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2013-12-04

産後

anond:20131202121619

出産の話を書いたところその後の話を…というトラックバックをもらったので、その後のことをおおざっぱに書いた。

シモの話も多いので、お食事中の方や苦手な方は注意してください。

初日母子は別室で過ごした。私の両親や兄弟、遠方にいて立ち会えなかった夫が訪ねて来た。出産という大きな出来事を終えて、神経が興奮したのかあまり休めなかった。

二日目から私の眠るベッドの隣に、赤ちゃん眠るケースが置かれた。母子同室だ。赤ちゃん眠るケースというのは、ミルトンCMなんかで見る透明のキャスターがついた箱のようなものだ。私も赤ちゃんも疲れきっていたのか、二日目の昼過ぎまでグースカ寝ていた。出産の疲れと当日の来客ラッシュで、ベッドの近くに助産師さんが来ていても気づかずに爆睡していた。助産師さんは私の様子を見て、夜からお世話のしかたを教えてくれた。

まずオムツの替え方。

昔むかしは布オムツこそ正義、紙オムツは発育を妨げる!という論調があったらしいが、病院では普通にオムツが使用されていた。紙オムツにはテープタイプパンツタイプがある。病院で使ったのはテープタイプだった。余談だがオムツは市販されていない新生児用のメリーズメリーズは通気性がグンバツで人気も高い。近所のドラッグストアでは常に品薄。中国人がまとめ買いをするらしい。

オムツは新しいものを開き、お尻の下に敷く。赤ちゃんの履いているオムツテープを剥がし、おしり拭きでお尻を拭く。おしり拭きを古いオムツの中に入れて、くるくる丸めて捨てる。下に敷いておいた新しいオムツを履かせる。おわり。

助産師さんには赤ちゃんのおしりをごしごし拭き過ぎないようにと言われた。赤ちゃんは肌が薄いので強く肌をこすられるとすぐ荒れてしまう。もし赤ちゃんのおしりがかぶれてしまったら、温かいお湯でおしりを流してあげ、よく乾かしてからオムツをはかせるといい。ペットの糞尿を始末する時に使う吸水性のシート(水色っぽいやつ)を赤ちゃんの下に敷いて乾かすと、おしっこをされても床やベッドが汚れるリスクが減る。部屋の室温は赤ちゃん風邪を引かない温度に。

市販の紙オムツには大体どのタイプでも「おしっこお知らせライン」みたいなものがついている。仕組みはよくわからないが、赤ちゃんおしっこをするとオムツの一部にあるラインの色が変わる。リトマス試験紙オムツの中に入っているようなものかと思う。赤ちゃんオムツはこまめに買えてあげた方がいい。ラインの変色はその目安になるので便利だ。赤ちゃんの体調は排泄物の量や色でチェックする。オムツ替えの際は助産師さんが健康赤ちゃんのうんちはどんなものか、危ないうんちはどんなものか教えてくれる。これは母子手帳にも書いてある。

次に授乳

助産師さんに授乳する時の赤ちゃんの抱き方や、乳首のくわえさせ方、離し方を教わる。これが一番きつかった。

私が出産したのは総合病院だった。出産中何かトラブルに見舞われた場合、すぐに対応できる大きな病院がいいなと思ったので。その総合病院母乳育児に力を入れている病院だった。母乳外来という母乳トラブル対応した外来もあった。母乳で育てようと考えている人は、出産する病院産後のことをどこまで相談できるか調べておくといいかもしれない。身近に赤ちゃんがいない人でも、赤ちゃんが飲むものといえば母乳粉ミルクというイメージが湧くと思う。たぶん離乳食がはじまる生後半年くらいまでは、ほとんどの赤ちゃん母乳粉ミルク以外のものは飲まないと思う(例外があるとするなら、赤ちゃん用のイオン飲料か、赤ちゃん用の麦茶くらいかと)。母乳粉ミルク以外のもの(果汁やはちみつを溶いたお湯など)は体によくないらしい。

病院では母乳だけで育てることを「母乳栄養」、粉ミルクのみで育てることを「人工栄養」、母乳粉ミルク両方を使って育てることを「混合栄養」と呼んでいた。それぞれにはメリットデメリットがある。

母乳栄養」のメリットは、赤ちゃんがぐずったり泣きだしてから授乳するまでにあまり時間がかからないこと、生後半年まで母乳を経由して赤ちゃん免疫をつけられることかと思う。デメリット乳房トラブルが起こりやすいこと、いい母乳を出すために食生活に気をつけなければならないこと…など。

「人工栄養」のメリットは、母が薬を服用していたり出先でも授乳ができることだろうか。それから母乳では不足しがちなビタミンKも、ミルクでは補うことができるらしいと聞いた。デメリットミルクを作るのに時間がかかること、出先で荷物が多くなることかな。

私は母乳9割の「混合栄養」で育てている。体調が悪い時や夫に面倒を見てもらう時はミルク、それ以外はほとんど母乳だ。

母乳出産したら出るというものではない。赤ちゃん乳首を吸うと母親の脳が刺激され、母乳が分泌されるらしい。母乳は「練習」をしないと出ない。赤ちゃんはうまく乳首をくわえて吸う「練習」、お母さんは赤ちゃんを抱っこして乳首をくわえさせて、母乳を吸わせる「練習」。こう書くとごく簡単なようだが、実際は大変だった。

育児書には赤ちゃんは3時間おきに栄養必要します的なことが書かれている。助産師さんに赤ちゃんの抱き方から乳首のくわえさせ方などを指導してもらい、3時間置きに授乳する。とはいえ大人が思うように赤ちゃん母乳を飲んでくれるわけではない。赤ちゃんにも都合がある。乳首をくわえずに泣いたり、くわえながら眠ったりしてしまう。しかもベッドに置くと泣く。私ははじめの一日から五日目までは、赤ちゃん泣く→授乳→置く→泣く→授乳→置く→授乳…のエンドレスパターンで、ほとんど眠れなかった(あとから調べてわかったことだけども、赤ちゃんお腹の中にいる時、昼間眠って夜は起きているらしい)。

入院中、乳首が擦りきれて出血した。痛かった。大きなかさぶたが出来た。血は毒にはならないから痛みが我慢できないようでなければそのまま授乳してと助産師さんに言われた。私はできれば母乳栄養で育てたかったので、そのまま授乳を続けた。乳首の傷には母乳を塗ったり、馬油を塗って、ラップでパックをすると治りが早いと教えられた。

余談だが赤ちゃんの吸う力というのは意外に強力だ。ある時赤ちゃんの顎を肩にのせるような形で縦抱きしていたら、いつの間にか肩に吸いつかれていた。あとで見てみると、肩に大きな赤あざができていた。あざはしばらく消えなかった。どうせなら星型に切り抜いたマスキングテープでも肩に貼っておけばよかった。うっかり指を吸われた夫が「ギャーッ!痛い!持ってかれる!」と叫ぶことも時々あった。

産まれた直後から何のトラブルもなく母乳を吸う赤ちゃんも、吸わせることができるお母さんも、そう多くは無いと思う。だから母乳で育てようとしているお母さんのまわりの人々は、くれぐれも「おっぱい出てないんじゃない?」「赤ちゃんお腹空いてるんじゃない?かわいそう」とか言ってはいけない。母乳ストレスで止まってしまったりする。どんなゲームだってはじめはレベル1の初心者からはじまる。プレイヤー以外がやいのやいの言ったところで、上達するわけではない。栄養が足りているかどうかは赤ちゃん体重おしっこの量で見ればいい。心配ならお母さんを質問責めにするのではなく、その道のプロである助産師医師相談したらいいと思う。

また赤ちゃんは産まれた時におおよそ3~4キロくらいあるので、授乳する時に結構腕が痛くなる。育児書には授乳は15分程度とか書いてあるけども、ベストポジションを探す、乳首をくわえさせる、吸わせる、ゲップさせるの流れを2回分(両乳分)やるので、私は毎回30分くらいかかっていた。赤ちゃんによってはちょこっとずつ飲んだりするので、さら時間がかかったりすると思う。こんな時は授乳クッションが便利だ。授乳指導をする病院や産院にはきっと置いてあると思う。もし家になかったら、あらかじめ買っておくといいと思う。

それから何度か乳腺炎になりかけたこともあった。乳房にしこりができ、触れるとひどい筋肉痛のような痛みがある。夫がふざけてしこりをつついた時、強い殺意を感じた。それくらい痛かった。乳汁が乳腺で詰まってしまうとできるらしい。熱が出ることもある。悪化すると乳腺をとる手術を受けなければならない。私は生クリームを口にした直後、よくしこりができていた。

