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はてなキーワード: 小学校とは

2021-11-21

anond:20211121085813

ああ、そういう事か。(長者番付表の話)   

女子の成績優秀者の件はよくわかるよ。俺はずっと共学だったからね。それどころか成績優秀で気の強い女の子たちに頭が上がらなくて、いつまでたっても女性に気押されがちの気弱な男に仕上がっちまったよ。いまだに女性コンプレックが抜けない。

こうやって男子が萎縮したり女子コンプレックを抱いたりすることの無いようにというのが男子校の存在意義という事になっていたように思う。少なくとも建前上は。

だいたい女子の方が真面目でコツコツ勉強するし男子より早熟からね。小学校の頃なんか優等生学級委員女子の方が多かったよね。

2021-11-20

anond:20211119223529

こいつ、「街の人口規模は基本あんまり変わらない」とか「田舎…増えもしないが滅びもしない」とか、よく恥ずかしげも無くこんなこと言えるなぁ。小学校にも行かなかったんだろうか...

anond:20211119172629

こいつ地図を見たことないのかな。中学校はおろか小学校にも行かなかったんだろうか。日本海岸線を見ればどれほど干拓や埋め立てがなされてきたかが一目瞭然なのにな。東京湾の埋め立ても八郎潟関西空港もなんにも知らないんだろうな。

祝福

どうやらずっと応援していた人が紅白歌合戦に出るらしい。昼休みに知って、弁当箱の蓋を開けようとした手がしばらく止まった。

その人を応援し始めて、もう6年が過ぎようとしている。その人の存在を知ったのは小学生5年生の2月で、インフルエンザ学級閉鎖になって暇を持て余しひたすら動画サイトを見ていた時だった。こんな声が出る人がいるものかとすごく驚いて、だんだんと歌だけではなく人柄も気になるようになっていた。小学生だったわたし無断転載されているニコ生を片っ端から見た(申し訳ない)。自信があるけど自信がない所、謙虚で心優しい所、少し変で面白い所、音楽が誰よりも好きな所、内面にすごく好感を持った。

わたし人生で初めて買ったCDはその人が夏コミ頒布した同人アルバムだし、わたしが初めて行ったフェスは某アニメ音楽フェスだ。実際、5時間半あったフェスの中でその人が出たのは2、3曲だったけど、周りは男の声優オタクの人でいっぱいで中2女子が明らかに浮いていたけど、すごく良い思い出です。

数年前は年越しニコ生とか、カウントダウンライブをしていたのに、紅白歌合戦に出るとは…5年前のわたしに言っても、それこそその人自身に言っても信じないのではないだろうか。本当にただ、すごいなあと思います

その人を応援しはじめて、小学校卒業して、中学校卒業して、もう少しで高校卒業する。

落ち込んだ時は、その人の歌う曲を聴いていた。落ち込んでいることを肯定されている気がして、力をもらえた。今はその人の活動全てを追えている訳ではないけれど、わたし人生にはどんな時もその人の音楽そばにあった。

わたし人生存在してくれて、ありがとう

たくさんもがいて苦しんで、それでもたくさんの作品を発表して、幅広い活動をして、頑張ってきたことをわたしは知っている。その人の人生の一部を見守れていることを誇りに思う。本当に頑張ってくれてありがとう。諦めないでいてくれてありがとう。大好きと叫ばせてくれてありがとう

どうか、晴れ舞台、楽しんでほしい。

anond:20211120131353

単純にどこか特定しないで火を放つとかの話だったら確かにそうかもしれませんが、水源に毒を入れるとまで言ってしまってるので威力業務妨害なり偽計業務妨害なりで被害者とされる範囲が相当広くなりますよ。

