はてなキーワード: 初恋とは
増田くらいでしか書けない、拗らせた若い頃の変態性の記録とを吐き出したいので読み流して欲しい。先に書くけど今ハッピーてオチだから自慢と感じる人は読まないほうがいい。
現実の他人にはほぼ関心を持たず、初恋はゲームのキャラだったのを覚えている。
思春期になるとBLにハマった。男女物の少女漫画は苦手だった。
何故なら、私は図書館でエンカウントするタイプの女で、ヒロインのような朗らかで素敵な少女にははれないので、読んでいると辛くなってくるからだ。
BLは男同士の世界なので私には関係がないため傍観者として好きに読むことができる。
BL以外には当時父親が買っていたジャンプをこっそり読んでいた。当時の月刊は過激でエロい漫画が掲載されていて、そこだけドキドキしながら読んでいた。このときも男性側に感情移入していたと思う。
次第に思春期の私は「男になりたい」と思うようになった。
女は与える側にしかなれないが、男なら与えるのも享受するのもどちら側も選べると思ったからだ…と思う(当時はモヤモヤしていて言葉にできなかった)
それを拗らせていき、フェミニンな物が全て苦手になっていった。スカート、フリル、化粧、恋愛など。
これはだいぶ長く続いて、どんな人に告白をされても二度と声をかける気がなくなるくらい、こっぴどく振っていた。そもそも性の拗らせ以前に、趣味の時間を取られるのが惜しかった。恋愛する時間や気力があったらネトゲをしたい。
当時すっかりネトゲにハマっていた。ネトゲでは男女両方のキャラを作って、男のときは女キャラの人にセクハラぽいことを言ったりもしていた。男とはそういうもので男キャラを動かすにはそうしたほうが良いと思っていたからだ。誤認識も甚だしい。
でも実際に男キャラ中身男という設定で動かしてみるとしんどくなってしまった。男なんだからと率先して戦闘をしたりしていたがネトゲ内ですら内向的な作業のほうが向いていた。男をやることに向いていない。そう思ったので結局女キャラばかり動かしていた。
女キャラで自称女でもネカマだろうと周りには言われていた。オフ会に行ったときは本当に女だったのかと驚かれた。
そしてドール趣味が始まってしまった。きっかけはアニメ顔をしたフィギュアのようなドールだった。
とても可愛いと思った。そして、これだ!と思った。
私は同性愛者ではないので現実の女性とお付き合いしたいとは思わない。女のままでは享受する側になれない。でもドール相手なら自分は享受する側になれるのだ。
ドールにセクシーなあられもないポーズをさせて安いデジカメで写真を取りまくった。
でも繊細なドール界隈、特に女性ドーラーの間ではそういうものは忌むべきものとして大変嫌われていた。匿名の場でセクシーなドールのスレッドが立っていた。レスで写真を公開していたが、スレッド自体の存在をドールの人権侵害くらいの勢いで罵倒された。スレッドは削除依頼を出されて、実際に何度も消された。
別の場所で、あのスレッドはドールの世界を壊すクソ男性ドーラーどもという扱いをされていた。でも私は女だった。女ドーラーだと弁明しても余計に荒れそうなので、私は匿名のままそういう表現にふさわしい場所に公開場所を移していった。
その当時はオリエントのダッチワイフが本当に欲しかった。でも大きいし高額だしと結局購入に至らなかった。男だったら即買っていたと思う。でも、ここでまず男じゃなくてよかった。男だったら田舎の100万くらいで買える中古のボロ家を買って中を人形別荘にしていたと思う。大変なホラーである。
そのあと社会人になって仕事に忙殺されているうちに今の夫と付き合うことになった。
夫もオタクだが漫画をたくさん読むというレベルのマイルドオタクだ。
付き合うことになったのは20半ばになって未だに恋愛経験がないのはヤバイのではないかという焦燥感があったからだ。喧嘩も沢山したが、こいつを逃したら自分は一生独身とお互いに思ったために結婚まで漕ぎ着けられた。
私は男性は大体えろいと思っていた。夫もオタクなのでケモナーの話をふったらドン引きされた。ふたなりもNGと言われた。それを見て、もう私のこういう話はリアルでは話せないので墓まで持っていこうと思った。結婚の引っ越しを機会にドールを全て処分した。人形用のエッチな服などが見つかったらドン引きされてしまう。