母乳には和食のようなあっさりした食事がよいらしく、高脂肪のものはよくないそうだ。たまには甘いものが欲しいとうっかり食べてしまって、後々とても後悔した。それから洋菓子は避けておやつわらび餅煎餅を食べ、豆乳やにぼしを意識的に食べるようにした。とはいえ、生クリームを食べても全然大丈夫な人もいる。乳腺炎スイッチになる食べ物は人によって違うらしい。

私自身が母乳で育てているので母乳寄りの話になってしまったけど、母乳ミルクに優劣はないと思う。どちらにもそれぞれの大変さ、メリットがある。

沐浴は産前に母親教室でも勉強したけども、病院でも教えてもらった。手順は大体同じだった。

赤ちゃんのお世話を教えてくれる母親教室には、なるべく夫婦家族で参加した方がいいと思う。赤ちゃんは重い。沐浴はなるべくなら2人以上でやった方がいい。水場では足元が濡れていて転倒する可能性もある。大変だけど1ヶ月の辛抱だ。助産師さんには生後1ヶ月たつと親と一緒の湯船に入れるようになると言われた。

赤ちゃんは大人より新陳代謝がいいので、毎日風呂に入れなければならない。夏は一日二回、午前と午後に入れる(この場合、午前はシャワーで汗を流すだけでもいいと言われた)。どうしてもいれてあげられない時は、シャワーで汗を流してあげたり、お湯で濡らしたガーゼで全身を優しく拭いてあげる。

私は生後1ヶ月後、赤ちゃんと2人でお風呂に入るのが怖かったし、季節は真夏だったので、赤ちゃん用のバスチェアを買ってシャワーで済ませていた。生後1ヶ月たったら大人用の石鹸を使ってもいいと言われたけども、肌荒れが怖かったのでしばらくは赤ちゃん用の石鹸ボトルに入っている、ポンプを押すと泡状のやつが出て来るタイプビオレのやつがいい感じだった)を使っていた。しばらくは赤ちゃんの頭から男性加齢臭のような匂いがしていた。ちゃんと洗っているのに何でだろう?と不思議だったが、思いきって石鹸を大人用の牛乳石鹸に変えたらすぐに加齢臭が消えた。やっぱり大人用の石鹸の方が洗浄力が強いんだな、赤ちゃんって思っているより汗をかいてるんだなと思った。

まとまりなく書いてしまったけど、産後は3ヶ月くらいまでストレスマッハだった。こんなことを書くと「赤ちゃんが可愛くないのか!」「母親失格だ!自覚が足りない!」「産む前にもっと勉強して覚悟しろ!」と言われそうだけど、聞くとやるのとは大違い、百聞は一見に如かず、とにかく毎日初見殺しだった。

お父さんになる人や同居の家族は、できれば家事を手伝って欲しい。洗いものとか料理とか、1人暮らし男性ならできそうなことをやってくれるだけで、とてもとてもとて~も有りがたい。夫はもともと料理が好きだったので、時々土日にご飯を作ってくれた。私にとってそれは天恵だった。嬉しかった。今でもすごく感謝している(欲を言えば料理した後の食器も洗って欲しかった…)。反対に「夕飯は作るの大変だろうから、外で食べて来るよ~」という気の遣い方はノーセンキューだった。ご飯炊いちゃったよ…、私ひとりでゆっくりご飯食べられないよ…、一緒に食べられないのは寂しいよ…ボスケテ…という心情だった。

4ヶ月を過ぎて首が座り、赤ちゃんの表情が豊かになってくると、少しずつ精神にゆとりが出てきた。赤ちゃんは生後3ヶ月くらいまでイロモネアの観客も引くくらい無表情だ。頬笑みかけても変顔を見せても、ほとんど笑わない。相手の気持ちがわらからないのは辛い。言葉も話せない赤ちゃんのことを、わかってあげたくてもわかってあげられないのはすごく辛い。たまにニコッとするけれど、それはいわゆる生理的微笑で、「あっ、ここ笑うところだな」と判断して笑っているわけではない(それだってとても可愛いのだが)。けれどめげてはいけない。赤ちゃんは大人の笑顔を見て、笑うことを学習していく。

赤ちゃんが笑うと、心の底から幸せを感じる。私は産前あまり子どもと接することが得意ではなかったので、ちゃんと赤ちゃんを可愛がれるのか心配しかたなかった。けれど今は何でこんなに可愛いのかよくわからないと思うくらい可愛い

夜のお世話で寝不足が辛い。朝起きられない。夫のお弁当が作れない。泣く子の相手をしていると、洗濯掃除がなかなかできない。買いものにいけば暑さや寒さで赤ちゃんが苦しくないか、車や自転車死角から向かってこないか、急に泣き出したらどうしよと気が気でない。料理中に泣くといちいち火をとめないといけないので、料理時間がかかる(こんな時、シリコンチーマーが私をよく助けてくれた)。お風呂に入れる頃にはへろへろ…。私はもともと家事が上手ではなかったので、夫には色々と迷惑をかけてしまった。家事赤ちゃんのお世話もうまくやりたいと思えば思うほどうまくいかないことが辛くて、時々授乳しながら泣いていた。

時々、夫が「毎日ありがとう」「今日赤ちゃん可愛いね」と言ってくれることが、とても嬉しかった。ある時「家に帰って赤ちゃんの顔を見ると、とても癒される」と言ってくれた。そういう気持ちを口にすることは気恥かしくてためらわれるかもしれないけど、ほんの少しでいいので勇気を出して伝えてみて欲しい。きっと心を支えてくれる大切なお守りになると思う。

思うまま書いてしまったけど、私の失敗や経験が役に立てば嬉しい。

これから赤ちゃんが産まれるご家族の方、おめでとうございます赤ちゃんのいる毎日を楽しんでください。携帯カメラコンデジ毎日写真を撮ると、後から成長がわかって楽しいですよ。赤ちゃん写真を残しておこうとすると必然的に一緒に時間を過ごすことの多いお母さんが撮ることになるけど、そうするとお母さんと赤ちゃんが一緒の写真がなかなか残せないので、ご家族の方は意識的赤ちゃんとお母さん、赤ちゃんとお父さんのツーショットを撮ってあげてください。

2013-12-02

出産

今年はじめて出産した。

出産の痛みとはどんなものなのか、臨月の頃に色々調べた。

男性経験したら死んでしまうような痛さ、鼻からスイカをひねり出すような痛さ、ひどい便秘のような痛さ…などなど、人によってその痛みの表現はまちまちだった。

おおよそ陣痛から出産まで16時間ほどかかると聞いていた。痛みがひどくなるのは後半で、はじめの頃は談笑もできるらしいとも聞いた。

いよいよ予定日になったが、陣痛のようなものは来なかった。その日の午前2時半頃、寝ていると突然お腹が痛み出した。腹を下した。トイレから出たあともお腹が痛い。何か変なもの食べたかなあと思った。少し寝ぼけていた。

もしやと思って病院に行くと、子宮口が開いていた。おどろいた。お腹はどんどん痛くなる。生理痛に似ていた。私は生理が重い時はお腹の内側から錐でメッタ刺しにされるような痛みを感じる。陣痛はその痛みに波があり、次第に強くなっていく感じだった。

分娩台にかじりついてヒーフー息をしながら、次は絶対無痛分娩にしようと思った。真剣に無痛分娩について考えていたわけではない。とにかく痛かったのだ。陣痛の痛みを舐めていた。こんなにハードだとは思わなかった。世の中のお母さん方はすごいと思った。涙目になっていた。

痛くて仰向けになれなかったので、体を横向きにしていたが、いよいよいきんでもよいということになったので、仰向けになった。助産師さんが足を持って分娩台の足置きにおいてくれた。その時、私の太ももに謎の青あざが四角の形でできていたことに気づき、みんな口々にどうしてこんな形のアザができたのかしらと話していた。私はそれはいきむ前、体を横向きにしてヒーフー言っていた時にできたアザかと思いますと言いたかったが、とても話せる状態ではなかった。岸辺打ち上げられた魚のような私と、冷静な助産師さんたちのギャップおかしかった。

いよいよ最後のいきみがはじまった。分娩室の窓の外が明るかった。助産師さんは自分のおへそを見る感じでがんばって!と励ましてくれた。私はふくらんだお腹のへそを見て、思いっきり下腹に力を入れた。顔の中央に目鼻が集まる感じがした。いきみながら、なぜか私の脳裡に青森ねぶた山車灯籠が浮かんだ。険しい顔の武者の灯篭が、どんどん迫ってくる。もう一回いきんで!と助産師さんの声が聞こえた。私は思いきりいきんだ。ねぶただ!ねぶただ!と何故か自分に言い聞かせていた。意味がわからない。私は青森出身ではない。しかしおそらくねぶた山車灯籠の武者のような顔をしていたと思う。

「お母さん、見て!」と助産師さんが武者を呼んだ。股の間にお医者さんに抱き上げられた真っ赤な赤ちゃんが見えた。いつの間にか産まれていた。頭が瓜のように縦長になっていた。鳥山明の描いた何かに似てると思った。

