はてなキーワード: プレゼントとは
美少女イラストアイコンのツイ主さん、DMでナンパされる→念のために言うけど、ただの中年男性だぞ!「まだこういうピュアな人がいるのか」
https://togetter.com/li/1746017
この人が本当に女性だったとしてもアイコンは絵なんだからアイコンとそっくりの二次元美少女なわけがないのに勝手に美少女だと思い込んでしまうのはよくあること
はてなでも相手が女だと分かると勝手に即ハボレベルと勘違いしてセクハラコメントする人が多い
画面の向こうにいる女はもしかしたら体重100kg以上あるかもしれないし顔面ニキビだらけで歯なんか黄ばんでるかもしれないし自分の親と同じくらいの年齢かもしれないのにそんな可能性をまったく考えない
バレンタインには漫画の登場人物宛のプレゼントが出版社に届いたりする。
お礼のメッセージも作者の書いた絵でしかないし、登場人物たちは全て作者や編集部によって作られた虚像だ。
「学校で透明な下敷きに好きなの入れるのって流行るじゃないですか。
僕とかも入れてたんだけど、それ見て真似したのか何なのか、
ある日透明な下敷きを沢田が買ってきたんですよ。
それで、『あの下敷きに何が入るのか?』って僕はかなり注目してたの。
で、シャレでも何でもなくて、ホントに石川さゆりの写真が入ってたんですよ。
それで『何、お前、石川さゆり好きなの?』って聞いたら『ウン』って言ってるの。
ちょっとお母さんの『週刊女性』とかそういうのから切り取ったような。
かなりタイプだったみたいで」
―――ちなみに、同時期に小山田さんは下敷きに何を入れてたんですか?
―――(笑)。
「こいつ、高校ぐらいになると、ちょっと性に目覚めちゃうんですよ、それがまた凄くてね、
朝の電車とかで、他の学校の女子高生とかと一緒になったりするじゃん、
そうすると、もう反応が直だからさ、いきなり足に抱きついちゃったりとかさ。
あと、沢田じゃないんだけど、一個上の先輩で……そいつはもう超狂ってた奴だったんだけど……長谷川君(仮名)という人がいて、
そいつとかもう、電車の中でオナニーとか平気でするのね、ズボンとか脱いで、もうビンビンに立ってて(笑)。
いつも指を三本くわえてて、目がここ(右の黒目)とここ(左の黒目)が凄く離れてて、
「沢田はね、あと、何だろう……"沢田、ちょっといい話"は結構あるんですけど……超鼻詰まってんですよ。
『おっ、こいつ、何かちょっとエチケットも気にし出したな』って僕はちょっと喜んでたんだけど、
ポケットティッシュってすぐなくなっちゃうから、五・六時間目とかになると垂れ放題だけどね。
で、それを何か僕は、隣の席でいつも気になってて。
で、購買部で箱のティッシュが売っていて、僕は箱のティッシュを沢田にプレゼントしたという(笑)。
ちょっといい話でしょ?しかも、ちゃんとビニールひもを箱に付けて、首に掛けられるようにして、
『首に掛けとけ』って言って、箱に沢田って書いておきましたよ(笑)。
それ以来沢田はティッシュを首に掛けて、いつも鼻かむようになったという。
それで五・六時間目まで持つようになった。
かなり強力になったんだけど、そしたら沢田、僕がプレゼントした後、自分で箱のティッシュを買うようになって」
「でも別に、仲いいって言ってもさ、休みの日とか一緒に遊んだりとか、
「誕生日、何がいい?」
母親に聞かれて、わたしは喉から出かかった言葉をつぐんだ。別に欲しいものがないわけじゃない。むしろ、ネットショッピングは好きなの方なので、「これいいな」と思うものは結構ある。
けれど、この時ばかりは、何も答えられなかった。
頭が真っ白になって、欲しいものが思い浮かばなくなって、23歳になる、もう結構な大人なのに、思春期みたいに「どうせ言っても意味ない」とばかり考えてしまって、悲しくなる。
どうしようもなく、涙が出てくる。
たった一言なのに、なぜこんなにも涙が出るのだろう。
そう考えて、ぶわりと、過去の思い出が連想されて、蒸し返してしまったからだと気付いた。
わたしは絵をかくのが好きな子供だったので、ペンタブレットに結構なあこがれがあったのだけど、それを母に見せて誕生日にねだったら「何それ笑」と一蹴された。
