はてなキーワード: 最期とは
目覚めてそれは何のドラマだったのかと思った。
しかし今起きてそのドラマがなんだったのか思い出そうとしても思い出せない。
その割には細部がやたら具体的だった。
第1部は少年と妹分とちょっと年上風のガタイのいいい同年代のトモダチとの話。チンピラ風の男と知り合うのだが実はヤクザで、トモダチと妹分はそいつらに殺されて溶かされ家の前に流される。
第2部が今夜見た夢の回だ。
少し成長して、友達も何人もできている。周りからはちょっと賢い子だと思われている。
ボーリング場のあるちょっと大人びた施設に入り浸っている。友達も皆そこの常連だ。そこのオーナーは白髪交じりの好好爺。ある日ボーリングのボールを拾ったところでその好好爺に声をかけられて別室で不思議なボーリングをする。色々なやることを書いた札を倒すボーリングだ。ただ内容はたわいもない。握手をするとかそういった類のもの。何も書かれていないものもある。
別室の出口の前にポスターと小冊子がある。何気なく読むとそれは好好爺の自伝を映画化したもののシナリオの一部。
それを読んで、その好々爺が自分のトモダチと妹分の実行犯なのだと気づく。誰かに声をかけられるがごまかす様に去る。
そして別日、今の友達達に好好爺の正体がマフィアかヤクザだと知っているかと聞くが誰も取り合わない。自分のトモダチとの過去を、聞いた話として話し始めると好好爺がやっってくる。
こっそり抜け出すと追ってくる。
公園のような所で追いつかれ、笑みを浮かべて好好爺が近づいてくる。
そのボールは機械制御になっていて、物凄い勢いで坂道を下る。好好爺の手下が捕まえようとするも逃れて、そのまま街中の方へと転がる。
やがてそれは主人公と仲の良い、主人公を親分のように慕う子供が遊ぶ所にたどり着く。子供は中にあるゴムボールのようなものを取り出し、ポストに入れる。
しかし少年の放ったものは一つではなかった。小さな気球のようなものもいくつかあった。
好好爺はその一つを追い、役所の前の噴水のような所に落ちたものを拾う。そして、サイレンサー付きの銃で気球に付いていたボールを割り、中の手紙を読む。
それは告発文ではなく死んだトモダチと妹分への手紙だった。もう会えない彼らに自分は悲しんだこと、恋しいことを綴っただけの内容だった。
というところで目を覚ました。
だが、やはりこれは夢なんだろう。
多分、インドネシアを舞台にしたドキュメンタリー映画、アクト・オブ・キリングを元ネタにしたものだ。実際夢のドラマの舞台もインドネシアっぽかった。死体を溶かすのはブレイキング・バッドあたりからの連想か。
思い返すと公園のシーンは子供頃遊んだ公園に似ているし、今の友達の幾人かは実際の同僚ぽかった。
やたら鮮明な夢だったので自分の脳内で作った話だと思えなかった。
最近Netflixやprime videoで映画や海外ドラマを見すぎた影響だろうか。
もう30代前半になってしまった。
どうにかしようと思って就ける範囲の職で何社か働いてみたけどストレス耐性が低すぎてすぐ辞めてしまう。
神経質だったり人の話が理解できなかったり朝が弱かったり人と一緒にいると疲れたり集中しなきゃいけないのはわかっててもボーっとしてしまったり頭が真っ白になってしまう。生きてて辛い。
もう、俺の脳みそはとっくの昔にだめになってしまったんだろう。
ITは慢性的な人手不足?俺には無理だろう。無能はいりません。皆そう言うよ。どれだけ学習意欲を高めても働き出すといっきにリソースが消費して逃げ出したくなるんだ。
