はてなキーワード: 経済格差とは
Day,7
7日目
This journey is my treasure.
フライトの時間を考えるとできる事が案外少なく、荷物整理位しかする時間がない。
「Awesome! Malaysia. This journey is my treasure.」メモをしたため、ホテルをチェックアウト、ブッキングし直したタクシーで空港へ向かった。
タクシーで空港に向かいながら、マレーシアやシンガポールの経済状況などについて調べる。
マレーシアはブミプトラ政策のもと格差を縮小し、長期的展望での経済運営をしてきた結果、ASEAN5カ国の中では飛び抜けた発展を成し遂げたらしい。
マレー系と中華系の経済格差が縮まったことにより、国民の「格差を埋める」という共通認識が近年薄れ、経済発展としては踊り場に差し掛かっているという。
当座の危機が薄れると、心の奥底に眠らせておいた感情が目を覚ますのはよくある事だ。
しかし、マラッカで見た民族が手を携えた壁画のように、マレーシアの人々は夢と誇りをもって正しい未来を選択するのだろう。
また、次の一手も考えられており、アジアで最も発展したイスラム教国として、イスラム金融のハブの地位を狙っているらしい。
旅程の関係でほとんど散策できなかったが、タクシーの窓の外からみるクアラルンプールの発展度合いや、今までの旅行で最高ランクに通じた英語などを考えると、現実的に狙えるプランのように思える。
この国が文字通りの先進国になるかどうかはこれから先の5年だ。
一方、国民一人当たりのGDPにしてマレーシアの6倍、自分を不安に陥れるほどに未来的だったシンガポールは、華人中心の都市国家であるにもかかわらず、公用語にマレー語をくわえ、マレーシアとの関係に気遣いを見せているという。
マレーシアとシンガポール、谷底から妖しく誘い声が聞こえるタイトロープの上でバランスをとりながら、二つの国に住む人々は明るい未来を目指してこの谷をわたりきるにちがいない。
二つの国、驚くほどの格差、理想と迷い、3つで足りないたくさんの民族が住む街。
「世の中ってこうだよね」と言った時の「世の中」が「どこまで」なのか、その定義を広げてくれる一週間だった。
タクシーに乗る前にホテルのドアボーイのお兄さんに「この旅は僕の宝となった」と言ったら、「また戻ってきてください」と言われた。
「Sometime.」英語力が心許なくて伝わりきらなかったかもしれないが、体のいい断りではない、それは本心だ。
了
Day,4
4日目
昨夜の夜遅くにニョニャクエと共にジャスミンティーを流し込んだ為か、昨日の夜ほどは眠れなかった。
まあただ、今日は長時間のバス移動があるので、少しくらいはウトウトできるだろう。
今日の12時にはホテルをチェックアウトし、バスでシンガポールに向かう。
ホテルで見たマレーシアのテレビは、全く違う言語の4チャンネルがある。
日常の全ての瞬間で、全く別のバックグラウンドを持った人々が暮らしていることを実感する。
あった。
マレーシアでは、人口の半数以上を占めながら経済的には必ずしも恵まれていないマレー系、その他マレー半島、カリマンタン島の少数民族を、企業設立時の税制や国立大学の試験で優遇する「ブミプトラ(土地の子)政策」が取られており、その事が民族間の対立感情を呼んでいるという事のようで、この辺りは中華系が主導権を握るシンガポール独立にも話が発展したりしている。
また、マレーシア国内には混血や世代交代を繰り返し、マレー系、少数民族、中華系、タミル系、どの民族にも括れない人達が多数存在し、そう言った人たちは青春時代に自分のアイデンティティに悩んだりもするらしい。
だた、ブミプトラ政策を格差縮小という本来の目的から離れて、より民族主義的な捉え方で推し進めた政治活動は揺り戻しにあい、アイデンティティに悩む2世3世も、「なになに系」ではなく「マレーシア人」として自己を捉えなおしたりするという事で、「民族国家」と「多元主義」の間で揺れるのがマレーシアと言う国のようだ。