鼻で笑われてしまって、当時、かなりショックだったことを覚えている。
結局、誕生日プレゼントは古着の服だったけ。それはそれで普通にありがたく着てました。
思えば、それ以前にも、母親はわたしを軽んじている節があったので、よく馬鹿にしていた(いや、まぁ普通に馬鹿な子供だったから普通に馬鹿にしてただけかもしれない)。
だから、中学生の頃は、結構勇気を出してほしいものを口に出した。まぁ、相変わらず鼻で笑われてしまったけれど笑笑。
高校生のときは、ナチュラルに誕生日を忘れられてたっけ。あのときも普通にショックだった笑。
まあそんな母親だけど、ケーキは買ってきてくれていた、ような気がする。
気がする、というのはわたしの記憶にあまり残ってないから。毎年祝われていた感覚がうすい。
なんでうすいんだろう。と考えて、思った。
ずっと母親に嫌われていると思っていたから(実際に嫌われていたのかもしれない)、ありがたみとか、感謝とか、感じてなかった訳じゃないけど、怯えと遠慮が勝って印象にあまり残っていないのだ。
愛されていた感覚がうすい。家事を手伝ったって、「お前にされても嬉しくない」とバッサリ言われるのだから、わたしは常に母親の顔色を窺って生きていた。
だから、子供の頃から、あまりうれしくないプレゼントをもらっても、もらえなくても「祝ってくれるだけでうれしいよ」と模範解答が言えた(実際にその答えは一般的に美徳でもある)。
けれど、大人になって、いい子ちゃんを演じる必要がなくなったときに、抑圧されてきたわたしの中の子供が泣いているのだ。
今更わがままを言ったって大人なんだからしょうがないけれど、わたしの中には確かに、未だ愛されたい子供がいる。
10年余りの時を経て、当時にくらべて随分性格が丸くなった母親に「誕生日、何がいい?」と聞かれ、「ねこちゃん」、とか「イグアナ」とか、まぁ欲しいけど本命じゃないプレゼントを適当に言う。
けれど本心では「どうせ本当のことを言ったって応えてくれない」という思いがある。
子供の頃から親を信じて、期待してきたのに、男を家に連れこんであんなことあこんなことを見せつけられて、裏切られ続けてきた結果、信頼できなくなってしまった。
愚痴のサンドバックにはもうならないように回避できるし、適当に話を合わせられるけど、心から信頼することはもう、できないんだな。
それがとても、かなしい。
たとえプレゼントをもらったって、祝ってもらったって、本心から喜べない自分がいやだ。
もう卒業しなきゃいけないのに、自分の中に子供がいる。どうすればいいんだろう。
つらいな。死にたいな。
「あんたにプレゼントをもらっても嬉しくない」といえたら、どんなにスッキリするだろう。
けれどスッキリするのはわたしだけで、母親はきっと泣いちゃうから。大人として、その言動はどうなのって思うし。
もらえるだけでありがたい、本心でそう思えるような人間だったなら、どんなに良かっただろう。
誕生日に死のう死のうって思っても死ねないアホだもんね、仕方ないね。
こんな、世間一般で見ればくだらないことでもやもや悩むのはもうやめにしよう、と考えて、未だに辞められない日々を過ごしながら、自分と向き合って少しづつ改善できたらいいな。
こうして文章にして吐き出したら、整理できたし、すこしスッキリできたので、今日は泣かずに寝れそう。
おやすみなさい。
自慢ではないが裕福な家に生まれている。
三人とも小学校から私立で上の姉を除きエスカレーターで大学まで上がって、今した二人は結婚して家庭を持っている。
だが両親にはマンションの頭金を貰った時点で今後一切の金銭援助は不可能、遺産は全部上の姉にいくと宣言された。下の姉も同じである。
幸いどちらの旦那も甲斐性があり子育てにも困らないが、はっきりいって腑に落ちない面がある。
それを両親には言ったら姉の話をされた。
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姉妹の中で唯一大学受験をして旧帝に入った。弁護士になりたかったらしい。実際いける頭もあったし留学までしていたのだが結論からいうと姉はニートだった。