赤ちゃんは元気に泣いていた。私は助産師さんが枕元に運んでくれた赤ちゃんに「おはよう」と言った。赤ちゃんは本当に真っ赤で、とてもとても小さい人間だった。

時計を見ると7時前だった。

それから切れた局部を塗ってもらった。陣痛も痛かったけど、その縫合も痛かった。一針一針、注射器で刺されるようだった。

ともかく無事に産まれてよかった。私にとって出産の痛みはねぶたを思わせるものとなった。

まわりの人には安産だと言われた。たしか時間的には短かった。トラブルもなかった。陣痛24時間以上続く人もいる。帝王切開の人も大変だと思う。本当に世の中のお母さん方はすごいなあと、病室で横になりながらしみじみ思った。

その時はまだ、翌日からはじまる母子同室のハードさなど、微塵も想像していなかった。

2013-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20131111183828

じゃあ仕事は全部男だけがすればいいんじゃね。

専業主婦は楽してるとかなんとか言うなよ、お前が言い出したことだ。

保育士とか助産師とか、ネイルケアとかエステとか一般的女性が多い仕事も全部男がやるってことでw

2013-10-16

出産後の育児スタートのあまり過酷さに鬱になった話


 結婚して1年、29歳で初めて妊娠出産をした。

妊娠前は深夜帰宅のそこそこ激務なIT系ブラック企業に務めていて

学生時代にはスポーツをしていたから、心身の健康にはまあまあ自信があった。

同じ年の夫と結婚して1年、妊娠が発覚した。



 産むまでの妊娠経過。

私は健康優良妊婦だった。つわりは人並みにあったものの、血液検査の結果も尿検査の結果も毎回良好、血圧も正常。

不正出血もなく、順調そのもの妊娠生活だった。

陣痛は、予定日を3日過ぎた日の夜中にはじまった。



 陣痛出産

陣痛は、私のちんけな想像はるかに凌ぐ、ものすごい激痛だった。

痛みの感じ方には個人差があるというが、私にとっては鋭いナイフ下腹部をえぐられているかのような痛みだった。


はじめは軽い腹痛みないなものなのだが、時間経過とともにどんどん痛みが増してくる。

脂汗が全身から吹き出し、痛さからなんとか逃れようと、体が勝手にのたうちまわる。

陣痛のピーク時には、あまりの痛みに気絶し、また痛みで覚醒する、というのが数十秒〜数分ごとに数時間続く。

本当に地獄だった。

見ていた実母が言うには、私は白目をむいていたらしい。

あとから見たら自分の腕が傷だらけだった。こぶしを握っていた手のひらからは、血が滲んでいた。

永遠に続くかと思われた陣痛を超えて、分娩台に移動し、死ぬ思いで我が子を産み落とした。


それでも出産までは8時間と、初産にしては安産だと言われた。

でも想像してほしい。8時間もの間、一昼夜を越して不眠不休だ。

食べ物は一切口にせず、激痛に体をこわばらせ、死に物狂いでお腹から3キロの塊を出すのだ。


産んだあとは骨という骨がきしみ、体中が鉛のように重く、分娩台から上半身を起こすことさえできなかった。

どこにも力が入らないのだ。

助産師の手を借りて体を起こすと、頭がふらふらとする。

自力ではとても歩けなかったので、分娩台から長い時間をかけて車椅子に乗せてもらった。

その後、入院する部屋のベッドに寝るまでの間、トイレで二度倒れた。


猛烈に体が疲れていた。こんなに疲れたのは生まれて初めてだと思う。指一本だって動かすのがおっくうだ。

体中が汗と血でベトベト、身をよじりまくっていたおかげで、髪の毛は鳥の巣のようだった。

股間は麻酔が効いていたが、鈍い痛みが続いていて、姿勢かえることすら一苦労だった。

前日から何も食べてないし一睡もしてないし、とにかく疲れきっていて、ゆっくりたかった。



 過酷育児のはじまり

だけど、産んだ直後から母子同室で3時間おきの授乳が始まった。

分娩台で1時間休んだあとは、すぐ個室で赤ちゃんと二人きりにされた。

ゆっくり寝ることも体を休めることもできないまま、ハード育児の始まりだ。

こんなにボロボロに疲れているのに、すぐとなりに、かよわく、自分で首一つ動かせることもできない赤ちゃんがいる。

「私はゆっくり休んではいけないんだ」という暗い事実は、くたくたの私にとって絶望だった。

この体中の疲労に身を任せた瞬間、赤ちゃんに何かがあったら。この子の命は、この精魂尽き果てた自分次第なんだ。

体中の疲労とともに、ヒリヒリするような緊張感と責任感が重くのしかかった。



 母乳過酷

産んですぐに母乳がでるお母さんは、実は少ない。

赤ちゃんに吸われることで、それが刺激となって脳内ホルモン乳房に働きかけ、母乳が出るようになるという。

から、でなくてもとにかく3時間おきに赤ちゃん乳首をくわえさせなくてはいけない。

でも、産まれてすぐの赤ちゃんは吸いつく力も弱く、「吸う」こと自体がとても下手くそだ。

そして母親にとっても授乳はとてもむずかしい。

赤ちゃんの位置、乳首との高さの調整、手の置所、クッションや座布団をいくつも使って、位置を調整しながら、汗だくで吸わせる。

赤ちゃんは体力がなくて少し吸い付くと力尽きてしまう。

まごまごしながら右の乳首をどうにかくわえさせる。吸い付いたと思うとすぐに口から外れてしまう。またくわえさせる。また外れる。

そのうち疲れて赤ちゃんが寝るので、起こす。

今度は左右逆のおっぱいだ。

左を吸わせて、おしめを替えて…これでもう一時間だ。

体中が悲鳴をあげていて、眠たくて眠たくて頭が割れそうに痛くて、貧血でふらふらするのに、寝る時間は二時間しかない。

横になる。

すぐには寝付けない。

三十分ほどでようやく眠りにおちる。これで一時間半。

さあ、もう一時間半たった。睡眠時間時間半で、赤ちゃんが泣く時間だ。

これが朝まで繰り返された。



 入院2日目ー死ぬほどねむい

初日の夜を超えた時点で私の疲労はマックスをとっくに超えてた。

授乳の合間の2時間以下の細切れ睡眠しかとっていないまま、迎えた朝。


翌朝は6時に検温があり、9時に朝食があり、合間に授乳をする。

何をするにも体中が痛くて、だるくて、眠くてたまらず、すごく時間がかかる。

出血も続いているので、トイレにも度々行かなくちゃいけない。

12時にお昼があり、見舞いにきた実母に子を見てもらってる間に急いでシャワーを浴びて歯を磨く。また授乳

たまった洗濯物をランドリーで洗う。戻ると検診がある。担当看護師が交代したとかで挨拶がある。また授乳

赤ちゃんの顔を見に見舞い客がある。相手をする。帰る。洗濯物をとりに行く。

また授乳

昼はまとめて寝るどころか、横になる時間もろくにとれない。


ねむい、ねむい、ねむい、ねむい…

横になりたい。ゆっくり、ぐっすり寝たい。お願いだから起こさないで。辛い。辛い。辛い。

横になれない。眠れないし休めない。


昼間はろくに眠れない。寝れなかったことに猛烈に焦る。そしてまた夜が来る。


深夜の授乳は鉛のように体が重い。

赤ちゃんは相変わらず上手に吸えないのに、乳首がめちゃめちゃ痛くなってくる。

例えるなら、尖った爪で皮膚をおもいっきりつねられているような痛み。

乳首が切れて血が出てくる。

それなのにそこを吸わせなくちゃいけない。

傷口に鋭い爪がたてられるよう。

授乳のたびに歯を食いしばって、息をのむ。叫びだしそうな痛さに耐える。

出がよくないかマッサージもされる。これがまたすごくすごく痛い。


授乳室の隣の人は、おっぱいの出がいいみたいだ。

赤ちゃんがゴクゴク、と美味しそうにおっぱいを飲んでるのが見える。

幸せそうに微笑んでそれを眺めているお母さん。

我が子はおっぱいを一滴も飲めず2日目。産まれてからまだ何一つ口にしていない。

何も飲まなくても3日は胎内にいたとき栄養が残っているか大丈夫だという。


でも、赤ちゃんは日々痩せてる。お腹がすいて泣いてる。まだ産まれてたった2日しかたってないのに、飢えて泣いてる。

大人だって2日くらい食べなくたって死なないけど、すごく辛いよね。

こんな小さな我が子が空腹に耐えてると思うと、切なくて切なくてたまらない。

しかも飢えさせてるのは私。おっぱいが出ない私のせい。

の子お腹いっぱいで満足して寝てるのに、私の子は空腹に泣き疲れて眠ってる。辛い。眠い



 入院3日目

体中がふらふらして頭がぼーっとする。見舞いに来た夫や実母にひどい態度をとって、ケンカをしてしまった。

看護師心配して「何か悩み事があったら相談してくださいね」と言う。


「ただ寝たいんです。」


