はてなキーワード: 公言とは
ここには結婚相談所の話題が結構出るけど、ネタ的な文章も多い気がするのであんまり面白くないだろうけど実際に結婚相談所で結婚した体験談のようなものを書いてみたいと思う。
・20代後半 誰に似てるとか何も出てこない何の特徴もないモブ顔普通体型 年収450万
・職場にほぼ女性しかいなかった 友達がアプリで出会った彼が犯罪者だったことがあり、相談所では経歴に関しては嘘をつけないだろうから入ってみようと思った
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相談所にはどんな人がいるのか
・男性はクリーチャーのような見た目ばかりだとTwitterに書いてあったがそんなことはなかった。顔が整った人もいれば普通の人もいれば確かに失礼だけどクリーチャー感のある人もいる。しかしよく考えたら電車の中や街を歩いていてもそんな感じだから別に結婚相談所に特別クリーチャーが多いというわけではないんだと思う。そう思う人は普段視界に入れてもない人が可視化されてびっくりしているのかもしれない。
・自分とお見合いしてくれた男性はみんな清潔感があり紳士的で性格が良い人ばかりだった。Twitterで見たような衝撃エピソードは無い。ただ奥手というか消極的で受け身な人がとても多い。女性もそうらしい。だから結婚できないんだなと思った(もちろん自分も含む)。逆に考えると受け身じゃなくなれば・相手のことを思いやりながら積極的になるよう心がければとても良い結果になると思った。
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結婚後どうなのか
・夫とはソウルメイトのような気がする。相談所でこんなに相性の良い人と出会えるとは正直思ってなかったのでとても感謝している。
・ごまかして辻褄合わせるのも面倒だから相談所で結婚したということは公言している。周りに優しい人が多いからかもしれないけどポジティブに思われることが多い。独身勢には相談所どう?とよく聞かれる。でもやっぱりまだ相談所は少数派でアプリ婚はめちゃくちゃ多い
・私は結婚していない自分が嫌でまともな人と思われたい、と世間体を気にして婚活を始めた自分に罪悪感がある+結婚後どうなるか不安もあったけど、実際は当たり前だけど1人の人とお見合いして会話を重ねるので普通の出会いと同じようにお互い尊重し合う関係を築くことができた。
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偉そうに聞こえてしまうかもしれないけど、自分が本当に身に沁みて思ったことなので書いてみた。
・本当に結婚したいのか考えたほうがいい。自分も相手も不幸にする。
・結婚したいと思うならなぜ思うのか、自分にとって結婚とはなんなのか、そのためにはどういう相手ならいいのかしっかりと考えたほうがいい。自分の中でちゃんと分かってるならその理由がただの世間体とかめちゃくちゃ不純なものでも問題ないし自己嫌悪に陥る必要はないと思う。人に何か言われても自分の人生だから自分の思う通り行動するべき。
・利用を考えているなら1日でも早く入ったほうがいい。残酷だけど年齢は大切。女性だけじゃなく男性も。多分男性が考えている以上に今の時代女性も若い人の方が良いと思っている。
・お見合いの時、顔がいいとか稼いでいるとか話がうまいとかより卑屈ではないということが一番大切だと思う。自分も昔自己肯定感低かったからつい卑屈になってしまう気持ちはすごくわかるんだけど、卑屈な人と関わるのは一番しんどい。相手に受け入れなかったらどうしよう、というより自分の魅力をわかってくれる人と出会えたらいいな、というリラックスした気持ちでいてほしい。自分のために。
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(追記)
『性欲の大きさはバランス取れてると思う? 結婚相談所ってその辺は結婚後にしか判明しにくい仕組みだよね (恋愛結婚だろうが十分起きうるけども)』というコメントをいただいたので。私もこれは気になっていた。
