はてなキーワード: 日焼けとは
クリニックでやると一応一回照射して腫れとかやけどっぽいのを医者が確認してからカルテにサインをして(初回だけ)
レーザーあててなんかヤバい自覚症状ない程度の強さの皮膚ならなんとかなるんじゃね
日焼けと照射後の保湿クリームだけは忘れないように。照射した日は血流良くなる行為(長風呂×短めのシャワーで済ます酒NG)だめだと言われるのでそこもちょっと気にしていただければ
あんまバズりすぎると真似する人が出てとんでもないことになりそうなので運営に消されそうな記事ですが読んでて面白かったです
あと追記
血流良くなる行為は激しい運動もだめだって言われたし、照射前にクリームとか美容液とか化粧とかそういうのも止めろ素肌で来いって言われた(何が影響あるかわからないしね)
照射したら施術部氷枕みたいなのですぐ冷やして保湿クリーム塗られておしまいだったかな
脇とか腕は神経少ないし(そこまで痛くない)最悪火傷になっても目立たないから強めの出力にしてるっぽいけど、顔はなんかあったら大変だからとあまり出力上げてなかった
聖地巡礼とは中世ヨーロッパの封建社会においてキリスト教徒のあいだで流行した、キリスト教の聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である。
転じて、現代においてはアニメや映画などの熱心なファンが、創作物やキャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。
私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組のロケで訪れたり雑誌等メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。
大塚の天祖神社やバッティングセンター、千歳船橋の喫茶店ぱおーん、五反田のデニーズ……
思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。
それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。
聖地巡礼には楽しさがある。
思えば私は日本史と世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画のロケ地を訪れることもある。
(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)
今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代にマゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊、フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。
そう、私はフランシス・ドレークの足跡を辿りたいのである。
乃木坂のメンバーが参詣した神社に自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分もバットを振るいたいのだ。
そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである。
この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。
バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティングの最中は乃木坂のことは忘れて純粋にボールをバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。
しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別な意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。
私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。
この違いは何に由来するのか。
まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼の動機に深く関わっている。
私は何も藤田ニコルや西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡に自分の足跡を重ねたいとは思わない。
フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)
では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。
恐らくは、その人物との関係性および距離感が聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ。
想像するに乃木坂のメンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地を巡礼したいという衝動はなくなるだろう。
同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ。
友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。
ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別」である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。
そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為を追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。
その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。
私は宮崎駿監督の映画が大好きで、監督がハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県の鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。
フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周にロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。
しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼランの足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。
(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)
「手の届かない「聖なる存在」である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。
ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターでバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂のメンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。
一年間彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアルに追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記:そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為に限定するべきだったかもしれない)
聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ちを自分も受けたいかというと難しい。
