はてなキーワード: 某氏とは
本当は自分とこのブログに書きたかったけど、面倒だったのでこっちに。
(この人現れるまで、バーチャルYouTuberと言うものを知らなかったのでこういう印象になる)
可愛いモデルにオタ声という、変なインパクトの有る人。起爆力は確かにある。
それだけじゃなくて動画内でやってることも割りとゲテモノじみてて面白かったので、バーチャルYouTuberという存在に興味を持つきっかけにはなった。
初手のつかみは良いんだけど、他のバーチャルYouTuber知ってしまうとあまり面白みを感じなくなるので、初心者用の入門といったところ。
バーチャルYouTuberが面白いって印象を植え付けたYouTuber
のじゃロリおじさんだけだったら色物で一発ネタで終わってたけど、続いてタイミングよくこいつが出てきたおかげで「バーチャルYouTuberって面白いやん」って印象を植え付けることが出来た
面白いのは面白いんだけど、動画数が少ない上に、中の人っぽい人の動画が面白くてそっちを見るようになってしまい、結局、黎明期の英雄みたいな感じになってしまった
首絞めハム太郎って言葉のお陰で注目が集まった感は確かにある。
初見でダサい服着てんなモデルにセンスないなって感じであまり注目はしなかったが、猟奇系のゲームが好きとかいう妙な性癖のせいで注目度は集まった。
ただ、見た目が。うまく説明できないがなんとなく野暮ったい。
ノースリーブ縦縞背中あきシャツとか言う妙ちくりんな格好してるせいかもしれない。
ゲームが上手いだけのオタサーの姫みたいなのかとも思ったが、声芸はちゃんとで来てるし、変な性癖持ってたりと他にない特徴がある。「順番に殴るね」
中の人のクオリティにモデルが追いついていない感じはする。動きや可愛さをましたほうが良いと思う
初見だと特に特徴がない感じだが、ジワジワと面白さが分かる感じ。
初見だと「声優のラジオみたいでクソつまらん動画やのォ」としか感じなかったが、各ゲーム実況のリアクション見てると割と面白い。
指摘されてるようにモデルのクオリティが高いのも良点。ちゃんと表情作れてるんだよねこれ。
ノリがエロゲすぎて無理
ある意味一番存在感がない。マイクロソフト台湾のSilverlightのイメージキャラみたいなあまりにコテコテな萌えに全振りすぎなモデルに、やってることがエロゲの公式四コマみたいな当たり障りのないキャラじみてて特徴がない。
エロゲ特有の糞つまらないギャグまで真似しなくていいと思うのだが。
萌えに振ってるけどなんか可愛いとか面白いとかいう印象はしないキャラ。
VOICEROIDでバーチャルYouTuberやると言うことは誤認識との戦いだということを教えてくれるYouTuber
モデルのデザインがとてもいい。猫耳白髪ゴスロリと言うあらゆる人に性癖ド直球なモデル。
まあ、モデルは良いんだけど、モーションがすごい単調。基本的に前後に揺れるか左右に半回転するかだけなので。
音声認識ソフト→文字変換→VOICEROIDという過程を経て音声出力してるので誤認識がひどい。まあそれもネタにできてるので良しとしましょう
NHK枠と言われてるけど、NHKだったら流石にここまでクオリティ低いモデルは使わないだろという気がする。
むしろ公官庁系じゃないのかな、こんなの作るの。意思決定者が老人だから萌えにも理解がなくてこんなキャラになってしまいましたと。なんとなく地方の村おこしに使われそうな印象ある。少なくとも経産省系ではないな。
歌はうまいのかどうか分からんすね。他のバーチャルYouTuberの歌聞いたこと無いんで。
頭が馬って時点で某氏思い出して無理だし
まあ、やりたいんなら勝手にやっててくれって感じ
のじゃおじ系統のバーチャルYouTuber(モデルは女性で、声は男)
のじゃおじでバーチャルYouTuber知った自分にとっては極めて正当に見えるバーチャルYouTuber
なんかリアルYouTuberかニコニコ生放送主とか、そういう「自分の声に商品価値がある」と思ってそうな人種のような感じがする