と言いたかった。でも他にもたくさんのお母さんが寝ずに赤ちゃんを見ていて、そんな情けないことどうして言えるだろう。

睡眠欲に母性が負けるなんて。そんなこと言えない。


3日めからミルク10ml与えていいことになった。

哺乳瓶でおそるおそるあげると、手をグーにして、目を大きく見開いて、必死に飲んでる。

飲んでる姿を見て涙がとまらない。

飢えさせてごめんねという気持ち。やっとお腹を満たしてあげられるという満足感。

おっぱいが出ない敗北感と屈辱と疲労と、いろんな気持ちがないまぜになる。



 入院4日目

4日め、私はもうボロボロだった。見舞いにきた妹に顔を見て絶句された。


赤ちゃんにはミルクを与えることになったものの、母乳への刺激をなくしてはおっぱいが出なくなってしまうため、

赤ちゃんには相変わらず乳首を吸わせなくてはいけない。

まりは今までのおっぱいとの格闘に、ミルク作りがプラスされて、授乳もっと時間がかかるようになったのだ。

その分削られるのは眠る時間。ただでさえ1時間しか眠れないのに、もっともっと眠れなくなる。

一睡もしないまま次の授乳時間、ということが出てきた。


体中の痛みと貧血が収まらず、鉄剤と鎮痛剤が処方された。

でもふらふらで、眠さとだるさは蓄積されて楽になるどころか、いっそう辛くなる一方だった。

とにかく体がしんどくて、ほとんど何も考えられなくなっていた。拷問みたい。


ただひとつ、「ねむい」という欲求だけが、こびりついて離れない。


鏡の中の自分は、真っ青で目の下にくっきりクマができて、10は老けたように見えた。

何もしてないのに、涙が出てとまらない。赤ちゃんがなんだか恐ろしい。かわいいのに、愛しいのに、何より恐ろしくてたまらない。

だって、まだたったの4日め。長く長くいつ続くともしれない育児の、たった4日めなのだ

のしんどい日々が延々とこれから続く。こんなに疲れてるのに、ぐっすり眠ることの許されない日々が待ってる。



 退院

5日め。私は退院を迎え、自宅に戻った。

産後実家で1ヶ月お世話になったが、こんな調子が2週間続いた。

しろ病院では哺乳瓶を洗ったり消毒したりするのは病院がやってくれたから、その分の仕事が増えてますます眠れなくなった。


里帰り後の1回の授乳で費やす工程は以下のとおり。


赤ちゃんが泣く→起きてミルクの支度をする→ミルクを人肌に冷ます間におっぱいを吸わせる→

搾乳した母乳を与える→ミルクを与える→げっぷをさせる→寝かしつける→

母乳量をふやすために搾乳をする→哺乳瓶を洗って消毒する


眠れる時間は1時間あるかないか

たとえば寝かしつけに手こずったり、オムツからウンチ漏れて着替えさせたりなど

何かアクシデントが発生すれば、眠れずに次の授乳時間になることも珍しくなかった。

日に日に、赤ちゃんを見ても可愛いより何より、ただただ、怖い気持ちが蓄積されていく。

赤ちゃんが怖いのに、離れるのはもっと怖い。何かあったらどうしよう。

30分の睡眠は、いつも悪夢を見た。赤ちゃんを落とす夢、踏んでしまう夢、誰かに連れて行かれる夢。


今思うと完全な鬱状態だった。



 SOS

生まれてから14日めの夕方。

赤ちゃんと二人きりになるのが恐ろしいと、実母の前で号泣した。


陣痛のあの夜から2時間以上眠っていないこと、眠くて眠くてたまらないこと、

夜になるとまた今晩も眠れないと思って焦りと不安で動悸がしてくること、

こんなに体中がふらふらなのに赤ちゃんに何かあったらどうしようかと想像すると恐ろしいこと、

かわいいよ赤ちゃんがとてもとても怖い存在に思えること・・・


泣いて訴えながら、睡眠不足がつらくて赤ちゃんが怖いなんて、自分母親失格だと思った。

世間のお母さんがみんなできていることができないなんて。

母親なのに、情けなくて仕方がなかった。

その夜は両親が赤ちゃんを一晩みてくれ、私にゆっくり休むよう言ってくれた。

出産後はじめて赤ちゃんと別室で5時間寝た。

15日目の朝は、驚くほど気持ちが落ち着いていた。


その後の日々は、私の両親はもちろん、夫も毎晩仕事帰りに車を飛ばして会いにきてくれ、手伝ってくれた。

それから母乳マッサージに通った結果、母乳が十分量出るようになって、

ミルクをあげなくてよくなったため、深夜に哺乳瓶を洗ったり、消毒したりということから開放された。

夜間授乳は、細切れでも3時間は寝られるようになった。



 三ヶ月後、現在。振り返って思うこと。

三ヶ月たった今でも、産後からの2週間のことを思い出すと、絶望感でいっぱいになる。

あのころ本当にただただ寝たくて、寝たくて、

それなのに「もしこの子に何かあったら」ときう緊張感で常に気が張っていて、目を離すのが恐ろしくてたまらなかった。


そのうち、「もしこの子に何かあったら」「病院入院することになれば」


「そしたら眠れるな…」と考えたことがあって、ゾッとした。



もちろん、あくまでこれは個人的な体験だ。

でも、多かれ少なかれ多くのお母さんに共感できる部分も多いはずだと思う。

もし里帰りしなかったらどうなっていたことか。



 どうしたらよかったんだろう

私の出産は初産の平均時間12時間より短かったけれど、精も根も尽き果てた状態で育児スタートしたのがよくなかったと思う。

病院によっては、出産したその日はナースステーション赤ちゃんを預かってくれるそうだ。

私も、出産後1日でいいかゆっくり眠れていたら、その後に2週間は違ったものになっていただろう。

今は、子はあやすニコニコ笑って、母乳も順調だ。夜は相変わらず3時間で起きるけど、体が慣れた。

やっと我が子がかわいく、愛おしく見える。

でも、我が子がとても恐ろしく見えた産後2週間のことが忘れられない。

2013-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20130919222100

とにかく、満月になると出産率が上がるというのが有名。

ここでクソどうでもいいツッコミひとつ

その俗説は婦人科医や助産師にも信じられているほどだけど、

実際に統計を取ってみると関連性はなかったようだ。

2013-06-17

男性保育士いらん

男性助産師男性看護師男性介護士もいらん

年取って呆けて若い兄ちゃんにオムツかえてもらうくらいならしんでやる

病気で弱っている時に若い兄ちゃんに気を使うなんてまっぴら

助産師出産で男に何ができるのさ

赤ちゃんに男は近づくな

男は自分の子ども同伴じゃないと日中公園では犯罪者予備軍だが

はあオムツ替え?女の子の?バカじゃないの?

お父さんといくつまでお風呂入ってた?って質問が出る国だここは

働く母は保育士さんに自分が与えられない母性を期待しているんだ

パパの子守ですら不安なのに

群れ以外のしかもオスに赤ちゃん預けられるか?

遠慮しろよ変質者

この分野、サービス提供者が男性であるだけでマイナス一万点なんだよ

2013-03-29

精神世界疑似科学ビジネスホメオパシーなど)

この前知り合いと飲み屋で、その知り合いの女性が4万もする個人セラピーをやってるのは如何なものかというお話になった。私もホメオパシーなど半信半疑に思っている。歌手UAホメオパシーを好きだがUA音楽は大好きだがそういう部分に関しては疑問がある、例えばこういう事件もあった。

2009年8月山口市在住の女性助産師指導のもと長女を自宅出産した。同年10月、長女は生後2ヶ月でビタミンK欠乏性出血症による硬膜下血腫が原因で死亡した。

死亡した新生児は、ビタミンK欠乏症によって出血死(新生児メレナ)したと考えられる。母子担当した助産師は、ビタミンKの「記憶」や「波動」、「オーラ」を持ち「ビタミンK」と同程度の効果を持つと彼女彼女所属していた団体が主張している砂糖(いわゆる「レメディー」)をビタミンKの代わりに新生児に舐めさせた。担当医師に気づかれないよう母子手帳には「ビタミンK投与」と偽って記載されていたことがわかっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%96%B0%E7%94%9F%E5%85%90%E3%83%93%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%83%B3K%E6%AC%A0%E4%B9%8F%E6%80%A7%E5%87%BA%E8%A1%80%E7%97%87%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E4%BA%8B%E6%95%85