例えばメンバーの誰かが過去にイジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。
しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年間継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。
キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいね。はい。))
体験の総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。
心地よい感情が動きがあればよい。
郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。
いや、違うな。
上に述べたエモさは体験そのものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為を追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。
例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為そのもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋な巡礼っぽい)
先例のイジメのように行為自体は許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。
「追体験行為を包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼が追体験を包含する」よりも「巡礼に追体験が付随する(ことがある)」が正しい)
距離も重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理的距離感である。
遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。
私は電車移動含めて一時間もあれば十分である。しかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値は希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。
遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂のメンバーが訪れた場所の比較として、私の現在地から大塚のバッティングセンターとパリの街角にあるカフェとの物理的距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリのカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。
これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂のメンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理的距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェを目的に渡仏する気にはならない。
いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為そのものに乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味で巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記:日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的に行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係。目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋な巡礼価値は何によって決まるのか。))
これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行そのものに少なからず体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。
でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフで聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。
眠いし目も疲れたので「過去の自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。
おやすみなさい。
長い事生きてきて
めちゃ顔があれてた🐈です。
自分では肌強いとおもいこんでいて
それがぼろっぼろ。
とりあえず
わかったことは
「効くのかな」はないってこと。
(お薬とか、わざと刺激が売りの張り薬などとは違うんだよねー💦)
ほらよくきく
好転反応ってのは
🐈のお肌に関しては「ナシ!」でしたニャ
ほんと
📞😹どうして
みたいな感じで長かったけど
低刺激とかナチュラルとかより
「これはアカン!」というのが入ってないかまず成分みるようになったよね。
まぁ半径50m程度なら
いけるくらいになりました。ゴミ出しとか💦それ以上は勘弁💦
「しみる」のは、最初だけでも、
だめなのでした。
眉毛抜けたよね……。
友人に話したら
「入ってたら使わない」のだそうです。
案外、みんな苦労してんだなぁ。
いま、部屋が寒いせいで
手荒れが酷いんだけど
ハンドクリームがしみるので
困ってました。
で。
顔用のヒアルロン酸塗ったら少し良くなってきた。
ほんと
叱ってしまいたいです。
まぁしょうもないことでしたが、
気を付けつつ。
🐈でした。
満足 約30万円/年
ヒゲ、頬、鼻、腕、脚、手、3〜7回
世の中いつの間にか脱毛ブームになってるけど、俺はこれ2回目で、10年前に1回やってる
10年で半分くらい戻った
10年前より痛くなくなってるけど、特にヒゲ脱毛は最も痛いと思って良く、まるで拷問
腕や脚は余裕だろうと思ってたけど予想よりは痛かった
血管がどうやら反応するらしく、注射を数百回打たれるような感じ
それでも剛毛に打ち勝つにはこれしか無いので仕方ない
最近周りにヒゲを生やしたイケメンが多くて少しめげそうになったが、俺がヒゲ生やしてもカッコよくは成らないので脱毛で正解だと思う
なお光脱毛ではないのでそっちには詳しくない
それなりに満足しているが、ボリュームが多分元から少ないのとくせっ毛なので
ボリュームが有りツヤツヤしてるイケメンヘアーを見かけると羨ましくなる
満足 約5万円 まだ1回目
普通はエラにやることが多いらしいけど、俺は顎の梅干しを取った
梅干し顎は男性的には渋くていいのかもしれないけど、そのおかげで口の下部分が膨らんで丸くなっていてコンプレックスだった
顎ってヒアルロン酸入れたり削ったりと、ちょっと怖いイメージあったけど、まさかボトックスで綺麗な顎が手に入るとは思わなかった
なお1年に2,3回必要らしい
不満 約16万円 1回
ダイエットして肌がたるんでしまったのでリフトアップしたかったけど、あまり効果を感じられなかった
人によるのかもしれないが、個人的に今年一番の金ドブ
糸はまだちょっとな〜
満足だけど自己満すぎる気がする 約3万円/1回
あと「毛穴」とか「肌」ってのは相当難しいらしい
回数もかなり掛かるとか
想像してた歯科矯正より遥かに楽で、世界的にはもうこっちが主流と聞いた
完成予想図を3Dで調整できるのとか今どきで良いなーと思った
従来の矯正では奥歯が動かせないところ、インビザラインでは動かせるらしいので
俺の場合は64週間の予定、気が遠くなる
インビザラインは付けてるのほぼ気づかれないけど、ろれつが回らなくなる
いい感じ 約1万円/1時間
インビザラインと同じく芸能人とか来てるところでやってるお陰で高い
普通は3000円とかじゃないっけ?
満足 約2.5万円×2回目
芸能人は何でみんなそんな歯が白いんだろう?
