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はてなキーワード: がっかりとは

2024-06-14

墨汁か

金日成の墓に墨汁かけた団体があって

勇気あるね

クーデター違うんかい!!がっかり

警備厳しくなるし

無理なんかなクーデター

いつかなーってぼんやりニュース見てるのに

銀座寿司店

マジで外国人パパ活しかいなくてビックリした

がっかりしたと言ってもいい

寿司のものは確かに美味かったが、美味い寿司を有り難がる気持ちが完全に霧消したことがありありと感じられた

気のおけない友人とホームパーティーで凝った料理を手伝い、土産の酒を分け合ってする食事とは比べものにならないくらい卑小な体験だった

四国漁港で豪快にさばかれたばかりの鰹の藁焼きを仲間とひいひい言いながら手分けして食べたときには到底追いつけるはずのない食事だった

から寿司屋にいくんじゃなくて職人を家に呼んでくるんだなとよくわかった

2024-06-13

anond:20240613143132

そういう時って知ってる単語だけ拾い出して、「あっ相対性理論量子力学?聞いたことある!詳しいの?ねえヒモ理論ってあれなに?どういうこと?」とかなんか妙にキラキラした眼で見上げてきて、「いや専門外すね」とか言うと勝手がっかりした顔してきてイラッとさせられる不思議ちゃんがたまにいるよね…

2024-06-10

大学サークル同期会には、もう行かない。

本当は行きたくなかったのだけど、サークルの中心的な役職だったのと、音頭を取ってくれたのがすごくいい奴だったので、散々迷った末に出かけた。

でもそいつには申し訳ないのだけど、実は気乗りしなくて、しかも大雨なのもあって自宅でウダウダしていたので1時間遅刻した。

なんで行きたくなかったかというと、あの頃の自分があまりに残念な出来で思い出したくない、さらにはその私を知っている仲間たちには当分会いたくないというのがあった。

あとはほんのりと、価値観が合わないな〜、というのが2年生あたりから卒業までうっすらあって、もしかしたらきっと、それは同期たちも私に対して感じていたのかもしれないけど。

まあでも人格形成というか成長という点では裏を返せばそれだけ学生時代から飛躍的な進歩進化改善を達成しているとも言えるけど、所詮学生だしね。成長がなければヤバい奴なわけで。

今回は1〜4年で100人以上の大所帯サークルの中で分科会ひとつ、その同期会ということで10人くらいの集まりだったんだけど当日直前のドタキャンが2名、遅刻1名(=私)だった。私もドタキャンすればよかったのかもしれない。

店に入ってみると、話題は●●先輩の彼氏彼女不細工だったとか、●●先輩のマネミスやらかしとその言い訳が酷かったとか、1コ下の誰それが鬱でヤベーとか、その場にいない人の悪口や噂話ばかりだったのでがっかりした。

私がちょっぴり期待したのは、そういうのじゃないんだよ。

もっと楽しい思い出話をしたかったんだよ。

夏合宿でのあの悪ふざけをそれぞれの立場から振り返るとか、今だから笑って話せるあの日の本番直前に起こった秘密事件とか、でもそういう空気ではなかったので静観していた。

結局、1時間くらいでさっさと帰ってきた。家に帰って配偶者子供とお互いに今日あったことを話し合ったらスッキリした。

所属サークルではその分野を世界レベルでやり切った私は学生時代に未練も執着もない。同期たちとの思い出は思い出として、私は今を生きようと思う。

anond:20240610125834

あーなんか、がっかり。。。そういうことだよね

らしちゃううぐらい何だかああら、、、あ

バカじゃないのか、自分

2024-06-09

[]2013.4

https://anond.hatelabo.jp/20240609075845

https://web.archive.org/web/20170710055435/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201304

「Piece」最終回・発売中☆

2013.04.14 Sunday14:11

あれ?ベツコミ5月号、もう出てますよね?

