はてなキーワード: フェイスブックとは
「面白写真、ラーメン、誰と会った、ペット、子供」と看破していた人がいた。
「ラーメン、面白写真、誰と会った」ばかり投稿しているから、人のこと言えないが。
自分はペット飼っていないから、ペットを投稿することはないが、
自分に全く理解不能なのは、「子供」ネタをどんどん投稿する人。
自分もごくまれに子供に少し関係する話題を投稿することも、なくはないが、
常に「十数年後に、子供、および子供の利害関係者が、このページを見る可能性がある」
ということを、頭に入れている。
なので、子供が不利になる可能性がある投稿は、ゼッタイに行わない。
例えば「子供の失敗談」。
親から見たら「子供の無邪気な失敗」で終わる話が、他人が見たら「子供の人格を疑ってしまうような、深刻な話」
と取る可能性だって、ある。
そうした場合に、「不用意に親がそのような失敗談を投稿したことで、子供の人生が阻害される」ことは、
あってはならない。
ましてや、子供の「実名」や「写真」などは、とてもとても、載せることはありえない。
しかし、世の中には大胆不敵な人がいて、平気で子供の実名や写真をフェイスブックに載せる人がいるらしい。
一種の親バカだが、開き直って「親ばか共和国」なんてページも存在するから、恐れ入る。
http://www.facebook.com/oyabaka.japan
このページが、フェイスブック非会員にも見られるページなのかどうか知らないが、
ここのメンバーと自分は面識も何もないのに、メンバーの子供の写真は「見放題」である。
ということは、変質者がフェイスブック登録しても、見放題な訳だ。
彼らの目を覚まさせるために、「この写真をダウンロードして、自分のブログに貼り付ける嫌がらせをしてやろうか」
とも思ったが、まあ自分も子を持つ親なので、そこまでの凸撃行為は、やめておこう。
「はてなー」には結構高学歴が多い(らしい)ので、増田内に東大OBがいること期待してカキコ。
「東大OBネット、という東大限定SNSがある」と書かれていたので、試しに登録してみた。
意外に簡単に登録できるが、あれ「成りすまし登録」も可能なんじゃないか?
建て付けとしては、
「学士会が定期的にパトロールして、名簿突合して、名簿にない登録を削除する」らしいが、
こういうパトロールって、せいぜい1ヶ月に1回程度でしょ?
「パトロールが来るまで、東大生成りすましが内部をある程度閲覧できる」って、
それは兎も角、この「東大OBネット」って、コミュニティの活動って、活発なのか?
どうも、SNS立ち上がった2005年頃にいくつかのコミュニティー出来たが、
あと、気のせいかもしれないが、年配(60代以上?)と現役生ないし社会人成り立てが多い気がする。
2005年に「現役学生と、学士会メンバーに対して告知」していたかららしい。
なので、働き盛りの30代40代って、あまり「東大OBネット」に来ていないんじゃ」・・・
「東大OBネットに入っている」という増田がいたら、その辺の実情教えてキボンヌ。
「議論を戦わせたい」
さらには邪心として
「シンクタンクや政治系の人と交流して、自分のさまざまな妄想、もとい政策構想案を
多少なりとも世の中にフィードバックさせたい」という思いもあったから。
いろいろと自分のブログで各種政策を書いているが、所詮影響力には限界もある。
なので、東大ネットで、「政策好き」を見つけられないかなあ、と思っている。
※フェイスブックで議論してもいいのかもしれないが、
週末に知り合いと飲み屋で飲んでいたら、その中にこんな論を展開する人がいて「え?なんで?」と思って深く掘り下げて聞いたら納得がいった話。
この論を展開した彼は、ネット上では比較的アイデンティティを確立しており、自分とは一切関係ない人間や、あるときは不特定多数への否定をいつも繰り返していて、ほとんど誰かの意見に同意するのは見たことが無い人物。その上、たまにツイッターでデマなどを流して人間観察を楽しんでいたりもする、・・・が、最近ツイッターは辞めてしまったそうだ。この論を聞いたあとには「辞めたのはもったいない」と思わされてしまった。一応、酔っ払っていたが彼は「ネットに書いてもいいよ」と言っていたので増田に綴る。
