

といきなり口走った。

実際に願書は出していた。

もちろん勉強はしていないが、願書だけだしていた。

なんで公務員なのか。

楽そうだと思ったからだ。

流石に親の目がキツいので公務員試験勉強が始まった。

1年目、当然落ちる。

ただ手応えはあった。

公務員試験理系選択すれば実はかなり楽勝だった。

ぶっちゃけ理系勉強なんて大学でもあんまやっていない。

プログラミングの基礎教養としてちょっと数学をしたぐらいで、ぶっちゃけ文系に近い。

だがそんなの関係ねえ。

パソコン理系っぽいだろ?

まあ暗記苦手だから社会科勉強し直すよりは科学のが楽なのよね。

小学校の頃は得意科目だ(と思)ったし。

問題の中には中学受験の頃にやった算数パズルもあったし、簡単プログラミングもあった。

中学受験組でプログラマー崩れの自分には何げに色々と有利だった。

1年目に落ちたあとは猛勉強のためにファミレスとかで勉強を始めたが、だんだんこれは行けるなと思ってこっそりゲーセンに通ったり古本屋時間を潰したりするようになった。

親が見ている時間だけ頑張るくせがついて、親が帰ってくる前にオナニーして寝て夕方だけ勉強して夜ふかしする生活にもなってきた。

うっすら死を感じた。

これは駄目なパターン

失敗することのメリットに「これ同じ失敗するやつだな?」と気付けるようになることがある。

そこでなんとなく引っ張られてしま不思議な引力があるが、そのとき自分はソレを振り切れていた。

今思うと凄いな。

受験直前の3ヶ月ぐらいは頑張って普通生活をし、普通勉強をしていたので試験は受かった。

面接は「大学時代は自堕落だったけどここ最近めっちゃ健康的な生活をするようになって~~~」とベラベラ喋って心を入れ替えた感をアピールしてなんとか一次は通った。

二次で落ちた。

一次で通ったことに自信をつけたのか、適当公共事業関係がありそうな職場面接に行った。

筆記テストが出されたが、公務員試験をやったばかりなので簡単に解けた。

面接では「公務員試験落ちちゃったけどやっぱ人の役に立ちたくて」とどこまで本音なのか、そもそも嘘だとして言って得があるのかもわからないことをずっと喋っていた。

でも私にはもうそしかない。

そもそも最初から無い。

プログラマーになることを諦めるのが遅かったし、そうじゃなかった可能性に対する準備が足りてないし、そもそも人生でまともに頑張った回数が少なすぎる。

友達も少なすぎる。

あっさりだった。

私は、なんか公共事業っぽいことをしてるっぽい会社に入ることになった。

次回 https://anond.hatelabo.jp/20211127202908

謝ったんだから許してくれるべき

って、小学校の学級会レベルから成長してない大人は困るワネ…

2021-11-25

anond:20201129002847

非常に共感できる文章だった。きっと同じ道を通ってきたのだなと思った。

私は子供の頃から自分で読んで楽しむためだけに、登場人物怪我病気で苦しむ小説を書いてきた。当時はネットを使えなかったから、読みたければ自分で書くしかなかった。自分以外に同じ趣味人間を探す方法もなかった。自分で好きなように小説を書いて読んでいると、なんだか安心するというか、癒やされるというか、心地よかった。なんとなく他人に知られてはいけない、恥ずかしいことだという感覚はあったが、それが性的な興奮であるという認識は無かった。セックスという概念すら知らない子供知識想像できる「エッチもの」といえば、せいぜい女性の裸体くらいのものしかなかった。それから少し大きくなり、セックスオナニーについて性教育レベル学習を受けたときは、「今はまだ分からないけど自分もいずれセックスに興味が湧くのだろうか」などと考えていたものだ。

中学生になるとインターネットが使えるようになり、とりあえず好奇心からオナニーの具体的な流れや方法などについても調べた。病気萌え小説を書いている時に本能的な衝動オナニーをして、「イク」という感覚体験として知り得てから、ようやくこれが私の性欲なのだと気づいたのではなかったかと思う(目覚めの詳細はもう忘れたので半ば推測)。