「Piece」最終回載ってます

色々すみません。。(一応、謝っとこう)

ベツコミ編集部からも、「最終回お疲れ様でした!」のお花を頂きましたよ~。

うちの中がまたしても春爛漫です。丸っこい薔薇が一番好き。きれい

ありがとうございます

1

お仕事---

悪女

2013.04.07 Sunday19:27

前に編集さんに「‘悪女‘について描いてくださいよ」と言われて、

私に描けるのか?は、さておき。

そもそも悪女」って何だっけ??って頭の隅っこでずっと考えてたんですが。。

取り敢えず「いくらなんでもコレは悪女よねえ・・?」と希望を託して手に取ってみた本。

正統派悪女」ではないですよねえ。だからこそ、話題になった人。

彼女ビジュアルに、多くの男性がっかりし、一部の女性希望を見たような??

美人か不美人か?も勿論大事論点だとは思うんですが。。

こういう犯罪絡みの女性について書かれてる本を読んだ後に残る印象は、

いつも、「悪女」ではなく「少女」。

子供」ではなくって、やっぱり「女の子」。

まだ、自分しか興味がない段階の、超ナルシストでとってもわがままな。

キーワードとして度々登場する、「ル・コルドン・ブルー代官山校のパン講座基礎コース

一時私も通っていましたよっと。

彼女より一年程前ですね。出席日数足りなくて、中級に進級出来なかったけど。)

彼女自分との類似点を無理矢理探る。。。

いくつになっても自分の中から女の子っぽさ」を排除しきれない自分辟易する事も多いけど、

年相応に「完璧大人になれ!」って誰かにもし言われたら、きっとしんどいなあー。

中村うさぎさんの木嶋佳苗考が、とてもしっくりきた。

  

連載終了祝いにと、集英社編集さんから頂いた、お花と「ジャン=ポール・エヴァン」のイースターチョコ

うわー可愛らしい♡と思いつつ、、

こういう写真載っけちゃうあたりが、木嶋佳苗っぽいわーと、全力で自分ツッコミ

1

本・映画---

春ですねー。

2013.04.01 Monday15:04

仕事が終わって、にゃんこ避妊手術も無事終えて、

天気もいいのでダラダラしてますよー。

次にパンが出てくる漫画を描くので、パンの食べ比べとかしています

某有名店のパン。モッチモチでさすがに美味しいわー。

全然グルメじゃないし、何でも美味しく食べちゃう方なので、

パンについて語る」みたいな漫画は無理ですけど、

モノを作るのは好きなので。

こだわり強い方じゃないし飽き性なので、つきつめたモノは無理ですけど、

曖昧でグレーで(たぶん良い意味で)隙のあるモノを。

近所の蒸しパン専門店の桜蒸しパン

こちらもモッチモチ

モッチモチが好きです。モッチモチが。

素材にこだわって丁寧に作られたものはやっぱ美味しいよね~なんて

ちゃんとした人」っぽい事を思いつつ、今 私は、体に悪そうな超ジャンキー

おやつを食べながらこのブログを書いてます

(色々曖昧

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


2024-06-06

バターって香りだけじゃね?

すげーいいにおいすんのにそこから食べるとにおいに匹敵するうまさがないんだよな

マツタケとかと近い感じがする

においからすげー期待させといてがっかりさせられる

2週間くらい前から毎日2万歩~4万歩歩いてたらとうとう足の甲の内側が腫れて痛くなってしまった

なにもしてないと痛みがないか病院行くほどじゃないかな?

以前ヒビが入ったときはこんなもんじゃなかったから多分大丈夫かとは思うんだけど

かなり強度の高い速歩を続けてたから靴も壊れちゃった

やっぱりちゃんとしたウォーキングシューズじゃないとだめか…

運動って継続するためには結構準備がいるんだな、適当にやってはダメなんだな

体調は良いし景色はいいしよく眠れるしメシもうまくなるしサイズがMからSに落ちていいことづくめだと思ったんだけどケガしてりゃ世話ないな

がっかり

スーパーでたまによく500円の半分サイズの店の調理場で作ってるようなピザを買うことあるんだけど

こういうピザって基本どれも美味しくてハズレに当たったことがない

冷凍物やレンチン物だと物足りない感があって少しがっかりするけど本質的には美味しい

意外とピザってハズレなしじゃないだろうか?

