2021-03-17

とある企業城下町に生まれ

 私は某Y県のとある大企業(仮にT社とする)の企業城下町に生まれた。街にはT社の巨大な工場複数あり、飲食店もT社従業員が夜な夜な徘徊することで潤っているので、街のほぼ全てがT社でなりたっているといってもよい。私の父親若い時にこの街にやってきて、その大企業ではないが取引先として働いていた。小さいときは気にしたこともなかったが、物心がつくようになると両親はことあるごとにT社を口にするようになった。あの子はT社のなんとか部の部長の子だとか、あそこの家の子父親はT社をやめさせられて今では……、など小さい子供にとってはどうでもいいことを吹き込まれた。ただそういう雰囲気は私の家庭だけでなく地域の家庭全てがそうであった。そのような雰囲気は当然子供社会にも侵食されていて、学校の年度が上がるごとにT社の影響力を強く感じるようになり、学校の子供の間で親のT社に立場に基づいたヒエラルキー形成されていくようになった。私の父はただの出入り業者なので下位グループ位置付けられ、かといってT社と関係のない仕事でもなく、卑屈に過ごさなくてはならないという立場になっていた。学校子供の間で些細なトラブルがあって、それを親に言ったとしても、親の行動は相手の子の親によって言うことや態度を変えるのも心底嫌であった。早くこのヒエラルキーと無縁の場所に行きたかった。

 高校生になって志望大学を考えるようになると、私も自分学力相談しながらも、大してなりたいものもあるわけではなかった。だたこの息苦しさだけからは抜けたかった。そんなある日、同級生のA君が大手T社の主業に直結する地元県立大学学科を受けるということを友達から聞いた。自分にとっては地元大学だけならまだしも、地元T社の本業学科を受けるという私には全く理解できないあり得ない選択であったから、A君は何か洗脳されているのではないかと。私はA君と2人になれたときに、なんでそんな学科に行くのか理由を聞くと、それがさも常識で当たり前であるような回答をしてきた。そしてそのまま地元大企業のT社に入れたらいいなともいってきた。彼との会話中、私は特に言葉否定してはいなかったが顔には出ていたのだろう、A君はそんな質問をする自分を変な目で見ていたように感じた。

 大学入学したら家から離れて一人暮らしたかったが、そんな一人暮らしをさせられるだけのお金が家にないのは十分知っていたので、実家から列車で2時間はかかる隣県の大都市にある大学に入った。もちろんT社の業種とは関係ない別の業界学科。ただ物凄くやりたいことがあったわけでなくただ他の学科より少し面白そうと思っただけ。理系学科なので授業も課題も一杯でしんどかったが、今から思えばそこそこの大学生活を送ったような気がする。そして大した意識もなく同じ大学大学院の修士に入り、卒業後の就職のことを考える時期になった。

 同じ研究室で一緒に実験をしていた仲の良かった一人暮らしのB君。今後の就職の話をしたら、B君はS社に行きたいといい始めた。S社は大学からはかなり遠いが私たち学科と同じ業種の大手企業である。それ自体普通の話だし、当然S社から学科から大学推薦枠もある。それで毎年1-2名は先輩が入社していたが、私の選択肢としてなんとなく無かった会社だった。私はB君になんでS社をピンポイントで行きたいのかを問うと、実家から近い会社から一言高校ときのA君が頭に浮かんだ。ただそれよりB君がX県から来て一人暮らしをしていてるのは知ってたのに、X県はS社発祥の地であり今でも主力工場がX県にあることをよくわかっておらず、それらを結び付けられていない自分間抜けだったという思いが強かった。

B君はさらに付け加えて、自分一人っ子なのでS社に入れば自分の両親や祖父母安心すると。それに実家も継がなくてはいけないか地元には帰らないといけないとも。そういえば私は生まれ育った町に愛着がなくはないが、父親も外からきて今の町に住みついただけであり先祖からそこに住んでいたわけでは全然ない。小さいときに父の実家に何度かいたこともあるが、居心地の悪い印象しかない。私には一生わからない世界だ。

 就職は至難だった。学校就職氷河期が突然きてしまたからだ。それまでは推薦可能求人学生数の数倍はあり学科推薦を受けたら100%就職できていたし、1年上の先輩も何も困らず全員推薦で就職していった。それなのに、その年の推薦可能求人学生数よりすくなく、求人がきた企業学科推薦しても学生の3割程度しかからない酷い有様だった。私も学科推薦を受けたR社からお断りされてしまった。それまで私も含めてかなりの同級生が余裕こいていたのに。最初は業種を絞っていたが、そのうち業種もなにも関係なく手当たりしだいで応募したところ、当時、新卒求人比較的多かった東京IT系企業たまたま引っかかった。別にコンピュータサイエンス勉強したわけでもないが背に腹は代えられない。その後は何度かなんとなく転職して、一応外資系IT会社になんとなくいる。給料は悪くないが別に巷で言われる有名外資とは程遠く、それでいていつ首切られるかわからない仕事をしつつ年齢だけ重ねて、転職エージェントからもお声もかからなくなってしまった。

 

 数年ほど前、ある雑誌を眺めていたら故郷のT社の記事が目に留まった。なんとなく読むとそこに高校同級生のA君の名前を見つけた。だいぶ老けたおっさんだったがT社でそれなりの地位について世界中を飛び回っているようだ。彼は高校生ときに聞いた人生計画を順調にすすめ、順調に出世しているようだ。しか自分地元にも残らず、大学勉強したことも役にたたず、海外本社からゴミみたいに罵倒され、それでいて世間の役にもたたないクソみたいなブルシットジョブをしている。どこで差がついたんだろうな。

 そんなことを先週見た宇部興産映画で思いだしたので増田に書いてみた。

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