病気が好きな気持ちを性欲と結びつけることができたおかげで、「病気 萌え」や「病気 フェチ」などのような、性的検索ワード使いができるようになった。世の中には自分と同じ趣味人間存在するのではないか、という可能性に思い至ったのは小学校高学年で堀辰雄風立ちぬを読んだときだったが、それから数年越しでネット検索して辿りついた2chピンク板でその思いは確信に変わった。

あれから13年、病気萌え小説はわざわざ自分で書かなくても、ネット比較的容易に手に入れられるようになった。書き手も数え切れないほどにいる。小説のみならず、興奮材料として十分な音声や動画すらも手に入る。

それでも私が未だに自分小説を書き続けているのは、ひとえに自分で書いたものが一番萌えからということに尽きる。小説サイトにも投稿したことはあるが、ごくごく一部だけだ。書いたものほとんど公開しない理由簡単で、たいてい書いている途中で興奮してきてオナニーして満足して寝てしまい、人様に見せられるほどきちんとした文章に仕上がったためしがないからだ。

ところで、小説というか文字媒体の良いところは、地雷を踏みにくいところだと思う。私は空想上の人が嘔吐下痢をしている状況は好きだが、リアルな吐瀉物や排泄物ビジュアルは嫌いだ。作り物であっても不快だ。我ながら面倒な嗜好だとは思う。だからスカトロAVには手を出せない。視聴覚に訴える媒体は、好みに合わなかった場合に味わわされる不快感が暴力的だ。

その点、小説ならば、文字を読んで思い浮かべるイメージは全て自分自身の想像力の範疇に収まるものしかない。極めて安全世界だ。読んでいて好みに合わない表現が出てきそうになったら、そっとページを閉じるだけで、最小限のダメージしかわずに済む。

どんどん脱線してきている気がするが、このまま続けてみる。

病気萌える体質のやっかいなところは、日常生活で不可避的に「性的な」場面に直面してしまうことだ。たとえば異性の人間の裸体や性器セックスに興奮する体質の人であれば、一般的社会通念が、その人が生活する上で無闇に性的刺激を感じなくて済む権利保証されていると言っていい。もちろん完璧ではないが、少なくともゾーニングはされている。

その点、病気萌える体質の人に対しては、誰もその性欲をみだりに刺激しないように配慮してくれたりなどしない。最近でこそ見かける機会が減ったものの、私のような人間にとっては「性的」でしかない、発熱をおして働きに出る人や、街なかで苦しげに咳き込む人などはいくらでもいた。これを一般的な性欲の人に置き換えて考えたとしたら、私は日夜、大勢露出狂の人に囲まれて生きてきたようなものではないか

リアル人間を性の対象としないで、一人で小説を書いて読んで興奮するのは、セックスとは似ても似つかない閉鎖的な行為だと思う。倒錯しているという点については弁解のしようもない。こんな性欲を持っていてもろくなことはないから、せめて普通にセックスに興奮するようになりたいと思う。そうはいっても一向に治る気配はないので、このまま生きていくんだろうなと思っている。

出身小学校が一緒だと殺意なくなったりするんか?

同じ学校からこそ憎しみがつのるんだよなあ

2021-11-24

リカちゃん人形エロいことした思い出

当時小学校低学年だった私と、2つ上の姉、そして姉の友達の間で、よくやっていた秘密の遊びをふと思い出した。 

当時、我々はリカちゃん人形にはまっていた。リカちゃん人形というのは脱がせると案外エロいというのは皆さまご承知の通り。

秘密の遊びというのはこうだ。一人一つリカちゃん人形を手に持つ、リカちゃん人形同士で乳繰り合わせる。

言語化するとひどくくだらないが、小学校低学年の我々にはひどくインビな遊びだったのだ。

自分性癖を書いて整理したいだけ

気持ち悪いと思う人もたくさんいるだろうから自己責任で読んでね。

私はものごころついたと同時に目覚めた。

初めは「おかいつ」の着ぐるみ着ておにいさんたちが踊ってる歌だったと思う。全身タイツも顔だけ出てる着ぐるみも、見ていると羞恥心でいっぱいになった。デフォルメされたかわいいクマや犬、もしくはモノ(エンピツとか)の着ぐるみから人間の顔が出ていてそこだけリアル。ああ、いい大人がこんなものに入れられて可哀想。なんだか見ていてむずむずした。