クローズドな場所ではなく、完全匿名でもなく、インターネット上で一個人同士が固有のIDを持ってコミュニケーションする場所のこと。ツイッターで言うと鍵垢ではない状態のこと。ミクシィやフェイスブックは閉じている場所として考えるので今回は登場しない。以下「ソーシャル」。
これは最初に聞いた時は「いやいや・・・」と思ったが、ここでは同意した側同意された側ではなく、それを観測している第三者からの視点を考慮する。「見られている」状態。通常誰でも「この人が言ったから」ではなく、「この発言のここに同意」という文脈で同意しているはず。だが、たまたま2度以上、続けてでなくても時間が空いたとしても、同じ人に同意した場合、観測者からすると「この人はこの人の事が好きなのかな」となる。「東原亜希が、同じものを、間隔空けたとしても、2度以上ブログ書いたらそれ死ぬと思うっしょ」と彼は洋酒を喉に流し込みながら言っていた。
一人の人に対してこの隷属状態がたくさんある状態の事を、彼曰く「口語で言うと、なんたら界隈ってやつ」。実のところ何にも繋がってない。なのに「界隈」が出来る。不思議な状態。そしてこの「なんたら界隈」は、そのなんたらがソーシャル上で大きなミスをすると「ほら、あの界隈やっぱダメだ」とグループ化して観測者から批難されてしまう。これは自分としては全く望んでいない状況であるし、なんたらさんからしても全く意味不明であるし、完全に誰も得しない、という論。
ツイッターには「お気に入り」機能があって、それを同意などの際に使っている人間達を英語favoriteから「ふぁぼクラスタ」と呼ぶらしい。これも他者のものを観測しようと思えばできるのだが、少し面倒臭いので、これを上手く使ってる人が多いそう。まったく使ったことが無く吃驚した。だが確かにその微妙なところを埋めるツールとしては非常に便利だと感じた。
誰かに同意をしたいときは必ず何かしら逃げ道を用意する。「普段はこの人の言ってる事理解できないけど、」という書き出しや、同意したあとに「・・・だけど、」と続けて否定をする。そうすると「隷属感」が薄まるんだそうだ。
同意は同意の連鎖を生む。建設的というのはそれをより良くするという意味。否定なしにより良くはならない。同意に対しての否定はなかなか生まれづらい。特にソーシャルでは、Aさんに同意しているBさんに「Aさんの言う事は間違ってる」というのは完全に余計なお世話となる。彼曰く「松屋は人間の食い物じゃ無い、なんて、松屋好きな人にわざわざ言わないでしょう」。
そもそも好意からの否定は、その人に隷属したい場合が多いのではないだろうか。本当にそれを良くしたいと思っているパターンではないだろうか。それならある程度隷属している状態として見られるのは、「同意」からの隷属感よりも健全と考える。
否定は否定の連鎖を生む。全てが建設的なものであれば良いが、ソーシャルではなかなかそうは行かない。学費支援の素敵な話をしてると思ったら、気がついたらアルファブロガーの肉便器のサイゼリヤの小エビのカクテルサラダの話になっている。彼は「それはそれで面白い、話が膨らんでるんだよ」というが、膨らむだけでならまだしも、悪意を持った否定は「宗教的な敵意」を生む、それは良くないと私は考えた。彼にそう話すと「そうだね、でも、僕はまさにそれをクラスタって言うと思うよ」と言われた。確かに考えてみれば「伴侶を選ぶ際には共通した好きなものが多い人よりも、共通した嫌いなものが多い人のほうが上手くいく」とはよく言う。
★フェイスブックを利用した「シンクランチ」というサイトがあるらしい。
フェイスブック参加者とのランチを見繕ってくれる、との謳い文句だったので
覗いてみたが、
「よくランチを一緒に食べるフェイスブック友達を1人申請して下さい。
そうすれば、こちらのシステムが、あなた方にマッチしそうな2人を提案します。
貴方がたが2人で先方が2人、合計4人のランチです」とのことだった。
「ランチを同伴するフェイスブック友達」なんて、いない方が多数派なんじゃないか?
フェイスブック上では同窓会的にオンライン会話している友人がいても、
リアル(オフライン)でもランチが一緒って、まだまだレアだと思う。
このシステム、2×2じゃなく、1×1のシステムに改良すれば、
もっとヒットすると思うのだが。
それとも、1×1だと、
「男性が女性を口説く場になっちゃう」という懸念でもあるのか?