大学もやめて以来そのまま実家で家事をしている。両親とも仲が良く、ペットを可愛がっている。彼氏は知らないが友人もいるようだ。
私も下の姉も退学の理由を知らなかったし、姉は体が弱かったからその関係かと勝手に思っていた。それくらいの仲なのだ。
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今だから言うけど…と前置きをされて母親が言うには姉は同級生に性的暴行を受けた。
そして精神を病んで入退院を繰り返した。私が体が弱いと思っていたのはこの時の入退院だったのだが、ただの身体的なものかと思えば精神的なものだったらしい。
そして妹2人は知らないが障害者手帳も持つ程度には日常生活に支障が出ていたようだ。
ただ姉はこの件を誰にも言いたがらなかったので、知っているのは両親と間に入った弁護士の親族だけのようだ。
どうやら姉を暴行したのはうちよりもずっと裕福な家のお坊ちゃんで、多額の慰謝料と口止め料を貰っていた。非親告罪になる前の話だ。
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ここまでが私が親から聞いた話だが、数年後この後の続きが判明した。
姉は両親が思う以上に賢かったのだ。まず相手から取った金を運用に回し、とんでもない額の仮想通貨を持っていた。
そしてその金を不動産投資に回すから扶養を抜けるねと宣言をし、いつの間にか不動産投資でもそれなりの額を稼ぐようになり法人化した。
私にはよく分からないが親族のやり手の経営者曰く姉はセンスが凄まじくいずれ親族の誰よりも稼ぐようになる、とのことだ。
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現に姉は稼いでいる。相変わらず実家住まいだが別に家はあるし、高級車に乗っている。親にプレゼントだと高級旅館での旅行をプレゼントしたり、うちの子にもブランドの服やゲームをしょっちゅう買ってくれる。おかげで子供は夫や祖父母ではなく私の姉にまず伺いを立てるようになった。
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この前、両親と話をした際、そういえばマンションを買った時遺産は全て姉にって言ってたけどどうするの?と聞いてみた。
私としては自分の夫の数倍稼ぐ姉が遺産まで独占するのは不本意なのもあった。
すると両親は遺産は全て姉にする、妹たちには旦那と子供がいるけど姉は一人で可哀想だし事業だっていつどうなるかわからないと断言された。
やっぱり姉は賢かった。思えば両親の愛情は昔から綺麗で賢い姉が独占していて、それは今でも変わらない。自慢の娘はいつだって姉一人で、私と下の姉はそれが居心地悪くて出ていったのだ。
私も子を抱きながら両親は上の姉の子供がいたらどんなだったのだろうと口にする、私が子供の話をすると両親は姉の話をする。両親が大切なのは姉一人なのだと改めて実感する。
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今子供は幼児で一人だ。旦那は2人目が欲しいというが正直兄弟は怖い。私の両親のように愛情が片寄ってしまうかもしれないが旦那はよくわかっていない。
そして今は遅れる生理に少し怯えている
読めば絶対ハマるからと一冊プレゼントされたのだが、正直面白さは欠片も分からなかった
感想を聞かれたから「よく分からなかった」とだけ答えたのだが、これがまずかった
お前はヒーローの良さが分かってないと延々三時間の説教が始まる
バットマンの尋問を受けてるジョーカーってこんな感じなのかなと心を無にして、アメコミ教に入信させるまで帰らないのだろうかと考えていたら殴られた
「バットマンもスパイダーマンもストーリーライン変わらない。新装版ばかり出して一度もストーリーを完結させたことがない。なろう小説と大差ない。」
「てめぇなんがドラム缶に詰めて魚のエサにしてやる」とアメコミヴィランみたいなセリフを吐いて逃げ帰った。
それ以降半年は連絡もきてないから多分大丈夫だと思うが、アメコミ読むとあのように暴力的にならないといけない法則でもあるのか?
