今秋、人工知能による東大合格を目指していた「東ロボくん」がその目標を断念したというニュースがあった。AIは文章の読解(意味の理解)が苦手である、というのが大きなネックだったようだ。
このニュース自体は、現在の自然言語処理の限界という観点からはそれほど驚くにはあたらない。だが同時に一つの問題が提起された。
「AIの性能を上げている場合ではない」──東ロボくん開発者が危機感を募らせる、AIに勝てない中高生の読解力 - ITmedia ニュース
AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?(湯浅誠) - 個人 - Yahoo!ニュース
「文章の意味を理解できない東ロボよりも、得点の低い高校生がいるのは、どういうことだ?」
例えば「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている」という例文から「オセアニアに広がっているのは( )である」という文の空欄にあてはまるものを選ぶ問題がある。
文章をしっかり読めば、答えがキリスト教であることは明白だ。しかし、全国約1000人の中高生のうち、約3割が正答を選べなかったという。他にも問題文に回答が書いてあるような同様の問題で、文章を正しく読み取れない生徒が一定の割合で存在しているという。
複雑な論理関係や推論の必要ない、むしろほとんど同語反復に近いこの問題に、中高生の3割が誤答したという。
この問題は文中の語の意味を理解することを必要とせず、文中の語と語の関係だけから答えを導くことができる。すなわち"AIが解ける"レベルの問題なのに、である。
この事実は、ある種の人々にとって衝撃的なニュースとして受け止められたようである。
だが個人的にはむしろ納得のいく結果であると感じている。自分が公立の中学校に通っていた時の実感と合致するからだ。"そういう子"は間違いなく、そして少なからずいた。
この"実感"を言葉で説明するのはなかなか難しい。音読は(一応)できる。目で文字を追って発声することはできる、が、その文の意味が明らかに理解されていない。あるいは会話をしていて「アルファがベータをカッパらったらイプシロンした」くらいならまあ通じるが、「アルファがベータをカッパらったらイプシロンしたけどデルタがゼータにイオタしたからベータがデルタとシグマった」みたいになるともう通じない。時間をかけて一つ一つ説明すれば通じるのだが、とっさには理解されない。中学の段階でそういう子は間違いなくいたのである。
40人のクラスで3割と言えば十数人というになろうか、決して盛りすぎとはいえないと思う。
しかし、ある一定の層、特にある程度以上の学歴があって、社会でもリーダーシップを取っているような層の人にとってこの結果が衝撃的だというのは、つまりそのような人たちに"そういう子"の存在が見えていなかった、ということだろうと思われるのだ。
ある種の人達に、別のある種の人達の存在が見えなくなっている、それは社会にある種の分断を生んでいるのではないか?
"そういう子"が見えなくなる背景には、中学受験の存在があるように思う。少なくとも都市部では、親に経済的余裕があって子どもの学力も一定以上なら中学受験は当たり前になっている。それも今に始まったことではなく、もう数十年に渡ってそうなのである。
中学受験してしまえば周囲は一定以上の学力の子ばかりになる。彼らはそれ以降"そういう子"とはぜんぜん関わらずに過ごすことになる。
もちろん中学受験組も、小学校が公立であればその間は読解力の低い子らと一緒くたに過ごすことになる。だが、小学生の段階ではそういう観点から相手を客観視するまでには至らないだろう。
そして思春期以降は一定水準以上の仲間たちに囲まれ、小学校の頃にいた "(なんとなく)できない子" の多くがその読解や学習上の困難を克服できぬまま中学を巣立っていくことも知らず、やがてそういう子らの存在を忘れてしまう、こういうことがひょっとして起きているのではないか。
もしそうだとしたら、それは社会的な分断以外の何物でもない。
学習に困難を抱える子どもをどうケアするかというのはもちろん大きな課題であるが、もし社会にかような分断が生じているとしたら、その克服も一つの社会的な課題だろう。
何をいまさら
低学歴バカ親による子への負の再生産は、高学歴層にとって止める必要がなくないか? 関わらずに生きて行く限り放置するメリットの方が多く、問題視しない。