2024-06-05

旅館の女湯に男児2人 「見たことないくらい大きい子」にあ然… 

入ってきた瞬間絶句… 夫も同調「いやあの子はでかい!」

今まで見たことないくらい大きい子だったので入ってきた瞬間とてもびっくりしました。

落ち着かなくて結局すぐに出ましたが、本音はもう少しゆっくりたかったなあとがっかりしました

AV紹介かと思った

疲れてるのかな

ハッタショ増田ガチAIトーク沈黙する

知ってるワードを出したいだけだから

ざっと概要を知ってる人にすらおかしな所を指摘されまくって

黙るしかなくなっちゃうんだね

内容の話をしたかったAI知ってる増田がっかりだぜ!

2024-06-04

はてなーに求めてることと実際のズレ

はてなーじゃなくてもいいんだけど

昔の2chとか、Twitterとか、インターネット世論に対して求めてることって

教科書通りのお行儀の良い意見から外れたところにあるんだよね

 

ただ、外れ方にも2通りあって、例えば「不良に対してどう思うか」で言えば

世論は「更生させるべき」で

期待してるのは「不良も良いじゃん」なんだけど

結構あるのは「不良は全員ぶっ殺せ」みたいな意見

まり一般世論よりも受容/拒絶に振れるんだよね

 

黎明期においてインターネット世論ってのは

インターネットという新しい価値観を受け入れた人たちが多かったか

割りと受容が多かったんだけど

その後、リアルから逃げてきた第2世代が増えてくると

拒絶意見が増えてくる

 

そうしてまたどこか新しいところへ引っ越そうとするんだけど

そろそろインターネットの中にそういう場所が無くなってきていると思う

はてなには、ちょっとだけそういう受容があると思って見てみると、ゴリゴリの拒絶が多かったりしてがっかりすることがままある

 

___

そういえば、移民問題結構似てるところがあって

新天地を求めていく第一世代って郷に入っては郷に従えの精神があり、寛容さも兼ね備えてるんだけど

その人達が呼び寄せる第二世代って逃げてきた人たちであることが多く

結果不寛容、拒絶になるみたいな話を聞いたことがある

そう考えると面白いよね

2024-06-03

広く女にモテる一部の男性を除いて、大多数の男性にとっては、大多数の女性は基本同性愛者なので自分対象外である、と考えておけば受け入れられないことにショックを受けたりがっかりしなさそう

まあそうだよな、みたいな

悲報格闘技は体格が全て、技術関係ない論者。論破されてしまう。

待ってよ!

だって40kg差あったらもっとがむしゃらにいってワンチャンあると思うじゃん!

まさか40kgも軽い選手ビビって前に出られないで好き放題蹴られてなんもできずに負けるとは思わないじゃん!

あれはスダリオかいう闘志のないデブが悪いだけだからノーカンノーカンです!

マジでがっかりしたわ!

2024-06-01

anond:20240531203531

いやプリンセス性とか言って相手のせいにしてるけどまず目の前の相手のこと考えろよ

毎朝人助けして週3コンスタントに1時間遅刻してくる奴いたらクビになると思うし大事仕事を親切なお前がやらんでもいい人助けでぶっちぎったら大事になるし増田もそうはしないだろ

「このくらいいいだろ」「相手がこいつだからいいだろ」なんだよ結局は

そこにがっかりされてるんだよ

2024-05-28

anond:20240527233256

第1回 日本女子囲碁リーグ ドラフト会議

ドラフト結果

海外棋士指名ありって言ってたくせに申し合わせたように一人もなかった・・・

がっかり

チームセンコー

1位 ◯上野愛咲美(22)8.235 東京

2位 ◯牛栄子(25)6.813 千葉

3位 ✕鈴木歩万波奈穂(38)5.417 兵庫

4位 井澤秋乃(45)5.057 奈良

レート平均:6.3805(4位)

