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2019-02-24

軍需産業で儲けが出ないのはコマツ言い訳しかないという話

単に技術力がなかっただけじゃん

普通はさ、ミルスペックを開発したら軍隊データを稼いで、それを民間ブラッシュアップ転用して特許なりで稼ぐんだよ

長期間運用して最期の一欠片、極端に言えば事故るまで使う軍隊に金出して貰おうって考えがあり得ないんだよ

それとも一般お客様までお手手引いてもらえないと満足にプレゼンもできないってか?

そんなゴミ企業ならいなくなって結構。こんな下らん小学生レベル言い訳売国反日の謗りを免れるわけねえだろ

2019-02-20

anond:20180205174219

新しく生まれてくる子どもの親とは思えない。

どうせ最期はみんなぜんぶ捨ててネクストステージなんだから

気張って生きろ。思い出なんて幻想だ。

2019-02-16

夢でみたドラマタイトルが思い出せない

目覚めてそれは何のドラマだったのかと思った。

正確には「海外ドラマを見たことを思い出した」夢を見た。

しかし今起きてそのドラマがなんだったのか思い出そうとしても思い出せない。

まさかそれ自体が夢だったのか。

その割には細部がやたら具体的だった。

舞台ちょっと昔のどこか外国

第1部は少年と妹分とちょっと年上風のガタイのいいい同年代のトモダチとの話。チンピラ風の男と知り合うのだが実はヤクザで、トモダチと妹分はそいつらに殺されて溶かされ家の前に流される。

少年実行犯には存在を知られていないので助かる。

第2部が今夜見た夢の回だ。

少し成長して、友達も何人もできている。周りからちょっと賢い子だと思われている。

ボーリング場のあるちょっと大人びた施設に入り浸っている。友達も皆そこの常連だ。そこのオーナー白髪交じりの好好爺。ある日ボーリングボールを拾ったところでその好好爺に声をかけられて別室で不思議ボーリングをする。色々なやることを書いた札を倒すボーリングだ。ただ内容はたわいもない。握手をするとかそういった類のもの。何も書かれていないものもある。

実際にそれを強制されることもなく、遊び、解放される。

別室の出口の前にポスターと小冊子がある。何気なく読むとそれは好好爺自伝映画化したものシナリオの一部。

それを読んで、その好々爺自分のトモダチと妹分の実行犯なのだと気づく。誰かに声をかけられるがごまかす様に去る。

そして別日、今の友達達に好好爺の正体がマフィアヤクザだと知っているかと聞くが誰も取り合わない。自分のトモダチとの過去を、聞いた話として話し始めると好好爺がやっってくる。

かに気づいているかの様子。

こっそり抜け出すと追ってくる。

公園のような所で追いつかれ、笑みを浮かべて好好爺が近づいてくる。

少年はもう遅い、と機械の詰まったボール坂道に転がす。

そのボール機械制御になっていて、物凄い勢いで坂道を下る。好好爺の手下が捕まえようとするも逃れて、そのまま街中の方へと転がる。

やがてそれは主人公と仲の良い、主人公親分のように慕う子供が遊ぶ所にたどり着く。子供は中にあるゴムボールのようなものを取り出し、ポストに入れる。

しか少年の放ったものは一つではなかった。小さな気球のようなものもいくつかあった。

好好爺はその一つを追い、役所の前の噴水のような所に落ちたものを拾う。そして、サイレンサー付きの銃で気球に付いていたボールを割り、中の手紙を読む。

それは告発文ではなく死んだトモダチと妹分への手紙だった。もう会えない彼らに自分は悲しんだこと、恋しいことを綴っただけの内容だった。

というところで目を覚ました。

すぐにネット検索したがそれらしいものは出てこない。

だが、やはりこれは夢なんだろう。

多分、インドネシア舞台にしたドキュメンタリー映画アクト・オブ・キリング元ネタにしたものだ。実際夢のドラマ舞台インドネシアっぽかった。死体を溶かすのはブレイキング・バッドあたりから連想か。

思い返すと公園のシーンは子供遊んだ公園に似ているし、今の友達の幾人かは実際の同僚ぽかった。

やたら鮮明な夢だったので自分脳内で作った話だと思えなかった。

最近Netflixprime videoで映画海外ドラマを見すぎた影響だろうか。

ものすごく気になっているのだが脳内は続きを見せてくれるのか。少年好好爺にどう復讐するのか、しないのか。

そういや最期手紙わら半紙手書き毛筆日本語だった。夢のディテールもツメが甘い。やっぱり続きは無理かな。。

2019-02-14

anond:20190214114111

無理やろ。車の中とかじゃ引っかかるし。おそらくバレルだけじゃなくてストックも切ってるんやろ?

