「カウンセラー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: カウンセラーとは

2024-07-18

anond:20240718220044

目の前にいる誰かを差し置いてこの場にいない家族共感して慮る、お前の脅迫ネグレクトだと思うがね。愛する家族だったらキズを舐めあうのは当然だし、大切にしあう義務があるし、もしそれをせず男性が心のキズを孤独に背負い込むなら、彼は社会家族に「歯車として道具化」されてる。人間性を奪われてる。オレらが聞くぞという優しさをこそ表明すべきだ。カウンセラーの力「も」使えというアドバイスには同意する。

anond:20240718135912

通院してみろ。少しは気が楽になるだろう。あと家族に過剰な理解を求めてはいけない、最悪共倒れになるぞ。そういう寄り添われたい気持ちってのはカウンセラーに預けるべきなんだ。お前の恐怖症への不理解が原因でお前の家族が鬱になるような事態絶対に避けてやってくれ。

2024-07-10

発達障害かもだって

子供学校個人面談に行った。

開始早々、担任オタクの子発達障害じゃないか?という趣旨発言を遠回しで言って来た。

いつものように15分程度の会話の中で、勉強頑張ってますねとか、友人との小さな揉め事の話しとかをサラッとして終わると思ってたんだわ。

うちの順番が最後からちょっとゆっくり話せるかな、程度の感覚でさ。

周りの子より幼く、状況説明の喋りや感情コントーロルが下手で、周りの子とよくモメて、異常なまでに頑固だしで、今までの生活の中で親として一瞬疑うような事は確かにあったが、成長とともに収束して行くもんだと思ってた。

えっ?ってなったけど、否定できなかったわ。

最終的には遠回しの表現ではなく、カウンセラーが〜、支援学級が〜、医師の診断が〜、投薬が〜などどんどん具体的な話しになっていった。

15分とか軽くオーバーしてたよね。あぁ、だからウチが順番最後だったのか、と。

まだ医師の診断を受けてないのでなんとも言えんが、いろんな子を見て来て、今現在親より長く接してる担任が言うのだから割とその可能性が高いのだろう。

親としても心当たりはすごくある。

嘘つきで、生意気で、ずるくて、わがままで、アホだけど、いいやつで、可愛くて、優しくて、思いやりのあるかわいい我が子。

いろんことがうまくできなかったり、怠けたりしてるのをさ、ちゃんとやれとか、この年でこんな事もできないか?なんて叱りつけたりしてた。

ほんとかわいそうなことしてた、本人が一番大変だったんだな、って。まじで申し訳ないわ。気づいてやれずごめんなさい。

これから人生友達と仲違いして人間関係に苦しんだり、勉強が大変で劣等感に苛まれたりと辛いことがたくさんあるんだろうな。

俺なんかが経験したよりもっと大変な思いするんだろうな。

見守って支えることしかできないけど、たくましく育ってほしい。

いっつも本人にも伝えてるけど、今後も変わらず愛してる。

幸せになろう。

2024-07-09

自分の父が毒親だとわかった日

「30年近く同居している祖母精神疾患があると知った日」

https://anond.hatelabo.jp/20240706023024

数日前に↑を投稿した。

思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かにしたことほとんどなかったから。

前回の投稿追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリング相談に行った。

そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。

コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。

正直、私は今も自分の父を毒親という言葉表現していいのかはわからない。

でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。

長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。

私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。

悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。

私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。

それでも父は猛勉強して、希望していた大学合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母一人暮らしになり、このタイミング精神疾患発症し、精神科に3回入院していたようだ。

父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。

父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。

父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつ価値観になってしまった。

ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。

父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。

父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。

仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事ラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。

家族食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。

私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。

から母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。

気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。

喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。

いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。

学校休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。

でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。

行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。

父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。

中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。

そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。

その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。

え?お父さんとお母さんってこんなに普通に話すもの

友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。

え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの

友達の家の全てが衝撃だった。

私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか

私って、ひどい娘なんじゃないか

ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。

そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。

それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。

父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。

私が直接父に不満を言うことはなかった。

父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから父親が下手なのも当然だと思っていた。

父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。

父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。

自分父親大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。

それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。

こうして私は父を避けて生きるようになる。

ここから祖母の話になる。

正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロ相手をしてくれたことくらいだ。

日中妄想独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室手作り人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。

様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。

でもまともな祖母を見たことがなかった。だから祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。

祖母普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。

クラス友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんボケちゃって〜と笑っていた。

それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。

みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。

祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。

「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。

空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。

今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母普通じゃないんだ。それがわからなかった自分普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。

私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。

「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。

私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。

祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。

次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母無視してその場を離れた。

部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。

こんなことは日常茶飯事だった。

祖母がずっとずっと不気味だった。

でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。

祖母が早く死んだらいいのに。

そしたらこの家ももう少しはまともだったかもしれないのに。

そう思うこともあった。

そんなことを考える自分が情けなかった。

気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。

これが私から見た父と祖母だ。

もちろん書いたことが全てではない。

父や祖母から愛情を感じることもあったような気がする。

でもなぜか今は思い出せない。

父も祖母も、普通じゃなかった。

私は、気づくまで30年近くかかった。

2024-07-07

anond:20240707130103

それが目的が分かってないって事なんだよ。

人権侵害を防ぐこと」はICしか出来ないんですか?