自分が動けなくなるのも好きだった。遊びで布団にぐるぐる巻きにされて動けなくなって、必死にもがくのが何とも情けなく恥ずかしかった。

初めてオナニーをしたのは幼稚園児か小学校1年生の頃で、リビングの机の脚でやって酷く怒られた。でもやめられなくて人目を盗んでやった。パンツの中にティッシュを詰めたりタイツを履いたりしてより気持ちよくなる方法を探した。寝転がって手ですることも覚えた。布団の中で隠れてやるようになった。学校でも机の下でこっそりした。

アニメ妄想でも「囚われの姫」「拷問」そんなのばっかり考えた。

この行為名前を知ったのは中学生ときで、たいそうびっくりしたのを覚えている。家のパソコンでたまにそういうのを調べることはあったけど、見たいのは別に男女の裸とかではなかった。どういう言葉で調べたらいいのか、それすら分からなかった。

ケータイを買ってもらうと当然いろいろ調べた。自分の好きなジャンルが「BDSM」「ヒロインピンチ」「陵辱」「全タイ」「ボンテージ」「着ぐるみ」などだということが分かった。男性向けAVを見ることが多かったが本番行為には興味がなくいつもそこで止めていた。女の子の甲高い声も好きじゃなかった。

今わかってるのは、とにかくかわいそうで情けないジャンルが好きってこと。変な格好させられてギチギチに拘束されたい。縄でもガムテープでも鎖でも枷でも拘束衣でもシャチ浮き輪でもOK。そのままほっとかれてたい。肌は見えない方がいいけど痛いのは嫌。世に存在するらしい「ご主人様」に奉仕したいとは思わない。ただ物語の中で、不本意に捕まっていじめられたい。ドラマ撮影として縛られるのも良い。あくまでそういう設定の中で楽しみたい。強気で出て心を折られたい。

昔よく妄想したのは、誘拐されるやつ。無理やり連れていかれた先はそういうお店だったり奇妙な性癖もつボスがいるところで、自分以外にも女の子がたくさんいることもある。全身タイツ着ぐるみでお客さんやボスを喜ばせる。彼らに直接なにかされるわけでもなく、ただ芋虫着ぐるみに入ってもぞもぞ動くのを鑑賞されたり、小魚着ぐるみを着て大きなくじらに飲み込まれてり(する体のショー)。とてもAVじゃこんなのないか小説漫画の方が好き。

ついでにそれ以外に対する許容範囲も広い(と思ってる)。レズもやってみたいと少し思うし、それ以外もまあいろいろ。

自分のように幼い頃から目覚めて今もこうして人に言えない歪んだ性癖を持ち続ける人はどのくらいいるだろう。多分思ったより沢山いるんだろうな。一貫性のない性格自分が唯一持つアイデンティティとすら感じる。