こういうのは警察のさじ加減で決まってる部分が大きいから、「大丈夫」とは言い切れないですよ。

小学校でこうなご云々で捕まって有罪にされた人もいるくらいですし…。

ライブの楽しさがわからない

一時期、声優ライブに行っていた。

声優さんが好きなら行くものだと、なんとなく思っていたからだ。

しかし行くのをやめてしまった。その流れを書いてみようと思う。


声優ライブでは光る棒を振りがちだ。

そんな光る棒の振り方にも…ルール、というか流れがある。

上下に振る時、左右に振る時、ゆーっくり念を送るかのように下から上に押し上げるように振る時などを、曲の部分部分によって使い分ける。

光る棒を振る時の掛け声の出し方にも色々ある。

はいはい!」「おー、はい!」といったものや曲ごとに特殊セリフ合いの手があったり、それぞれお決まりの流れが存在する。

慣れてない私は、楽しむためにyoutubeでのライブ映像なんかを見て予習をしていた。

覚えてくると音ゲーのような感じで、周囲とぴったりと息を合わせられるようになってくる。一体感があって、だんだんと成長が感じられて、その達成感が楽しい感じがした。

…でも次第にだんだんと「なにやってんだコレ」と思うようになった。

セリフ合いの手を忘れたときにはごにょごにょと誤魔化した合いの手をしたりして小学校の時のトラウマが蘇ったし

新曲が出るたびに「周りに合わせないと」ということを必死に考えている小さな自分がそこにはいた。


そう気づいてからは、段々と、突きつけられるものがあった。

元々分かってはいたことなんだけれど、私と声優さんは格が違うと強く意識するようになった。

キラキラ輝く舞台上に、浮かないように、外れないように、予習をしてまで周囲と合わせようとする私は、声優さんと比べると比較にならないくら矮小存在だと思わされるようになってきた。

わちゃわちゃとした一般人の群れの中で、外れないように、乱さないようにして光る棒を振りながらひしひしと「あぁ…なんて私は一般人なのだろう」と感じるのだ。

憧れの存在を、大好きな存在を、遠く離れている存在だと自認させられに、ライブに行っているような気がした。

…それきり行くのをやめた。


おしまい

小学校で配布しているノートPCUSB

wifi禁止という理由USBモデム?を毎回抜き差しするからゆるゆるなんだか

はじめてのおつかいのしっぱい

はじめてのおつかいは、小学校1年生くらい。

冬休み寒い日。近所の駄菓子屋さんに兄妹3人分のアイスを買いに行った。バニラソフトクリーム

田舎のまっすぐな道。アイスが溶けない距離。失敗しようがないコース

3人分ケースから選んで、小銭をお店のおばあちゃんに渡して、ここまでは完璧。あとは帰るだけ。

そこに難敵が現れた。駄菓子屋の、放し飼いにされている犬、ユキだ。

その日のユキはアイスを狙っていた。後をついてきて、袋にまとわりつく無視しても前に立ちふさがる。なんだか怖い……。

この状況を打開する作戦として思いついたのが、アイスひとつ犠牲にして、あげてしまうこと。ユキが食べている間に逃げ切ろう。

フタを外し、ユキにソフトクリームをあげる。予想したとおりベロベロ舐めている。今のうちだ。そーっと歩き距離をとる。

ところがである。ユキはひとつを食べ終わる前に、走ってきて、また前方でハァハァしてきたのだ、え、食べ終わってないのに。ずるいよ。

ここで思いついたのが、アイスをもうひとつ犠牲にすること……。これで最後だよ? パトラッシュ

とにかく時間を稼いで、帰路を急ぐ。

と、ところがである。二度あることは三度ある。ユキはまたしても、前をふさぎ、最後ひとつをほしがるのだった。

パニックである。もうしょうがないのである最後ひとつをあげるしか手段は残されていない。

そのあとの記憶あいまいだ。とにかく泣きながら逃げて、顔をぐしゃぐしゃにして、おとうさんとおかあさんに一部始終を話したような気がする。

こうして、はじめてのおつかいはしっぱいに終わった。駄菓子屋さんの飼い犬に300円分を回収されるという、苦い思い出だけが残った。

たまに帰省すると田舎景色はまったく変わっていない。でも人は減って、空き家か増えた。駄菓子屋さんはもうないし、ユキはもういない。

寒い季節になると思い出す記憶。みんなもしっぱいしてるよね?

2021-11-19

日常

商店街歩いてたら近くの小学校で立てこもり犯が出たぞーって騒ぎになって。銃持った警官がわらわら集まってきて道のそこら中に身構え始めて。

それに囲まれて「なに、なに?」ってなってるうちに「一般人は早く行って!」みたいに追い払われて移動。

そしたら学校の校門前あたりまで来てしまい。

子どもたちが音楽室でなんか唄ってるのが聴こえる。

一般の方は早く学校に入ってくださーい」つって。

「そうだな、犯人もまだ学校にいるし、危ないし、入るか」って思って入って。

でもちょっと犯人がいる場所観たいなって思って体育館の方に行ったらパトカー大量に集まってて体育館というよりかはでかい倉庫みたいなとこのシャッター開いてて銃撃戦になってた。

