はてなキーワード: がっかりとは
本当は行きたくなかったのだけど、サークルの中心的な役職だったのと、音頭を取ってくれたのがすごくいい奴だったので、散々迷った末に出かけた。
でもそいつには申し訳ないのだけど、実は気乗りしなくて、しかも大雨なのもあって自宅でウダウダしていたので1時間遅刻した。
なんで行きたくなかったかというと、あの頃の自分があまりに残念な出来で思い出したくない、さらにはその私を知っている仲間たちには当分会いたくないというのがあった。
あとはほんのりと、価値観が合わないな〜、というのが2年生あたりから卒業までうっすらあって、もしかしたらきっと、それは同期たちも私に対して感じていたのかもしれないけど。
まあでも人格形成というか成長という点では裏を返せばそれだけ学生時代から飛躍的な進歩・進化・改善を達成しているとも言えるけど、所詮は学生だしね。成長がなければヤバい奴なわけで。
今回は1〜4年で100人以上の大所帯サークルの中で分科会のひとつ、その同期会ということで10人くらいの集まりだったんだけど当日直前のドタキャンが2名、遅刻1名(=私)だった。私もドタキャンすればよかったのかもしれない。
店に入ってみると、話題は●●先輩の彼氏彼女が不細工だったとか、●●先輩のマネミス・やらかしとその言い訳が酷かったとか、1コ下の誰それが鬱でヤベーとか、その場にいない人の悪口や噂話ばかりだったのでがっかりした。
私がちょっぴり期待したのは、そういうのじゃないんだよ。
夏合宿でのあの悪ふざけをそれぞれの立場から振り返るとか、今だから笑って話せるあの日の本番直前に起こった秘密の事件とか、でもそういう空気ではなかったので静観していた。
結局、1時間くらいでさっさと帰ってきた。家に帰って配偶者と子供とお互いに今日あったことを話し合ったらスッキリした。
所属サークルではその分野を世界レベルでやり切った私は学生時代に未練も執着もない。同期たちとの思い出は思い出として、私は今を生きようと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240609075845
https://web.archive.org/web/20170710055435/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201304
2013.04.14 Sunday14:11
色々すみません。。(一応、謝っとこう)
ベツコミ編集部からも、「最終回お疲れ様でした!」のお花を頂きましたよ~。
うちの中がまたしても春爛漫です。丸っこい薔薇が一番好き。きれい!
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お仕事---
2013.04.07 Sunday19:27
前に編集さんに「‘悪女‘について描いてくださいよ」と言われて、
私に描けるのか?は、さておき。
そもそも「悪女」って何だっけ??って頭の隅っこでずっと考えてたんですが。。
取り敢えず「いくらなんでもコレは悪女よねえ・・?」と希望を託して手に取ってみた本。
「正統派悪女」ではないですよねえ。だからこそ、話題になった人。
彼女のビジュアルに、多くの男性ががっかりし、一部の女性が希望を見たような??
