はてなキーワード: 共依存とは
私は鬱病持ちのこどおば。
発達障害か精神障害を抱えてる兄(こどおじ)と4人で暮らしてる。
母が泣いていたので事情を聞いたら、以下の事があったらしい。
・仕事で疲れてるので2階で寝ていたら、1階の父から「おい!」と怒鳴られる
(父は脚が不自由なので出られない)
・再び2階で寝る
・この時点で父不機嫌
・また1階の父から「おい!」と怒鳴られる
・2階から降り、受け取った
・その後荷物は同じく休みの兄に渡して(↑のあいだずっと2階にこもってた)、兄はそそくさと出掛けた
・母2階で泣く
詳しくは聞いてないが兄はセルフネグレクト部屋(自分もそんな感じではあるが)に住んでて、多分アル中も入ってる。(父と似てしまった)
年がら年中、メルカリやチケット転売サービスでモノを買っては家に届きまくってる
(私は可能な限りコンビニ受け取り、あるいは家にいる時間帯に送って貰うようにしてる)
こんな兄も問題だし、母をコキ使ったり怒鳴ったり無視したりする父も問題だし
入口シャッターのカギ閉めてるのに別のシャッターを勝手に開けた宅急便の人間も問題
さすがにこれは苦情入れといた。今後はシャッターのカギ閉まってたら別のシャッター開けないで、というのと問答無用で不在扱いにしてくれと。
ただ、前述の通り私含め家族全員がどっかしら病んでるしメンタル死んでるから注意なんて出来ない。
自分がちゃんと1階に居なかったから対応できなかったから母ひとりに全て負担が行ってるんだと思うとかなりつらくなってきた。
本当につらい。
妻が仕事から帰ってくる。管理職と相談したが、管理職は成果報告を求めてきた、とのこと。妻は鬱を患っていて、この4月から職場に復帰をした。ここまでの半年間、なんとか仕事を続けていた。しかし、その仕事っぷりは鬱明けの人間の働き方ではなかった。医師からの診断書にはおそらく、残業はしないように、という勧告もでているはずだが、膨大な仕事量が与えられていた(ように思う)。そこに対して管理職からのフォローが入るわけでもなく、ここまで心身を確認するための面談が行われるわけでもなく、毎日3〜4時間くらい残業をこなして帰ってきた。到底家事をすることもままならず、風呂洗濯、食事などのいわゆる日常を回していく家事は、全てぼくがこなしていた。早く管理職に「しんどい」といいなよ。と伝えていた。
冒頭にもどる。妻が管理職と面談をとった。昨日の17時ごろ、妻から連絡が入る。「面談をする」と。とうとう妻が管理職と向き合うことができたのか、と嬉しく思いながら帰宅をした。カレーを作って待っていた。帰った妻は、暗い顔をしていた。仕事の成果をみとめてもらえていないのが悔しい、と。ん???体調について話をしてきたのではないのか、と混乱する。詳しく聞くと、半年間の仕事の評価のための面談をしてきたようだった。仕事量が過度であること、体調が悪くなっていること、そういうことにはほとんど触れることがなかったようだ。
絶望した。
もともと、妻の職場の在り方にはずっと前からがっかりしていた。同業種だから、知人もいる。なんとなく職場のイメージも検討がつく。ゆえに、組合も機能しない。同僚性もない。管理職も想像力が欠如している。そして、誰かを助ける余裕もない。そんな職場に、妻ではなくぼくがずいぶん前からがっかりしていた。今回のことは、そのがっかり感によって途方もない穴に落とされたような気がした。
カレーがグツグツにられている横で、妻がしゃがみながら、どうしたらいいかわからない、と嘆く。ぼくもしゃがみこみ、妻に、職場に、どうしようもない自分に苛立ちながらしゃがみこむ。気持ちのやり場がなくて、身動きがとれなくなった。本当に深い怒りに包まれたり、悲しい気持ちになった時には動けなくなるのだと、ぼんやりと思った。