発達障害じゃないのかって?精神科で検査したよ。カウンセリングやウェクスラー検査を通して貴方が生き辛く感じている特性は確認できました。しかし言語性と動作性に差はありませんでした。貴方は発達障害ではありません。
きっと俺みたいな低スペックに苦しむ人間は世の中には沢山いるんだろうけどフォーカスがあたらないのはこの世界が俺みたいな健常者の皮をかぶったゴミのための世界じゃないからなんだよな。
幼い頃から生きていてずっと眠かった。歳を重ねる度に眠気が増してきた。
俺の馬鹿な脳みそでもうっすらと世界の仕組みが、得られることの無い自己肯定感や自己効能感を通して分かったんだろうな。「貴方はこの世界ではただのボトルネックです。社会のためにスリープ状態に移行します。もしくは強制シャットダウンをしてください。」
時々安楽死について調べてるのはきっとそういうことなんだろう。
精一杯仕事して仕事帰りに飲みに行く気力体力能力もあってプライベートでも胸張ってられる人たちはもう俺とは同じ動物じゃないんだろう。彼らは彼らなりの苦労があるのはわかる。そして彼らと自分との悩みの次元が違うのもわかるし、彼らと一緒にいると自分が彼らのストレッサーになることもわかる。
もしも安楽死制度が出来たら直ぐに使いたい。俺は幸い健康診断の成績だけは良い。だから、俺みたいな今日にでも死にたい奴の臓器は、明日を生きたい人に使ってあげて欲しい。こんなことでしか役に立てないが、せめて最期ぐらい役に立てるなら嬉しい。
わがまま言えば、臓器提供代金が欲しい。親の生き甲斐や夢を黒く塗りつぶした獄つぶしとして出来るのは、その代金を親に全額渡すことぐらいだ。
先月、母方の祖母が死んだ。
最近は認知症で日時の感覚がわからなくなったり同じ話を繰り返したりしていたが、高校(?)の入試では満点を取ったり、あの時代に大学を卒業している才女だった。
昔は教職につき、あの時代に恋愛結婚をし、映画や革細工や日本画や書道が好きな、穏やかで優しいおばあちゃんだった。
一昨年の冬、私は初めての彼氏とUSJに行くことにした。飛行機に乗る小旅行だ。ついでに母方の祖父母にも彼氏を見せに行こうと思った。母方の実家は大阪にあるのだ。
母に猛烈に反対された。結婚するかもわからないのに変な期待をもたせるなと。そして母方の祖父母に挨拶に行く前に、父方の祖父母に挨拶に行かないと迷惑だと。USJに行くのは構わないが、祖父母に会わせるのはやめとけと。
私はその彼と結婚する気だったので、変な期待ではないと判断した。OK。
祖母の認知症は、ゆっくりだけど着実に進んでいる。私が結婚するまでに死んじゃうかもしらないし、それなら彼氏いない歴=年齢だった孫の恋人(結婚相手候補)を見てからの方が安心して死ねるだろう。
2つ目が問題だった。父方の祖母は形式にこだわり、また嫉妬深い性格なので「ウチを後回しにされた!普通は先に父方の祖父母に挨拶する!」みたいに怒るそうだ。それくらいのことでとおもったが、過去似たようなことでトラブルになったらしい。
結婚するなら親戚づきあいでトラブルは起こしたくない。USJ旅行の前に、宮城に住む父方の祖父母に、日帰りで会いに行くことにした。
宮城に行った2週間後に大阪に行くという、面白いスケジュールになった。快く承諾してくれた彼に感謝。何度もお礼を言った。