「宗教対立」についてもあるにはあるが、どちらかというと「経済格差」による感情の縺れの後付けのようなものでしかなく、「民族」「宗教」自体に関しては、「そこにあるもの」として自然に受け入れているように見えるのが印象的だった。
ホテルをチェックアウトし、シンガポールへのバス便が出るマラッカ・セントラルに向かう。
GRABでタクシーを捕まえると、運転手のおじさんは「ありがとうございます」と日本語で言った。
それ以降は「どこへ行くのか」「シンガポールへ」「マレーシアは暑つすぎます」「雨が降って無いよね」「私は運がいい」など英語で簡単なやりとりをしているうちにマラッカ・セントラルに到着した。
長距離バスに乗ってしまうとトイレがないので、今のうちに済ませておく。
そう、マレーシアの公共施設のトイレは使用にチップが必要で、「トイレの受付」さんがいる。
高級ホテルの「紙もあるものの、文化としてちゃんと常備してある」尻洗いホースで使用の予習していたので、ホースで尻を流すスタイルにも対応できた。
衛生観念の違いは深く考えすぎない方がいい。
ここはまだマレーシアだ。
でも、今回自分がそうしたように、マレーシア旅行に行くならロールのトイレットペーパーを持っていった方が良い。
バスのチケットを購入し、出発ゲートでしばらく待っていると、シンガポール行きのバス便が到着した。
長距離バスに揺られて3時間ほど、ネット情報によるとこのままマレー半島とシンガポールを繋ぐ橋の前後で出入国審査があるらしい。
大きなバスターミナルに到着し、皆ぞろぞろと降りてゆく。
ここで出入国かな?
しかし、慎重過ぎるほど慎重に調べるべきだった、実のところここで降車すべきではなく、そのまま乗っていればまたバスは発進するのだった。
しばらくうろついて「間違えたか?」と気づいた時にはもう遅い。
バスの誘導をしていたおじさんに対応をたずねるがうまく言葉が通じない。
そのうち、浅黒い、というかかなり褐色みの強いおじさんが話しかけて来た。
どうやらここはタクシーで入国するためのプラットフォームらしい。
話していると増えるおじさん。
3人ほどの褐色のおじさんとスマホの翻訳を見せてコミニュケーションを図る。
国境を越えて目的のホテルまで運んでやる、80シンガポールドルだ、という。
話しかけてきたおじさんのタクシーに乗るなど、危なっかしい事この上ない。
その上値段はマレーシア市内で利用するときの10倍以上の値段だ。
「マジか、高すぎじゃね?」と思ったが、逆にこの高さがある種の信用の根拠となった。
たとえ怪しいボッタクリだったとしても、すでにこの価格なら得るものは得ている。
運に身を任せることにした。
そもそも2年前の台湾から始まって、この旅行記を書き始めたのは、その体験が自分にとって心動かされただけでなく、そんなに若くもない歳で、英語も大してできなくても海外旅行はできるし、実際に行ってみると自分が「世の中」だと思っていたものが「世の中の一部」でしかないと発見して、世界の多様さや美しさを感じられるからで、そんな旅行に行ってみたい、と思える人が増えればいいな、と思ったからだ。
だからあまりに高いハードルを超えたり危険を冒したことを自慢する気は全くなかった。
皆さんもマレーシアから陸路シンガポールに入国する際はぜひ写真付きのたくさんの情報を集めてほしい。
歩みがゆっくりなので、タクシーによる入国について調べてみると、確かに確立されたルートで、自分が払ったシンガポールドル換算で80という数字もやや高めであるが常識の範囲を出ないものらしい。
外を見るとスコールが降ってきた。
こうなると、降車の必要がなくドライブスルー形式で出入国審査が済ませられる(!)タクシー入国は高い金を払うなりの価値はある様だ。
長蛇の列の出入国をクリアして、シンガポールに入り飛ばすタクシー、予定より2時間ほど遅れてシンガポールのホテルに到着した。