と思ったらホワイトニングしてる人多いんだね
普通はやっぱ黄ばむらしいんだけど、黄ばんでるとどうしても爽やか感が出ないんだよね
どのくらい白くするかも選べるところが良かった
コスパも良い気がしてるけど、3ヶ月に1回のペースになるから注意が必要
まあまあ 約25万円
寝る時にだけコンタクトレンズを付けるやつ
視力を測るとたしかに回復してるんだけど、日常では案外「回復した!」って感じがしないので
2日に1回はめんどくさくて付け忘れる
いや、それだから回復感が弱いのでは?数日ちゃんと付けないと効果が薄いって言われた気がする
初めてのコンタクトレンズ(ハード)だったけど俺は寝るのに支障はなかった、付けてるの忘れる
最も効果がある
ただしやり過ぎると周りから痩せすぎと言われる
うーん? 約4000円/回
なんかシャキーン!って感じになった
良いのかなこれ
うーん? 約8万円/5回
モデルの友人に勧められて初めてやったけど、めっちゃ痛かった、あざになった
スッキリはしたけど具体的に効いた感じがしない
でもスポーツ選手とか某歌手とか色々来てるらしい、よくわからんなぁ
余裕があったらまた行くけどフェードアウトしそう
満足 6000円×8回
ストレートネックを治したくてYoutubeとか見てたけど全然だめで
とりあえず近場の整体に行ったらそこそこ治った
厳密には姿勢が治っただけでストレートネックが治ったかどうかはレントゲン撮ってないのでわからない
やってる体操とかはYoutubeでみたものと似たりよったりなんだけど、整体行ったおかげで真面目に毎日やるようになった
そういうのってあるよね
当然都内に集中してるんだけど、たまに良さそうなクリニックが地方だったりする
もちろんクリニック内はほぼ女性なんだけど男性も1,2割は居る
顔の肌対策は回数が必要+同時期に併用できないとかあるので年単位で時間がかかる
やり過ぎには注意だし、基本的にガラッと変わることはない
イケメンになるというより清潔感パラメータを少しだけ上げてる気がする
もちろんちゃんとした整形すれば別だろうけど流石にそこまでの勇気と熱意と金と時間はない
機械の差、薬品の差、濃度の差、立地の差、エステなのか病院なのか(エステには医者が居ない)、効率重視なのか相談に乗ってくれるのか
インターネット大好きおじさんの俺でも疲弊するくらいだから、プチ整形女子たちはこれ病むだろうな
1回でほとんど終わるもの(例:歯の矯正 100万円/数十年)
定期でやる必要があるもの(例:歯のホワイトニング 10万/年)
で計算方法が変わるのでまず「何回必要か」「どのくらい持続するか」を見ないといけない
大体書いてる金額は1回の料金だったりするので注意
・脂肪溶解注射(フェイスライン) ダイエットしたらやつれた感じになったのでバランス取りたい
・シミ取りレーザー
・筋トレ
・リポハイフ
・美白 期待はしてない
・片二重をなおす(一旦相談だけ、目は印象変わりすぎて怖い)
・顔の筋トレ
・VIO
・身長 185cmほしい
リアルというわけではないが、夢なのに全部「現実味」があって、起きた時暫く混乱していた。
・賃貸を探す夢
賃貸を現実で探していたら、安い物件として和室の賃貸を紹介される。
和風ホテルの部屋のように連なっており、薄暗い神社の中に位置していた。裏は道場になっていて、朝起きたらすぐに剣道とか武道を練習できそうな感じ。
少し寂しい雰囲気が流れていて、ここに住むと落ち着くけど、同時にちょっと寂しすぎると感じた。ここで一回目が覚める
・賃貸に住む夢
その賃貸は既に借りられていた。中学時代の6人くらいの旧友が雑魚寝していて、知らない間に彼らは一緒になってその賃貸を借りていたのだ。
月2000円程で寝る事ができるらしい。隣の空き部屋を月ウン万で借りるか、雑魚寝して2000で抑えるか悩む。
外に出ると、荘厳な和風の神社のようだった。石畳を歩き、外の土地に出ると車が沢山通っている。
地震か災害で電車が止まったらしく、とりあえず新宿から歩いて家まで帰る事になった。
・冬山の夢