父方の祖父母に「今度彼氏を連れて日帰りで遊びに行くよ」と電話した数日後、「父方の祖母は私と彼を本家に挨拶に行かせたがっている」と父から聞いた。祖父が10人兄弟の9番目だから親戚から今まで軽んじられてきたけど、孫がまともな人と付き合っていて結婚もするらしいということで、自慢したいらしい。私が返事をするより先に父が断ってくれていた。
朝早く新幹線に乗って、挨拶して青葉城を見ておいしい牛タンを食べて、夜遅く東京に帰った。
挨拶の前、彼はとても緊張していたが、終わってからは「いい人だった」とケロっとしていた。
2週間後に大阪に行った。USJはとても楽しかった。次の日に祖父母に会いに行った。
持って行ったケーキをみんなで食べながら、祖母は「このケーキ綺麗やなぁ。飾りが繊細で、王冠みたいな形になっとって、綺麗なぁ。いやほんまに。作った人は、こういうのどうやって思いつくんやろなぁ」「増田ちゃん、いい人見つけてよかったなあ」と何度も言っていた。
帰り際になると祖父は別の長くなりそうな話をして引き止めようとした。
挨拶の後彼は「先々週より疲れた。引き止めようとしてたね。帰っちゃうの申し訳ないね」と言っていた。
昨年の12月、母方の祖父母に電話をすると、祖母は「来年結婚式たのしみにしてます。おばあちゃんはどんな人か知らんけど、増田ちゃんが選んだならきっといい人だと思うわ。本当に楽しみにしてるで」と言っていた。
母方の祖母は先月、お風呂で寝てのぼせて死んだ。多分苦しくなく、あったかいなあって思いながらの、幸せな最期だったと思う。
やっぱり、無理はしたけど、一昨年彼と会わせておいてよかったなあ。
私はおそらく反出生主義だ
子供は本当に可愛いと思う、愛しむべき存在だ。この世の全てのこどもたちが幸せであって欲しいと切に願う、虐待死のニュースなど胸が張り裂けそうな思いに駆られる。
けれど、それと子を持つという考えはイコールにはならない。
この世のありとあらゆる不安、事故、人の悪意、はたまた病気から子供を守りきれるだろうか。答えはNOだ、言い切れる、絶対に不可能だ。
結果的にその時は守りきれることもあるだろう、けれどそれは一時的な結果論であって、生きている限りこれらの可能性はあり続ける。
今、自分に降りかかる全ては自己責任(語弊はあるけれど)と割り切れる。少なくとも私はそう生きてきた。
仮に明日、車に轢かれて死んだとしても痛い思いをするのは自分だ、ドライバーを許す許さないも極論自分次第、全ての不幸は自分の心の持ちようでどうにでもなる。
だから死のうとは思わないし、生ある限り楽しもうと思う。別に人生を悲観なんてしていないし、毎日充実している、両親のことも好きだ(母は亡くしているけど)
ただ、それは全て”私の心”の話であって、どこまでも主観の話なのだ。
人に強制することでは絶対あってはならないと思う、それは自分の子供であっても。
セックスはひとりの人間を創ることだ、出産はひとりの人間をこの世に産み落とすことだ。
それは神聖で美しい営みなのだと思う、と同時に残酷で罪深い行為だと感じずにはいられない。
自分の分身とか、血を分けたとか、遺伝的な繋がりがあるとか、勿論様々なとらえかたがあると思う。
けれど、1人の人間をの人生を、本人の許可なく始めさせる権利が一体どこにあるんのだろう。
「この優しい人を父親にしてあげたい」
この気持ちは理解するが、共感はできない。ここに子供の気持ちが含まれていないから。
勿論お腹の中の子供の気持ちなんて分かる筈もない。ただ想像すら放棄している気がしてならない、それは思考停止なのではないか。
出生主義ないし子を持つ親、これから親になる夫婦に聞いてみたい。