マレーシアでは東横イン以下の一泊7,000円でキングサイズのベッド、共用にジムとプールとサウナがついたラグジュアリーホテルに泊まれたが、ここシンガポールでは一泊10,000円で「東横インの方がまだマシだ」というような、窓のない上にセミダブルベッドで居室が埋まってしまうようなホテルにしか泊まれない。
街を歩くと、その発展度合いに目眩がしそうだ。
夜の街を一人で歩いて全く心細くならない賑やかさと綺麗さだが、橋一本超えただけでこの経済格差は自分の価値観に揺さぶりをかけられるみたいでちょっと心がザワザワしてくる。
マレーシアから独立したからこその発展なのだろうが、その前からもこの華僑中心の街は他地域とかなりの格差があったのだろう、これだけの格差があれば、別れた方が正解かも知れない。
この格差が同じ国にあったとしたら、多くの人は心穏やかでは無いだろう。
肉骨茶と油條、ジャスミン茶で19シンガポールドル、約1,650円。
マラッカで食べたニョニャ定食なら、おかずが2倍の6皿に増える値段だった。
ニューヨーク行きの便の中でこれを書いている。往復たった9万円のエコノミークラスだ。席は狭い。日本人標準体型の自分の足でも前との余裕は10cm程度。自分の背もたれを倒そうにも数センチしか動かない。食事が配られる際には後ろの人に配慮して席を戻さねばならない。暗いキャビンの前方ではバシネットに入りたがらない赤ん坊が元気に泣いている。
なぜ自分はビジネスクラスに乗っていないのか、いつも飛行機に乗ると自問する。
ビジネスクラスは高いのだ。このニューヨークと東京の直行便往復だったら約50万円から70万円かかる。このエコノミークラスの5倍以上。もし4人家族なら200万円以上の出費だ。移動のためだけなのに法外な値段に思える。
旅客機のビジネスクラスは経済格差を目にする数少ない機会だ。普段は金持ちも普通の人も同じようなレストランで食事をし、同じ道路を歩き、同じ電車で移動する。たまに運転手付きリムジンや特別なレストランに行く金待ちもいるだろうが、彼らは私達からは「見えない」。見えないなら格差を感じることもない。一方で、飛行機を乗り降りする時はエコノミークラスの乗員も否応がなくビジネスクラスの席を通過させられる。見せつけられる。プライバシー確保のために一つ一つ仕切られている座席。足を広々と伸ばせるシート。同じ場所に向かう同じ飛行機に乗っているのに、その特別な席に5倍-10倍の価格を払える人達と、そうでない自分達。ビジネスクラスのキャビンを通過しエコノミークラスにある自席に向かう時に、いつも自分がこう問いかけるのだ。
これまでにビジネスクラス乗ったことがないわけではない(むしろビジネスクラスのフライトを過去に経験してしまったからこそこんな無用な思えを生んでしまうのかもしれない)。以前に仕事の関係で東京に出張した時がそうだった。カレーも明太子ご飯も食べ放題のラウンジ。倒せばベッドのように横になれる座席。飛行前に席まで来て挨拶してくれるフライトアテンダント。レストランのメニューのような機内食。会社のお金(OPM = Other People's Money)で飛ぶビジネスクラスフライトは格別だった。
なかでも自分にとってのビジネスクラスの一番の体験は飛行前にあった。搭乗し、フルフラットになる自席に着いたあと、大勢のエコノミークラスの人達が横を通り過ぎる時だ。もちろん目は合わせない。だがフライト中の食事メニューを手にしながら、自分の意識は全て通路を通り過ぎる人々に向いていた。エコノミークラスへ向かう彼らと違い、自分は「快適な空の旅」をする優越感。今まで「あちら側」だった自分が今足を伸ばして、席の幅を気にせず離陸を待っている。ようやく自分がここまで「成長」したのだと。この醜い優越感と安い自尊心が幸せとは相対的なものなのだと教えてくれる。
しかし、ふと我に返った。これは会社が買ったビジネスクラスだ。会社のお金だ。凄いのは会社であって、自分ではない。この時から、あの問いは少し具体的になった。
どれだけ豊かになれば自分のお金でビジネスクラスに乗ろうと思えるのか。