「よし、観たな」って思って校庭の方へ戻る。校庭はかなり広いというか、トラックの周囲に街路樹みたいの植えられてて代々木公園くらいの広さある感じ。

おいおい、どこまで続いてんだよこれって思いながら歩いてるジョギングしてる人とか犬散歩してる人とすれ違う。

おもしれー、どんどん行ってみようって思って歩いてると、校長先生が話する台みたいなのの上にシャチョーが立ってる。

しまった! シャチョーだ、見つかる!」って思うも、かなり弱ってる感じ。

よく観ると後頭部にぱっくりと穴が開いていて中身がない。裏側から眼球も観えている。もちろんそれ自体命に支障はなく、いつもどおりのシャチョーなのだが「ああ、かなり重い病気治療痕だな・・」と思って複雑な想いに駆られ、その場を去る。

そこからさらに進むとなだらかな草原みたいな斜面ぽいところに出て。なんか牛っぽいのがいっぱいいた。

「わー牛放牧してんだ」って思ってよく観ると首がない。

首ないけどおとなしそうだな、セルルックだし、と思う。

そのままズンズン進むとBGMが悲しい感じになってきた。

「やば・・空気変わってる。ちょっとこれ、俺の為のレクイエムみたいになってるんだけど」って思うと、セルルックの首なし牛の大群がじわじわ自分との距離を縮めてくる。

あ・・ダメだ、なんか具体的な攻撃とかなさそうだけどこれ接触ダメージあるやつだし全力ダッシュしてもたぶん逃げられないって思いながら小走りしてると案の定まれてぎゅうぎゅう押されてしまった。

一定時間そのままにしてるとやっぱりゲームオーバーになった。

スポーンした一軒家には自分の妻と娘がいた。

「外やばいよ」って言ってる。

「そうな、窓閉めよう」って言って窓閉めて白っぽい薄い透けるカーテンみたいなやつも一応しめておく。

そしたらすぐにお隣さんがそこにへばりついて中を見ようとしてきた。危ないところだ。

しかし本気を出されたら窓を割って侵入されてしまうだろう。まだ理性を保ってるみたいでそういう行動はしないみたいだが、時間問題なのは分かる。

とはいえ袋小路だな・・」とつぶやく

長居はできない。折を見て外に出るため、荷造りをする。そしたら懐かしいものがたくさん出てきてしばらくそれに見入ってしまった。

娘が、4歳の頃よく身に着けていたリュックを背負い外を眺めている。リュックは風化してボロボロだ。ちょっとでも引っ張れば肩のベルトが千切れそう。ピンク生地も色あせてる。

雨戸降ろそう」つって、雨戸シャッター)を下ろす。

これで結構持つだろう。アイアムアヒーロー的な状況だなー・・と思う。

もう多分自分たちに未来とかないけど、努めて人間らしく振る舞い続けようと心に誓ったあたりで目が覚めた。

anond:20211119101822

もちろんゼロかイチかで判断してはいないが、

人数多くて全員が事前読み込みできなけりゃケースバイケースで全体で通読するほうが効率よかったりするのに、

さすがにこれが「効率がいい」ってアホすぎるだろ・・・

小学校じゃねえんだから

送ったのに自発的に読まないって、それ仕事以前の問題じゃないか

送った側が読みにくい資料作ってる可能性も大いにあるがw

anond:20211117213847

1と2はうち(私の親)と同じだ。

高価な本命プレゼントは親と一緒にトイザらスに買いに行って、後日親戚一同で集まるクリスマス会の場で正式に貰うって流れだった。

祖父ちゃんサンタさんコスプレなんかして、白い布袋プレゼント詰め込んで登場するのが楽しかった。

それとは別にクリスマスの朝は枕元にお菓子の詰め合わせとちょっとした雑貨系のプレゼントなんかが置いてあった。

大体は実用的なプレゼント子供が欲しがるようなゲームオモチャではなかったんだけど、何だかクワクしてそれも楽しみだった。

クリスマスイブの夜には枕元にサンタさんへの手紙を置いてから寝るのが恒例だった。(手紙と言っても、"〇〇をください"みたいな内容で大抵は無視される)

でも、ご丁寧に英語で書かれた"サンタさんからの返事の手紙"なんかがプレゼントに添えてある年もあったりして、

「うちの親が英語手紙なんて書けるわけないし、やっぱ本物のサンタさんなんじゃ…」って小学校高学年ぐらいまで信じてた。

雰囲気だけの英文手紙なんてパソコンプリンターあればいくらでも作れる事を今は知ってるけど、当時のそれは紛いもなくファンタジーだった。

2021-11-18

1978年北海道で、ある父親が亡くなった

東京ではある小学校警備員(1973-1991年勤務)が犯行に及んだ。

警備員は勤め先の小学校で、死んだ父親の子である教師殺害し、自宅の床下に遺体を隠した

その母親家族2人をほぼ同時に失ったことになる

犯人公訴時効が成立したあとの26年後に自首し、2004年に白骨の遺体が見つかり、DNA鑑定先生本人と判明

母親2005年、おそらく弁護士後見人につけた

  