まとまりのない文章になりすみません。読んでいただいた方ありがとう

愛知弥富市中学校生刺殺事件ニュースにふれて昔のことを思い出す

中3男子、校内で刺され死亡 包丁で、同学年の男子逮捕愛知県警

https://www.jiji.com/amp/article?k=2021112400390

痛ましい事件が起きた。

ネット上で飛び交う情報によるとLINEグループから外されたことに抗議して被害者生徒を複数回刺したとのこと。

LINEグループから外されたくらいで普通そこまでするか?と犯行動機驚愕していたのだが、私の奥底に眠っていた小学生時代とある少年との記憶がふと蘇った。

彼はMくんと言い、一学年下の男の子

引越しに伴い私の通う小学校に転校してきたのだが、背が小さく顔も童顔で今で言うショタ属性を持っている様な子だった。

学校帰りや休みの日にはよく近所の子たちと一緒に遊んでいた気がする。

ちょっと変わった子で彼は常にサンダルを履き、短パン姿で過ごしていた。

厨二気質で、常にポケットにはハサミを入れて持ち歩き、高学年にも臆さず向かっていく様な子だった。

誰が聞いたのか、なぜいつもハサミを持ち歩いているのかと問われた時には、ポケットからハサミを取り出し自分首にハサミの刃を当てて喉を切ろうとしていた。

当時の私は痛そうだとか呑気な感想を持っていた気がするが、今思うと彼はヤバい奴だったのかも知れないと思った。

彼は喧嘩っ早い性格同級生や高学年の子しょっちゅう喧嘩をしていた。

時にはポケットに入れたハサミを振り回す事もあった。

ただ喧嘩が非常に弱く、いつも喧嘩相手に負かされては泣き喚き発狂していた。

一度発狂して泣き喚いているMくんが、学校先生肩に担がれて運ばれていったのを見た事がある。

彼の事を思い出すと、あの時はたまたま誰も被害者が出なかっただけで、もし彼が包丁を持ち出していたら、持ち歩くハサミがカッターだったら、同じ様な事件が起きていたんじゃないかと思えてならない。

彼は小学生なら誰でも持っているハサミを武器象徴として捉えており、カッター包丁など別の刃物を持ち出すなどおよそ考えが及ばなかっただけなのではないかと。

そんなMくんだが、1年半後くらいにまた転校し、引っ越して行った。

特に理由は知らない。

Mくんは今何をしているのだろう。

元気だろうか。

あの頃の様に友達喧嘩していなければ良いのだけれど。

痛ましい事件にふれ、ずっと忘れていた彼の事をふと思い出した。

出来ればずっと忘れていたかった。

それはもう叶わない。

2021-11-23

道徳の授業】お母さんのせいきゅう書

ある日曜日の朝、たかしが朝食のテーブルについた時のことです。

たかしは、お母さんのお皿の横に一枚の紙を置きました。

たかしの置いた紙は次のような内容でした。

お母さんへのせいきゅう書

お使い代 100円

おそうじ代 200円

おるす番代 200円

合計 500円

読み終わった後、お母さんはにっこり笑ってたかしを見ました。

お昼の食事の時になって、お母さんはたかしのお皿の脇に500円を置きました。

たかしはそれを見て、上手くいった!と嬉しくなりました。

ところが、お金と一緒に小さな紙切れが置かれていました。

それはお母さんから請求書でした。

その紙には次のように書かれていました。

たかしさんへのせいきゅう書

親切にしてあげた代 0円

病気をした時のかんびょう代 0円

洋服やくつやおもちゃ代 0円

食事代と部屋代 0円

合計 0円

一回、二回…。たかしは何度も繰り返し読みました。

たかしの目には次第に涙があふれてきました。

(おわり)


あなたの感じたことをトラックバックコメントで書いてみましょう。


出典:小学校道徳教科書より(一部変更・要約しています

https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/text/shou_current/doutoku/files/31_tsunagaru_pr.pdf

anond:20211123132016

アイドルを襲った柔道選手非モテからああなったんだろ

ただデカイだけでなく柔道スキルもあったのにアイドルと両想いに慣れない、どころかお情けでデートしてくれることも恐らくない

絶望しかいか

強かったら大きかったらモテるなんて嘘

将来の夢は「オリンピック選手」-。 Aさんを刺したとして逮捕されたB容疑者は、小学校卒業文集にこう未来への希望をつづっていた

https://www.sankei.com/article/20160524-DSRTSCXZTFIXHBE7REY76JOXMY/

第1章 俺、誕生

once a porn a time.

I am born in The bed town.