どんよりとした思い空気の中、カレーを食べた。少し落ち着いたときに、その中で文脈に沿わないのだが、その後別居の話をぼくから持ち出した。正直にいうと、この一件もふくめ、ぼくの何かが限界に近づいているのを感じていた。夫婦生活に限界を感じていたのかもしれない。仕事に復帰しようとしている妻に対して、全部の面倒をみている保護者のような振る舞いをすることが多かった。それは妻も呼応するように、ぼくにたいして依存をしているようであった。今回の職場のことに関してもだけれども、ぼくがいないと次に進むことができないような状況に、妻自身がなっていた。買い物を行くときにも、いつも一緒にきて欲しいと言われる。どこかに行くときにも一緒。そういう妻からの依存的傾向に、ぼくはうんざりとしはじめていた。じゃあ、自分はどうなんだと言われたら、妻の依存的傾向に拍車をかけるような関わりをしていたのは間違いがないと思う。だから、共依存の状態なんだ。妻のかかりつけの医師やカウンセラーからは療養休暇明けの一年間は環境を変えずに、仕事ができるといいと言われていた。別居とか引っ越しとかそういうことをするのは、まぁ今年度を乗り切ってからだろうと思っていた。我慢もしていた。しかし、今回の一件でぼく自身の気持ちの栓が開いてしまった。
限りなくエゴイスティックな話なんだとわかっている。苦しんでいる妻を見ているのは辛い。妻との何をするのも一緒、みたいな共依存的な関係も苦しい。一人の時間が多少は欲しい。結局自分のエゴなんだな、とここまで書いて改めて思うし、実は知っていた。でもこの気持ちを現実をどうすり合わせていくのか、まだまだ悩むしかないのか。
アクティブヒアリングするプロのカウンセラー使ったら解決しそう (anond:20200721180526)
相談者が期待しているのは「解決」ではなくて
○ 「傾聴」の英語は「active hearing」
「傾聴」は英語で「active hearing」または「attentive hearing」です。「active hearing」は臨床心理学で「積極的傾聴」と呼ばれ、アメリカの心理学者カール・ロジャースが提唱した手法として知られています。
○ 傾聴:共感的理解
「共感的理解」とは「相手の視点、相手の立場に立ち、相手の気持ちや話の内容に共感しながら聴き入れることです。「共感する」という行いは相手にとって「話を聴いてくれている」「認めてくれている」という安心感を与えてくれます。
○ 傾聴:無条件の肯定的関心
「無条件の肯定的関心」とは、聴き手の私的な感情を取っ払い、無条件で肯定的に話を聴くことです。たとえ、話の内容に誤りや間違いがあっても、また社会的に反する内容であっても、否定をせず関心を持って聴く技法です。
○ 傾聴:自己一致
「自己一致」とは、聴き手自身の感情や意見も尊重し、相手の話で理解できない点がある時は内容を確認しながら、真摯な姿勢で話を聴いていくという技法です。分からない点をそのまま置き去りしてしまうと、相手に「私の話はそれほど重要ではない」と誤解を招いてしまうこともあるでしょう。質問と答えを確認する行程が加わりますが、相互理解はお互いに安心感を与えてくれます。
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会社の福利厚生でカウンセラー使えたので試したけど、素晴らしいプロフェッショナル意識だなぁと思ったよ
カウンセラーの人を誘導してカウンセラーの人が不利になるような言質を取ろうとしたけど
カウンセラーの人はキレなかったかつ不快感を全然表に出さなかったよ
すごく感心した
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そんなのクレーマーに耐える接客業と同じで、 彼らはみんなが嫌がる人間の相手をすることで対価をもらうんだから、 逆キレしないことは最低限の技能だよ
ーーーまぁ、ここまでの話はよく聞く。