男性は大体えろいけど、変態濃度がみんな高いわけじゃないという当たり前のことがネットの知識しかないのでわかっていなかった。
子供が生まれたらホルモンのバランスなのか?憑き物が落ちたようにフェミニンなものに抵抗が無くなった。私は胸を張って女である。子供を生む性である。と自分で受け入れたからかもしれない。それを受け入れたので今は割と幸せだ。不思議とBLにも興味がなくなってしまった。ドールは持っていないながらまだ好きだけれども。
男に生まれなくて良かった。男に生まれていたら田舎のドール別荘と都内の家と職場の往復で人生が完結することになっていた。それはそれでめっちゃ幸せだったと思うけれども、子供がいる幸せはまた別ベクトルだ。
初恋の人が忘れられないっていうとなんか青春っぽいけど
過去を引きずってうじうじしてるだけのクソだよね
ほんとクソ自分がクソ
初恋&はじめての彼氏だったからまじで忘れられなくて10年経っても夢に出てくる
メンヘラクソ野郎なんだって再確認するわ
今では朝起きてスーツ着てチャリで爆走する三十路
遠距離恋愛だったから全然会えなくて、当時は電話代も馬鹿にならなかったから話もできなかった
今の若者はいいよねラインで簡単に通話できて定額なんだから
あれが良い恋愛だったなんてお世辞でも言えないけど私にとっては一生忘れられない大切な記憶
戻りてえ〜〜〜高校時代にラブレターが靴箱に入ってたあの瞬間に戻って「ずっと大切にします好きです」って大声で宣言してえ〜〜〜〜〜
なんで隠れて付き合ってたの???ヒュ〜〜ヒュ〜〜とか言われるのが恥ずかしいとか、ふざけんなボケが!!!!いちゃいちゃしろや青春なんだからよ
県外に就職したことが終焉の始まりだった
あのときの私なんで県外いったの?県内の短大にも合格してたじゃん?しかも女子短大だったわけじゃん?
嫁入り修行してそのままゴールインすればよかったやんけ〜〜〜〜!!
情報系の大学に行ってブラック企業を転々として
メンタルぶっ壊れて精神科通い詰めになることもなかったんじゃないの???
世界崩壊しねえかな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
彼女ら(そして彼らも)の長き戦いが女性への不平等を是正してきた、また是正しつつあるのだから。が、ですね。
最初にTwitter上で見たこの映画の感想が、その敬すべき正義の闘士の中でも非常に繊細すぎる方だったらしく
「女性性を売り物にしていて帰りの電車で涙が止まらなかった」「楽しみにしていたのに気持ち悪くなって悔しい」とかなんとか。
原作はまだ未読ながらきっと面白い作品だろうと思ってたんだけど、
そのつぶやきを見て、アニメ化で改変されちゃったのかなーと見に行く気持ちが減退したわけですよ。
でも百聞は一見にしかず、時間もあったので見に行ったわけです。
話はうすっぺらいのに、不自然すぎる形・大きさの胸がブヨンブヨンと揺れ、
ラッキースケベと呼ばれる理解しがたい偶然(?)的破廉恥行為、
特に人間性に魅力を感じられない主人公に惚れる必ず美形でナイスバディな空頭女どものハーレム、
それだけのしょーもないアニメ(個人の感想です)、そーゆーのがスクリーン上で展開されりゃあ
自分だって「ざけんな金返せ深夜番組でやれ」と悔し涙も流しましょうや。
が、ペンギンハイウェイに果たして女性性を大安売りする場面はあったか?
性欲丸出しのアホ少年がおっとぉつまずいてお姉さんの胸をもみしだいてしまったぁとか、
シャワーから出てきたお姉さんの体に巻いたバスタオルがほどけて落ちてしまったぁとか、
必要性の全くない突風に吹かれてスカートがめくれてパンツが見えたぁ(あ、これだけは似たのがあったかも)とかいったのが。
あったのはIQがかなり高めの少々頭でっかちでおませなおっぱい好き少年が
(ただし女性に対しては紳士的で、胸を触る等の体への接触は一切なし。つーかあれはエロ的感情よりむしろ自分にはついていない部位に対する学問的好奇心に見える)
憧れのお姉さんと不思議な事件に巻き込まれるジュブナイル的話だった。
ちなみに、おっぱいは不自然に揺れたりしないし、そもそも少年のおっぱいへの執着はどんどん消えていき、
残るのは初恋の切なさ、そして前向きな決心という素敵な終着だ。
SF的な話を読み慣れている人なら何なく把握できるし(わからなくてもスルーできそう)、
なによりも絵の心地よさよ!
