はてなキーワード: 医学とは
ほぼ愚痴です。
妊婦健診行ったら切迫早産と診断されて1ヶ月ほど入院してたんだけど、あれって退院するまで24時間ずーっと張りどめの薬点滴するんだよね。
次の日の尿検査で尿糖出たから糖負荷試験もやらされたら妊娠糖尿病判定も出てしまってダブルパンチで泣いた。
そこから血糖値1日7回測定する羽目になり入院中の唯一の楽しみだった食事もしょぼいのに変えられて精神崩壊すると思った。
中々血糖値下がらないから分食になったけど、そもそも動いてないからお腹空かないから2回目の食事なんてほとんど食べられなかったし。
何回も血液検査するしなんか太い針で注射されたから注射の痕がしばらく残っている。ついでに点滴の痕も。
(注射針が太いと言われたのは看護師さんから。言ってくれなかったらそもそも太いかどうかも気付かなかった…)
安静命じられてるからシャワーは1日2回、トイレ以外は基本寝たきりで暇すぎてやる事なさすぎてスマホしてるかタブレットで本読んでた。
大部屋の真ん中で外も見れないし、コロナで面会禁止だから病室はずーっと静かで、同じ部屋の人とも全く話さないまま、とりあえず正期産迎えたので退院した。
ていうか点滴外したら血糖値下がりまくってて笑えるんだけど、なにこれウケる。
自己測定器は入院中から同じ機械で測定してるけど圧倒的に自宅で測定する方が低いんですけど。
大体妊娠糖尿病引っかかったのも点滴してたらブドウ糖ずっと注入されて血糖値上がるのも当然だし、尿糖だって入院したストレスで上昇したんだから、医療関係者の夫と話しててたんだけど、滑稽過ぎて馬鹿らしくなってきたので今適当に過ごしてる。
そもそもうちは玄米ご飯で小麦粉は古代小麦の全粒粉使って、野菜ふんだんに使った徹底的に糖質オフの食事作ってたし、普段の生活で血糖値上がりようがないんだよ。
本当に馬鹿らしい。
なので余計に何で検査引っかからなければ良かったと思ってずっと悔しい思いをしている。
これに加えて血圧毎日測れだの胎動チェックしろだの提出する宿題が多すぎてやる気が出ない。
むしろ管理されまくってる状態がストレスでこっちが妊娠的に悪いのではと思うんだが。
(余談)
リトドリンの48時間以上の点滴投与効果について医学的エビデンスはなし、内服は副作用の方が問題で欧米では使用中止勧告が出ている話を見つけたので驚いた。
親の事業を継いでたら今頃ひどい目にあってたわ。
セフセフ。
そんなわけでコロナで思うことを書き留めておく。
まぁ読むやつはいねぇだろうがw
2,3年後にそらみたことかと言えるようにネットに残しておきたいだけだ。
では、始める
自粛やマスクやワクチンが感染者や死者を減らす施策と勘違いされたま
辟易している。
最初は正しくピークシフトだと言うてたがいつの間にか説明を諦めたようだ。
感染者数も死者も総数は変わらない。
山が平らになるだけ。
減らない。
なんで減ると思ったの?
日常生活を送っててコロナウイルスから一生逃れ続ける事は不可能
手洗いとか殺菌でどうにかなるものではない。
そんなもんで撲滅できるならインフルエンザなんてとっくに撲滅できてる。
無理なの、不可能なの。
これは死亡率が高く感染のメカニズムや皮膚に症状が現れるなど撲滅できる条件が整ってた。
世界中が右も左も西も東も手を取り合って全世界的に撲滅作戦を執行した。
人の移動もまだ緩やかだった時代にようやく達成できた。
どこかに残り続ける。
そしていつかは全員に回ってくる。
コロナウイルス撲滅の可能性がわずかでもあればロックダウンだのマスクに意義があるが。
2万%無理です。
なりません、そんなもんで救えるならとっくに風邪やインフルでやってる。
ちなみに、風邪はウイルスに罹患したら全員もれなく発症するようなものではない。
症状がでるのは2割。
普通の人は一年に1,2回は風邪を引くけど実際にはその4,5倍は無症状なだけでウイルスには感染してる。
ウイルスには感染しているのだから気道などで増殖しくしゃみをすれば飛沫をばらまいてる。
そうやってウイルスは街の中でジワジワと生き延びる。
気温や湿度など条件が整えば一気に広がる。
日本は年間130万人が死ぬがそのうち10万人程度は風邪が原因。
人が死んでも基本的に原因は調べない。
末期がん患者が死ねば死因はざっくりガン、高齢者なら肺炎や老衰でごまかす。
ごまかすってのは言い方が悪いが
ところが今、誤飲性肺炎だろうが末期がん患者だろうかコロナに罹患して死ねばコロナ死とカウントしている。
お年寄りが軽い風邪を引く、もともと筋力が落ちてるところにウイルスで筋肉が炎症を起こせば
直接的な原因、つまり死因は誤飲性肺炎と診断で間違いは無いが。
なんか違うよね。
ともかく実際の死ではそんな細かい事は調べない。
老衰と診断された人も詳しく調べると原因がわかる。
心臓止めたのはこいつだなと。わかる
そういう研究から推測すれば年間10万人程度が風邪で死んでる。
風邪で人が死ぬのは当たり前すぎて誰も研究も調査もしないわけ。
ところがコロナは数千人死んだだけで大騒ぎして緻密な調査して怖い怖い言うてる。
肺炎球菌だけで年間4,5万人が死んでるけど
医療崩壊は起きないし大騒ぎにもならない。
で終わり。
でも新型コロナは大騒ぎ。
できません。
死亡率が下がると思うだろ?