精神世界は否定はしないけど(むしろ興味が有るくらいだが)、それが個人の心の逃げ場や役立つものと思われるならそれこそ自己啓発ビジネスミナーや詐欺まがいの新興宗教と変わりないんじゃないかと思う。

昨年夏にも精神世界精通してる高齢女性の集会に行ったが、テーマは次世代エネルギーについてだったがこの方の集会では必ず泣き出す人がいるそうだ。

EMというやつも口蹄疫震災放射能不安から疑似科学化して元々用途は農業用だったが子供風呂に使ったりと少しカルト化して付和雷同している面がある。昔EMを土壌使った野菜を食べた事はあるが活き活きとして美味しかった。

結局精神世界疑似科学に行く人はナチュラリストの人が多いが人間関係(既婚者なら旦那との不仲など)や資本主義嫌悪自然に逃避している風に思える。(大学時代馬術部のお手伝いをした事があるが動物自然に逃避して大学に馴染めない人の集まりという感じだった)

精神世界は元々はビジネス宗教と一緒で役立つものだと思う。

2012-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20120504140507

光線除去と物理除去の比較研究があるということは、前提としてある手法有用性を検証するためには比較研究をする必要がある、という合意歯医者世界にも成立しているわけだよ。

それなら歯石除去の有用性の比較研究もあると考えるのが自然じゃねえの。そこから延々と積み上げて現代に至ったと考えるのが常識的な推論ってもんじゃねえの。

もっとも、そういう古い論文検索ネット検索の最も苦手とするところではある。1940年代論文とかデータベースに入ってない可能性すらある。だから調べるとなると図書館に行って一日仕事になるかもしれず、正直おれも少々腰が引けないわけでもない。

それから最先端医学が後になって否定されていく、というのはあるだろうが、すべてが否定されているわけではない。自然に沿わせるというのは医療行為すべてを否定するってことだよね。

それともいいとこどりをするってことか。開業助産師が「自然なお産」とか言って自宅分娩勧めるようなものか。やばくなったら救急搬送的な。

2011-12-18

従軍慰安婦問題をきちんとしたいのなら

日本は性文化消費先進国として『性』への態度をはっきりさせるべきなのだと思う。

■性は消費されるという問題から逃げないこと。

 性は消費されることがある、ということを正しく啓蒙すること。今までこれをなあなあにしていたから、反社会的組織下駄を預けることになったり、ポルノグラフィと非実在創作物との関係をうまく説明できなかったりしている。その結果として、望むと望まざるとに関わらず性文化提供する側に立っている人間への対応が遅れてしまっている。日本で性を消費物として扱っている企業はほぼブラック労働形態を強いられている中小企業であり、若者向け産業界萌えという言葉浸食しているという現状だ。

 きちんとした『性産業』や『性風俗』の再定義、それに従事する人間への対応が必要ではないか? 例えば日本売春婦は立派な職業である、ということを、いま制度設計する必要があるんだと思う。何故国家をあげてそのような仕事をする必要があるのか? というと、おそらく、国が認めた職業じゃないと従軍の部分が説明つかなくなるから。これをやらないから援助交際を含めた素人の無秩序な淫行が蔓延しているわけだし、暴力団収入源にもなっている。暴力団を撲滅させたところで働く場所として無秩序さが高まり、不幸になる人間が増える可能性は否定できない。そういう国としての姿勢を明らかにしないと、なんとなく『慰安婦という一方的な奴隷じゃねえ、売春婦という国が認めた職業だ』と言ったところで誰も納得しないんじゃないか

性教育から逃げないこと。

 一方で、生産の根源としての性を正しく伝えなければならない。男性性・女性性の相互理解、性科学的な観点からの正しい知識の継承啓蒙妊娠出産に対する社会の関心を高め、子育てへの理解と環境改善を促す。生きることに関わる情報子どもに対して先回りして伝わる可能性は、現代社会ではとても高い。そのような状況に対応するために、性教育についても、小学校から担任に任せるのではなく、専門教員による指導が適切であろう。最低でも助産師を担える程度の看護師保険医であることが望ましい。医者溢れ、看護学校卒業生溢れ対策、女性雇用創出にも繋がるかもしれない。非常勤教員化するのであれば、地域警察青少年課などでも働くことで、知識や経験を蓄えることが出来ると思う。収入も上がるし。

 こういう地道な努力を正しくやり続けることが、慰安という職能への理解を生み、さらには少子化抑制につながるかも知れない。慰安婦の人たちを救うのは賠償というお金ではなく、多分『あのとき慰めてくれてありがとう』という男達の言葉なのではないだろうか。

2011-03-08

赤ちゃんをむかえることから、稽留流産のことまで

2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。

昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。

様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。

 

赤ちゃんをむかえること

筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。

仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年からとりくみはじめた。

基礎体温に基づき、排卵日近辺にがんばる方法をとった。

基礎体温2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。

 

夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常

仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。

そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。

それでも、自分では夫婦の仲は良好だと思う。 

 

夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、

顕微鏡でためしに自分精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。

私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。

 

基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。

ウーマンコム Inc. の基礎体温表

記録をまとめて印刷することもできるので、医師妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。

 

妊娠に至るまで、5ヶ月を要した

上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。

挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。

夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。

このころ、夫は精子卵子寿命の違いを知らなかった。

 

年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。

とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。

 

20代子供を産み、子供小学生に育て上げてから仕事をはじめた友人や、

同じく20代で2人の子供を産んでいる妹の事などを考えた。

いくら自分健康に自信があっても、赤ちゃんをむかえるのは早い方がいいと強く思う。

結婚する前から、夫と私は2人とも子供を望んでいた。

私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。

たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……

 

冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?

妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、

お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい科学的根拠は不明?

そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。

 

カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。

夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。

私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。

夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。

 

 

年末年始大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした

いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮おせちをたべてゆっくりした

初詣地元神社に参拝し、男根型の岩を撫でてみたりもした

 

 

その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、

妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。

病院で尿検査をして陽性を確認し、エコー検査した

子宮のなかに小さな黒いまるうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮妊娠はない事がわかりほっとした

担当先生は事務的で素っ気なく、少々心もとなかった。

 

妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ夫婦で登録し、

毎日メールで送られてくる赤ちゃんの成長を楽しみにしていた。

 

2月の半ばに2回目の検診にいった。

先生カーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。

黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。

赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。

調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、

あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。

 

つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。

つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。

1月の初めにがんばったときから性交はずっと止めていた。

回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした

 

稽留流産のこと

3月の初めに3度目の検診に行った。

この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。

ちょうど夫の仕事休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。

いつものように、エコー検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。

カーテンをあけて、「心臓が動いていないです」といわれた。

何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。

先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。

稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。

夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。

ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。

 

 

最初は心もとなかった先生対応は、まじめさゆえだった。

丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかからなかったけど、

とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した

待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。

「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。

 

あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した

母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。

義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。

夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。

未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。

誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。

これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。

前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。

義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。

海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。

手術前夜から入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、

夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。

自分は朝に入院して、夕方に退院する日帰り手術だ。

手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯おむすびをつくり、

病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、

いつもより丁寧に歯を磨き、お風呂で体をよく洗ってから寝た。

 

夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事ギリギリで、とても忙しい時期だ。

そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、

何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、

「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんから、耐えよう」と思った。

 

当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟ナースステーションに行き、書類を出して手続きをした

病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボンTシャツパジャマの上着、フリースの長いコートで、

家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。

ナプキンをつけてから担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。

処置の前に、もう一度、エコー赤ちゃんを確認してもらった。

赤ちゃん最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。

この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。

 

それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。

午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。

多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。

担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、

計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。

台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。

肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、

思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、

先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、

器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。

 

事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。

しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。

もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景イメージしてみた。

だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノたい音楽フロアに流れるかすかなオルゴール環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。

しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。

お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。

顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。

ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。

 

すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。

麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。

時折、看護師さんが来て出血を確認していった。

つの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。

持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。

重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。

なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。

 

麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。

病室でズボンはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。

夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした

夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるからおむすびいらないよ」と言うほど、

手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。

私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。

夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびお茶を持ってきてよかった」と言った。

 

薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。

看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。

子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。

来週に検診があって、また病院にいく。

元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家土地のいい場所に植えようと思う。

その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。

 

今後

基礎体温記録再開、葉酸摂取を継続する。

・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。

運動する機会を増やす。近所の温泉に定期的に通う。

いままでは質実剛健、質素倹約を旨としていたが、余裕をもって魅力的な女性になれるよう努力する。

2010-11-30

歯医者って倒産続出じゃないのか?

