はてなキーワード: 政治闘争とは
https://anond.hatelabo.jp/20210306213555
この増田あたりから、カズオ・イシグロのインタビューについて、やや的はずれな応酬が続いていると感じる。
彼が語りかけている対象は、単に(ソーシャル)リベラル的政策を支持している人ではない。
その上部構造、とくに文化芸術分野にいて、「自分の表現で社会の政治的信念を変えられる」と信じている人々だ。
とくに日本人のマス層は文化芸術に自分の気に入らない政治的メッセージが入っていると感じると、その事自体にアレルギーを示す。
娯楽の場に政治を持ち込むとは何事かと。
だが、欧米圏では、政治的メッセージがほとんど常に入っていること自体は当然のものと受容している。
とくに米国は、民主共和の苛烈なプロパガンダ合戦を常に全力で行っており、文化芸術もその闘争の場と考えられている。
もちろん、対立陣営のそれだと分かれば全力でこき下ろす。批評で叩き潰そうとする。
そして、その中で文化芸術に関わるものは、政治闘争の指揮官、上等兵である。
誇りを持って自分の信念と政治闘争のために、味方を指揮して、大砲を操りながら、果敢に戦っているのだ。
その基本戦術は、理屈ではなく、素晴らしい表現によって「感情を動かすこと」である。
これによって、味方に結束感をもたらし、理屈で説得できない敵を味方につけるのが、彼らの役割だった。
この力で他者を動かすことの正義を信じている人々が、カズオ・イシグロが語りかけている相手だ。
だが、近年は「文化芸術の場では圧倒的に勝っているのに、選挙で負ける」という事になってきた。
カズオ・イシグロが恐れているのもそれだ。
そこでは、ネットミームの応酬やIT広告技術など、政治闘争のルールが全く違う。
感情の操り方はより単純で、流布されやすく効果的な情報を大量に散布することだ。
副作用としてゴミ情報が世界中の人間の脳みそにばらまかれるようになった。
もちろん、カズオ・イシグロはそれに乗っかれと言ってるわけではない。
彼は表現の力を信じている。だからこそ、責任を感じているのだ。
感情で政治闘争する世界を生み出してしまったのは自分たちではないかと。
しかし、まだその信念を捨てるつもりもない。
今までのやり方ではうまく行かない、もっとうまくやろうぜ、俺たちならできる、と言っている。
文化芸術も、感情至上主義を捨て、理性と科学と対話に重点を置いていくしかないと。
さらに、もっと敵対陣営を取り込める作品も作って、政治力そのものを取り戻すべきだと。
やれるかどうかはともかく、大変に志の高い話なのだ。
だからまず、そもそも文化芸術が政治力を殆ど持っていない日本でこれを大真面目に受け止めるのはちょっと滑稽である。
もともと力のない人間に、力を取り戻せ!と言っても仕方がない。
ただ、前提はともかく、「表現の力を信じている」人々には、その志の高さは参考になる面もあるだろう。
それより、日本の一般(ソーシャル)リベラルに対して正面から投げかけるのはズレすぎだし
ただの一般リベラルが真面目に応答しようとしてもしょうがない。
彼らはそもそも表現の力なんて持ってないし、信じてないだろう。
力も信念もない人間に、それらがある人間の言葉が響かないのは当たり前だし、まして他人が投げつけるのはまったく間違っている。
どちらの側につくにせよ、自らの強さを信じるカズオ・イシグロの言葉を使って、分断を弱者のせいにするような卑怯ことをするのはやめようじゃないか。