例えば夏の様々な鮮やかな風景とか、缶ジュースからペンギンへのメタモルフォーゼとか、後半の世界の変化とか、
つーかペンギンの動きがめっちゃ可愛すぎるぞ!とか、アニメ化して成功でしょこれ。
自分は、例えば痴漢に対しては我らが王バーフバリ的処罰を望むし
某医大の件は不当に落とされた女性達の恨み思いしれ(主に大量の賠償金で)と思う程度には性差による差別に憤る人間だが、
残念ながら上記にあった目の付け所がシャープすぎるように見えるフェミニストとは意見が異なる。
というか、その感想を見て見るのやめたー、失望したーとか言ってるフェミニストの方々、ちょっと待ってくれ。
あの人の感性は果たしてフェミニスト全体の平均的感性なのか、それを疑ってほしい。
自分も信じかけたけど、実際に見たら許せるどころか傑作じゃんこれ、ってなったぜ。
結局、自分が言いたいのは二つ。
自分がTwitterのタイムラインで見たように、フェミニストの方々が繊細すぎる一部の人の意見に釣られるというか盲信して疑わず
「恋は麻薬と同じだ」って、たまに聞くフレーズだけれど、今までは、そういうもんなんだなあという認識で済ませていた。
常に恋愛のことが頭にあって、暇さえあれば恋人を募集しているような人のことを、内心、ちょっと軽蔑していたかもしれない。
どうしてそこまで、「恋」にこだわるんだろう、って。
想いが通じなかったら辛いだけだろうし、想いが通じたら通じたで、解決しないといけない現実が立ち塞がってくる。人間がふたりいる以上、どこかで妥協は避けられない。
特に、「ビッチ」とか「ヤリチン」とかって言われるような、出会ってまもない人とセックスしちゃうような人のことは、本当にわけがわからなかった。
愛してもないような人とセックスしたって、そんなに気持ちよくもなければ、幸せでもないだらうに、って。
でも、気が変わった。というか、気付いた。
ああいう人たちは、「恋」がしたいだけなんだ。「恋」の麻薬にはまってしまって、どうにかして、またあの気持ちを得ようと、必死になっているだけにすぎないんだ、とわかった。
* * *
今までそれが理解できていなかったのは、俺が「恋」をしたことがなかったから。
ただ、それだけだった。
2017年の11月。俺は、ある女性に恋をした。正真正銘の、初恋だった。それまでは、自分が誰かに恋をするということさら、信じていなかった。
12月。気付いたら、告白していた。あんなに大好きになっちゃうなんて、思っていなかった。ほんと俺チョロすぎ。
それから、しばらくお付き合いをして。それはそれは幸せだった。
恋人を持つ、というのは、本当にかけがえのないことなんだと思う。自分を、自分だけを、褒めてくれて、励ましてくれる相手がいるというのは、それだけで素晴らしいことだ。相手が自分に注いでくれた以上の愛情を返そうとするから、そのふたりの関係は、ふたりだけの「やさしい世界」になる。
くだらないことを言いあって、それだけでちょっと幸せになって。楽しいことは2倍楽しくて、辛さも分け合って半分にする。オンゲの課金アイテムもびっくりのブースト率だ。
ちょっとお互い思うところがあって、しばらく距離を置くことにした。
別に、お互い嫌いになったわけじゃない(と信じてる)。ともかく、一旦、ただの友人関係に戻ったわけだ。
しばらくは、大丈夫だった。
結構な頻度で通話をしていたからだと思う。くだらないこと、なんでもないことを話せる相手というのは、やっぱり得難いものだ。
* * *
ところが、最近。
彼女の方が忙しいらしく、なかなか通話の相手をしてくれなくなった。まあ、仕方ないんだけだね。
そうしたら、俺の方に異変が起きた。
なんというか、端的に言ってしまえば、彼女に対する色々な欲求、要求が、常に体の中から溢れ出してくるのだ。
たぶん、今まではある程度ずつ発散できていたから気にならなかったんだろうけど、それが行き場を失ってしまったんだろう。
「自分はこんなに彼女を好きだったのか」と改めて思うと同時に、自分にドン引きした。
いくらなんでも、彼女に依存しすぎだろうって。執着しすぎだろうって。
思ったところで、この想いが止まるはずもないんだけど。
* * *
彼女の顔が見たい。
彼女の声が聞きたい。
彼女のにおいを感じたい。
彼女といっしょに歩きたい。