何故あの場面でショットガン持ってたかってーとおそらく混戦になるから跳弾で人を傷つけかねないコルトパイソンよりフランジブル弾とかで跳弾気にせず撃ちまくれるショットガンの方が向いてるって判断だったんだろ。

最期の場面では人とかおらんし公園の中だったかコルトパイソンで片づけたけれど、やっぱり基本的に狙い付けなきゃいけない関係マグナムあんまり使いたくないんじゃねえかな。

2019-02-12

anond:20190212111719

売るなら

ヤフオクメルカリまんだらけ駿河屋

かな。個人的感想だが

最近Amazonに出品も有りかな(手数料とか送料固定とか勝手は違うが)

駿河屋最期の砦だし、言いがかりレベルの減額が多いから、実店舗全部潰れて欲しい

ストレス耐性と口語能力理解力が低いスペック死ぬしかないのか

もう30代前半になってしまった。

どうにかしようと思って就ける範囲の職で何社か働いてみたけどストレス耐性が低すぎてすぐ辞めてしまう。

神経質だったり人の話が理解できなかったり朝が弱かったり人と一緒にいると疲れたり集中しなきゃいけないのはわかっててもボーっとしてしまったり頭が真っ白になってしまう。生きてて辛い。

もう、俺の脳みそはとっくの昔にだめになってしまったんだろう。

IT慢性的人手不足?俺には無理だろう。無能はいりません。皆そう言うよ。どれだけ学習意欲を高めても働き出すといっきリソースが消費して逃げ出したくなるんだ。

発達障害じゃないのかって?精神科検査したよ。カウンセリングやウェクスラー検査を通して貴方が生き辛く感じている特性確認できました。しか言語性と動作性に差はありませんでした。貴方発達障害ではありません。

きっと俺みたいな低スペックに苦しむ人間は世の中には沢山いるんだろうけどフォーカスがあたらないのはこの世界が俺みたいな健常者の皮をかぶったゴミのための世界じゃないからなんだよな。

幼い頃から生きていてずっと眠かった。歳を重ねる度に眠気が増してきた。

俺の馬鹿脳みそでもうっすらと世界の仕組みが、得られることの無い自己肯定感自己効能感を通して分かったんだろうな。「貴方はこの世界ではただのボトルネックです。社会のためにスリープ状態に移行します。もしくは強制シャットダウンをしてください。」

時々安楽死について調べてるのはきっとそういうことなんだろう。

精一杯仕事して仕事帰りに飲みに行く気力体力能力もあってプライベートでも胸張ってられる人たちはもう俺とは同じ動物じゃないんだろう。彼らは彼らなりの苦労があるのはわかる。そして彼らと自分との悩みの次元が違うのもわかるし、彼らと一緒にいると自分が彼らのストレッサーになることもわかる。

もしも安楽死制度が出来たら直ぐに使いたい。俺は幸い健康診断の成績だけは良い。だから、俺みたいな今日にでも死にたい奴の臓器は、明日を生きたい人に使ってあげて欲しい。こんなことでしか役に立てないが、せめて最期ぐらい役に立てるなら嬉しい。

わがまま言えば、臓器提供代金が欲しい。親の生き甲斐や夢を黒く塗りつぶした獄つぶしとして出来るのは、その代金を親に全額渡すことぐらいだ。

まれてきてすみませんでした。

2019-02-09

祖母が死んだ

先月、母方の祖母が死んだ。

最近認知症で日時の感覚がわからなくなったり同じ話を繰り返したりしていたが、高校(?)の入試では満点を取ったり、あの時代大学卒業している才女だった。

昔は教職につき、あの時代恋愛結婚をし、映画や革細工や日本画書道が好きな、穏やかで優しいおばあちゃんだった。

一昨年の冬、私は初めての彼氏USJに行くことにした。飛行機に乗る小旅行だ。ついでに母方の祖父母にも彼氏を見せに行こうと思った。母方の実家大阪にあるのだ。

チケットも買ってウキウキだった。

母に猛烈に反対された。結婚するかもわからないのに変な期待をもたせるなと。そして母方の祖父母挨拶に行く前に、父方の祖父母挨拶に行かないと迷惑だと。USJに行くのは構わないが、祖父母に会わせるのはやめとけと。

私はその彼と結婚する気だったので、変な期待ではないと判断した。OK

祖母認知症は、ゆっくりだけど着実に進んでいる。私が結婚するまでに死んじゃうかもしらないし、それなら彼氏いない歴=年齢だった孫の恋人結婚相手候補)を見てからの方が安心して死ねるだろう。

2つ目が問題だった。父方の祖母形式にこだわり、また嫉妬深い性格なので「ウチを後回しにされた!普通は先に父方の祖父母挨拶する!」みたいに怒るそうだ。それくらいのことでとおもったが、過去似たようなことでトラブルになったらしい。

結婚するなら親戚づきあいトラブルは起こしたくない。USJ旅行の前に、宮城に住む父方の祖父母に、日帰りで会いに行くことにした。

宮城に行った2週間後に大阪に行くという、面白いスケジュールになった。快く承諾してくれた彼に感謝。何度もお礼を言った。

父方の祖父母に「今度彼氏を連れて日帰りで遊びに行くよ」と電話した数日後、「父方の祖母は私と彼を本家挨拶に行かせたがっている」と父から聞いた。祖父10兄弟の9番目だから親戚から今まで軽んじられてきたけど、孫がまともな人と付き合っていて結婚もするらしいということで、自慢したいらしい。私が返事をするより先に父が断ってくれていた。