外国人歯科医の制限撤廃 法務省、在留資格を改正

 法務省は30日、在留に関する省令を改正、日本歯科医看護師助産師保健師国家資格を持つ外国人の就労年数や活動地域の制限を撤廃した。

 法務省は、少子高齢化が進む中で医療関係の人材を確保するには、専門技術を持つ外国人を幅広く受け入れる必要があると判断。永住資格を持たない外国人看護師保健師国内医療機関で働き続けられるほか、歯科医都市部での開業や民間診療所勤務といった道も開かれた。

 これまでの省令では、「医療」の資格で働く外国人の就労年数は、歯科医免許取得後6年、看護師が7年、助産師保健師が4年と規定。さらに歯科医には(1)大学病院などでの研修による就労(2)法相が定めたへき地に限り制限年数を超えた就労が可能―という制限もあった。

 制限撤廃は3月に政府が策定した「第4次出入国管理基本計画」で検討項目になっていた。同じ「医療」の在留資格医師2006年に6年の制限を撤廃した。

 医師を含む「医療資格外国人登録者は00年は95人で、02年には114人、09年は220人と微増傾向にある。

2010/11/30 08:34 【共同通信

優秀な人材の確保。人員の確保。その目的がある。外圧を和らげるポーズでもある?

そこまではわかる。

でも歯医者って余っていて潰れるところ続出なんじゃないの?

どうしてこういうことするの?

2010-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20101003104451

自分が信じて自分で飲むとか、大きく譲って自分子供配偶者に飲ませるのはまだいい。

ハチに刺されてショック状態の旦那にエピペンの注射を頼まれていたのに、

ホメだといっていろいろ入れた風呂に入れて放置(そのまま置いて外出)したら、

たまたま運良く助かったのを「やっぱりホメはいいんだわ」みたいなこと言ってる人もいるが、

それもまだいい。


問題は、「医療者が」「患者ではなく自分信条に基づき」「危険をもたらす可能性のある行為」をした結果

患者が死んだりしていることでしょう。

これ、3点あるのが重要だと思うんだよね。

医療者が」でなければ、たとえば患者本人や患者の肉親(本人が未成年場合)なら、自己責任だし、

患者ではなく自分信条に基づき」でなければ、たとえば信仰による輸血の拒否とか、それも自己責任

危険をもたらす可能性のある代替行為」でなければ、たとえば切り傷にツバつけるとかなら問題ない。

ビタミンKを投与しなかったことで訴えられた助産師もそうだ。

助産師はホメを信じてはいけないとは言わない。信じたければそうすればいい。

でも、それを妊婦新生児押し付けるのは違うだろ。

押し付けてません、提案してるだけですなんて詭弁を言うかもしれないが、

助産婦が「これは○○の代わりでもっといいものですよ」と言ったらやっぱり信じてしまうし、

そこで断ることでそのあと不利益があったら困るしな。

別に妊婦相手だからダメなんだというわけではなくて、

たとえば風邪をこじらせて病院に行ったとき、医者に「いつもの総合感冒薬よりいい薬なんですよ」と言われたら

じゃあそちらを飲みますってならないか?

それで肺炎になって入院したとき、実はその「薬」が砂糖玉で何の根拠もなかったと知ったら?

2010-08-25

根本的な勘違いをされていると思われるので

ホメオパシー信じて死ぬのと同じだよねこれ。

http://d.hatena.ne.jp/ssig33/20100825/1282722071

ホメオパシーの例の事件の問題は、助産師という医療関係者が、K2シロップの非投与という医療怠惰行為を本人又は保護者の説明/了解なく行ったこと

・代替治療の多くが非難されるべきなのは人の弱みにつけ込む悪徳商法となりやすいか

本人が自分で判断できるのであれば、治療方針が科学的であるかは関係ないです

基本的に、転移した膵がんはまず助かる余地がないです

がんは若くて元気な人ほど進行が早いので、今監督のようなケースでは余命は予測がほとんどできないです

少なくとも、抗がん剤治療をしたところで、新しい作品を残すところまで回復するのはありえない

そもそも、抗がん剤治療というのは完全に確立したものではなくて、

いろいろなガンの発生部位、進行度、併発症状などを

少しずつ試しながらある程度効果が確かめられたものを取り入れて

現在進行形で少しづつ進化しているものなんです

それも、多くの場合は早期で転移が少ない状態では有効でも

進行したがんについては非常に難しいのが現状なんです

抗がん剤治療というのは、すごく大変なんです

まず副作用がひどい(事が多い) 本人もつらいし、まわりもつらい

副作用によっては見た目が変わる。

費用面でもバンバン出費がかさむ

本人は早く死にたいと言い出すし、

介助してる側も、こっちのほうが早く死にそうだと

そういう冗談を言いたくなるほど大変です

もちろん、がんになった時点で同じなのかもしれません

抗がん剤治療をしなかった場合でも大変なこともあるでしょう

でも、抗がん剤治療を選択することが絶対の正解ではない

ということもわかって頂きたいのです

患者さん本人とその家族医療従事者がみんな大変な思いをして

ちょっとずつ進化しているのが抗がん治療なんです

最近では医療ミスとして訴えられる訴訟リスクも重なってさらにヤバイ)


代替医療カルト」だなどと言うのは簡単なんですが

現代医療であっても そういうリスクを踏まえて行われていると

いうのを理解して欲しいです


多くの場合で、まず抗がん治療医師が勧めるのは

それが正しい判断である場合がもちろん多いのですが、

保険制度訴訟リスクの問題から、

それ以外の選択肢が許されていないということもあるのです

患者さんにとって、最善の選択ではないと分かっていてもです


科学が絶対であっても、いつか人は死にます

現代医療が最大限の努力をしても

どうにもできない時が必ず来ます

その時にあなたは、どう生きるのか

そして死ぬのか


自分としては

本人の意思と判断が正常である場合には、

むしろ自由度を高めてもいいと思っています

大人というのが自分責任を持てる存在であるならば

自分人生デザインできるように

自分の死にざまをデザインできるように

自由度を高めるのは悪いことではないと思います


医療保険に入るのも、貯金をするのも、ダイエットをするのも、

丸山ワクチンを打つのも、延命治療を選択しないのも

自分費用も含めた責任を負えるようになるのは

けして悪いことではないとおもいます


命の価値という測りようのない責任から

みんなが逃げながら、過度に膨張する倫理

そして国家財政を歪めるほど積み上がる医療費

だれもが来る死

それから逃げないで、だれかのせいにしないで

もう少しだけ自分と向き合って欲しいです

ホスピスを含めた緩和医療への理解が進んで欲しいし

尊厳死ももっと議論の俎上に上がっていいのではないかと思います

監督遺書終末医療のケースを考える上でとても

興味深かったですが、まさかこんな感想を持つ人が居たので

少し長い話を書いてしまいました。

2010-08-16

ママ同調圧力+党派攻撃バッシング」は医学トンデモを超える

http://ameblo.jp/moonsun3/entry-10618363273.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/moonsun3/entry-10618363273.html

女性誌から考える代替医療ホメオパシー

これは良エントリなんだが、なぜか「はてなー」は当エントリ前半部分の

女性誌がホメオパシー好きな理由」の部分のみクローズアップしている。

こんなもの、「星占い」とか「血液型」とか「幸運の石の通販」とかが紙面を占める女性誌に

おいては「さもありなん」という話で、「今さら驚くに値しない」。

(勿論、問題がない、と思ってませんよ。問題大アリですが、既知の話です)

むしろ、自分が心底「恐ろしい」と感じたのは、殆どのはてなーが取り上げていない、当該エントリ後半部分。

>B氏が語った「母親コミュニティーでの、医者は信じられないし厚労省も信じられないといった意見

>について、私とのやりとりでは長くなるので割愛しましたが、

>彼はここで子宮頸ガンワクチン(HPVワクチン)接種の話をしています。

関東の大型ベッドタウンでのできごとです。

>いま小学生女の子を持つ母親の間で、HPVワクチンを打つべきか、打たないほうがよいか迷いが生じています。

母親コミュニティーで、打つか、打たないかが話題になったとき、ある母親医師厚労省から情報を集め、

>安全性と効果が確認できたので接種すると発言しました。すると、多くの母親ワクチン危険だから

>接種させないと、猛烈に反論の声を上げたというのです。

危険性の根拠はインターネット情報と「黄色いチラシ」でした。

インターネット検索すると、ホメオパシーなどの団体や個人が発信するワクチン危険論と

>HPVワクチン危険論の記述が多数飛び込んできます。ワクチンの有用性を支持する論調がかき消されているのです。

>次に「黄色いチラシ」とは黄色の紙に黒く大きく「危険」と印刷され、「接種で不妊になる」

>「ワクチンを推進していのは共産党系の団体である」と書かれているものです。

>する派の母親が、「黄色いチラシ」の出所は論調からあきらかに右翼系の団体で、危険を煽ってHPVワクチン

>問題を政治利用しようとしていると反論しました。しかし、左翼は恐いと声が上がり袋だたき状態になったそうです。

危険派の母親自然志向派の人と、自らは情報強者医療の闇を知っていると自認している人だったということです。

>余談ですがB氏は、30代は何よりもweb情報を正しいとし、それは雑誌を含むメディア以上の信頼度だと感じています。

>真偽の判定は、検索して出てきたサイトの数の多数決になっている傾向があり、同数だったとしても何かを肯定する

意見より否定する意見や、陰謀論が好みのようだと言っていました。(すべての30代がそうだという話でありません)

