はてなキーワード: 俳句とは
はてなブックマークのホッテントリでは「おすすめな◯◯十選」だとか
まあそんな感じの記事を頻繁に目にする。
なぜだろう。
一見すると、「節ごとに小分けしてある分、リストアップ形式の記事は読みやすい」というのはなんとなく妥当性がある気がする。
はてして本当にそうか?
短さとわかりやすさが比例するのであれば、俳句などは究極的に読みやすい文章のはずだ。
百歩譲ってリストアップ形式が究極的に読みやすい記事の形式であったとしても、可読性が高伝導率を保証してくれるとはかぎらない。
ひとつは「オススメな◯◯」の◯◯に該当するブツを一つずつ並列に紹介していく拡散方式、
もうひとつは「△△が□□である理由」の□□を並べて△△を説明していく収斂方式だ。
後者は「結論を先に明示して後から理由を説明する」という論文の執筆作法に則っている。常に「何について説明されているか」が明白なため、比較的わかりやすい。欠点はエンタメ性の欠如だ。結論部が先に来てしまいサプライズが期待できないのもあるが、構造そのものが説明のためのものであるので、書いてる側の意識も自然、事務的に、説明的になりやすい。
万人が興味を持つような題材を取り上げているという自信を持てない場合は、刑事コロンボのように折々にフックを作ってスリリングさを保つしかない。
一方でリストアップ形式の大半を占める拡散方式は書いてる側の意識が足らないと、記事に一貫性を欠く。ダメなNAVERまとめやtogetterが読みにくい原因がコレだ。
「私の好きな◯◯10選」といった貴様の好きなものリスト系は特にこの罠に陥りやすい。
とはいえ、たとえ記事に一貫性がなくとも読者は10選のなかから勝手に自分にフィットするブツを見つけて言及するものだ。
たとえば、映画のリスト記事だったら、他の九作品が読者の琴線にまったく触れずとも、最後の一個で言及したくなるようにさせればそれでブクマがつく。
そう考えると、ブログの記事には有用性もリーダビリティも一貫性も必要とされていないのかもしれない。
あるいは記事に書いてあることの一割も理解してもらう必要すらないのだ。
ブクマ界隈において特に重要なのは、ブクマカが一言口を挟みたくなるフックが用意されているかどうかだ。
リストアップ形式の記事がホッテントリにあがりやすいのは「フックの数が多い」の他に、
ためであると思われる。
お笑いバラエティで「笑いどころ」にテロップや笑い声が示されるようなもので
共通の敵と戦ったことで各家にくすぶっていた敵愾心は冷却された。
それ以上に効果的だったのは増田家(八)が他の三家に送った軍目付の存在だ。
いざとなれば暗殺されるだけの存在にみえて、彼らには赴任先の軍を「まじめに訓練する権限」が与えられていた。
増田家(五)の強硬な反対を押し切って付与されたこの権限によって、各家の軍隊は雑魚ナメクジ化した。
戦争を起こそうとしても雑魚ナメクジ同士のにゅるにゅるしたナメクジ試合になると悟って、
次世代の当主たちは軍事面での野望を抱かなくなった。一方で海外から侵略者は増田家(八)の戦略を洗練させた戦い方で、にゅるにゅると迎撃される事になった。
最終的に増田島は以下の形に落ち着いた。
アルファマスダ家 | 当主 | 領国 | 石高 |
---|---|---|---|
増田家(八) | 大便公方 | (八)(六)半国(七)(九) | 560万石 |
増田島の統一に中心的な役割を果たした増田家(八)は、石高にして全体の半分近くを領する。
増田島の中央に位置するのをいいことに島中から名産品をかき集め、みやこの人間を飽食させる島最大の人肛を誇るうんこ生産国でもある。
旧増田領(九)に運河を建設して南と北の交流を活性化、平和の中でのさらなる発展を目指している。
当主の意向で公衆便所の整備が熱心に進められ、多数抱える人口密集地が衛生的なことは海外の商人にも感心されている。
増田匿兵衛は自分は戦争向きの人材だとして引退し、増田家(四)から預けられた増田四五郎などの育成にあたっている。