朝早く新幹線に乗って、挨拶して青葉城を見ておいしい牛タンを食べて、夜遅く東京に帰った。

挨拶の前、彼はとても緊張していたが、終わってからは「いい人だった」とケロっとしていた。

2週間後に大阪に行った。USJはとても楽しかった。次の日に祖父母に会いに行った。

持って行ったケーキをみんなで食べながら、祖母は「このケーキ綺麗やなぁ。飾りが繊細で、王冠みたいな形になっとって、綺麗なぁ。いやほんまに。作った人は、こういうのどうやって思いつくんやろなぁ」「増田ちゃん、いい人見つけてよかったなあ」と何度も言っていた。

帰り際になると祖父は別の長くなりそうな話をして引き止めようとした。

挨拶の後彼は「先々週より疲れた。引き止めようとしてたね。帰っちゃう申し訳いね」と言っていた。

その後通天閣道頓堀を見て帰った。

その後私と彼氏同棲を始め、結婚式の予定も決めた。

昨年の12月、母方の祖父母電話をすると、祖母は「来年結婚式たのしみにしてます。おばあちゃんはどんな人か知らんけど、増田ちゃんが選んだならきっといい人だと思うわ。本当に楽しみにしてるで」と言っていた。

母方の祖母は先月、お風呂で寝てのぼせて死んだ。多分苦しくなく、あったかいなあって思いながらの、幸せ最期だったと思う。

やっぱり、無理はしたけど、一昨年彼と会わせておいてよかったなあ。

反出生主義について

私はおそらく反出生主義だ

子供は本当に可愛いと思う、愛しむべき存在だ。この世の全てのこどもたちが幸せであって欲しいと切に願う、虐待死のニュースなど胸が張り裂けそうな思いに駆られる。

けれど、それと子を持つという考えはイコールにはならない。

この世のありとあらゆる不安事故、人の悪意、はたまた病気から子供を守りきれるだろうか。答えはNOだ、言い切れる、絶対不可能だ。

結果的にその時は守りきれることもあるだろう、けれどそれは一時的結果論であって、生きている限りこれらの可能性はあり続ける。

今、自分に降りかかる全ては自己責任(語弊はあるけれど)と割り切れる。少なくとも私はそう生きてきた。

仮に明日、車に轢かれて死んだとしても痛い思いをするのは自分だ、ドライバーを許す許さないも極論自分次第、全ての不幸は自分の心の持ちようでどうにでもなる。

から死のうとは思わないし、生ある限り楽しもうと思う。別に人生を悲観なんてしていないし、毎日充実している、両親のことも好きだ(母は亡くしているけど)

ただ、それは全て”私の心”の話であって、どこまでも主観の話なのだ

人に強制することでは絶対あってはならないと思う、それは自分の子供であっても。

セックスはひとりの人間を創ることだ、出産はひとりの人間をこの世に産み落とすことだ。

それは神聖で美しい営みなのだと思う、と同時に残酷で罪深い行為だと感じずにはいられない。

自分分身とか、血を分けたとか、遺伝的な繋がりがあるとか、勿論様々なとらえかたがあると思う。

けれど、1人の人間をの人生を、本人の許可なく始めさせる権利が一体どこにあるんのだろう。

「この優しい人を父親にしてあげたい」

とある作品でこんな台詞を見た

この気持ち理解するが、共感はできない。ここに子供気持ちが含まれていないから。

勿論お腹の中の子供の気持ちなんて分かる筈もない。ただ想像すら放棄している気がしてならない、それは思考停止なのではないか

人は、ましてや子を守る親は思考停止なんてしてはいけない。

生主義ないし子を持つ親、これから親になる夫婦に聞いてみたい。

上に挙げた考え方は狂ってるのしれない、けど全く間違っているともどうしても思えない、子供を作る時一瞬でもこんな考えが浮かんだのかな、怖いと感じなかったのかな。

子供を持とうと決めた理由は何なのか、教えてほしい。

皮肉でも嫌味でもなく、本気で聞きたい。

子供を持つことで成長できたなんて言うけれど、自分たちの成長の為に子供を作った人はいないのではないのか。

ならば将来年金を貰うなと仰るかも知れない、仮にそんな法律が決まれば甘んじて受け入れる。最期は誰だって一人だ、そしてその過程、何年か何十年か分からないけれど。それは文字通り死ぬほど苦しいんだろう。(自分の老後のために子供を産んだのかという話になるけれど)