下がらないんだわ。
若年層がワクチン打っちゃうと免疫獲得の機会を逃すことになるから。
ミクロで見れば効果はあるんだけど一生、社会全体のマクロで見るとなーんの効果も無い。
せいぜいが高齢者だけ。
体力が違う。
免疫ってのは人体が強いダメージを食らうほどその抗原を強く長く記憶するようにできてる。
しかし免疫は諸刃の剣で、人体を守る機能ではあるがそれが暴走すると体そのものを壊す。
体内の異物を見境なしに敵とみなして排除するわけにはいかんのです。
そもそも飯を食うというのが異物の挿入なわけで。
困るよね。
では人体はどうしているかと言うと体調が崩れた時に体内にいた異物を敵とみなすシステムになってる。
さらに何段階かあり、めちゃくちゃ体調が崩れた時は超ヤバい敵と認識する。
ところが免疫システムはもっと利口で、敵を誤認するであろう事もシステム設計で考慮されてる。
人体すげぇ
よほど重い症状でなければ短期免疫で済ませる。これなら誤認であっても時間が経てば解除される。
例えば一時的に米アレルギーになっても数ヶ月でまた米が食えるようになる。
免疫の最終段階はキラーT細胞で、これは体内の異物をとにかく殺しまくって体内を一度リセットする最終兵器。
免疫にはIgA、IgM、IgGなど各種あるけど、活動場所が違い、どれが発動するか、体の不調の検知は炎症、発熱をトリガーにしてる。
人間の体でヤバいのは人体の損傷、つまり炎症なわけで、炎症を起こせば筋肉が発熱する。
人体がエネルギーを熱に変換できるのは筋肉で、炎症箇所の筋肉は発熱する。
お年寄りが死にやすいのは筋力が低下しているので発熱ができず免疫が起動しないから。
で、西洋医学はここに目をつけた、そや、炎症を抑えればええやん。
抗炎症薬の登場。
とりあえず大本の炎症を抑えれば発熱もすることなく、時間が経てば自然治癒するだろと。
まぁ間違っちゃいない。対症療法。
白血球がそれなりに異物を食うてくれるのでそのうち治まるが。
西洋人はアスピリンの化学合成からこの作戦で半世紀、百年やってきた。
東洋医学はこれとは逆で炎症、発熱にはそれなりに意味があるものと考え解熱、炎症鎮圧をやらない。
これで数百年やってきた。
風邪の回復後にウイルスは検出されないのに微熱が続く、頭痛するようになった。
そもそも、タバコも吸わない健康的な生活してても年を取れば小中学校の頃のように走り回ったり飛び跳ねたりできなくなる。
これ後遺症と言うか?