モデルはべらぼうに可愛いんだけどね……それもニコニ立体ちゃんというライセンスのゆるいMMDの改造モデルだけど。
ネカマ歴32年の始祖バーチャルYouTuber(始祖鳥的な用法)
他のバーチャルYouTuberには無いコメントをリアルタイムにバーチャル空間に表示して手に持ったり、twitterのハッシュタグのついたツイートをウィンドウとして表示して手に持ったり
技術的に他より一歩秀でてる感じがする
これを2017年1月段階でやってたと言うんだから驚き。でもバーチャルYouTuberではないらしい。
かなり高いボイスチェンジャー使ってるらしいが、それでも妙な感じがする(ねむよりはマシかも知れないが)。ねこますがボイスチェンジャー使わないのはこのひとのせいかもしれない(ねこますとみゅみゅは交流あるらしい)
服装とか初回のシチュエーションがもうエロ漫画かエロゲ導入シーンみたいで無理。
巨乳は良いとして、乳揺らすのってなんかイラッとする。お前らこういうのが好きなんだろ~?シコっていいのよ?って言われてる気がして。
ちょいとしたエロ要素なら喜ばれるだろうけどここまであからさまなのは引くわ。
ギャルゲーの幼馴染枠。
特徴のないのが特徴。エヘ顔ダブルピースすると余計島村卯月っぽくなる
あいにく年下の女の子をお姉ちゃんとかママとか呼んだりする趣味はないので……
仙狐さんの「世知辛いのじゃー」をTwitterで見る→「バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん」とか言うパワーワードじみた言葉を知る→けもみみVRちゃんねるへ→バーチャルYouTuberよくばりセットを見る
となっているので恐らくそれより前にバーチャルYouTuber知ってた人とは感じ方違うだろうとは思うな
ブクマ禁止って追記したかったんだけど既にブクマされてたのでもういいや
なんか返せそうなのだけね
あおいそらちゃんのことも教えて!
え、誰
のじゃおじが偉大な人…?
むしろのじゃおじが偉大じゃなかったら誰が偉大なんだ?
意見が食い違うって悲しいことね
なぜリンクを貼らないのか
え、いる?
ちょっと調べてみたところ、取引所に人が増えることで不思議なことになりそうと感じた。
既に発掘が終わりかけているため、そもそも電気から捻出することが先細りになることが確定的なのに、
最長一年間のステーク期間があるので、流通させることの出来るBCO自体の量に制限がある。
一方で、人が増えるにしたがって取引所の収益が上がりステーク者へのメリットが増大し、
ステークしたくなる人もいるのに、ステークされればされるほど流通量が減る。
※もちろん、ステーク者が増えるほど一人あたりの収益も減る。正確にはBCO単位で、だけど。
この辺はどっかのラインからそれを無視できるメリットになる気もする。
もちろん、ステーク自体にBCOが手数料として必要なので、少量取引ではデメリットもある・・・
が、見た限りステークしていることへの利益分配自体にもBCOが入っているため、程度によっては
雪だるま式にBCO換算ベースで価値が増えていく可能性もある。
必要というのは二つの側面があって、セクハラはされる側にメリットは一切ないとも言い切れるが、パワハラまがいの教育行為や体罰に関してはそれを受けて多少なりとも成長? 向上に繋がった人間がゼロではない。
という点と、世の中にはセクハラやらパワハラやら体罰やらいじめやらをやりたい、ついやってしまう、我慢するのが難しい人間がおる。
さて、世の中からセクハラ、パワハラ、体罰を完全になくすことは可能なのか?
殺人や飲酒運転が無くならないのと一緒で、幾ら厳罰化したところでゼロにはならないだろう。
車輪の再発明……ではないが、体罰などは教師から生徒、親から子、師匠から弟子と、体罰の概念が存在しない世界であっても生み出されてしまう。
某氏が語っていたように、どこからセーフでどこからがアウトなのか?