相談所には成婚退会するまでしてはいけないというルールがある。私も最初はびっくりしたけど、逆にOKだったらそういう目的で入る人が増えたり、この人は他の会員としてるんじゃないかと疑心暗鬼になられたり、妊娠トラブルの可能性があったりと確かに悪いことしかないかもしれない。
でも結婚するまでしてはいけないというわけじゃなくてあくまで退会までなので、退会後の入籍前にできるし退会後すぐに入籍しなければいけないというルールもないから同棲してみてもいい。そこで相性が悪かったら別れたら良いと思う。悲しいけど身体の相性は大切だから…
相談所で結婚した先輩はしなくてもだいたいわかるし(最後までするのがダメなだけでハグとかキスは同意があるならいい)チ◯◯の大きさは骨格でわかると言っていた。私には分からないけど…
私は相手に合わせられるというか頻度が高くても低くてもどっちでもいいタイプなのでそのへんは大丈夫だった。退会後にその辺ですれ違うのは悲しいだろうなあ…
ちなみに夫(男子校からの理系学部からの理系就職)は🍒だったけど、めちゃくちゃ優しいし丁寧だし変なクセがない(?)から今までで一番気持ちよかった。何を書いてるんだ私は。
1.AI絵師の画風模倣を咎めつつイタコ絵師を褒めそやしてもダブスタにはならない
例えばボーボボがオシリスの召喚獣を召喚したシーンを例にする。あのオシリスの天空竜は作者も認めるほど原作に画力が追い付いていなかったが、問題はなかった。
あれは真似することに意味があったのであって、画力そのものを必要としていたわけではなかったからだ。
あるいは、ジョジョあたりの絵柄をパロディするとき、パロディした絵がジョジョ原作並みの画力である必要はない。
パロディやイタコ絵師が欲しいのは絵柄そのものの魅力ではなくそれを真似ることによる付加価値だ。
対してAI絵師の画風模倣が欲しがっているのは絵柄の魅力そのものである。
画風模倣AI絵は別に有名絵師の絵を真似て「○○さんのパロディ」だという前提の笑いを取りに行っているわけではない。
言い方は悪くなってしまうが、モノマネ芸人とパクツイは別物であるようにイタコ絵師と画風模倣AI絵師は別物だ。
まあパクツイは普通に著作権違反らしいのでたとえに出すと話こじれるかもだけど。
もちろんこれは「絵柄は著作権法で保護されない」の言いかえなのだが、それにしたってこの言い方まで来ると詭弁ではないか。
絵柄は間違いなく作者のものであるし、それは恐らく生成AI側も認めている。
その根拠は、例えばNovelAIv3では作者の絵柄を模倣させるのに作者の名前をプロンプトに使えるからだ。
画風集中学習したLoRAの配布で絵師の名前をモデルにしているものも見る。
特定の絵柄の学習モデルに作者の名前を付けておいて「絵柄は誰のものでもない」は詭弁以外の何でもない。
「絵柄は著作権法の保護外なので参考元とした作者からの要求を聞く義務はありません(修正済)」とか正確に言ってほしい。
「ポケモンをモチーフにしたと公言した場合のパルワールド」並みに印象悪いと思う。作者名で絵柄を真似るの。
ちょっとAI使ったことないんで推測になっちゃうんだけど、AIで絵柄真似るのってそこで終わりなんじゃないかと感じる。
人間が絵柄真似るのって練習のためと模倣目的の二種類あるんだけど、AIって模倣目的でしか絵柄真似ないのではないか。
AIで「思った通りの絵を生成する」方向でなく「生成する絵そのものの精度を上げる」という意味で絵がうまくなるの、どうやるのかっていうのが全く分からないので何とも言えないんだけど。
集中学習の話なので「流行りのまつげの書き方真似てみよ」とかだとまた話は変わってくる。
4.やっぱり集中学習LoRAとNovelAIv3以外はそんなに憎くない
著作権、ユーザー側の学習でなくメーカー側のデータセットのやつ大丈夫なんか? と思って調べても反AIの語気の強い人が出てくるから話半分に聞かなきゃなんねえ。
LAION-5Bの商用利用非推奨って時点でだいぶ筋悪だと思うのだが、別に禁止はされてないとかデータセットそのものの商用利用が非推奨なだけで学習に使うのは研究目的扱いでOKとかそういう解釈か?