先日
https://ddnavi.com/serial/563023/a/
ほんで
早稲田政経の発達障害先輩が職場で不適応を起こしている話を読んだ。
母親から距離を置き、共依存関係が切れ、自力で生きて行かざるを得なくなった時だった。
母親は高卒で、就活のことは全くわからないというタイプだった。
今まで「恋愛はダメ」「○大に行かないとダメ」「ママを養わないとダメ」などと言ってきた母親が、ここで急にハンドルを切ってきた。
「娘ちゃんの選びたいようにするのがいいよ。ママにはわからないし。」
めちゃ今更である。
私は自分の意思や判断力で決定するという岐路に、唐突に立った。
「ママを養わないダメなのかな…?」と、公務員試験の勉強をやってみたり、安定した大企業の面接を受けたものの、全くダメだった。
強い意志やモチベーションを持って社会に自分を示す同級生と闘わないといけない。
早々に心が折れ、一人暮らしの部屋で昼夜逆転、適応障害になった。そのうち、一学年下の人たちの就活が始まった。
そこで判明したのがガチガチの発達障害(ADHD)と愛着形成からくる不安障害である。
私は19歳くらいまで「偏差値の高い大学に入れば自動的に人生は薔薇色、大手企業で働けるのだ」
という母親第一書記の洗脳を大真面目に信じていた。救いようのないアホである。
母親という「最高指導者」がいない環境に放たれたADHD。在野の精神。
ストロングゼロ中毒者みたいな精神状態を思い浮かべてくれれば雰囲気は合っている。
本当なら大学でも学友とコミュニケーションを沢山とってインターンやサークルで結果を残し自信をつけないといけない。プログラミングや英語も使い物になっておくべきだ。
こういうことの知識収集、プランニングが全く出来なかった。まぁ頑張ってはみたのだが、足りなかったかもしれないし、怠惰だったこともある。
サークルやコンテストで頑張った時期もあるようだが、適応障害とストロングゼロ的生活で記憶がボロボロになってから、それを生き生きと語ることが出来なくなった。
(頑張った気持ち、というのは瞬間真空パック出来ないので、早めにアピールして他者からの評価にした方がいい、と思う。)
ともかく、母の「指導」を受けることが出来なくなった私は孤立し、無数の選択肢がある自由から逃げ出したくなった。自分で選ぶということをしっかりやってきた同級生に比べて自我がなく、きわめて幼なかったと振り返って思う。
これが母子密着、共依存を経て、唐突に野に放たれた発達障害者の怖さだと思う。
親と共依存になった子どもが誤って学んでしまう悪癖の一覧である。
子どもは母親の言われた通りにやっていて、大学受験は大団円。しかし後で大きなしわ寄せがやってくる。
発達障害で言うと、
複数あるESの締切に間に合わない。落ちる。各社の方向性に合わせて自分を微調整して動くことが出来ない。発達障害を見抜かれる。地図が読めない。大手町のビルで迷子になる。
不安障害では、不安で自己PRが出来ない。PRしていることが嘘のようで罪悪感があり眠れなくなる。(アスペ的要素もある)
そんな感じで、就活は大きな傷を残し失敗。
背水の陣で挑んだ院試で某院に入り、何とかバイトのかけもちでピヨピヨと生きている。
もうすぐ、夏が終わる。
生まれてから社会人数年目まで、人を好きになるという現象を理解できなかった。
人として好き、はわかる。この人が好き、がわからない。こんな感じ。
人間関係は狭く深く、共依存ほどの親友が1人、なんでも話せるしバカになれる友人が2人、地元の腐れ縁が1人。
あとは気軽に声をかけれるが深い話はいっさいしない知人が複数。
けっこう十分だが、私がいなきゃダメな人はいなくて。いつも虚しかった。
周囲が唯一と出会っていく中、私は死ぬまでひとりなんだと覚悟していた。