ラムザイヤー論文の件で、韓国人の反応を見ていて、そう思った。
査読付き学術誌や国際会議に論文を通す作業が簡単ではない事は研究に従事したことがあれば誰にでも分かることだ
学術誌にもランクがあるので通りやすい、通りにくいの差は、当然ある。だが、査読付きであれば、迂闊な論文は同業者のダブルブラインドチェックで通さない。
つまるところ、査読付き学術誌に掲載されるという事は、複数の場合によっては10人以上からなる査読者の多数から、掲載するに値する業績であるし
少なくとも学問を冒涜する嘘もない事を認められたという意味でもある。
査読付き学術誌に掲載された論文に対しては、同質の研究で反証するのが正しい戦い方だ。
政治闘争にもちこんで、権力に訴えて、論文を取り下げさせるのは学問に対する冒涜であるし、文化のない土人の業というしかない。
韓国の騒ぎ方を見ていて、こいつらに学問なんて無理なんだ、理性で判断する事は無理なんだ、と思うに至った。
韓国にはまともな研究者すらいないのだろうか。居たとしても、集団洗脳された国民に学問とはそういうものではない、とは言えないのかもしれんが。
論文に対して研究ではなく感情的な声で対抗しようとする。なんとも情けない国だし、もうとてもじゃないが、何が彼らにとっての正しさの基準なのかも理解できないよ。
はじめに言っておくと、にじホロのような爆速でコメントが流れていく大手はあまり見ていない。
今年後半、日本語圏以外のリスナーが様々なプラットフォームで増えていて、彼らはとにかく自己主張が激しい。
日本的な、オタク的な機微やvtuberの文脈を知りようがないまま参入しているのだから仕方がないのかもしれないが、
彼らのコメントでは脈絡のない自分語りや配信内容と関係ないワードが頻出する。
「私は○○です」「私は○○が好きです」etc…………日本語リスナーがそういう発言をしないという訳ではないが、
やはり比べて目立つように感じるし、異邦人という物珍しさからか配信者自身もそのコメントを拾ってしまうことも多い。
で、雑談配信でその「異文化コミュニケーション」が始まってしまうと、とにかくつまらなくなる。
雑談配信ではコメントとの交流の比重が当然上がるが、それでも私が見たいのは「vtuber自身」だ。
彼/彼女自身が持ち寄ってきた話題に耳を傾け、リスナーはレスポンスを返す。
イニシアチブを握っているのは配信者自身。リスナーは言葉を発する壁。私はそうあってほしい。
しかし外国人リスナー相手のやりとりは、向こうにイニシアチブを渡してしまっているのだ。
配信の主から主体性が奪われてしまっているのだ。私は何を見ているんだ?という気分になる。
あと単純に話の内容がつまらん。日本人と外国人の出会いたての定型文みたいな似たり寄ったりの話しかしねえ。
とはいえ、コメントの取捨選択も当然vtuberが自らの意思ですること。
「文句があるなら文句を言わずに見るのをやめろ」という界隈の暗黙の了解に則り、自分から彼/彼女と距離を置くしかない。
率直に言って、立憲民主党、もう少し前から言うと民主党のとある態度に非常に腹を立てており、もういいかげんにしろよと言いたい。
この意見について、「ネトウヨ」とか「自民党政権への援護射撃」とか「ネット軍師」とか言われることを予め予想されるが、まあそれは仕方ない。
民主党政権時代のときに、支持母体の団体の期待にどれだけ応えた?
