はてなキーワード: 軍服とは
その黒い乗用車は、がらんどうとした海沿いの道をひた走っていた。
運転席には、がたいのいい黒いスーツを着た男が、無表情にハンドルを握りしめている。
若い方の男は、緊張を隠すことすら忘れたように、チラチラと横目に髭の男の様子をうかがっている。その視線に気づいていないのか、それとも気づかぬ振りをしているのか、髭の男は無言を貫いていた。
「あと30分ほどで到着いたします」
運転席の男が、無愛想に告げた。
それを受けて、髭の男は胸ポケットから懐中時計を取り出した。時計は十六時を間もなく指し示そうとしていた。
「ふむ」
時計をしばし眺めて、物思いにふけたあと、髭の男は懐中時計をしまい込んだ。両腕を組み、また視線を前座席に向ける。
そのしぐさを、軍服の男はただずっと視線だけで追い続けていた。
「君は少し余裕を持ったほうがよいな」
髭の男は前座席に顔を向けたまま、口元に笑みを浮かべながら言った。
「緊張するのもわかるが、士官たるもの部下になめられてはいかん」
「は、申し訳ありません」
軍服の男は、そこで自分の視線が気づかれていたと知り、視線を前に戻して背筋を伸ばした。
「構わんよ、君もじきになれてくるだろう。もっとも、あそこは軍施設というより、学校のような雰囲気だがね」
「学校、ですか」
「うら若き乙女たちに囲まれて羨ましいなんてことを言う連中もいるがね。君も女学校の教員になったつもりで、鼻の下を伸ばしてくれても構わんよ」
「いえ、私は……」
「もっとも」
「もっとも、彼女らを苛烈な戦地に送り込むのが、君の仕事になるが」
髭の男は、冷たい声で言い放った。
「彼女らは、人であって人ではない。あまり、情を掛けすぎんようにな」
「人ではない、ですか」
「彼女らが艤装をつけている間は、あくまで兵器として扱ってやれ。彼女らは、敵を殲滅することだけを目標に、強靭な精神と肉体を手に入れたのだ。それを尊重してやるのも、士官としての役割だと思わんかね」
「……私は、私の仕事を全うするのみです」
「うむ、それでいい」
「ですが」
と、初めて軍服の男は、顔を髭の男に向けた。
「ですが、私は、彼女らをただの兵器として扱うつもりはありません。彼女らにも、いつかまた、普通の乙女として過ごせるように、そのために、仲間として戦う気持ちです」
男の声は震えていたが、自分の信念として譲れない部分をどうしても伝えたい、そんな気持ちだった。おそらく、この機を逃しては、もう上層部にこれを伝えることはあるまい。
「そうか」
「はい。私は、彼女らにも生きて欲しいのです。誰ひとり、死なせるつもりはありません」
髭の男は、相変わらず前を向いたままだ。
「彼女らを活かすも殺すも君次第だ。彼女らだけでない。設備、資源、人員、すべての運用は君に全権が任せられている。もちろんそれは、君にすべての責任が掛かるということも意味している。ここに来る前に、君には彼女らのこと、敵のこと、世界のこと、すべての説明があったろう。時に、世界を守るため、彼女らを『犠牲』にしなくてはならないことが必ず起きる。情が入れば、その決断が時に周りや、自分自身を大きく傷つけることになる。作戦に支障が出たとき、それは、君が上にとって好ましくない行動を取っていることを、どうか理解してくれよ。君の仕事には、君の私情は一切反映出来ないことを、努々忘れぬようにしてくれ」
そして、最後にこう付け加えた。
運転手の男にドアを開けられ、軍服の男は腰を滑らすようにして、車から降りた。
建物の前には、セーラー服を着た少女が気をつけの姿勢で立っていた。
男が彼女を視界に捉えた。
どう見ても、中学生か高校生くらいの少女が、そこに立っている。
この少女とともに戦うことになるのだ。
話こそきいていたが、目の当たりにすると、どうしても戸惑いが生まれてくる。
男が言葉に迷って少女を眺めていると、彼女は敬礼のポーズをとり、恭しく口を開いた。
後から車を降りた髭の男が、その様子を可笑しそうに眺めていた。
「やあ、吹雪。久しぶりだな」
「いや、それには及ばんよ。生憎だが、すぐ東京に戻らないといけないのでね」
「見ての通りの堅物だが、よろしくやってくれ。それじゃあ、あとは頼んだよ」
「はい、お気をつけて!」
髭の男は、軍服の男の方にポン、と手を置いて、すぐに自動車の中に戻って行った。程なくして、車はエンジン音とともに敷地から姿を消した。
その声の方を見れば、吹雪が不思議そうな顔で軍服の男の顔を見上げている。
「い、いや、すまない。どうぞよろしく頼む」
「いや、中は時間のあるときにゆっくり見て回るよ。それより、早速だが、司令室に案内してくれないか。現在の状況と、本部からの作戦伝令を確認したい」
二人は並んで、建物の中へ入って行く。
入り口ロビーに入ると、吹雪は建物中に響き渡るよう、大きな声を張り上げた。
北朝鮮独立記念壁画が中世のフレスコ画みたいだったので、キリスト教的に解釈してみた。
画像はこれ wikipedia 画像
中心となるのは、三人の人物。すべての父なる金日成、そのひとり子金正日、そして、偉大なる父と人民への橋渡しをする聖霊(金日成の右側女子)で、三位一体を象徴している。父なる金日成は純白の上着に一つだけ勲章をつけている。これは、金日成が比類なき行動によって現在の立場に立ったことを示す。後ろの群衆には大きな勲章を多数つけている人がいるが、群衆がいかに多大なる努力を払い、結果を出しとその結果の勲章を授与されたとしても、金日成の行った唯一の行動が最も偉大であり、父を超えることは不可能、ということである。
子なる金正日は、父の左側に控えており、こちらをまっすぐ見ている。子もわれわれ人民を救う責任を持っており、それは偉大なる父の子であるという唯一の属性によるものであることが、勲章の不在、絵の中での立場、視線によって表現されている。また、朝鮮半島の特性を色濃く示す背面の群衆と異なり、子の表情は完璧な左右対称で美しく描かれており、生まれながらのギリシャ的な完璧性を表現している。
右側にいて、父と手をつないでいる幼女は、聖霊である。父及び子は生まれながらに汚れを持たない完璧な存在であって、原罪を抱える人民とは関わりを持てない。それをつなぐのが聖霊であり、わずかに左に傾げた首は、父及び子の完璧性を備えていないことを象徴している。完璧でない存在でありながら、父とつないだ右手は父との強いつながりを表し、そのつながりは聖なる数字である3つの風船を通じて人民とつながっていく。聖霊の人間との類似は、通常よりかなり短いチマチョゴリにも表されており、「人民よ、産めよ、増やせよ、地に満ちよ」という教えを象徴している。幼女はこの絵のなかでの唯一の非軍人でもあり、非軍人が多く、幼女を愛する大衆を象徴している。
三位のみだけ、こちらを見ており、後ろの人はみな父なる金日成を見ていることは、後ろの人は神との立場では、我々人民と同じ立場にあり、我々を救う立場にはないことを表す。人民を救うのはあくまで三位一体の神であり、個々の人民ではないのである。