母親がいわゆる「友達親子」になりたくて産み分けまでして産んだ娘と全く気が合わなかったという記事を読んで旋律した
私も娘を産んだので
息子なら気が合わなくても男と女は違う生き物だから仕方ないよねーで済むが娘と合わない母親つーのはショックだ
娘は今一歳で衣食住完全に親に依存してるから合う合わない関係ない生活してる
私が母親と性格が合わないので、性格が合わない母娘のシチュエーションはバッチリ
プレゼントを送ったあとにまた送ってねと言うところとか私は家をとっくの昔に出てるのに実家の家電の修理費を払えとか、祖父のオムツ替えを母親はやらないくせに私の妹にやらせようとするところとか
もう亡くなった祖父が昔排尿するときに私に尿瓶を持たせたところとか(大好きなおじいちゃんだったから下の世話をすることに当時なんの疑問も持たなかったけど今思うと立場的に母親が率先してやるべきだろ娘にやらせるなよ私なら父親がおしっこするとき絶対大切な娘に尿瓶を持たせないわ娘が介護士になってお年寄りの世話をすることにはなんとも思わんけどプライベートで祖父の下の世話は絶対にやらせない)
出産はガチャだから陰キャの私から陽キャの娘が生まれるかもしれないし陰キャの私を見て育ち陰キャの娘になるかもしれないし
とにかく子供ちゅーもんは親の思いどおりの人間にさせようとしちゃダメ
たとえ、私が娘に嫌われたって娘が幸せな人生を歩んでくれたらそれでいい。でも葬式の喪主はやってほしいなぁ
とりあえず、旦那の悪口や愚痴は子供には絶対に言わないでおこうと決めてる
母親から父親の悪口を聞かされて心を病むお子さんたくさんいるから……
まぁ、母親が父親の愚痴を言わず飲み込んでても父親が母親を苦しめるような家庭だったら子供は少なからず心を病むから
とても親思いの優しい娘さん。
相手も同じ母子家庭の男性だけど、お母さんを大事にして頑張るお兄ちゃん。
この二人が幸せな家庭を築いてほしいと願って止まない。
私が大学生でアルバイトをしていた飲食店は個人営業の欧州系専門店だったが、
ランチは小さい子供に300円で食事とドリンクバーが付いていた。
ある平日の午後、ランチ客も途絶えた頃に若い母親に連れられた4才の女の子が入ってきた。
母親は金髪もまだらになり、服装や持ち物も質素で疲れた表情をしてた。
女の子も髪が伸び薄汚れたワンピースだったが、とても陽気な子だった。
私は厨房に注文を伝え子供用ドリンクバーのコップを持って行くと
母に教わり女の子はドリンクバーでオレンジジュースを入れ自席に戻り、
母親に「おいしいよママ!いいにおいがするよ」と上気した顔で言って、
私は横のテーブルを片付けに行き見ないようにすると後ろで女の子の嬉しそうな声が聞こえ、
「おかわりしていいの?もっと飲んでもいいのっ!」と言い、
そのあと何度かドリンクバーと自席を行き来してた。
その内女の子のランチが出来、私が席に持って行くと、女の子はキラキラした目で
「ママ、ハンバーグだ!〇ちゃんハンバーグ大好きだよっ!」と嬉しそうに弾む声で言うと、
〇ちゃんは「ママのがまだだよ?」と返事したら母親が「ママはお腹いっぱいだから」と返事したら、
〇ちゃんは下を向いて泣き出した。私はどうしたものか・と思ってた。
そのうち〇ちゃんは「ママ、昨日も食べて無かったよ?」と泣きながら言い、
母親も下を向いて動かなくなった。
「ごめんなさいね~おじちゃん、ママのを忘れてたよw」と言いながら母親の前に置いた。
母親は「すいませんが私は支払えません」と言うと
店長はうちの新規会員カード記入用紙を持って行き「お母さん、これ書いて」と告げ、
母親が記入するとうちの食事券2000円分を差し出し「ありがとうございます!