誰かを好きになることもない、もし誰かに好かれても、それは世間体のためによく見せてる私をすいてくれてるだけ。せめて素敵な老後ホームで余生を.......と貯金をしていた。
ところがどっこい、奇跡的に巡り会った。運命の人ってやつだと思う。
マッチングアプリで知り合い、なぜか好かれて、毎度の如く酷い自分を嫌われるようにさらけだしたが、なぜかさらに好かれた。
いつの間にか私のほうが好きになった、なお、好かれ続けている。不思議だ。地球が存在するくらい不思議。
見事に世界が鮮やかに見える。幸せだ。固執してた趣味も仕事も、正直どうでも良くなった。適度に楽しめるのだ。
ちょっと寝過ごして遅めの朝ごはんを食べながら、もうお昼ご飯だねって笑うだけで、今死んでもいいくらい幸せになる。
こんな素敵な日々、私知らなかった。
私はマッチングアプリで30人以上に会った。100人以上とはメッセージのやり取りをしたし、街コンにも何回が参加した。
健闘を祈る。
これすごくわかる。特に三次元嫌悪もこじらせたオタク女だから「え!?なぜシミシワほくろ無駄毛だらけでたいして顔も整っていない人間にそこまで入れ込む!?」とおもってしまいまったく感性が噛み合わなくなる。彼氏作らなくても三次元アイドルや俳優に流れるオタク女見ると「え~~~…」と思ってしまう。三次元に転向したオタク女を見るたび、屍人ってあんな感じなのかな…とぼんやり考える。(三次元の恋愛という書き方だったので元増田も単なるオタク女ではなくその中でも二次元にしか興味がないタイプかなと勝手に想像し勝手に同意して書きました。もし三次元もいけるタイプだったらごめんなさい)
ここから直接関係ない余談。友達が彼氏を作ったら私がやばくなった話。
相手は幼馴染みとよべるような友達で、高校で別になってからもちょこちょこ連絡を取り合っていた。その友達が急に連絡を返さなくなった。
その後ふとしたきっかけでまた連絡がとれるようになったので、返事をしなくなった頃の話をそれとなく聞いてみると、実は連絡を返さなかった時期彼女は病みに病んでいてそこをネットで知り合った彼氏に助けてもらいそのままお付き合いを始めたらしい。
私はその空白の期間の事実を知り、「私のことを放っておいて彼氏とイチャイチャしてたってこと…!?」という嫉妬や独占欲…言い方を変えれば「あの野郎(※彼氏)、俺の○○ちゃんを取りやがって…」的な感情が湧いてきてその後しばらくその友達をツイッターで見るたびイライラしていた。友達は自覚なしに彼氏の話をさりげなく混ぜてくるしだんだん私とはおでかけもしてくれなくなって彼氏ばかりと出掛けているようで余計イライラしていた。
このイライラには彼氏への敵意だけでなく「あの子が病んでいたときにもっとしてやれることがあったのではないだろうか?私は『病んでいたあの子を救えなかった』点で彼氏にもう負けているじゃないか」という無力感、自分への失望も含まれていた。そしてそのイライラの中の無力感に気付いたとほぼ同時に「あっもしかしてこれ共依存だったのかな?やべっ」と気付いて少し友達と距離を取るようにした。
濃い(ピンクの)オタク話ができる機会は減って悶々とすることが増えたけどほんとに彼氏のこと🔪しそうだったししょうがないね。問題は彼氏が友達の同人グッズ製作にも関わっていて、私としてはずっと友達の作品見てきたしグッズも買い支えたいけど、友達の作ったグッズは実質彼氏の作ったグッズってことなんだよな…はあ~無力無力。
この話はフィクションで、俺もこんな職場も存在しないし、出てくる人たちも存在しなくて、これを読んでる君もどこにもいないです。
今から5、6年ほど前に、俺はとある大型事務センターで派遣社員をしていた。