増田騎馬軍団は馬の機動力を活かして各地をむすぶ伝馬に新しい役目を発見した。
ベータマスダ家 | 当主 | 軍目付 | 領国 | 石高 |
---|---|---|---|---|
増田家(四) | 鎮寇将軍(鎮北将軍あらため) | 増田出羽守 | (四)(一)(二)北半国(三) | 290万石 |
増田家(四)は連合軍から制圧した旧増田領(一)を預けられる代わりに、(二)南半国を増田家(五)に、(六)半国を増田家(八)に割譲した。
ただし、海上の交易利権はより広く得ており、増田家(四)の廻船は大洋側でも盛んに活動している。
当主は北方異民族の来寇にそなえる意味で公式に鎮寇将軍の名をたまわった。
狄人には和戦両様で対応し、彼らとの交易や旧増田領(三)を中心とする金山銀山の開発で豪華絢爛な文化を興した。
金製の馬糞ウニ模型など「出来は素晴らしいけど、なんで作ったの?」と言われる日々である。
増田家(八)はこの芸術品への対抗に金の雲細工を作らせた。後の金のうんこである。
ガンママスダ家 | 当主 | 軍目付 | 領国 | 石高 |
---|---|---|---|---|
増田家(五) | 東上管領 | 増田金吾 | (五)(二)南半国(六)半国 | 290万石 |
まったく動かずに北と西から半国ずつ奪った増田家(五)は増田島全体の穀倉となった。
収穫期が訪れるたびに大量の穀物が北や西に送られ、ここでの穀物の出来が相場に大きな影響をあたえた。
穀物の形で西に流出する栄養素を補うため、漁業によって得た魚を肥料にする方法が開発された。
その魚の栄養は増田家(五)の穀物を食べた人々のうんこの形で海に流出し、潮に乗ったものであり、
ここに穀物とうんこと魚(とプランクトン)を媒体とした元素の循環が完成した。
また、受け入れたカラトラヴァ騎士団との交流が増田家(五)を海の果ての国々との取り次ぎ役にした。
彼らは居住を制限されながらも、布教と皮膚病を治す薬草の探査にあたっている。
緯度が異なる旧増田領(二)の半分を手に入れたことは増田家を気象変動に強くして、飢饉の防止に貢献した。
なお、石高は増田家(四)と互角ながら、鉱山や商業の収入では大差があり、文化的には他からゆっくりと遅れて行った。
デルタマスダ家 | 当主 | 軍目付 | 領国 | 石高 |
---|---|---|---|---|
増田家(十) | 西国大宰相 | 増田大学 | (十)(士) | 210万石 |
増田家(十)は他の増田家に比べて独立性が低く、増田家(八)からの干渉を強く受けている。
しかし、増田家(四)(五)の思惑もあって、第四の増田家として存在できている。
二位から四位の三家を足せば、石高では増田家(八)を上回るのである。
増田家(八)も西の外様大名を削るよりも、強い藩屏に育てる選択をした。
また、大陸との取り次ぎ役には歴史的に増田家(十)が適任であった。
歴代の当主は気性のあらい増田家(士)の武士を制御するのに苦労する。連中の雑魚ナメクジ化が増田大学最大の功績であろう。
その他
大名格の増田家 | 旗本格の増田家 | 商家になった増田家 | 消滅(吸収された)増田家 |
---|---|---|---|
(三)(九) | (二)(士) | (七) | (一)(六) |
役目を終えた忍者たちは、走狗として煮られない自衛のために、集まって一つの村を作った。
文化背景の異なる彼らを結びつける手段として、俳句が盛んに利用された。
俳句でなくても「決まりきった単語」を用いて100文字以内で伝えるのが作法であった。
より荒っぽい忍者はコミュニケーションに手裏剣を投げつけあった。
帰農した忍者が増えてからは野良仕事に使う手斧が活躍することもあったという。
また、村内の政治的対立を回避するためカラトラヴァ騎士団からもらった異国の犬が名目的な村長に推戴された。
村民は独身のおっさんばっかりだったので、将来性には乏しかった。
ひとつの戦乱の果てに増田家は以上のように整理されたが、勝ち残った増田家が次々と分家の増田家をつくったことは言うまでもない。世に増田の種は尽きまじ。
そじゃーな!