実は自分は、以前増田

医学リテラシー豊富はてなーはにわかに信じがたい話かもしれないが、

 はしかパーティ水疱瘡パーティは、ママネットワーク内部では、そんなに違和感なく実践されている」と投稿し、

「その中には、ママ友の同調圧力によって、内心疑問に感じながらも参加している母親もいるのでは?」と投稿した。

http://anond.hatelabo.jp/20100715105846

この投稿をした際、自分は「可能性としては、ママ同調圧力なんてのもあるの『かもしれない』(ないかもしれない)」

ということで投稿した次第。

実際のママ同調圧力現場を見聞きした訳ではないし、願望としては「そのような同調圧力存在しないで欲しい」と願っていた。

しかし、仮に先述のブログのB氏の発言が正しいとすれば、HPVワクチン接種の現場では、

ママ友の同調圧力によって、「本来科学リテラシーが高い側が、バッシングを受け、接種を断念せざるを得なくなっている」

という最悪の状況になっている。

しかも、「お前は新日本婦人の会系・共産党系だ」というネトウヨ的陰湿な党派攻撃で以って。

ホメオパシー新生児ビタミンK2欠乏問題は、こういう言い方しては何だが、

助産師の実態を調べて、自宅出産回避すれば防げ得たかもしれない話である。

もっと冷酷に言えば「自らの科学リテラシーを高めることで、防ぎえた」

しかし、今回のHPVワクチン問題は、たとえ自身の科学リテラシーを高めても、

それとは全く無関係な党派性(というより陰謀論)で以って、子女の接種機会を奪われる、という由々しき事態である。

私見だが、朝日新聞は、新生児ビタミンK2欠乏問題より先に、

一部右翼勢力が仕掛けた同調バッシングによって、接種機会が失われてしまうというHPVワクチン問題こそ先に特集すべきでは?

2010-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20100808193317

特に出産周りは、病院の受け入れキャパが足りないから、助産師に頼らざるを得ない、ってのも問題に拍車をかけてるよな。

2010-07-12

メディ乳幼児に与える危険性とホメオパシー協会の陰謀

私は、2歳の娘を持つ 31 歳の主婦です。

娘を生んだ時もお産をお願いした助産師さんに進められて K2 シロップの代わりに、ホメオパシー協会でも推奨されているレメディを与えていました。

その後も、自然食品を主体とした子育てをしていて、生まれた時から生物本来の力で生きている娘などは、風邪などひきませんし、ちょっと熱があったりしても、発熱のために処方されたレメディを与えれば、数日のうちには回復します。

幼い頃、化学物質漬けで育ってしまった私などは、未だに風邪をこじらせることがありますが、娘が羨ましいくらいです(笑)

ですが最近K2 シロップを与えなかったことによって、乳児が死亡してしまったといういたたまれないニュースを聞きました。

非常に悲しい出来事で、自分の娘のことを思っても人ごとではありません。

私には 4 つ年下の従兄弟で、大学生物学研究している人がいるので、この話についてどう思うか聞いてみました。

すると、これまで知らなかったとてつもない話を聞かされたのです。

どうも最近ホメオパシー科学研究が進む中で具体的な成果があって、学会発表が行われたそうです。

それによると、レメディ人間に効く時には、必ず脳内で生成されるプラセボという物質が関与しているらしく、その物質の働きが色々と明らかになったという事でした。

(プラセボというのは何も新しい物質ではないのですが、これまでホメオパシー協会などでもホメオパスとの関連については知られていなかったそうです。)

そのプラセボですが、脳の発育段階、特に言葉の理解と大きく関連していると言うことで、だいたい生後 2 歳から 3 歳くらいにならないと生成されないという事が、この度の新発見らしいです。

発表をした海外研究者 (イギリス人らしいです) は、「今回の研究によってレメディが有効に作用することが証明された反面、乳幼児には効果がないことも明らかになった。」と明言しているそうです。

これは大変だと思い、いつもレメディを処方して下さる先生にも相談したところ、「そういった研究は聞いたことがないが…」と歯切れの悪そうな感じでしたが、雰囲気が怪しかったので、本当は知っているんじゃないかと思います。

ホメオパシー協会に問い合わせても同じような回答だったので、グルじゃないでしょうか?

最近ニュースが明らかになって、これまでの責任を問われるのが怖くて無かったことにしようとしているのだと思います。

陰謀?とはまでは言いませんが、ちょっと怖いですね。

科学的に証明された研究があるなら、正しく処方するのが良いと思います。

いま、私のお腹の中には 2 人目の子どもがいますが、この子が生まれた時は、しばらくの間、レメディを与えずに様子を見ようと思っています。

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っていうストーリーで、せめて今後生まれてくる乳幼児だけでも救えないだろうか。

2010-07-11

ホメオパシー問題に関してTwitter不思議アカウントが散見される件

ビタミンK与えず乳児死亡」母親助産師提訴 : 週間ニュース : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞

http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20100709-OYS1T00214.htm

この記事をきっかけにツイッター上でもホメオパシー悪名が広まっているが、ツイッター検索で「ホメオパシー」を検索すると公式RTでも無いのに全く同じ文面を投稿している複数のアカウントが目に付いたのでメモ

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科学じゃなくて、治ろうという意志ですよ、大事なのは。また、散々医療現場で引っ掻き回されてモルモットにされたような人らが、今更医療科学を信じられるものか。生物多様性の時代なんだし、筆者のような人もホメオパシー好きな人も、潰しあわずに共生できることが望ましいと思う。」

http://twitter.com/makino_kotone/status/18249299557

http://twitter.com/yuzuki023/status/18249288150

http://twitter.com/haruka023/status/18249295308

http://twitter.com/nami_tutumisita/status/18249277343

http://twitter.com/aoi0250/status/18249273684

http://twitter.com/motimoto_hiro/status/18249271194

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共通点は「ロケット集客」で投稿されてること

ttp://ameblo.jp/rocket-raindeerjapan/

2010-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20100704191401

いやー、増田・・・大丈夫

大きい病院だと、医者看護師助産師医療SWも、妊娠中の女性を診るのと出産後の女性を診るのと子供を診るのはは別の科で別のスタッフだから、その全部のケースをいっぱい診てたなんてことありえないんだけど。そりゃあ、科同士で連絡とかはあるけどねぇ。

増田は一体どの科のどういったスタッフだったのよ?ていうか、大きな病院なのにそれらを全て見てるってどこの病院よ?大きな病院であればむしろ科の中でも専門分野が細かく分かれているというのに。

清掃スタッフも大きな病院だと病棟ごとに違うしねぇ。

受付スタッフなんて、病院が大きすぎて入院患者を見ることなんてないし(受付に来るのは患者家族だ。そんな重症入院患者入院病棟から動けないから。)

それに大きな病院であればあるほど、強い分野がどこかって決まってるから、妊娠出産に関するあらゆる重病患者が集まるなんてことないよ。重病であればあるほど、それぞれの専門の病院に紹介されて転院していくから。

2009-11-16

国家公務員法 第100条

第1項 「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする。」と定められている。違反者は最高1年の懲役又は最高3万円の罰金に処せられる。

地方公務員法 第34条

第1項 「職員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、また、同様とする。」と定められている。違反者は最高1年の懲役又は最高3万円の罰金に処せられる。

独立行政法人通則法 第54条

第1項「特定独立行政法人の役員(以下この条から第五十六条までにおいて単に「役員」という。)は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、同様とする。」と定められている。違反者は1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処せられる。非特定行政法人の場合も個別法で守秘義務が課せられている場合が多い。

国立大学法人法 第18条

(役員及び職員の秘密保持義務)第18条 「国立大学法人の役員及び職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、同様とする。」と定められている。違反者は最高1年の懲役又は最高50万円の罰金に処せられる。

弁護士法 第23条

秘密保持の権利及び義務)第23条 「弁護士又は弁護士であつた者は、その職務上知り得た秘密を保持する権利を有し、義務を負う。但し、法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。」と定められている。

郵便法 第8条

第1項 「会社の取扱中に係る信書秘密は、これを侵してはならない。」

第2項「郵便の業務に従事する者は、在職中郵便物に関して知り得た他人の秘密を守らなければならない。その職を退いた後においても、同様とする。」と定められている。第1項の違反者は、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処せられる。第2項の違反者は、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられる。