ビジネスクラスの乗客を観察したことがある。自分と同じく出張で飛行機に乗っているような中年男性にまじって、普通のおばさんや小学生がいる。彼らの資金源は勤務先ではないだろう。その辺のスーパーでレジ打ちをやっていそうなのおばさんだ。(なお、子どもの頃からビジネスクラスに乗るようなやつはろくな大人にならないに決まっている)
出張と関係なさそうな彼らはマイルを使って乗っているのだろうか。額面の値段を払わなくともクレジットカード附帯のマイルを普段の買い物で貯めて乗る方法だ。しかし、東京-ニューヨーク間のビジネスクラス往復航空券は10万マイルである。買い物額100円に対して1マイルなので、この10万マイルを貯めるには1000万円のクレジットカード利用が必要だ。高額だ。もちろん乗客の中にはマイルを使っている人もいるだろうが、ごく少数と考えていいだろう。やはり会社の金もマイルを使わずに自分の財布からビジネスクラス航空券を買っている人はそこそこいるのだ。
それは自分ではない。
自分の収入は多い方だと思う。アメリカでソフトウェアエンジニアをしていて年収は日本円で約2000万円。それにRSUという株も付与される。税金や家賃、生活費を差し引いても毎年約400万円程貯金できている。年1回ビジネスクラスで東京-ニューヨークを往復するには十分な数字だ。だが自分はビジネスクラス航空券を買ったことは一度もない。昔の自分からすると夢物語のようなこの収入額ですらビジネスクラスを買う「心の余裕」がないのだ。
前にとある会社のIPOで一山当てた友人に聞いてみたことがある。「それだけの金があるなら、君は飛行機のビジネスクラスに自分のお金で乗るのか?」彼曰く「乗らない。もったいない。おそらく自分のお金で乗る気分になるには資産の量ではなくキャッシュフローが重要なんだ」と。つまり彼の感覚からすると、ある時点でお金をどれだけ持っているかではなく、出入りするお金の量こそがビジネスクラス航空券購入の判断材料になるのだという。今は会社経営をしてる彼が満足するキャッシュフローを手に入れるのはいつになるだろうか。
曇り空の向こうにマンハッタンの摩天楼が見えた。この窮屈な席もあとちょっとの辛抱だ。
なんとなくわかっている。多分自分はこれからもビジネスクラス航空券は買わないだろう。たとえいくら年収が上ろうとも資産が増えようとも、ずっとエコノミークラスに乗り続ける。この格差はお金の問題ではなく、心の問題なのだ。航空券を予約するときにビジネスクラスの価格を見て、「50万円あれば他に何ができるか」、「自分の財布から出していいのか」、「汚い優越感に浸りたいだけじゃないのか」と、ああだこうだと考えてしまう自分はいつまで経っても「あちら側」へはいけないのだ。
経済格差や貧富の差が広がってることのバロメーターでは。これに類似した、公務員に近い内容の業種の仕事での似た詐取は見つかってないだけで、今後増えてくると思う。
貧乏人が増える、ということはこういう自衛のコストもかかるようになる、ということである。赤字だからと公共交通機関を廃止すれば貧乏人でも車の運転が必要になるわけで、赤字でも公共交通機関が必要なわけである
社会の格差が進むと当然こうなる。任意保険は失うものがある人にしか、実質的な強制力がない
またテンプレ。「環境型セクハラ」と「自分にとっては無問題かどうか」を同列に語る人々
朝日がネトウヨと発言する所に必死さを感じます。敵対をレッテル付けしてでも叩きたいという強い意志を感じますね。
ネトウヨって自分自身を客観視されると、発狂して星を連打する生き物なんだなぁ……っていうブコメ欄
政権や過去の過ちを批判することが「嫌日」だという発想がヤバい。
「朝日新聞よりマシ」みたいなブコメは、嫌韓ネトウヨの特徴であるマウンティング欲を如実に表してる気がする
ネトウヨさんの朝日叩きしゅごい。人って都合の悪い指摘をされてらだいたい怒るんですよね。
確かにちょうどこんな感じ。/既存のR18作品なのか。つまり女体の場合の規制(自己規制含む)が甘すぎるってことだよね。