については、切り分け容易なものとそうでないものが混在しているので地獄だ。
・痛みや恐怖心を与える目的(実際に痛みは伴わなくとも
稀に、至近距離、あるいはゼロ距離から衝撃を与える技の使い手も居るが、そういうのを抜きにすると、”触る”行為とは明らかに区別が付く。
っていうか、もう撫でるとかもセクハラになりかねないんだから、血縁関係なければ接触自体を禁じてしまう方向だろう。
受け側の受け取り方
〇っぱいをちょっとつつかれたぐらいではセクハラと思わない、「ぱい」が付く言葉を聞いただけでセクハラと捉える、両極端だ。
為し手側の印象
同じ台詞を吐いたとして、一方は受け入れられ、あるいはジョークとされて笑いに変わり、もう一方は、空気も悪くなる挙句にセクハラ認定される。
一切の下ネタや、説教じみた教育が存在しない世界にしてしまうのか?
否であろう。
グレーゾーンを広げたり狭めたり、移動したりしながら、様子を見ていく、探り探りやっていくしかない。
もちろん、万人が納得行く行為は当然禁止するべきだ。逆に時代が進めば解禁されることもありえよう。その頃には生きてはいないとも思われるが
今回の岸氏は強大な権力者で、何をしてもお咎めなしの状況だったからこそセクハラを繰り返していたのだろう
はあちゅう氏自身も、童貞がいくらいじめてもやり返してこない弱者だからこそ今までずっと嘲笑することができた
彼女以外の女性や非童貞の多くにとってもそうだから、社会一般的に童貞はいくら攻撃しても構わないという扱いになっているのだろう
しかしはあちゅう氏の読みは甘く、匿名のネット上では弱者である童貞も上位カーストの人々と同様に発言権があったため炎上させられてしまう
結果として、氏は(某氏の言うようにヘイポーの謝罪のようで心のこもっていないものではあるが)謝罪に追い込まれることになった
これはすごく意味のあることだと思う
心の中でどう思っているにせよ、今後童貞ヘイト的な言動をネット上では控えるだろう
岸氏もはあちゅう氏も同じで、ハラスメントというのは相手が嫌がっていることを面白がって行うものだ
道徳の授業のように「こういうことすると相手は嫌がりますよ」と伝えても「わかってるよ、だからやってるんじゃん」としかならない
セクハラ親父には「自分の娘にも同じことできますか?」と言うより「上司の娘にも同じことできますか?」と言う方が有効だと聞いたこともある
自身が強者にハラスメントを受け、苦しみを十分熟知しているはずのはあちゅう氏が自分より下の人間にはハラスメントを行なったこと
これは道徳でなく罰でしかハラスメントの解決は成し得ないという立派な証拠ではないだろうか
今回の件で「ミソジニー童貞どもに#MeTooを台無しにされた!」と憤っている世の女性の方々は、ハラスメント解決のために刑事罰化の運動をした方がいいんじゃないかと思う
(線引きの難しい問題ではあるけれど…)
昔、メルカリ攻略だよってサイトがあった。今は別名になっている。
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魚拓でも取っておけば良かったなと後悔している。
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こんな商売をやってるのか分からない。ただ、画像の一致から見ると恐らく本人かな?