上に挙げた考え方は狂ってるのしれない、けど全く間違っているともどうしても思えない、子供を作る時一瞬でもこんな考えが浮かんだのかな、怖いと感じなかったのかな。
皮肉でも嫌味でもなく、本気で聞きたい。
子供を持つことで成長できたなんて言うけれど、自分たちの成長の為に子供を作った人はいないのではないのか。
ならば将来年金を貰うなと仰るかも知れない、仮にそんな法律が決まれば甘んじて受け入れる。最期は誰だって一人だ、そしてその過程、何年か何十年か分からないけれど。それは文字通り死ぬほど苦しいんだろう。(自分の老後のために子供を産んだのかという話になるけれど)
そうだエゴだと開き直れるのならそれはそれで幸せなのだろうな。
強い言葉を使う反出征主義者は声高なヴィーガンと同じくらい嫌いだ。
ただ恐ろしい、1人の人生を自分の手で始めさせるなどという責任を負うことは私にはできない。結果、反出生主義的な考えになっている。
納得できる理由があれば私は考えをあっさりと改められるのかも知れない、できるならそうなりたいと願う。
改めて言うけれど、私は子供が好きだ。人間は美しい生き物だと信じたい。だからこそ、この世に産まれた命に対しては最大限の歓迎を持って受け入れたいと思っている。(昨日ブコメで見た「ようこそ世界へ」という言葉は素敵だと思った)
長くなってしまった
ただこんな矛盾だらけの消極的な反出征主義のような人間もいるのだ。
曽祖母が死ぬ間際、僕に伴侶やゆくゆくはそうなるだろう存在が見えないことを悔やんでいた。
増田自身がサプライズプレゼントなんだと思って会いに行ってあげればいいんじゃないのか。
こんなこというのは薄情かもしれないが、おじいさんはすぐにいなくなる。増田と恋人が結婚だとかそんなことを意識していなくてもいっこう構わない。
気の利いたことも言わなくていい。そこに立っているだけでいいと思う。孫の恋人だと名乗るだけで充分なのだ。
おじいさんは孫娘が結婚するかもしれないと少しうきうきした気持ちを綯交ぜに息をひきとる。それだけで幸せな最期じゃないだろうか。
「おじいちゃんがいつ死んでもおかしくない状態。死ぬ前に一目会わせたい。三日後来てくれ」
だそうだ。
恋人とは2年半くらい付き合っており、そこそこ親密な自信はある。恋人のご両親とも何度も顔を合わせていて、よくしてもらっている。
しかし、そのおじいさんには会ったことがない。寿命が残り僅かとは聞いていたが、これほどまでに早いとは思わなかった。
さて、自分は三日後、どんな顔をしてなんと声をかけてやればいいのだろうか。
そもそも、顔を合わせてしまっていいのだろうか。これは、恋人だけでなくご両親の希望でもあるそうだ。
でも、そのおじいさん本人は?おばあさんは?それに、恋人家族以外の親類は?どう思うだろう。
自分をおじいさんに会わせる、というのは恋人家族の自己満足で、それ以外の人はそんなこと望んでいないのかもしれない。
仮に彼らに受け入れられたとして、自分は何と言えばいい?「初めまして。貴方のお孫さんと付き合っている者です。どうぞよろしく。」?
以後よろしくと言ったっておじいさんに以後はない。
かえって、こういうヤツがわざとらしく会いに来るということは、自分の死期を実感させてしまうのかもしれない。
自分の気持ちもよくわからない。何故、会いに行くのか。恋人との良好な関係を保つため?おじいさんを安心させて逝かせてやるという使命感?死に直面した者と、その家族の気持ちに出来る限り寄り添おうという倫理観?
