はてなキーワード: 就職氷河期とは
今の方がよっぽどチャンスないだろ、大企業と木っ端の中小零細では仕事の質も経験もレベルが違うほど資本も何もかも違うからスタートラインに立てない段階で相当な不利を被るわけで
しかも、就職氷河期デフレ時代から始まった、デフレ特化のブラック企業とか、もはや反社会企業レベルの最初から人間使い捨てるビジネスモデルみたいなところや、そもそも役員が殺人で服役した経験があるような暴力団員や半グレゴロゴロあるから、ブラックから初めて転職でさえ
凄まじい選球眼が求められるし、裏社会とカタギの世界が昔に比べて近づいているようにさえ感じるわけで、それに比べたら氷河期世代なんて滅茶苦茶恵まれてるだろ、当時はそんな裏社会の危険人物参入障壁が高いからマトモな業種に入れなかったから、比較的マトモな企業しかなかったんだからな
しかも、氷河期世代の頃は今に比べたらまだそんなに大企業と中小企業の仕事の差がそんなになくて均質的だから、単純にブラックってだけで、ブラックであることにさえ3年くらい我慢できれば、そのまま大企業の子会社に転職したり、そこからさらに自由に動ける確実なルートが存在してたんだからな
資本がゴミすぎてできることなんか大企業の新卒が三日目くらいで任されるレベルのハナクソみたいな仕事の経験しか物理的につめなかったり、ブラックでも最初から徒労でしかない反社企業みたいなところなんかホントに暴力団にでも入らない限りなかったわけで
ひっじょーに言いづらいんだけどさ、氷河期世代のオッサンって「そんなものさえ我慢できない」から尻尾を巻いて逃げ出した負け犬のクズ共でしかないんだよね、結局
そんな努力や苦労さえ背負うのが嫌でも金や女が欲しいとかホワイトな待遇が欲しいって、そんな都合のいい話があるわけねーだろ、甘えすぎなんだよ、カス
はあ?イメージするも何も
その就職氷河期こそ人口の半分は女で、しかも今程女性差別に対する意識も厳しくなかったから
就活で結婚出産の予定はとか当たり前のように聞かれて就職できず
にも関わらず今のネット世論では何故か「就職氷河期=男性」のように語られ
弱者男性の気持ちを理解するには就職氷河期の就活をイメージするのが近い。それも貧困や病気や毒親が原因で良いとは言えない学歴しか得られなかった就活生。
自分なりにさんざん努力して、多くの企業にアプローチしてもまったく選ばれない。
まともな就職はほぼあきらめている。それはいい。でも、少なくとも選ぶ側は蔑んだ態度を取らないでほしい。圧迫面接や失礼な態度は不快だ。「え?そんな低学歴を我が社にあてがえってw?ありえない」みたいなことは思っても口に出すな。
解決が難しいのは十分わかっているのでそこまでは望まない。せめてそういう弱者がいること、自分なりにできる努力はしており必ずしも自己責任100パーセントではないことをわかってほしい。
ただ、就職難と違って景気が良くなっても弱者男性問題は好転しないんだけどね。
選ぶ側(女性、企業)と選ばれる側(弱者男性、就活生)との圧倒的な非対称性と、選ばれる側の苦境や低スペが自分の責任ばかりではない、という例え話だったんだが、伝わりにくかったか。すまん。貧困や病気や毒親は比喩ではなく実際に弱者男性を生む原因になってると思う。
うん。だからこそ、女性でも(弱者男性の感じてる)理不尽さ、徒労感、つらさが理解しやすいかと思ったんだけど書き方が悪かったね。
追記2
え?これが女をあてがえ論に見えるの?書いていないことを読み取られるのは心外だなあ。じゃあ解説するね。
次の文では自分が仕事(配偶者)を獲得できないのはわかっているし、誰かから仕事が与えられることまでは望まない、と書いている。
解決が難しいのは十分わかっているのでそこまでは望まない。
次の文では、立場の非対称性に乗じて失礼な態度をとらないでほしいという主張だ。こっちが言ってもいない「あてがえ」を攻撃の理由にするなということ。獲得したいなあと望むことと、あてがえと主張することの違いわかる?