商売するのは自由だと思ったが、この一件以降切り込み隊長のカードが嫌いになった。
また、某氏のお話によると数年前のライター募集の件でライターに対して賃金を払っていないらしい。
本当かどうかは分からないが2人被害にあった人がいるようだ。トレトクなどのスポンサーサイトでもある中でこういったサイトがスポンサーを持っている事は異常ではないか。実態は不明だし、名誉棄損で訴えられたくないので控えるが事実である可能性が高いのでここに隠れて記しておくことにする。
某氏が本当は呼び掛けていないということは置いておいて、棄権というのに異常なアレルギー反応があるのが謎だと思い始めた。
まとめ
・投票率向上のために若者は白票出した方がいいというのはわからんでもない
・しかしそもそも票田のことしか気にしません見たいな政治家がまかり通ることを容認するのか、そういう自称リアリストがこの国を腐らせているのでは。
・投票権の尊重の在り方は人それぞれだし、選挙へ行くかどうかについてもっと柔軟な価値判断を持ってほしい。少なくとも「そんな奴は投票に参加する権利はない」といった発言は、普選運動への冒涜に他ならない。(税金を納めてないやつは選挙に参加するなの構図とたいして変わらない)
選挙欲しい人がいるのだから、持っていることはありがたいと思えというのはまあ正しい。しかしそこから導けるのは「選挙権を大事にせよ」という命令であり、選挙権を大事にする方法は人それぞれだろう。判断する時間が取れず、責任ある投票ができそうにないから、棄権するという態度は選挙権を尊重しているからこそできる態度ではないのだろうか。一票に宿る歴史の重みを自覚せずに、責任感なんてなくてよいので適当に投票せよ、などというのはそれこそ冒涜ではないのか。
・投票できるのに投票しなかったら政治にコミットする権利はなくなるよ
そもそも、このようにすぐに自分と異なる行動をするものの主権をはく奪しようという発想自体が、民主主義や国民主権の発想と異なるように思える。
若者向けによく言われる言葉だ。統計上の若者の投票率向上自体が若者向けの政策のモチベーションへとなりうるため、白票でもよいので投じろという考えである。まあこの中ではたしかにまともな意見だと思う。ただそもそも票田となる対象を利するみたいな考えが気に入らない
・400万円
雑すぎ。
・利益団体を利するだけ
選挙権を行使して利益団体を利することもできるわけだし、利益団体はそれなりの根拠をもって行動している。(私は人々の道徳的感性にある程度信じているので、いくら何でも、自分の業界を守るために虐殺やります!みたいな業界団体が業界団体内で支持されるとは思えない)と考えれば利益団体による調整機能への信任としての棄権という考えもできる。
自分のやっている"善行"をやっていない人間を排撃するのはたのしい!という素朴な気持ちを持ちがち
選管がやたらとキャンペーンを張っている。成人式でもわけのわからないDVDが配られていた。子供のころから刷り込まれた価値観はなかなか疑いにくいし、それに反する行動には過剰反応を起こしがちだ。
これは純粋な疑問だが、全国民が最適と思う投票行動をとった時、果たして現状より良い結果が出るのか?という疑問がある。
また完全に利己的な高齢者の投票率が向上しても(若者の)私は特にうれしくない。
また若者の投票率向上には一定の意味があるかもしれないとも思う一方で構造的に若者の投票率は上がりにくいのではという気持ちもある。この状況下で抽象的な「行こう」キャンペーンは単に選択肢のない人への暴力じみている気がするのだ。
若者の投票率向上は意味があるのかもしれない。なので普通に行きたい人は行くべきだが、その考えを他人に押し付けないべきだと思う。選挙をやるのは本来世の中をよくするため、世の中を悪くしないためといった目的があるはずなのだが、「選挙に行こう」「選挙に行かないやつは非国民」運動には、その大前提が感じられない。「選挙に行きさえすればよい」という意識は「お題目を唱えれば成仏できます」(念のため南無妙法蓮華経とは書かなかった)とたいして変わらない気がしてならない。
何でもやりたい事を指示したプロデューサーが悪いのを知らずに安易に脚本のせいにしちゃうようなにわかはアニメ語って欲しくないですね。
理由はオリジナルの別作品を担当する同じ脚本家、監督がその有能さを発揮しているから。となるともっと上の人間の指示が大きく影響した結果だろう。
かつてガンスリンガーストラトスというクソアニメがあったが、そもそもクソつまらんのにこれを不朽にしたのは最終回放送前後に放送されたアニプレの某プロデューサーのインタビュー番組で、氏が仕掛けたという、