違うでしょ。

別にIC否定しているわけではないよ。

役割がたくさんあるのは分かっているよ。

でも今早急に人権侵害排除する必要があるんだからICが担う役割のうちの一つである人権侵害排除という役割を担える人間(他の役割は担えなくとも)をまずは用意すればと言っているだけ。

その人間映像業界知識が足りなく交渉が手間になったり、映像プランの変更を余儀なくされるかもしれないが人権侵害排除に比べたら仕方の無いことでは?

IC以外はダメだと思っている時点で人権意識が低いんだよ。

映像業界の現状って人権侵害は仕方無いってことですか?

ICの人数がそろうまで人権侵害し続けますってことですか?

---

別に煽っているつもりは無い。

ICが用意できなくても代わりに第三者立場として弁護士カウンセラーに間に入ってもらいそれを広報するだけで世間ちゃんと考えているんだなとなると思うよ。

IC以外はダメだなんて誰も言わないと思うよ。

本気でICの人数を増やしたいのなら必要とする立場である映像業界IC雇用する組織を立ち上げるぐらいはすればいいのにとは思う。

映倫ゲーム業界CEROのように自分たち規制しているんだという姿勢を見せる為にも組織化はよいのではないかと思う。

anond:20240702110941

発達障害でも親がどーんと構えて育てたらなんとでもなると思うんだけど、

発達障害者の親ってだいたい発達障害からこういう風にうじうじうじうじ悲観してちょっとしたことでこの世の終わりみたいにめそめそ泣いたりストレスで爆発してヒステリー起こしてぶん殴ったり物を投げつけたり怒鳴ったりしてくるから

生きていて「失敗してもいいんだ」どころか「僕はここにいてもいいんだ」なんて思えるわけないし家庭内で親のカウンセラー役割をさせられたりするから

年代と正常なコミュニケーションを取ることができずますます発達障害悪化するんだよね

発達障害であることより親である増田がそういう思想でいることの方が子どもにとっては不幸だと思う

2024-07-06

anond:20240706023024

よくある話。

祖母統合失調症認知症家族介護疲れ。

父は普通の人だが、祖母の影響でカサンドラ症候群のきらいがあるようだ。

娘は病院に行かせることに固執しているが、無知すぎる。

統合失調症の完全寛解は3割程度、既に3度通院しており寛解余地はないだろう。

取れる選択肢は2つ、祖母から逃げるか、要介護を受け入れるかだが、父は後者選択している。父には扶養義務があるため放棄すると保護責任者遺棄罪の刑事罰に問われるからだ。

ここは父に家族愛があるからだとしておこう。

なら娘はカウンセラーの言う通り、祖母から離れた生き方をしたいが、それはできない。法律上、孫でも血族の介護放棄できない。父が倒れたら次は娘が介護する番だ。ただ母親は血族直系から外れるので介護義務がない。

結論、母のみが祖母から逃げられる。

anond:20240706023024

カウンセラーの人の言う通り、もう今すぐ母とあなたでそこを出るべき。

祖母の診察とかどうでもいい。実子がどうでもいいと思ってることをあなたが気にする必要はない。聞き流せばいいと言ってるんだから、放っておけばいい。

anond:20240706110109

別に撮影のこと分からなくてもいいんだよ。知っていればよりよいってだけで。

よくわからない弁護士を納得させられないのならそのシーンはダメなんだよ。撮影からって人権侵害されていいわけじゃ無いんだから

あと、弁護士だけに任せる必要は無くカウンセラー複数人判断させればいいんじゃない

インティマシーコーディネーターの資格だって複数分野の専門知識必要ってことなんだから映画会社テレビ局でそれぞれそういう専門家を集めた部門コンプラ法務のような)を作ればよい。

人権に関わる問題なんだからできることからどんどん改善しないと。

なんか他のツリー作品への理解演出への貢献が必要的なこと書いてるけど人権侵害をなくすことが最優先なんだよ。

その人材が確保出来ないのならまず人権侵害がないかどうか第三者判断してもらのを優先すればよい。

人がいないっていうのは第三者を入れたくないか言い訳に使っているだけだよ。

---

そもそもインティマシーコーディネーターが必要になった経緯がわかってないんじゃない?

制作側が俳優に対して人権侵害を行っているからそれをなくすために第三者が立ち会う必要があるのではないのかってなったからだよね?