そうだエゴだと開き直れるのならそれはそれで幸せなのだろうな。

別に人類は滅びろとか、出産は悪だなんて言うつもりはない。

強い言葉を使う反出征主義者は声高なヴィーガンと同じくらい嫌いだ。

ただ恐ろしい、1人の人生自分の手で始めさせるなどという責任を負うことは私にはできない。結果、反出生主義的な考えになっている。

納得できる理由があれば私は考えをあっさりと改められるのかも知れない、できるならそうなりたいと願う。

改めて言うけれど、私は子供が好きだ。人間は美しい生き物だと信じたい。だからこそ、この世に産まれた命に対しては最大限の歓迎を持って受け入れたいと思っている。(昨日ブコメで見た「ようこそ世界へ」という言葉は素敵だと思った)

長くなってしまった

私は、喧嘩したい訳でも、議論ふっかけたい訳でもない。

ただこんな矛盾だらけの消極的な反出征主義のような人間もいるのだ。

共感しろとは言わない、ただ子供を持ちたくないという人間の1人にこんな考えの奴もいると知ってもらえたら嬉しい。

すっごい疲れた、昨日買っておいたティラミスを食べよう。生きることは素晴らしいよ、少なくとも私にとっては。

2019-02-08

anond:20190208012648

曽祖母死ぬ間際、僕に伴侶やゆくゆくはそうなるだろう存在が見えないことを悔やんでいた。

自身ももっと何かできたんじゃないかと時たまに思う。

増田自身サプライズプレゼントなんだと思って会いに行ってあげればいいんじゃないのか。

こんなこというのは薄情かもしれないが、おじいさんはすぐにいなくなる。増田恋人結婚だとかそんなことを意識していなくてもいっこう構わない。

気の利いたことも言わなくていい。そこに立っているだけでいいと思う。孫の恋人だと名乗るだけで充分なのだ

おじいさんは孫娘が結婚するかもしれないと少しうきうきした気持ちを綯交ぜに息をひきとる。それだけで幸せ最期じゃないだろうか。

死にそうな人にかける言葉

今日自分恋人から電話がきた。

「おじいちゃんがいつ死んでもおかしくない状態死ぬ前に一目会わせたい。三日後来てくれ」

だそうだ。

恋人とは2年半くらい付き合っており、そこそこ親密な自信はある。恋人のご両親とも何度も顔を合わせていて、よくしてもらっている。

しかし、そのおじいさんには会ったことがない。寿命が残り僅かとは聞いていたが、これほどまでに早いとは思わなかった。

さて、自分は三日後、どんな顔をしてなんと声をかけてやればいいのだろうか。

そもそも、顔を合わせてしまっていいのだろうか。これは、恋人だけでなくご両親の希望でもあるそうだ。

でも、そのおじいさん本人は?おばあさんは?それに、恋人家族以外の親類は?どう思うだろう。

自分をおじいさんに会わせる、というのは恋人家族自己満足で、それ以外の人はそんなこと望んでいないのかもしれない。

最期くらい、見知った家族にだけ看取られたいのかもしれない。

分子が混入することを、親類は快く思わないかもしれない。

仮に彼らに受け入れられたとして、自分は何と言えばいい?「初めまして。貴方のお孫さんと付き合っている者です。どうぞよろしく。」?

以後よろしくと言ったっておじいさんに以後はない。

かえって、こういうヤツがわざとらしく会いに来るということは、自分の死期を実感させてしまうのかもしれない。

自分気持ちもよくわからない。何故、会いに行くのか。恋人との良好な関係を保つため?おじいさんを安心させて逝かせてやるという使命感?死に直面した者と、その家族気持ちに出来る限り寄り添おうという倫理観

逃げ出したい。人の死という重たい事実は、身内で受け止めるのが通常なのではないか部外者自分が受け止めようもない。

自分ができることは、寄り添ってやるだけだ。当事者にはなれない。

どんな言葉を探しても、薄っぺらく感じる。気休めに聞こえる。それは相手にも見抜かれる気がする。

皆さんならこんなとき、どうしますか?

2019-02-01

anond:20190201230113

いーやだめだ

山〇教授センター長みたいな勝ち組は顔がああでも勝ち組KKO扱いされない

逆に犯罪者は顔に少しでもKKO要素があるなら悪いことは全部KKOでくくられる

少しでも悪いことをする気持ちがあるKKO属性者は自分KKO代表であるという自覚をもって非のない最期意識すべきだ

2019-01-29

葬式不要

葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。

確か数年前、業者に頼まず自分で親を見送った増田レポートがあった記憶があるが、ああいものはあれでいてかなりシステマティックに世の中の仕組みができていて、業者に依頼しない=仕組みに乗らないで遺体を焼くのは割と面倒そうだった記憶がある。

この頃は葬式業者もお手軽パックもあるみたいだが、何だかんだでそれなりにしようとなるとお得感が無くなる、オプションなしだとかなり質が下がるという話もあるし、それほど簡単ではないかもしれない。まぁ彼らも商売から阿漕だなとは思うが仕方ないだろう、商売とは基本的阿漕ものだ。