むしろきちんと要求を聞いてないと断定するし、やってきたことのPRも下手すぎる。
アレのせいで、本当に若い人が「じゃあなんで支えなくちゃいけないのよ」っと逃げてしまった。
支持母体にも問題がないとは言わないけれど、それでも、もっときちんとやるべきことがあっただろう。
その後、地方組織は弱体化し、支持母体の構成員は、分裂と権力闘争を見せつけられてうんざりした。
労働者の権利をきちんとどれだけきちんと戦ったのか、そして、その後どれだけきちんと成果としてPRしたんだよと。
正直、ワイドショー狙いの行動は、時代遅れになっている。むしろ嫌われてるまである。
一点言っておくと、ホワイトカラー・エグゼンプションに対する抵抗について、いい仕事をしたと思うが、その後のPRについてもっときちんとやってほしいのだ。
ワイドショーにPRを任せる方法はもうやめてくれ。あんなものは結局面白おかしく映像を写すだけで、現実的な新規層の開拓には全く役に立ってない。
ワイドショーの顔色ばかりうかがってないで、「若い人が、立憲民主党を指示すると生活が向上する」という草の根運動やってほしいんだよな。
「この党を支持すると、どんな良いことがあるのか」をきちんと主張して欲しい。
そういうところを若い人たちは、何も考えてないように見えてしっかり見ている。
だいたい、テレビのワイドショーでコメンテーターに味方してもらっても、誰も若い人はテレビなんかろくに見てないんだから。
逆にキレてる嫌な大人と思われるだけだ。
きちんと箇条書きで、若い人の生活を守れるコンパクトな政策と成果をアピールして欲しい。
お願いだから、「この党を支持したら生活が守られるんだ」という地に足のついたビジョンを見せて欲しい。
ワイドショー偏重の、キレ芸では、良いように消費されるだけだ。
森友、加計、学術会議なんかは、ワイドショーの性質を見事に表していると思う。あそこでどれだけ騒いでも、立憲民主党の票も増えないし、支持母体も地方組織も強化されないんだって分かってくれ。
いま必要なのは、草の根的に、支えてくれるそのへんの一般人の若い人の支持なんだって。
だから、そういう人を保護する政策を、ワイドショーじゃなくて、ネットで地道に訴えてくれよ。
本当に。
ワイドショーでの追求ショーや、分裂の政治闘争ショーをやるのはほどほどにして、きちんと自分たちのやるべきことを時代に合わせて変わっていってくれよ。
というか嫌気がさした。
もうオタクで政治にコミットするのは心底いやになった。クソみたいな論客しかここには残ってない。自分はリベラル派の人間だったのだが、もう無理だ。付き合いきれない。
昔は善悪が分かりやすかった。石原慎太郎とか自民党とかそういうわかりやすい敵がいた。しかし、いまはリベラル派が敵になってしまった。一緒に石原慎太郎と戦った仲間たちが次々と、「オタクは女性差別」とか「オタクはネトウヨ」とか発狂しだした。
もう嫌だ。
かつては一緒に戦った仲間たちが、次々に、「オタクは差別漫画が好きだけれど、君はリベラル派だから一緒にラブライブ叩いてくれるよね? 宇崎ちゃん叩いてくれるよね?」と界隈全てに圧力掛けてくる。そういうクソのような同調圧力にはもううんざりなんだよ。へらへら笑って「そうだねー。オタクも気を付けないとねー」とかいつまでも一緒に笑って同意してると思うなよ。
お前らみたいな、安倍晋三に何回も手玉にとられてる猿山の猿と、いつまで一緒に愛想笑いを浮かべてりゃいいんだ。
俺は猿じゃねえ。もう飽き飽きだ。
ちょっとでも異論を唱えたら「ネトウヨ化」だの「冷笑化」だのうぜえんだよ。お前らのほうがよっぽど同調圧力じゃねえか。俺だっていつまでも大学出たての若造じゃねえ。いっつまでも大学で勉強した薄っぺらな学問知識だけで世の中を切って喜んでる生き方をしてられないんだよ。
お前らはいつまで学生運動やってるんだよ。そんなものは70年代で卒業してろ。
俺はただのオタクなんだよ。