後見人犯人資産仮差し押さえし、遺体隠蔽につき犯人慰謝料請求

請求額は約1億8千万、そのうち母親の分が約1億3千万後見人原告の一人

第一審を経て、控訴審では原告3人に約4255万円の慰謝料が認められ、2009年犯人の上告は棄却

殺人と、26年後の自首には、理由があるのだろう

当時は殺人罪の時効は3~25年だったが、時効25年にあたるほどの罪だと考えたのだろうか?15年ぐらいではないか

犯人には法律専門家がついていたのだろうか

2人が消滅したのちの、家族後見人財産を得たと見えるが、このうえなく不自然に見える

それで2010年殺人罪に時効がなくなり、過去殺人事件にも時効がなくなった

あらた自首は出てこないだろうが、被害者家族にショックを与えるための犯罪は減ったと言えようか

追記

警察は娘を発見できず、一時は北朝鮮拉致されたという予測がたてられていた

「Iの家族北朝鮮拉致された日本人を救出するための全国協議会に参加

 2003年には政府は、『特定失踪者リスト』に北朝鮮による日本人拉致問題被害者としてIの名前掲載

ひょっとすると、被害者は、天皇以前の旧家の家系に生まれたのだろうか?と思った。俗にいう家系潰し。

この殺人を防ぐことはできなかったろうか。警察家事に介入しないという。

妄想を入れるなら、英国ジャーディン・マセソン安田弘が関わっているセ〇ムに、警察官僚を天下りさせるためか。

イギリス皇室が、ガーター勲章の下賜先としての天皇を保存したい、またイギリス明治維新で作った天皇以外の古い氏族は潰したい、とか。

2021-11-17

anond:20211117181832

小学校なら別に黙ってても優しい教師忖度してくれるけど

社会に出ても何も答えられないままなら単なる無能だもんな

anond:20211117181726

なんでなんでって聞いたら何でも教えてもらえると思ってるの?

ここは小学校じゃないんだよ?

いつまでも小学生みたいにアニメでキャッキャしてないで大人になろ?

4年ぶりの日記

以下は私のブログから転載

2021年11月17日

辛かった。

辛かった。

今日は一日中家にいた。

散歩もしなかった。

どうしようもなく心が辛くて

一瞬気絶したようだ。

私は変な姿勢パソコンをいじる癖があるが

その姿勢のまま、youtube動画を流したまま5分?10分?気絶していたようだ。

脳みそ強制シャットダウンとでもいうのだろうか。

「ふと気がつくと、」とはああい状態なのだとわかった。

はじめのうちはYouTubeから流れる音以外が聞こえなかったような気がする。

直後心臓がとても早く波打っているのに気づき無我夢中で外に出て空気を吸った。

とにかく今の気持ちを誰かに伝えたい。

厚労省電話相談ページを見た。

でも、電話を掛ける勇気は出なかった。

から大学学生相談室に駆け込もうかとも思った。

ただ、あそこまで行く気力さえもわかなかった。

外に出た瞬間はとても気持ちよかった、というか、なにか救われた気持ちに包まれた。

実家の様子が頭に浮かんできた。

休学、辞めたい、実家.....etc

そんなワードが頭にポツポツと浮かんできていた気がする。

そういえば

昨日学生相談室に行った。

はじめはすっぽかして帰ろうかとさえも思ったけど、

時間ぐらい話を聞いて、聞いてもらった。

もう、色々ぶちまけた。

途中で涙ぐんだのをよく覚えている。

落ち着く方法、とか、気の持ち方、とかを

臨床心理視点から

50分間教えていただいた。

まぁ、今は

シャツだけ着て、サンダルをつっかけて

とりあえずロータリー?の植木囲い?

