・設備が整っていなくても、助産師さんという「人」がずっと一対一でついて見守っていてくれる
・「人」が見ているなら、きっと何かあっても大丈夫なはず、機械よりも信頼できるはず
というような錯覚があるような気がしてならない。
娘を出産したときは、どうプローブを当てても陣痛の強さをうまく機械が拾えなくて、実際に感じている痛みを全然理解してもらえず(私は痛みが顔や声に出ないタイプ)、ある助産師さんがおなかに手を当てて初めて「かなり来てる!」とわかってもらえたんだな
これは「「人」が見ているなら、きっと何かあっても大丈夫なはず、機械よりも信頼できるはず」というのが錯覚ではなかったという実例ではないだろうか。
それ、その通りだと思った。 機械に頼りすぎるのはそれはそれで危険だし、実際この例だと機械では正しくモニタリング出来てないわけだから 人がつく事は必須だっただろうに(つかそ...