であれば、マッチングを同性だけにしちゃえばいい。
★というか、よくよく考えたら、
フェイスブック参加者だから、氏素性は確かなケースが多いだろうし、
仮に匿名や虚名でも、友達の顔ぶれを見ていれば、なんとなく人となりはわかる。
「リア充」であっても、「異性との出会いがない」と嘆く人も多いから、
フェイスブック日本支社は、「少子化解消へのお手伝い」として、
フェイスブックを使ったお見合いシステムを、シャイな日本人のために
売り出してみてはどうか?
途中空白期間があって終業後に週3回くらい皇居を1-2周するようにしてたのが2年前、
また空白期間があって去年の10月ごろからnike+を使い出して累計470kmくらい走っている。
この1-3月は生活環境の変化があったり寒かったりでほとんど走らなかったけど、4月からまた再開。
そんな、断続的なランニング習慣を持つ男、29歳。185cm,約90kg。
(体重約90kgというのは生涯最重量。重たすぎるしみっともないので
走ることでどうにか痩せたいという思いはある。
加藤嘉一氏の今日のダイヤモンドオンラインの記事にあった184cm,68kgという数字に自分はひどく打ちのめされた。
私は、身長と年が近いということもあり一方的に負けたくない気持ちがあるようだ。大負けだが。
先月は150km走った。だいたい週に4回くらい走ってて、ペースは平均して6分/kmくらい。
何で続けられているのかよく分からないが、わりと義務的に走っている感じ。
1週間のノルマを消化しないと気持ちがわるい。
少なからず達成感を感じている。
しかし、よくある劇的な体の変化というのはまだ無くて、
体重はぜんぜん減らないし、体力は多少は付いてきたなあと思う程度。
あと2ヶ月くらい継続するとなにか変わるかもしれないけれど、
1ヶ月続けられた理由をよく整理して、今月も継続していくための何かを見出したい。
他のことに応用が利くかもしれない。
ランニングとは息を切らしながら、辛い思いをしながらやるものだと思っていたから
走ることを習慣にしようとしていた頃は、正直、走ることには抵抗があった。
しかし、評判の金さん(金哲彦)の本を読んで学んだ、
LSDという、息が上がらない程度にゆっくり走るというトレーニング方法と、
それらを実践してみたら、想像以上に楽に走れるのにびっくりしたことがあった。
なお、やっぱり寒い日、暗い日、雨の日はまだ走ることに気合がいる。
走ることは楽しいかというと、最初は楽しいけど、すぐ飽きる、というのが
去年からひどく風景の良いところに転勤となって、また、出張が多いので、
自宅の家の周りを走るだけでも楽しいし、
しかし、少なくとも自分の近所を1ヶ月も走ると、正直な話、飽きる。
飽きたからといって走るのをやめるのもバカらしいので
週末は車で近場まで出て、違ったところと走ると目先が変わってよかった。
どこを走っているのか分からない、ちゃんと帰れるのか分からない、というどきどき感があるのが
nike+の自分のランニングのペースを見てもあまり改善が無いのを見ると、
何のために走っているのか分からず、モチベーションが落ちることがある。
ちゃんとストレッチをして疲れを残さないようにして連日走ってもタイムが
落ちないようにすることや、
メリハリをつけて、早く走る日、ゆっくり走る日、と目的を持って走ることで
走行時間にモチベーションが左右されないようにすることが必要だと思う。
今まではとりあえず走ることが第一の目的だったので、足の疲れなど関係なく走っていた。
一時はそれと思われる感覚を覚えていたが、
最近はあまりそういうことは無いので、ランニングハイを味わいたくて
走るわけではないと思う。
TBSラジオJUNKのポッドキャスティング。これは聞いてて楽しいが、
走る楽しさとは直結しているのか、疑問。
ただし、何かしら愉快なものを聞いていないと走れない。
加藤嘉一氏に言わせると、英語のニュースを聞いて英語を勉強して中国人に伍せ、ということになるのだろうが、
正直、退屈で、ランニングをする気をそぐような気がして気が進まない。
フェイスブックに今週走った距離を載せていて、ありがたいことにそれなりに反応がある。
それを達成しないと恥ずかしい気持ちになるので足りなさそうなときは週末に
まとめて走ったりしている。
しかし、平日に30km、週末の土曜に10kmであれば自分には達成が難しい距離ではないので、