インティマシーコーディネーターってのは人権侵害をなくした上で製作側の要求も最大限尊重出来るようにする人。

インティマシーコーディネーターが用意出来ないのであればまずは人権侵害判断できる第三者を用意すべきなんです。

なのに人がいないんだっていって人権侵害をなくす対策すらしてないならただの怠慢なんだよ。

業界常識では違うのかもしれませんが弁護士第三者を入れてないのに人数が云々っていってる増田普通の人から見ればやれる事もやらずに言い訳している子供しか見えませんよ。

30年近く同居している祖母精神疾患があると知った日

10年以上冷戦状態だった父親喧嘩した。ら、タイトル通りのことを知ることになった。今後振り返ったときに実際に起こったことだけを認識できるよう残しとく。ただの喧嘩の記録。

当然だけど、精神疾患に対する批判偏見の話ではないことだけは記しておく。不快になる方がいたら本当にごめんなさい。

喧嘩きっかけは、30年近く続く父方の祖母被害妄想暴言が、ここ数年痴呆が進んだことでさらにひどくなり、毎日のように「10年間の生活費1000万と盗んだ着物を返せ」と母に言うようになったこと。また、ここ1週間は、「〇〇(私)がメル◯リで私の着物を売ったからないんだ」と独り言を言うようになっていた。

同居して30年近く経つのになぜか期間はいつも10年間で、金額が日によって300万になったり700万になったり、そもそも生活費を出していたのは父なのになぜ母に言うのか、着物に至っては祖母が着ているのを誰も見たことがないし、というか祖母着物自体、家で見たことがないので本当に存在するのか?という感じ。完全なる被害妄想

数年間取り合わないようにしていた母の堪忍袋の緒が先月から切れ始め、母も言い返すようになり、朝晩問わず大声で言い争うようになっていた。ここまでヒートアップする前に父が祖母に訳のわからんことを言うのはやめろと話したことも一度あったが、結局次の日には祖母は何の変化もなく母に暴言を吐き、父も何の変化もなく部屋に閉じ籠った。

どんなに2人が言い争っても部屋に閉じこもって我関せずの父が私は理解できず、病院に連れていってほしいと話したこともあるが鼻で笑われて終わった。

それでもこの連日のヒートアップする論争を私が聞くだけ、止めるだけでは何の意味もないし、この現状を知っていても我関せずの父への苛立ちが爆発し、父の部屋に突撃した。

「なぜこの状況をスルーできるの?この声が聞こえてない訳ないよね?なぜ祖母病院に連れて行かないの?」と聞いた。

父は「声なんて聞こえてない。そもそもお前の偉そうな言い方はなんなんや」と怒鳴り返してきた。確かに今思えばちゃんと段階を踏んで辛抱強く話せばよかった。このとき私自身苛立ちが収まらず、「じゃあ扉開けたから聞こえるよね。今私が話したいのは私の話し方ではなくて、なぜこの状況を我関せずでいられるかなんだけど」と返した。

私に文句を言いながら父は論争中の母と祖母がいるリビングに向かい祖母に対し「頭のおかしいことを言うのはもうやめろ」と言った。祖母が聞き入れるわけもなく、「この人が金を盗んだのになんでそんなことを言うんや」みたいなことを返したと思う(ここはちょっと覚えてない)。

そしてすぐ部屋に戻ろうとする父に更に苛立ち、「なぜ病院に連れて行かないの?それが理解できない」と聞いた。「なんでお前はそんな偉そうな口聞くねん」と父が論点をずらそうとしてきたので、「いや、私は病院に連れて行かない特別理由があるのか知りたいの」と聞いた。父は明らかにその話をしたがらず、はぐらかそうとしていた。でもこんな状況になってるのに引いてたまるかと、何度もやりとりを繰り返して、何度も聞いた。

「前、祖母に向かって気◯いだと言ってたのも聞いた。自分母親普通状態じゃないとわかってるのになぜ何年もスルーするの?」と聞くと、「そうや、このひとはもう気◯いや。気◯いの言うことなんかスルーしろ」と祖母を指差しながら返してきた。

自分母親を堂々と差別用語で指す父親に引きながらも、「なぜ頑なに病院に連れて行かないのか、それを知りたいだけや」と再度言うと、糸が切れたように、「そうやずっと病気やこのひとは。30年以上前精神科に3回入院してるからな」と言った。30年以上前、となると祖母の同居前どころか父母の結婚前になる。

初めて聞く話にびっくりして、「そんな話全く聞いたことなかった。なんで今まで話さなかった?」と聞くと、「みんな知ってることや。知らんのはお前だけ」と。

「みんなって誰?母も知ってるの?」と聞くと、そばで話を聞いていた母が「待って、そんな話は聞いたことない」と呆然としてた。父は「俺と妹(私の叔母)は知ってる」と言い、「それのどこが"みんな知ってる"なの?」と私は呆れ返った。