でも、少なくとも選ぶ側は蔑んだ態度を取らないでほしい。
「え?そんな低学歴を我が社にあてがえってw?ありえない」みたいなことは思っても口に出すな。
つらいのは、
で勝ち目のある競争に参加できなかったこと。負け戦に強制的に参加させられること。それによって蔑まれること。勝ち目のない低スぺになった原因は上記以外にも人それぞれあるけど、無職(非モテ)はつらい原因ではなく、つらいものを抱えた結果であること。
そして「あてがえ論」などとこちらが言ってもいないレッテルを貼って、本来の貧困や病気や毒親などの原因の原因に誰も目を向けないこと。新卒カードを持っている(男である)から強者だって言われても恩恵受けたことないし。
要は、今の段階では一足飛びに解決を望んではいない。弱者性を認めて声に耳をかたむけてほしい、こちらが感じている理不尽さ、徒労感、つらさがどういう種類のものなのか知ってほしいだけだ。
解決が難しいのは十分わかっているのでそこまでは望まない。せめてそういう弱者がいること、自分なりにできる努力はしており必ずしも自己責任100パーセントではないことをわかってほしい。
追記3
これ非モテ女性も同じじゃね?って話でいうと、これまで日本では異性とパートナーになるには、ほとんどの場合男性から女性へのアプローチだったということを考えてほしい。告られる回数の非対称性。それで、普通レベル以下の男性が人生において何度も経験するこちらからアプローチしては女性にジャッジされ拒否される状況のように、女性が自分から何度もアプローチをする状況が何かあるかというとそれが就活くらいかと思ったので。
勝ち目がないとわかっているアプローチを自分から何度も仕掛けないといけない徒労感が似てるんじゃないかと。
まあマッチングアプリとかで異性にアプローチする女性も増えてきたし、みずからアプローチする婚活に疲弊した女性もいるとは思う。
従来型の待ってても男性が全然寄ってこない、あるいはクズ男しか来ない非モテ女性の苦しみは、苦痛の大きさは同等だと思うしそれはそれで同情に値するけど、徒労感などの方向性が違うと思ってる。
1995年は私が美大に入学した年で、テレ東の夕方のアニメでも、日曜の朝のアニメでも話題にできる環境にいました。
だから、どっぷりエヴァに浸っていた。学食でエヴァの話ができる環境なのです。
まあ、美大生なのに他人様が作った作品をどうのこうの言っている状態は、意識高い系の美大生からするとガキっぽかったかもしれませんが、まだ1年生ということもあって、それはそれで楽しかった。
そして、TV版の終盤のグダグダ。でも、そのグダグダさえ楽しかった。
限られたテレビという時間の中ではよくあることだし、終盤おかしくなっていくアニメなんて沢山ある。
しかし、TV放送終了後に、なぜか話題になっていくエヴァ。時代はルリルリではないのか?