だいたい余裕をもって達成しているのでたのしく皆さんに報告している。
また、単に走った距離とちょっとしたコメントを投稿するだけでは
やはり反応が薄いし、いいね!してくれた人にもなにか申し訳ないので、
なにかしらネタを走りのトピックに絡めようとちょっとした目的ができるので
それが自分の中で飽きる気持ちを軽減させているのかもしれない。
NIKE+のGPSの機能を使って走った軌跡で絵を描いてみたり、
どうやら酒を飲むため、飯を食べるための罪滅ぼしとして走っている気がする。
自分への餌としては良いのかもしれないが、本末転倒もいいところだ。
ダイエットのために走っているという目的を完全に見失っている。
走っていればそのうち痩せるだろう、いくら食べても大丈夫だろう、
という根拠の無い思い込みがあってのことだと思う。
150km走っても、12,000kcalしかカロリーは消費しておらず
ほぼ毎日飲んでいるワインを1本(570kcal)飲むのをやめると逆にお釣りすら来る計算だ。
体重が減らなくてもモチベーションが保てているのが正直不思議なところだが、
痩せるという目に見えるフィードバックがあればもっと走るモチベーションも
上がるだろうし、体も軽くなれば走力も上がるはず。
食事内容はもう少し意識しないとならない。
しかし、この食い物という餌、モチベーションを無しにしてしまうと、
レコーディングダイエットなり、節酒なりを取り入れないと
今月もカロリー収支は大負けすることになると思う。
レコダイ、やってみるか。どうせ続かないが。
走ること自体はイヤではない。自分が飽きないための工夫。
毎週末は遠出して走る。
あたらしい良ポッドキャストを発掘する。
あたらしいトレーニング方法の検討。ペース走とか、ビルドアップ走とか?よく分からんが。
など。
いきなり食うものを減らすのはレコダイ的には反動があるはずなので、
まずは、気にする。気にする習慣が出来たら削ることが出来るものから削っていく。
こんな感じ。また来月も書く。
占拠運動を支援する10の方法 Sarah van Geider
あなたが占拠運動の力を盛り上げるにはどうしたらいいでしょうか? 以下に出発点をいくつかあげておきましょう。
1.近くの占拠スペースに顔を出そう
http://www.occupytogether.org/ で手近な占拠場所を見つけよう。彼らがフェイスブックのページを持っているか調べよう。テントかビニールシートを持って滞在しよう。あるいは単に立ち寄って人々と話し、集会に参加してプラカードを掲げたり食事の準備を手伝ったりしよう。
2.自分でも占拠を始めよう。
友だちや知り合いに声をかけよう。いつもはいっしょに活動しない人にも手をさしのべて、99%をもっと適切に代表できるようになろう。何をなぜ占拠したいか話し合おう。
3.占拠中の人々を支援しよう
ほとんどの場所は食料、暖かい衣服、毛布、ビニールシート、寝袋、通信設備、お金を必要としている。ツイッターで#needsofttheoccupiers を検索して、地元の占拠民たちのリアルタイム更新をチェックしよう。
4.議論やティーチインに参加しよう
多くの占拠場所は、今の時代の重要な問題に関するワークショップや議論を開催している。議論に入ろう。本書や「YES!マガジン」など共有したい資料を持っていこう。聞いたことのない視点に耳を傾け、自分の視点も共有しよう。
自分が99%の一部となった話をフェイスブックやツイッター、ブログ、雑誌の読者投稿などに投稿しよう。共有すれば、他の人も自分が一人では無いとわかる。コミュニティに洞察が加わると、私たちの力は増す。
6.メディアになろう
自分のビデオカメラやカメラ付きケータイ、ラップトップなどを持ってきて占拠について報道しよう。抗議の人間的な側面に注目しよう。参加している人々の顔を示そう。
7.この瞬間の意義に名前をつけよう
99%にとって世界をよくするにはどうすればいいだろう? 自分にとって一番重要な問題について発言しよう。「私は99%だ」の一言を入れるように。
8.役人が占拠を敬意を持って扱うようにさせよう
ウォール街のズコッティ・パークからの排除は、大量の市民による抵抗により回避された。大規模な一般の抗議により、オークランド市長はイラク帰還兵一人に重傷を負わせた暴力的な警察の攻撃について謝罪した。他の占拠も支援が必要だ。地元の役所に、99%の集会権を尊重しろと伝えよう。