うちの新規会員様へのプレゼントです!」とか言って母親に渡したら、
そして店長は〇ちゃんの方へ向いていつもの怖い顔でにっこり笑い
「さあ、〇ちゃん、美味しく食べてね!」というと厨房へ帰った。
〇ちゃんは大喜びで母親に「美味しいねっ!ママも一緒のハンバーグだ!」
私は我慢できずに厨房へ行くとシティハンターに出てくる海坊主に似た店長が
涙をぽろぽろ流しながら二人を見てた。
そして食事が終わった後、私が〇ちゃんの相手をしてるうちに店長と母親は話をし、
親子の境遇を聞いていたが、途中から店長は泣き出し、私と店長の奥さんが助けに行った。
母親は孤児で就職先で恋仲になった男性と結婚したが義母から壮絶ないびりを受け、
施設出身者というだけで生まれたばかりの〇ちゃん共々家を追い出された。
必死に働き生きてきたが病魔に襲われ家賃も滞納し強制退去となり、
避難シェルターに行ったがそこでも色んな問題があり行き詰まって・・・という。
店長が19才の時に仕事場でお父さんが無理をし続けた結果脳内出血で倒れ
店長奥さんも人生で苦労されたので、その日のうちに〇ちゃんとお母さんはお店の倉庫で
暮らすことになり、お母さんはお店と他で働き、〇ちゃんは保育園に行くようになった。
店長はすっかりお爺ちゃんになり、ご夫婦共々お元気で、〇ちゃんは二人の孫みたいになってる。
某劇場へ観劇に。休憩時間に劇場内のめちゃくちゃ急な階段で躓いて落ちる。
滑落する、とか転げ落ちる、とかじゃない。落下。2階席だったが、とんだ(?)勢いで1階席へ転がり落ちるかと思ったくらいには落下した。幸い、2階席の一番下の席のあたりに落ちた。
スタッフが二人すっ飛んでくる。一部始終を見ていた他のお客さんが「大丈夫?」「結構落ちましたよ」と口々に言ってくれるが、私は「やべっワンピース破けてないかな、パンツ見えてへんかな」ということを考えていた。肩と肘に激痛があり、ついでに過呼吸のような症状になる。そして若干の吐き気。スタッフに適当な席に座らされ、ちょっとここで休みますといったものの、離席していた元々のお客さんが戻ってくるのでぜえぜえ言いながら自席へ。お手洗いから戻ってきた同行者(夫)が、「息荒いけどどうした?」と聞いてくる。
まあそうなるよね。少し座って休んでりゃ治るだろと思ったが一向落ち着かない。仕方なく席を離れると、心配していたらしいスタッフがすぐに飛んできた。ホールの外の廊下?みたいな場所のソファーに寝かされる。一番は回復されて観劇に戻られることですが、救急車やタクシーも呼べますよ、シップやばんそうこうもご用意できます、と言われ、とりあえずシップをもらい夫に水を買ってきてもらう。
痛みは治まらないが気持ち悪さはなくなってきたので、とりあえず後編観劇終わってから病院いこかな?とか
考えてたが、肩が一切上がらない。病院勤務(放射線技師)の夫は「落ちたとこ見てないし大して腫れてないとは思うけど、病院行っといたほうがいいと思うよ」ド正論。泣く泣く後半をあきらめた。
調べたら歩いていける距離に整形外科があったので徒歩で移動。レントゲンの結果肩の骨(厳密には腕の骨の一番上)が折れていた。嘘やん。
人生初骨折。人生初ギプス(じゃないけどなんか濡らしたら固くなる謎のどでかい包帯みたいなの。後いシーネと呼ぶと知る。取り外せる)
よくよく見たら肘もめちゃくちゃ擦りむいてたし両足も計4か所やばい色のあざが出来ていた。
処置後帰宅し、とりあえず着替えてからだを拭き眠る。薬を飲んでたと言え普通に爆睡した。
夫の勤務先で受診。会う人会う人に「お世話になっております」「こちらこそ普段夫がお世話になっております」とあいさつする。CTの結果、折れているというより砕けていることが判明。撮影自体は別の人だったが、機械に寝せたり説明したりするのは夫で、夫の仕事での一面を垣間見れて面白かった。
受診後即帰宅してコンビニご飯をスプーンでかっくらい在宅勤務を開始。夫も私を家に置いたのち病院へとんぼ返りした。そのまま当直である。
在宅勤務と言っても手を前に出せない(前ならえの姿勢をとれない)のでキーボードが叩けない。打ち合わせ以外はベッドの上に移動し、手の可動域に合わせて足の上にPCを置いて仕事する。ほとんど仕事にならなかった。
暇だったらしい夫から電話があり、夫の同僚からはどう思われてるのだろうと思い聞いてみたら、「トイレ行ってる間に転んで骨折ってたって言ったら「目ぇ話した隙に転んで骨折とか奥さん子どもなの?」って言われた」……うん……ごめん……。
夫が帰ってきたのでようやく風呂に入る。綿の三角巾をしながらシャワー。ほとんど夫に丸洗いしてもらった。
この日は待ち望んでいたアームホルダーが届く。三角巾のせいで首が限界に痛かった。全身体の中で一番痛いの首。腕を折った人、絶対にその日のうちにアームホルダーを買った方がいい。
アームホルダーと一緒に買ったスティックファンデを試す。手で塗り広げるのは無理があった。
この日も在宅勤務する。ワイヤレスキーボードを膝(左手の可動域)に置き、どうにかタイピングする。
終業後夫に頼んでguに行く。パジャマとカップ付きのタンクトップ、それとファンデーション用にスポンジを購入。
左手がこれまでなかったくらい浮腫んで指輪が外せなくなる。やば。肩は固定さえしていれば痛くないが、前かがみになったり肘から下を外側に向けることはできない。痛い。
シーネの下がめちゃくちゃかゆくて対処法をネットで調べたら「ギプスの中に突っ込んでかいかいする棒」ばかりサジェストされ悲しくなった。そうじゃなくてさあ……。