そして、劇場版。
TV版の総集編を映画館でわざわざ観させるって凄いなと思ったし、わざわざ観たくないと思った。
期限内に終わらせられなかったら、どんなに素晴らしい作品でもボツではないのか?と。
いや、美大生化は違うかも。こいつスゲーなというようなやつは、よく期限内に提出できなくて、
先生に頼み込んでなんとか時間を伸ばして仕上げてくるやつで、単に私がそういうやり方が嫌いだっただけかも。
そういう、交渉してまで作品にガッツク根性的なものに対する嫉妬だったかもしれない。
その後、就職氷河期世代となった私は、職を何度か変えながら、今はMacで何かを作る仕事をしている。
まあ、私の名前が出るような作品もなく、何者にもなれていない私ですが、何とか食っていけています。
ここ10年ぐらいは、日本酒にハマっていますが、エヴァのTV版再放送に獺祭が出てきたときは引いた。
気持ち悪い。
最近は、アマプラでヱヴァを観ました。別の世界線の話なのだろう。
TV版終了後に持て囃していた人たちは、このリメイクをどう観るのだろうか? 私は蛇足でしかない感じた。
いや、別の監督によるヱヴァの世界だったら楽しめたような気がする。
同じ監督が作るから、その作品を見るときに、わざわざ記憶に残るエヴァを引っ張り出し、
ダラダラと、書き連ねていたら、わかってきた。
この抵抗感は、多分、TV版当時の楽しかったモラトリアムな時間の記憶と共にエヴァがあるからなんだろうと。
当時の私のPowerMac 7500の起動時には、アスカのエヴァ起動時のドイツ語が流れ、
システム終了時には、ミサトさんが「メインケーブル切断!」と言っていたし、
エラー音は、伊吹マヤの「不潔」だったり、リツコの「探しても載ってないわよ」だったりした。
エヴァ一色だったわけではなく、高校受験と大学受験とで、いろいろオアズケになっていた90年代のガンダムを観まくったし、
ガンプラや戦車のプラモデルも作っていたし、FSSのガレージキットにも手を出していた。
コスプレをする気はなかったけど、ミシンを買って、丈の長いシャツを作ったり、
SC-88Proを買ってDMTやったり、ギター買ったりキーボを買ったり、
フイルムカメラを買ってユニットバスを暗室にしてモノクロ現像したり
バイト先の女子にも手を出して、飲みに行ったり、私の部屋で手料理をふるまったり。
受験というものから開放され、3年生の後半ぐらいから意識しだす就職というものまでの、2年半のモラトリアム。
ただただ充実していた。自分の中では超満足している。
だから、いちいち戻りたいとも思わないし、やり直したいということもない。
ただ、話題のシン・エヴァンゲリオンは楽しめるのではないかと思っている。
そして、一緒に酒を飲みたいかも。
私は某Y県のとある大企業(仮にT社とする)の企業城下町に生まれた。街にはT社の巨大な工場が複数あり、飲食店もT社従業員が夜な夜な徘徊することで潤っているので、街のほぼ全てがT社でなりたっているといってもよい。私の父親は若い時にこの街にやってきて、その大企業ではないが取引先として働いていた。小さいときは気にしたこともなかったが、物心がつくようになると両親はことあるごとにT社を口にするようになった。あの子はT社のなんとか部の部長の子だとか、あそこの家の子の父親はT社をやめさせられて今では……、など小さい子供にとってはどうでもいいことを吹き込まれた。ただそういう雰囲気は私の家庭だけでなく地域の家庭全てがそうであった。そのような雰囲気は当然子供社会にも侵食されていて、学校の年度が上がるごとにT社の影響力を強く感じるようになり、学校内の子供の間で親のT社に立場に基づいたヒエラルキーが形成されていくようになった。私の父はただの出入り業者なので下位グループに位置付けられ、かといってT社と関係のない仕事でもなく、卑屈に過ごさなくてはならないという立場になっていた。学校で子供の間で些細なトラブルがあって、それを親に言ったとしても、親の行動は相手の子の親によって言うことや態度を変えるのも心底嫌であった。早くこのヒエラルキーと無縁の場所に行きたかった。
高校生になって志望大学を考えるようになると、私も自分の学力と相談しながらも、大してなりたいものもあるわけではなかった。だたこの息苦しさだけからは抜けたかった。そんなある日、同級生のA君が大手T社の主業に直結する地元県立大学の学科を受けるということを友達から聞いた。自分にとっては地元の大学だけならまだしも、地元T社の本業の学科を受けるという私には全く理解できないあり得ない選択であったから、A君は何か洗脳されているのではないかと。私はA君と2人になれたときに、なんでそんな学科に行くのか理由を聞くと、それがさも常識で当たり前であるような回答をしてきた。そしてそのまま地元大企業のT社に入れたらいいなともいってきた。彼との会話中、私は特に言葉で否定してはいなかったが顔には出ていたのだろう、A君はそんな質問をする自分を変な目で見ていたように感じた。