そんななんでもないような思いが、たくさん湧き出てくるのだ。
彼女と会って、だらだらして、思う存分話したい。
彼女と真面目な話がしたい。
彼女とどうでもいいような話がしたい。
恋という麻薬の、幸せの中に、ずっとずっと、浸っていたくなってしまう。
恋は、麻薬だ。
* * *
俺の場合は、フラれたわけではないから、まだこうして冷静(?)な分析をする余裕があるけれど。
もし仮に、一度はとっても幸せな関係を築くことができた相手からフラれてしまうようなことがあったら。そういう人が、世の中にいたら。
その相手にまたアタックするわけにもいかないし、でも、きっとまた、その人は「恋」の麻薬を求めてしまうのだろう。
世の中の、恋人をとっかえひっかえするような人は、結局、「恋」という麻薬を追いかけているのだと思う。
一度幸せになれた記憶が忘れられずに、もう一度だけ、あの幸せが欲しくて、残滓でも、かけらでも、なんでも追い求めてしまうのだろう。
俺も、そうならない保証は、どこにもない。
普通の人は、どこで、どれくらいの年齢で、何をきっかけに、この「恋」という麻薬の存在を知るのだろうか。俺は、成人してから、やっと知ったわけだけど。
それを追いかけて、追いかけ続けて、それでもそれを捕まえられなかった人は、どんな人生を歩んでいくのだろう。
こんなに大きすぎる幸せを、一生知らないままならよかったのに。
そうしたら、それ以外の、趣味とか、仕事とか、そういう中でのささやかな幸せだけを追って生きていけたかもしれないのに。
こんな幸せを知ってしまったら、もう、追いかけずにはいられない。
* * *
真夜中に、ふと思い立って、こんなことを勢いのまま書いてきた。
妄想の中で、俺は彼女に、長い長いキスをする。彼女をぎゅーっと抱きしめて、舌をたくさん絡ませる。
しばらくしてから唇を離すと、ぷはっと熱い吐息が漏れる。彼女は耳まで真っ赤になっていて、潤んだ瞳でこちらを睨みつけて、小さく「いじわる…」と言うのだった。
しあわせが、ほしい。
しあわせに、なりたい。
* * *
『ゼロの使い魔』で、アルビオン戦の後、サイトを失ったルイズの様子を思い出した。
あれを読んだときには、死ぬほど誰かを愛せるのはフィクションの中だけだ、なんてことをぼんやり思っていたけれど。
ずっと、幸せな夢に浸っていられるとしたら。
それはどんなに幸福なことだろうか。
有名無名問わず、誰かがメディアでした話から別の誰かが一言だけ抜き取って、文脈から切り離してネットで持ち出して、そこから少数派を除いた多くの人がソースの文脈を参照しようとしないまま自己投影に基づいた批判や擁護(つまり妄想)のたたき台にして論争が繰り広げられる現象にまだ名前ないのかな— 宇多田ヒカル (@utadahikaru) 2018年7月17日
おお、ストローマン!まさにこれ!ウィキで調べて勉強になりました。— 宇多田ヒカル (@utadahikaru) 2018年7月17日
宇多田ヒカルさんのこの発言が、以下の状況を受けてのことなのかどうかはハッキリしていませんが、こんなことがありました。
※ツイート削除
さっきラジオで宇多田ヒカルが「そのままの自分を好きになってくれない人と一緒にいても仕方ない」と言い切っていたので心の中で喝采を送りました。あと「初恋はいつですか?」という質問に「したことない。まだ『これだ』って気持ちになったことないから」と答えていて(最高…)と思いました。
おそらくこれが起点のツイート。
この時点ではただファンがラジオの発言を受け止めて自分の状況に投影した感想でした。
そのツイートを受けて、以下のような内容のツイートが投下されました。
※ツイート削除
宇多田ヒカルの「そのままの自分を好きになってくれない人と一緒にいても仕方ない」発言に喝采みたいなノリは、宇多田ヒカルだから成り立つとかいうと怒られるかなぁ。そのままの自分を水洗いし泥を落として食べやすいように千切りにして、出来るだけ綺麗なお皿に盛り付けたりしてやってきたじゃないか
ただ
"「そのままの自分を好きになってくれない人と一緒にいても仕方ない」発言に喝采みたいなノリ" はこの時点で存在してません。
言ってるのは一人だけなんですが、それも"~~発言に喝采みたいなノリ"になるんですかね?