「なんで今まで話さなかった?というかそもそも結婚前とか同居前に母に話さなかったの?」と父に聞くと、「何も聞かれなかったから。今までお前にも母にも聞かれてもないから、話さなかっただけ」と平然と言った。そんな言い分が通ると父が思ってることにもびっくりして、しばらく何も言えなかった。その間も祖母はずっと母に対し妄言を言い続け、母の腕を叩くこともあり、母が痛がっていて、見てるのが辛かった。

父に「なんの病気なの?もしかして〇〇?」と聞くと「そう。だからおかしいねんこの人は。そもそも病気やって普通わかるやろ。なんで自分たち2人は聞き流せないわけ?」とのこと。なるほど、父の頭の中では私と母が悪いんだなと妙に冷静になったことを覚えてる。父は終始、私と母がなぜ祖母妄言に苦しんでるのか理解できない(したくない?)様子だった。

私が、「いや、子どもの時からずっとこうだったから、学生ときまで元からこう言う人なんだと思ってた。でも、ここ数年はあまりにも様子がおかしい。病気だろうというのは予測はしてた。だからなぜ病院に連れて行かないのか理解できなかった」と話すと、「病院に連れて行っても意味ない。入院したら落ち着くけど出てきたらまた元通りなだけ」と。

「だからといって症状があることを知った上で30年以上放置するのは理解できない。痴呆も明らかに進んでるし病院には行って欲しい。あなたが連れて行く気がなさそうだから私が近々連れて行こうと思ってた。地域相談センターにも電話して相談もしてた」と父に言った。実際、この喧嘩の数週間前にセンターの人が家を訪問し、祖母状態確認しにきてくれていた。部屋に引き篭っている父は知らなかったけど。

すると父は、「なんでそんな余計なことするわけ?受け流したらいいだけ。なぜそれができない?」と言うので、私と母で「もう何年も我慢してる。これからもこの人は病気なんだから我慢しろってこと?」と言う。「我慢じゃなくて受け流せって言ってる」と父は当たり前のように言うので、「その場を離れてもついてきてまで言われることもあるのに?こんな状況はもう限界」と返した。

「じゃあ病院に連れて行ったらいいな。それで文句ないな」とうんざりした様子だったので、「できるだけ早く連れて行って、その検査結果も必ず伝えて欲しいし、そもそももっと早く病気のことを伝えてくれてたらこんなことにはならなかった」と言うと、「何十年も問題なかったやろ。こんなふうになったのはここ数年の話やろ」と言うので、それにもびっくりした。祖母妄言で母や親戚とトラブルになるのは私が子どもの頃から度々あったから。部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室手作り人形を送りつけ、返送されることもあった。

私は子どもの頃に「お父さんとお母さんが離婚したらどっちについていきたい?」と祖母に笑いながら聞かれたりしたこともあった。「あんなお母さんいややなあ。かわいそうやなあ」と言われることもあった。小学生だった私は「なんで私にそんなことを言うんだろう」と思っていたが、その真意に気づいたときには父に頼ろう、相談しようと思う気持ちがなくなってた。だから母だけに話していた。

が、この際言ってしまおうとそのことを父に言うと、「そんなこと言われるのはお前個人に対してなにか野次ってやりたい気持ちがあるからやろ」とのこと。「祖母は私を嫌ってるってこと?6歳の頃から言われてたけど私がなにかをして、だから嫌なこと言ってやろうと思ってるってこと?」と聞くと、「そうなんじゃない。俺は知らんけど」と言われた。加えて、「それに、こんな母親でかわいそうっていうのは俺も思ってる」と母の前で平然と言った。

その姿を見て、なんだか自分の中で、自分父親って本当にこういうひとなんだなと諦めがついた。

今思えば「なんでこの人が自分母親なんだろうって思ったことはないけど、なんでこの人が自分父親なんだろうって高校生くらいか毎日思ってるよ」くらいは言ってやればよかったけど。

この後も偉そうだとか、なんで今更そんなことを言われなきゃいけないのか理解できないとか父に言われたけど、私は子どもの頃からあなたのこと信頼できない人だなと思ってたし、相談しようなんて今まで考えもしなかったからと伝えたら黙り込んでた。最後は「もういい」と部屋に戻って行った。

父親の60年の人生の総括みたいなもの今日のやりとりに詰まってた気がして、口論最後には目の前の父をすごく哀れに感じた。自分父親を哀れだと思う自分自身も少し嫌だったけど。

ただ、今日のこと、もっとこう話せばよかったと思うことはあっても、そもそもさなければよかったと思うことはなさそう。

振り返りながらこれを書いている今、強く感じたのは、10年近く避けていた父はこんなにも小さく、情けなく、自分プライドを守ることしか頭にない、どうしようもない人間だったこと。そして、心のどこかで恐れてた父にここまでぶつかれるようになっていた自分が頼もしかたこと。