わかんねえ。
でも憎くはない。なんらかの問題が発生してイラスト生成AIというサービスが止まった時、ざまあを思い浮かべる相手は開発会社じゃなくて語気の強いAI推進派の方だった。
なんなら集中学習LoRAやNovelAIv3への憎しみも半分以上それを肯定する語気の強いAI推進派が根源であるような気もする。
以下追記
こんだけ「著作権の話ではない」って繰り返してるのにトップブコメ2つが「著作権の話してないでお気持ちの話したら?」だったの普通にキレそうになったわ。
論の立て付けがカスだからお気持ちの話した方がマシ、って話ならまだしも、言ってもない著作権の話やめろっていうのは流石にキレる。
著作権だ違法だと言う事を全部やめて「私が不快だからやめて欲しい」というお気持ちで殴るべき。下手な知識で著作権を持ち出そうとするから話がややこしくなる
定義できない、作者の中でも移りゆく"画風"を保護する論理を思いつかないし、立法によって守られる法益よりもデメリットが大きすぎる。知りもしない著作権法で戦うより「お気持ち(おれはAIが嫌いだ)」の方がマシ
著作権の話よりははお気持ちの方がまだ近いだろ、この文章。憎いとは書いたけど、著作権の話はほぼしてないからな。
LAION-5Bの話でだけはしたけど、「わかんねえ、でも憎くはない」で済ませてる時点でそこで戦う気ゼロなの分かるだろ。
そもそも"著作権パブコメに書くことでは無いなと思ったこと"だぞ。そのタイトルで著作権で戦う気の内容を書いてるわけないだろ。
この二つにスターつける連中が知性主義を自認してるの、普通に腹が立つんだよな。
もちろん著作権や違法の話してないこの文章を読んで著作権や違法の話を咎めるふんわりブコメをしただけの可能性もある、その時はごめんな。
欧米の方がAIの学習への利用については保守的なようだから、そちらの方面で英語で頑張って学習への無断利用を認めない法律を作らせてくれ。(その間に日本と中国は前に進んでおくから)
どこにも無断利用ダメって書いてねえだろ。生成AIは嫌いよりだけど消えるべきとは思ってねえよ。
集中学習LoRAとNovelAIv3が憎い以外のことは書いてねえよ。
2は単純に便利だからでしかないと思うが。やろうと思えば既存の絵師タグをアホ、バカ、マヌケ、に置き換える事も出来るけど不便だからやらないだけ。結局憎しみとか言っちゃってるあたりお気持ちなんだろうけど。
で、何に便利なんだよ。
その「作者名で絵柄が想像できる」って状況が作者由来のものであるって認めてるってことだ、って話をしている。
著作権で保護されないし、書いてなかったけど所有権があるとも思わないけど、「イラストレーターAの絵柄」って言って特定の絵柄を想像できるほど個人と絵柄が紐づいてる状況で「お前の絵柄は誰のものでもない」って物言いは詭弁だろ。
めちゃくちゃ悪意ある言い方になるんだけど、集中学習LoRAってモノマネで、モノマネしてることすら認めない人に見える。
生成AIの弱点を埋める特定ポーズLoRAなど様々なものが作られてて、なぜ絵柄だけは真似て終わりになるの?生成AI同士、利用者同士も競争と差別化はあるんだぞ。画風固定は一部絵描きの都合だろ、ピカソは幾度も変えたし
集中学習LoRAのまっとうな用法って単一で使わず色々混ぜるのが前提で、元の絵柄をそのまま出力する手合いは白い眼といわずとも雑魚扱いされてるのか?