就職できなかったというより、仕事が出来ない無能な上に人中りして人間関係が酷く疲れる気質なので、新卒を短期間で蹴って逃げた俺は正社員として働きたくなかった。あんな思いをしながら生きるぐらいなら、いっその事死んだ方がマシだと真剣に思えた。phaや中島義道や斎藤環の本を布団の中でずっと読んでる様な、そんな時期だった。こんな社会不適合者にとって、ひたすらキーバンチャ―をするだけの派遣社員のこの仕事はまさに天職で、社会に出てからはじめて「俺は生きてても良いんだ。」と思えた。仕事帰りに出かける精神的余裕ができたのもこの時期だったと思う。社会不適合者にとって社会は厳しいけれども、俺でも受け入れてくれるぐらいには懐が広い。そう気づけた。
こういう誰でも出来て、なおかつ多くの人力を必要とする楽な仕事には、時給1000円そこらにも関わらず多くの人間が集まる。
主婦、他に働き口のない年配者、皮膚病がある人、身体障害がある人、精神疾患がある人、売れないバンドマン、社会生活を諦めた人。
みんな彼らを奇異な目で見る事も見られる事もない。若い女の子にちょっかいかけて迷惑がられる中年のオヤジもいたが、主婦層が若い女の子が嫌な目に合わないように囲ってオヤジを寄せ付けないように庇うシーンなんかも観た。
生涯非正規雇用でしか働いたことのない年輩者。漫画や映画のサブカルチャーに異様な詳しさを見せる30後半の男性。キャバクラに費やして借金を500万程背負って自己破産した躁鬱の中年。ネトゲ経由で女子高生と付き合って会うたびにセックスに興じてる話を嬉しそうにする20代半ばの日焼けしてない小太りの男。通信大学で勉強をすることだけを生きがいにしてる勉強好きな人。顔色の悪いその日ぐらしのデイトレーダー。リーマンショックで会社が潰れてからずっと派遣社員をしているこっちが心配になるぐらい優しくて人が良い男性。派遣をしながらアートの勉強をしていたが仕事に結びつかずそのまま派遣を続けてる女性。HSP気質が強すぎて大きな音を聞くだけで目に見えて動揺する女性。借金を抱えている上に子宮筋腫の手術を控えていて頭を抱えながらこれからの先を涙ながらに悲観する中年女性。本当にいろんな人がいた。当欠してもお咎めなし、生産性求められず、社交性無くてもウェルカム!この気楽さと中島らものような門戸と懐の広さに「派遣社員の制度は福祉」だとさえ感じた。もちろん突然消える人も多かった。
そんな中、俺が今でも一番印象に残っているのが派遣社員同士の一組のカップルだった。
彼らとは別の部署で直接接点はなかったが、休み時間に休憩室で勉強しているときに向かいに座っていたカップルの会話が耳に入ってきた。
どうやら二人は同棲しているようで、そろそろベランダのミニトマトが食べれそうだの、そんな話をしていた。
穏やかな口調で静かに話す30前半ぐらい思われるスピッツの草野マサムネに似た男性と、化粧一つしてない新興宗教リトルぺブルのクララさんに似た20後半ぐらいの女性だった。
二人とも素朴な感じで、見栄とか恨みとか憎しみとか、そういうものとは無縁のような、表現は悪いが人畜無害そうな、植物の様な、そんな印象を受けた。二人の間には確かに静かな時間が流れていて、誰も傷つけず、誰にも傷つけられないような、そんな二人が纏う空気が俺はとても好きだった。もしも俺の半径内で彼らに危害を加える人間が居たら全力で守りたい。そんな庇護欲にさえ駆られた。
時給千円だと二人の手取りを合わせて月の可処分所得はおおよそ28万円ぐらいになる。交通費は支給されない。二人が広げる手作りのお弁当を眺めながら、一体、どんな部屋に住んでいて、どんな生活をしているんだろう。と好奇心が湧いた。(が、最後まで接点はなかった。)
何も身につかない職場(しいて言うなら相手の眼を見れば躁鬱かどうかがわかるスキルは身についた。薬のせいか病気のせいか理屈はわからないが、躁鬱疾患者の目には特有のギラつきがある)で過ごし20代の貴重な数年を棒に振った俺は、月の半分が休みのような仕事に正社員として採用されたので、天職だと言えた派遣の職場を去った。