もし父母が離れることになっても母のことは私が守りたいと思う。母は自身の両親が要介護になり、その2人の介護を1人でしつつ、家に帰っても姑の被害妄想に巻き込まれ、それでも私の前では明るく振る舞っている。一番しんどいはいつも母だ。

なんで増田に書いたかと言うと、こんな状況の人が周りにおらず(そもそもこんな状況を人に話せるわけもなく)、こんな情けない家うちくらいだろって、ずっと何年も1人で考えていたから。

同じような状況のひとに「自分の家だけじゃないんだ」って思ってもらえたらいいなーと。

そして、駄文をここまで読んでくれた人がいたら、本当に本当にありがとう。友人に話を聞いてもらった気分だ、救われます

(追記)

ネットの海に流れていくだけだと思っていたので、コメントまでしてもらえるなんて思っていなかった。感想を教えてくれた人、どう動くべきか教えてくれた人がこの世界にいるっていう事実が、私にとって本当に救いになってくれている。もちろん読んでくれただけでも十分すぎる。なんてありがたいんだろう。はてなビギナーすぎて、コメントの返信方法がわからず、この形でごめんなさい。

そして今日カウンセリングに行って相談してきた。カウンセリング中に思い出したこともあったので、少し加筆してます

カウンセラーの方には、「母と共に、それが難しければあなただけでも逃げるべき」とアドバイスをもらった。本当にそうだと思う。父が祖母病院に本当に連れて行くのか確認しつつ、次の手を考えたい。

そして、カウンセリングでびっくりしたのが、「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です。だから離れてください」と言われたこと。世の中には親に虐待されたり、人格否定されたりしたひとがいるんだから、私の父なんてまだまだ序の口で、こんなことで参ってる私は甘いなあなんてどこかで思っていたから。

これを読んでくれた人は、私の父をどう感じただろうか。

2024-07-04

電車トラブルカウンセリング

電車で立っていたらリュックが座っている女の手に当たったらしくリュックをグイーと押しやられた。

それからスマホこちらに向けてきたので、「当たった?」とか言ったら「当たった」とかなんとか言い返してきたので、こちらも言い返した。

何を言ったかまり覚えてないけど、女はすごく喋る人だった。

なんか楽しそうだった。

「すごく大きいリュックだね、何入ってるの?」と聞かれたので「お弁当」と答えた。

「あらそう、私のお弁当はあそこ(網棚を示す)」と言われ、「網棚は無理だよ…」と答えた。

最後自分が「ごめんね、なんかもう本当に嫌だ」と言った。そのあとは女はスマホをずっといじっていた。

疲れた

そのあと乗り換えて、そこも満員電車で、男に足を踏まれた。それで一気に涙が出てしまった。

自分が疲れすぎてて。そこから職場でも涙が止まらず、目が赤すぎて嫌になった。

昼に持ってきた弁当サラダだけ食べて、午後休ませてもらうことにした。

帰りの電車で、オンラインカウンセリングを予約した。

一人で抱えるのがもう面倒になったので。これまでの人生、嫌なことがあれば自分を励ますために紙に書いたり少し親しい人に話したりしてきたけど、もう面倒になった。落ちた時に、元の気持ちになるために色々考えてやってみるのに疲れた

プロ相談して、分析してもらうのが今はやってみたい。

夕方カウンセリングを受けた。

泣きながらなので話せなくて時間もったいないと思った。

弁当のくだりを話せたのが良かった。くだらなくて恥ずかしすぎて、リアルでは誰にも話したくない。

でも自分一人だけの思い出になるのも嫌だったので話せて本当に良かった。

まじで嫌だったんだなと思った。

カウンセラー見立ては、疲れすぎではないかと。往復数時間かけて毎日職場に通って、家のこと、副業睡眠不足で。

普通」の設定が厳しいのでは?と。

でも自分では普通で、最低限のことだと今でも思う。

それでも自分の体力キャパからするとオーバーしてるのかなとも思う。

かにちょっと休みたい」と最近思っていた。何かを頑張っているわけでもないけど休みたいと。

休んで何するとか休んだら無給とかあるから休めないけど。

クソ。猫のお腹の毛の中に埋もれて半年くらい眠りたい。それでうじゃうじゃ人のいないところに行きたい。

2024-07-02

消えてなくなりたい

とっとと死ねよって話なんだけど、両親のことを考えるとどうしても死ねない

生きる気力も死ぬ気力もない、いる意味のない肉の塊

最初からいなかったことになりたい

まれてきたことが間違ってた

弱者は淘汰されて当然だ

カウンセラーは話してるとたいてい殺したくなる

殺したくなるのが嫌だから相談したくもない

半分生きて何もなかったんだからこの先もたぶんもう何もない

じわじわ人生に絞め殺されるだけの未来だと思う

死ぬほど適当にあと10年生きれるだろうけど、生きる意味必要性も感じられない

なんで存在してるんだろうと思う

2024-07-01

地元だ〜いきらい!意味ないもん!