習近平=熾烈な党内政治闘争を生き延びて勝ち抜いて10億人を強権でまとめとるで
対して本邦のアレはただの爺の七光りの親父の七光りで学歴社会人歴とも並以下の腰抜けやで? 7×7の三世政治家49'nersの一人。目立つ実績と言えば北朝鮮から小泉が交渉して拉致家族を連れ帰ったとき「返すな!」とぎゃーぎゃー騒いだことくらいか。本人の交渉力がゼロであることは、その後全く拉致問題が進んでないことみても明らか。第一次政権時から身内優遇の人事批判されて失敗しまくって、そのくせ未だに「任命責任です(キリッ」とかいいながらロクに責任も取れず部下の首すげかえるだけで逃げ回って責任は取らない。とても「対抗馬」にはならんなあ。せめて巨悪でもあるならまだしもなぁ。
…と書いて、「対抗馬ってじゃあどんなんや」と聞かれるやろから、一例をと思ってフィリピンのドゥテルテのWikiページ読んでたんやが、あいつって想像してた以上の狂人やったんやな……いい勉強になったわ。
ドゥテルテは市長時代、警察官達に手本を示すために大型バイクで路地をパトロールし、喧嘩やいざこざを探し回って犯罪者とみられる人々を自ら殺害していたという。市長時代には3人の犯罪容疑者を射殺したと発言している。また、強姦殺人容疑の中国人の男性をヘリコプターから投げ捨てたこともあると発言している。
下手なフィクション越えてて草。
・追記
とても勉強になるまとめをみつけたのでお知らせしたい。
どういうわけかうまくリンクを貼れないが、ここ→ www.green.gifu-u.ac.jp/~bhdlab/?p=1391
以下、増田の駄文。大変不勉強で、特定の方々をディスったりして申し訳なかった。こんなものをみる無駄な時間を節約してほしい。
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実は、恥ずかしながら、治水のことなど今まではっきり考えたことはなかった。
休日で暇だったのが幸いして文献を読みまくることができた。
一部、ツイッターなどでは事実上、運転を開始した八ッ場ダムが2日間で満水にしたことで
何が税金の無駄だ…台風19号 「八ッ場ダム」賞賛の声が相次いでいる – ジャストニュース
ガンダムになぞらえるなど、まるでヒーローのような扱いだ。へー、ダムってすごいんだな、と思った。
それに対して、冷静な反論も多く見られた。いわれてみれば、
利根川水系の治水対策は、八ッ場ダムだけが頼みの綱だったわけではないし、むしろ未完成の現在では既存の利根川流域の治水計画の範囲外のはずだ。
台風接近中、いろいろ文献を読んでみた。日本の治水というのは、思ったより興味深いものだった。
数々のツイッターが注意しているように、今回の台風19号の八ッ場ダムの治水効果は技術的な検証を待ってから、というのはその通りだと思う。満水したからといって大騒ぎするのは早計。
とかね。
百歩譲って、流域全体に均一に雨が降るという前提なら成り立つんかね??定量的って、、、、全く。
そのなかでも、ちょっと気になったのは、以前より長い間、八ッ場ダムの反対運動をしてきていると思しき人たちのツイッターやブログの書きぶり。
あしたの会とかそんなやつ。以下、「彼ら」。
ひとことでいうと、彼ら、存在しない夢の総合治水像ですべての物事を語っている印象だ。しかも上記のツイッターと同レベルで科学を装っているから始末にわるい。
具体的にもっとも違和感を覚えたのは、堤防管理では越水耐性を強化すべきとしている点。
堤防で水際の越水対策をきちんとやっていればダムなど必要ないというわけだ。
一方、国交省は、堤防の耐越水技術は確立されていないとして、導入にすら消極的だ。
それに対して、彼らは、いやそれはダム偏重の治水だケシカラン!安価で確実なものができるはずだ!ダム派の陰謀だ!と主張。
おおむね、こんな感じ。
応答する論理がぶっ飛んでしまって、彼らは自分だけ左翼っぽい政治闘争のレールに勝手に乗っかってしゃべっていて、
話がかみ合わなくなっている印象だ。