人生何度も風邪やら怪我やら各種疾病を繰り返しながら大人になる。
そのたびに肺や人体の損傷が蓄積される。
新型コロナは国民一丸となって頑張ったから抑え込めたのだ、この程度で済んでいるのだと主張する人。
ところが、実際には意味がない。
ただのピークシフト。
いずれ一度はかからなきゃならない。
今かかるか先にかかるかってだけ。
で、大騒ぎせずにただの風邪と扱ってりゃ一般病院で診察できるんだから医療崩壊は起きない。
逆に言えば大騒ぎしてる連中が殺してるんだよ。
ヒステリックに特別な病気として扱えと騒いでる連中が医療リソースに制限をかけ
受けられるはずの治療を奪ってる。
大阪はとうとう溢れた。
医療リソースが枯渇したのではない、コロナ対応できる医療リソースが枯渇しただけだ。
ただの風邪なら一般病院でエクモできるのに、指定感染症だからできない。結果、たらい回しにされ見殺し。
肺炎球菌だけで年間4,5万人死んでて、医療はそれで逼迫するわけではない。
十分に受け入れられるんだよ。
つまり解熱剤飲むなボケ、対症療法ではなく自己免疫に刮目しなさいって話なの。
フィリピンは人種的にはマレー系で子供には蒙古斑が出るアジア系なのだが。
アジアで見るとフィリピンがコロナの死者、感染者数で悪い結果が出てる。
途上国ということもありセルフメディケーションが浸透してて
免疫が育たんわけです。
西洋と同じ。
東洋医学が強く残っている対岸のベトナムと対象的な結果になった。
ここにきてイスラエルすげぇさすがユダヤ様とか言い出すアホォが現れた。
一日あたりの感染者数は日本もイスラエルも1月初旬がピークで8000人程度。
ところが、イスラエルの人口は900万人、日本はその13倍1.2億人
あれ?
わぁ日本の方が多いって、人口13倍ですから、人口比で比較しろよ、統計学的に。
それでもこんだけ死んでる
ダメじゃん
イスラエルのコロナ感染者数の推移みりゃわかるがワクチン接種開始してからの
イスラエル国民の免疫、特にIgA抗体の推移を調査すりゃ感染者減少のメカニズムが解析できるんだろうが
IgAとワクチンの効果は数ヶ月だから、数カ月後変異種で再度感染爆発もありえる。
まだ結果を評価できる段階ではない。
そもそも人口あたりで比較すりゃ日本の数十倍の死者を出してるわけで
普通の風邪だけで年間10万人が死にます、命なんてそんなもんです。
肺炎球菌だけでも4,5万人が死んでる。
なんでそう思ったの?
あのな
つまり1.6%すでに脱落してる。
40台のコロナ死者が10人か20人か知らんが、テキトーで20人でいいや。
0.000001
0.0001%
キ ニ ス ル ナ
どーでもいいことをクヨクヨ悩むからつまらん事で死を選ぶんだよ。
人生楽しめ。生きてる間は精一杯笑え
だけど、莫大な国費を投入する経済合理性があるのかは疑問だわ。
命に値段は付けられない、やれることは全部やれ、政治家が口にするには美しいセリフだが。
国家予算は無限にあるわけではない、医療に割ける予算には限度がある。
こんなもん皆保険で無限に許してたら制度が破綻する。誰でもわかる。
どこかで線引しなきゃならない。
10日なのか100日なのか、10年なのか。
実際の医療現場でも救える命を無制限に金とリソース浪費して救ってるわけではない。
標準医療には制限があり、実際にはまだやれる事、医学的、科学的に延命余地はあっても
しょうがねぇの。
だけど厚労省は結果を出してる、世界で一番長生きな国を作ってる。
厚労省すげぇ
西洋医学に安易に追従して、セルフメディケーションとかやらなかった。
医薬品業界はこっちにシフトさせようと必死だけど、厚労省の良心がギリギリのところで止めてる。
まぁ昨今ズルズルだけど。
お陰で国民の大半はコロナの免疫を獲得済みで、今回の新型コロナでも交差免疫が効いている。
子供が発熱する、病院に駆け込む、A病院では薬が処方されすぐに熱が下がった名医だ。
B病院は薬を出し渋る、なんだあの医者。ダメだ。次からA病院しか行かない。
初めての子育て、頼れる人も相談できる人もいない、心配で仕方がない。わかるよ。
熱が下がればホッとするよね。
何度も何度も同じ風邪を引くよ。
一発罹って発熱して免疫獲得すりゃ次からは軽い症状で済むのに。
ちった利口になれよと。
でさ、マスクをいつ外すの?
なんで?
奇しくも立証しちゃったよね。
超過死亡が下がってる。
あれ?
立証しちゃった
あれ?
マスクや自粛のお陰でコロナとは別に数万人の命を救ったわけだ。
マスクし続ければ、飲食店を潰しまくれば来年以降毎年それだけ救える。
え?戻すの?
数万人殺すの?
何時の時点で、どの条件でマスクを外すのか。
意味わかる?