大学に入学したら家から離れて一人暮らししたかったが、そんな一人暮らしをさせられるだけのお金が家にないのは十分知っていたので、実家から列車で2時間はかかる隣県の大都市にある大学に入った。もちろんT社の業種とは関係ない別の業界の学科。ただ物凄くやりたいことがあったわけでなくただ他の学科より少し面白そうと思っただけ。理系の学科なので授業も課題も一杯でしんどかったが、今から思えばそこそこの大学生活を送ったような気がする。そして大した意識もなく同じ大学の大学院の修士に入り、卒業後の就職のことを考える時期になった。
同じ研究室で一緒に実験をしていた仲の良かった一人暮らしのB君。今後の就職の話をしたら、B君はS社に行きたいといい始めた。S社は大学からはかなり遠いが私たちの学科と同じ業種の大手企業である。それ自体は普通の話だし、当然S社からも学科から大学推薦枠もある。それで毎年1-2名は先輩が入社していたが、私の選択肢としてなんとなく無かった会社だった。私はB君になんでS社をピンポイントで行きたいのかを問うと、実家から近い会社だからと一言。高校のときのA君が頭に浮かんだ。ただそれよりB君がX県から来て一人暮らしをしていてるのは知ってたのに、X県はS社発祥の地であり今でも主力工場がX県にあることをよくわかっておらず、それらを結び付けられていない自分が間抜けだったという思いが強かった。
B君はさらに付け加えて、自分は一人っ子なのでS社に入れば自分の両親や祖父母が安心すると。それに実家も継がなくてはいけないから地元には帰らないといけないとも。そういえば私は生まれ育った町に愛着がなくはないが、父親も外からきて今の町に住みついただけであり先祖からそこに住んでいたわけでは全然ない。小さいときに父の実家に何度かいったこともあるが、居心地の悪い印象しかない。私には一生わからない世界だ。
就職は至難だった。学校に就職氷河期が突然きてしまったからだ。それまでは推薦可能な求人は学生数の数倍はあり学科推薦を受けたら100%就職できていたし、1年上の先輩も何も困らず全員推薦で就職していった。それなのに、その年の推薦可能な求人は学生数よりすくなく、求人がきた企業に学科推薦しても学生の3割程度しか受からない酷い有様だった。私も学科推薦を受けたR社からお断りされてしまった。それまで私も含めてかなりの同級生が余裕こいていたのに。最初は業種を絞っていたが、そのうち業種もなにも関係なく手当たりしだいで応募したところ、当時、新卒求人が比較的多かった東京のIT系企業にたまたま引っかかった。別にコンピュータサイエンスを勉強したわけでもないが背に腹は代えられない。その後は何度かなんとなく転職して、一応外資系ITの会社になんとなくいる。給料は悪くないが別に巷で言われる有名外資とは程遠く、それでいていつ首切られるかわからない仕事をしつつ年齢だけ重ねて、転職エージェントからもお声もかからなくなってしまった。
数年ほど前、ある雑誌を眺めていたら故郷のT社の記事が目に留まった。なんとなく読むとそこに高校の同級生のA君の名前を見つけた。だいぶ老けたおっさんだったがT社でそれなりの地位について世界中を飛び回っているようだ。彼は高校生のときに聞いた人生計画を順調にすすめ、順調に出世しているようだ。しかし自分は地元にも残らず、大学で勉強したことも役にたたず、海外本社からはゴミみたいに罵倒され、それでいて世間の役にもたたないクソみたいなブルシットジョブをしている。どこで差がついたんだろうな。
3.11関連の報道を見て、マジで被災者に同情する気をなくしたなー
こっちは20年近く前の就職氷河期を引き摺って未だに結婚や出産はおろかまともな就職すら出来ないのに
被災して子供を失った人達は簡単に次の子を産んでスペアに出来るし
親を失った子供もどいつもこいつも当たり前のように東京の大学に行ったり、挙げ句の果てには海外留学したり。
経済的に豊かな奴等ばっかじゃねーか。正直見ててイライラしたわ。
映画『天気の子』を見てて、親のいないヒロインが普通に高校に通えているのに違和感あったけど、あれって割と現実に即した描写だったのか
未成年なら公共の福祉が助けてくれるから、進学で躓く子供なんて現実にはいないんだね
とにかく震災に関しては死んだ当事者は気の毒だが、遺族に対してはもはや何の同情心も沸かねーわ。どう考えてもこっちの方が辛い。
敢えてキツいこと書くけど、
と俺は思ってるんだけど