ダム反対派ってこういう感じなのか、、と実感した。今後はそっ閉じかな、と。
少し時間をさかのぼって、昨日の未明のことを話す。読売新聞が、「利根川決壊の恐れ」とのニュースを報道した。
国土交通省関東地方整備局によると、埼玉県久喜市栗橋の利根川で氾濫危険水位を超え、13日午前3時以降、同県加須市の利根川と渡良瀬川の合流点で越水し、堤防が決壊する恐れもあるという。このため、両市は防災行政無線などで近隣住民の避難を呼びかけている。
すでに、昨日の時点で、いろいろ文献をあさってて、関東平野の治水にちょっとは詳しくなった気になっていたころだった。
決壊すれば、近隣住民の避難どころの話ではなく、下流域の春日部市から江戸川区に至るまで広範囲に水没し、カスリーン台風の二の舞になる恐れがある、ということがとっさに分かった。
水位情報を確認すると、確かに、栗橋の観測地点において、氾濫危険水位を超えてじわじわ水位上昇中だった。堤頂から2mくらい下まで水位が来ており、台風の強風によるうねりを考慮すると、越水が気が気でない状況。
そこで同地点の洪水対策をググってみたら、彼らのウェブサイトがヒットした。
NHKが報道した利根川の決壊を想定した浸水のシミュレーション | 八ッ場(やんば)あしたの会
彼らは、2017年当時、NHKが報道した利根川の決壊を想定した浸水のシミュレーションを批判し、次のように主張する。
今回のシミュレーションは、利根川の栗橋付近(埼玉県久喜市)の決壊で溢れた洪水が、中川(農業用水の排水河川)を通して東京都内まで短時間で到達するとしたものです。利根川の氾濫洪水が流下するバイパスに中川がなることはあり得ることだとは思いますが、そもそも、利根川の栗橋付近の堤防が決壊する危険性がどの程度あるかが問題です。
栗橋付近から上流の利根川中流部右岸および江戸川上流部右岸では、土地を買収して堤防の裾を大きく拡げる首都圏氾濫区域堤防強化対策事業が国交省関東地方整備局によって進められています。
へー、そうなんだ!やるじゃん、国交省!と安心したのが、彼らの主張を見た最初だった。
ところが、このページの締めくくりに書いてあった文章に違和感を覚えた。次のように彼らは締めている。
この事業は浸透に対する堤防の安全性を確保することを目的とし、国交省は超過洪水対策ではないとしていますが、これだけの堤防強化が行われれば、決壊する危険性がほとんどなくなることは明らかです。その点で、今回のシミュレーションは前提が現実と遊離した仮想計算といえます。
NHKの報道は、利根川の栗橋付近で行われてきた首都圏氾濫区域堤防強化対策事業や堤防の現況などには触れませんでした。洪水への備えは必要ですが、利根川決壊の恐怖を必要以上に強調する報道は、果たして防災の役に立つのでしょうか。
まず第一に引っ掛かったのは、国交省が同地点で実施した堤防強化事業を"超過洪水対策”ではない、としている点。
超過洪水対策?なんのことを指しているのかわからなかったので、検索してみたら、例の耐越水堤防をめぐるダム反対派と国交省のやり取りがヒットしたというわけだ。
次に疑問を持ったのは、
と結論づけていることだ。国交省が超過洪水対策じゃないっていってるじゃん??根拠がわからない。
しかも、この記事を読んだのは、国交省がまさに台風19号により栗橋付近での決壊の恐れを警告したニュースをみているときだ。
つまり、彼らは国交省の堤防強化事業について、越水対策の下駄を勝手に履かせて、その効果を信じているが、国交省は昨日時点で、すでに堤防強化された箇所において、なおも越水の危険を警告した、という構図。
現実と遊離しているのは一体どちらなのか??
さらに、たった今気が付いたのだけど、
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/tonejo00552.html
によれば、栗橋付近の工事、まだ終わってないか、ほぼ終わったばかりじゃねーか!