マスクなどしない、子供にもマスクをさせている親は怪訝そうにみる。
逃げていく親もいる。
https://www.skk-net.com/health/me/c01_31.html
医学情報が身近になって、一般の方も驚くほど専門的なことに詳しくなりました。視野に糸くずやゴミ、水玉のような物が現れる飛蚊症もその一つです。
蚊が飛んでいるように見えることから、その症状を飛蚊症と呼び、大半は問題ないと知っている人もたくさんいます。でも、アイちゃんのように「全然心配ない」と思ってしまうのは正しくありません。
正しくない理由は二つあります。第一に、目の前のゴミのような物が本当は飛蚊症ではない可能性があるということ、第二に、なにかの病気の症状として飛蚊症が現れている可能性もあるからです。
正しい知識をみなさまにお伝えするため、私はこのメールを書きました・・・。
実際、ラジオやテレビ、放送塔のような感じで脳内に命令します。
吸殻や空き缶や司令には、うるさく口を挟みました。
そんな、口を出すんだったら、自分でしろ!って言ってやりました。
司令されっぱなしは危険です。
みんな、パニックになってしまい、それどころではナイのだと思います。
だけど・・・
私はがんばりました。
分裂症のお薬は脳を鈍感にすることを前提にしています。
しかし、お薬を飲み続けてしまうと副作用で、家事も育児も仕事もできなくなってしまいました・・・。
必要とされないこと。それがさらにどんどん自分を壊して崩れていきました・・・。
ある日決めました・・・。
自分のやりたい事を選びました。
今回は、一番強い電撃反応会話でした。
そして今、ついに・・・
嫌がらせはなくなりました。
「愛は憎しみかと思っていたら愛は優しさだった」・・・。
もちろん、大司令症候群の意志も、もうまったくありません・・・。
大司令症候群の声には、惑わされない!
いま声達はおしゃべりで、夜になると
だから、眠るために、アモバン、レンドルミン、セルシン、デパスを飲んだりしています。
出会えて良かった。と言う言葉をきくたびに、安心がひとつ増えます。
これはこれで正しいとも自分は思うのです
天は自らを助ける者を助ける、というのも事実でしょう
しかし、助ける余裕がなければ、なかなか人が他人を助けるという行為は困難なはずです
ビル・ゲイツは現在は慈善事業がメインであり、貧困層などへ広く学習の機会を与える課題にも取り組んでいますが、
彼はその理由として、資本主義的原理では実現できないから、といったことを語っています
といっても、これは彼がお金持ちになれたからであり、お金持ちになっても自分が欲しいコンピュータを作ることに情熱を注ぐだけの人もいるわけです
もちろん、色々な人が世の中にいて構わないわけですが、いずれにせよ、他人を救う余裕がなければ慈善事業は難しいはずです
狂信というとテロのような悪い面もあるわけですが、良い面で狂信的である人は考え方がブレないのです
良い意味でドンキホーテとでもいいますか、理想を追い求めて金がなくなっても他人がついてこなくても損得勘定が欠如しているから折れないのです
まず、信念があるとか、自分の打ち立てたモットーに執着する、固執しているならば、周囲からのノイズやトラブルで折れにくくなるはずです
それが人として良いのか悪いのかは、周囲の人それぞれによって大きく分かれると思いますが、
慈善事業だろうが偽善だろうが、自分が死んでも他人を助けたい、と考える人も少ないと思いますが存在すると思います
しかし、現実的に考えるならば、基本は他人を助ける余裕がなければ他人を助けることは困難でしょう
10kgまで支えられる何かがあったとして、5kgは乗っけれる、20kgは余裕がないので無理、
でも耐荷重10kgに対して10kgの荷物だったらどうでしょうか?
もしかしたら望んだところまでなら耐えて運べるかもしれません、でも、もしかしたら振動も加わって折れてしまうかもしれない
だったら10kgの荷物を分割できないか、5kgに分割して二回運べないか?