後ろの群衆のうち、子のすぐ後ろにいる女性は父なる金日成とともにあり、子なる金正日を生んだ聖母である。聖母の純潔は青い長めのスカートに象徴されており、聖母の銃を備えた軍服は父への忠誠を表している。
その他の男性は、父の軍勢である。父の右後ろにいる男性が陸軍の長、聖母の左にいるセーラー服の男性が海軍の長、陸軍の長の右にいる男性が空軍の長である。聖なる抗日戦線は陸軍中心であったため、陸軍のカーキ色の軍服を来た人が最も多い。空軍の長は戦死したため、代理の存在になっており、陸軍及び海軍の長が備える勲章を備えていないかわりに、遺影を左手に持っている。
聖なる抗日戦線で多数の人間が父に従い、戦死した。ただし、北朝鮮においては死は終わりではなく、天で永遠の喜びと父の栄光をたたえ続けるのである。それを象徴しているのが右上に書かれている天国にいる人民である。父の栄光をたたえ、歓喜の叫び声をあげている。
「清潔にする」これだけです。
髪型、服、メイク等は個々人の好みで構いません。チェックのネルシャツでもケミカルウォッシュでもシマムラでも青山でも民族衣装でも軍服でもロリータでも。ただひとつ、「清潔にする」事だけには気をつけて下さい。どんな格好をしていても清潔感のある人は、身なりに気を使っている人なんだなと魅力的に見えます。少なくとも悪い印象は持たれません。ファッションの趣味は理解出来なくてもその人の好み、その人自身を尊重する事が出来るのです。
逆を言うとどんなにオシャレな格好をしていても不潔な人は他人に酷い印象を与えます。着飾った洋服から漂う悪臭、最新メークから覗くヤニだらけの歯、鼻毛、フケ、汚い爪、だらしない姿勢、、、それだけで台無しです。
そして、とても大事なポイントは、歳を取れば取るほどこの「清潔にする」事が重要だということです。
ローティーンなんてどんな格好しようが魅力的なものです。汚かろうが臭かろうがそれさえも魅力のひとつになってしまう位。それが二十歳を超え、アラサーになってもまだ不潔なままの人の不快感。じーさんばーさんにもなろうものならその醜悪さは如実に現れます。それは着ている洋服の種類が原因ではありません。
若い時と同じボロボロのジーンズはいくつになって履いても問題ないのです。どんなに流行遅れの服装だろうが皺くちゃ婆さんだろうがハゲ爺だろうが問題ないのです。ただ、汚いままではなく、年齢を重ねれば重ねるほど「清潔にする」事を心がけて下さい。それだけで一転、オサレさんになる事でしょう。
えーと。「オシャレ」にはだいたい2種類あって。
・コスプレ
ここ分けずに「オシャレ」言い出すから百家争鳴になる。
わかりやすいですね。なんかみんなが「CD」だの「コーデ」だの言ってるやつです。
2次絵で言えば「属性」の盛り方です。
パンクコスプレとか、イタリア色男コスプレとか、NYゲイコスプレとか、西海岸大学生コスプレとか。
雑誌のモデル<<メゾン(メーカー)のモデル<<実在の風俗(軍服とか作業服とか社交服とかクラブ服とか)
みたいな。
実在の風俗なりメゾンの文脈なり抑えてると上級者だけど、まぁそんなのはいいや。
「どこに属するか」を記号的に表す。
BDオックスフォードシャツは、UKオクスフォード大を起源とするホワイトの上流階級学生風コスで、ポロラルフローレンの主力で意味論的には普段着なんだけどフランクなビジネスにも許容されるようになった。みたいな。UKの不良(モッズ他)からウォール街までちょっと二次使用されすぎて意味がぼやけてるんだがその分使いまわしやすい。
こっちが「服装がダサい人の特徴と、唯一の改善策」http://anond.hatelabo.jp/20140413020052 でおもに言われてる要素。
生地とか縫製とか体型にあったシェイプとかを便宜的にこう呼ぶ。
2次絵で言えば塗りとデッサンみたいな。
こちらは「センス」とかあんまない。UNIQLO以降は特にどこも最適化しまくってるので。
材料費と人件費と歩留まりが全てなので、基本的にカネださないと良いもの買えない。
で、テクスチャの方って、どっちかってーと他人に見てもらってセンスを評価してもらう用というよりは、もっと内向きなものだと思うんだわ。
いい素材、かっちりした縫製、合ったシェイプのものを着ると断然にキモチイイ。
単純に、「真冬にゴアテックス素材の体型に合ったジャケット着てると全然暖かい」とかそういう話。
で、その喜びを知っている人間同士が「お。それキモチイイですよねー」と褒め合う、みたいな。本来は。
(あと絵の素人でも塗りの巧拙がある程度は雰囲気で評価できちゃう人がいるように、着たこと無い人でも無意識化であるていど「いい素材」を評価できる人もいる。というかそのような視覚的な快感ももたらすのが素材、縫製、シェイプが「価値のある=高いテクスチャ」だからね。)
で「唯一の改善策」の人は「ゴアジャケこんな快適なのに、なんでおまえそんなペラペラのビニールウィンドブレーカ着てるの? 寒くないの?」って言ってるようなもんで、言いたいことはわかるし、そういう言い方になっちゃうのもわかるけど、世の中には冬でもビニールのウィンドブレーカで乗りきれちゃう我慢強い人も多いし、そもそも寒くない地方の人かもしれない、という。
個人的にはペラペラのウィンドブレーカ2シーズン買うカネで、2倍の値段のジャケットを買って大事にして2シーズンもたせるほうが楽しいと思う派ですけどね。愛的な意味で。
あと他の人も指摘してるけど一般的な意味でいうふんわりした「オシャレ感」については髪とか顔周りの毛関係が果たす役割がすごいデカくて、こっちは服とかよりはるかに難しくて地理的な要因とかめぐり合わせとかあって制御も一般化も無理で厄介だと思う。
陸上でたとえると、次のようになる。
便衣兵がユニクロの服を着て近づいてきて、ふいに気を許したときに攻撃してきたら、ずるい感じがして困る。
兵隊さんは、軍服を着ているべきで、その威圧感で民間人をけちらして、統制する必要がある。
セールスマンは、背広をきて頭をポマードで固めてくるべきで、商売する気が満々なことを身なりで表現する必要がある。
広告も同じく、広告は広告であることがわかりやすく伝わるべきで、友達風の人の日記のようなものとして近づいてこられるととても困る。
今日見たブコメの中で、PR広告と書いてあるコンテンツに対してステマとコメントしている人を見かけたが、PR広告と書かれていれば、宣伝ですと宣言しているわけで、ステマではないと思う。
新聞や雑誌がwebよりも長い歴史の中で広告と記事を分離して表記するようになった経緯を考えるとwebも見習うべき点だと考える。
ルールが決まるまでのグレーゾーンは儲けの幅が大きいからチャレンジャーも多いのだろう。
遊んでいる一個人なのか、それなりの体をした会社なのか、それとも個人事業者なのかはっきりしないところが情報を発信しているのが、判断が面倒だ。
個人の意見なのか、はたまたお金をもらった上での発言なのかその区別はとてもジューヨーなのだ。