長時間座ってられないのと、仰向けか右向きにしか横になれず、我が家のレイアウト上テレビが見られないので、天井に投影するためにプロジェクターを購入。前から持ってたやっすいスピーカーをつないだら割とホームシアターっぽくなった。骨折以前、プロジェクター購入を勧めても「ええ~いらないよお」と言ってた夫、「もしかして、これ(プロジェクター)とてもいいものなのでは?」「これ、いいねえ……」としきりに言っていた。二コマ落ちすぎんか。
夫に体力を心配され、夕食後に散歩。仕事中は30分以上縦になれないが、結構歩く。
前開きじゃなくても襟ぐり広めの服ならどうにか着られるので、部屋着に買っておいたコットンのTシャツワンピばかり着るようになる。スキンケアのコツをつかんできて、片手でもどうにかできるようになってきた。
シーネの下に巻いてるサポーター(正式名称はストッキネット?というらしい)の代わりにガーゼを巻いたら死ぬほど痒い。肘裏?を掻き壊しかける。
仕事のスケジュールが詰まっていたのでかなり疲れる。なお骨折以降ずっと在宅勤務である。
午前中は初めて一人で洗濯をこなす。ハンガーにかけて干すのはできたがピンチに挟むことはできなかった。
夫が当直。買っておいた冷凍パスタを食べる。包丁と火を使うことを夫に禁じられているのでレンジでチンして食べられるものかカップ麺しか選択肢がない。
夫がいなくて暇なのでやりかけだったFGO2部5.5章の続きをやる。
3度目の診察。今日は肩周辺の専門?の先生?に見てもらう。夫がいないので電車とバスで移動。割とすいていたので問題なく移動できた。待ってる間に5.5章を終わらせる。終盤の勢いに全くついていけなかった。
今年入職したばかりだという夫の後輩にレントゲンを撮ってもらう。初々しくてかわいい。
先生にはシーネが取れるまで2~3か月、ある程度動かせるようになるまで半年、痛みがなくなるまで1年と言われた。なっが……本当は今月洋装前撮りをする予定だったのだが一体いつになるのだろう……。
またこの日は始めてリハビリ科へ。家でもできる簡単なリハビリを教えてもらう。リハビリの担当のお兄さんに「今の肩の状態ですが……あっご職業は?」と聞かれ、「普通の会社員です」と答えたら「ああ、よかった、詳しくないですね」と言われた。ちょっと面白かった。
椅子に登ればピンチに洗濯物も干せることに気づいたが、夫にばれたらめちゃくちゃ怒られそうだな、と思いつつ干す。洗濯物は干せるが皿は洗えない。夫に米炊いといてと頼まれるがお釜が洗えなくて断念する。つらい。
夫が「仕事から帰ってきて買い物して飯作って食べて風呂入らせてこの時間か……子育てってこんな感じかな……」と言い出す
午後から怒涛のノンストップオンライン顔だし打ち合わせで疲れ果てる。
以前よりはひっかかるが指輪が抜けるようになってきた。私が慣れただけなのか浮腫みが収まったのかはわからない。
プロジェクターでアマプラ三昧。前から気になってた「窮鼠はチーズの夢を見る」を夫とみるが夫は途中で寝た。乳首当てゲームで爆笑する。
寝るときは左肩にクッションを入れないと痛かったが、クッションがなくても寝られるようになった。
骨折って以来夕食の準備はすべて夫がやっているのだが、冷蔵庫にあるもので適当に作ることができないので買い物の頻度が激増した。調理の腕は上がっている。
恐れていた月経が来てしまった。お手洗いの度めちゃくちゃ気を使う。トイレ滞在時間が通常時の2倍くらいになった。「骨折った衝撃で止まるかと思った」と言ったら夫に哀れそうな顔をされた。でも周期ちょっと遅れてた。
終業後お夕飯にくら寿司へ。びっくらぽんが二度も当たりチョコとテディのマグネットをゲットする。シロモが欲しい。骨折ってから初めての外食だが、お寿司なら余裕で食べられた。
食べて出てきてまだ明るかったのでいったん家に帰ったのち散歩する。また新たな道を開拓した。
話の流れでドライブすることに。再び帰宅して適当に走る。夜景がきれいそうなところと海沿いとどこ行く?と言われたが「とりあえず適当に走ろうや」と言って適当に走る。海沿いには出たが「わざと波打ち際を歩いて靴をびちゃびちゃにする前科があるから浜辺には下りない」と車を停めてくれなかった。サンダルなのに……
肩はあいかわらず固定さえしていれば大して痛むことはないが、前かがみができるようになってきた。肘から先の可動域も少し広がってきたように思う。
打ち付けた足は、特に強く打ったらしい左のすねと右のふくらはぎがしこりっぽくなってきた。痣はだいぶ薄くなったがふくらはぎはまだ多少痛む。困った。
夫が肉巻きアスパラとオムライスを作ってくれる。確実に腕が上がっている。おいしい。
スマホのリズムゲーを再開してみる。実際はタブレットだけど。割と叩けたが夫に「お前肩どうなってるかわかってんの?」という顔をされる。とりあえず肩に痛みはない。
以前より楽器を習っていたのだが、その先生から腕の調子はどうかと電話がある。ぜんぜんまだ治りそうにないが、様子を見て来月あたりから片手だけでやれれば……と伝える。学生の時にやっていた楽器で、この春からようやく教室に再び習いに行き始めたばかりだったのでつらい。
夫に頼んでユニクロの限定Tシャツを買ってきてもらう。ついでに頼んでなかったクッションも買ってきてくれて大喜びしてたら「これが仕事遅くなって罪滅ぼしにプレゼントを買ってくる父親の気持ちか……」と言っていた。
朝、玄関に置くシューズラックが届き、ほとんど右手だけで組み立てる。やればできんじゃん。左腕の可動域が広がってきたことを感じるが調子に乗ると痛む。掃除機をかけて床を噴き上げ、トイレ掃除もこなした。