三島由紀夫さんのこれ思い出した。「どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿を認めてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです。」 https://t.co/33KMwn3yet— ゆゆゆ。 (@Yunonymous17) 2018年7月16日
など、「そのままの自分を好きになってくれない人と一緒にいても仕方ない」で検索すると色々出てきます
最初のツイート主が聴いたであろう「宇多田ヒカルのTRES BIEN! BOHEMIAN!」内であったお便りと、それに対する返答を書き起こしてみました。
ほぼそのままです。
かわまみさんより
私の初恋はかないませんでした。
でも、好きすぎてもう告白してしまいたいって胸が初めて熱くなったのを覚えています。
好きなのに慣れてないから変にいじっちゃって いい女友達止まり(あーなるほど)
重い荷物持ってたら 荷物持つよ せっかく言ってくれたのに、チャンスだったのに
強がって断って「男みたいだね」って言われてしまったり
男の人の前だと恥ずかしさをごまかしちゃうんだなーどうすればいいのかいまだにわからず彼氏できたことないです(泣)
ヒッキーどうしたらいいの~~
というメッセージなんですが
年齢のところみたら18歳なんですね
「18歳なんだからまだこれから大丈夫!」って18歳のときにいわれてもそんな風に思えないから しょうがないよね
私が一応年上としていえることは
たぶん、18歳ぐらいだともっとこう、かわいく甘えたり
女の子っぽくしてられる女の子の方が、かわいらしさが分かりやすくて
たぶん10年後とかになってくると
変に女女ぶってるより女の人より
ちょっと強がっちゃったり、友達として仲良しく楽しくやってける女の方が、モテる時期が来ると思うので!
そのまんまでいいと思います! かわまみさんは。
そもそも、自分をどうにか変えて、人に好かれてもしょうがないので
そのまんまの そういうかわまみさんを 「こいつめっちゃかわいいな~!」って
そういうのを含めて分かってくれる、人に出会えたら
出会えたらというか いつか そういう人が周りにいっぱい 気が付いたらいて、いっぱい好かれてると思います!
そんなところですかね
さっきの人たちは何の話をしてたんですかね……?