2017年に終わってるとか嘘じゃねーか、騙されたぜ。
もうひとつ違和感が残った彼らの主張に、カスリーン台風の評価がある。
カスリーン台風襲来時、たまたま運よく吾妻川流域の降雨が少なかったというのが俺の理解だ。
それに対して彼らは、国交省はカスリーン台風同程度の台風が来たら被害が大きくなるというが、それは妄想だ、カスリーン台風時でも吾妻川流域は持ちこたえたんだよ、と主張。おおまかにいうと。
これもさっきのツイッターと似て、彼らのお花畑では、流域全体に常に均一に雨が降ってんだろう。
それにしても、彼らは、なぜ、それほどまでに堤防事業を全力で信頼しているのか。その答えは、彼らの思い描く理想の総合治水像にあった。詳細は彼らのサイト。
大まかにいうと、ダムに過度に依存せず河川改修やソフト対策を中心とした総合治水モデル。へー、脱ダムの主張ってこんな感じなんだと感心。
確かに、流域によっては、河川改修の方が費用は少ないという試算を出せる場合もあるだろう。雨水対策や遊水地効果を狙って水を河道から逃がす発想も大切だ。
従来の治水の思想は、「貯めて、流す」という言葉で表現されるように、「水を河道に封じ込めて人間が流量をコントロールする」というもの。
近年は、彼らになびいたわけではないだろうけれど、ダムを大きな治水の柱としつつも、特に首都圏では雨水対策はかなり充実してきているように思える。
しかし、問題は、近年の気象現象の変化によって増大する大規模水害。この発想でどこまでいけるのか?
一体、どこまでのハザードを国や広域自治体(県)が想定すべきかどうかにも関わってくる。
財政的な現実性を踏まえれば、100年確率で検討するよりも、50年、30年確率で検討したほうが安価だ。
人命を守ることを優先し、床上浸水は阻むが、場合によっては、床下浸水は我慢してもらうといった発想だ。
例えば、2010年に当時の橋下大阪府知事が決定した槙尾川ダム建設中止はそうした費用対効果の分析に基づいている。
流域を個別にみていけば、最適解はそれぞれ異なるだろう。
比較的規模の小さな流域では、高いコストでダムを作って「貯める」中心の治水を行うよりも、むしろ頻度の高い少々の洪水には我慢してもらう、という発想はありうるかもしれない。
なんでもかんでも山河をコンクリートで固める時代は確かに終わったと思う。
だからこそ土砂災害防止法が2001年制定され、避難などのソフト対策へのシフトも謳われた(土砂災害はちょっと別ジャンルだが)。
しかし、政治的意思決定は、自治体の財政的なインセンティブに左右されてしまう可能性もあるかもしれない、というのが当時の橋下府政に関する文献をみた印象だった。
そうすると、広域自治体によっては、経済的に安価なよりコンパクトな治水事業が知らず知らずに選択されかねない。
住民の目からすれば「ちょっと床下浸水くらい我慢してね、あとは自助だよ、自助、逃げろ走れ、だよ」と広域自治体から言われ、
基礎自治体からは、市町村合併して公務員縮小してるところなんで、避難体制整備まで人回せません。。みたいな、ね。
正直、日本の中山間地域含む地方は、そんな風に途上国化してもやむを得ない状況だと思っている。
しかし、首都圏を洪水から守るという発想は正直、次元が違うというのが、ここ二日間、暇に任せて学んだ印象だ。
総合治水の在り方は、守るべき価値の大きさとのバランスだと思う。栗橋付近決壊で、東京ダウンタウン住民数百万人に、一斉に逃げろ、みたいな構図は、正直ありえない、あってはならない。
国のシナリオでは100兆円34兆円(*訂正)をこえる被害想定も算出されている。
百歩譲って、首都圏を守るための治水事業においても、脱ダムして、河川改修を中心とした対策にシフトすべきだ、としても
彼らのように、現実にありもしない堤防の越水対策などを謳って独自の想定シナリオを提案し、脱ダムの必要性を訴えるのは、行政サイドからは話がズレているとしか思われず、空回りするだけだろうと思われた。
河川改修の重要性、これに異論があるわけではない。例えば新潟三条を流れる五十嵐川とか、拡幅工事がなかったら終わってたわけだし。だけどダムを否定する論理にはならない。