前回
ちびまるこちゃんに出てくるともぞう心の俳句みたいで良さがある。
続いた躁状態にようやく終わりが見えてきた。やっと人並みにつかれたというか、ちゃんと体内時計が働いて眠いというか…。
かなり気合いを入れて書いたネットの未来の話 / “これから起こる『ライター業の衰退』と『ブロガーの台頭』について|三沢文也
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/tm2501/n/ncbe3f050708b
話が分かる人にだけに読んでもらいたいからブログではなく、有料限定にしたのに、はてブで重箱の隅をつつくようなことで盛り上がっていて「そんなんだから、はてな村は腐海に沈んだんでしょ」と言いたくなってる
ある人が「はてな村は日本的組織の、はてなは日本的競争の縮図でしょ?」みたいに言ってたけど、つくづくそう思う。
ちょい悪オヤジにはなりたくないけど、それと同じぐらいには頭ごなしに若者をバカにするkanoseのような老害にもなりたくない僕は本当に「あーあ」って感じな気持ち
僕がしんどいのって、08〜12年に罪山罰太郎・ハックル・デマこい・青二才以外の人を台頭させないようにへし折ってきたはてな村の文化が招いた後継者不足のせいであって…彼らで潰した数年を取り戻して追い越さないといかんからしんどいわけさ
いや、オレが1年半もネットで罵倒され続けてもブログを続けられるほどのキチガイじゃなかったら、はてな村はとっくに血が息絶えてますよ。
はてな村どころか、けいろーくんもしっきーくんもヒトデ祭りも出てなかったと思うよ?あいつらじゃ、1年半罵倒され続けたら折れるし。
偶像だから十字架にかけられてもなお、生きている必要があったのです。
ひどい話です
今思えば、野蛮な時代ですよ。
インターネットで生きていくのに、耐久力が求められた時代が昔はあって、それをオレが1年半…はてなの運営側が「これはやり過ぎだから、介入しよう」と思うところまで踏ん張らなかったら、Togetterとか2ちゃんの同類であり続けたわけですよ…いや本当に
頭のいい人、技術のある人、貴重な体験をしている人などは入ってきましたよ。でも、そういう人が安心して書ける環境に僕は大なり小なり貢献しているわけですよ…。
ビックマウスな言い分だと言われそうだけど、そこは割と自信がある。
青二才が数字で追い越されようが、もっと賢いやつが出ようがなお「大物」だと言われ続けるのは、常にルールに介入し続けるからだ。
ルールが変わるまで徹底的にやる。不利に変えられたら変えられたでそれを文章力とか、非モテなりのやり方で食いついて新しいスタイルで介入する。オレ以外にできるか?
野蛮な時代を生き残ったどっかが狂ってるんですよ。
今の若い子にはきっとできなかったであろうことだけど、僕はそれがない代わりに知性とか友達とか学歴とか、僕には足りなかったものをちゃんと手に入れてからネットに来た若者の方が羨ましいわけですよ。
負ける気はしないけど、幸せそうだもん
よく、日本には坂本龍馬とスティーブ・ジョブスが足りないと言う人がいるけど、ああいう動乱の時代の人は、大なり大なり狂ってる。
それとも狂った人に自分が合わせられるとでも?