逃げ出したい。人の死という重たい事実は、身内で受け止めるのが通常なのではないか。部外者の自分が受け止めようもない。
自分ができることは、寄り添ってやるだけだ。当事者にはなれない。
葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。
確か数年前、業者に頼まず自分で親を見送った増田のレポートがあった記憶があるが、ああいうものはあれでいてかなりシステマティックに世の中の仕組みができていて、業者に依頼しない=仕組みに乗らないで遺体を焼くのは割と面倒そうだった記憶がある。
この頃は葬式業者もお手軽パックもあるみたいだが、何だかんだでそれなりにしようとなるとお得感が無くなる、オプションなしだとかなり質が下がるという話もあるし、それほど簡単ではないかもしれない。まぁ彼らも商売だから阿漕だなとは思うが仕方ないだろう、商売とは基本的に阿漕なものだ。
簡単に死んで簡単に野ざらしになれればさっぱりして良いなと思うが、残念ながら妙なところで現代社会には「ある種の厄介さ」があり、それを良いことだとも思ってはいないが、ことに生き死ににかかる諸々は出来上がってるシステムに乗ると割と楽だし人と違うことをすると悪目立ちしやすいという困ったところがあるのだ。
増田は親を二人見送ったが、多少金がかかっても出来上がっているシステムで楽をする方を選んだ。
親のうちひとりは病気で亡くなったのだが、死ぬ前の1か月はだんだん意思が柔らかく緩くなっていき、元気な時は「葬式無用 戒名不要」とか「その辺に灰を撒いてほしい」とか言っていたが、最期の病床では墓のことなどをぽつりぽつりと言いだすようになった。家庭の事情が若干複雑で、ある墓を引き継がざるを得なかったのだがその引継ぎについて口が煩いだけの親戚から了承を取る必要があり、まだ元気なころは墓はつぶす葬式もいらんお前たちも家を継ぐなんて考えなくていい、など言っていたのが、私に煩い親戚からの墓引継ぎの了承を取ってほしいと頼んできて驚いた。元気なころは生まれや世代からしたら相当アナーキーな考え方をしていた人だったので、本当にいいのか、別の方法(散骨など)も考えられるがと聞き返したが、それでいいんだ、と言っていた。もう死んでしまったので本意は分からないが恐らく「それで(お前たちが楽な方が)いいんだ」ということだったのだろうと思っている。
もう一人の親は自宅での突然死だったので、もう色々(警察が来たりする)大変で、そのまま業者に頼むほうが気持ちも体も楽だった。というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。検死も必要だし死亡診断書がないと焼き場の手続きが進まないし焼き場の予約も混雑してたこともあり時間が結構かかって、ボディが腐らないかという心配がかなり頭の多くを占めていた記憶がある。先に死んだ親が墓問題を己が死に引き受けたくれたおかげで余計なことを一つ考えずに済んだのがありがたかった。
検死の結果、自然死だったわけだが、病院で死なないというだけでこれだけ手続きが面倒になるのか、そして病院(や誰か看取る人がいる場所)で死なないとこれだけ面倒なのかとかなり身と心を削られた。オフィシャルに死なない(医者などが看取らない)ということは、誰かが疑いの目で見るということだ。警察などからしたら疑うこともなさそうなのが一目瞭然であっても念のため疑わざるを得ないし、遠巻きの第三者はそのような「念のため」をすっ飛ばして、残った我々に色々な憶測を割と無遠慮に投げつけてきたりすることもある。親族などに親の死を連絡をする時はこういうフレーズだと角も立たずこちらも苦しくないです、と教えてくれたのも面白く、ありがたかった。儀礼やコミュニティにおける知恵が企業によりマニュアル化されている面白さ。
身内が死んで1か月ぐらいは、なんていうか、生きている側であるこちらも生死の境にいるようなところがある。頭が回らないし究極の非日常でもある。そういう「境目」にいると体の負担も心の負担もかなり大きい。