しかし、議論するなら説得力は相当に必要だ。相手にされなかったときに、やっぱりダム利権が絡んでいるからだ!と政治闘争路線に走るのも彼らのお決まりのコースなのが残念なところ。
ドラえもんの道具を謳いたいなら、それは科学論文で証明してもらわないと。
科学技術的な論文で勝負してもらいたい話を政治の話にすり替えるのは卑怯だし、見苦しい。
そんなことを思いながら、貴重な休日が終盤に差し掛かりつつある。。
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追記その1訂正
首都圏大規模水害の被害想定は34兆円が正解。土木学会が取りまとめた高潮被害と混同してました。。
追記その2
長くなりすぎるので割愛したけど、調べている途中で見つけた新潟県及び三条市の過去15年年にわたる五十嵐川の治水の取り組み、見附市の刈谷田川の田んぼダム、ソフト・ハードの絶妙な組み合わせ。素晴らしいものがあると思った。
市町村合併云々のくだりは倉敷市真備町の事例を参考にした。雨水対策は、中堅都市では岡崎市の住民参加型の取り組みも興味深く拝見した。
本来このような話を本文で書くべきだったのかもしれないがあしからず。
追記その3
「彼ら」含めた原告団が最高裁まで争って敗訴決定したのは2015年こと。住民の疑問点は一顧だにされなかったと憤慨されている記事もある。しかし、そのあとにも引き続き、いろいろと従前の主張を繰り返しご発言なさってるという状況は留意しておいてもいいことだと思ってる。治水の話かと思いきや、左翼レッテル張りの記事に見える(個人の感想です - fn7のコメント / はてなブックマークに対するコメントとして。→ええ、そうだよ、思いっきりディスってるよ。
負けたなら黙れっていってるわけじゃないが、高裁判決に対してろくに反論もしてない時点で、キャッチボールになってないんだよ。そういうものを無視して同じ主張を繰り返すくらいなら、主戦場を変えたら?って思う。
個人個人に罪はないし、法令を遵守してマナーを守って生きていく限り、安心して暮らせて当然だ。
しかしながら、朝鮮戦争の続き、南北の権力闘争を日本でやるのはやめてくれ。
しかも片方は日本とその同盟国からは、テロ支援国家と認識されているのだ(言い分はあると思うけど、それ自体が政治闘争。個人の人権にかかわること以外はよそでやってくれ)。
拉致やスパイ工作にかかわる北系の団体や工作員の親戚やら友人やらが周りに全くいない人、あるいはそのような犯罪行為を行う人を見つけた場合に善良なる在留者として通報するなりしてきた人のみ声をあげる権利がある。
適性国家のシンパで、敵対行為をほう助する恐れの高い者が、安心して犯罪行為を行えるようにしろ、というのはまさに盗人猛々しい。貴国の大統領の暴言をそのままお返しする。
退職は本人がその気になればできる。それをきっかけにして会社の待遇が改善されるかもしれない。とはいえ退職した本人は待遇改善の恩恵をうけることはない。残った奴らがおいしくいただくのだ。退職した本人は、別の会社に中途入社したとしても、最下層の新入りとなって先輩の後塵を拝すことになる。雲上の経営者がもうかることよりも、隣のいけすかない同輩が自分のおかげで利益を享受する方がムカつくのだ。
本来、待遇改善のツールとしては、労働組合がそれを担うはずである。労働者よ団結せよ、である。
しかしながら日本の労働組合は、集散野合の果てに、より上層にある政治集団によって支配され、マイノリティの権利拡大や反アベ・反原発等の政治闘争にとりわけ熱心で、労働者の待遇改善は二の次であるように見える。
労働組合がマイノリティの権利拡大に尽力している一方で、搾取しているブラック企業の経営者がマイノリティであることも多い。
もちろんマイノリティの権利拡大が必ずしも悪いと言っているわけではないが、元増田のような労働者は、資本側からも搾取され、労働側からも搾取されているのである。
とりあえず、労働運動は、他のリベラル運動と一線を画してみてはいかがだろうか?
団結しないとつぶされるというのは、従来からの左翼の論理であるが、革命が成功するまで待てというのでは、人生が何度あっても足りない。