に座って、この文章を書いている。

ああ。

次の学生相談室の予約は

来週だが

早めてもらえないだろうか、メールしてみよう。

予約用紙は

ジャンパーポケットにずっと入っている。

昨日はそれを

お守りのように握りしめて帰ってきた。

本来今日オンライン講義があるが、

まぁ、ムリです。

イ シムジョン アラジュセヨ〜と言うやつだネ

キョスニム、チェソンハムニダ

ああ、やっと心が落ち着いてきた。

まぁ、とりあえずはここまでをブログにする。

小学校のころ、配られても、

誰がこんなのにかけるかよ、と

バカにして破り裂いていた電話相談の小さなカード

そんな電話相談を今となっては必死に調べている。

ああ。何という皮肉(?)だろうか。

擱筆

私がこれからでも大人になる方法

誰にも話せないのでここで吐かせて欲しい。

32歳既婚女。

子供2人いるのにいつまでも自分が幼稚で自活力のない人間だと感じる。

過去自分決断に後から後悔してくよくよするところがあるのだが、今色々なことが重なって「そもそもまれてきたことが間違いだった」と感じてる。

周りの同世代はどうやって大人になったのか知りたい。

自分で圧倒的に足りてないと思うのは責任感が無いところ。

自分決断責任を持ちたくないし、人に決めてもらいたいと思ってる。

から何かあったとき責任を持ちたくない。

自分でも性格悪いし幼稚だなぁと思うけど、後から「あのとき私が決めてしまたから」と自責の念に駆られて消えたくなるからできるだけ避けたい。

あとは考えも甘いなぁと感じてる。

今、過去自分の甘い考えで決断したことに大きな後悔をしていて、周りの大人と比べて自分に足りないところってなんだろうって考えた。

どうしても自分の育ちが原因なのではと考えてしまう。

生い立ちを書くと、

母子家庭一人っ子で育った。

幼少期はDV祖父と、怒ると周りが見えなくなって家中徘徊する叔母と、怒りっぽい祖母と、母と同居してた。

小学校はいじめられてて、ストレスによる腹痛で朝起きることが多かったけど

「仮病使うな!」と祖母にキレられ小学校6年間は皆勤賞だった。何にも嬉しくなかった。

小学校高学年では〇にたいって日記とか詩をかいてた。

母親アダルトチルドレンだった。

母の気に入らない選択をすると不機嫌な態度を表してきて(言葉には出さないけど不機嫌な顔になりため息をつく)、そうするとその場に立っていられないほど目の前が真っ暗になってめまいがしてた。

でも母は病弱だったので自分が支えてあげないといけないと思ってた。

自分の家庭がおかしいと思ったのは結婚してからだった。

子どもが産まれた後、何故か「これからあなた(私の子供)が一番可愛い。お母さん(私)は2番目」と順位付けされたり、

第一出産後に不思議と幼少期を思い出して、母親に「子どものころもっと一緒にいたかったなぁ」と話したら「そんなこと今更言われても仕方ないかあなたの家庭で頑張ったら」と言われ泣いた。

そのあとも突然「あなたは人に厳しいのに自分に甘い」と言われたり、

出産後に一度同窓会があり、母に子供を預けて22時半ごろ帰宅したら

子ども置いてこんな時間まで出歩いて母親失格!」と言われたこともあった。

それまでは母に言われるがままに「なんて自分ダメなやつなんだろう」と思っていたけれど、

こういうことが積み重なってようやく「そんなに言われるほどなのかな?」と思うようになった。

いとこも親戚も疎遠で他の家庭を見る機会が無かったので、結婚後に夫の姪っ子を見て「小学生ってこんなに明るいんだ」と驚いたこともあった。

母親離婚した父はデキ婚だったので、なんか私のせいで人生狂わせちゃってごめんねとも思うし、育てられないなら生むなよって怒りでぐちゃぐちゃになる。

いい歳してまだ親のこと言ってて恥ずかしいけどこんな感じ。

上記のことを何度も自分昇華しようとしたりカウンセリングも行ったけど、未だに許せない自分は幼稚だなぁと思う。

子ども責任もって育てるけどこんな母親なのに慕ってくれて申し訳ない気持ちになる。

こんな自分でも自分人生責任持てる日は来るのかなと思ったり、周りの人たちはどうやって大人になってるのか気になる。

憂鬱気持ちになったとき過去を思い出して育ちのせいにしてしま自分と、育ちは関係なく自分ダメ人間なだけなのか分からなくなる。

俺に唯一彼女ができる可能性があったときの話

高校の時に、クラスメイト女子に「増田映画好きやんな?今一番面白そうな映画って何なん?」って聞かれて、めちゃくちゃ見たかったホラー映画タイトルを伝えると「よかったら一緒に行かん?」って言われたので、別に断る理由もないので一緒に行くことにした。