狂人は居場所は見つけられても、仲間とパートナーは見つけられないし、誰かと調和したら多分自分が壊れるか、無邪気に握りつぶす。力があるうちに狂ってることを正当化デキるだけの「暴力」をしなきゃ、生きていくこともできない。孤独でも地位があれば生きていける。地位のない孤独はただ消えるから
頭に血が上って、病んだポエムを書いた。
忘れてともわかって欲しいとも言わないけど、…わかったふりはされたくないので、わかんないなら素直に「こいつわけわかんねー」と言ってくれたほうがまだいいです。
僕はキレると、断片的なメタファーか、自分の目に見えたことでしか言葉を紡がないので
あー今日が3ヶ月に1回ぐらいあるかないかの「ブログ書くのが嫌で嫌で仕方ない」日だ…。書く内容がわかってるのに筆が進まない。
今も大相撲を見ることあるけど、仕事の関係上休みの日にしか見れない。だからいつの間にか新しい力士が頭角をあらわしたりしている。
子どもの頃、祖母の家に預けられていた私は、曽祖母と大相撲や甲子園を見ることが日課になっていた。
今日はGWの振り替えでお休み。本当に久しぶりに3時過ぎから見ている。
曽祖母は1908年生まれで2007年まで生きた。最後までボケず、俳句をたしなみ、足腰は不自由だったが聡明な女性だったと思う。
北海道の開拓の第二世代として大正~戦前戦後、平成まで生きた。すごい時代を生きたもんだ。
最晩年、病院で曽祖母の手を握った感触は今でも忘れない。私も、時代は変われどあのように生きたいと思える人間だった。
中入りとか土俵入りをじっくり見ながら、また当時の力士が親方になったことを改めて感じながら、昔の、あの、祖母の家での日々を思い出した。
しっかし相撲ってのは非常にゆっくりとしたもんだ。慣例でほとんどの場合時間いっぱいまで仕切る。
だから冗長になる。お相撲さんたちは塩を撒くは四股は踏むはやりたい放題である。
で、取り組みは一瞬だ。
職場の女の係長なんかは相撲(豪栄道)が好きなのに、仕切りのところで「ほらまた豪ちゃんが準備運動みたいなことしてるよ!」とか言ってる。仕切りだっつーの。
そういう所作がまた大相撲のいいところだと思うし、解説がじっくり聴けたり、前の取り組みのダイジェストなんかが見れたりして、それなりにメリットがある。
だがやっぱり冗長だ。
例えばテニスの殿堂ウィンブルドンはコートが19あるという。これに倣って土俵も5個ぐらい有ると面白いのではないか。
幕内・十両の力士が取り組むセンター土俵、幕下の土俵、観客が自由参加の土俵なんかを配置すべきだと思う。
幕内でも同時に三番くらいやっちゃうのも面白い。コートを分けるように、土俵も分けるのだ。
もしかしたら両国には場所がないのかもしれない。その場合は国技館を改造して、縦に5段土俵を作ればいい。上の土俵は中空に浮いているわけだ。国技館を立体化すべきと言うこと。領国で無理だったら蔵前でも良い。
もちろん白鵬ら横綱陣は最上級の土俵で相撲を取る。最新鋭の土俵設備はもちろん、伝統やバリアフリーに配慮した土俵にすれば、批判は起こらない。塩も深海のものを使用しよう。
かつて角界は、江戸の場所と大阪の場所があり、それぞれ横綱があった。このように相撲は伝統的と言いながら、賭博問題などさまざまな課題も抱えつつ、激動の変遷を経ている。
そして漫画などでわかるとおり、相撲はなぜかSFと親和性が高い(『五大湖フルバースト』など)。ヴァーチャルな相撲は、実は角界の未来を考えるためにも役に立つ。
今テレビで見てる相撲が、未来もそのままであるわけではないだろう。どんどん相撲も変わって行っている。立ち合いの際の手を十分につくルールなんかもそうだ。ちょっと前までそんなことなかった。
人は悲しい時、泣く。
といっても、なにも考えず、涙を流して大声を上げて泣くわけではない
多くの人は、泣きながら、頭の片隅で別のことを考える。
そして行動を起こす。
俳句をたしなむ人であれば、自分の悲しみを五七五で表現しようとする。
悲しみをおぼえ、鶴を折る。
「水や食料が不足しています」という知らせを見て、
鶴を折る人がいる。水が欲しいと訴える被災者に向けて、
鶴を折る。水が、鶴に変わるのだ。
牛は水を乳に変える。
蛇は水を毒に変える。
人は水を鶴に変える。
蛇に「乳が欲しい」と水を与えても、できるのは毒である。
鶴を折る人に「水が欲しい」と訴えても、できるのは鶴である。
例えばあなたが地震や津波や台風で家を失ったとする。水も食料もない。
「水が欲しい、食料が欲しい」と訴えて、どうなるか。
千羽鶴が届くかも知れないのだ。
アラフォーです。
小さいころイメージしていた老人たちはゲートボールをしたり、老人会で温泉旅行に出かけたり、俳句を読んだり、演歌歌手を応援したり、日本舞踊したり、詩吟したり…というイメージだった。
30年たって、不思議な事に今も老人たちが熱狂しているのはこういったピュアジャパンスタイルのカルチャー(もちろん枝葉の部分では違うだろうが、全体の傾向として)からたいして変わってないのではないかなと。
老人たちがアニメに熱狂することが「普通」だったり、ゲームをボケ防止にするのが「普通」になる日は来るのだろうかと。
(まれにオタクが喜びそうな老人がユースサブカルチャーにハマっているネタは投稿されるけど、あれって大抵、レアケースの話だよね?っていう)
今日も、これを書いている横で、うちの近くの国道の旧道を街道マニアのおじいちゃんたちがリュックを背負って歩いて行くのを見つつ。
お前のいい分に沿うなら
金田一くんは毎回閉鎖環境の中で限られた面子の中で密室殺人が起きるけど
あれだって「実は面子の中にいない奴がその環境に潜んでました」はありえるよね
1週間交通絶たれた雪山の中でもガッチリ準備してて根性があれば洋館の外の山の中で隠れてキャンプできるしね
それは出来るよ?