冬山に友達と来た自分たちは、「ゲーム」が既に始まっている事に気付く。ゲームで言うとr6s。
俺はカメラを設置し、バレなければいいだろうとゲームに参加してない人の車にもカメラを設置する。怒られるかどうか不安だが、ゲームがリセットされるときは自動的に消えるしいいだろうと思った。
雪山を進むと会館みたいなものがあり、俺はそれに入ると、俺以外の友達は出し物をして目立とうとしていた。
フラッシュモブ的に参加するらしく、俺が躊躇していると友達はみんな勝手に始めてしまった。取り残されて寂しい。
友達はゲームキャラのガジェットを使い壁を破壊し、中学の先生の後ろから、急に裸で出てくる。ゲームがリセットされれば壁は治るけれど……と、先生はあきれていた。
・賃貸の夢
また賃貸の部屋に戻り、食事を食べに行く。そこには小学校の先生もいた。
昼飯は海鮮丼で美味しそうだが、友達は俺の器をとるなり「ご飯多すぎるから減らしてやるよ」と言って、勝手に海鮮丼から素手でごはんと魚を半分取り除いてしまう。
しょんぼりする俺。ふつふつと怒りが湧いてきて、その友達がトイレに行ってる所に行き、そいつを殴ろうとするが当たらない。そこで一回目が覚めた。
・冬山と海
冬山に戻ると、そこは同時に夏の海があった。日焼けしたライフセーバー風のお姉さんが、俺の前に座って話している。人が居なくなった隙に、
俺はそのお姉さんに近寄り、「温かいね」といって抱き着く。お姉さんもまんざらではなさそうで、そのままこっち側に倒すと、キスをしてきた。
俺もそれに応えてディープキスをする。そのまま挿入しようとしたところで目が覚める。
●夢診断
現実で和室の賃貸を探していたので、それが影響したのかもしれない。以前も夢で似たような場所に来た気がする。
中学の友達が沢山出てきたのは、最近中学の友達とLINEしたからだろうか。ただその友達は一人もいなかった。
寝る直前にR6Sというゲームをしていたので、その影響かな。
小学校の時の友達に嫌がらせをされたのは、日中そいつが結婚したことを思い出していたからだろうか。「善意に見せかけた嫌がらせ」をして来る奴で、あんまり好きじゃなかった。
親からずっとブサイクブサイク言われて育ってきてるので、自分の容姿には非常に否定的な感情を持っている。
ちょっとはコンプレックスの解消になるかなーって美容院行ってみたりしてもちょっと小綺麗な不細工が出来上がって、よけい容姿の至らなさを認識するハメになったり。
最近のコロナ禍では、真夏でも堂々とマスク付けてていいってのがめちゃくちゃ楽だった。冬になったらいつもマスクとかネックウォーマーとかで顔隠した上にパーカーのフードかぶったりして、夏でもネックチューブみたいな日焼け対策のやつで基本的に隠してた。さすがに店の中だと周囲の目線が痛かった。今年はほんとうに楽だった。これは絶対被害妄想なんだけど、店員さんに嫌な対応されることがなくなった気がした。自分の容姿を気にしなくていいってこんなに楽なのか、めちゃくちゃデカいアドバンテージだなって思ってた。
本気で悩んで何年か前に整形外科で相談したこともあったんだけど、自分の顔どこを変えたいとか全く無くて。全体が不細工なんだよ。よくわからないんだけど、私は不細工だからどうにかしたい、そんな気持ちしかなくて、医者を困らせた。そりゃどこを変えたいかわからん奴に変えてほしいなんて言われても困るよな。無理に切ろうとしないあたり、ちゃんとした医者だったんだろう。ありがとう、そしてすまなんだ。
で、その医者に言われたのは、「客観的に見て、頭部が大きいのは事実。それを含めても、自分がどうしても直したいという気持ちが無い限り切る必要はない。」とのことだ。私が直したいのは不細工であって、顔じゃないんだな。書けば書くほど本当にいい医者だな。ちょっと恨んでたが、逆恨みでしかないな。自分の至らなさを恥じるしかない。