こういう犯罪絡みの女性について書かれてる本を読んだ後に残る印象は、
まだ、自分にしか興味がない段階の、超ナルシストでとってもわがままな。
キーワードとして度々登場する、「ル・コルドン・ブルー」代官山校のパン講座基礎コースに
一時私も通っていましたよっと。
(彼女より一年程前ですね。出席日数足りなくて、中級に進級出来なかったけど。)
いくつになっても自分の中から「女の子っぽさ」を排除しきれない自分に辟易する事も多いけど、
年相応に「完璧に大人になれ!」って誰かにもし言われたら、きっとしんどいなあー。
連載終了祝いにと、集英社の編集さんから頂いた、お花と「ジャン=ポール・エヴァン」のイースターチョコ。
うわー可愛らしい♡と思いつつ、、
こういう写真載っけちゃうあたりが、木嶋佳苗っぽいわーと、全力で自分ツッコミ。
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本・映画---
2013.04.01 Monday15:04
天気もいいのでダラダラしてますよー。
次にパンが出てくる漫画を描くので、パンの食べ比べとかしています。
モノを作るのは好きなので。
こだわり強い方じゃないし飽き性なので、つきつめたモノは無理ですけど、
素材にこだわって丁寧に作られたものはやっぱ美味しいよね~なんて
「ちゃんとした人」っぽい事を思いつつ、今 私は、体に悪そうな超ジャンキーな
(色々曖昧)
第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのときの感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています。
今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやかな感想を述べたに過ぎない」と述懐しています(岩波文庫、竹内好訳『野草』の解説)。魯迅の感想が短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想をもつならば、それで満足です。
人は物事に触れて感想を持つものだと思います。SNSの批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想は自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というものも自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。
今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスがキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います。
今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成る」ものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的なもの、追憶的なもの、観念的なもの、象徴的なもの、風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています(岩波文庫、竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特の雰囲気をもった作品集です。
これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります。
そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会は作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり、言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味もキュレーターの解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレットの文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」
しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍や文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論の余地がありえますが、言葉と芸術の距離がそう遠いものでないことは確かです。
さらにテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきます。キュレーターが中国の出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙の試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文や文字が芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。
いっぽう、日本で一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭なものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたかも展覧会から「あなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。
では、「芸術(アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から「芸術(アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいものが芸術なのか?」とか「言語表現は芸術と無関係か?」といった問題はゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。
鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります。批判もひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要な展覧会であったと言えるのでしょう。
友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術は抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品を面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉の時代なのでしょう。考えずして何が現代の芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日にちょっと芸術に触れてみよう、子どもを芸術に触れさせてみよう、デートで美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品を面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」
たしかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館の改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。
私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います。
ここで、ちょっと過去のトリエンナーレを振り返りたいと思います。
私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています。
2014年の第5回「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家や芸術家がいかに体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代や脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治」であるという意識が出てきていたためかもしれません。
2017年の第6回「島と星座とガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権のさなかにあって、政治の右傾化が懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)
2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」、映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続。
きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います。
今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術が政治的であることの何が問題なのかとか、政治が生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーターが中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。
たしかに、今回の展覧会ではヨーロッパの戦争に関連する展示や国粋主義者の移民反対デモの映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつの世界に見立てて、このような出来事が遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます。
そのデモの映像のひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別のデモが行われています。ヘイトクライムの危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。
思い返せば2014年や2017年はかなり「政治的」な展示があったと思います。しかし今回、キュレーターは日本の問題をひとつも指摘しませんでした。日本で美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれた事件もそう遠い昔のことではありません。日本は美術の表現が自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときにもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっとも自由な表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身地である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパも安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります。
しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品のなかに普遍性を見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。
ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会のなかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅が木版画という簡易で複製可能な芸術を通じて、民衆に文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争を撮影した写真が展示されていたのは、芸術と政治の問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います。
(後編へ続きます。)
https://anond.hatelabo.jp/20240608093350
はてなーじゃなくてもいいんだけど
昔の2chとか、Twitterとか、インターネット世論に対して求めてることって
ただ、外れ方にも2通りあって、例えば「不良に対してどう思うか」で言えば
世論は「更生させるべき」で
期待してるのは「不良も良いじゃん」なんだけど
インターネットという新しい価値観を受け入れた人たちが多かったから
割りと受容が多かったんだけど
拒絶意見が増えてくる
そうしてまたどこか新しいところへ引っ越そうとするんだけど
そろそろインターネットの中にそういう場所が無くなってきていると思う
はてなには、ちょっとだけそういう受容があると思って見てみると、ゴリゴリの拒絶が多かったりしてがっかりすることがままある
___
新天地を求めていく第一世代って郷に入っては郷に従えの精神があり、寛容さも兼ね備えてるんだけど
その人達が呼び寄せる第二世代って逃げてきた人たちであることが多く
そう考えると面白いよね
ドラフト結果
海外棋士の指名ありって言ってたくせに申し合わせたように一人もなかった・・・
2位 ◯牛栄子(25)6.813 千葉
4位 井澤秋乃(45)5.057 奈良
レート平均:6.3805(4位)
平均年齢:32.5歳
3位 徐文燕(19)5.997 東京
レート平均:6.937333(1位)
平均年齢:21歳
レート平均:5.8625(5位)
平均年齢:25.75歳
レート平均:6.43(3位)
平均年齢:28.25歳
1位 ✕藤沢里菜→✕上野梨紗→謝依旻(34)7.096 台湾
レート平均:6.45825(2位)
平均年齢:26.5歳
「生きててごめん」ゼミの後、うつ病に 22歳で命を絶った大学院生
研究ってのがやってみたくてわざわざ外部有名大学の大学院に進学したけど、間違った選択だった。
同級生は実質1年先輩みたいなもんで、研究内容の基本すらわかっていないのは自分だけ。
体力も気力もなくて全くついていけない。
休日は存在しない。早く帰れた日でもスーパーはすべて閉まっている。
それに加えて深夜27時でも余裕でメールは回ってくる。大学院って労働基準法が適用されないのかな?