やろうと思えば
何でやらんと思う?
それをやっていいなら「絶対犯人を予測できないミステリ」つくりまくれるし
「予想も出来ない展開」を量産できるよ
読者に情報を与えてないところから犯人をニュニュッと出してこれるからね
読者からすると、俺達がワイドショーで通り魔事件の報道を見てる以上に「犯人を予測し辛い」
通り魔事件の報道で犯人の名前当てられる奴なんかいないのと一緒
で、そのワイドショー見てるのと同じ程度の踏み込みしか出来ない・推理できないミステリって楽しい?
でも多分楽しくは出来ないと思うんだよね
何事でもいえるけど、そういう必要があって形成された決まりや縛りを
「不自由なルールだ」「こんなルール意味ない」って言い出していきがるの
お前等が俳句に絡むなら
「なんで575になってるんだ、頭が固い」とか言い出すだろ
それで自由詩ですごいの作れるならジャンルを破壊するだけの力と資格のある天才と認められるけど
実際はそんな力があるわけでもなくただいきがってるだけでしょ
一昨年あたりからひどい乾燥肌で、LUSHで働いているときも「粉ふいてるよ!」とか言われちゃってて
そのときは化粧の上から艶肌ドロップをバシャバシャしていたんですが結構忘れる…いまは夜だってつけていない。
オイルクレンジングが一番の原因なのは分かっていたので市販の拭き取りメイク落としを使っていたんですが目に入って痛い!
かといってLUSHの俳句は時間があるときしか使えないし…(単に面倒くさがりなだけだが)
んで買ってみたのが無印のスウィートアーモンドオイル。50ml。
MERYでホホバより安い!と謳われてて(別に値段はなんでもいいんだけど)無印へ行ったけど売ってない。人気なの?
違うテンポに行ったらあったので購入。これを手に三滴ほど垂らしてガッテン塗りみたいな感じでワーっと落とす。
めっっっっっっっっっちゃ落ちる!!ヤバイくらい落ちる!
アーモンドオイルのみで作られているから無香料無着色で肌が敏感なかたにも使えるだろうし
(関係ないけど私は肌が超絶鈍感)
突っ張らないし化粧落とす前よりモチモチしてるしアイメイクが一瞬で落ちるし…
あとなんといってもコスパがいいです。びっくりするくらい伸びるから三滴でもちょっと多いくらい?
薄化粧の人はもっと少なくてもいけるかもしれない。
これに無印のしっとり化粧水で拭き取るだけ。五分もかからない。マジで!
部屋で化粧落とす派なのでその後"クリスマスの食卓で洗顔。
これの後にベリークリスマス→ロージーマスクで顔がセメント状態に…
ロージーマスクはカラミン入りなので伸びないけど流したあとのさっぱり感が半端無く気持ちいい。ツルッツルになる。
当然化粧水もバシャバシャ入る。っていうか化粧水つけただけで顔がモチモチになってる。すごい高級な美容液使った直後みたいな…。
あまりにも最高だったから他の人にも試してもらったんだけどやっぱりモチモチになる。
友人は髪にアウトバストリートメントとして使ってたけどサラサラになった!と喜んでいた(私は未検証)
大きいの買っても冬中じゃ使い切れないのでは…?と思うくらいコスパもいいし
最初買いに行った時なかったのもうなずけました。
http://anond.hatelabo.jp/20151208114043
いつも思うけど短歌とか俳句ってわざわざ区切らない意味ってあるの?