そんなことはどうでもよくて、楽しければいいのであれば、楽しいのかな。とも思った。
根拠はない。そーゆー生き方のほうがイージーで快楽的なのではないか。
ミーム・・・人の思想、物語がミームならば、アニメや漫画もまたミームの一つか。正確には情報が、だけど。
創作家達の脳内で育ったミームの集合体がメディアを通して我らの脳に入り、受け入れやすいか否かで繁殖率を広げる。哲学も技術も、言語も誇りも。全て心とはミームの集合体だ。肉体がgene(遺伝子)の乗り物であり、設計された城であり、集合体であるのと同じように。
ミームの存在を知ると、全てが単一の物としてではなく、構造的かつ集合的な物として見えてくるな。これが悟りか・・・? まさに東洋哲学、道教や仏教的精神と似たような物を感じる。全ては寄せ集まり、拡散し、蠢き合う「波」だ。この世とはまさしく海のような物かもしれない。
我らが祖先、原始的生物から「波」はどんどん大きくなり、波同士ぶつかり合い、同調し、ある波は消えてある波は興る。そして最後は静まっていく・・・嵐の後に必ず平穏が来るように、生の後に必ず死が来るように。
だが水という本質は変わっていない。我らもまた同様だ。全て等質の物が集まり、蠢き、形をとり、風に吹かれて消えていく。
物質が集まって体を造り、やがて死に、禽獣草木に食われ、同化して大きな波となり、糞となって土に還るこの摂理もまた、寄せ集めの一過性の物なのだろう。
心もまた同様だ。生まれた時に人はgeneからmeme(ミーム)を生み、惜しげもなく周囲に与え、さらにmemeを他から与えられ、geneから生み出された心はmemeによって形成されていき、memeが集まって自我となり、誇りとなり、思想となり、哲学となり、留まる事なく変化し続け、人に与えに与えた所で消えていく。
ここで、だ。
俺達の心=ミームの集合体、アニメや漫画の物語&世界観=ミームの集合体
ΩΩΩ
「いいか・・・今流行りの進撃の巨人とかで前線に立ってる強者並びに漫画・アニメの住人は・・・」
だがそうとしか考えられない。何故彼らは余りにも人間的な仕草をするのだろうか? そう!我々と同じ先祖を持っているからに違いないのである!
気付かなかったか!?何故ミカサがあんなに可愛いのか!? 小泉元首相の郵政民営化に違和感を感じた事は? ナチスの軍服があそこまでかっこいい理由は?
俺たちは侵略されているんだよ!クトゥルフの意思を継いだイカ娘、いや!ありとあらゆる二次キャラに若者は魅了され、やがて二次キャラそのものとなるのだ!
自我は掻き消え、彼女らのミームで全ては満たされてしまうんだよォーーーッ!
こんな所にいられるか!俺は部屋で寝るぞ!
慰安婦がいたことを否定しているのはただの馬鹿なんだけどなぁ。
「軍に連れ去られた」とかその手のが気になるって話なんだよね。
年齢があやふやって事は、「慰安婦であった事」は嘘ではなくても、他の証言の信頼度は落ちるだろうって話なんだよね。
強制連行された年が不明って事は、それ本当に「日本軍だったの?」とか。
http://tanakaryusaku.jp/2013/05/0007159
始めにマイクを握ったのは金福童(キム ボクトン・88歳)さん。金さんの次に吉元玉(キル ウォノク・86歳)さんが話した。金さんは自らの体験を詳細に、吉さんは自らの体験には触れずひたすら平和、世界に遍在する戦時性暴力に対する解決を訴えた。
「満14歳の時、軍需工場に行くと言っていたのに、着いたのは日本ではなく戦場、遠い暑い国だった。そこで私は日本軍の奴隷となった。台湾を始め、中国の広東に着いた時は陸軍の軍医が身体を調べた。そこでは何人入るのか知っていて、私達の部屋が用意してあった」。
「満14歳」
ここだと年齢は88歳か。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49450
旧日本軍「慰安婦」で韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87)が18日来沖、西原町内で大学生らとの交流集会に臨んだ。その後の記者会見などで金さんは、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めた。
金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49447
「国家による性暴力に遭い、人権を踏みにじられた少女のことを知ってますか」。韓国人の元「従軍慰安婦」、金福童(キムボクトン)さん(87)が、舞台の上から「慰安所」での生活を語り始めると、会場は静まり、地をたたく雨の音が響いた。
金さんが14歳のころ旧日本軍に連行された場所には、複数の部屋を備えた慰安所があったという。金さんは「日本政府は民間人が慰安所をつくったとしているが、(戦時下の)民間人があのような慰安所を準備できただろうか」と軍の関与を指摘。「日本政府はうそをつかず、公式に謝罪してほしい」と訴えた。
「14歳のころ」
年齢が87歳か。先の88歳が数え?
あと名前でチェック
生存する日本軍従軍慰安婦被害者の実名記録が初めて発見された。
韓国挺身隊研究所のカン・ジョンスク研究員は国家記録院の軍人軍属資料を調査途中、従軍慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(79)の実名記録を発見したと11日、明らかにした。
名簿に記載されている金さんの本籍や生年月日などの内容が挺身隊研究所が1997年に発行した『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たちの証言2集』に収録された金さんの証言と一致するという。
今回発見された軍属名簿は、1947年9月に作成されたもので、「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」と書かれている。
この記録によれば、1945年8月31日、当時19歳だった金さんが南方軍第10陸軍病院の軍属の中で最も低い職級にあたる「傭人」として採用されたとされている。金さんは97年の「証言集」で「15歳で連れて行かれ中国の広東、マレーシア、インドネシア、シンガポールで日本軍の慰安婦として生活した」と明らかにしている。
結論がおかしな方向になってるなぁ。元記事が消えてるので、コピペで失礼。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2005/01/11/20050111000084.html
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2005/01/12073703/ コピー元
「15歳で連れて行かれ」
いつの間にか年齢が1歳変更されているようです。なんではてぶでこの修正は指摘されないんですかね?