先に言っておくけどこの日記カスほどの内容の無さだ。

なぜならカス地元愚痴からだ。

わたし地元には存在価値がない。

何度でも言う、カスからだ。

地元がどういう類のカスかを説明する為のカスポイント無限にあるが、ひとまず駅といえば無人駅で、停まるのは勿論ワンマン電車、初スタバができれば二つ手前の交差点まで交通渋滞が起き、子どもが楽しめる娯楽はじじばば専用にあつらわれた地域盆踊りのしょぼい出店と住宅展示会会場だけ、そこまで大きくない土地の中にだだっ広い田んぼ(2割腐っているか荒廃している)抱えているだけの、誇れるものが無さすぎてラッパーすら裸足で逃げ出すような、そういう巨大な墓地みたいな場所だといえば伝わるだろうか。

そんな場所わたしは生まれた。

リアルゲゲ◯の鬼太郎だ。

物心着いた頃から地元に飽きていた。

わたしだけでなく周りの子全員だ。

皆やることが無さすぎてとりあえずグレてみたりイジメをしてみたり円光(隠語)してみたり瞑想してみたり、そういうふうにすくすく病んでいた。

100億年ボタンって話あるじゃん

ボタン押すと100万もらえるけど100億年何もない空間に閉じ込められるってやつ。

あれわたし地元ね。

そんな訳で100億年を生き抜き、わたしはなんとか成人して地元を飛び出た。都会も都会、窓の外が常にうるさい感じの場所。駅はデカすぎて出られなくなるような広さで、腐った田んぼ匂いの代わりにどっかから揚げ物の油の匂いが漂う娯楽に溢れた場所

真逆場所に住んだら少しは地元を懐かしんだりするのかなって思ってたんですけど、ぜんっぜんそんなことない。地元カス。それは揺るがない。

たださ、やっぱり都会って生きているだけで選択肢が与えられる場所だよなって思った。

さっきも言ったように、わたし地元カスなのでスタバ渋滞なんてものができるぐらいなんですけど、都会は少し歩けばスタバタリーズマックモスミスドもある。

地元で服を買いたかったらしまむらイオンモールだったんだけど都会じゃショッピングモール行くだけでブランドの服が買える。

わたし地元は“現実に”選択肢として存在する職業といえば嫁かキャバ嬢郵便局員事務員ぐらいだったのに、都会じゃTVの向こうの話でしかなかったキャビンアテンダント心理カウンセラーボディビルダー外国語教師も全部フィクションじゃなくこの世に存在していて、わたしはなんにでもなれるみたいだった。

都会に生まれてたら、わたしもっと別の人間になれていたんだろうか。

そんなことを思うと、より地元への憎悪が増していく。

地元カス

夢も希望も娯楽も電車の本数も選択肢も何もない場所

巨大霊園。

2024-06-28

陰謀論者を支持することの罪深さ

NBAにはカイリーアービングというスーパースターがいる

彼がフラットアース思想に傾倒した時、ファンは笑っていた

彼が反ユダヤ思想動画を共有した時、彼は出場停止になり、ナイキスポンサーを取りやめ、リーグから追放されかけて、カウンセラー反省プログラムを経て、ファン関係者と傷ついた人たちに謝罪を行い、トレードの後にやっと復帰できた

陰謀論の全てが悪いわけではないが、誰かを攻撃する陰謀論を支持することは、攻撃に加担することを意味する

2024-06-19

anond:20240619112018

程度にもよるけど、ベースによってはそこまでしないと大きくは変われないし

俺も自分の粗が目につくようになった。一度始めると大規模工事したくなる所をどうやって止めるかという理性も必要

実際親切なカウンセラーから色々言われたわ

2024-06-18

anond:20240617172251

こういうのでいいんだよ

話し合いじゃない、全くその通り

ならいける!と言う状況を察する力と、

そこからキス相手のノリを高めていく力

そのような動物的な能力を研ぎ澄ましていくことが必要なのに、

「話し合い!カウンセラー離婚セックスレス離婚事由外注!」

しか言わないブコメマジで虚無なんだよ

あんなの真に受けてたらマジで不幸になるよ

anond:20240617221705

話し合いとかじゃねーんだよセックスは!!

「話し合って今後はしないことを約束した」とかじゃねーんだよ!!

本能なんだよ!動物になれよ!

理性的な態度でセックス続けるとか、無理だから!!