男女の立場を単純にひっくり返すだけでは同じ問題が再現しない非対称性がそもそもフェミニズムの立脚点のはずなんだけど、この人はこの遊びで何をしたいのかな
あの奇乳スタイルだってひと昔前まではR18ものでしか見なかったよ。今ゾーニングされてるかどうかは問題ではなく、あれがOKでこれが駄目な理由があるのかって話。
おいらはその「気持ち悪さ」を感じた時、その原因に、危機感を抱かない人たち、擁護を向ける人たちの存在に対する落胆がある。あまりにも「表現」と、それが指し示す「意味」のレイヤーがごっちゃにされすぎてる。
ゾーニングされてるのに、と叫ぶ人は「つまり女の絵はゾーニングせず公共の場に垂れ流すしポスターの引用もOKだけど同じような男はゾーニングして保護しろ!!」って理屈。反論する程元ツイの正しさが浮き彫りに
男性には「これって公(おおやけ)でやるのはどうなの・・・?」的に不快感を感じるものはあまりない、ようだ、というのがよくわかった。無理なんだね、説明しても。どうしようか
お前ら勘違いしてるけど、これはお前らに見せて謝罪と賠償を引き出すために書かれているわけじゃないぞ。
お前らが女性の苦しみを理解しないのは想定済みで、これは自分と近い考えを持つ仲間達への共感を引き出すことと、それに共感しない者の炙り出しと、(お前たちの予想通りの反応を引き出して)敵は自らと決して相容れない悪魔という認識を仲間内で固めて連帯を強めるためのものだ。
いや本当に。自己責任カルトに洗脳されてる人は海外から見るとこうしてドン引きされるレベルでヤベーって自覚持った方がいい。
日本で現政権を支持してる人等は、中国共産党体制下みたいに自由が無くても自分が体制側と思い込めればそれで良いっていう家畜みたいな思考の人等です。家畜に民主主義を説いても分からないのと同じですよ。
お金を取られたとかの抗議をしょっちゅう電話をするおばあさんがいた。ヘルパーさんが帰った後で顕著なことに気づき、仕事を与えてみたら、精神的にも落ち着き妄想の電話も少なくなったそうな。
その時の仕事が妙に印象に残っている。ネクタイの糸を解いて、布として再利用できるようにするものだった。少し昔の人にとっては糸や布がとても貴重で、量産できる今ではペイしない仕事だが、自分がやっていることが捨てられる布を再利用に導く行為だと認識できる。ネクタイに使っている布は良いものが多いし。あと、若い人よりも布の扱いがうまい。
羨ましいと思ってしまった。
喜ぶ人がいるという難しいミッションではなく、その人が価値があると思える作業を与えてもらえるのだな。おばあさんだから、年寄りだから、保護すべきものだから、かわいいから、労働はさせられないから、新しいことを覚えるのは難しいから、云々。
仕事ができなくなって長い。元々うまくはなかった人とコミュニケーションを取ることが、患ってからは特に難しい。でも仕事がしたい。この気持ちの根源や落ち着きどころは、自分でもよくわからない。多少回復してからは仕事を回してもらっているが、迷惑しかかけていないのではないか、コストに対するメリットを与えられていないのではないかという気持ちが強い。
普通の労働条件なら消滅する程度の利益しか生まないが、誰かがタダでやってくれるなら嬉しい仕事というのは、もしかしたらもっとあるのだろうか。
もしそうならば、一度労働から離れてしまった人の訓練や療養になるのでは無いだろうか。
職業訓練などは社会からドロップアウトした人間とのやり取りが多くなるため、普通に働ける人だって難しそうだ。自分はこれに参加したことは無いが、病院での社会復帰のためのリハビリ訓練はどこもそんな感じだった。というか職業訓練に参加している人たち、復職する気があるんだろうか。失業保険をもらうためだけに参加している人も多そうだ。
作業、のような仕事がしたい。それらは機械が大体うまくやってくれるし、人間の方が得意な作業は経済格差による間違ったグローバリゼーションの搾取機構により他国の人が行っている。ずっとじゃないんだ。まだこんな自分でも役に立てるという実感がほしい。その後はちゃんと他の人と同じように苦しい仕事をするから、訓練として、作業の仕事を下さい。