平均年齢:32.5歳

チーム囲碁将棋チャンネル

1位 ◯藤沢里菜(25)8.258 埼玉

2位 ◯星合志保(27)6.557 東京

3位 徐文燕(19)5.997 東京

4位 高山希々花(13)--- 北海道

レート平均:6.937333(1位)

平均年齢:21歳

チーム名古屋

1位 加藤千笑(22)6.469 岐阜

2位 王景怡(37)5.835 東京所属中部

3位 高雄茉莉23)5.602 愛知

4位 羽根彩夏(21)5.544 愛知

レート平均:5.8625(5位)

平均年齢:25.75歳

チーム若鯉

1位 ✕上野愛咲美→◯上野梨紗(17)7.287 東京

2位 ✕牛栄子→奥田あや(35)6.516 東京

3位 ◯鈴木歩(40)7.034 東京

4位 大森らん(21)4.883 広島

レート平均:6.43(3位)

平均年齢:28.25歳

チーム福岡

1位 ✕藤沢里菜→✕上野梨紗→謝依旻(34)7.096 台湾

2位 ✕星合志保→栁原咲輝(13)5.961 東京

3位 向井千瑛(36)6.853 東京

4位 辻華(23)5.923 東京

レート平均:6.45825(2位)

平均年齢:26.5歳

2024-05-26

anond:20240524223357

世の中にはそういう人たちがいてそういう景色があるのだということは、進学しなければ知りませんでした。

一度知ってしまった手前、そっち側ではなかった自分がっかりする気持ちは残りますが、良い経験でした。

中学受験して超進学校に入ったり、東大に進学することの一番のメリットってこれだと思うんだよね

2024-05-24

追記しました】まだ5月だけど大学院やめたい

「生きててごめん」ゼミの後、うつ病に 22歳で命を絶った大学院生

今この自殺したM1とまったく同じ状況。

研究ってのがやってみたくてわざわざ外部有名大学の大学院に進学したけど、間違った選択だった。

自分はこの環境にふさわしい能力がない人間だった。

同級生は実質1年先輩みたいなもんで、研究内容の基本すらわかっていないのは自分だけ。

週一回のゼミ発表、それに加えて毎日実験雑務論文読み。

体力も気力もなくて全くついていけない。

休日存在しない。早く帰れた日でもスーパーはすべて閉まっている。

それに加えて深夜27時でも余裕でメールは回ってくる。大学院って労働基準法適用されないのかな?