暴力はこの運動をひどく傷つけかねない。暴力を愛情込めてしっかり阻止する方法を学び、自分の知っていることを教えよう。
10.気長にいこう
この運動は長期的に続く必要がある。幻滅しないこと。99%に奉仕する社会を求める声は消えない。運動の発展を助けよう。
魔人はすでにビンを出てしまった。人々はもう富と権力を99%から1%に系統的に移転するのを容認したりはしない。この驚異的な指導者なき運動では、参加する99%の一人ひとりが歴史を作り上げる一助となる。
Timeline of Occupy Wall Street
初めてまだ1ヶ月。ちまたで話題になってるインセンティブ制度による報酬はまだもらってない。アカウント画面に表示される報酬見込額は既に数千円にのぼっていて自分のブログのアフィリエイト収入をとっくに超えているが、実際に振り込まれる確定額の表示は未だ0円のまま。確定額は月1回更新のはずなのに一ヶ月たっても更新されない。報酬目当てのまとめ乞食を釣り過ぎてお金尽きたのかな、とか考える。
初めはコツコツ時事ネタや興味あるネタを丁寧に編集していたが、同じネタを扱った他の人のまとめがあっさりと数万ビューのアクセスを稼いでいて、しかもそれが、マスコミサイト一つからの数行の引用とTwitterの反応だけの記事でしかないのを見て、自分も同じような手抜き記事をいくつか作る。しかしビュー数が同じように数万に行くことはない。どうやらTwitterやフェイスブックのお友達が多くないといけないみたい…
ビュー数は突然増える。
まとめ作成してトピック設定しても丸一日は全く人が来ない。しかし忘れた頃に、NAVERまとめのアカウントがTwitterでつぶやいてくれて一気に拡散する。トップに表示される注目まとめ、定番まとめに入ると恒常的にビュー数が増えていく。
はてブ数の多さとページビュー数の多さは比例しない。人気エントリー上位に入るくらいはてブを集めてもビュー数は思うより増えない。同じ数だけTwitterでRTされたほうがビュー数は増える。
リンクを直接貼るより、サイトのキャプ画像を貼ったほうが人が集まる。リンクより画像、テキストより画像。
ネタは分割してまとめること。「ドラクエネタまとめ」よりも「ドラクエのモンスターのまとめ」よりも「ドラクエ1のモンスターまとめ」よりも「ドラクエ1のスライムのまとめ」みたいな。
同じネタを扱った後発まとめでも丁寧に作ったほうが最後はビュー数で勝つ。あっさり数万ビューを集める手抜きまとめにげんなりしても、丁寧に情報量多いまとめのほうが最終的に人が集まる。
一個人では影響力がないので、支援のブクマやツイートなどお力添えしていただけると、うれしいです
「NPO法人 キャンサーネットジャパン」(http://www.cancernet.jp/)はどういう団体なのでしょうか。
というのも
友人が、ボランティアをしているというので、何をしているのかと聞いたところ
1)フェイスブックとツイッターのアカウントを取るよう指導される。
2)キャンサーネットジャパンや、かるてぽすと、キャンサーチャンネルのツイートには公式リツイートをする。
2)同じく上記のフェイスブックのページにいいね!を押しまくる。
のが社会貢献だとして作業させられているというのです。
さぼっていると怒られるというのです。
公式リツイートや、いいねは、本人がそう思うから行う行為であり、ボランティアとして命令されて仕事としてやることではないと思うのです。
それが社会貢献だと信じて行っている、がん患者である友人は、ある種の洗脳を受けているのではないかと心配になります。
そうしたら
http://anond.hatelabo.jp/20101030222916
の書き込みを見つけました。
大きな活動をしている団体のような気がしますが、これだけの活動をしている患者支援団体に
我々が日頃、新聞や雑誌で目にするような有名な患者会の人たちが参加していないのも気になります。
【関連リンク】
キャンサーネットジャパン : http://www.cancernet.jp/
キャンサーチャンネル : http://www.cancerchannel.jp/
かるてぽすと : http://www.kartepost.info/jp/
>ガガが外国で悪女キャラとして受け入れられている → だから日本でも悪女キャラが増える
>となるか?