派遣の時代に比べれば可処分所得は倍以上になったが、忙しさや疲労度は増した。仕事帰りに出かける気力もなくなってきた。休みの日が多くなったが、寝ている時間も増えた。LINEは新卒時代に消したままだ。外部との連絡手段はgmailのみ。SNS嫌いの俺にはそれが心地よかった。友人の誘いを断ることが多くなり、連絡も途絶えるようになった。
職場にいるキラキラとした女性たちやイケイケでエネルギーに溢れる男性を目にすると、その表裏を帯びた見栄や世間体を感じてしまい、とても息苦しくなってしまう。息がつまりそうになる。ドッと疲れる。どうしても派遣時代の、良くも悪くも何事に対しても無関心な、山野一の漫画の世界をマイルドにした様なあの雰囲気が恋しくなってしまうのだ。
上司に「お前彼女はいるのか?」と聞かれた。素直に「いないです。」と答えた。
「若いうちに良い女をみつけとけ、ここはキレイどころ多いだろ、金持ってる女も多いしな」と上司は笑った。
もしもここで交際相手を見つけるなら俺は自分をひん曲げてでも人格や気質を変えていく必要がある。しかし、自分をひん曲げてまで彼女が欲しいと思える程のエネルギーは無かった。負け惜しみとかではなくて素直に交際相手が欲しいとは思えなかった。静かに寝ていたかった。
そういう時に、いつも派遣時代のあのカップルを思い出してしまう。
昇給もなく、雇用も切られやすい派遣社員同士で生活していくのは将来不安なことだろう。両親からの容認も難しいだろう。友人からの理解も難しいだろう。きっと「将来どうするの?」とか水を差されたりするんだろう。男性は「もっと甲斐性を持て。給料もらえる仕事につけ。非正規とかやべえぞ」と尻を叩かれ、女性は「そんな将来性のない男と一緒にいるの辞めたほうが良いよ先が無いよ」と窘められるのだろう。それでも二人は一緒にいる事を選んだのだ。そこには見栄も、経済的な豊かさも、時間に追われる事も、仕事のストレスもない。二人でのんびりと過ごせる、二人で居られる時間を選んだのだ。今の職場で働き出して、ようやくそれに気づいた。
「だから彼らは幸せ」というのは些か短絡的ではある。そもそも俺には二人のパーソナル的なものは何一つわからない。ひょっとしたら二人とも重度の精神疾患を患っていて共依存の様な関係なのかもしれない。それでも、様々な障害を差し置いても二人で居られる時間を二人で選べた彼らを、俺は心の底から羨ましく感じた。もしかしたら俺は二人の関係がずっとずっと羨ましかったのかもしれない。どれだけ金を詰もうが、どれだけ自分磨きをしようが、二人の様な関係性は簡単に築けるものではない。少なくとも彼らの人生における彼らの関係性はとても豊かな物だと、俺は思う。
今あの二人がどうしてるのかわからないけど、出来るなら今でも二人で幸せに暮らしていて欲しいと、時々ふと思う。上手くすべてが続いていけばいい。
パワハラだの
男が生きづらいだの
なんでもかんでも守るようになったが
一人で生きていける力を維持させ
かつ
人間、自立しなければならない。
それでもお母さんは寝るし、疲れて倒れることもあるし、休む。
何が言いたいか
いっこうにかまわん、当たり前だ
生きづらいと言っている人を守る
いっこうにかまわん、当たり前だ
ただ、「守る人が居てやれなくなったとき」を全く考えずに無責任にただただ守るだけのやつが多くないか
「守れ!守れ!」と声をあげまくってようやくちょっと手助けをする程度だったからよかろう
今はもう、守られまくっているところでは、相当に守られまくっている。
ちょっと「つらい」といったら人事が飛んでくる
いや、あの、うん。
ほんとにそれが辛い出来事がどういう原因で起きているかの、確認作業はいい。
ただそこからろくすっぽうにも確認作業もせずに「オオオオォ~~~~~ヨォオオオチヨチひどいめにあったねェ~~~~~~~~~~~」と守りまくるど阿呆うはいったいなんなんだ