簡単に死んで簡単野ざらしになれればさっぱりして良いなと思うが、残念ながら妙なところで現代社会には「ある種の厄介さ」があり、それを良いことだとも思ってはいないが、ことに生き死ににかかる諸々は出来上がってるシステムに乗ると割と楽だし人と違うことをすると悪目立ちしやすいという困ったところがあるのだ。

増田は親を二人見送ったが、多少金がかかっても出来上がっているシステムで楽をする方を選んだ。

親のうちひとりは病気で亡くなったのだが、死ぬ前の1か月はだんだん意思が柔らかく緩くなっていき、元気な時は「葬式無用 戒名不要」とか「その辺に灰を撒いてほしい」とか言っていたが、最期の病床では墓のことなどをぽつりぽつりと言いだすようになった。家庭の事情が若干複雑で、ある墓を引き継がざるを得なかったのだがその引継ぎについて口が煩いだけの親戚から了承を取る必要があり、まだ元気なころは墓はつぶす葬式もいらんお前たちも家を継ぐなんて考えなくていい、など言っていたのが、私に煩い親戚からの墓引継ぎの了承を取ってほしいと頼んできて驚いた。元気なころは生まれ世代からしたら相当アナーキーな考え方をしていた人だったので、本当にいいのか、別の方法散骨など)も考えられるがと聞き返したが、それでいいんだ、と言っていた。もう死んでしまったので本意は分からないが恐らく「それで(お前たちが楽な方が)いいんだ」ということだったのだろうと思っている。

もう一人の親は自宅での突然死だったので、もう色々(警察が来たりする)大変で、そのまま業者に頼むほうが気持ちも体も楽だった。というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。検死も必要だし死亡診断書がないと焼き場の手続きが進まないし焼き場の予約も混雑してたこともあり時間結構かかって、ボディが腐らないかという心配がかなり頭の多くを占めていた記憶がある。先に死んだ親が墓問題を己が死に引き受けたくれたおかげで余計なことを一つ考えずに済んだのがありがたかった。

検死の結果、自然死だったわけだが、病院で死なないというだけでこれだけ手続きが面倒になるのか、そして病院(や誰か看取る人がいる場所)で死なないとこれだけ面倒なのかとかなり身と心を削られた。オフィシャルに死なない(医者などが看取らない)ということは、誰かが疑いの目で見るということだ。警察などからしたら疑うこともなさそうなのが一目瞭然であっても念のため疑わざるを得ないし、遠巻きの第三者はそのような「念のため」をすっ飛ばして、残った我々に色々な憶測を割と無遠慮に投げつけてきたりすることもある。親族などに親の死を連絡をする時はこういうフレーズだと角も立たずこちらも苦しくないです、と教えてくれたのも面白く、ありがたかった。儀礼コミュニティにおける知恵が企業によりマニュアル化されている面白さ。

身内が死んで1か月ぐらいは、なんていうか、生きている側であるこちらも生死の境にいるようなところがある。頭が回らないし究極の非日常でもある。そういう「境目」にいると体の負担も心の負担もかなり大きい。

業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。参列者がまばらになった通夜ぶるまいの席で親族や親の友人知人たちにお礼を言って回っていて、気が付いたらまる2日たいしたものを食べてないな…とごちそうの名残を眺めていたら、業者私たち「ご遺族様」用に別に美味しそうにきちんと整えられた食事を用意してくれていたのがありがたかった。まぁそういう気遣い商売なのだろう。

ふたり葬式にはそれぞれ彼らが生きていた時によく聞いていたCDを自宅から持ってきてBGMにしてもらった。

どちらの葬式業者葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。勝手の分からないベース基地で、言葉は悪いが良い感じの時間つぶしが必要だった。スマホはてブなんかは、やはり見る気にはなかなかなれない。SNSも、動画サイトも、自分たち大人はもちろん、子供たちもあまり見たい感じではない様子だった。休んでいる間の仕事のやり取りでメール電話をしても、なんていうかしんどい確認メールを1本入れるにも、気持ちを整えて橋を渡ってまた橋を渡って戻ってくるというような隔絶感があった。

TVも置いてあったがこれもやはり見る気になかなかなれず、そしてクタクタのはずなのだがちっとも眠くならない。通夜番(とはいえ線香も一晩通して火が消えない蚊取り線香のようなぐるぐるした線香があったり(仏式です)と番をするような必要もないのだ)で残ってくれたごく親しい身内親族いたこともあって、ふと思いついて実家に一度戻って、親が好んで聞いていたCDを何枚か持ってきて、会場の音響設備を使わせてもらって聞いてみたら良かったのだ。

親と趣味を共有していたからということもあるが、この曲好きだったねとか、このCD家族ドライブに行くときはいつも持って行ってたよねとか、そういう話ができたのも良かった。そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCD葬式にもかけてもらった。見送られる人も、そして何より見送る人も聞きなれた音楽が流れてたのは思いのほか、久しぶりに肺に空気が入ったような悪くない感じだった。