読みにくくて仕方がない。
延着の 経血の知らせ いきをのぶ 2どとと会わぬと 心にきめけり
って間にスペースいれるだけじゃん。なんで?
この増田で思い出したので書いとく。
遠方の知人宅に遊びに行った際のことだ。
そこで露店のおじさんに話しかけられ、長々と話し込んでしまった。
日も暮れたのでおじさんが飲みに行くか、と言う。店じまいをするからちょっと待っていろ、と。
断り方も分からず、ぼんやりその場に一人でいた自分に、若い男性が声をかけてきた。
露店のおじさんと飲みに行く話になったから、待っているのだと説明する。
1人なのがなんとなく不安なのと、飲みに行くのは多いほうが楽しいだろう。そう思ってだ。
支度を済ませて戻ってきたおじさんに、伝えた。
彼も旅行で来ているのだそうだ、みんなで一緒に飲みに行きましょう、と。
するとおじさんは急に機嫌を損ねて言った、
「おまえらだけで飲みに行けばいいだろう」。
そう言って去って行ってしまった。
残された私とその若い男性は、しばらく話をしてその後、連絡先を交換し別れた。
私は東京に遊びに行くときに頼る知り合いができた、くらいに思っていた。
その後、友人宅から自宅に戻ってしばらくして、その男性から葉書が届いた。
東京に遊びに来る時には遠慮せず連絡してください等の挨拶のほかに、
その詩はよくは理解できなかったけれど・・・猥雑というか何か・・・エロの意味に読み取れた。
女子校の独身の若い男性教師って言っても、こんなもんなんだな と思った。
当時の自分の行動や考え方が世間知らずで危険過ぎる、というのは、その後理解した。
いろいろバカすぎて今思い出しても怖い。
子供の頃の将来の夢、ってのがあったろ。「将来の夢は弁護士です」なり、「将来の夢は総理大臣です」みたいなあれ。
で、女の子の場合、結婚ってのがある意味就職。恋愛ってのは、恋愛脳の女からしてみれば人生の一大事。そこに夢を持っちゃうのはありうる。
「若い内に女に相手にされなかった、むしろ馬鹿にされてた、だからブサメンは女を叩くんだ!」ってのは、ある意味正論だと俺は思ってたんだけど、
昨日ふと、思いなおした。「将来の夢が医者とか言ってる子供に、IQだの、親の資産だので叩くのはおかしくないか?」って思ったから。とりあえず、子供なら夢を持つのは自然かなあとは思う。
もちろん、高校生にもなって、そういうことを言うと、教師に怒られる。俺も怒られた。図書館長になりたい、理由楽だから(親戚が図書館長やりながら教授だった)。営業マンになりたい、理由将来企業するとき役立つといろんな経営者が言ってたから。みたいな。そういう感じで、書いたら、怒られた。
女も、多分どこかで怒られるんじゃないんかな。高校くらいになると、確かに、運動部の微妙な奴でもそこそこの彼女がいたりしたな。
高校の頃は、こんなに何もないのかと思ったけど。エロ漫画にはまってそっちで楽しかったし。特殊なエロ妄想があったのでそっちでかなり充実してたし。でも、なんだっけ、『みゆき』って漫画であったんだけど。女子高生が体育でグラウンドでブルマはいてるのを主人公と友達が見て、「この風景、大人になったら5万くらいなんだよなー、今の内みておかないと」って描写があって。高校まったく充実してない俺はかなり焦っていた。
大学生になったらなったで、ネットでエロ動画とかが充実されまくった過渡期だったから、死ぬほど今の時代に生まれたことを感謝して抜きまくってたな。そりゃ女に相手されねーよ。っていう。
しかし、最近は、なりたい職業ランキングも変わったらしい。たしか、公務員とかがかなり上位じゃなかったか?大学生だと、さすがに公務員1位、2位が教員とからしいね。でも、小学校だと、全然スポーツ選手とか、医者とかか。う~ん。俺が子供の頃にも、確かに公務員なりたいって同級生いたな。なんか渋いなーって思った。小学生の癖に、「堅実派 安全第一 公務員」みたいな俳句読みそうな奴。
でも、ものすげー納得した。なるほどなあ。将来の夢的なアレだったんだ、イケメン上げ、ブサメン下げみたいな奴って。