電気通信事業法 第4条

第1項 「電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密は、侵してはならない。」

第2項 「電気通信事業に従事する者は、在職中電気通信事業者の取扱中に係る通信に関して知り得た他人の秘密を守らなければならない。その職を退いた後においても、同様とする。」と定められている。第1項の違反者は最高2年の懲役又は最高100万円の罰金に処せられる。

電波法

第59条 「何人も法律に別段の定めがある場合を除くほか、特定の相手方に対して行われる無線通信を傍受してその存在若しくは内容を漏らし、又はこれを窃用してはならない。」

109条 「無線局の取扱中に係る無線通信秘密を漏らし、又は窃用した者は、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」第2項 「無線通信の業務に従事する者(無線従事者)がその業務に関し知り得た前項の秘密を漏らし、又は窃用したときは、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。」

技術士法 第45条

技術士又は技術士補は、正当の理由がなく、その業務に関して知り得た秘密を漏らし、又は盗用してはならない。技術士又は技術士補でなくなつた後においても、同様とする。」と定められている。違反者は最高1年の懲役又は最高50万円の罰金に処せられる。親告罪

刑法 第134条(秘密を侵す罪)

第1項 「医師薬剤師医薬品販売業者、助産師弁護士弁護人公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」

第2項 「宗教祈祷若しくは祭祀の職にある者又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときも、前項と同様とする。」

2009-09-21

大野病院事件であまり知られていないこと

福島県立大病院産科医逮捕事件-wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E9%87%8E%E7%97%85%E9%99%A2%E7%94%A3%E7%A7%91%E5%8C%BB%E9%80%AE%E6%8D%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6

1.供述の変遷

癒着した胎盤をはがすために、問題となったK医師は、手だけではがすのが無理だったためクーパーというはさみを使って胎盤をはがしたと裁判で認定されている。

クーパーについてはこちら→http://or-nurse.seesaa.net/article/16049277.html

かしこのクーパーの使い方について、K医師供述は、裁判に入る前はクーパーの刃で胎盤を切ったと供述していたのを、法廷では胎盤をはがすためにクーパーの背を使ったと変更している。

また、胎盤癒着の状態についても、裁判前には、子宮摘出にふみきらなければならないような(重度の)癒着の仕方をしていたと供述していたのが、胎盤の剥離を最後まで行ってから止血を行えばよいような(軽度の)癒着であったと、供述を変えている。

検察は、K医師の当初の供述に全面的に依拠していたため、これを否定されて手も足も出なくなってしまった。

 ちなみに、K医師供述のうち、どちらが正しいかについては、剥離された胎盤を見ればわかることであるが、胎盤は破棄されてしまっており、確かめる術はない。

2.輸血への対応

子宮を摘出するのではなく、胎盤の剥離を最後までおこなってから子宮の収縮を利用するなどして止血する方法では、ある程度出血することは想定の範囲内であった。

しかも、本件における被害者は、帝王切開経験のある前置胎盤であったことから、大量出血の可能性を医師看護師助産師が感じていた(その証拠に、K医師自身もあらかじめ他の複数の医師に途中で止血のため人手が必要になり応援をたのむかも、と伝えている。しかし実際に当日応援を要請することはなかった)。

一方、事件の舞台となった病院は、血液センターから50kmほど離れていた。

このことから、手術前に助産師血液センターにもっと近い病院に転院させてはどうか、と進言している。しかしK医師は「大丈夫」といってこれを退けている(仮に輸血用の血液を大量に準備し、余らせてしまうとそれは廃棄しなくてはならず無駄になってしまう)。

結局、手術中に準備していた輸血用血液では足りず、患者は1時間20分~1時間半ほど輸血ができないままであった(被害者が亡くなるまでの出血量は20,000リットル以上)。

2009-09-15

出産を機に知ったこと

子供の頃は必死に隠さなきゃいけないと思っていた。
 一生他人には見せることがない部分なんだと思っていた。

それが大人になって、セックスというものがあるのだと知る。
 他人に見せるとか、そこを使って何かをするなんて衝撃的だった。

さらに妊娠が発覚したとたん、初対面の医者に見せることになる。
 診察ではもちろん触られるし、時には内診で指を入れられることもある。

さらにさらに、出産では助産師看護師にまで晒し続けるという事態に。
 赤ちゃんはもちろんその奥から出てくる。赤ちゃんを出すためにそこを切ったりもする。

産後は「おっぱい」なんて日常的に連呼。
 授乳だって普通に人の前でもできちゃう(らしい。自分は人前ではできない)。

出産を機にタブータブーでなくなる衝撃をいくつも受けたんだけど、これって自分が物を知らなすぎただけ?

2009-08-04

http://h.hatena.ne.jp/pollyanna/9236534148700908199

わざわざ助産院出産彼女たちがえらぶのは、

設備が整っていなくても、助産師さんという「人」がずっと一対一でついて見守っていてくれる

・「人」が見ているなら、きっと何かあっても大丈夫なはず、機械よりも信頼できるはず

というような錯覚があるような気がしてならない。

 

娘を出産したときは、どうプローブを当てても陣痛の強さをうまく機械が拾えなくて、実際に感じている痛みを全然理解してもらえず(私は痛みが顔や声に出ないタイプ)、ある助産師さんがおなかに手を当てて初めて「かなり来てる!」とわかってもらえたんだな

これは「「人」が見ているなら、きっと何かあっても大丈夫なはず、機械よりも信頼できるはず」というのが錯覚ではなかったという実例ではないだろうか。

2008-12-03

なぜNICUは足りないのか

私的なメモとして。

医師助産師が足りないのでこれ以上増やせない。

 (あるいは増やしても診れないので無意味など。

  道路予算削って云々とほざいたコメンテーター氏ね

  NICUだってハコモノと同じ。人がいなきゃ診れねぇって。)

高齢出産が増えて早産などリスクの大きい分娩が増えた。

 (以前なら通常分娩でなんとか対応してきたケースまでNICUを使うことになってしまった。

  よってNICUが足りなくなる)

・でき婚の場合、母体の問題が多いので早産などリスクの大きい出産が増えた。

 (低年齢出産喫煙者などなど… ぶっちゃけて言うと低脳DQNが多いので出産に関して

  リスクコントロールを自ら行えない。よってリスクの大きい分娩が増えた。

  でき婚マンセーみたいな風潮は(・Δ・)イクナイ!)

助成金の問題

 (利用率などのパラメータ如何によって補助金なり助成金なりは出る。

  むやみにNICUを増やしても、利用率が低ければ病院は赤字。

  よってほぼ満床状態にしておくしかない。

  その結果、自院内の妊婦さん優先となり、救急では受けれない。

  NICUを使うことになりそうな妊婦さんは早めに(22週以降)入院してもらうしかない)

以上は推論、伝聞などなどにより構成されるのでウソウソと見抜けない人は(以下ry

2008-02-28

おいおい。。。

AV男優の見習うべきところはピストン時じゃなくてその前だってことじゃまいか。

>カトウタカ並のぜんぎテクがあったら確かに普通お嬢さんにもAV女優の再現はできそうだ。

http://anond.hatelabo.jp/20080228162821

これ見て反省しろや。

でも、診察台に挙げた途端、事の重大さが明らかにされ、驚きの声を挙げずにはおれませんでした、診察の介助に当たっていた助産師さえも、「先生、ひどいことですねえ」と。アダルトビデオセックスバイブルだと思い込んでいる男と関係を持った被害者が目の前にいるのです。

 アダルトビデオといえば、これでもかこれでもかと女性を攻め続ける映像の繰り返しでしかありません。役者としてのそれぞれの役割があるとはいえ、暴力的な行為に対して歓喜の表情を見せるのですから、若い男性など、「こうすれば女性が喜ぶのだ」と思い込んだとしても致し方ありません。問題は、それを身近なパートナーに要求するという短絡さです。だから、「私はアクロバットではないというのに、彼はとても難しい格好を要求するの」とか、「嫌だっていうのに無理矢理フェラチオをさせられて」などという声が届くことになります。

 60兆個の細胞からなる生身の人間で、しかも好みは人それぞれであるというのに、いくらアダルトビデオがそうだったからといって、たった1カ所だけを攻め続ければ目の前にいる彼女が喜ぶとでも思っているのかと、おじさんとしては口を挟まずにはおれません。この患者の場合はクリトリスへの刺激が過ぎたのか、粘膜が真っ赤にはれ上がり一部に膿(うみ)がたまっていました。尿道が近いわけですから、これでは「おしっこする時にヒリヒリ痛くて」との訴えがあって当然です。おそらく爪が伸びていて、傷はその爪によって作られたのだろうと想像されます。

http://mainichi.jp/life/love/kitamura/kitamura/archive/news/2008/20080207org00m100038000c.html

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