この辺はただの好みの問題だが、業者が用意しているBGMは、ふやぁ~ん系ニューエイジ風の環境音楽みたいなヤツとか耳に残らないようなクラシック室内楽とか当たり障りのないもので、ずーっと聞いてると逆に耳に障った。当たり障りのない音の方が良いという人も居るだろうと思うが。無音はかなりしんどいと思う。周囲が虫の声とカエル合唱みたいなところなら良いのかもしれないが、何らかの街のノイズがいちいち気になった。

これはほとんどの人がそうだろうと思うが、ネットTVラジオ等もほとんどの「日常情報」はしんどくなると思っておいていいと思う。なんていうかすごくしんどかった、「橋の向こうにある日常」が。

あとは業者にもよるだろうが、業者の言うままにすると、妙に感動的な当たり障りのない美辞麗句の式次第アナウンスとともに当たり障りのない感動音楽を流す感じだった。葬式内容の打合せで試しに聞かせてもらったのだが、こんなん葬式コントみたいだと笑っちゃいそうだったので葬式コント化を免れたのは結果的にすごくよかった。この辺は結婚式オールお仕着せでやるとギャーってなるのと同じ感じかもしれない。

2019-01-26

追悼、玄海師範

昨日、幼少の頃からお世話になっていた女性が静かに逝った。

大腸ガン。87歳だった。

戸籍上の関係はなくもちろん血の繋がりもないが、家族以外に私のオシメを唯一変えてくれた人であった。そして学生時代には私のよき相談相手でもあった。

タイトル玄海師範とは幽遊白書に出てくる玄海師範のことである生前彼女のことを玄海師範あだ名していたわけではない。彼女訃報から思い出を反芻してるうちに、武闘派でこそないが玄海師範と多くの共通点があるとかんじ、また匿名日記ゆえの都合の良さがある。

若い頃の彼女写真はとにかく美しかった。東北人らしからぬ都会風の美人だった。しかし伴侶を持たず、生涯独身であった。

言葉説教くさくなく、明瞭で簡潔で的確だった。理知的ドライで、自立した凛とした女性であった。

私の実家家族を保っていたのは彼女存在が大きく、それこそ家族をつなぎとめる文字通り重しであったと思っている(私を漬物石のように言うな、と怒られそうではあるが)。

私には長兄としての立場理解をしつつも、お前の悩みはまだまだ浅く青いとケツを叩き、母にとっては精神的な疲れの定期的な拠り所でかつ、貴重な愚痴感情のはけ口であり、父に対しては説教をし、そして父がこうべを垂れて反省する唯一の女性であった。

けして彼女のために家族を維持していたのではない。本当に彼女みえない力で、私たち家族は維持され続けていた部分が確かにある。

1人で彼女の家に行くと帰り際によく言われる言葉がある。

「もう来ないで」「もう来ないでください」「もういいでしょ」

おそらく父や母が1人で行った時にも同じ言葉をかけていたのだろう。半分冗談で、もう半分はお前たちは私の家を駆け込み寺のように扱うな、自立しろというメッセージだったと思っている。

年末彼女に数年ぶりに会った。衰弱した彼女と30分ほど会話をした後、不意にいつもの言葉を言われた。

「そろそろ帰りなさい。もうこないで」

わかった、じゃあまた、とだけ言ってその場を後にしたが、何かこみあげてくるものはあった。昔よく交わした最期の会話。雪が積もり始めた日だった。

彼女出身地は既にダムの底であり、彼女自身の体は献体に参られるから彼女が生きた痕跡は驚くほど速くなくなっていくのでしょう。

さようならありがとうございました。もういかない。

2019-01-24

認知症になったおばあちゃんの話

最初に言っておきたいのは、これから語るすべてのことはつくりばなしであるということ。人間が泣いたり笑ったりするのに、それが本当のことかどうかなんて関係がないと思うんだ。

おばあちゃんは常々「死んだらすべて終わり。生きているもの大事。」と言っていた。空襲で死んだ友達最期言葉が「お前の人生大事しろ」だったからだという。死んだ友達のぶんまで生きようと戦後必死に生きてきた。

それが認知症になったら「私は天国にいるけれど死んでいない」と言い始めた。正直、何を言っているのか分からなかった。わけのわからないことを言うようになったおばあちゃんに苛立つこともたくさんあった。ご飯しましょうと言ってウンコを食べ始めたこともあった。

ある日、おばあちゃん荻窪に行きたいと言った。荻窪のどこに行きたいかと聞くとアメ横だという。おばあちゃんそれは荻窪じゃなくて上野でしょうというと「ああ、そうかい」と言ったので上野に連れていった。上野は思い出の場所だと常々言っていた。

ところが、上野駅に着いて駅舎を見せると狂ったように「浮浪児がいる、浮浪児がいる」と叫び始めた。それは単に戦争の嫌な体験を思い出したというより、目の前に本当に浮浪児がいるような振る舞い方だった。おばあちゃん幻覚を見ているのだろうかと思った。