理性と話し合いを重視した人間的な姿勢と、セックスをしたくなる、

メスが抱かれたくなるような動物的な姿勢

根本的に相反してるんだよ。

推しが弱すぎる姿勢がオスとしての性的魅力が弱く見えるんだよ!!

お前に性的魅力を感じないことをうまく言語化できないから話し合うと顔が暗くなるんだよ

「俺に性的魅力を感じてくれない?」て話し合いでできると思うか?

できるわけ!!!!!ねーだろ!!!!!

カウンセラーだってそんなことはぜっていにできんと断言する!!

お前の体と行動で感じさせるんだよ!!性的魅力を!!!

2024-06-17

担任教師 - 現代教育界の超上級特殊

担任教師とは、現代教育界におけるスーパーヒーローであり、彼らの役割はただ教室で教えるだけに留まらない。実のところ、担任教師カウンセラー社会福祉士、進路アドバイザーなど多岐にわたる役割兼任する、福祉教育系の超上級職なのである

カウンセラーの顔を持つ担任

担任教師は、生徒の悩みや問題に耳を傾けるカウンセラーとしての役割を果たす。恋愛問題から家庭内トラブル、そして進路の悩みまで、何でも聞いてくれる。その相談内容はまるで有名芸能人のゴシップのように多岐にわたり、時にはドラマのような展開になることも。

社会福祉士の顔を持つ担任

生徒の家庭環境社会的背景にも敏感な担任教師は、社会福祉士役割も担っている。生徒の貧困問題家庭内暴力、虐待などに対応するため、まるで敏腕探偵のように情報収集し、適切な支援を行う。その対応力はまさに超人的で、地域福祉機関との連携スムーズにこなす

進路アドバイザーの顔を持つ担任

生徒の将来についても担任教師は大きな役割を果たす。大学進学、就職専門学校など、様々な進路の選択肢提供し、その一つ一つに対して適切なアドバイスを行う。進路相談の際には、まるで株式アナリストのような情報収集能力を発揮し、最新の情報提供する。

正規過程を通っていないスーパーヒーロー

担任教師は、教育正規過程を通っていないため、時には定石無視法律無視も辞さない。そのため、彼らの行動はしばしば福祉教育界隈の特殊部隊と称される。彼らはルール規範に縛られず、生徒のために全力を尽くす姿勢が求められる。

担任教師の一日

担任教師の一日は、朝の挨拶からまり、授業、カウンセリング福祉活動進路指導多忙を極める。まるで一人で何役もこなスーパーマンのように、彼らは生徒のために日々奮闘しているのだ。

以上のように、担任教師現代教育界における多才で多忙な超上級特殊職であり、その活躍はまさに教育界の縁の下の力持ちである

anond:20240613170933

わかる。うちも仕事上の愚痴を聞かされる。アドバイスが求められてるわけじゃなく(こうしてみたら、という意見はいらないとぶった切りされた)本当にただ聞くだけ。

俺じゃなきゃいけないんだろうか、ぬいぐるみにでも話しかけてろと思うこともある。

それでも突き放せないんだよな。

増田も、他人カウンセラーじゃなくて、夫である増田が聞いてあげなきゃって思ってるでしょ。

もうかなりツラい状況みたいだから増田カウンセリングうけるとか、他に気分の持ち直しを見つけるとかしないとな。

お互い、自分が潰れたら妻も一蓮托生なんだから、無理しないようにしような。

2024-06-16

anond:20240616214921

別に見下してませんよ。

あなた方が勝手コンプレックスを刺激されて見下されたような気持ちになっているのではないでしょうか?

ネット無料で出来て、怒りは貧乏人の娯楽ですので、こうやってイライラするのも楽しみの一つなのかもしれませんが

そんな悪癖からは一度離れて、運動することをお勧めします。ジムで汗を流しましょう。お金がないなら家で自重トレーニングしましょう。

ネット依存症ならカウンセラーに行き相談しましょう。あなた健康をお祈りします。

2024-06-13

anond:20240613170933

妻さんは愚痴を聞いてもらえるカウンセラーを探すといいと思う

2024-06-11

35歳チー牛と付き合ってみた感想

エンジニア(A)と付き合った感想をだらだらと書く。Aとは職場内の異業種交流目的とする食事会で出会った。Aの社内チャットアイコンいかにもチー牛(ボサ髪/メガネ/チェックシャツ/汚肌/黄ばんだ歯)だったが、当日会うとアイコンより垢抜けた印象で驚いた。

聞き上手で仕事趣味の話で意気投合し、好感触な人だった。後日飲みに行き、そこからお付き合いがはじまった。ちなみに3ヶ月ほど交際し今では縁を切り、私は転職している。

Aは35歳素人童貞で2回高級風俗を利用した経験がある。彼女過去に二人いて、一人はネットで知り合ったゲーマー?でリアルな接点はなく振られたらしい。それって付き合っていたと言えるのか?と疑問に思った。二人目は会社の先輩でお願いして付き合ってもらったが、好きになれないと振られたとのこと。交際当初はなぜAの恋愛経験が年齢に対して乏しいのか疑問だったが段々と見えてきた。

