2016-12-14

一部の層に"できない子"の存在が見えなくなっているのではという話

今秋、人工知能による東大合格を目指していた「東ロボくん」がその目標を断念したというニュースがあった。AI文章の読解(意味理解)が苦手である、というのが大きなネックだったようだ。

このニュース自体は、現在自然言語処理限界という観点からはそれほど驚くにはあたらない。だが同時に一つの問題が提起された。

「AIの性能を上げている場合ではない」──東ロボくん開発者が危機感を募らせる、AIに勝てない中高生の読解力 - ITmedia ニュース

AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?(湯浅誠) - 個人 - Yahoo!ニュース

文章意味理解できない東ロボよりも、得点の低い高校生がいるのは、どういうことだ?」

「この高校生たちは、文章意味理解できているのだろうか?」

義務教育で、教科書文章を読める力は本当についているのだろうか?」

その実例として挙げられているのが次のような問題である

例えば「仏教東南アジア東アジアに、キリスト教ヨーロッパ南北アメリカオセアニアに、イスラム教北アフリカ西アジア中央アジア東南アジアにおもに広がっている」という例文からオセアニアに広がっているのは(   )である」という文の空欄にあてはまるものを選ぶ問題がある。

文章をしっかり読めば、答えがキリスト教であることは明白だ。しかし、全国約1000人の中高生のうち、約3割が正答を選べなかったという。他にも問題文に回答が書いてあるような同様の問題で、文章を正しく読み取れない生徒が一定割合存在しているという。

複雑な論理関係や推論の必要ない、むしろほとんど同語反復に近いこの問題に、中高生の3割が誤答したという。

この問題は文中の語の意味理解することを必要とせず、文中の語と語の関係だけから答えを導くことができる。すなわち"AIが解ける"レベル問題なのに、である

この事実は、ある種の人々にとって衝撃的なニュースとして受け止められたようである

だが個人的にはむしろ納得のいく結果であると感じている。自分公立中学校に通っていた時の実感と合致するからだ。"そういう子"は間違いなく、そして少なからずいた。

この"実感"を言葉説明するのはなかなか難しい。音読は(一応)できる。目で文字を追って発声することはできる、が、その文の意味が明らかに理解されていない。あるいは会話をしていて「アルファベータカッパらったらイプシロンした」くらいならまあ通じるが、「アルファベータカッパらったらイプシロンしたけどデルタがゼータにイオタしたかベータデルタシグマった」みたいになるともう通じない。時間をかけて一つ一つ説明すれば通じるのだが、とっさには理解されない。中学の段階でそういう子は間違いなくいたのである

40人のクラスで3割と言えば十数人というになろうか、決して盛りすぎとはいえないと思う。

しかし、ある一定の層、特にある程度以上の学歴があって、社会でもリーダーシップを取っているような層の人にとってこの結果が衝撃的だというのは、つまりそのような人たちに"そういう子"の存在が見えていなかった、ということだろうと思われるのだ。

ある種の人達に、別のある種の人達存在が見えなくなっている、それは社会にある種の分断を生んでいるのではないか

"そういう子"が見えなくなる背景には、中学受験存在があるように思う。少なくとも都市部では、親に経済的余裕があって子ども学力一定以上なら中学受験は当たり前になっている。それも今に始まったことではなく、もう数十年に渡ってそうなのである

中学受験してしまえば周囲は一定以上の学力の子ばかりになる。彼らはそれ以降"そういう子"とはぜんぜん関わらずに過ごすことになる。

もちろん中学受験組も、小学校公立であればその間は読解力の低い子らと一緒くたに過ごすことになる。だが、小学生の段階ではそういう観点から相手客観視するまでには至らないだろう。

そして思春期以降は一定水準以上の仲間たちに囲まれ小学校の頃にいた "(なんとなく)できない子" の多くがその読解や学習上の困難を克服できぬまま中学を巣立っていくことも知らず、やがてそういう子らの存在を忘れてしまう、こういうことがひょっとして起きているのではないか

もしそうだとしたら、それは社会的な分断以外の何物でもない。

学習に困難を抱える子どもをどうケアするかというのはもちろん大きな課題であるが、もし社会にかような分断が生じているとしたら、その克服も一つの社会的課題だろう。

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