というか、宮崎駿氏にしても坂本龍一氏にしても安易に、原発なくせ、だの「たかが電気」だの、
人類なんか滅びちゃえばいいんです、だの、コンピュータとかゲームは頭がおかしい人が作ったもんなんです、だの、
マクロスやアクエリオンの河森正治氏も地球少女アルジュナみたいなエコでロハスでスピな新興宗教のアニメ?みたいなの作っちゃうし、
例えば、オネアミスとかロケットの話だけど、やっぱり庵野氏というかガイナックスというかアニメーターなわけで、
自分のような理系の視点から見た宇宙やロケットの壮大さに対する感動とは同じようで異なっているのではないか、
つまり、彼らは理系というより文系視点というか、センス・オブ・ワンダーなところに惹かれているのであって、
一からピラミッドのレンガを積み上げるような泥臭い本当の開発現場感が、
アニメーターはアニメ制作に関しては当然あるのだろうけど、別の世界のそういう地に足のついた視点には欠けていて、
というのも、リアルな研究や開発を脚色なく描いてもドラマがないというか物語として面白くなくなる可能性がある
つまり、天才的な科学者とか理系の女性が登場したり、こんなこともあろうかとでミラクルな超兵器がいつの間にか登場したり、
実際の研究や開発は、たしかに歴史的な天才、偉人と呼ぶべき人々も存在するのだけれど、
ほとんどは凡人、サラリーマンの集合であって、地味でつまらない日々の仕事がベースになっていると自分は思っていて、
ちょっとした思いつきや閃きで壮大な宇宙艦隊戦の形勢が逆転したりとか、そんなことはありえないと思うのです
でも、リアルすぎる研究や開発、リアルすぎる戦争を描いても面白くならない
だから、ビジュアルとして美しい部分だけを切り取るのはアニメというか映像を作る側としては当然の選択なわけです
しかし、敢えてキツい言い方をするなら、アニメ作ってる人もスタジオの中に閉じ込もって、その世界しか知らないのではないか
恐れ多いのだけど、宮崎駿氏だって朝から晩までスタジオにこもってアニメを作ってる
もちろん、通勤の途中に障害のある人に出会って云々みたいな話もあった気がするのだけど、
電気なくても構わないから原発なくせみたいな主張をされても、電気なければアニメは作れない、作曲や録音もできない、
アルジュナには水中分娩の話があるらしいけど、なんの資格もない助産師が水中分娩をさせて死亡事故が起きたりしてたと思うのだけど、
そういった左翼的というか、極端な自然回帰というか、そういったエコでロハスでスピリチュアルなのに走っていってしまうのは
そういえば最近だと膣にパワーストーンだのジェムリンガだのもあったけど、膣の声に従って、仕事辞めて、孤島に集まってしまうとか、
SFというか、どちらかというとSF寄りのファンタジーを描いてる人たちってオウムみたいなのと親和性がある気がするんだよなあ
SF寄りのファンタジーって何のことを言ってるのかというと、スターウォーズ、そしてガンダムのことだったりするのだけど、
宇宙や宇宙船が登場してるけど、一方で超能力とか、それが宇宙空間で開花するとか、
こういった話はLSDとかアイソレーションタンクとかアルタード・ステーツとか、ジョン・C・リリー、ティモシー・リアリー、
それとジョン・レノンとかヒッピー、メリー・プランクターズ、フラワー・チルドレンとかサマー・オブ・ラブとか、
LSDのような幻覚剤がなにか人類の発展に寄与するのではないか、そういう時代背景だったというのもあるけど、
結局は理系の研究者でさえ幻覚剤に溺れ、なんでか自然を超常的なものとして扱うスピリチュアルな方向へ走ってしまう
人間には何か根源的にそういうところがあるのだろうか
考えてみればユナ・ボマーことセオドア・カジンスキーも天才的な数学の能力がありながら、
世捨て人のように山奥で自給自足の生活を送るようになり、しかしながら当然その生活は長く続かず、
将来的にテクノロジーが人類を破滅的に不幸にすると思ったことから、
だったら将来性がある科学者を爆弾で○せば、悲劇的な未来は回避できるんでないの?と考えたんだかどうなんだか定かでないが、
これはターミネーター2のストーリーのベースになっているが、フィクションなら面白いが、現実なら単なる爆弾魔の犯罪である
話が大幅に脱線したが、エヴァは終わっても就職氷河期が救われない、というのは言い得て妙であって、
エヴァをリアルタイムで放映していたときが就職氷河期近辺ではなかっただろうか
その時期に庵野氏は、今は飽食の時代なので心の問題を描いた、アニメではなく現実を見ろ、みたいに語っていたわけだが、
こちとら現実の就活戦線は異常ありというか悲惨な状況だったわけで、
庵野氏はエヴァを作っているとき、ちゃんとニュースとか新聞とか世相を眺めてましたか?