そこはベッドタウンであることだけが取り柄のしがない町であった。

しいて特産品を挙げるのならのなら、現代価値基準で言えば圧倒的な勝ち組家庭がモーレツに嵐を呼びがちな国民アニメぐらいである。

私はそんな都心に近いことだけが拠り所のそこで、そのアニメ主人公たちからは1回りぐらい下の家庭に産まれた。

十二分な中流であった。

私を産んだ時に既に母は40を超えていて、父はそこから更に2歳ほど年を取っていた。

両親の性格は今で言えば大人の発達障害、その血をかけあわせて出産適齢期を過ぎた母体から世界に飛び出した私は、当然のように見えざる発達障害を抱えていた。

物心ついた頃、テレビで見た自閉症特集で「自分はこれをギリギリ回避しただけなのだ」と子供心に嫌というほど感じたものだ。

発達障害からくる情緒不安定、また生まれつきの運動音痴リズム感の無さが幼少期の私を苦しめた。

せめて産まれたのが3月でなければ……。

持って産まれた才能と産まれた時期によって本能レベルの優劣を植え付けられた幼稚園時代、思い出せる記憶おゆうぎ会で失敗した結果泣き出して最後には小便を漏らしたことだけだ。

他の記憶はどうでもいいものと辛いものしかないので忘れてしまったが、一番辛い記憶は忘れきることが出来ていない。

小学校に上がってからは、持ち前のコミュニケーション不全と癇癪持ちにより友人を作りかけては次々に失っていった。

ただ、両親が共働き鍵っ子で、ゲーム玩具だけは持っていたため、それを目当てに厚かましい連中によく家を遊び場にされていたことを覚えている。

私にとって人と一緒に遊ぶことは食い物にされることだった。

結局彼らとの間に友情が芽生えることもなく、クラスで班分けがあると決まって彼らは本当の友人たちと群れあい、私は余り物のグループにいた。

同じグループにいる者たちは、今思えば全員が発達障害だったのだろう。

その顔つきは目がつり上がってこそいないが、うっすら自閉の色に染まっている。

スポーツは苦手だった。

ゲーム自分で遊んでも家をたまり場にしている連中よりうまく出来ないことにイライラしがちだった。

私は一人の時間にはよく図鑑を読んでいた。

それで暗記が好きな子供だと勘違いされたのか、学校教師は私に自信をつけさせようとよく電車動物名前を答えさせようとしたが、私は物についた名前に興味はなかった。

科学論理に基づいてどういう事が起きているのかが好きだったのだ。

まり物事概念のもの理屈原理が好きであったのだ。

その理由は結局の所、生まれつき物覚えが悪い自分でも、名前を覚えなくても概念だったら分かるし、テストで出るときも穴埋めの周りにヒントが沢山あるので昔の偉人名前なんかよりはずっと覚えやすいと感じたからだろう。

私の中にただ一つ人より出来ると感じられるものがいつの間にか産まれていた。

そんな私を見て、両親は中学受験を勧めた。

勉強が好きだと思ったのだろう。

それと、小学校友達がいないことも見抜かれていた。

新しい環境で、勉強の好きな同級生と一緒になれば、自閉症じみた我が子にもちゃんとした友達が出来ると信じた両親は、私を塾に通わせることにした。

塾に通うことの条件として私は大嫌いだったスイミングスクール習字教室を辞めることを提案した。

取引は成立した。

それから私は受験勉強をそれなりに頑張り、それなりに手を抜き、結局暗記が得意でないことで躓き、志望校から2段階落ちる滑り止めの私立入学した。

中学受験勉強どころか学校の授業さえ本当に真面目にやっていれば受かれるような学校だったが、親戚や両親は私を賢いと褒めてくれた。

私だけが自分いか努力しておらず、そもそも勉強自体も苦手なのかを思い知らされていた。

そして、同じく受験勉強をする塾の同級生を見ているうちに、自分が得意げにしていた「記憶力が足りない代わりとしての理解力」というも、実際は大したことがないことを嫌というほど分かっていた。