年表
1938年 数え14歳 慰安婦に徴用される(満12~13歳)
数え8年間(満6~7年)勤務
1945年 数え21歳 終戦を迎える(満19歳)
2005年 数え81歳 第16軍名簿が発見される(満79歳)
2012年 数え88歳 来日講演(満87歳)
ところがここで本人談の「満14歳」が再び「数え14歳」で計算されるという、摩訶不思議な現象が発生。
15歳が14歳に変更が「数え年を満年齢に修正」じゃないんですかね?
で、最初の引用では年齢が88歳。去年が88歳で今年が89歳? あれ? 一番最初に取り出したページ書いたのは「今年の講演」。
まぁいいや。来日公演の年2012が間違いだったんでしょう。とりあえずそうしておきましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%BE%B4%E7%94%A8%E4%BB%A4
1939年ですね。
年表
やった! こんな感じで考えれば年齢がきれいに一致したよ! 国民徴用令もぴったり一致だ!
じゃぁ、後は8年間慰安婦を強いられたって期間だね!
8年「間」だとやっぱり足が出る。数えでいっても6年。
そもそも慰安婦募集の広告を見ると、17歳とか18歳とかで募集。数えでこの年齢なので、満年齢だと15歳以上くらいか。
吉原遊女の事例だと、客取るのが17歳。数えだとして15歳以上。同じ条件だね。
第二次性徴終わって数年経ってるくらいなので、まぁこれくらいなら不思議ではない。
ところが最初の Togetter だと満12歳か満13歳で慰安婦になってることになる。ロリコンだね。
http://anond.hatelabo.jp/20130526163927
・沖縄タイムスの記事内の「金さんは14歳のころ旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と言われて連行され台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシアなど前線地で8年間、22歳になるまで慰安婦として従軍させられた。」という記載は正しくは「4年間、18歳になるまで」の間違い。金福童は1926年生まれ、1941年に「挺身隊として3年間軍服工場で働くという説明で徴用され、広東の慰安所に連れて行かれた」という。
・同様に証言の信憑性が疑われている元慰安婦に、いわゆる「挺身隊おばあさん」「鄭書云(チョン・ソウン)」がいる。14歳のときに「金属製食器の供出命令を拒否したため」として地主である父親が逮捕。区長から「針工場で働けば父親を釈放してやる」と言われ、承諾するが、下関からインドネシアのスマランの慰安所に連れて行かれ日本兵の相手をさせられる。彼女は1924年生まれとされているが、実際は1927年または1928年生まれ。「金属類回収令」が外地の朝鮮で制定されたのは昭和16年(1941年)10月1日。よって父親が逮捕されたのはこの日より以降の筈。だとすれば「スラマンの日本軍慰安所」に連行された件についても辻褄は合う(日本軍がスマトラとジャワに侵攻したのは1942年2月末から3月にかけて)
就職してからは、あちこち行きましたが、一番長くいるのが基地の近くです。
米軍が軍服で闊歩するから怖い、というような報道に一切感情移入ができません。
このあいだも、定食屋でラーメンセット食べていたら迷彩柄の結構えらい感じの米軍さんがスーツの日本人と入ってきて飯を食っていました。凄い仲良さそうに楽しく話していました。市役所の人かなあ。
どの辺が怖いんだろう、と思います。
小学生のころ、街に「入ってはいけない金網のある場所」がありました。入るとつまみ出されるので、やんちゃ坊主達は武勇伝として語っていました。でも、それだけでした。大きな車が走っているだけの話です。
今、飛行場の近くだから日に何回か大きな音をたてて色々な飛行機が飛んでいきます。自衛隊の飛行機も、米軍の飛行機も飛びます。でも、それだけです。うるさいと言っても、そばに寄った時の電車ぐらいにはうるさいですが、それだけです。
米軍がちょっと移動するぐらいで怖がる意味がわかりません。単なる日常です。
基地の反対運動の意味がわかりません。うるさい施設が横にある所に後から引っ越してきたのは、生活に便利だからそこに住み続けているのは、たいてい周辺住民の方です。しかも、反対する人に住民でない人が入っているとなると余計に意味がわかりません。
これみた。
「たかじんのそこまで言って委員会」の南京事件検証動画が秀逸すぎる。 | ねとうよ速報
http://netosoku.net/blog/others/takajin_nankin_kensyou/
南京事件否認論の恐怖。 - Something Orange
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20120308/p1
捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、でも戦争なんだから規模はともかくやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もあるだろとか、これを全部正しいとしても関東軍の虐殺動機がよくわからない。たとえ数万人でも虐殺は軍の指示がなければ無理だ。関東軍は何か深い民族的恨みでもあったのか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1937%E5%B9%B4)
南京事件(なんきんじけん)は、日中戦争(支那事変)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際(南京攻略戦)、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍の投降した便衣兵、一般市民などを殺した事件。
でも、この前に満州事変とかで国作ってるんだよね?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E5%9B%BD
1932年から1945年の間、満州(現在の中国東北部)に存在した国家。
満洲国は建国にあたって自らを満州民族と漢民族、モンゴル民族からなる「満洲人、満人」による民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、建国理念として日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による「五族協和」を掲げた。
とすると、傀儡政権で日本人優位とはいえ中国人(満州族)とも一緒に暮らしてたわけだ。その後国を運営しながら5年かけて南京まで領土を拡大。ならなおさら軍命令で虐殺する意味がわからん。南京の人とも一緒に暮らすだろうし国民は国家の労働力ではないのか?