お盆休み正月休みもないらしい。先輩は2年帰省できていないらしい。

以下、入学後一カ月で指導教員にいただいた言葉

 ・これまで聞いてきたプレゼンで一番ひどい。

 ・使えない人間はいらない。

 ・あなた(のような能力が低い人間)がこの場に存在していいのは学生から社会では無言で呆れられ人々は静かに離れていく。

 ・実験の失敗もケガも自己責任。調べてこない本人が悪い。

なんでも教えてもらわなければできない。研究室にいるだけでみんなに迷惑をかけている。絶対2年で修了できない。やめたい。

でも、応援してくれた家族の顔が浮かんできて口には出せない。

研究から一歩出ると悲しくもないのに毎回涙が出てくる。

でも、学生相談室が開いている時間研究室の外に出ることはできない。

指導教員が「みんなが当たり前にやっていることを出来ないお前はどこにいっても通用しない」ってよく言うけど本当なのだろうか。

もし、環境が合わないだけならこれ以上お金無駄にする前にやめたい。応援してくれた人の期待を裏切り、後ろ指をさされる人生になるけど。

もし、指導教員の言う通り自分能力では社会で生きていけないなら早めに死にたい

あんなに優秀な人がいうのだから後者に向かうべきなんだろう。


10年前はランドセル背負ってたのにな。自分がこんなに無能だとは知らないではしゃいでいた日々がまぶしい。


追記です

夜中の衝動で書いた支離滅裂文章にもかかわらず、たくさんの方が温かい言葉を書き込んでくださっていて驚きました。

今日は通院のために研究室を早退して町で太陽を浴びました。

髪色の明るい同い年ぐらいの人たちが楽しそうに歩いているのを見て、とても不思議気持ちになりました。

「何してる人たちなのかな。働いているのか、学生なのか。肩書はなくとも夢を追っている最中なのかも。」

外の世界を見てそう考えていたら、ここ二カ月で自分視野は狭まり変な方向まで思考が飛んでいたことに気づきました。

同時に研究室のことも悪く書き過ぎたかもしれないと思いました。

こんなに楽しいのに休むなんてもったいない!とばかりに、同じ環境で目をキラキラさせて研究に励んでいる学生もいるわけで…。

ここはスーパーマンたちがより輝くために用意された場所であって、とにかく私とは相性が悪かっただけかもしれないです。

世の中にはそういう人たちがいてそういう景色があるのだということは、進学しなければ知りませんでした。

一度知ってしまった手前、そっち側ではなかった自分がっかりする気持ちは残りますが、良い経験でした。

相談室にも両親にも話せなかった悩みを、こんなに多くの人が見てくれるなんてすごい時代ですね。

私はラッキー人間だと思います

大学院を続けるにしてもやめるにしても、皆さんの意見を参考にしてひとつずつできることは何か考えてみようと思います

ありがとうございました。

何もしていないのに中学生にふられた

わかってはいるつもりだけど納得できない。

45歳既婚。二児の父。

断っておくけど中学生恋愛するつもりなんて毛頭ない。

ただ、この年でも髪の毛はふさふさだし、筋トレも欠かさないので10歳くらいは普通に若く見られる。

もてたいわけじゃないけど、いつも小綺麗にしておくくらいは気をつけている。

まぁだからいつ人に好きになられても仕方ないかなくらいには思っている。

週に2日以上は、家を15分早く出て駅までの道を遠回りして軽くウォーキングするようにしている。

中学生とは、その道の途中ですれ違った。

最初から意識していたわけなんてなく、この4月から見かけるようになったので新入生なのだろうくらいには思っていた。

しろ事案になんてなりたくないと思っているので、女子中学生を視界の端で捉えるとそちらにはあえて見向きもせず、進行方向の1点だけを見つめて歩くようにしていた。

たまに視界に入ることくらいはあったが、鏡を片手に一心に前髪をあれこれいじっていて、年頃だなぁと微笑ましく思っている程度だった。

あれ?と思ったのは半月前くらいで、きっかけは女子中学生の不自然な横断だった。

すれ違う場所住宅街の片側一車線のバス通りで、自分は向かってその左側を歩き、女子中学生は右側を歩いていた。

ところが半月前のある日、交差点信号待ちをしているとなぜか女子中学生が道のこちら側に渡ってきた。

横断するときに真横ですれ違う距離になるのだが、意識しないように遠くの1点だけを見つめて歩き続けた。

すれ違う時、どうにもしっかりとこちらを覗き込んでいるような気がした。

数日後、その交差点を過ぎたあたりで向こうから女子中学生が歩いてくるのが見えた。

すると突然、女子中学生は後方を確認して道の途中でこちら側にわたってきた。

おいおい何してんだこの子はと思いつつ、再び遠くの1点だけを見て歩いた。

やはりすれ違うときものすごい視線を感じた。

たまに時間がずれるとすれ違わなかったが、それからというもの、その女子中学生は事あるごとにこちらにわたってきて、こちらが一向に興味を示さないでいるとしっかりと顔を覗き込まれているような気がした。