その中で誰みたいになりたいか、って話もあったんだけど、それも無くて。世間で不細工と言われてる芸人とか、いわゆるあの絵の通りのチー牛顔とか、全然不細工だと思わないんだよな。アインシュタインの稲田くらいでやっと「個性的だな」って思う程度で、そんなに不細工だとは思わない。ただ、ちょっと私と似てるところのある、とろサーモンの久保田とかは、その部分に対して不細工だなーって思ってしまう。たぶん私の脳味噌の中では、私の容姿がブサイクのイデアとして扱われている。そんな状態で整形しても、整形された不細工が出来上がるだろう。
コロナじゃないときには、コースつくってモニターしてうまくいったら他人を誘う感じ
まず自分を接待するデートコースのようなものをつくる、それは他人に教わったものでもよい
Aさんとでかけて映画とカフェと書店いったけど自分の場合書店はなしでカフェもうちょっと永くいたかったなとか画材店のほうが行きたいなとか
Bさんはカフェも行きたいけど洋服屋もというのならじゃあ半々でとかカフェで解散とか適当にアレンジする
たとえば野球場とかコンサートとかは誰かに教えてもらうかチケット裏の細かい字をめちゃくちゃ読まないと失敗する罠がいっぱいある
コミケとかだとチケット裏では間に合わなくてカタログに10ページくらい注意がついてる
人と一緒だと注意してもらえるけどぼっちならカタログ先に読み込まないと無理
泊りがけ旅行は恋人や家族でも喧嘩したりするし新婚旅行で喧嘩して成田離婚するやつも新婚旅行長すぎ。
体力ない人は映画2時間から。ちゃんと飲食とか電話の電源とかやさしく注意が出るからな。
バーベキューとグランピングがリア充イベントといわれてるのも屋外だからだ。
源さん 長さん 清さん 丈さん
を相互に認識できる状態 ローカルネットのIPみたいになってたら相互参照できる
源さん 長さん 清さん 丈さん 仁さん 巽さん
「あのとなりまちからきた仁さんよ」
「あの人仁さんっていうんだ 背がたかいよね」
「いやそれは巽さんだ あの人山向こうからきたらしいよ」
「それって仁さんのこと?」
「いや巽さんが山向こうからで 仁さんは海を渡ってきたらしい」
「なるほどそれで日焼けしてるんだね」
「日焼けしてるのは巽さんのほうだろ」
「だから巽さんの話してる」
「まあそれはおいといて その仁さんなんだが」
このやり取りがローカルネット広域になったとき全員周知か「全員を管理している人」が必要になるよね
管理者なしに出入りがあればいつのまにか仁さんがふえてたり巽さんが消えてたりするわけで
いきなり消えるかもしれない人にお金は貸せないし一日家に泊めたりもできないし家畜の小屋を見張らずに寝れないよね
そうすると最小のコミュニティ情報範囲から外部に所在を確認できるグローバルな呼称が必要になるよね
「海向こうの」仁さんとか「隣町の」巽さんとか
もちろんそれがその土地でも 追跡先でも同じ呼称でおなじ対象に到達できて それを参照する管理者が必要
海向こうの が 海渡 に変わったから苗字ではなかったものが苗字がついたといえばそうなるかもしれないが名前に補足がついてるのが苗字というポジション的にいえば 移動があると苗字がいるということになる
現地の人も呼ばないだけで場所や歴史の予備知識があってそれが苗字になるといえばそうなるかもしれないけど 市外局番略して電話番号かいてる看板とおなじ その地域だと呼ばなくてもこまらない なので実質ないのも同じで済む 外部からの流入があるまでは
流入の頻度が低ければ結果として 新規の受け入れの初期段階だけ外部の個人に苗字的な補足が必要だけど長期的に「移動しない同郷」が定着すると 苗字が必要なくなるよね
今回のキャンペーンは男に性的なイメージを想起させるからダメという主張を目にしますが、
眼鏡や日焼けや制服といった身の回りにありふれていて社会的に認められているものから
奴隷少女とか犯罪的で社会的に認められないシチュエーションまでいろいろなのです。
社会的に禁止していようとしていなかろうと好きな人は好きで嫌いな人は嫌いなのです。
その中でもタイツはありふれていて社会的に認められているから安心てください。
「就活服着ているからこの女はビッチだ」なんてことにはならないでしょう?