俺は見識が甘いので、集中学習LoRAを使うやつは元の絵柄をそのまま使いたがる連中だと認識している。絵柄を混ぜてそこまで原形をとどめない活用が前提ならそこまで憎くない。元の絵柄を"活かす"前提ならまだ憎いな。
NovelAIは企業製なので単一の絵柄を作者名で呼び出せる機能を付けた時点でやや憎い。
あとできればピカソ以外の画風を幾度も変えた絵描きを教えてほしい。ピカソだけ例示されても困るし、あとついでに何人絵柄を固定した絵描きを出せば"一部絵描きの都合"でなくなるかも教えてほしい。
後トラバの
正確に言えって言ってる割に絵柄に著作権があるかのように書いてて全然正確でない件
>「絵柄は著作権法の保護外なので著作権者からの要求を聞く義務はありません」とか正確に言ってほしい。
正確に言うなら
は確かにそうだと思ったので変えました。ありがとうございます。
追々記
結局何が言いたいんだかがぼやけまくってよく分かんねえんだけど 「絵柄をもって特定絵師を騙る」のはそもそも著作権で網にかけられるんだから問題なくね?そう割り切れねえよって話?
改めて考えてみたけど、『LoRAであれNovelAIv3であれ「画風を配布すること」が特定絵師を騙ることの幇助』として何らかのペナルティがあってほしい、かなあ。
ただ画風LoRAの扱いが生成AI界隈でどう扱われてるか(画風LoRAが表現する画風をどのぐらい崩すのがスタンダードなのか)が分からんのにさっき気づいたのでその次第による。
主な用法が極端な模倣であるなら咎められてほしいが、例えば複数の画風LoRAを組み合わせて弄り回すのが前提なら別に問題視しないし認識を改める。
このへんなぜかはてブでも根源欲求とか好みってことで公言して良い感じになっちゃってるけど、
統計で身体特徴と有意に結びついちゃってるものがアプリ検索とかに出ていいことになってるの自体はめちゃくちゃ下品ではあると思ってる
前
https://anond.hatelabo.jp/20240208005215
朝日新聞が報じている(https://www.asahi.com/articles/ASQ3R2HK8Q3PUHBI044.html)通り、親ロシア・プーチン支持は現在のQアノンを特徴づける一つの要素と言ってよい。立憲民主党の原口氏も「ロシアへの制裁はディープステートの陰謀」という、Qアノン系陰謀論者どまんなかの発言(https://www.dailyshincho.jp/article/2023/03030610/?all=1)をしているが、Qアノンの親ロシア言説にはロシアの工作が関与していると現米民主党政権に指摘されている(https://www.bbc.com/japanese/56412768)
日本では、左派が伝統的に反米主義を取り、反米シンパシーから親ロシア・中国支持を表明することが頻繁に見られる。例えば琉球新報の乗松聡子が度々ロシアのプロパガンダメディアであるスプートニクを引用しているのは知られている。また先日のG7で「広島サミット粉砕」と公言してデモを行っていのが中核派だったが、反戦・反核を標榜してきた団体・人物にロシアの侵略戦争を擁護するものが相当割合見られるし、その一部がスプートニクを引用(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1486698.html)しているあたり、Qアノンと出元は同じである。
また一時期ここ増田で頻繁に貼られていた陰謀論系Wikiの主張は親中・親露かつ緊急事態要項への反対(https://x.gd/gMGl7)や、改憲に関する陰謀論(https://x.gd/v4G6q)や政府を異様に敵視するなど、概ねリベラルの主張と一致している傾向が見られる。
以上の通り、今野党のコア支持層から議員に至るまで、Qアノンや限界ネトウヨとの融合が想像以上のペースで進行している最中である。
最近のtwitter(X)で導入された新機能「コミュニティノート」について、「本来トランプ系Qアノンを抑制するために導入されたのに日本では左派攻撃に使われている」云々といった意見が見られたが、見ての通り、立憲の原口議員は外形的基準で完全にQアノンに分類される発言をずっとしている(https://twitter.com/search?q=from%3Akharaguchi%20ds&src=typed_query&f=live)し、支持層は以前にファクトチェック記事を出されていたのとまったく同じ陰謀論を今やっている。ファクトチェックにQアノン・限界ネトウヨを抑制する機能を期待しているのであれば、それとの融合や同質化が急速に進みつつある日本の左派がファクトチェックの対象になるのは当然なのだ。