業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。参列者がまばらになった通夜ぶるまいの席で親族や親の友人知人たちにお礼を言って回っていて、気が付いたらまる2日たいしたものを食べてないな…とごちそうの名残を眺めていたら、業者が私たち「ご遺族様」用に別に美味しそうにきちんと整えられた食事を用意してくれていたのがありがたかった。まぁそういう気遣いが商売なのだろう。
親ふたりの葬式にはそれぞれ彼らが生きていた時によく聞いていたCDを自宅から持ってきてBGMにしてもらった。
どちらの葬式も業者の葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。勝手の分からないベース基地で、言葉は悪いが良い感じの時間つぶしが必要だった。スマホではてブなんかは、やはり見る気にはなかなかなれない。SNSも、動画サイトも、自分たち大人はもちろん、子供たちもあまり見たい感じではない様子だった。休んでいる間の仕事のやり取りでメールや電話をしても、なんていうかしんどい。確認メールを1本入れるにも、気持ちを整えて橋を渡ってまた橋を渡って戻ってくるというような隔絶感があった。
TVも置いてあったがこれもやはり見る気になかなかなれず、そしてクタクタのはずなのだがちっとも眠くならない。通夜番(とはいえ線香も一晩通して火が消えない蚊取り線香のようなぐるぐるした線香があったり(仏式です)と番をするような必要もないのだ)で残ってくれたごく親しい身内親族がいたこともあって、ふと思いついて実家に一度戻って、親が好んで聞いていたCDを何枚か持ってきて、会場の音響設備を使わせてもらって聞いてみたら良かったのだ。
親と趣味を共有していたからということもあるが、この曲好きだったねとか、このCDは家族でドライブに行くときにはいつも持って行ってたよねとか、そういう話ができたのも良かった。そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCDを葬式にもかけてもらった。見送られる人も、そして何より見送る人も聞きなれた音楽が流れてたのは思いのほか、久しぶりに肺に空気が入ったような悪くない感じだった。
この辺はただの好みの問題だが、業者が用意しているBGMは、ふやぁ~ん系ニューエイジ風の環境音楽みたいなヤツとか耳に残らないようなクラシックの室内楽とか当たり障りのないもので、ずーっと聞いてると逆に耳に障った。当たり障りのない音の方が良いという人も居るだろうと思うが。無音はかなりしんどいと思う。周囲が虫の声とカエルの合唱みたいなところなら良いのかもしれないが、何らかの街のノイズがいちいち気になった。
これはほとんどの人がそうだろうと思うが、ネットやTVラジオ等もほとんどの「日常情報」はしんどくなると思っておいていいと思う。なんていうかすごくしんどかった、「橋の向こうにある日常」が。
あとは業者にもよるだろうが、業者の言うままにすると、妙に感動的な当たり障りのない美辞麗句の式次第アナウンスとともに当たり障りのない感動音楽を流す感じだった。葬式内容の打合せで試しに聞かせてもらったのだが、こんなん葬式コントみたいだと笑っちゃいそうだったので葬式コント化を免れたのは結果的にすごくよかった。この辺は結婚式をオールお仕着せでやるとギャーってなるのと同じ感じかもしれない。
大腸ガン。87歳だった。
戸籍上の関係はなくもちろん血の繋がりもないが、家族以外に私のオシメを唯一変えてくれた人であった。そして学生時代には私のよき相談相手でもあった。
タイトルの玄海師範とは幽遊白書に出てくる玄海師範のことである。生前に彼女のことを玄海師範とあだ名していたわけではない。彼女の訃報から思い出を反芻してるうちに、武闘派でこそないが玄海師範と多くの共通点があるとかんじ、また匿名日記ゆえの都合の良さがある。
若い頃の彼女の写真はとにかく美しかった。東北人らしからぬ都会風の美人だった。しかし伴侶を持たず、生涯独身であった。
言葉は説教くさくなく、明瞭で簡潔で的確だった。理知的でドライで、自立した凛とした女性であった。
私の実家が家族を保っていたのは彼女の存在が大きく、それこそ家族をつなぎとめる文字通り重しであったと思っている(私を漬物石のように言うな、と怒られそうではあるが)。