一歩間違えば搾取構造を強化するので難しいとは思うのだけれど、「働く」という複合的な問題は解決できないが、一部ならば他の人以上に過去の経験からうまくできることを、やらせて下さい。
https://anond.hatelabo.jp/20190401232210
こういう現状がある。女性の賃金が上がるのは良いことだが、総体として男女に経済格差はほとんどないから、現状でも大した問題ではない。
私の出身地は、県庁所在地はそれなりの観光地、実家のある町はそこから1時間に一本の電車に乗って30分ほど。
最寄駅は無人駅。通っていた町立の小学校はこの間廃校になったらしい。という程度の田舎。
離島とかの人に比べたら、田舎レベルは低めとは思うが、「映画を見に行く=日帰り旅行」とか、「デートはジャスコ(イオン)」とか、田舎あるあるはよくわかる。
実家の経済状況は、父(県外の出身)の実家が貧乏で、高校〜大学院まで奨学金で出たので、返済のために共働きでも余裕が無かったようだ。
それが無ければ両親ともフルタイムで働いていたので、貧乏レベルも低めだと思うけど、「トリーバーチさん」からすると立派な貧乏人だろう。
私は小中学校とも町の公立を出て、高校は1時間に一本の電車に乗って、市内の県立高校に通った。
大学進学にあたっては、母からは「(経済的に)上にお兄ちゃんがいるようなものだから」と、県内にある国立大学に行くように言われていた。
それなりに偏差値のあるところなら、そして学費の安い公立ならいいでしょ、と渋る母を説得して
後期試験を地元の国立大に、前期を東京の国立大にしてチャレンジした。受かると思わなかったのかもしれない。
反対していた母もテンションが上がってしまって、仕送りに頭を悩ましながらも
送り出してくれた。
もう10年以上も前の話だ。
私の出た大学は地方出身者も多く、案外、大学内で経済格差を感じたり、カルチャーショックというのは無かったかな。
どこに行っても面が割れてて「○○さんトコの○○子ちゃん」で、自分の振る舞いに自分の家の評判がかかっているようなプレッシャーがあった。
暮らしていた時はそれが当たり前すぎて気にならなかったが、東京に出てみると、そう言ったものとは無縁で、すごく自由を感じたのを覚えている。
(所帯を持って、町内会の付き合いが始まると、東京でもそうしたしがらみの中で生きざるを得ないのだろうけど)
隣の人がどんな人とか関係ない、という感じで、他人に干渉されない東京の空気がとても新鮮で心地がいいと思った。
それに染まって、稼いだお金を東京的な消費活動につぎ込んだこともあった。
でも、なんだか見ていた頃に憧れたほどには幸せにはなれなくて。
なんていうか、稼ぐ苦労に対して得たものがコレ??的な。
ちと立ち止まって、もうちょっと人間らしい生活をしよう・・・と思って
ガツガツ稼ぐの止め。時間ができたのだが、収入が下がったので必然的に節約生活に。
そうすると、案外お金を使って遊ばなくても、楽しいことって色々あるなー、と。
魚って外で美味しいのを食べようと思うと、相当出さないとないけど、
近所の魚屋で新鮮なのを手に入れれば焼くだけでも安くてすごい美味しい。
自分で買いに行って、美味しいものを自分でこさえた充実感!とか。プライスレス。
春は桜が咲いたのを見に行って、夏は涼しいところでアイス。秋は紅葉。冬は部屋で鍋とか。ささやかなことに喜びを感じる、今の自分の方が好きだなぁ私はね。
そして今、改めて田舎での生活を振り返ってみると、いい面もたくさんあったと感じる。しがらみも、一長一短。
介護状態の祖母を近所の人が田舎ネットワークで様子を見にきてくれていたり、世話をしてくれていたり。色んな噂を立てる人もいるけど。
でも人と人との繋がりが強いのは確か。
人間やってると色々あって色んな人と出会って価値観も考え方も変わる。
トリーバーチさんくらいのころって、ほんとその過渡期だなー。