現在日本が抱える様々な問題は、国民を50歳で強制的に安楽死させることでその多くが解決されることに気づいた。
50歳強制安楽死制度下での日本国民の一生は大体以下のようになる。
まだ若い両親の寵愛を受けて育つ。
後述の通り両親はまだ学生であるため時間も体力もあり、全面的な愛を受けて育てられる。
小学生。
現行の小学校とほぼ同様だが、来るべき中学生時代に備え恋愛やセックスに関する踏み込んだ性教育を実施する。
中学生。
男女ともに中学校にて婚約相手を見つけて婚約。第一子をもうける。
妊娠中は女子生徒は学校に通えなくなるので、e-larningや家庭教師などで国が全面的に学習をサポートする。
高校生。
大学生。
学生であるため長時間残業で子供と接する時間が取れないなどということもない。
後述するが両親はすでに退職間近であるため、子供の面倒を全面的に委託することができる。
子供の面倒に気を奪われることなく、全身全霊を仕事に注ぎ込むことができる。
退職。
40歳以上の人間は仕事のパフォーマンスが下がるため社会には不要。早々にリタイアする。
孫(概ね10歳前後)とも仕事を気にすることなく存分に触れ合うことができる。
社会人時代は身を粉にして働いたため、遊びに使う貯金も十分にある。
第二の青春と言って良いだろう。
安楽死。
「初恋をしたのは中学生の頃だった」という人も多いのではないだろうか。
この制度下では中学生時代に結婚するため、現在のような30歳を過ぎて男女ともに打算で行う醜悪な結婚とは異なり、若い純粋な恋情をそのまま婚姻という形で実らせることができる。
今日、恋愛の自由主義化はますます加速している。それに伴い男女ともに恋愛・結婚から取り残される人間が多く出現するようになった。特に男性の高齢童貞が社会に対して抱いている怨念は凄まじく、その存在自体が人々や社会に迷惑を与え、中には直接人々に危害を加える人間まで出現する有様である。
この制度下ではかつて共同体や企業が果たしていた「お見合い」の機能を中学校が代替する。これにより恋愛やセックス、結婚から漏れ落ちる人間がいなくなり、それは即ち高齢童貞の消滅を意味し、治安においても精神衛生の面においてもこの国が安定することに繋がる。
40歳以上になると体力も低下し思考も硬直化するため、労働力としての価値は低下する。
この制度下では40歳で退職となるため、20~30歳の働き盛りを労働力の中心に据えることができる。
女性は生物学的宿命により、妊娠出産のために最低でも1年近くは前線から離れることとなってしまう。一方グローバル社会での企業間の競争は日に日に激しくなり、どの企業も産休・育休による社員の前線からの離脱を容認できる体力がなくなっている。女性の社会進出の意義を企業は理解していても、どうしてもこの事情があるために女性社員の雇用や重役に任命することに二の足を踏んでしまうのだ。
この制度下では新卒入社時点ですでに女性は2~3人の出産を終えており、また祖父母による育児サポートを得ることができるため、産休・育休による戦線離脱がない。これにより企業も安心して第一線の企業戦士として女性を雇用することができる。
「24時間働けますか」とはバブル時代を象徴する栄養剤のCMのキャッチコピーであるが、この言葉通り資源のない日本は粉骨砕身の労働によって世界トップの経済大国に躍り出た。企業間の競争の苛烈さは日を追うごとに増すばかりだが、それに反するように労働者の育児に関する休職・早退の問題も増してきている。この制度下では前述の通り現役労働世代が育児の問題に悩まされることはない。気を惑わされることなく自分の取り組むべき仕事に100%のエネルギーを注ぎ込むことができる。これにより日本の競争力は高まり、グローバル経済戦争の覇者となるだろう。
両親が仕事に忙殺されるがためにネグレクトとは行かないまでも十分に愛情を受けることができない子供も多くいる。特に専業主婦が少なくなり母親もフルタイムで働くことが多くなった今日においてはどうしても子供が両親と触れ合う時間が少なくなってしまう。
この制度下では0~7歳くらいまでは両親に、10~20歳くらいまではリタイアした祖父母と触れ合うことができるため、多くの愛情を受けて成長することができる。
この制度化では中学~高校時代になるべく多く子を産むことが奨励される。
まだ学生の身分であるから仕事を気にすることなく産休・育休を取得することができる(休暇中の学習は前述の通りe-larningや家庭教師でサポート)。
また、すでにリタイヤ済みの若い祖父母に全面的に育児のサポートを受けることができる(両親は仕事に集中しているためまだ孫の養育には参加できない)。
社会としても少子化が解消されるし、仕事に熱中するあまり出産適齢期を逃して涙を流す人も減るだろう。
卵子も精子も加齢によって痛み、男女ともに年を取るごとに妊娠能力が低下する。
この制度下では生物学的な妊娠適齢期である中~高校生の間に妊娠・出産を済ませるため、不妊問題は大きく減少するだろう。
現在の日本社会では60歳定年制度すらも無くなり、65歳あるいは70歳までも働かせようとする動きがある。
70歳でリタイアしたとして、その老体でどのような第二の人生を楽しむのか?