もしくは10kgのところを8kgにして、2kgは諦めてください、というのも策かも知れません
これが私が他人を助けるという行為はベストエフォートであるという所以です
アフリカの飢餓を救うというのも、まあ募金とか寄付行為はありだとは思います(どうしても胡散臭い団体が多いと思うのが否めませんが
しかし、直接的に助けるとなるとアフリカまでの飛行機代だけでかなりの出費になります
そのお金で半径5mの人を救えるのに、なんでそれをしないでアフリカの人を救うの?という問いに対し、
色々な考え方の人が色々な答えを持っているかもしれません
それに対し、自分は救急車を呼ぶ余裕はある、救急車が来るまでその人のそばにいる余裕はある、
自分には難しいと思いますが、医学的素養がある人ならば応急処置をする能力がある人もいるかもしれません
つまり、最近話題になっている弱者男性だかのカテゴリーに自分も十分含まれるとは思うのですが、
目の前に死にそうな人が倒れており、救急車を呼ぶ余裕があると思っている自分がいる、
にも関わらず、
自分は弱者だから他人を助けない、他人を助けるより自分を助けろよ、
みたいな極端な考え方に至るのも変な話であって、
つまり、端的に言うなら、なんだかんだ社会とはカーストではないが階層があるものであり、
強者は弱者を救う余裕があるが、それはある弱者より上の階層がその弱者を救えるという話であり、
そういうツリー構造があるならば、一つ上の層が一つ下の層をちょっと救う、
その連鎖で全体が救えるはずだとも言えるわけですが、
ここで問題になるのは、確実に全体を救うには一番トップの強者が無限に余裕がなければいけなくなってしまうことであり、
現実に無限はありえないし、もし、その一番トップの余裕が減少していけば、ツリー全体を救うことは困難になってしまう
しかしながら、全体最適化とでもいうか、全体をある程度いい感じに救うためには、やはり一つ上のノードが一つ下のノードを救う、
こういった他人をちょっと助ける連鎖、再帰的な連鎖があればちょっとは世の中も捨てた感じではないように思えるわけですが、
それがまた難しいのが人の世というものでもあるわけです
ビタミンやミネラルなどのサプリメントは健康効果がなく、十分な栄養を取っている人にはむしろ害になる可能性があるという研究結果を、アメリカの医師らが医学誌アナルズ・オブ・インターナル・メディシンで発表しました。論文のタイトル「もう十分:ビタミンやミネラルのサプリメントに金を浪費するのはやめよう」が衝撃的だったこともあり、米メディアが一斉に報道し、話題になりました。
論文を発表したのは米ジョンズ・ホプキンス大の教授ら。新たに発表された3つの研究結果をまとめたもので、心臓血管疾患やガン、認知症や言語記憶、心筋梗塞、いずれに対してもビタミンやミネラルなどのサプリメントは効果がなかったとし、過去の研究から、ベータカロチンが肺がんリスクを高める可能性や、ビタミンEや高容量のビタミンAの摂取が死亡率を高める可能性などが明らかになっているため、安易な摂取は避けるべきとしています。唯一ビタミンDに関してはさらなる調査が必要としていますが、サプリメントの健康効果に関する議論は終わったと結論付けています。
言ったら悪いがこれこそ「自分が貧しい食生活であることに気がついていない人間」の惨めったらしい食事以外の何物でもない。
ざっと見ただけでも栄養の偏りを感じるし、食材の数が少なすぎる。味も偏っている。
本人が満足感まで得ているのは本人が絞り込んでここに落ち着いていったのと、もともとがあまり食に興味がないタイプだからだろう。
確かに5年以内に体調を崩すほどまで食生活がおかしいわけではない。
(書き手はおそらく20~30代、つまり医学的には若い=不摂生でも問題が出にくい年齢、
さらに言えばおそらくは痩せ気味の体型と思われるのもあるだろうが)
確かに食費1万円生活を、工夫して楽しく乗り切っており、一見の価値はある。
…が。
■まず量をかけ、量を
なぜ食事がでたらめな人間は常に量の概念が抜け落ちているのか。
朝のオートミールにしたって、50gと200gでは摂れるカロリー、栄養はまるで違う。このエントリの目的である値段も変わる。
平均でいいからおおまかな摂取量、1日の摂取カロリーまで網羅しなければ「問題のないといえるかどうか」「健康的かどうか」の判断など到底できない。
気の利いた人間ならおおまかな費用も書いてくれていたところだ。
たとえば肉・魚をグラム100円で買うというのも、節約を意識している場合に良く聞かれる目安だ。
そして一食当たり肉120gなら成人男性でもまあまあのたんぱく質を摂れる。(増田は朝・昼でたんぱく質源が皆無だから足りないけど。)