それでそいつが、ほんとにお前なしで生きていけるのか
救った気になってなんにも救えていないクソと何が違うのか
もっと自立させることを考えろ
いくらお前が守ろうとも
お前は絶対どっかでおらんくなるし
守りたいやつよりはよ死ぬやろ
先日邪神ちゃんドロップキックを視聴してみました。クズっクマとしてあれは問題かなと思います。
彼女は召喚されたゆりねから度重なる虐待を受けています。彼女は本来ゆりをね殺す立場ですが、ゆりねの私情により飼い殺されて家に留まっているにすぎません。しかし邪神ちゃんは周囲から冷やかされたにせよ、二期最終話付近でゆりねにデレ始めます。もちろん隠れデレなんですけど、内心ゆりねのことを難からず思ってしまう。これは『ISBN:ほにゃらら』で言うところのストックホルム症候群に近い症状ですがクズっクマの書籍の方が詳しいので買ってください。買ってください。
――ISBN:ためになるえらいほん
邪神ちゃんにも問題があります。邪神ちゃんは極度のギャンブル依存症で、ゆりねからもらった買い物の駄賃をパチスロで溶かして帰ります。その上彼女は極度のお人好しであるメヂューサにお金をせびり、メデューサはまんまとお金を貸してしまいます。これはいわゆる共依存と呼ばれる状態で『ISBN:ためになるえらいほん』でうんたらかんたらと定義されます。うんたらかんたらです。クズっクマの書籍の方が詳しいので買ってください。買ってください。
ぺこらもかなりの症状を抱えています。彼女は天国の法則に自らをてらすあまりに思想にがんじがらめになり、困窮に陥ってしまいます。おまけに食物を数度提供された事によって悪魔たちの印象が変わり、祝福あれとまで述べてしまいます。これは『ISBN:アフィ用の書籍です』で指摘されているハロー効果うんこらどっこいしょ部分の解説に対応しています。
そんなわけで紹介した書籍より屑籠の中のクズっクマのクズ本のほうが100倍役に立ちます。はてダが日照り状態なので名声がほしいです。買ってください買ってください。
LINEはブロックしたけど、仕事関係のツールの繋がりは残さざるを得ず、別れて半年経つのに未だにメッセージが飛んでくる。
別れたきっかけは3年同棲していた家を追い出されたことだった。放逐される前は盲目的に相手のことが好きで好きで仕方なかった。結構周りから「そいつやばくない?」と言われていたが、問題無いと思っていた。それに生まれてこの方30年モテない人生を送ってきた私には、見初めてくれた彼が唯一無二だとずっと思い込んでいた。彼から「正直可愛くないけどまぁ好きだよ」と言われて、半分傷ついていた自分の気持ちを見て見ぬ振りしていた。自分の顔面偏差値の酷さをカバーするために、かなり尽くした方だと思う。
同棲2年目くらいから、相手が仕事のストレスで鬱病になって、さらにアルコール依存症に発展していった。真夜中過ぎに叩き起こされてお願いだから酒を買ってきてほしいと言われればコンビニに買いに行った。医者に相談し「それはやめなさい。あと共依存です」と言われてからは酒を買うのを拒否したら、今度はウイスキー飲む用の氷を買いにいかされるようになった。どうしても頼むといって相手に泣かれたら言うことを聞いてしまった。
アルコール依存症について調べて、「底つき体験」というものが必要ということを知り、多分私が居なくなれば同種のショックを与えられるだろうという確信があった。掃除洗濯炊事をはじめとして公共料金の支払いだって全部私が持っていたし、相手が金に困ったらいつか結婚して財布が一緒になるんだからと必要なだけ出していた(後から調べたら累計250万円くらい渡していた)。身の回りの全ての世話をしているATM兼家政婦みたいな存在がいなくなれば「底つき体験」と言えるはずだと思った。また、ずぶずぶの共依存関係の解決には別れしかないという言葉をいろんな体験談で目にして、盲目的な自分の脳みそに別れの可能性が浮かんだ。決定的に別れる必要があると思ったのは、増田か何かで見た、アルコール依存症の父親を持っている人の「絶対に子供を産まないで。一人で不幸になるのは勝手だが子供に迷惑をかけないで」という書き込みだった。それまで自分がちょっと辛いだけでなんとかなると思っていたけど、万一子供が生まれたとしたら、その子を不幸にすることだけは絶対に避けたかった。