おいおい、勝手に書き換えておいて論理が破綻してるはないだろう。
「ガガが外国で悪女キャラとして受け入れられている → 日本でも悪女キャラ認識している人間はいるし悪女キャラと取ることはできる」
となる。それだけ。
「傍証になるだろ」とか自分で言っちゃって、言ったそばから自分でひっくり返して。何がしたいの?
むしろ問題は、
>それに対して、外人持ってきたところで、何の回答にもなってないわけ。
これ。
これだけツイッターだフェイスブックだで情報がフラットに行き来できる状況の中で、そのクニの壁の高さは一体何なの?
テレビ脳くん。
起業に必要なのはそもそも能力じゃない。「カネとシゴトを引っ張る力」ただこれだけだと思う。
いや、俺はITな人じゃなくて単なる自営業者だからそもそも土俵が違うのかもしんないけど。
でも、それって逆に言えば「そこさえクリアすれば敵は少ない」ってことでもあると思うのね。
だから、若手があんまり起業するようになると困るな。俺のパイ減らさないで欲しいよ。
日本じゃ「若くして起業した」ってだけである種のカリスマ性になるわけだし。
みんなが「ノマドが・・・」とか言ってる間に俺は金持ち口説いて出資を得てたわけで。
若い世代はみんな揃ってマト外れなことしてて欲しいな。金持ちの絶対数は限られてるから。
みんなドラッガー読みながらジョブズのご尊顔を拝んでノマドノマド言ってフェイスブックで交流して講演会に感動してればいいと思う。
ところで「ノマド」って言葉の枠の中に自分をハメ込んで属性付けをしてる時点で、原義から言えばそれノマドじゃなくね?
というか、おまえらただのおくれて来た脱構築主義者じゃねーか。40年くらい前に流行った概念の名前変えただけだろ。
乙武氏周辺騒動のアレコレを見ていて思ったことを。傍観だけど。ツイッターのアカウントないから。
具体的にはこういうの。
基本的には自分は乙武さん批判派っつうの?きのこ派?っていうのか?探耽求究さんという人がものすごいド正論言ってるように見える派っぽいなという自覚があるんだけどたけのこ派の批判が嫉妬がどうとか努力が足りんとかばっかりで全然クリティカルにキてないのでなんか延々もやもやしていて、
そこでふとこれを見たらちょっといろいろ繋がった。
kyamonohashiというひと?のツイート、
手足が無くても頑張れる、と言う希望を示そうとしている乙武さんだけど、例えば手足の無い他の方がそれを見て「あいつは恵まれてるから」「例外だから」と妬んだり嫉んだりする可能性だったあるにはあるのか。
手足がなくても頑張れる、という希望がおおっぴらに晒された時、「手足がなくて頑張れない」人間はどういう立場に立たされるかっつうと、努力が足らん根性鍛えなさいの精神論教信者に食いつぶされる側にしかなれないんだよね。それか従来の「かわいそうな障害者」枠。
現に乙武さん応援派で非乙武さん的障害者をそこから出してやろうとするやついねーじゃん。むしろみんなそこへ叩き込もうとばっかりしてる。
だから叩き込まれる側は、大人しく叩き込まれるか、「努力が足りない」とかいう問題じゃなくて向こうが恵まれてんだっつうのー!という論を組むぐらいしかなくなる。
「恵まれてる人を妬んで、それで誰が幸せになるの?」とかほざいてるのがいるけど、少なくとも不幸自己責任論の渦中にブチ込まれるのは回避できるよ☆
恵まれてない人は恵まれてる人と違って、誰も助けてくれないという点でサイコーに恵まれてないことがほとんどだと思うんだけど、
誰も助けてくれないのならば自分で自分を助けてやるしかないじゃないか。
っていうのをなんか判ってないしたぶん許さないのですねたけのこ派は。妬みとか言っちゃうんだもんね。
うぜえだろうなあ。
「誰も助けてくれないのなんて当たり前、みんな同じ」「そこで助けてって言ったり、障害を個性にしてネタにするくらいのとっかかりを作ってくれないとこっちも手が出せない」とか言う奴が出てくるよ。出てくるっていうかすでにいるのよこの胸の中に。
一匹ならともかくハエの群れのようにわんわん湧き出てきて声が延々こだまするのよ。
えー話を戻すが「そこで助けてと言えない、ネタにできない」ってとてもデジャヴなフレーズじゃございませんか。
そう、ちょっと前のNHKの三十代無職男性が生保とれないだの餓死するだのっていうあの騒ぎでございますよ。
言えねんだよな。何故か。何故だか。いや何故って他人の負担なんかなりたくないからに決まってんだが。
何なのかな。何なのでしょうかねこのテニスボールをネットのあっちとこっちに分ける何か目に見えないくせに決定的な要素のようなものがある感は。
ジョジョだっけこのボールがどっち側っての。ジョジョでは「運命」だったっけ?
