私はおそらく反出生主義だ
子供は本当に可愛いと思う、愛しむべき存在だ。この世の全てのこどもたちが幸せであって欲しいと切に願う、虐待死のニュースなど胸が張り裂けそうな思いに駆られる。
けれど、それと子を持つという考えはイコールにはならない。
この世のありとあらゆる不安、事故、人の悪意、はたまた病気から子供を守りきれるだろうか。答えはNOだ、言い切れる、絶対に不可能だ。
結果的にその時は守りきれることもあるだろう、けれどそれは一時的な結果論であって、生きている限りこれらの可能性はあり続ける。
今、自分に降りかかる全ては自己責任(語弊はあるけれど)と割り切れる。少なくとも私はそう生きてきた。
仮に明日、車に轢かれて死んだとしても痛い思いをするのは自分だ、ドライバーを許す許さないも極論自分次第、全ての不幸は自分の心の持ちようでどうにでもなる。
だから死のうとは思わないし、生ある限り楽しもうと思う。別に人生を悲観なんてしていないし、毎日充実している、両親のことも好きだ(母は亡くしているけど)
ただ、それは全て”私の心”の話であって、どこまでも主観の話なのだ。
人に強制することでは絶対あってはならないと思う、それは自分の子供であっても。
セックスはひとりの人間を創ることだ、出産はひとりの人間をこの世に産み落とすことだ。
それは神聖で美しい営みなのだと思う、と同時に残酷で罪深い行為だと感じずにはいられない。
自分の分身とか、血を分けたとか、遺伝的な繋がりがあるとか、勿論様々なとらえかたがあると思う。
けれど、1人の人間をの人生を、本人の許可なく始めさせる権利が一体どこにあるんのだろう。
「この優しい人を父親にしてあげたい」
この気持ちは理解するが、共感はできない。ここに子供の気持ちが含まれていないから。
勿論お腹の中の子供の気持ちなんて分かる筈もない。ただ想像すら放棄している気がしてならない、それは思考停止なのではないか。
出生主義ないし子を持つ親、これから親になる夫婦に聞いてみたい。
上に挙げた考え方は狂ってるのしれない、けど全く間違っているともどうしても思えない、子供を作る時一瞬でもこんな考えが浮かんだのかな、怖いと感じなかったのかな。
皮肉でも嫌味でもなく、本気で聞きたい。
子供を持つことで成長できたなんて言うけれど、自分たちの成長の為に子供を作った人はいないのではないのか。
ならば将来年金を貰うなと仰るかも知れない、仮にそんな法律が決まれば甘んじて受け入れる。最期は誰だって一人だ、そしてその過程、何年か何十年か分からないけれど。それは文字通り死ぬほど苦しいんだろう。(自分の老後のために子供を産んだのかという話になるけれど)
そうだエゴだと開き直れるのならそれはそれで幸せなのだろうな。
強い言葉を使う反出征主義者は声高なヴィーガンと同じくらい嫌いだ。
ただ恐ろしい、1人の人生を自分の手で始めさせるなどという責任を負うことは私にはできない。結果、反出生主義的な考えになっている。
納得できる理由があれば私は考えをあっさりと改められるのかも知れない、できるならそうなりたいと願う。
改めて言うけれど、私は子供が好きだ。人間は美しい生き物だと信じたい。だからこそ、この世に産まれた命に対しては最大限の歓迎を持って受け入れたいと思っている。(昨日ブコメで見た「ようこそ世界へ」という言葉は素敵だと思った)
長くなってしまった
ただこんな矛盾だらけの消極的な反出征主義のような人間もいるのだ。