なんだかんだ、バブル世代の自分の価値観でアニメを作ることしか考えてなかったんじゃないですか?
と恐れ多いながらも思ってしまうのが正直なところであって
まあ、たしかに現実を見ずにアニメだとかフィクションに没入しているだけの人というのもいるのかもしれない
というか、そういう人たちに人生で出会ったこともあるが、自分がいうのもなんだが、たしかにちょっとおかしいというか、
差別的になるけど軽度の知的障害?ケーキを切れない非行少年少女?みたいなタイプも多かったし、
そういうところで昨今のDQNやヤンキーの方がアニメと親和性がある状況というのを理解できる気もする
自分で言うのもなんだが、昔は良かった話みたいになるが、
SFとかサイエンスなフィクションなわけだけど、どちらかというと理系との親和性というか、
理系からするとそのフィクションに野暮なツッコミを入れるのがネタとして話が盛り上がるというか、
自分は大学時代にみんなで誰かの家に集まって、アニメとか映画の上映会というか、
どちらかというと映像を流しっぱなしにして、各自やりたいことを黙々とやるみたいなことをやってたわけだけど、
「このディスクには地球誕生からの全てのことが記録されてます」
とか言うと、「すっげー、どういう原理だよw」みたいにツッコミを入れる奴が現れ、
その後に真面目な記録媒体の話とかネタが続いたりするという、そんな日常だったわけだけど、
多分、大阪芸術大学とか偏差値も低いし、そういう視点では観てない気がするんだよなあ
やっぱり根底にあるのはビジュアルとしてのセンス・オブ・ワンダーであって、それはチャイナさんみたいなもんであって、
電子工学科、情報工学科、機械工学科、バイオなどのオタクが集まって話すツッコミとはちょっと異なるのだと思う
まあ、ストーリーの本質は技術ではなく、結局は人間関係なわけで、
今回のケンケンとアスカではないが、そういうところにツッコミを入れるのは理系文系偏差値関係ないのだけど、
まあ、でも、やっぱりなんか違う世界に生きてるんだなあ、
当たり前だけど、恐れ多いけど、庵野氏と自分の関心の距離感みたいなのがあるとしたら、
リアルタイムでエヴァを観ていたときは近いのかと思っていたのに、
シンエヴァは未見だけど、シンゴジラ観たときでも、意外と遠いというか、同じものを見ているようで違うものを見ていたのではないか、
つまり、庵野氏と自分が同じ赤いバラを見ているのに、互いに赤いと認識しているのに、脳内の赤はまったく異なっていた、
みたいな、まあ、勝手に自分が同じような価値観を持ってるのかな、と思って勘違いしていただけなんだろうけど
そんな感じで、最近の自分はアニメやゲームへの興味が皆無になりつつあるし、
それは東日本大震災だったり、原発事故だったり、コロナだったり、自分の個人的な人生のイベントだったり色々なわけだけど、
そう考えると、シンエヴァは未見だけど、同窓会みたいなもんなんだろうかと思ったり、
自分は死んでも大学、大学院以外の同窓会には出ないと心に決めてるので、