でもこういう「1万円生活」例だと、食べる量自体を減らしていたりするのだ。
ひもじいが標準では「きちんとした節約例」の見本たりえない。
ところでその炭水化物だけの朝食、味付けはなんなの。
■栄養価を測ってみてほしい
このエントリは、推測するに先日の「食費1万円代生活には必ずからくりがあるので真に受けるな」的なエントリが発端ではないか。
からくりなしでもこんなふうにちゃんとできますよ、と言いたかったんだろう。
でも正直、朝炭水化物のみ、昼も似たような栄養欠乏状態、夜だけ張り切っているが見ると塩分と脂肪分過多という崩れ具合。
「無理をして食費を縮小している人間の多くが栄養バランスが崩れており不健康」という批判だったと感じている。自分は。
今回のエントリはその点で応えていない。
むしろ「やっぱり食費削ってるやつは健康に無頓着なんだな」という印象を与えてしまっている。
もしこれを読んでくれているなら、自分が食べたものの栄養を一度考えてみてほしい。
最近は食べたものと自分のデータを入力すると摂取栄養素と過不足を自動で出してくれるアプリやwebサービスがある。
みんなでやろうって言っているが、みんながやったら諸問題が噴出だよね。
上に書いたように「不健康だから、中高年以上から不健康な人間が激増するだろ今でさえ医療費の増大は深刻な問題なのに」問題も出る。
揚げ物が週3回と多く、選ぶメニューも「ごく狭い食経験で育ち、子ども舌のままの若い男性」なのは各家庭で変えられる部分だからまあいいだろう。
大きな問題でないようで大問題なのは、季節感がなく、使う食材がごく少ない点。
上で指摘した栄養バランスが崩れているもこれが主原因。食費を削るためには安く年中出回っている食材しか使えないからだろう。
あなたの世界には野菜はキャベツとほうれん草(に、たまのレタス、おそらく野菜炒めに入っているだろうもやしと人参)しか存在しないのか。
それにこういう節約食生活でお役立ちのこんにゃく、大豆類(納豆)がまったく顔を出さないね。
みんながこんなのやったら極めて限られた食材に関わる生産者しか生き残れないことになるんだが。
俺は実際バカなのに自分の「賢さ」に妙なプライドを持っていて、ときどきネットで本当にメチャクチャ賢そうな人の書いた文章なんかを読むと感情が荒れ狂う
数学能力が顕著に低くて理系を諦めた身なので、数学とか医学とかプログラミングとか、そういう話が特に効く
何も理解できねー
メインの話題を理解するのに必要な要素を理解するのに必要な要素を理解するのに必要な要素を理解するのに必要な要素、あたりから多分まったくわからん
分かろうとするための努力すらできない
そういう難しい概念について書いたwebページなんかを開いてみることがときどきあるが、もう全然、一切わからん
ツルツルのステンレスの壁に素手で登ろうとしてるような気分になって、ベッドに倒れ込んで天井を眺めることしかできなくなる
こういう、メチャ賢い世界を生きている人たちがいて、彼らと比べると俺なんてミジンコみたいなもんかあ…と思うと、かなりガックリくる
俺はまったく、本当にまったく、賢くなんてないのだということが実感として押し寄せてくる
普段だって別に俺は自分がエリートだなんて思ってないはずだし、己の能力の低さはさまざまな形で知ってるし、謙虚にいるはずなんだけど、どうしても頭のどこかでは「俺は凡人とは違う、滅茶苦茶賢いんだ!」と思い込もうとしていて、そういう密かなエリート願望みたいなものが、本当のエリートの書いた文によって打ち砕かれる際に、特有の苦しみが生じるのです
で、死ですよ
・なんちゃらコーダーみたいな、知らねえけど、人間のプログラミング力?を色?で表す?ようなところで最上級の色、虹色だか金色だか知らねえが、そういうのをとってるような人間
こういう、到底追っつけないところにいるやつらと、俺が、死の前では横一列に並ぶわけです
ロープ一本あればいい
俺にとって世界って結局自分が見てるものだけなので、俺さえ死んだら全部ガチで無意味になる
超賢くて生産的で凄いグーグラーも、道端で死んでるミミズも、俺にとって完全に同価値になる
結局そこなんですよね
人生がどこまでいっても俺視点である以上、やっぱり俺は特別なんですよ 少なくとも俺にとって
俺が死んだら全員死ぬってことにできるんですよ
俺が死んだのにみんな普通に生きてんな?ってことにはならない その状況は観測できないので、存在しないのと同じ
まあそれを言うなら俺が死ぬと同時にみんな死ぬ状況だって存在しないんだけど、この辺は気持ちの問題だよなあ
俺が死んだら世界は消えるんだぞ、バカヤロー!俺の勝ちだ!俺の勝ちだ!!
そういうふうに思いながら生きています