更に私が某二次元画像掲示板を観察したところタイツはジャンルとしてロリやショタやリョナといった
一般社会で許されないものに比べてもタイツジャンルは弱小です。
規模が大きく社会的に許されにくいジャンルの前に一般的で弱小なジャンルを叩くのは理解できないです。
「アカギはいてるからこの女はビッチだ」なんてことにはなりえません。
違いが分かる男は売る側の方か今回のキャンペーン以前からの剛の者くらいでしょう。
初めて完売って言えた。嬉しい。
私が同人誌をイベントで買うようになったのは30超えてから。某ゲームに大はまりし、本を手に入れたいと考えるようになった。
初めのうちは一般参加をしていたが、即売会の中でも規模が大きなものは知人がサークル参加をしていたので、サーチケで入場をして欲しい本を買っていた。夏場の待機は日焼け対策が大変だったので、サークル入場させてもらえるのは非常にありがたかった。
しかし、二年前の冬にそれは終わった。知人が同人活動をお休みする事になったのだ。
2019年はオリパラの影響が既に出ており、ビックサイトの東棟が使えない。夏コミC96はどのような入場導線になるかが、全く読めない。
C95で手に入れた申込書セットを正月休みに記入し、サークル参加を申し込んだ。ジャンルは某ゲーム、絵は描けないので小説頒布でカットを用意した。初参加で持ち込み予定部数も少ない。落ちる可能性の方が高い。当たれば御の字だ。当落発表の日――当選通知が届いてどうしようと頭を抱えた。サーチケ目当てではあるが、頒布物を用意しなければ、落ちたサークルに申し訳が立たない。
実は過去pixivに一編だけ二次創作の小話を上げており、それに数十ではあるがブクマが付いていたので、仮に当選した場合は小話をベースにしようとは考えていた。そもそも数千文字しかない小話だけでは本にはならない。ならば短編集の力業だ。
おけぱのマンガで、初めてサークル参加した同人女の話のような工程を踏み、締切の朝ぎりぎり入稿で脱稿をした。
表紙イラストは件の知人にお願いした。相場がわからないけど、もちろん有償である。人の目につくように、素敵なイラストを書いてもらった。
ジャンルの勢いはあるが、カップリングはマイナー寄り。卓上には新刊一種のみ。
最終的には20部刷ってみて、半分くらい売れた。Twitterで宣伝したのと、流しの人が表紙買いをしてくれた。イラストの力は大きい。
C97も当選し、サーチケを手に入れたので、新刊を作った。前作の売れ残りを売り切りたい気持ちがあったが、全部は売れなかった。弱小サークルにとって、20部の壁は厚い。
同時イベントは漫画の方が圧倒的に手に取ってもらえる率が高い。文字書きはどうすれば、作品を手に取ってもらえるのか。そう考えて、定期的にPixivに短い話を投稿するようにした。自分はこういう傾向の作品を書くのだ、とわかってもらえるように。
BOOTHの通販で固定の人に買ってもらえるようになり、迎えた春コミ。
春コミの新刊はまっったく売れなかった。Pixivのブクマはそれなりについていたのに。コロナ憎し。悲しくなりながら、持ち込んだ既刊と会場搬入だった新刊を抱えて帰宅した。
C98も当選したが開催されず、その間にあったイベントも人はまばらで新刊は10部しか刷らなかったのに、半分以上残った。
で、迎えた今回のスパークだ。
最後まで20部にするか10部にするか悩んで、20部刷った。予備が4冊で合計24部が机の下に届いていた。
今までの傾向からしたって、そんなに人は来ないだろう。twitterで結構しつこく宣伝したけど、反応はあまりなかったし、Pixivのブクマも伸びていない。そう思っていた。
自分の買い物が20分ほどで終わったので、席に戻ると人が思っていたよりもくる。新刊2冊買ってくれた人。既刊も一緒に買ってくれた人。今までにはない反応だ。
今回はオンリーの中にカップリングのプチがあったからな。その効果もあったと思う。
泣きながら抱えて帰るかと思っていた本たちはどんどん減っていって、完売になるものが出た。
イベント出て1年弱、初めて完売って言えた。すごく嬉しい。本当に嬉しい。
こういう経験をしてしまうと、次もイベントに出たくなってしまう。
周りに言わせると、私はミイラなんだそうだ。