何処ってそりゃボールの落ちどころがどっち側でもいいようなところに決まってるんだけど、それはつまりたとえばこの俺がネットの両側を行き来できる必要があって、最悪俺一人でもラリーをかませるようなことになってないと話にならんのだけど、たとえを外すと要するに「お前助けるのなんか別に負担じゃねーよ」っつって軽々と誰かに手を差し伸べられねばならないってことなんだけど。その手を払いのけられること前提で、手がダメなら他のもの、人脈でも金でも選挙権でもなんでも使ってやらねばならないってことなんだけど。
なんか乙武さんには無理そうですね。手ないし。物理的にもないけど、いじめられっこに関係するツイートがアレじゃ義手つけても厳しい。根っこがアカン。
いやその実俺にもムリだけどね。少なくとも人脈と金と選挙権は厳しい。
ツイッターもミクシーもフェイスブックもやってない真性ぼっちのワープア、しかも都政はあの小心者が担うのを食い止められなかったレベルの一票。
正直に言うと手自体厳しい。ワープアは身体と心が資本なのに手を払いのけられるついでに豆腐メンタルが潰れそうで、いちいち成形しなおすのに他人の手が要るレベル。
でも「誰も助けてくれない」。いやいいけど助けとか。俺の豆腐はまだ平気なんで、誰か他の砕けたガラスハートの欠片を集めて火にかけてまた作り直してやっておくれ。
どうでもいいけど何か昔のディズニーアニメで一人ラリーするウサギいたよね。イソップ寓話アニメ化したやつで『ウサギとカメ』に出てくるウサギで、レースの前座に俺こんな足はえーんだぜーっつってカメに見せつけるためにボールより素早くコートを行き来してた。肝心のレースでは確かカメがクビ伸ばしてゴールインして勝った。
追記:
さらにどうでもいいんだけどツイートまとめ読み返してたらものすごい気持ち悪いのが結構いてマジ引いた。いわゆる「信者」ってやつですかあれは。
フェイスブックやっていたら、たまたま中学時代の同級生を発見してしまった。中学時代の友だちなんか殆ど連絡が途絶えていて
当時の記憶が蘇ってきて変な気分になった。もう10年以上経ってる。
その人は地元に居てサークルのようなものをやっていて、そこでやってるメンバーも4~5人
知ってる同級生だった。あっという間に「うわー」となり、眩暈がしてきてしまった。
というのはその中にAというのがいて、当時ペッティグをし合ったそういう深い仲で、時々あのA今何してるんだろ
と2~3年くらいにいちど忘れた頃に頭をよぎる。
Aは当然老けていた。
Aはサークルに入って何かするようなキャラじゃなかったから驚いたし、地元を離れてるか、
そうじゃなくても中学時代の友だちと一緒につるんでる事が何より意外だった。
Aの現状を知ってしまった今どうやって複雑な感情を処理するか悩んでいる。
A一人だけならそんなに難しくないのだけど、上述のように同級生とネットワーク化してるので
こちらの弱みを握られているというか、立場が劣位に感じられて、この現状を打破したい。
フェイスブックとかでよく子供の写真を載せているやつがいて、それに対して「かわいいですね」とコメントするかなりいい人がいるけど、実際はかわいいなんて思ってないでしょ、さすがに。私はうそつくことができないです。
ほかに気になるのがあったら、追加していただきたく思います。
入社直後から、体調不良でよく休み、人事に怒られ、落ち込んで夜眠れず、また体調不良の負のループ。
人事の言葉はいつも辛らつだった。「期待していたのに裏切られたわ」と、入社一ヶ月で言われた。お前に騙されて採用したと。
「お前は頭がおかしいから、精神病院を受診しなさい」と、病院のリストを渡されて、今すぐ電話をして予約しなさいと迫られた。予約するまでこの部屋から出さないと言われ、頑なに拒否し続けて、気づいたら三時間経っていた。安全配慮義務おそるべし。