映画館で待ち合わせて、当時は指定席って制度がなかったので入り口で「じゃあ、別行動で」って別れたのね。

これは間違ってるって後にいろんな人から言われたんだけど、ちょっと言い訳させてほしい。

 

うちの父親映画好きで小学校に上がったくらいからいろんな映画に連れて行ってくれたんだけど、父親は「映画中に話しかけてくる人間」が宇宙で一番嫌いだったので基本映画館では離れた席に座ってそれぞれで鑑賞するスタイルをとってたんだよね。で、終わった後、近くのマクドナルドでその映画の話をするのがならいだった。

母親ちょっと厳しい人間だったので、父親と二人で外食するときくらいしかファストフード店に入ることができなくて、マックシェイクが美味しかったのは今でもいい思い出なんだよな。

 

そういうわけで、俺の中で映画は「一人で見るもの」だったんだよね。

父親と行かない映画もよく一人で見にいってた。近所に国際劇場っていう、旧作落ちした映画を2~3本立てで1000円で見られる映画館があって、ラインナップが変わるたびに見に行ってた。

 

今考えると父親以外と映画を見に行くのもその女子が初めてだったので、俺の中でもその子のことがきっと好きなんだったんだろうとは思うんだけど、隣に座って見るって想定はマジで切なかっただって映画だよ?一人で集中して見たいじゃん。

俺は一人静かに一番見たかった映画を心置きなくエンドロール最後最後まで満喫して、外に出てその子を待ってたんだけどいつまで経っても出てこないワケ。当時はまだ携帯なんか持ってなかったし30分くらい待ってて出てこないから仕方なくマクドナルド食って帰ったのね。

で、次の月曜にその子友達に「ありえへん」ってめちゃくちゃ怒られて、その子ともそれっきり。

 

あの時ちゃんと事前にそういう話をしておくか、一緒に並んで映画を見てたら俺に彼女がいた瞬間があったかもしれないのかなと思わんでもない。もしかしたら彼女がめちゃくちゃ話しかけてくるタイプで俺がブチ切れてた可能性もあるんだけどさ。

なんにせよ、そうはならなかったしその後、俺が仕事以外で女子と出かけることもなかったので俺に彼女がいた瞬間はゼロなわけだけど。

実際にやることがひどい女の子は確かにいるのに(ほんとにけっこういるのに)、絵の女の子にひどい設定つけたらだめっていうのはなんなんだろうな。あのひどいことをやってた女の子たちはいなかったことにされるのか。まさか。むしろ思い出させられちゃったよ。小学校の高学年の同級生クラスに二人女王様みたいな子がいて、女子はそのなかで振り回されていたような、うまく立ち回っていた子もいたような。私への扱いがひどいので、前にひどいめにあっていた子が当時のことを思い出してしまって、家でつらい思いを吐露しているって、その子のお母さんが私の母に伝えてくれた、と母に言われた。わたしにどうしろっちゅーねん。

それでもみんなそれぞれにかわいげがなかったわけではなかったと思うよ。親は子を守ろうとしていたように思うよ。

正直女性の権利を主張する方々の文章を目にすると、そのひどいことをやっていた女の子たちの口調を思い出させられてげんなりするよ。だからあの女の子たちも目の前のいやなものと一緒に過ごさな権利を主張するために一生懸命だったのだろうなと思うし、はじかれた側としてはたまったものではないなとも思う。

2021-11-16

そりゃ教師も邪な感情になりますわって話。

小学校相手自治会イベントにお手伝いで入っていたんだけど、小3くらいの女の子でとても綺麗な子がいたんだよな。

メガネかけてたんだけど顔が可愛いからすげー似合ってンだよ。

愛想も良いし、あんなの沢山いたら邪な感情が出るんじゃないかと想うわ。

20歳女だが

温泉むすめのスカートめくりの設定について、「今はそんなんねえよ、スカートめくり知ってるのなんて中年だろ」とか「女の子女の子スカート捲るとかキモい妄想」とか言ってるの見かけたが、スカートめくりは私が中学生ときもあったよ

それから女子女子スカートめくる謎文化あった ふつう男子のいる教室スカートめくりしてキャッキャってしてたけど、わたし陰キャからなにが楽しいかわかんなかったな でもとにかく2000年以降生まれ世代にもスカートめくり存在してたし、スカートめくりして楽しむ女の子もいたよ

保育園小学校低学年のとき男子女子スカートめくってたし、都会はどうか知らんが、田舎にはまだまだプライベートゾーンは触ったり勝手に見たりしたらいけない的な教育染み付いていない