この制度下では40歳という若い年齢でリタイアするため、旅行やスポーツを存分に楽しむことができる。
10年という余生は短く感じられるかもしれないが、まだ若い中年時代の10年の密度は後期高齢期間の数十年に匹敵するだろう。
50歳で安楽死するため退職~死までの期間は10年しかなく、現役時代の苛烈な労働によって十分な貯蓄を行うことができるため、年金制度を廃止することができる。
ガンの終末は苦しい。
ガンに限らず年を重ねるごとに重い病気によって死ぬ確率は高まる。
そうなる前の50歳という比較的若い時点で安楽死することにより、苦しみの果てに臨終するという悲劇を可能な限り避けることができる。
FacebookやTwitterといったSNSが普及し始めて、卒業したらなかなか会うこともないであろう人とも簡単に繋がれる世の中になった。
関係が希薄になるといったデメリットもあるがなによりまたお互いの存在を認識しあえるというメリットはかつてにないものだと感じている。
そんなある日
ふとFacebookを見ていると、
A美は幼稚園から小学校まで同じところへ通い、家も近所だったため仲が良かった。
A美の家は小さなアパートに母親と弟の三人で住んでいた。母親が水曜日と金曜日は仕事で家にいなかったのでその日はその子から家に招かれまだ小さい弟の面倒を見ながら遊ぶ日になっていた。
一年生の頃は家でご飯を食べたりゲームをしたり、その下の弟と三人でA美が好きなままごとをしたりしていた。
2年になると、弟は保育園に行ったので2人で近くの山に木で建てた小屋を秘密基地としてそこで日が沈むまで2人きりでいろんな話をした。
昨日見たテレビの話やA美が好きなアイドルの話、大人になってからの話
サバサバした性格だったのでよくある大人になったら結婚してねっていうようなタイプではなかったものの、少なくとも僕としては2人で過ごす時間が幸せだった。
小学校3年生になった春、A美は突然母親の再婚でシンガポールに行くことになった。
A美「いつかまたここに帰ってくるよ。帰ってきて大きくなったらあの部屋で一緒に住もうね」
僕「うん。なにかあったら、なにもなくても手紙でも電話でも必ず連絡くれよ」
旅立ちの日、あまりに悲しくなってどうしていいかわからなくなった僕は父親に頼み込んで地元から成田空港まで送ってもらった。
何時発なのか聞いてなかったため、向こうより早く着いてしまったけど、
A美に昨日徹夜して書いた手紙を手渡しそこでお互い無言で握手をして別れた。
そんな過去のことを思い出して今彼女がどうしているのか気になった。
個人ページを開いた瞬間
愕然とした。
(下記英文)
2016/08/02
A美の弟です。
25歳で亡くなりました。
急にいてもたってもいられず東京から地元へ車を飛ばし、実家にあるアルバムに記載されていたシンガポールの彼女の自宅の電話番号に電話をした
弟が電話口に出て、事情を話すと弟は近々用事で日本に来るということだったので翌月都内で会うことになった。
弟は向こうも僕を覚えていてくれて
僕は何も声に出すことができなかった。
そして弟は
「実は来年、姉は日本に帰る予定だったんだ。日取りが決まったら真っ先にあなたに連絡したいと実家の電話番号が書いてあった冊子をよく探してたんだ。前にもらった手紙にあなたもずっと待ってるって書いてくれてたからそれが姉は嬉しかったみたいでずっと大切に持っていたよ。だから向こうに帰ったらあなたにあって、まだ約束を覚えてくれてたらあのアパートで一緒に暮らしたいと言ってたよ。」
胸が苦しくなった。
僕も約束を忘れてたわけではない、むしろいつもどこかに引っかかっていた。
シンガポールに旅立ってから僕は様々な人とお付き合いをした。今まで付き合った人たちは皆彼女にどこか似ていた。
今の彼女も5年の交際期間になりもうすぐ結婚しようとも思っていた。
A美は忘れてなかった。むしろその約束を守れなかったのは僕だった。
彼女がもうこの世にいないという悲しみと
僕は目の前の弟とその傍であの時と同じあどけない笑顔の彼女の写真にひたすら謝ることしかできなかった。
墓は地元に納められた為、命日の日は墓参りに訪れ、彼女が好きだった白い花を備えてそこでゆっくり墓石に話しかけている
昔秘密基地で語り合った話をしたように。
就寝前のお供に