二つのエンディング展開という話があったが、問題はそこじゃない。そこじゃないというか、アニメ全体を通して見て何故アレにOKを出せたのかという点だ。
頭きらきら星かよと今なら思う出来事だった。あの時のPのドヤ顔が忘れられない。
艦これやサクラクエストも同じでPがやりたい放題した事は各スタッフ関係者の(削除済み)ツイッターやイベント等で確認できる。
艦これ2期は件のPが干された為に制作中のまま頓挫するのではと某所で批判されたので、なるほどプロデューサーは必要だわと思った。
ましてやヒットメーカーの田中某氏のいないお仕事シリーズが名作の訳がないじゃないか。いわば生みの親だぞ、あの人は。
本当に名作だと思うなら何で最終回放送後に虚無感、空虚感が芽生えたのか(まるでグラスリップ)、是非ともご教授願いたいところ。
なぜなら、その感想文は100%子供が書いたものではないからだ。
自分が子供と同じ頃、じつは自分の作文もコンクールに行ったことがある。
このときは100%自分で書いた。しかも、子供がどの目線で文章を書けば大人が喜ぶかを計算した上で書いた。
子供らしい向こう見ずな文章や、出て来る数字も敢えて理解よりも大げさに書いた。
その子供らしい部分を大げさに表現すれば、間違いなく大人は喜ぶだろう確信があった。
果たして思惑の通りの評価が並び、子供ながらにしてうける文章とは何かを理解することになった。
少し特殊な生い立ちを持つ自分は、できるだけ目立たないように生きることが習慣づいていたのだ。
それでも中高の小論文は毎回と言っていいほど自分の文章がお手本として選ばれた。
議題に対する切り口だけはこだわってしまった結果だろう。
遠慮して書いてもそのレベルなのだと感じられることに悪い気はしなかった。
ついでに言えば、その頃はすっかり本の虫としての毎日を送っていた。
今で言うライトノベルと呼ばれそうなジャンルから、本格ミステリ、純文学など節操なくなんでも読み漁った。
電車通学の30分を使って年間100冊は当たり前に読んでいただろう。
絵で描かれる物語とは決定的に異なる、活字が与えてくれる想像の余地がたまらなく好きだったのだ。
自分は現実世界ではいわゆる色弱としての生活を強いられているのだが、彼の本の中では健常者以上に鮮やかな色彩を感じられる気がしたのだ。
モノクロの世界を淡々と描いておいて、突如蜷川某氏を思わせるような原色が巻き散らかされるようなシーンの移り変わりに脳天をかち割られるような衝撃を受けたものだった。
それに、彼自身は折り紙つきの変質者であるのに、全くその自覚を持たず純度の高い無邪気さのままに書き上げらる文章に、まるで自分の心の醜さを試されているような感覚もたまらなく好きだった。
しかし、生い立ちの都合でその時代に一般的な企業への就職を諦めざるを得なかった自分には進学という選択肢はなく、過酷な肉体労働に進む以外の道がなかった。
今でこそ現場を離れて机に根を生やす生活を送っているが、最前線で現場を仕切っていた時代は文章は縁遠い存在になってしまっていた。
そんなある日、家に帰ると子供が原稿用紙とにらめっこをしていた。
ひらがなで3枚を埋めることが目標だったのだが、あと一枚がどうしても埋まらないらしい。
どれどれとそこまでを読んでみると、いわゆる子供が陥りがちな感想文がそこにはあった。
本文を抜き出しては、ただ一言おもしろいとだけの感想がつく文章が並んでいたのだ。
どうやらここにたどり着く間にも母親の力を借りていたらしいことを聞いて思わず苦笑してしまった。
自分が面白いと感じた部分を掘り下げることばかりがうまくなっているだけで、それがあらすじなのか感想文なのかの違いをわかっていない。
そこで少しだけ手伝ってやることにした。
「この本の中で、一番おもしろいとおもったところはどこ?」
「それをどうして面白いと思った?」
「もし自分だったらどういうふうにしたいと思った?」
大切なのは、その時代、その人間にしか感じられない感性を切り出して言葉に残すことだ。
思った通り、大人では絶対に思いつかないようなポイントに興味を惹かれていて、そしてそれに対する代替え案も、まさに今の時代を生きるこの子にしか思いつかないような言葉が返ってきた。
それを子供の口から言葉にさせ、内容は変えないままに言葉をより子供らしく無邪気なものに置き換えて子供に伝え返す。
子供はそれを黙々と書き写した。
そして、あえて終わりを歯切れの悪いものにした。