でも、親が貧乏な家庭は高卒で働くから、まあ高校入学くらいで現実みるのかもな。女はどうだろう、ブスほど早く現実見て、若さを頼りに結婚したいとか思うんだろうか。まあ、実際イケメンは無理だろって思う感じやろうしなあ。
仏教では、悟るためには正しい師について学ぶことが必要だと考えられている。
「師資相承」や「法脈」という言葉を聞いたことがある人もいるだろう。
仏教に限らず、芸能・芸術・工芸や俳句のような趣味嗜好の分野でも、同じ。
「すべて師匠の言うことに従わねばならない」
「師の言うことには絶対に逆らってはならない」
師匠は弟子を激しく打擲し、足蹴にし、怒鳴りつけ、人間扱いしないことすらある。
なぜならそれは、道を弟子に悟らせるために師匠が心を鬼にして行った意味のあることだから。
それは時にカルト化することがある。
正しくない師(グル)を、それと知らずに選んでしまい、性的なサービスや違法行為を要求される。
(これも道を極めるためには大切なことだ)
と信じてグルの言うことに従い、大きな社会問題となることもある。
いくら危険性があろうとも、一流の「達人」と呼ばれる存在になるためには、
師を選び、理不尽な要求に耐えるのも仕方のない事なのだろうと思っていた私の蒙を啓いたのは、
腹話術も、相当の技術が必要な芸能であり、昔は一流と言われている腹話術師の元に弟子入りして、
技術を修得するのが当たり前だった。
彼は「だれでもできる腹話術」というHow to 本だけで腹話術を学び取った。
それまで誰も成し得なかった技すら開発した。
彼は一流の芸事すら、独学で極められることを同自体の私達に証明した人物である。
東洋の文化は、型を徹底的に学ぶことで芸事を身につけることを重んじるあまり、
「自分の頭で考える」
ことは「序・破・急」で言えば「破」、師匠から学び終えた後に行なうべきことだ。
最初は師匠や先達の言う通りに従うべきだ、という考え方は日本文化に通底し、
それが体育会系の跋扈、中小企業のブラック体質を生み出す元凶となっている。
一流と誰もが認める人の考え方の片鱗を紹介する本や情報を手に入れ、
個人的なことだが、自分は俳句を作るのをちょっとした趣味にしてた
新聞とかに俳句を投稿して、自分の作品が載るのが嬉しかったのだ
だが今はしてない
どうしてかと言うと、大分前に、自分で傑作だ!と思った作品が一つ出来た
自分としてはなかなかの出来なので、すぐには投稿せず、ちょっと一人で眺めていて、一人でニヤニヤしていたのだ
気持ち悪いと思うかもしれないが、とにかくその句を独占して眺めるのがとにかく楽しかったのだ
そんなおり、ある有名の方の句集が出たというので、いつものようにそれをを買って読んでたら、思わず目が止まった
まったく同じではないが、一部の語が同じで使い方も同じ、非常に良く似ていたのである
もちろん、有名な方が私の句をパクったわけではない
そもそも、作った時期だって違うだろうし、有名な方が私の俳句を知る機会なぞまずない
https://ja.wikipedia.org/wiki/正岡子規
俳句の前途より
日本の和歌・俳句の如きは、一首の字音僅(わずか)に二、三十に過ぎざれば、(中略)その数に限りあるを知るべきなり。語を換へて之(これ)をいはば、和歌(重に短歌をいふ)・俳句は早晩その限りに達して、最早この上に一首の新しきものだに作り得べからざるに至るべしと
子規は、この後、明治で俳句は出尽くし終わるみたいなことを言ってる
私が俳句を作るのをやめたのは、この子規の話を急に思い出してしまったからだった
私が傑作と思って作った例の俳句は、どこかへ投稿すればきっと、パクリと言われるに違いない
そのことをどんな抗弁しても、きっと酷く中傷されるだろう
でもそれが嫌で、俳句を辞めたわけではない
私の中で、俳句と言う芸術が、もう限界なのではないかと思った瞬間、ふっとあれほどあった情熱が冷めてしまった
消えてしまった
アマチュアの私は、簡単に逃げられるが、プロの方はどうなんだろうなと時々思う
まだ新しいものを生み出せるとロマンティックに信じているのか、それとも惰性か
佐野研二郎さんはどう思っているのだろうか
話を聞いてみたいものだ