と思ったら、詳しい解説サイトがあった。
南京事件 初歩の初歩
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html
まずよく誤解されるのですが、「南京事件」というのは、例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という事件ではありません。基本的には、数多くの中小規模の「事件」の集積です。
また、「民間人巻き込まれの責任は便衣兵戦術をとった中国側にある」との暴論も見かけます。そもそも南京では「便衣兵戦術」の存在は確認されていないのですが、例え南京戦以前の上海戦での「便衣兵」を問題にするとしても、日本軍の責任は免れません。日本軍は「民間人混入」のリスクは十分に承知していたはずです。殺害しなければならない切迫した事情もなかったのですから、そのまま生かして「捕虜」としておけばよかっただけの話でしょう。
秦 南京事件の場合、日本軍にもちゃんと法務官がいたのに、裁判をやらないで、捕虜を大量処刑したのがいけないんです。捕虜のなかに便衣隊、つまり平服のゲリラがいたといいますが、どれが便衣隊かという判定をきちんとやっていません。これが日本側の最大のウィークポイントなんです。
秦 捕虜の資格があるかないかはこの際関係ありません。その人間が、銃殺するに値するかどうかを調べもせず、面倒臭いから区別せずにやってしまったのが問題なんです。
秦 捕虜としての権利がないから裁判抜きで殺していいということにはならない。自然法に照らしても不法でしょう。古代の暴君ならともかく、こいつは悪い奴だから、その場で処刑していいというのは、文明国がやることではない。捕虜の扱いはお互い様ですから、それなりに尊重し、労働をさせれば一定の給与を与え、自国の兵士と同程度の食料を与えるのは交戦国の義務でした。
中村粲氏
武器を棄てて我軍の権内に入つた段階では捕虜なのであり、秩序や安全を脅かすことのない限り捕虜として遇すべきもので、重大な理由なく処断するのは戦時国際法違反になるであらう。
軍司令官には無断で万余の捕虜が銃剣刺殺された。それを「便衣の兵は交戦法規違反である」と強弁してはならず、率直に(それは)戦時国際法違反であり、何より武士道に悖る行為であったことを認めねばならぬ。
原剛氏
しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないとするならば軍律会議で処置を決定すべきものであって、第一線の部隊が勝手に判断して処断すべきものではない。
松本健一氏
捕虜でないからという理由で捕まえた敵国兵士を戦場で裁判にもかけずに勝手に処刑することは国際法上からも容認されていないはずです。
北村稔氏
筆者の見るところ、「ハーグ陸戦法規」の条文とこの条文運用に関する当時の法解釈に基づく限り、日本軍による手続きなしの大量処刑を正当化する十分な論理は構成しがたいと思われる。
私見ですが、「安全区掃討」の是非は、「国際法」のややこしい議論に突入するまでもなく、「常識」で考えればいいことだと思います。もう戦闘は終了しているのに、戦闘意欲を失った元兵士を片っ端から引っ張り出し、そのまま何キロも歩かせてまとめて殺害する。しかもその中には誤認連行された民間人も大量に存在している。「虐殺」だと感じれば、普通の感覚でしょう。
南京事件 初歩の初歩、了解。
ひとつ思いついたけど、この国際法を守る「普通」の感覚があれば、中国軍が世界を支配できる簡単な方法がある。10億人中の数十万人を各戦場に投降させたらいい。そしたら敵軍はその「捕虜」を戦時中に食べさせて管理して働かせても、食料を作る時間的な差で補給がままならなくなり、暴動が起こらないような高度な管理にも相当な軍人を割かなければいけない。その間に本隊で攻撃をすれば勝てる。相手が国際法を守るなら。
当時の中国がちょっと「普通」じゃないのは、ケタ違いの人口を誇るのに日本と比べて近代的な武器を持ってないこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89
戦力
大日本帝国陸軍30000 - 66000
16万の軍隊が、3万から6万6千の関東軍に負ける。ランチェスター戦略ではまずありえない。
「捕虜」の感覚も「普通」だと人数の少ない軍隊が負けて、戦いに生き残った少数が「捕虜」になるという感覚なんだが中国相手だと
南京事件 初歩の初歩
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html
「南京事件」中、最大規模の「捕虜殺害事件」として知られている事件です。
第十三師団山田支隊は、南京城北部を進軍中、大量の投降兵に遭遇しました。その数は、当時の公式発表に従えば一万四千人余りと伝えられます。この捕虜群はいったん幕府山周辺の建物に収容された後、12月16日から17日にかけてほとんどが殺害されてしまいました。
12月13日、日本軍は南京を占領しました。逃げ場を失った中国軍兵士は、大挙として軍服を脱ぎ捨て、難民が避難していた安全区に逃げ込みました。
14日から16日にかけて、日本軍は、避難民の中から元兵士とおぼしき人物を選別し、そのまま揚子江岸などに連行して殺害しました。歩兵第七連隊の戦闘詳報によれば、その数は七千人弱、と伝えられます。その選別方法はアバウトなもので、その中には大量の民間人が混入していたものと見られます。
さらに17日の入城式後も、「安全区掃討」は続きます。佐々木到一少将によれば、1月5日までに、さらに二千名が摘出されました。
結果、数万人虐殺してるんじゃないかという予測ですが、普通の感覚なら戦時中とはいえやはり全員ちゃんと食わせて、ひとりひとり裁判にかけて、きちんとした管理の中、この数万人を戦争が終わる8年間(1945)まで捕虜として扱うべきだったのでしょう。虐殺するほど軍人最低限のモラルもなくなるでしょうし。
たかじんの動画でありますが、台湾攻撃した時は虐殺なんかしてない。満州事変のときも、満州族とその地域を一度に支配したのでその必要がなさそう。南京陥落のときは戦闘継続中の「中国軍」だったので一気に中国を支配できなければ投降は「捕虜」にするかその数万人を扱う余力がなければ虐殺するしかないということでしょうか? 日本軍には「投降」という概念がなさそうで、なおさら大量の捕虜を信用出来そうにもないという文化の違いもありそうですが。
南京事件の初歩の初歩までの理解ですが、右の言う捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、動機がないとか、虐殺する弾薬や労力が無駄とか、左の言う、でも戦争なんだから規模はともかく心壊れてどこかでやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もたくさんあるだろとか、これは結局、関東軍が対人口比の極端に多い中国に勝ち進んだという「普通」じゃない状況が大量の「捕虜」を扱いきれず一般人も巻き込んで虐殺したことで、「普通」の時代の人から批判されまくってるという解釈で初歩の初歩はOKですかね?
あの当時、数十人の管理人でも数万人の「捕虜」が暴動起こさないような設備とシステムを作って、人権も守りながら低コストで、食料もすぐに自給自足管理させ、ひとりひとり裁判もできたら良かったんでしょうけどね。
爺さんが死んだ時の話。携帯で長文ですまん。
爺さんの部屋の整理を俺も手伝ったんだが、押し入れに古い木箱が入ってた。
開けてみると、どうやら戦争の時の思い出の品々が入ってるみたいだった。
俺はそれをこっそり自分の部屋に運んで調べたんだ。
何かお宝が、例えば刀とか軍服とかカッコイいものがあるかもと思って。
今思えばとんでもないバカなガキだった。
中には赤茶色のぼろ切れ、銃剣の剣、水筒や変な置物、手帳、ワケわからんガラクタ、何枚かの写真、そして…白っぽい何か。
「なんだこれ?」白っぽい何かは布にくるまれてた。長いのが二本、細かい欠片が多数。
しばらくして気づいた。腕だ。これは人間の、肩から先の骨だ。細かいのは指だろう。
しかし誰の?
爺さんは五体満足で帰って来た。
戦争の話は一度もしなかったが親父が言うには結構な地獄を見てきたらしい。
戦友の骨だろうか。
手帳を開いてみた。
恐らくは日記帳だと思う。
日付と共に戦場も移っていく。
良く読めなかったが知ってる地名がいくつかあった。
多分南方だろう。
軍オタが読めば面白いのかもしれない。
最後のページにはただ一行だけ、
『我、餓鬼道ニ堕チタリ』
教育従順県で毎日国旗掲揚と国歌斉唱があった小学校中学校だったけど、思想の強制と思ったことはないんだけど、なんでそう熱くなるんかな?
たとえばさ、生徒の髪型とか服装ってすごく制限されてるじゃん。
国旗国歌はルールではないんだから強制されるのはおかしい!って言うんでしょう?
じゃあそれをルール化しようって話じゃないの?