我が子を無事私立へと送り出したと胸を撫で下ろす両親とは裏腹に、私は自分という人間の程度を思い知らされた烙印としてその学校制服へと袖を通した。

つづき https://anond.hatelabo.jp/20211124015201

2021-11-22

自分人生の振り返り

から転勤族だった

幼稚園でも小学校でも周りと馴染めず馴染む前に引越しを繰り返した

先生相談したら泣きわめいて虐めてきた生徒に叱ってくれた

田舎生活が長かったせいか「訛りが酷くて何話してるかわからないww」と影で言われたのは覚えてる

中学に入っても虐められた

エイリアン」と酷いあだ名をつけられた

中学校はその県の公立の中ではかなり頭が良く進学校へ進む人が多かったせいか、成績が悪かったこともいじめの原因だったかもしれない

いつも陰口ばかり言われて、除け者扱いにされて本当に辛かった

虐めてきたやつの本名を書きたいぐらい

だが2年生になってクラス替えがあってから私と仲良くしてくれる友達(というのも失礼な話だが)が増えて、ようやく周りと馴染むことができた

中2、中3、高校大学全てが楽しかった

こうして楽しく過ごせたのは周りのおかげ

いじめられて引きこもりになる気持ちもわかるし、私と仲良かった小学生友達中学の時もっと酷いいじめを受けて精神科に今通ってる

心を酷いやつらに破壊される前に逃げるのは本当に大事

anond:20211122164436

おめでとう!お幸せに!小学校入学まではしんどいがお互い頑張ろうな!

すぐ第二子作れる夫婦は若くて体力あるなーと思う。それか妻実家が近い

小5のクイズ理科面白い

気分で地上波を見ているので、タイトルはおろかいつどの局かも全く気にしていないんだが、夕方小学校5年生レベルクイズ大人が解くという番組がある。

県庁所在地の間違いを探したり、イージー算数を解いたりと中身はそんなに高度じゃない。ただ、理科問題は好き。例えば、2つの風船を片方はパンパンになるように膨らませたうえでパイプで繋ぐとどうなるか、高さの違うろうそくに火を付けてガラス容器をかぶせるとどうなるか、とか。

自分があっていたときより間違えた時の方が嬉しい。自身があった物が全くの勘違いだと気がつくからしか理科特有実験もあるからいい。久しく理科番組を見ていなかったけど、こういうのをみてやはり理科って面白いなって感じた。

2021-11-21

朝礼スピーチネタが決まらなくて出勤できそうにない

助けて><

うちの会社では毎週月曜日は持ち回りで3分スピーチをすることになってる。

社員からは「非効率的」「意味ある?」「聞くだけでも時間無駄」「小学校なの?」「業務改善残業減らせっていいながらこれやるって馬鹿?」「考えたやつは死ねばいい」って感じの扱い。

でもなんか知らんけど設立に関わった重役の中に「俺はこれで成長した!これは必須!」って人がいるらしいので無くなる予定はないっぽい。

回数が増えすぎてネタ被りするようになってきてからテーマを事前に渡されるルールになったらしく、今週は「食事」がテーマ

んでさぁ、食事について調べてみたんだけど、「これが定説です」「実は定説は間違っていました」のオンパレードで話まとまらねえよ。

これどうしろっていうの?

重役暗殺すれば解決するのは分かるんだけど自分の手は汚したくない。

あと9時間以内に作らないと出社できねえ><

空気読めない中途が入ってきて苦痛

俺は職場飲み会が好きだ。

まずメインの話題最近話題になった技術の話とかで、下品じゃない。俺の知らない芸能人の話とか同僚のゴシップとかを話さない。

からと言って雑談が全くできないわけでもない。

技術の話以外もするが、過去旅行に行った土地の話とか予約に使うといいサイトの話などをしてくれる。

家庭がある人もいて、その場合は「こう生活を工夫してる」とか「最近小学校事情はこうなってて…」とか話してくれて面白い

はずだったが、最近中途が入ってきた。

そいつ空気を読まず下品話題をぶち込んでくる。しかもそれが面白いわけではない。「〇〇さん(事務女性)って可愛いですよね」とかいきなり言う。「そういうのを話題に出すのは良くない」と言うと「冗談ですよw」とか言う。普通に場は白ける。

それが初めての飲み会だけならまだわかるが、2回目でも同じようなことを言うので、流石にムカついてきたのが先週の金曜日である

未だにイライラしてる俺も俺なんだが、もう会社飲み会には参加しないことにするか迷ってる。

自分の通った小学校給食が食べたい

タイトル通りだよ。

自分の通った小学校給食が食べたい。

配膳もやりたい。

もう2度とないんだなぁ。

anond:20211120165205

楽しいことだけでは生きていけないからだぞ

小学校で教わらなかったか

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