シューズラックと一緒にベッドに寝たまま使えるスマホスタンドが届く。快適すぎるだろ。腕折ってなくても便利すぎる。Youtubeを流し見ていたがこのままでは廃人になると思い、午後から近所のスーパーまで歩く。少し買い物をして帰宅。あとは一日某スマホゲーのメインシナリオを読んで(聞いて?)いた。
夫が帰ってくるなり丸洗いしてもらう。2日風呂入ってなかった。骨折ってから初めて湯船に浸かる。風呂に入るってこんな気持ちよかったんだな……。極力夫の手を借りずにできるところまで右手だけでやってみたが、右手の疲労感が半端なかった。
午後から大きめの商業施設へ買い物へ。久々にしっかり化粧する。骨折ったときしばらくコンタクトはお預けと思っていたが、思いのほか片手で入れられた。
夕飯は焼肉へ行く。正直自分でも焼けるが、夫が全部焼いてくれたのをありがたくいただいた。おいしい。
帰ってもう一度風呂に入る。
骨を折ってから初めての出勤。電車がまあまあ混んでいる。一縷の望みをかけて優先席の近くに立ってみたが空いてなかった。まあ立ったままでも問題ないっちゃそうなのでそのまま立つ。乗り換え後は空いてたので念のため座った。
エレベーターで会った別フロアにいる先輩に「腕大丈夫?階段から落ちたって?」と言われ、「えっ階段から落ちたことまでもうまわってるんですか……」と聞いたら「うん。誰に聞いたっけ、増田さんの部署の人じゃなかった気がする」と返され朝からしんどい気持ちになる。
・化粧
・コンタクトを入れる
・手を洗う
→このご時世致命的だな、と思っていたが、家の洗面所でならかろうじて洗えるようになった
→膝に置いてやればできる
・お風呂に入る(一部)
・爪を切る
→厳密にはやすりで削ってる。足は出来なさそうな気がする
・髪を結ぶ、髪を乾かす、寝ぐせをなおす
→髪に関することは本当に何もできない。切ろうかと思ったが前撮りのことを考えると難しい……
・右腕を洗う
→右腕に日焼け止めを塗る、右腕を拭く、もできない
・ピアス
→フックならまだしも一つ石タイプ?というかキャッチがあるタイプは難しい。耳に通すまではできるがキャッチがつけられない
・アルコールをシュッてやる
→自動タイプとか足でやるタイプ超ありがたい。自分で押すタイプは高さによっては無理
・眉毛を整える
→これは今度アイラッシュサロンでアイブロウワックスやってもらう予定
・プラグをさす
→例えばノートPCの左側にある電源プラグをさす、とか。右手でどうにかやるけどすっごいやりにくい。
・コンタクトを洗う
→できなくないが難易度が高い。もうこすり洗いしないで保存液入れてる。1dayとかがいいのかも。
・アームホルダー
→三角巾替わりの。これないと死ぬ。無理。三角巾の場合は首の後ろにタオルを挟むとちょっと楽になる
・トナーパッド、クレンジングシート
→本当にあってよかった、洗顔替わりにもなる。クレンジングシートはビフェスタのが使いやすいしよく落ちる。
・ムヒ
→最強
→夫に火と包丁を使うことを禁じられているので、在宅勤務の昼食はだいたいこれ。紙皿ごとチンするので、皿に移し替えなくていいし(というか多分できない)、洗い物もないのでかなり助かってる。あと純粋にうまい。
おれには2歳年下の妹がいる。
親元を離れても同じ屋根の下に暮らして休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。
妹が彼氏と喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモールで爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前の立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。
住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。
1番心許せる同性は間違いなく妹だ。
おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプの人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的な表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。
反面、妹は臆病で脳天気な人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達に香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。
親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。
でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。
親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。
ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元の中学で失敗したから、と行きたくもない私立の中学を受験して、友達と離れて毎日往復3時間の電車通学に耐えて通った。
姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。
この頃は妹と過ごした記憶がほとんどない。(というかおれの記憶がほとんどない。)
やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。
いつのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金で何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。
おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。
小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。
おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモの映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。
妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在を完璧にこなしている。
反対に今のおれはどうだ?
姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか。
別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。
いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。
おれには2歳年下の妹がいる。
親元を離れても同じ屋根の下に暮らして休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。
妹が彼氏と喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモールで爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前の立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。
住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。
1番心許せる同性は間違いなく妹だ。
おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプの人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的な表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。
反面、妹は臆病で脳天気な人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達に香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。
親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。
でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。
親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。
ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元の中学で失敗したから、と行きたくもない私立の中学を受験して、友達と離れて毎日往復3時間の電車通学に耐えて通った。
姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。
この頃は妹と過ごした記憶がほとんどない。(というかおれの記憶がほとんどない。)
やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。
いつのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金で何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。
おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。
小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。
おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモの映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。
妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在を完璧にこなしている。
反対に今のおれはどうだ?
姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか。
別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。
いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。