花粉症のせいで2月からマスクを付け続けている。

しかしたら昨年中学校に進学した息子の後輩で、何処かであったことがあるかを確認しているのかもしれない。

いや、マスクをしているか有名人の誰かと勘違いでもしているのだろうか。

やっと花粉が落ち着いてきて、一週間ほど前のとあるからマスクをせずに家を出るようにした。

先述の人間違いのことも考えてなかったわけではない。

そうしてその日は、交差点の手前で女子中学生存在に気がついた。

信号待ちをしていると先日と同様に女子中学生こちら側にわたってきた。

やはりすれ違うときに強い視線を感じた。いつもよりこちらを見ている時間が長かったかもしれない。

まぁこれで人間違いという可能性は否定されるだろう。

そう思いながら駅までの道を急いだ。

それ以来、女子中学生は姿を見せなくなった。

まじか。

それはどっちだ。

人間違いだったのか、それともマスクの下ががっかりだったのか。

なんだかよくわからないが、女子中学生から自分に対する興味が消え失せたことだけはわかった。

別に最初から何かを期待していたわけなんてないのだが、なんだろう、この何にもしていないのに土足で心の中を踏みにじられた気分。

もうちょっと心優しいフェードアウトはできなかったのか。

何かが始まるわけがなかったのに、急に何かが終わってしまった。

意味がわからなすぎるよ。

何かを期待してたわけじゃないのは本当で、それでも女子中学生に好かれてるかもしれないっていう妄想は正直悪いものではなかった。

こんなことで急に現実を突きつけられるのキツすぎ。ナチュラルボーンキラー案件。立ち直れない。

2024-05-23

[]安野モヨコ 還暦不行届

監督不行届の続編

続編が出たこ自体が喜ばしくはあるけど、

内容にはがっかりさせられた

ほぼエッセイ文章)でマンガはない

イベントイラストとか

ほぼ唯一と言ってもいいマンガも、スタジオカラーはわしが名づけたっていう、ネットでもふつーに公開されてたマンガ採録だし

文章から読む気にならんかったけどいくつか読む感じだと前作の雰囲気ある感じだったかマンガにしてほしかったなー

ネームにする気力なかったみたいに書いてたし連載もあるから大変なんだろうとは思うけどさあ・・

文章で読むとあんまりおしろくないんだよねぶっちゃけ

マンガからよかったのになーと

2024-05-22

声優AI

大好きな作品ファンイベントにいったら、参加声優飲み会にいった話しばっかりされて心底がっかりした。

もともとファンイベを声優中心にまわされるのが好きじゃない。

ただ台詞をなぞるだけのひとより、なぜそう作画たか、どうしてそう演出たか、どんな理由があってそのセリフにしたか、どうしてこれをアニメにしたのか。

監督さん、キャラデザさん、演出さん、脚本さん、美術さん、プロデューサーさん、クリエイター側の話が聞きたい。

声優トークイベントラジオも、うすっぺらくて作品人気に便乗してるだけ。フリーライドにすらみえる。

お前らなんて声以外好きじゃないから。

そもそも声優って不倫等の不祥事が多すぎない?

キャラクター作品も悪くないのに汚していく。

寄生してるだけってわかんないの?

もういっそAIに演技してほしい。

初音ミクみたいに最初違和感あっても、きっとすぐに慣れるよ。

作品キャラクターを汚さないでいてくれるなら、もうそっちの方が絶対いい。

小麦粉ケーキが同じとは思えないように、AIAI学習素材は切り離して考えられるから

2024-05-20

anond:20240520231059

愛子が生まれた時なんか日本中が「なんだ女か」ってすごいがっかりムードに包まれテレビでずっと「いかに女に価値はなく跡継ぎにふさわしくないか」を識者たちが語っていたもの

多感な時期にあれを見て育ったから将来子供なんかほしくないと切に思った

ハズレかハズレじゃないかのお披露目会とか残酷

2024-05-19

15年ぶりに食ったてんや天丼が不味すぎて泣いた

 私が初めての東京に来たのは就職活動だった。中央線を降り、昼食に駅前のチェーン蕎麦屋へ入ったたところ、あまりのまずさに悶絶したのが初めての東京体験だった。料理漫画関西人がしばしば言う「東京蕎麦はドブ色してて出汁はきいてないし、麺はヘナヘナで食えたもんじゃない」は誇張でもなんでもないんだ、ということを実感し「やっぱり庶民の食いもんは関西だよな」という関西人ありがちな偏見を強くした記憶がある。