私には長兄としての立場に理解をしつつも、お前の悩みはまだまだ浅く青いとケツを叩き、母にとっては精神的な疲れの定期的な拠り所でかつ、貴重な愚痴と感情のはけ口であり、父に対しては説教をし、そして父がこうべを垂れて反省する唯一の女性であった。
けして彼女のために家族を維持していたのではない。本当に彼女のみえない力で、私たち家族は維持され続けていた部分が確かにある。
「もう来ないで」「もう来ないでください」「もういいでしょ」
おそらく父や母が1人で行った時にも同じ言葉をかけていたのだろう。半分冗談で、もう半分はお前たちは私の家を駆け込み寺のように扱うな、自立しろというメッセージだったと思っている。
昨年末、彼女に数年ぶりに会った。衰弱した彼女と30分ほど会話をした後、不意にいつもの言葉を言われた。
「そろそろ帰りなさい。もうこないで」
わかった、じゃあまた、とだけ言ってその場を後にしたが、何かこみあげてくるものはあった。昔よく交わした最期の会話。雪が積もり始めた日だった。
彼女の出身地は既にダムの底であり、彼女自身の体は献体に参られるから、彼女が生きた痕跡は驚くほど速くなくなっていくのでしょう。
最初に言っておきたいのは、これから語るすべてのことはつくりばなしであるということ。人間が泣いたり笑ったりするのに、それが本当のことかどうかなんて関係がないと思うんだ。
おばあちゃんは常々「死んだらすべて終わり。生きているものが大事。」と言っていた。空襲で死んだ友達の最期の言葉が「お前の人生を大事にしろ」だったからだという。死んだ友達のぶんまで生きようと戦後を必死に生きてきた。
それが認知症になったら「私は天国にいるけれど死んでいない」と言い始めた。正直、何を言っているのか分からなかった。わけのわからないことを言うようになったおばあちゃんに苛立つこともたくさんあった。ご飯にしましょうと言ってウンコを食べ始めたこともあった。
ある日、おばあちゃんは荻窪に行きたいと言った。荻窪のどこに行きたいかと聞くとアメ横だという。おばあちゃんそれは荻窪じゃなくて上野でしょうというと「ああ、そうかい」と言ったので上野に連れていった。上野は思い出の場所だと常々言っていた。
ところが、上野駅に着いて駅舎を見せると狂ったように「浮浪児がいる、浮浪児がいる」と叫び始めた。それは単に戦争の嫌な体験を思い出したというより、目の前に本当に浮浪児がいるような振る舞い方だった。おばあちゃんは幻覚を見ているのだろうかと思った。
かつておばあちゃんは闇市の話なども楽しげに語ってくれていた。それらも若い頃の思い出として語るぶんには楽しかっただけで、そのときには物凄く不愉快なことだったのではないかと思った。
私には本当のおばあちゃんがどんな姿をしていたのか分からなくなってしまったけれど、おばあちゃんと一緒に遊んだときの写真は大切にとってある。
やあ、俺だよ。
なんかもう、トレンド1位記念とか公式が工作しないと売れないの!!って暴露しているような醜態ですねw
そのわずかな試みさえ打ち消すレベルのしょうもなさ、低迷っぷりは憎くて憎くて仕方ない優秀な姉貴、シンデレラガールズの躍進をさらに助長させてくれるね。
んで?前回も闇しか生まなかった投票企画に?老害ASをぶっこんだ結果案の定荒れてますかwww
愉快だねえ〜〜
まあそんなわけでね、今回はそんな低迷まっしぐらなミリオンライブの未来予想図!いくつか考えて見ましたんでね、発表したいと思いま〜す!自称ミリマスぺーは目見開いてよーく見とくように
①ミリオンライブ消滅!お前らは一生俺たちのバックダンサーや!
6thライブ後、ハッチポッチ2開催。そこから765ASがどんどんミリシタを侵食していき、AS中心のイベント、新カードが増え始める。
ついにアニメ化と喜んだのもつかの間、蓋を開けてみればアニマスの続編、主人公はASで後ろを金魚の糞が如くついてくだけのミリオンズ。
そしてライブが常にハッチポッチ状態になり、最終的にミリオンスターズの個性もどんどん薄められてスクフェスのガシャで出るモブみたいな扱いになっていく。そして20周年ライブのメンツはAS、デレ、M、シャニになる。
これいいっすねえ〜ありそうっすねえ!