町長により参加者が町内外より200名を超えると報じられたが、横瀬町全体の住民数が7,749名であることを考えると、参加率はわずか2.5%に過ぎません。
この比率は、フォーラムが町民の広範な関心や意見を代表しているとは言い難く、少数派の意見が過度に強調される【エコーチェンバー現象】に陥る可能性があることを示唆しています。
9割を超える住民がフォーラムの存在自体を知らず、または無関心である可能性があります。
フォーラムの参加者の中には、町役場の職員、議員、地区長などの公務員が多数を占めていたと報告されています。
これは、イベントが【内輪の交流に終始】し、外部からの新鮮な意見が不足していることを示唆しています。
実際、多くの非参加者たちが、このイベントを閉鎖的なものと認知しています。
よこらぼにおいて、過去に提案された225件のアイデアのうち、135件が採用されましたが、それについての具体的なフォローアップや成果の共有が圧倒的に不足しています。
公式ウェブサイトでは、これらのプロジェクトの進行状況や成果に関する情報が見られず、イノベーションの実現に向けた実質的な進捗が確認できません。
これは、よこらぼが成果を適切に評価し、サポートする機会を逃していることを意味します。
フォーラムの登壇者は採択者135名の内15名だけであり、その選定理由は明かされていません。
横瀬町は多様性を尊重するコミュニティを目指しているカラフルタウンと公言していますが、このフォーラムの実施状況は、その理念とは異なる結果を示しています。
批判的な意見や異なる視点は、コミュニティの成長に不可欠ですが、このイベントはそれらを十分に取り入れていません。
結論として、横瀬町よこらぼ大会議2024は、町の多様性とイノベーションを促進するための重要な機会であるにも関わらず、その潜在能力を活かせていないようです。
税収の多くを占める石灰産業など、地域経済を支える主な要素への支援が不足している点です。
イノベーションに投資することは重要ですが、既存の産業やインフラの強化も重要であるべきです。
兎沢町有地の開発といった高額なプロジェクトが積立金を切り崩し実施される予定ですが、その投資が長期的で確実性の高い利益をもたらすかどうか検討も町民への説明も十分ではありません。
横瀬町は、外見だけでなく、実質的な成長と自立を目指すべきであり、このようなアプローチは、持続可能な発展と住民の幸福に貢献します。
言葉が足りなかったと思うので下記を補足する
https://anond.hatelabo.jp/20240204160828
真に受けて深刻な状態にある人、例えば精神科医の助けがいる人、極めて厳しい経済状況・家庭環境にある人が、死んだり・足踏み外すの見てられない
ビリー・アイリッシュ(鬱・ダウナー系アピしてたが、本当は西海岸のパリピのお嬢様)や
日本のアーティストだとCocco(重要無形文化財保持者の祖父、成城のお嬢様とまではいないがフツーにある程度お金に余裕がある親)のリスカ公開
他にも類似するアーティストの活躍時に散々言われたが、自分の影響力については考えて欲しいところ
ほんで、本当に自分が嫌いなわけじゃない、本当は経済的に精神的に頼るところがあったり、能力的にお金を稼ぐことが出来る彼・彼女らが、
あと最近巷を賑わせている脚本家の話でとんでもリプライしたのもその類の人
文業の人
はじめまして。毎週楽しみにしてました。
わったので不思議でした💦そして、えっ、
ここでふんわり終わり?と。
でも訳がわかりました。
そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ
↓
まぁ、どんな人も幸せになれる・幸せになって欲しいと思っているので、本当に自分が嫌いなわけでも頼るところが無いわけでなくてよかったねって思うけど、
これって増田の言うところの、『優しい人』、『心のきれいな部分を持っている人』なんですかね?