それもダメといわれたら、国旗国歌を強制されない学校に再就職するしかないんじゃないかな。
ルール化するのも思想良心の自由を侵害してるとか言われたらさ、俺だってあんな制服きたくなかったし、それに関しては侵害してないわけ?
軍服を思わせるけど、それに関してはオッケーなわけ?
左の教師ってなぜかジャージ着用が好きだけど(卒業式とか入学式でもジャージとか)、スーツも元々は軍服だからとかそういうの考えての行動?
もうすぐ新しいアニメが始まりますね!ということで、気の早い感想ですが、2010冬期アニメ15作品を簡潔にそして恣意的に紹介します。ストーリーなどの詳細は省略しましたので気になった方は各自Google先生に聞いて下さい。
評価は
S 最高!
A もう一度みたい
B まぁ面白い
C 暇つぶし
D 時間の浪費
F 測定不能
オープニング曲やエンディング曲が気にいったものには印をつけました。(だいたい放送曜日順,月→日)
評価B end◯
近景アニメ?『けいおん!』風。軍服萌え。ノエルは俺の嫁。Amazing Grace。
評価?
『化物語』に続く西尾維新作品のアニメ化。なんと月1話の12ヶ月放送。『School Days』の監督。作画は賛否両論。まだ、2話しかない。
評価 F
派手な下着の小学生アニメ。1話で切った。私もまだまだオタクではないなと確信。今期2位のヤバさ。
評価C
短いから見れる。イタリア人に怒られないのか心配。
評価B op◯ end◯
言わずとしれた「風早くん最強神爽やか爽快cool」アニメ。ちなむと爽子は俺の嫁。名文句は「そんなの笑えない」
れでぃ×ばと
評価C op◯
今期3番目にヤバイアニメ。ぱいおつ丸だし乳首あり。もう一度言う。「乳首あり」。ただし、フレイムハートさんのドリルは幼虫みたいで不快。大地薫役はみんなのくぎみーなので、くぎゅぅぅぅぅぅぅってなりたい人は是非見よう。
評価C
評価C
もう「ひぐらし」は飽きたんだよ、おなかいっぱいだよ。って言うそこの貴方!この作品のキャラデザはローゼーメイデンの人だぜ!へい!
評価B
来たぜ!僕等のひだまり壮!動物化された僕にはタマラナイ!新入生が2人加わってひだまり壮はさらに賑やか!ちなむと智花役もくぎみーだよ!
評価B op◯
池袋を巡るサスペンスアクション。小野大輔、福山潤、中村悠一という男性声優陣に腐女子は発狂確定。
評価C
吸血鬼アニメ。『ひだまりスケッチ』、『化物語』の新房監督。ネリー役は喜多村英梨。
評価B
ここに来て盛り上がってきた世界と戦う図書館司書のアニメ。27日にはテアトル新宿でオールナイト上映があるそうな。ハミュッツの胸に注目しがちだが、軍服のミレポがかあいいポ!!主要人物かと思われた人がバタバタ死ぬ。
インデックスのスピンオフ作品。私はこっちのが好きですの!御坂美琴も佐天さんもいいけど、木山先生が理想の女性。超電磁砲はレールガンと読みます。
コブラかっこよす!ってなる。
今期最高の変態アニメ。主人公は母乳を飲んで力を得る。女の子がぱいおつを吸わせるシーンは圧巻。声優陣は豊崎愛生、茅原実里、平野綾、日笠陽子、川澄綾子と意外に豪華。
と抜けがあるかもしれませんが、もう終盤なので今期見ているアニメを振り返って見ました。
もちろん他にも色々と作品があるので、みなさんの感想もお待ちしております!
朝鮮進駐軍 ※Weblio辞書にて削除予定の為、全文コピー。
http://www.weblio.jp/content/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D
概要
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。
戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。
時代背景
当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。
朝鮮人による犯罪
朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。
市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。
略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。
1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。
第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。
主な事件一覧
朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
参考文献
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
コピー終わり。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081102-OYT1T00492.htm
しかし、田母神氏ご本人は、「誤っているとは思わない」「(論文の内容について)今でも間違っていない」、
http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030159.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081103-OYT1T00526.htm
とおっしゃっておられるようであり、
「近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811031834005-n1.htm
という新聞もあるので、ネット上にある反論ソースをあげておくのも意味ないことではないと思い、対中外交について落ち穂拾いをしてみます。今回もネット上にあるものだけを参照しており、私はこの時代の一次史料を読んでいませんので、「ちらしのうら」であることに変わりはないですが、根拠を何も示さない所論よりはましだと思っています。
見出しの引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
それでは、公開されている次の論文を紹介する形で反論します。
古屋哲夫「対中国政策の構造をめぐって」『近代日本における東アジア問題』古屋哲夫、山室信一編、吉川弘文館、2001年、をPDF・HTML化したもの(単行本にはあたっていないことをおことわりしておきます)。
http://www.furuyatetuo.com/bunken/pdf/75.PDF
http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html
まず、日露戦争後の日本の中国権益についてみてみましょう。そもそも初期条件は清の関与できない日露両国の話し合いで設定されました。
日露講和条約によって日本が獲得した在満権益とは、ロシア権益の残りの期間を、「清国政府ノ承諾」を条件として、譲り受けたものであり、具体的には 1923年(大正12)に満期となる(露清原条約の期限が25年)遼東半島租借権と、運転開始から36年後の1939年(昭和14)年に中国側に買戻権が生ずる南満洲鉄道経営権を中心とするものであった。
清の事後的同意が必要とされたこと、租借権と経営権には期限が設けられていたことは留意されるべきでしょう。