かつておばあちゃん闇市の話なども楽しげに語ってくれていた。それらも若い頃の思い出として語るぶんには楽しかっただけで、そのときには物凄く不愉快なことだったのではないかと思った。

私には本当のおばあちゃんがどんな姿をしていたのか分からなくなってしまったけれど、おばあちゃんと一緒に遊んだとき写真は大切にとってある。

2019-01-23

人生最期の日

今日ももうすぐ終わる。

これから風呂に入り、歯磨きをして寝るわけだけれど、寝たら最後、そのまま死んでしまうかもしれない。

別に何かの病気というわけではない。いたって健康な体だ。

でもどんなに健康な人でも、明日を迎えられない可能性はある。

寝ている間に不整脈を起こし、そのまま死ぬかもしれない。

仮に無事目覚めたとして、通勤中に通り魔に刺されて死ぬかもしれない。

通勤列車脱線事故を起こして死ぬかもしれない。

巨大地震が起きて死ぬかもしれない。

私はこれまでの28年間、たまたま死ななかっただけで、今この瞬間に人生が終わっても何も不思議ではない。

明日の今頃、私はまだ生きているのだろうか。

しかたらこれが最後かもしれないので言っておく。

お前ら、ありがとう

2019-01-20

ハンストする若者に心を打たれた

飲まず食わずで座り込むだけで、ここまで注目を浴びれるものなのか。

彼が若者から40代オッサンでは無理なのか。

注目されるべく、彼自身コミュ力プレゼン力があってのことなのだろうが。


来年契約切られそうなんだ。

もう家賃心配しながら生活したくない。

最期にせめて衆目を集めたいんだ。

その手の活動するだけで生活できるのならば、貯金はたいてどんな場所でも駆けつけたい。

から沖縄行けば間に合うのか。

2019-01-19

TCから始まる765プロ未来予想図(笑)

やあ、俺だよ。

なんかもう、トレンド1位記念とか公式工作しないと売れないの!!って暴露しているような醜態ですねw

そのわずかな試みさえ打ち消すレベルのしょうもなさ、低迷っぷりは憎くて憎くて仕方ない優秀な姉貴、シンデレラガールズの躍進をさら助長させてくれるね。

んで?前回も闇しか生まなかった投票企画に?老害ASをぶっこんだ結果案の定荒れてますwww

愉快だねえ〜〜

いいじゃないの、アイマス不良債権同士仲良く潰し合えば。

まあそんなわけでね、今回はそんな低迷まっしぐらミリオンライブ未来予想図!いくつか考えて見ましたんでね、発表したいと思いま〜す!自称ミリマスぺーは目見開いてよーく見とくように



ミリオンライブ消滅!お前らは一生俺たちのバックダンサーや!

6thライブ後、ハッチポッチ2開催。そこから765ASがどんどんミリシタを侵食していき、AS中心のイベント、新カードが増え始める。

ついにアニメ化と喜んだのもつかの間、蓋を開けてみればアニマスの続編、主人公ASで後ろを金魚の糞が如くついてくだけのミリオンズ。

そしてライブが常にハッチポッチ状態になり、最終的にミリオンスターズの個性もどんどん薄められてスクフェスのガシャで出るモブみたいな扱いになっていく。そして20周年ライブメンツAS、デレ、M、シャニになる。


れいいっすねえ〜ありそうっすねえ!

ミリマスペーのツラした声豚は自己主張だけは激しい癖にコンテンツにこれでも勝手くらいお金落とさないからね〜

君たちが老害老害言ってるAS担当の方がコンテンツに金落としてるよ。

AS組は死にかけのところにいい安息の地を見つけられて、君たちの大好きなミリオンは現実逃避したまま痛みもなく楽に死ねる。

最高じゃん?


次!



アニメ化から始まる大分裂、そして自滅

6thライブの後、アニメ化決定が告知!

内容は、AS世代交代、765からミリオンスターズへのアニマスシリーズお得意の感動ストーリー(笑)

ASガー」「ミリオンガー」「担当ガー」と豚ども阿鼻叫喚

ミリオンを残したい(行動を起こすとは言ってない。)自称ミリマスペー、ASにすがる老害

両者の衝突はイベントライブ不買運動に発展。

結果ミリシタが終わる、AS活躍できる場がなくなって終わる。

さよなら


まあ①の派生版だけどより現実的な流れを入れるとこんな感じですね〜

お金は出さない、でも口は出す。

アリガトミリオンライブwww

まさにオタクの鑑ですね()







特に何もない、普通に消える。

何んんんんんもないwwww

6th以降何んもないwww

運営サイドは頑張るけど金がないからでかいインパクトを残せない。

豚どもも「アリガトミリオンライブー」「セルラン!!セルラン!!」「マイリマシター」ばっかりで金を出さない。

声優ライブだけは行く。

結果鳴かず飛ばずで二度目の死を迎える。

流石にその瞬間だけは荒れる。でも何もしない、できない。

アイマスはデレとMのモバゲー勢に統一される。





これが一番現実的ラインですかねえ。

アニメ化できないのはアニメ化できる体力がないし、しても誰も見ないからであって

っていうか、しても遅すぎるわけで。

っていうかもうミリオンは何しても詰んでる、結局身内ノリ。

口は出しても金は出さないクソみたいなオタクどもを抱え込んだ時点で全て終わってた。

もう何もかも手遅れ。

まれてきたことがそもそもの間違い。

デレに全てを任せればよかった。

これからもデレに比べられ、MからまれASには憎まれ、後輩シャニにすら抜かれ惨めな最期を迎えるのがオチな訳ですよ。

3年持つかな?どうかな?