文章とはもっと自由なもので、それにそれこそが味と言われるものになりえるからだ。
小学校の先生ごときがその良さに気づくとは到底思ってもいなかったことだけが誤算だったが。
どうやらこの読書感想文に対して、コンクール前に先生と一緒に手直しと加筆をするというのだ。
なんだ。それではやってることが家でのことと変わらないではないか。
結局子供は大人のエゴに躍らされるのだ。子供を通じて子供らしいと思えるものを大人同士がやり取りして楽しんでいるに過ぎないのだ。
願わくば子供が大人に言葉を押し付けられることで文を紡ぐ楽しみを見失ってしまわぬことを。
コンクールで賞を取ることなんかよりも、よっぽど大切なことだからだ。
さて、蛇足をあえて加えさせて頂くと、卒業後しばらく疎遠だった物書きだが、このところは比較的高い頻度で文章を書くことができている。
はじめて誰に遠慮するでもなく、思っていることを好きなように書いてもいい場所を見つけたのだ。
そして、それに対して見ず知らずの誰かが色々とリアクションをしてくれるという、まるで夢のような場所がこの世に存在していたのだ。
おかげさまで、自由に文章を書くということがこれほどまでに楽しいことだったのだと喜びを噛みしめる毎日を送っている。
某エンジニアが40代の過渡期に、学生時代の修羅場みたいなことをしていて草なのだが、お金と、妻子があるだけ、余計厄介。
社会的制裁とか、どうでもよいので、不倫に至らないための方法を教える。
年下の慕ってくれる女性ができたら、娘だと、思えば良い。
某氏は完全にちんぽに負けているわけだが、ちんぽに負けないための理性をどうやって保つか。
してはいけないと、倫理観を高めると、ちんぽとの戦いになってしまうので、如何にちんぽと戦わない土俵に持ち込むか。
娘と思って接すれば、彼女候補に、安心感を与えつつ、自分を安全圏に保ちつつ、自分の虚栄心を満たすことができる。
セックスもしなくていい(もちろんある程度あると思うが)
パパ活にまとめてほしくないが、大学教授(私立文系)の叔父も、学生を娘と呼んで可愛がっていた。(学生宅に泊まったり、現代ではできない逸話をよく聞く)
女性にとってのパパであれば、いずれ自立しなければいけないことを自覚しつつ、自立に向けた英気をやしなうことができる。
パパになれば、安心感を与えてあげれば、女性を満足させてあげることができる。満足させてあげれれば、自身も満足感を得ることができる。
不安定な女性は精神的な支えを求めてしまうので、2人の関係だけになればなるだけまずいし。
というか、メンヘラな女性が増えているのって、明らかに精神的な支えになってくれる人が欠けてるからだろう。
元記事の朝日は読んでないけど、 Buzzfeedといい、「差別なんだけど分かってる!?」と他人様を攻撃して回ってるブクマカといい、なんで障害のある人のために自分たちにできることはないかっていう発想にならないの?
某氏が迷惑かけたのはアイスクリームの会社と周囲の乗客、そして潜在的には風当たりがきつくなったかもしれない障害のある人たちに対してであって、俺らじゃねーから、外野が某氏を責めるのも違うと思ってる。
けどそれより、「自分たちは障害のある人の味方でござい」って顔して、その実それを他人を糾弾する道具にしてる奴の方が一億倍ムカつくわ。ほんまに味方やったら今何ができてなくて今後何を目指したらいいかを話し合えよ!
• 小児麻痺後症候群と脊椎圧迫を患うSheila Kingさんは、2008年にジェットスター航空アデレード発ブリスベン行きの航空券を手配するために電話をしたところ、そのフライトは変更しなければならないと言われました。
• ジェットスター航空の国内線では、車椅子の援助が必要な乗客は一便につき2人までという規則があり、Kingさんは3人目の乗客であるとのことでした。
• Kingさんはジェットスター航空の規則は、障害者差別防止法に違反していると反論しました。
• しかしながら、Kingさんが車椅子の乗客として搭乗出来なかったのは、ジェットスター航空のウェブサイトに掲載されている特別な援助の規則に基づいた理由からであり、さらにジェットスター航空は、他のフライトに変更するように伝えたという理由で、2013年1月連邦裁判所はジェットスター航空に有利な判決を下しました。。
結局、無理な物は無理だという事で、訴えた側がジェットスターの2万ドル以下の裁判費用を支払わされているのです。
余談ですが、某氏がオーストラリアから同様の判決を受けているという説があるのですが、そのソースらしきものは見当たりませんでした。