後の関東軍へとつながる駐兵権の話も、この段階で出てきます。
それは清国の了解なしに、その主権を侵害する鉄道守備兵駐兵権を設定したものであった。それは現に軍隊が存在しているという既成事実を権益に転化させようとするものであり、日露両国は清国の主権侵害の共犯者となったことを意味し、また、以後の満洲支配についての日露共同行動の可能性をしめしたものでもあった。ところで講和条約はロシアから日本への権益の移転譲渡は、「清国政府ノ承諾」を条件とするとしており、それにもとづいて、1905年11??12月にそのための北京交渉が開かれたが、そこで清国側がもっとも強い反発をしめしたのは、この鉄道守備隊の問題であった。・・・(中略)・・・結局この問題は日本側が、ロシアが撤兵を承諾したときには、日本も同様に撤兵するという条件を付けただけで押し切ってしまうが、小村寿太郎全権は、ロシアの撤兵など起こりえず、したがって日本の撤兵もありえないものと考えていた(5)。この鉄道守備兵が、租借地守備兵とともに、後の関東軍を構成することとなる。
先に既成事実があって後に法的に問題を確定させようとしていることは留意されるべきでしょう。
このようなやり方が、相手側に不満を生じさせ、後の紛争の種となるのも当然でしょう。
日露講和後の清国に対する交渉において、もっとも紛糾したのは、前述の駐兵権問題についで鉄道権益をめぐる問題であった。・・・(中略)・・・その結果、1905年12月に調印された、「満洲ニ関スル日清条約」(実質的内容は附属協定)では、吉長線も新奉線も協定附属の取極に譲らざるをえず、前者は清国の自主建設により、資金の不足分を日本からの借款による、後者は日本から清国に売渡し、その改築のための費用を日本より借り入れる、という譲歩をよぎなくされている。結局協定本文には、安奉線が残されただけとなったが、これも軍用軽便鉄道を商工業用に改良することは認めるが、18年後には清国に売り渡すべきことが規定されていた。それは安奉線についての日本の権利が、長春・旅順間の鉄道とは全く異なるものとして協定されたことを意味していたが、日本側、とくに現地の実権を握る陸軍は、条約には目もくれず、安奉線を駐兵権や附属地を持つ満鉄の支線とすることを 実力で押し切ろうとしていた。
実際に、満洲よりの日露両軍の撤兵期限である1907年(明治40)4月になると、遂に、安奉線上の本渓湖の市街に新たに日本軍が進出し、同時に日本の警察官出張所が設置されたとして、清国側からの抗議が提出された。これは前年8月に陸軍が主導して在満権益を管轄するために設立された関東都督府(都督は陸軍大将または中将、初代は 大島義昌大将)が、既成事実を作り出しはじめたことを意味した。そして外務当局もこれを追認する態度を示している。日本側のやり方を条約違反とする清国の抗議に対して、同年5月18日林董外相は、安奉線は満鉄の支線であり、守備隊の駐屯や警察官派遣の権利も満鉄と同様だとの態度をとるよう奉天総領事に指示している(7)。それは条約よりも既成事実を押し通せ、ということであり、対満洲政策の一つの性格が早くも形作られつつあったことを示している。
上記のような「条約よりも既成事実を押し通せ」という態度は、国際法にのっとった正当なものと言えるでしょうか。
軍と外務当局との関係については、一致することも異なることもあったでしょうが、ここでは両者ともに既成事実化をはかっています。
軍だけに責任を負わせることはできません。
安奉線が朝鮮半島と満洲を直結するものとして重視されたことはいうまでもないが、日本側は他面では、韓国北東部に隣接し多数の韓国人が居住する間島地方に、領事館及分館を設立して、韓国人に対する領事裁判権を行使することで、日本の勢力を浸透させることを企図していた。そして清国側が容易に実行しないことを予期しながらも、日本の希望を記録しておく意味で、前記「間島ニ関スル協約」に、清国が吉林から間島を経て韓国北部の会寧に達する鉄道を建設する際には、吉長線と同一の弁法によることという一項を押し込んでいる。しかし中国側は辛亥革命後も、一貫してこの吉会線構想を拒否しており、満洲事変以前には交渉が成立する見込みさえも立たなかった。
つまり、日露戦後の対中国政策は、その基礎に、「交渉」によっては解決しえない部分を抱えこむ形で出発しているのであり、この時点においてすでに、中国との平穏な交渉によって、利権の拡張を図ることは不可能になっていたと言える。
ここまであげてきた行為から、相手国の了承などどこ吹く風といった態度があったことは明らかではないでしょうか。
つづいて、中華民国期に入ります。
ところで日本が主導しえなかったこうした〔引用者注:辛亥革命以後の〕経過の中でも、日本の対中国政策のなかに、様々な特徴が蓄積されてくる点に注目しておかなくてはならない。その第一は、中国全体の情勢を制しえないならば、むしろ分裂を促進して日本が操作しうる地域を造りだそうという発想が生まれてきたという点である。たとえば、在清国公使伊集院彦吉は、1911年10月18日の時点で、清朝にもはや中国全土を統治する力はないとして、「中清ト南清ニ尠クトモ独立ノ二ケ国ヲ起シ、而シテ北清ハ現朝廷ヲ以テ之カ統治ヲ継続セシムヘシ」「何レノ途北清ノー角二清朝ヲ存シ、永ク漢人ト対峙セシムルハ帝国ノ為得策ナリト思考ス(10)」 との意見を外相におくり、さらに11月19日になると、清朝の情勢がより困難となりこの三分案の見込みもうすれたとし、第二案として清朝をして「十八省以外満蒙等ノ地域」に国を保持させる、それも駄目で清朝滅亡の際には第三策として新共和国の首都を武昌など中国中央に置かしめ「満蒙ノ地域ヲ遠ク辺外二置キ漸ク閑却セシムル(11)」との意見を具申している。それは親日的地域の確保のための中国分割という発想に行き着くことになろう。さらに翌12年2月になると、いわゆる大陸浪人川島浪速らが、参謀本部や関東都督府と連絡しつつ、北京より脱出させた清朝粛親王を擁し、蒙古の王公らをも参加させて、満蒙独立国を造り出そうとする画策が実際に行われるに至っている。
ここでは、一外交官、一大陸浪人の例しかあげられていませんが、後にみるように、国の分裂を促進させようというのは国の政策となっていくのであり、その萌芽がみられることは留意しておくべきでしょう。また、ここでも軍のかかわりがみられるようです。もちろん、他国を分裂させようというのは、相手の了承を得た、国家間の条約を尊重する態度とは言えないでしょう。
この間〔引用者注:革命後、1910年代前半の中国情勢の混乱〕に付加された対中国政策における第二の特徴として、中国現地において日本軍人が侮辱されたと日本側が解釈した場合には、「原因の如何にかかわらず」、中国側に責任者の処罰と謝罪を行わせて、日本軍の威信を守るという方式が打ち出されてきたことに注目しておかなくてはならない。いわゆる第二革命の 時期に、日本人が被害を受けたとする、漢口・エン州・南京の三事件がおこっている・・・(後略)・・・
漢口事件について、古屋論文に基づき、要約します。
まず、陸軍少尉が中国軍の制止を無視して戒厳地区に進入し、一時抑留されました。
軍からの報告は、「無抵抗の西村少尉らが、理由もなく暴行を受け、軍服をぬがされるなどの侮辱を受けた」というものでしたが、日本の総領事は「これを信用せず、自ら調査して西村らの横暴と暴行について牧野伸顯外相(第一次山本内閣)に報告」しました。しかし、「陸軍中央部は、現地の調査も行わずに、「日本将校凌辱事件」として」、謝罪と賠償と利権を要求し、結果として中国側に処罰・謝罪させたものです。