あれだけ抵抗したものの結局、辛すぎて自分で心療内科を受診することを決めた。薬を飲んでも、辛いままだった。一ヶ月経った頃、休職することにした。
復職したら、閑職に回された。当然だ。自分の作った書類は、4人の先輩がチェックした。本当に厳しかった。思い出したくないから書かない。人事部の近くの席で、「一度悪いことをした人は、また必ず悪いことをするわ」「また間違えて精神病患者を採用しないためにはどうすればいいだろうか」「やっぱり現役で有名大に入った人は打たれ弱くてだめね」なんて聞こえてくる。僕は罪をおかしたのだろうか。
就業規則には、著しく精神に異常のある者は解雇されると記載されていたが、解雇はされなかった。自己都合退職をして欲しいのかと思えば思うほど、意地を張って、耐えた。
休職前は仲の良かった同期や先輩が、休職を期にどっと離れて、復職後も少しずつ離れていった。今思えば復職後の方が、精神の状態が悪化していた。心配してくれた人につい愚痴をもらせば人事部に密告され、と言うことが何度かあり、誰に対しても、心を開けなくなっていたからだ。
一度、珍しく一人で書類整理を任された時に、自分より先にうつ病で退職した先輩の名前が書かれたファイルを見つけた。中を開くと、発症前後の行動、メールを裏ルートで抜き出したログや、経過などがボロクソに記されていた。僕の記録も必ずあるはずだとゾッとした。
管理職の何人かは「お前は必ずやり直せる。焦らずに、少しずつ回復していけ」とこっそり励ましてくれたけれど、うつ病患者となり飼い殺されている僕を笑う同期や先輩たちの心無い言葉に負けそうになった。いや、完全に負けていた。
それでも、最後のプライドで意地でも居座ってやると思っていたし、「僕には他に行くところなんてない」と思っていたけれど、結局転職した。業界では平均年収の高い企業だったが、僕の給与はとても生活できないものだったからだ。
「もう限界なので、退職します」と話した時、応援してくれていた課長は、残念だと言った。その瞬間から、上司と部下の関係が終わった。
人事から「よく見つかったね」「今より給与下がるでしょ?いいの?」最後の最後まで嫌味を言われたが、耐えた。
それでも、所属部署の人たちが送別会を開いてくれて、お花をいただいた時、「頑張ってね」とエールを送っていただいた時は、会社に何一つ貢献できなかった事を本当に情けなく思った。
入社当時は仲の良かった同期や先輩は、最後までノーコメントだった。何度も退職する人に色紙を書いてきたが、自分はそのようなものをいただく権利はなかった。一人で帰路につく僕を、営業部のやつらが笑っていた。僕は彼らに、何か悪いことをしたのだろうか。
それ以来あの会社の人とは会っていない。
転職して2年が過ぎた。会社を辞めてすぐに、心療内科を卒業した。本当にあっさりと、「もう薬を飲まなくていいですね」と主治医は言った。その半年後に、内臓疾患が発覚した。やっと、あの身体のだるさの本当の原因が分かった。これは今でも治療を続けている。
時々、あの会社の人たちにとっての僕は、今でも人間のクズなのだと思うと、叫び出したくなる。忘れているに違いないけど、完全に記憶を消し去れるわけではないのだ。フェイスブックやツイッターで、会社を賞賛する元同僚の書き込みや、同期同士の飲み会の写真を見て、絶望したりする。そう、僕は2年経っても、縛られ続けている。
今の会社では普通に過ごしている。可もなく不可もなく。取引先のやり取りもチェックなしに進めさせてもらえるし、たまに褒められたりする分、僕なりに成長したのではないだろうか。しかも、こんな僕に前の会社より高い給与をくれる素晴らしい会社だ。
僕はこの会社で罪を償いたい。もっともっと利益をもたらせる社員になる。
そうすれば、いつか許される日が来るだろうと信じている。