それでもやはり自分を好きでいてくれる人がいる生活というのは、顔面偏差値に問題のある自分にとっては蜜のようなもので、離れ難かった。別れないといけないかもしれない、でもまだ自分が必要だと言ってくれる限りは支えたい、とずっと思っていた。
ある日いきなり相手が「家から出ていってほしい」「もうお前のことはどうでもいい」と言い出した。あんまりにも突然のことで訳がわからなかったが、どうやら電話で知人と話したときに、何か変なスイッチが入ったらしかった。その数日前くらいに、アルコール依存症の自覚を促したいと思って私から色々口を出してウザがられたのが主な原因なのではと今になって推察する。もはや関係性は恋人同士などと呼べるものではなく、私は過干渉な母親役であり、相手はそれを嫌がる子供だった。とにかく出て行けとすごい剣幕だったので、半泣きになって戸惑いながら旅行鞄に最低限の着替えと洗面用品を詰めて、ガラガラと引っ張って出ていった。
とにかくその日は安いビジネスホテルに泊まった。以前から考えていた別れの日がきたと思った。どうすべきかとぐずぐず悩んでいたが、深夜2時過ぎに相手からメッセージが届いた。「もう戻ってきてもいいよ」という趣旨の一文だった。それを見た瞬間になぜかスーッと冷めた。もう一度相手の「もうお前のことはどうでもいい」という言葉が思い出され、そしてその後の言葉が謝罪でもなく、哀願でもなく、許可を与えてやるという調子の中に、ああもう相手は自分のことを好きとかじゃないんだなということを今更思い知った。
可愛さ余って憎さ百倍というやつを初めて体感した。翌日改めて別れるということをメッセージで伝えて、全財産叩いて新しい賃貸を探して引っ越した。つらつらと別れの理由と称してこれまでの不平不満をぶつけると、一度はわかったといって相手は別れを了承し、これでもう連絡もすることはないと思っていた。
しかし、なぜか月に1回くらいのペースで家に帰ってきてほしいという連絡がくる。都度、メッセージを見るたびに自分でも説明がつかないくらいの怒りに突き動かされ、罵詈雑言に近い文章を書いて送り返してしまう。1度返事するとまた1ヶ月程連絡が無く、自分の心の中でも平穏を取り戻せそうなタイミングでまた帰ってきて欲しいと言う連絡がくる。なんなんだ生理か。まぁあとは便利なATM兼家政婦はやはり代えがたい存在ではあったんだなぁと思う。
帰ってこいという文字列を見るたびに、一度出て行けと主張したくせにふざけるな、という気持ちが噴出して他のことが何も考えられなくなってしまう。
ちょうど今日の昼間、またメッセージが届いた。もうこの怒りなのか悲しみなのか分からない気持ちがうまく消化できなくて、初めて増田にぶつけている。
30歳で顔面偏差値激低のくせに実際は結婚願望が強かったんだなとか、ブチ切れると敬語に近いメッセージ書くんだなとか、今更ながら自分に対しても新しい発見が色々ある。20代半ばに描いていた未来図が全部白紙に戻ってしまったし、正直多分年齢と顔面とか身体のことを考えると結婚はやっぱり一生無理そうだなとか思って凹むときもあるが、働けるうちにバリバリ働いて老後貯金溜めてさらに友人たちにお子さん生まれたり結婚話があったりしたらバンバン祝儀を出して祝いたい。自分がダメだった分、周りに幸せを振りまける人間になりたいし、そのためには気持ちの余裕が必要だし、気持ちの余裕を得るためにはある程度の金の余裕と健康が必要だ。とりあえず10万円の申請は済ませた。