もう既に少し頭のある豚猿さん達はバンドリやらFGOやらに移動しきったでしょ。

いつまでそこで現実逃避してんの?いつまでしょうもないプライドにしがみついてんの?底辺オタクさん?笑

2019-01-17

anond:20190117121441

定年後は余命3年ブログみたいなのに入り浸ったり、愛國ユーチューバー動画にせっせと課金したり

最期には中学生イラついて侮辱ブログを作って憂さ晴らしする。

2019-01-15

anond:20190115034835

元増田君には20過ぎても30過ぎても

そのキラキラした感じを死ぬまで持ち続けていてほしい

途中で撤回せずに最期までギラついてほしい

おじさんからの切なる願いだ

2019-01-14

NHKスペシャルネット登山家の死のやつを見たけど

ちゃん功罪が書かれていたというかどちらかというとアンチ意見をメインにして描かれてたというのが印象的だった。遺族の了承もある程度はとった上で、これだけ死んだ人の失敗を伝えられたのは流石だなと思った。

一方で、今後放送が予想されうるだろう番組についても思いを馳せた。昨年殺害されたHagex氏について。犯人裁判が終わった頃のタイミングに合わせて、彼の人となりと最期を追った番組NHKスペシャル民放世界仰天ニュースなんかで特集されるだろう。その時にここ増田投稿されてるようなアンチ意見Hagex自身特定の人へのアンチ煽りをしていた件:家族晒した件など)をどのように扱うのだろうか。多分無視されるのではないか、とも思った。

教育や鍛錬で強さが手に入るなら医者自衛官最期幸福ですか

強い人間なら無宗教でも安楽化といえば全然違うのは

末期の患者を診ればわかる

強い人も弱い人に強いだけで自分ピンチになるとグダグダ

壮健だった日の幻想にすぎないのがわかる

2019-01-13

漫画版コマ割り、これで是非やってほしかった・・・

巷でおっさんずラブが盛り上がっている今日この頃から、今なら匿名投稿が許されると思いたい。

今秋発売の週刊少年ジャンプ約束のネバーランド 最期の2ページ。

学園ヘヴンの和啓ルートを思い出した同志よ、一緒にSpray復活祈願を!

漫画版コマ割り、これで是非やってほしかった・・・

巷でおっさんずラブが盛り上がっている今日この頃から、今なら匿名投稿が許されると思いたい。


今秋発売の週刊少年ジャンプ約束のネバーランド 最期の2ページ。


学園ヘブンの和啓ルートを思い出した同志よ、一緒にSpray復活祈願を!

2019-01-09

anond:20190109103717

夫婦って今も昔もいろいろあるでしょ。

若い頃に浮気しまくってたかもしれないし、姑と一緒になって虐めてたかもしれないし。

昔の嫁は奴隷同然だったはずから。そうやって生きていくしかなかった人は沢山いる。

介護とか最期ってときに、夫婦や親子の本質が見えてくるよね。これまでどういう付き合いをしてきたのか。

2019-01-06

彼女と僕の最期

 彼女は上気させた表情を浮かべながら、僕の上に跨がり、右手に握りしめたその銀色流線型を、勢いよく僕の胸へと突き立てた。薄く、冷たい金属が体内を侵し、一瞬の間をおいたあと、苦痛の代償として血液排出され始める。苦痛。それを意識した瞬間、思考が痛みに塗りつぶされる。視界が、赤と黒の斑な色彩に変わっていく。心臓の音が大きく響き、脈を打つたびに血液が失われていくのを感じる。見上げると、既に彼女は僕の方を見ていない。微かに残る視界には、恍惚とした表情を浮かべながら、中空を見つめる彼女けが映っている。そういえば、家の鍵を締め忘れていた気がする。指先の温度は完全に失われた。昨日はゴミ出しの日なのに出していなかった。洗っていない洗濯物が溜まっていることを思い出した。呼吸ができない。冷蔵庫に入っている牛乳賞味期限が一昨日だ。書店で取り寄せていた本をまだ受け取っていない。そろそろ、髪を切りに行かなければ。走馬灯と呼ぶにはあまり陳腐思考は、しだいに全身の感覚と共に薄れ、淡い痛みだけが胸元に残る。僕の意識は、そのわずかな感覚同化し、死という悠久の悦楽に身を任せるのであった。

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