お盆休みも正月休みもないらしい。先輩は2年帰省できていないらしい。
・これまで聞いてきたプレゼンで一番ひどい。
・あなた(のような能力が低い人間)がこの場に存在していいのは学生だから。社会では無言で呆れられ人々は静かに離れていく。
なんでも教えてもらわなければできない。研究室にいるだけでみんなに迷惑をかけている。絶対2年で修了できない。やめたい。
でも、学生相談室が開いている時間に研究室の外に出ることはできない。
指導教員が「みんなが当たり前にやっていることを出来ないお前はどこにいっても通用しない」ってよく言うけど本当なのだろうか。
もし、環境が合わないだけならこれ以上お金を無駄にする前にやめたい。応援してくれた人の期待を裏切り、後ろ指をさされる人生になるけど。
もし、指導教員の言う通り自分の能力では社会で生きていけないなら早めに死にたい。
10年前はランドセル背負ってたのにな。自分がこんなに無能だとは知らないではしゃいでいた日々がまぶしい。
夜中の衝動で書いた支離滅裂な文章にもかかわらず、たくさんの方が温かい言葉を書き込んでくださっていて驚きました。
髪色の明るい同い年ぐらいの人たちが楽しそうに歩いているのを見て、とても不思議な気持ちになりました。
「何してる人たちなのかな。働いているのか、学生なのか。肩書はなくとも夢を追っている最中なのかも。」
外の世界を見てそう考えていたら、ここ二カ月で自分の視野は狭まり変な方向まで思考が飛んでいたことに気づきました。
同時に研究室のことも悪く書き過ぎたかもしれないと思いました。
こんなに楽しいのに休むなんてもったいない!とばかりに、同じ環境で目をキラキラさせて研究に励んでいる学生もいるわけで…。
ここはスーパーマンたちがより輝くために用意された場所であって、とにかく私とは相性が悪かっただけかもしれないです。
世の中にはそういう人たちがいてそういう景色があるのだということは、進学しなければ知りませんでした。
一度知ってしまった手前、そっち側ではなかった自分にがっかりする気持ちは残りますが、良い経験でした。
相談室にも両親にも話せなかった悩みを、こんなに多くの人が見てくれるなんてすごい時代ですね。
大学院を続けるにしてもやめるにしても、皆さんの意見を参考にしてひとつずつできることは何か考えてみようと思います。
ありがとうございました。
わかってはいるつもりだけど納得できない。
45歳既婚。二児の父。
ただ、この年でも髪の毛はふさふさだし、筋トレも欠かさないので10歳くらいは普通に若く見られる。
もてたいわけじゃないけど、いつも小綺麗にしておくくらいは気をつけている。
まぁだからいつ人に好きになられても仕方ないかなくらいには思っている。
週に2日以上は、家を15分早く出て駅までの道を遠回りして軽くウォーキングするようにしている。
中学生とは、その道の途中ですれ違った。
最初から意識していたわけなんてなく、この4月から見かけるようになったので新入生なのだろうくらいには思っていた。
むしろ事案になんてなりたくないと思っているので、女子中学生を視界の端で捉えるとそちらにはあえて見向きもせず、進行方向の1点だけを見つめて歩くようにしていた。