わたしはどちらかというと表現の自由戦士っぽい思想なんだけど、温泉むすめの設定は「ハイハイこうすればキモオタ喜ぶんでしょ」的な押し付けがましさが透けてるから良いとは思ってません 正直浅はかさがキモいなとは思うけど、それを「正義のために抗議しなくては」って思っちゃうフェミのことはやっぱり理解できそうにねえ

えっていうか女子女子スカートめくる謎文化みんな無かったの?当たり前だと思っていた

anond:20211116082507

常識的に考えたら公共の場所で急に大声出すやついたら「こいつ頭おかしいんちゃうか」ってなるって話なんだよな

小学校っていろんな人間がいる中で感情制御を覚えるってのも重要教育の一つだと思ってるわ

anond:20211115143710

常識やでマジで。ひどい会社いけ好かない外資系銀行とか)は小学校から学歴書かせたりするからな。お育ち以外なんも見てないと言ってもいい。

2021-11-15

Netflix見始めた

トップ画面で鬼滅の刃プレビュー動画流れたんだけど

「しっかりしろ!鬼になんてなるな!」って一文字文字くっきりはっきり大きな声でセリフ読んでて

小学校演劇みたいでわろてもた

これがほんまに日本史上一番のアニメなんか・・・

(追記しました)

増田です。

今かなり悩んでいるので、もしよかったらアドバイスいただけないでしょうか。

都内訪問介護をして3年ほどになります

その訪問先での出来事です。

90歳を少し過ぎた女性利用者さんなんですね。

もう2年くらいその方のお世話をさせていただいています

個人情報なのであまり細かくは書けないのですが、要介護度はある程度ついています

でも認知症はなく、頭はとてもクリアな方です。

その方の性格は…良くも悪くも好き嫌いがはっきりしているというのでしょうか…。

嫌いなヘルパーさんだと、露骨に嫌がってケア中も嫌味を言ったりしてきます

ケアマネも苦労されたみたいで、その方が気に入るヘルパーがなかなか見つからなかったんですね。

私も最初は嫌われていました。

でも毎回笑顔挨拶して、なるべく丁寧に気持ちを込めてケアしていたら、段々とその方の態度が変わってきたんですね。

今は「私に身寄りはいないが、あんたの事は実の娘のように思っている。」とまでおっしゃってくださっています

それからは私も楽しんでケアをすることが出来るようになりました。

その方のお住まいは、ある高級と言ってもよい住宅街にある一軒家なんですね。

旦那さん(もう亡くなってしまっています。)が会社の元社長で、資産はかなりある方なんです。

お子さんはいらっしゃいません。

身寄りもなく、介護度も上がってきたので、ケアマネが有料老人ホームをすすめていたのですが、集団生活が嫌いで頑として断っていたんです。

ヘルパーの利用もかなり渋々と認めたくらいなんですね。

1か月くらい前からでしょうか…私がケアに入っている最中にその方が「養女になって欲しい」と言うようになってきました。

「私には身寄りがいない。でも集団生活なんて大嫌いだから老人ホームになんて入りたくない。夫も亡くなったし、私もこのまま野垂れ死のうかと思っていた。でもあんたが世話しに来てくれるようになってから生活が少しずつ楽しくなってきた。できれば一緒に住んでほしい。」という感じだったんですね。

そして「この際だから養女になることも検討してもらえないか。もし養女になってくれるのなら、遺産としてこの家を含む財産を全て相続できるようになる。おそらく軽く一億は超えるだろう。私には身寄りがいないから、うるさく言ってくる親戚連中もいない。悪いようにはしないから、どうか検討してくれないか。」とすがるような顔つきでお願いされたんです。

私はシングルマザーで、今小学校低学年の子を1人で育てています

夫とは子供が生まれてすぐ彼のDVが原因で別れました。

今はどこにいるのかすら分かりません。

両親とも諸事情により仲があまり良くなく疎遠です。

はっきり言って収入は少なく、生活はとても厳しいです。

カツカツというのでしょうか…、子供と2人で日々生きるのに精いっぱいです。

なのでこの方のご提案は、ある面では私にとってとてもありがたかったです。

でも、でも、「本当にOKしてしまって良いのだろうか?」という心の中のひっかかりが取れません。

もしここで養女になってしまったら、「越えてはいけない一線」を越えてしまうと言うというのでしょうか、倫理的問題があるというのでしょうか、そういう否定的感覚が私の中にずっと残っていて、「はい、お受けします。」とどうしても言えないんです。