ワイくん的には、未成年なら<厨二病>、成人してるなら<極めて軽薄な人>、それ以外に思うとこ無いよ
ただ、自分が好きじゃないのに (本当に嫌いなのは、↑ 上に書いた通り自分ではなく、自分の価値を認めなかったり、傷つける世間だが)、
無理にでも自分を好きと言え!!!!!!!無理にでも自分を好きと言え!!!!!無理にでも自分を好きと言え!!!!!と言ってるわけじゃないよ
『優しい人』、『心のきれいな部分を持っている人』では、正直まったくないと思うけど、
(どちらかというとその真逆。心のきれいな部分を『子どもの心』(ピュア)と置き換えれば納得感はあるが、子ども悪意なく虫の羽とかむしりますけどね😒)
怒りや悲しみのエネルギーを創作に昇華すると結構すごいことになるよね
割とそう言うの好きで、本来のパリピに転身する前のビリー・アイリッシュも、Coccoも、Adoちゃんも(ゆうてAdoちゃんは昭和歌謡やジャズも普通に良い感じ)好きよ
まぁ別に創作に昇華しなくてもいいですけど、こういう人ら常に怒ってる(だからこそ死んでない)ので、基本的に優しくはない認識あっていいと思います
優しさとは強さ
弱いヤツはせめて他人に優しくあって欲しいけれど、自分の行動すらいつでも誰かのせいなのだから返報性は微塵も期待出来ないのが実際のところだよ
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
私は一人で創作活動をしている
仕事の依頼の時はもちろんクライアントの発注に合わせて絵を描くからクライアントとの共同とも言える
しかし基本は一人でやっている。
過去に創作をするサークルにも居たが、全員男性だったし自分はただの手伝い要員なのであまり深く関わりはない
・私はエログロ猟奇趣味だが、バカ女集団に気に入られるために穏やかな絵を描いている
・でも私はバカ女集団に依存していて、バカ女が居ないと何もできない
・私が公言する音楽の趣味はバカ女に気に入られるためのもので、実は幼稚な趣味だ
ということになっている
こちらのリアルな近況を仄めかしてくるので、本当にリアルワールドでストーカーされている場合、同じ店で知らない間に食事をとったことにされている可能性もある。
何にせよ不快な目に遭っている
韓国はまだ百歩譲るとして、明日にも戦争が始まるかも知れない中国のゲームの課金していることを公言する時点で、君の露悪趣味は君の嫌う人達の比じゃないくらいひどいことを自覚して欲しい。
もう話せることは多く無いだろうけど、個人的に この人に聞きたいのは、
「学生の時、運動に参加したことを後悔しているか」ということ。
自分はリアルタイム世代ではないけど、戦後の学生運動は ブームのような側面もあったと思う。
有名人で参加したことを公言しているテリー伊藤氏も、「学校の使途不明金が気になっただけで、政治には興味なかった」「当時の日大は学生の7割ぐらいが参加していて、仲間のことを思えば参加せざるを無かった」と話しているし(結果、学生の投石が目に直撃して 斜視に苦しむことに)、山下達郎氏も「ミュージシャンになりたかったわけではなく、学生運動に参加したせいで一般企業に就職できなかった」と話しています。
私は一人で創作活動をしている
仕事の依頼の時はもちろんクライアントの発注に合わせて絵を描くからクライアントとの共同とも言える
しかし基本は一人でやっている。
過去に創作をするサークルにも居たが、全員男性だったし自分はただの手伝い要員なのであまり深く関わりはない
・私はエログロ猟奇趣味だが、バカ女集団に気に入られるために穏やかな絵を描いている
・でも私はバカ女集団に依存していて、バカ女が居ないと何もできない
・私が公言する音楽の趣味はバカ女に気に入られるためのもので、実は幼稚な趣味だ
ということになっている
こちらのリアルな近況を仄めかしてくるので、本当にリアルワールドでストーカーされている場合、同じ店で知らない間に食事をとったことにされている可能性もある。
何にせよ不快な目に遭っている