たまに視界に入ることくらいはあったが、鏡を片手に一心に前髪をあれこれいじっていて、年頃だなぁと微笑ましく思っている程度だった。
あれ?と思ったのは半月前くらいで、きっかけは女子中学生の不自然な横断だった。
すれ違う場所は住宅街の片側一車線のバス通りで、自分は向かってその左側を歩き、女子中学生は右側を歩いていた。
ところが半月前のある日、交差点で信号待ちをしているとなぜか女子中学生が道のこちら側に渡ってきた。
横断するときに真横ですれ違う距離になるのだが、意識しないように遠くの1点だけを見つめて歩き続けた。
すれ違う時、どうにもしっかりとこちらを覗き込んでいるような気がした。
数日後、その交差点を過ぎたあたりで向こうから女子中学生が歩いてくるのが見えた。
すると突然、女子中学生は後方を確認して道の途中でこちら側にわたってきた。
おいおい何してんだこの子はと思いつつ、再び遠くの1点だけを見て歩いた。
たまに時間がずれるとすれ違わなかったが、それからというもの、その女子中学生は事あるごとにこちらにわたってきて、こちらが一向に興味を示さないでいるとしっかりと顔を覗き込まれているような気がした。
もしかしたら昨年中学校に進学した息子の後輩で、何処かであったことがあるかを確認しているのかもしれない。
いや、マスクをしているから有名人の誰かと勘違いでもしているのだろうか。
やっと花粉が落ち着いてきて、一週間ほど前のとある日からマスクをせずに家を出るようにした。
先述の人間違いのことも考えてなかったわけではない。
そうしてその日は、交差点の手前で女子中学生の存在に気がついた。
信号待ちをしていると先日と同様に女子中学生はこちら側にわたってきた。
やはりすれ違うときに強い視線を感じた。いつもよりこちらを見ている時間が長かったかもしれない。
そう思いながら駅までの道を急いだ。
それ以来、女子中学生は姿を見せなくなった。
まじか。
それはどっちだ。
人間違いだったのか、それともマスクの下ががっかりだったのか。
なんだかよくわからないが、女子中学生から自分に対する興味が消え失せたことだけはわかった。
別に最初から何かを期待していたわけなんてないのだが、なんだろう、この何にもしていないのに土足で心の中を踏みにじられた気分。
何かが始まるわけがなかったのに、急に何かが終わってしまった。
何かを期待してたわけじゃないのは本当で、それでも女子中学生に好かれてるかもしれないっていう妄想は正直悪いものではなかった。
大好きな作品のファンイベントにいったら、参加声優が飲み会にいった話しばっかりされて心底がっかりした。
ただ台詞をなぞるだけのひとより、なぜそう作画したか、どうしてそう演出したか、どんな理由があってそのセリフにしたか、どうしてこれをアニメにしたのか。
監督さん、キャラデザさん、演出さん、脚本さん、美術さん、プロデューサーさん、クリエイター側の話が聞きたい。
声優のトークイベントもラジオも、うすっぺらくて作品人気に便乗してるだけ。フリーライドにすらみえる。
寄生してるだけってわかんないの?