古屋論文は、このような事例が満洲では蓄積されていたであろうことを指摘し、「このような先例の蓄積は、「日本軍の威信」の確保を第一義とするという条件によって、日本の対中国政策が実質的に拘束されるようになってゆくことを意味していた。そしてその翌年の第一次大戦への参戦は、対中国政策にさらに決定的な影響を及ぼすこととなった」と評価しています。
交渉ごとにおいて、譲歩できないものを必要以上に多くすることは、カードの手札を事前に少なくしているのと同じではないでしょうか。
つづいて、第一次大戦下の部分をみていきましょう。
第一次大戦下で目に付くのは、前述した鉄道付属地経営権や、軍の威信を確保する事件解決方式など、条約面に現れない既得権の高圧的行使や、軍を背景とし、あるいは軍に依拠した陰謀的行動の横行であった。とくに袁世凱が自派による帝政運動を組織し、1916年1月1日帝位について洪憲元年と称したのに対して、反対派が第三革命に立ち上がるという事態に対応して、大隈内閣が反袁運動支援の方針を決定したことは、こうした傾向を著しく促進することになった・・・(中略)・・・この〔引用者注:内閣の〕方針は具体的には「適当ナル機会ヲ俟テ南軍ヲ交戦団体ト承認スルコト」などをあげているが、実際には山東に居座った日本軍(侵攻以来ワシントン会議後 まで7年以上駐留)や、満鉄守備隊を含む関東都督府の現地軍が関与あるいは支援したことが、最も重要であったと見られる・・・(中略)・・・大隈内閣の反袁政策は、結局のところ、現地日本軍と其の周辺の日本人の横暴への反感を広めただけに終わったようにおもわれる・・・(中略)・・・第一次大戦下の日本の対中国政策は、侵略性の膨張として特徴づけることができるが、列強のすべてが参戦し、中国に手を出すいとまがないという条件のもとで、初めて実現したものであり、従って戦争の終結とともに転換を迫られることは必至であった・・・(中略)・・・日本軍は、青島を攻撃・占領する以前に、ドイツ兵に守られているわけでもない中独合弁の私立会社の経営する山東鉄道を占領(26)しているのであり、日本の参戦がたんにドイツの軍事力の打破のみでなく、新たな権益の獲得を目指していることは明らかと見られた。
ここでは、中国の内部分裂を促進させる政策を内閣が採用しています。政治が、権謀術数やパワーゲームというのはその通りなのかも知れませんが、これに対する中国の、その民衆の反発は至極まっとうなものでしょう。ベルサイユ講和会議における中国の要求が退けられたことから、五四運動へとつながります(中国はベルサイユ条約への調印を拒否しました)。周りにいくら根回しをしても、当事者同士に納得が得られなければ物事は進みません。
そして、アジアの国際秩序について話しあわれたワシントン会議では九か国条約が結ばれます。
対中国政策全体は、領土保全・門戸開放・機会均等というアメリカの主張を柱とする九か国条約に規制されることになり、そこには勢力範囲政策を排除することも明文化されていた。
このような流れのなか、詳細は省きますが、古屋論文では、「国際的に通用しなくなって」きた「特殊権益」、「勢力範囲」にかわり、「満蒙治安維持」という、関東軍の謀略による満洲事変につながっていく「政策理念」が出てくるとされます。
しかしそれ〔引用者注:満蒙治安維持〕は、他国の一部を自国の利益に従属させるという点では、勢力範囲と同じことであり、中国との対等の関係を確立するためには、破棄しなければならない要求であった。しかしそのことは、幣原外交においても、ほとんど意識されることはなかったように思われる。
それは幣原外交もまた、国民の対中国意識のあり方に規制されていたということであろうか。第一次大戦中に強められ広められた中国に対する侮蔑を基礎とする優越感は、大正デモクラシーによっても解体されることはなかったし、さらにその基底では、満蒙を20万の将兵の血と20億の巨費であがなわれた明治天皇の遺産とみる天皇制的意識が形成され、大衆を呪縛していたことであろう。現地軍における統帥権の独立と、国内における大衆的中国侮蔑感とは、対中国政策の構造的改造を困難にするものであった。そしてその大衆意識は、満洲事変への共鳴板として鳴りはじめ、状況を一挙に転換させることになるのであった。
ここまでみてきたような、日露戦争から満洲事変にいたる流れをおさえてなお、「相手国の了承を得」た、「条約に基づいた」と表現することが妥当なのでしょうか。ご覧の通り、日本の大陸政策に対する軍の関与は明白ですが、まさか防衛大を卒業された方がこの程度の知識をご存知ないとは思いませんので、あの「論文」の内容とどのように整合性をとられているのか興味深いところです。
さて、このように、一つの論文をみて、「論文」の一部の所説を検討するだけでも結構な手間がかかります。歴史の勉強はそれほど甘くはありません。粗雑な「論」を示して誤りはないと言われても困ります。また、「事実は小説より奇なり」ということもありますし、歴史学においては、「神は細部に宿る」こともあるので、個人の感覚からおかしいと言うだけでは有効な批判にはなりません。また、学問においては、勉強が足りずに事実認識が間違っているのは、明らかに勉強が足りないことに非があります。今は勉強不足で根拠が示せないというのであれば、その主張は根拠がないゆえに認めれらないのです。いつか証明されるのかもしれませんが、そのときが来るまでその主張に強度はありません。
ところで、古屋論文の最後に、「国内における大衆的中国侮蔑感」の問題が出てきました。今もまた、中国に対する偏見は百害あって一利なしであり、中国の実態を虚心にみつめ、評価しなければならない、と私は考えています。
その意味で、中国の民衆運動について、興味深い論文をみつけたので最後に紹介します。
しかし,中国民衆のナショナリズムとは,つねにそうした「暴力」をともなうものとしてしか実現されなかったのであろうか。そこには多くの場合,「暴力」の受け手の側からするバイアスがかかってはいないだろうか。一昨年の,「反日デモ」についての日本のマスコミ報道が,デモの「被害」を強調し,一面的な批判に終始したことも想起される。「歴史」と「現在」を同時に射程に入れねばならない現代史研究者にとって,そして,民衆の運動の対象であったわれわれ外国の研究者にとって,必要なのはこうしたバイアスを克服し,実証的に中国の民衆のナショナリズムの実態を注視することではないか
(江田憲治「民衆運動とナショナリズム―1925年の五・三〇事件を手がかりとして―」『現代中国研究』21、2007年、27-28ページ。http://modernchina.rwx.jp/magazine/21/eda.pdf)
私はこの問題意識に全面的に賛同し、実証的な近現代史の議論が進められることを希望するものです。
またしても、このような長文をお読みになってくださった方に感謝します。
前から疑問だったんだけど
別にオタ丸出しのファッションでもいいじゃないの
(というかオタ丸出しのファッションて何だ?穴あきグローブして、バンダナまいて、軍服着るとかそんな人今逆に少なくね?)
オタ丸出しのファッションだからって何か困る事ってあるか?
別に他人はオタ丸出しのファッションだからってたいして気にしないし
バンダナ巻いてるからって「プーッあの人いまどきバンダナ巻いてるー」とか漫画みたいな反応する人なんてそうはいないでしょ
逆に言うとそんなに他人の事なんて皆興味ないでしょ
自分のファッションには興味あっても
他人のことなんてそんな見てない
なんでするの?