私は元々ホームヘルパーとして、この方のお世話をするために「仕事」として来ているんですよね。

そしてヘルパー講習の時にも講師の方からケア中に利用者さんからお茶お菓子などをすすめられるかもしれませんが、一切いただいてはいけません。」とも習ってきました。

それは今登録している事務所からも言われています

そういうもんだと思いながら仕事してきました。

なので「お茶お菓子」どころか「養女になって遺産」をいただくというのがどうしてもひっかかるんです。

今周りに相談できる人がいなく、とても迷っています

何でも良いので、もし良かったらアドバイスいただけないでしょうか。

よろしくお願いいたします。

長文申し訳ありませんでした。

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追記です。

皆様アドバイスありがとうございます

見ず知らずの私のために、こんなに助言をいただけるなんて思ってもいなかったので、読んでて涙がでてきました。

まずはAさん(利用者さん)を私が敬愛しているかについてですが、これは敬愛と言えるのかどうか分かりませんが、実際今ホームヘルパーとしてケアに入っている最中は、楽しく穏やかにケアできていると思います

Aさんも私の事を信頼してくださり、落ち着いた状態で私に任せてくださっているような感じです。

遺産負債が含まれるのかどうかは分かりません。

またAさんご自身は「身寄りはいない。」とおっしゃっていますが、遠い親戚がいるのかどうかは分かりません。

ただケアマネによると、今のところ連絡のとれる親族はいないそうです。

まり細かく直接聞くのもはばからますし…。

遺言書の件についてですが、これについては書くのを忘れていました。

Aさんから「もし養女になれば、ちゃん遺言書として相続の事を文書に残す。」と言われています

ライン仲間からメッセージアドバイスをいただいたのですが、とりあえず養女ということは置いておいて、お試しに(息子を含めて)同居から始めてみたらどうかなと考えています

同居になれば、また様々な問題が出てくるかもしれません。

しかしたら「同居でこんなに大変なんだから養女なんて無理無理!」となってしまうかもしれません。

段階を踏んでいろいろと確認しながらやっていこうかと思います

皆様本当にありがとうございました

たくさんの方のご意見を伺いたいので、もしよければ引き続きアドバイスをお待ちしております

2021-11-14

家庭環境裕福だったけど頭悪くてバカにされたので悔しくて勉強した

私は親戚の中ではかなり恵まれた家庭環境で育った。

うちの親は地方のクソな田舎出身だが勉強ができたので東京の一流大学に入り、周りの親戚が高卒で近くの工場かに勤める中めちゃくちゃ大企業に入って海外にまで赴任した。そのおかげでわたしは従兄弟の中で唯一小学校から私立に通い、帰国子女という肩書きもえた。

しかしながら、隔世遺伝なのか知らないが、わたしはめちゃくちゃ勉強が出来なかった。

中でも歳の離れた従兄弟との出来は歴然で、事あるごとに、恵まれ環境勉強できてるのに、教育費めちゃくちゃかけてもらってるのに頭悪いんだねと親戚に嫌味を言われつづけ育った。

宿題をしていると、バカなんだから無駄だよと言われたりもした。

大学受験は普通に失敗してMARCH就職もそんなにいいところには勤められなかった。

そんな中、久しぶりの親戚の集まりで歳の離れた従兄弟が県下一の高校に手が届きそうだと叔父が自慢しているのを聞いた。

酒も入っていたせいか饒舌で、増田は小さい頃からお受験して頑張ってその程度だけどうちの息子は違う、結局は遺伝なんだよみたいなことをひたすら捲し立てていた。

その時点でだいぶ帰りたかったが、叔父とある士業をしており、私もそっち方面には興味があったので、それでもこの機会に少し話を聞きたいと思い切り出すと、増田は頭悪いんだから無理に決まってる、女のくせにいまからそんなもん目指してどーすんだと言われた。

何かがキレた。やってみなきゃわかんねーじゃん。

バカの意地を見せてやると大人気なく憤慨した。

その日から2年。私は仕事以外の時間を全て勉強に費やし、とうとう科目合格まで漕ぎ着けることができた。

勉強にこんなに一生懸命になったのは生まれて初めてだった。

兄弟が県下一の高校に受かる前にどうしても結果を出したかったので死ぬ気で頑張った。

金とかコネとか環境とか関係ない、独学で掴んだ初めての成果だった。

もうすぐまた親戚の集まりがあるのだが、今からとっても楽しみだ。

なぜならその科目合格した試験は、叔父が数年かけても受からなかった士業のものからだ。

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