もういっそAIに演技してほしい。
初音ミクみたいに最初は違和感あっても、きっとすぐに慣れるよ。
私が初めての東京に来たのは就職活動だった。中央線を降り、昼食に駅前のチェーン蕎麦屋へ入ったたところ、あまりのまずさに悶絶したのが初めての東京体験だった。料理漫画の関西人がしばしば言う「東京の蕎麦はドブ色してて出汁はきいてないし、麺はヘナヘナで食えたもんじゃない」は誇張でもなんでもないんだ、ということを実感し「やっぱり庶民の食いもんは関西だよな」という関西人にありがちな偏見を強くした記憶がある。
(もちろんこれは単なる偏狭な思い込みであって、東京人の味覚が鈍いわけではなく、件の蕎麦屋の本業が立ち退き業だからというだけであって、それなりの蕎麦屋はそれなりの蕎麦を出してくれるということは、当時の若い私にはわからなかった。)
しかしこの偏見を粉砕してくれたのがてんやの天丼だった。何気なしに入ったてんやでワンコインの天丼をあまり期待せずに頼んだところ、その旨さに打ちのめされた。もちろん料亭だの高級天ぷら屋だのは関西にもある。だが500円でここまでのものを出せる天ぷらやは関西にはない。カリッとした衣、濃厚なタレ、多彩なネタ、これらが500円で出てくる奇跡に感動を覚えた。ガッツリした衣にタレが染み込みちょうどいい塩梅となったところがうまい。米やタレの掛かっていない硬い部分と口の中で混ざるとなお良い。塩や天つゆで上品に食べる天ぷら膳ではこれは決して味わえない。これが500円?関西じゃぜったい無理でしょ。東京恐るべし。やっぱ東京って日本一の大都会だわ。
その後毎週末にはてんやに通い、関西に帰省したときはてんやが無いことにがっかりするくらい入れ込むようになった…のだがその後私は地方の工場勤務となってしまった。地方ではてんやが無い。しかし/しかも、そのころ結婚した妻は揚げ物が嫌いだったせいもあり、結局揚げ物自体と離れる生活を15年くらい過ごすことになってしまった。だがこの度、ついに、本社栄転、ということで帰ってきたのだ!東京に。てんやよ!私は帰ってきた!
ああ15年間焦がれた天丼とついに再開できる。そう思うと胸は高鳴り、期待で唾は溢れんばかりだった。だが一口食ってでてきた言葉は「なんやこれは。クソ不味やんけ」だった。関西を離れて20年も経つと日常で関西弁が出ることはなくなる。が、理性のタガが外れたときはやはりどうしても関西弁が出てしまう。関西の庶民向けの店ではだせそうもない、あのクオリティはどこへ行ったんや。ネタは良い。タレも相変わらず美味い。米は変わっているだろうけど違いはわからへん。だが衣はすっかり変わってしもうた。すっかり薄くなり、柔らかくヘナヘナの衣、こんなスーパーの惣菜天ぷらみたいなのはてんやない。あのてんやはどこへ行ってしまったんや…。憧れ続けて期待値が上がりすぎて失望してしまう、なんてことがよくあるのはもちろん知ってる(昔好きだった同級生と同窓会で再開したときとかみたいに)。だからてんやのタレだけ買って帰って近所のスーパーの惣菜コーナーの天ぷら使って天丼作ってみたんや。ほしたらほとんどてんやと変わらん出来や。流石にネタはスーパーよりてんやの方が良いけど、衣は全然変わらへん。なんかもうがっかりや。スーパーの惣菜とは一線を画した揚げたてカリカリ天丼がてんやのウリとちごたんか。これやったら「さん天」の方がマシやないか。あっちは490円でエビ2本入っとるし。
ネットで調べてみたところやはり衣は変えたらしい。ものは言いようだが、サクサク感を狙ってタピオカ粉を使うようになったとか。まあでも自分なりに考えるとなんだかんだいって衣が薄くヘナヘナになったのは時代の要請だったのだとおもう。
こんなところだろう。もうてんやへ行くことはない。というかおそらく1年に1回くらい行って毎回がっかりする、そんな店になるのだろう。てんやの天丼は死んだんだ。いくら呼んでも帰っては来ないんだ。もうあの時間は終わって、僕も人生と向き合う時なんだ。
というわけで1500円以下で衣がガッツリした天丼を食える店を東京住み増田諸兄がご存知なら教えてほしい(23区+多摩地区くらいで)。いかがだろうか。