(もちろんこれは単なる偏狭思い込みであって、東京人の味覚が鈍いわけではなく、件の蕎麦屋本業が立ち退き業だからというだけであって、それなりの蕎麦屋はそれなりの蕎麦を出してくれるということは、当時の若い私にはわからなかった。)

 しかしこの偏見を粉砕してくれたのがてんや天丼だった。何気なしに入ったてんやワンコイン天丼をあまり期待せずに頼んだところ、その旨さに打ちのめされた。もちろん料亭だの高級天ぷら屋だのは関西にもある。だが500円でここまでのものを出せる天ぷらやは関西にはない。カリッとした衣、濃厚なタレ、多彩なネタ、これらが500円で出てくる奇跡に感動を覚えた。ガッツリした衣にタレが染み込みちょうどいい塩梅となったところがうまい。米やタレの掛かっていない硬い部分と口の中で混ざるとなお良い。塩や天つゆで上品に食べる天ぷら膳ではこれは決して味わえない。これが500円?関西じゃぜったい無理でしょ。東京恐るべし。やっぱ東京って日本一大都会だわ。

 その後毎週末にはてんやに通い、関西帰省したときてんやが無いことにがっかりするくらい入れ込むようになった…のだがその後私は地方工場勤務となってしまった。地方ではてんやが無い。しかし/しかも、そのころ結婚した妻は揚げ物が嫌いだったせいもあり、結局揚げ物自体と離れる生活を15年くらい過ごすことになってしまった。だがこの度、ついに、本社栄転、ということで帰ってきたのだ!東京に。てんやよ!私は帰ってきた!

 ああ15年間焦がれた天丼とついに再開できる。そう思うと胸は高鳴り、期待で唾は溢れんばかりだった。だが一口食ってでてきた言葉は「なんやこれは。クソ不味やんけ」だった。関西を離れて20年も経つと日常関西弁が出ることはなくなる。が、理性のタガが外れたときはやはりどうしても関西弁が出てしまう。関西庶民向けの店ではだせそうもない、あのクオリティはどこへ行ったんや。ネタは良い。タレも相変わらず美味い。米は変わっているだろうけど違いはわからへん。だが衣はすっかり変わってしもうた。すっかり薄くなり、柔らかくヘナヘナの衣、こんなスーパー惣菜天ぷらみたいなのはてんやない。あのてんやはどこへ行ってしまったんや…。憧れ続けて期待値が上がりすぎて失望してしまう、なんてことがよくあるのはもちろん知ってる(昔好きだった同級生同窓会で再開したときとかみたいに)。だからてんやのタレだけ買って帰って近所のスーパー惣菜コーナーの天ぷら使って天丼作ってみたんや。ほしたらほとんどてんやと変わらん出来や。流石にネタスーパーよりてんやの方が良いけど、衣は全然変わらへん。なんかもうがっかりや。スーパー惣菜とは一線を画した揚げたてカリカリ天丼てんやのウリとちごたんか。これやったら「さん天」の方がマシやないか。あっちは490円でエビ2本入っとるし。

 ネットで調べてみたところやはり衣は変えたらしい。ものは言いようだが、サクサク感を狙ってタピオカ粉を使うようになったとか。まあでも自分なりに考えるとなんだかんだいって衣が薄くヘナヘナになったのは時代要請だったのだとおもう。

こんなところだろう。もうてんやへ行くことはない。というかおそらく1年に1回くらい行って毎回がっかりする、そんな店になるのだろう。てんや天丼は死んだんだ。いくら呼んでも帰っては来ないんだ。もうあの時間は終わって、僕も人生と向き合う時なんだ。

というわけで1500円以下で衣がガッツリした天丼を食える店を東京住み増田諸兄がご存知なら教えてほしい(23区+多摩地区くらいで)。いかがだろうか。

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