ミリマスペーのツラした声豚は自己主張だけは激しい癖にコンテンツにこれでも勝手くらいお金落とさないからね〜
君たちが老害老害言ってるAS担当の方がコンテンツに金落としてるよ。
AS組は死にかけのところにいい安息の地を見つけられて、君たちの大好きなミリオンは現実逃避したまま痛みもなく楽に死ねる。
最高じゃん?
次!
内容は、ASの世代交代、765からミリオンスターズへのアニマスシリーズお得意の感動ストーリー(笑)
ミリオンを残したい(行動を起こすとは言ってない。)自称ミリマスペー、ASにすがる老害
結果ミリシタが終わる、ASも活躍できる場がなくなって終わる。
さよなら〜
まあ①の派生版だけどより現実的な流れを入れるとこんな感じですね〜
何んんんんんもないwwww
6th以降何んもないwww
運営サイドは頑張るけど金がないからでかいインパクトを残せない。
豚どもも「アリガトウミリオンライブー」「セルラン!!セルラン!!」「マイリマシター」ばっかりで金を出さない。
結果鳴かず飛ばずで二度目の死を迎える。
流石にその瞬間だけは荒れる。でも何もしない、できない。
アニメ化できないのはアニメ化できる体力がないし、しても誰も見ないからであって
っていうか、しても遅すぎるわけで。
っていうかもうミリオンは何しても詰んでる、結局身内ノリ。
口は出しても金は出さないクソみたいなオタクどもを抱え込んだ時点で全て終わってた。
もう何もかも手遅れ。
デレに全てを任せればよかった。
これからもデレに比べられ、Mから疎まれ、ASには憎まれ、後輩シャニにすら抜かれ惨めな最期を迎えるのがオチな訳ですよ。
3年持つかな?どうかな?
ちゃんと功罪が書かれていたというかどちらかというとアンチ意見をメインにして描かれてたというのが印象的だった。遺族の了承もある程度はとった上で、これだけ死んだ人の失敗を伝えられたのは流石だなと思った。
一方で、今後放送が予想されうるだろう番組についても思いを馳せた。昨年殺害されたHagex氏について。犯人の裁判が終わった頃のタイミングに合わせて、彼の人となりと最期を追った番組がNHKスペシャルや民放の世界仰天ニュースなんかで特集されるだろう。その時にここ増田で投稿されてるようなアンチ意見(Hagex氏自身が特定の人へのアンチ的煽りをしていた件:家族も晒した件など)をどのように扱うのだろうか。多分無視されるのではないか、とも思った。
彼女は上気させた表情を浮かべながら、僕の上に跨がり、右手に握りしめたその銀色の流線型を、勢いよく僕の胸へと突き立てた。薄く、冷たい金属が体内を侵し、一瞬の間をおいたあと、苦痛の代償として血液が排出され始める。苦痛。それを意識した瞬間、思考が痛みに塗りつぶされる。視界が、赤と黒の斑な色彩に変わっていく。心臓の音が大きく響き、脈を打つたびに血液が失われていくのを感じる。見上げると、既に彼女は僕の方を見ていない。微かに残る視界には、恍惚とした表情を浮かべながら、中空を見つめる彼女だけが映っている。そういえば、家の鍵を締め忘れていた気がする。指先の温度は完全に失われた。昨日はゴミ出しの日なのに出していなかった。洗っていない洗濯物が溜まっていることを思い出した。呼吸ができない。冷蔵庫に入っている牛乳の賞味期限が一昨日だ。書店で取り寄せていた本をまだ受け取っていない。そろそろ、髪を切りに行かなければ。走馬灯と呼ぶにはあまりに陳腐な思考は、しだいに全身の感覚と共に薄れ、淡い痛みだけが胸元に残る。僕の意識は、そのわずかな感覚と同化し、死という悠久の悦楽に身を任せるのであった。