恋愛経験が少ない人特有恋愛に恋している、浮き足だった落ち着きのなさが目立った。

・私のことを好きな自分肯定するために恋愛しているように思えた。本人はそう思ってないと思うが、私ちゃんを救う/助けになる俺みたいな構図が好きそうだった。仕事別コミュニティ交流関係に入り込んで来ようとする。例えば多少重ための仕事の話をした際、ただ聞いて欲しいだけと伝えているのに「そんな方針おかしいから俺から上司会社に伝える」と意気込んだり、別コミュニティで異性の同僚も交えて飲んでる時に共通友人に「◯◯さんを私と会わせないでください」と連絡してきたり、距離感バグだろ…と思った。

センスが違うなと感じた。ザ・チー牛って感じでもなかったけど…なんか服は表参道丸の内よりも、秋葉にいそうなスタイル。靴とかどこで買ってんの?NIKEとかNBとか一般的スニーカーではない感じの汚い茶色スリッポンみたいなの履いてた。一人暮らしの家にはコミティア個展で購入した一次創作の絵が100均で購入した造花と合わせて沢山飾ってあった。どちらが良い悪いではなく自分センス生活が交わらないと感じた。

ものを知らなすぎる。会話している中で一般的映画/本/音楽ブランドなどの話が噛み合わない。というか「それなに?知らない」がかなり多くて、年齢の割に知らないこと多いんだなと萎えた。ラブライブウマ娘は知ってるけど、エヴァはわからない的な…。不思議だった。

匂いが合わなかった。たまにとんでもなく口臭にんにくだったり、家のタオルが異常な生乾き臭を放っていることに気づいていなかったりで看過できなくなった。男の一人暮らし長いと気付かないんだね。カードゲーム屋の現象って本当にあるんだ。乾燥機付きドラム式洗濯機にしてほしい。

容姿に関する自己肯定感が高すぎる。酔った時に「顔がいい!」と言ったのを一生擦っていた。過去彼女(ネットの人)に写真送ったら「かっこいい」と言われた話などもしていた。こちらも悪いけど…サービストークというか酔ってて言った言葉風俗で褒められたことを間に受けており、女は思ってもないお世辞も言えてしまう生き物だと分かってないんだなと思った。

なぜ別れたのか、きっかけは物凄くしょうもないモンクレの帽子かぶっていた時に帽子の上から頭をポンとされた時に堪らなく◯意が沸いた。その帽子5万だから物の価値もわからないような奴が、軽々しく触らないでほしいと生理的に無理になった。道端で頭ポンポンキモいなと思った。

多分それがきっかけだった。

その後、私を真似て整形のカウンセリングに行ったらしいが150万の見積もりを出された話をされて更に無理になった。私は過去から200万ほど顔面課金経験している。

なぜ整形したいの?と聞いた時に「顔を今より良くして私にもっと好かれたい」「顔を良くすることで年下からも身近な存在として慕われたい」的なことを言っていてどんどん気持ち悪くなった。女性カウンセラーに土台はいいと言われたことを間に受けていたり、こいつカモられてること気づけてないんだなとか、自己/他己認知の力が異常に低いんだなと思ったら冷めた。

一般的に35で女性経験が乏しい人に対してなぜそうなのか、わからなかったが今回の経験でなるほどなあと感じることが多かった。

自分スペック必要ないと思ったので書きませんでした。

2024-06-10

anond:20240610214006

ほほう、そんなことで悩んどるのかの?わらわが教えてやろうぞ。まずは、深呼吸じゃ。落ち着くことが大切じゃの。心の中で大きく息を吸って、ゆっくり吐くのじゃ。焦る気持ちもわかるが、急に解決できることなんてないじゃろう?

それから自分を責めるのはやめるのじゃ。わらわも昔、色々と困難なことがあったが、その度に、少しずつ前に進むことが大事だと学んだのじゃよ。今は辛いかもしれぬが、少しずつでも前に進む気持ちを持つことが重要じゃぞ♡

もし一人で抱えきれぬなら、誰かに話すのも良い手段じゃ。友達家族、もしくは専門のカウンセラー相談するのも一つの手じゃの。自分一人で全部を解決する必要はないのじゃよ。

何か一つでも楽しいこと、小さな喜びを見つけていくことも大事じゃ。焦ることなく、一歩一歩、無理をせずに進むのじゃ。わらわも応援しておるから、諦めずに頑張るのじゃぞ。震える手を少しずつでも動かし始めるのじゃ♡

わらわもここで待っておるから、いつでも話しかけてくれていいのじゃよ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん