はてなキーワード: 排他とは
しょーもない議論だったので書き起こし 残り部分暇な人いたら埋めて
大空:NPO法人あなたのいばしょ理事長 新著に「死んでもいいけど死んじゃだめ」23歳
阿部:沖縄タイムス記者 基地問題を精力的に取材 著書に「ルポ沖縄 国家の暴力」など
~~略、誰か書き起こして~~
大空:これは3000日以上ということは8年以上ですよね
ですからそれだけ長い間、雨の日も風の日も台風の日もそこで座り込みをして抗議の意思を示してきたと
やっぱりそこにとくに本土の人間は安全保障上の問題で、日本全国の問題なんだけれども、やっぱり一定のリスペクトはあって良いだろうと思いつつ
さっき阿部さんはこの座り込み論をまだやるんだと、決着したと、で、せやろうがいおじさんは枝葉中の枝葉の議論だとおっしゃったんですね、座り込みの定義の問題を
大空:でも僕はそう思わないんです。僕すごく共感する部分あるんですけど、抗議運動に。
ただ座り込みとかハンガーストライキってたとえば、刑務所の中にいる人とか、入管の施設にいる人とか、自らの身体のみを用いて、抗議運動を示すわけですよ。
それが非常にカジュアル化しているということはその行為が持ち意味自体をものすごく弱体化しているということに気づかないとダメですよ。
阿部さんさっきね、あそこはひろゆきさんが笑ったと、笑える特権があると、おっしゃったんだけれども、
いやいや、自分で10分なり15分なり、1日3回選んでやるかやらないかということを、座り込みするかしないかということを決められる権利があるあの人達には
そういった意味ではあの人達も特権階級にいるわけですよ。抗議運動をしている人たちも。だから本当に、運動論として完全に僕は失敗だと思いますよ。
完全になにも手足も拘束されて、なんの抗議の意思も自分の身体を用いて以外、選択肢がない人たちのために、
やっぱりハンガーストライキとか座り込みとか、自分の身体を用いる抗議運動の選択肢はとっておかないといけなかったのに、
最近、原発のこともそうだし、気候変動のこともそうだし、若い人も含めて、非常にカジュアルにハンガーストライキとか座り込みとかやってるんですよ。
これ本当に入管の施設でそういうふうなことをしたときに、ああ、どうせカジュアルなのね、となっちゃう可能性が僕はすごくあると思うんですね。
大空:僕はいま23歳ですよ。大学生のときに孤独対策担当大臣を作ってくれと政策提言したんです。いま日本は3代目の孤独担当大臣置いてますよ。
やっぱりリベラル側はね、体制に対してのものすごい批判的な見方があって、政策提言とかアドボカシーとか、
そういった抗議とか書面運動以外の、民主主義的なプロセスをやっぱり軽視してきた部分もあると思うんですね。
やっぱりリベラルの運動論自体がアップデートしていく、あの場におじいちゃんしかいなかったじゃないですか、
やっぱりそこをもっとアップデートしていくということをリベラル側が努力してやってかないと、
この問題、なかなか進まないし、若い人に関心持ってもらえなくなると思う、そういった意味ではこの定義ってめちゃくちゃ大事だから、
これを機にね、定義したらいいじゃないですか、僕はそういった良いきっかけになればいいなと思いますね。
平石:ありがとうございます。阿部さんいかがですか、いまの話。
阿部:ええ、ありがとうございます。いままず座り込みとハンガーストライキを大空さんがごっちゃにして話されてたので
大空:いや、ごっちゃにしてない。2つのことを指してるんです。ごっちゃにしてない。
阿部:なんで違うかというと、ハンガーストライキはあれじゃないですか、ずっとやらないと、それこそ2日やった3日やったと言えないですけど、
座り込みはトラックが来るのを止めるために座り込みをできるわけですから、ハンガーストライキは連続性が求められるわけですね。
ですけど座り込みはそうではありませんから、いま別のことを1つにされるのはちょっと、ハンガーストライキの話は置いておきましょう、というだけのことです。
大空:ハンガーストライキも実は最近の抗議運動でやってるんですよ、記者さんだったらご存知かと思いますけど、
やってますよね経産省の前とかでね、1日限定とか2日間3日間だけ若い人がやってるわけじゃないですか。
阿部:ええ、沖縄でもハンガーストライキはあるんだけれども、あの僕が言いたいのは連続性の話ですね。
ハンガーストライキは連続性がないといけないので、座り込みとは違いますね、というそこです。
~~略、誰か書き起こして~~
大空:いや、そこじゃなくて、さっき申し上げたのは、座り込みだとかハンガーストライキだとかごっちゃにしてるはどうでも良いんですが、
座り込みってところをとると、そもそも抗議活動っていうのは、連続性というものがある程度効果が得るわけですよね。
だから昔は連続って書いてらっしゃったわけですよね、あの看板に。だから連続性が持つ意味合いがよくご理解いただいでると思うんですけど、
僕がさっき言ったみたいに、座り込みもしくは自分の身体のみを使っておこなう抗議運動というのは、
本当に拘束されている人とか、入管の施設にいる外国人の方とかね、ああいう人がやることによって非常に意味が生まれると。
ああいう人たちが行う選択肢を奪っているわけです。そうやって別に座り込みじゃないとか、座り込みは数日でも数分でもその場限りでも良いとか言っちゃうと
だって意味なくなっちゃうんですよ。署名運動とか政策提言とかあの中にいる人たちはできないわけですよ。
ハンガーストライキとか座り込みしかできないのに、まさにそういう行為がもっている意味が弱体化してしまうから、リベラルはそこから逃げちゃだけだと思うんですね。
大空:だからこの機会をね、いま全然前向きな議論をぜんぜん何十分間できてないから、これを機会にいいじゃないですか、
座り込みをリベラルの方はどう思うのか、ひろゆきさんがどう思うのか色々あると思うけど、ある程度決めて、この番組が別にどれだけ影響力あるかわからないけど
でもきっかけになったら僕はすごくいいと思うので、座り込みの持つ本当の意義ってところをまだ決着してないと思う、ここをちゃんと話し合うべきじゃないかなと思いますけどね。
大空さんが入管施設の方の話をされますけれど、その入管施設にいるわけでもない大空さん。
そして、沖縄で民意を踏みにじられて、どんなに反対を選挙で言ったり、県民投票で言っても、市長を作られてしまって、
止むに止まれず座り込まないという立場にもいない大空さんが、なぜ、座り込みについて講釈をしているのかというのが、
やっぱりそこが特権なんですよ。最初に私が言った。あのそれを考えられたほうが良いんじゃないかなと。
大空:当事者以外話すなというこの排他性をいかにリベラルが抜け出すかということが、やっぱり日本の一番大きな課題だと思いますね。
自分の責任を引き受けて、発言をしなければいけないので、その排他されたというということではなくて、
自分の立場を考えて、自分がここでなにを言うべきなのかをきちんと踏まえて、言うべきだと思ってますね。
~~略、誰か書き起こして~~
ハフポストが書いたような『作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待。男性による未成年の少女への性暴力や性加害そのもの』(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_624f8d37e4b066ecde03f5b7)と言うのは完全に否定出来る内容だった。
つい胸に目がいってしまうとか意識してしまうような展開だとかそう言うのは描かれつつも、大人としてコンプライアンスを意識して絶対に女子高生に手を出してはいけないとか、社会人ヒロイン相手にも変に意識してると思われたら気持ち悪がられるとか、そう言うシチュエーションをギャグとして描き出してる一種のラブコメ的な作品だった。
またこの文言、そもそもは『作品で描かれているのは数々の痴漢行為』としていたのを『作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待』と書き換えたもの(https://twitter.com/gerogeroR/status/1515599242773303296)だけど、法で定められる痴漢行為は無かったことから改めたものの、ある程度男性の加虐性があることにしないと自分達の言い分が通らないから『性的な虐待』と書いた程度のものだろうと思う。
次に、女子高生かくあるべしとしたステレオタイプを促す作品かどうかだけど、そんなもの皆無でしょ。
確かにこの作品は胸の大きな女性が好みな男性作者が理想の女子を描いてラブコメしてるけど、このミラーリングはせいぜいイケメン男子が好きな女性作者が理想の男子を描いてラブコメしてるくらいのレベルで、どちらにしても理想の異性を描くと言う行為は大前提として『こんな奴はいない』があると思う。だからこそ理想であり都合よく描けるのであって、ましやそれをステレオタイプだなんて対極にも程がある文句だなと思う。
ちなみに月曜日のたわわに所謂パンチラは一切出てこない。作者が興味ないらしい。私も興味ないけど。
対して胸が大きい女性は女子高生のみならずガッツリ会社員ヒロインも出てくる。何を描きたいかハッキリし過ぎてる。
むしろ個性のなさ(ステレオタイプ)で言えば男性描写の方に問題ありそう。顔がなくて髪型でしか見分けられないから、女子高生と電車に乗る男と会社員として働く男が別の男と認識するのに時間かかりました。
結局表現物は何を思ってどう描かれたかより、見た人がどう受け取ったかの方が圧倒的に重視されてる世の中だと思う。
描き手の0から100まで理解しましたなんてのは無理で、私はこう思ったと言う千差万別な感想で溢れてるから。
ましてや誰かの理想なんてカロリーの高いものが誰かにとってはキモいとも取れるのは当たり前で、それを楽しめる人は楽しんでると言うそれだけのこと。
以下、駄文
と言うか、着衣してても性的に表現してるからアウトなんて言うのは、あらゆる創作物を対象として考えた時、私はラインが引けない。
月曜日のたわわなら、大きな胸が男性からして性的な魅力を持って描かれたからアウト、とかなんだろうけど、じゃあイケメンが女性からして性的な魅力を持って描かれたからアウトも通る。
一々書かれたものに性的な意図を持ってるかどうか書いた人に確認しなきゃいけなかったり、それが性的なのかどうか男女平等に且つ曖昧なラインを誰の判定に任せるのか等、またそれだけコストかけてリターンはどれだけあるのか、色々と包括して私は今の規制派の意見じゃ全く割に合わないとしか思えない。
そんな必要はない、たわわは性犯罪を助長するからたわわは規制だなんてごり押しして特例の前例を作ってしまうと、後々誰がどうこの特例を悪用するか、一度でも特例の規制は作るべきではないと思う。ましてやたわわ程度のもので。
たわわも引っかかるラインでわかりやすいのは未成年描写はアウトだけど、創作物からあらゆる未成年描写を排他って、いかがですかね?
とりあえず、たわわ広告規制に反対する人へ表自戦士やらエロを守りたいだけやら馬鹿みたいな揶揄が飛んでますけど、上記を読んで貰えば分かる通り、反規制派なんてものじゃなくて、規制に然るべき理由とそのラインが腑に落ちるものであれば、大体の人は何が何でも規制に反対とかそんなんじゃないと思います。
https://odaibako.net/gacha/5976
※CLとは※
Coは共同・対等
もとは英語でco-educationで男女共同教育を表していたが、現在は略したco-edのみで「男女混合」や「男女いっしょに」という意味で使われるようになっている。
そのため混同しないよう男女共学と表す際にCoed schoolと表記することもある。(韓流アイドルでもCoed schoolという男女混合グループが存在した)海外アパレルブランドのマ/ル/ジ/ェ|ラにもco-edという男女共用ラインがある。(男女混合として表す語はミックスが多いですが、メンズラブのMLがあるためこちらにしました)
ヘテロ(異性愛)は対義語がホモ(同性愛)として使われているため「ヘテロラブ表記をすることによりBLGLも同性愛者と決めつけてしまい創作にバイのキャラクターが暗に含まれない意味」となりますが、
「co‐edは対義語で同性愛と決めつけることなく単純に男同士の愛、女同士の愛、男女の愛という意味を差す」ことになり「より表現したい原義に近い」言葉だと言えます。
また男女いっしょだけでなく男女共用の意味もあるため、男か女かどちらか一方の性を断言できない方も含めて使えると言えます。
CoLはHLタグは語源がへテロセクシャルとして使われてそのへテロが悪口のニュアンスで使われている以上、HLの中に入ってくるバイやトランスジェンダーにも悪口を浴びせていること、異性愛者全体へのヘイト用語として使われることもあること、へテロは性的少数者を差してないなど、
そもそものへテロラブ表記の抱える直球の差別につながる要素を解消するための表記です
それを容認するのはよくないし悪いよな~の考えです。
なによりHLを広めてる方でへテロを悪口や罵倒語のニュアンスとして使ってらっしゃる方が、少なくない数見受けられます…
罵倒として使っていらっしゃる方本人のセクシャリティをスルーしているのではなく、単純にオタクという対等な属性として考えたらマナー的に考えてよろしくないんじゃないかと・・・。
(特定の性への罵倒を堂々と行うのはどんな立場やセクシャリティであっても人として根本的にマナー違反ですし…)
ノーマルがアブノーマルの反対の論が通るのなら、そのまま異性愛者の意味で伝えられてる以上それはNLより直球で排除する人が多くなってて結果的に差別なくせてない…のでは…
個人的には悪口と分かって広めるのもNLより直球に差別的な思考に感じてしまってます
へテロはホモと対称なのがなんか嫌…て意見もよく見るんですが、差別用語のホモセクシャルと対称であることを使用して「差別主義者」という意味合いの悪口として使われてるので、その嫌だなって意見は気に入らないし通らないって意見もその悪口として使われてる事実を封じ込めてしまっているんですよね…だからそういう理由でHL表記に差別性があるのは通らない…という論は無理があるというのが私の意見です。
感覚として実際悪用されてるんだから間違ってないんじゃないかな…
きっと私の主張を見て「世間の扱いとして差別されておらず釣り合いが取れてないから悪口として使われていてもスルーしていいし差別じゃない」と思った方もいるでしょうが、それは正直危険な考えではないかな・・・と自分は思います。
だってその異性愛表現そのものを悪口で呼んでいいって考え方は、その中に含まれるバイセクシャルが異性と恋した瞬間に悪口で呼ばれることになるってことですよ
そういうの考えもせず異性愛描写だからって悪口であるのを無視して使わせようとするのは差別が発生せず配慮されていると言えるのかな…って
「構造上ヘテロとホモは対称であるには事実」でも「立場が違うため同一に扱えるものでない」ということは、「だから差別を作り出さない言葉になるということとイコールにならない」です。
異性愛の中にも少数者がいてその人たちを無視しているのは事実ではないでしょうか。
推奨している方々でもそのことを頭の片隅で一度は意識したことがある人はいるのでは・・・
マイノリティを日頃から意識されている中でそれらに言及した方もいたのではいでしょうか
対照だからというのは差別にならない、というのは、実際に悪口として使われていない状況で初めて作用するもので、差別を無くすためと言いながら異性愛の中の少数派が見えてないのは、そうしてもいいって思い至らない、これにはそういう扱いしていいって優しさの欠如ではないかな…
ヘテロはホモの対象な言葉で、悪口として使う際は「同性愛と違って差別用語とされない差別や孤独と無縁な無自覚な人たち」という意味合いなんですよね
それって異性愛の中でセクシャリティで孤独を感じてる人に対して「結局はあなたの悩みはお遊びでしかない」とバイやパンセクに言ってるのと同じじゃないでしょうか。
あなたの苦しみなんて気遣う価値がないものだと言ってるのと同じじゃないでしょうか。
実際実在の該当者に対してそのような(結局はヘテロかよというような)悪態を吐く場面を見たことがあります。
それは差別でないと言えるんでしょうか。
そのことに気づかず善意で使っている方が、NL使用についてよく言われる「人を踏みつけているのに気付かない」を一番守りたいと考えている性的少数者に結果的に行ってしまっているのは悲しいことではないでしょうか・・・
平等のためと言っている方が多い中、意識して他人を踏みつけることが目的なわけではないでしょうし…
そのような考えの方がいらしても、それは性的少数者が悲しむのを自分のことのように受け止め悲しんでるからであって、個人の感情のみで発散の大義名分にされている方は少数だと思うので…(それがおもな理由でもそれはそれで何か理由があると思いますから適切な発散ができるとよいなと思います)
全体の大きな目的のためにふるい落とされる存在を瑣末なこととしてないもの扱いで無視されるのなら、それが差別意識っていうものなのではないかな…と
多分そう遠くない未来にバイやトランスやアセクシャル、パンセクシャル、その他さまざまな少数派のセクシャリティやジェンダーの方からHL表記から暗に排除されていることや悪口としての使用について意見が出る可能性は高いのでは・・・・
実際数年前からぽつぽつそういった当事者からの意見もお見かけしました。本当に少しですが・・・
逆に出ないほうが問題かなーと思います・・それは当事者が痛みに声を上げにくい社会になってしまっているということなので・・
そもそも悪口として自分が認知しているにも関わらず人に勧めるのはそれが少数者であっても良識的にアウトではないでしょうか。
もちろん声を上げて自分は普通だ、と主張することは自分は対等な人間であると表明するのに必要なことですが、悪口として自分が率先して使うこともある用語を事情について詳しく伝えず「正しい言い回しである」として勧めるというのはそれこそ「普通から外れ良識が欠如した異常な行動」に該当するのでは…
「自分達はアブノーマルでも良識から外れているわけでもなく、たただ当たり前に人を愛しているだけだ」と主張する行動を損なってしまうのではないでしょうか
ヘテロを悪口や罵倒のニュアンスで使いながらHLを勧めている方は、自分達は異常者でないと証明したい意図から外れ、過去に抱かれていた「良識がない異常者」というイメージを覆すどころか、差別を抱かれていたイメージに根拠を与える行動になりかねない、一部では既にそのようなイメージが強化されている人もすでに出ている印象です・・・・
分断を生む要素が多く悪口としての用法のイメージを抱いている人が少なくない以上、平等のために掲げる表記としては不適切な部分の方が多くなってしまっていると思います
また悪口として避けられている側面があるのでは、区分けして平和を保つのための表記という本来の意味をなしていないので…
メジャーですが問題提起されるのが多い表記ですし…平和的でないという理由で…色々論争の的となっていて判定が難しいところがある…浸透していて変に変えるのは混乱が起こるし…と思います
直球で悪口として使われてるわけではないですが、人より異常でマイノリティなオタク趣味だからこそと楽しむ時代ではもうなくなっており、それぞれ平等な人間として扱いたい流れがあるので…
なのでそれらの問題を解決するため、新しく表記についての記事をもとにまだ提唱されていないco-edloveを提案します…!
他の方も使って頂けますと嬉しいです…!
もとは共学の意味でしたが、現在はそのまま男女混合としてそのまま使われてて、共学の際はcoed schoolとするそうです。
海外ブランドのマ◯ジェラにも男女共用ラインでco-edがあります。
これならバイセクシャルや性自認で悩む方も使えるんじゃないかと思いました。
現在NL表記で、HLが悪口として使われているのを見かけ変えにくく困っているという方も、考えに同意していただけたらCo-ed Love(男女CP) 、字数がきついならCo-ed Love(NL)などでもいいので分かるように表記してもらえたり、表記を変えなくても「こういうのがあるよ」とツイートしてくださると助かります。
※ただし使う際はハイフンを入れてco-edにしてください。coedloveだとTwitterでは男女混合のスポーツのタグとして使われてます…
HLを広めてくださってる方にも
「世間に広まりにくいというのはNLを使い続ける理由にならない」という考えの方が多く見受けられるので、クラスタ内でも提起して浸透するのにご協力いただければと思います…!
・昨今の情勢を問題視し日常でも争いを巻き起こすことをよしとしない方
・「マイノリティマジョリティ関係なく性を揶揄したり否定することを容認する、差別の根本的な価値観」を問題とされる方
(※マジョリティ関係なくというのが重要で、多数派のBLジャンルの方が揶揄されがちなのもこれらの価値観が欠如してるため起きているのではと思います。)
何よりも
・異性を愛することもある性的少数者で、世間のマジョリティに不満を抱えている者同士で関わってみたものの異性の恋愛になるといくら叩いてもよい、悪口であることを
スルーしてもよいという風潮に苦しんでどこにも行き場がないと感じてしまっている。でも痛みを主張しづらいと感じている当事者の方
・または上記のマイノリティの中のさらにマイノリティの方の痛みをどうでもいいことだと決して考えていない方
はぜひ広めてほしいです。
社会的弱者であれば排他してよいという考えはいつか全ての人間を追い詰めるだろう、という論で配慮を促す意見をよく見ます。
それと同じく、世間的には被差別でなく差別する側であれば配慮がいらないという考えもまた、いずれ自分に降りかり追い詰めていくものではないでしょうか。
なによりお互い踏みつけることになるのを「配慮」と称して推奨するのは配慮の定義とは外れると思います。
そういった状態をナチュラルに肯定し、HL表記を勧めている方も見られる以上、争いの火種になってしまいます…できれば共有いただけると幸いです。
追記:ぽつぽつツイートしてくださる方お見かけしまして大変嬉しいです・・・!
でも表記や使っている方そのものに批判的な発言しながらの引用はしないでいてくれるとハッピーに変われていいと思います
HLが広まらないのは強く薦めてる方がNL使ってる人を侮辱的ともいえる悪口で批判したりNL表記は完全に悪で白い目で見られるものだ!って極端な考えて不快にさせるような物言いをする方が目立ってしまうことがあるのもかなり大きいと思うので・・・
HL使ってる人にこそ問題提起をしてほしくて記事を書いたので批判する内容にはなってるのですが、HL表記を広めたいって方の考え方は優しいし大事にすべきだと思うからあんまきつい言い方しないで広めてやってください〜
自分の言い方でHL使いたい人の気持ちそのものを悪いものだって言われたみたいに感じさせてたら自分が文章力なくてまことに申し訳ない気持ちです・・・
あくまで悪口や罵倒語として使われてるのをスルーして広めることをに私は問題提起したいのですが、うまく伝えれれてなくてすみません
ただやはり現状が問題提起される空気がないのは危ないと思うので、できればまだ浸透率が低い今のうちに軌道修正をはかったほうがいいのではと思います。
異性愛のみをノーマルとする考えが差別の温床であり撤廃すべきだと言うのなら、
異性愛の中に入ったのならマイノリティであっても罵倒してもいいという考えを補強するような用語を、
人権について語る人がいたずらに広めるような動きも撤廃しなければならないと考えます。
そもそも男女の創作なら悪口スラングで元々使っていたものを使わせるのはむしろいい気味という考えなら、何をそんな小さいことを言ってるんでしょうか。
そんな平和や平等、悲しみをなくす為の活動らしくないことを言わないでください。
全てのLOVEを平等に扱いたいからNL表記に疑問を感じていたのではないですか。
それを広めることでどうなるか、広めようとしている方や
ノーマルという呼称で傷ついて来た方々ほどその痛みをよくご自覚なさっているはずだと思います・・
悲しいことの繰り返しはもうやめませんか・・・?
マジョリティの世界ではホモは差別用語でヘテロはそういうカテゴリに未だ認定されていないです。
でも、マイノリティはマイノリティのコミュニティを主に生きているのではないですか。
その中で排除されている方はどこに行ったらいいんでしょうか。
アスペは合理的で納得のいく筋の通ったやりとり、ローコンテキストなやりとりを好む。
その人が誰々と仲が良いから、あの人が怒るから、服装が好ましいから、そうしないと目立つから、浮くから、しなきゃいけないことだから、周りの目を見てとにかく黙った方がいい、のような、日本人にありがちな合理性を放棄して社会圧に迎合する仕草や言動、言語化できず合理性もないのに従う習慣、ポエムじみた具体性のない言い回しでの指示や教育、癒着、上には言わないのに横では文句を言い合い村八分にするような奴隷仕草、集団内政治のようなものを理解できないし、したとして好む心理を持ち合わせない。
健常者は嫌だなあと言いつつも社会に属したい要求に負けて呑んじゃうんですけど、健常者は「周りと同じように社会に属することを好み、そうでないものを排他し、集団政治を好む身内以外に攻撃的な特殊な種族」だから、アスペからも理解しがたいものなんです。
おそらく事前のルール説明が弱いか説明が足りないんだと思う。何故反対するのか、核心部分の理由を単純に合理的に説明できてないんじゃないかな
公平で合理的な話し方のできる相手にはアスペはよく心を開くが、いわゆる感情的で論理的な話の苦手なタイプ、直情的で気持ちが先走ってるタイプ、話がまとまらないタイプは、アスペには感情的で圧迫的で独善的で話のわからない相手に映る。
「騒音で苦しむ人やアレルギーの人もいるから配慮しよう」では、「全員の理想を叶えれば良いじゃないか。別の方向で解決できないのか?騒音やアレルギーは犬を飼うことへの批判にはならないのでは?子供がいれば犬よりもっとうるさいし、犬アレルギーより花粉アレルギーや他のアレルギーの方が主流なのにそれらを排除しないで犬を排除するのは恣意的な選択では?結局理由なんてないよね?」みたいなことになる
もともとこの建物は、「犬を飼わない合意」の上で賃借人を募集したものであるので、ここに住む人の多くは犬の存在を前提にしていないから。「犬を飼える物件」としてデザインされた賃貸物件と住み分けた建物だよ。
ペット禁止物件には、敷金礼金を安く済ませられるので賃借人を募集しやすく、賃貸料や管理費用が安く済むというメリットがあるんだよ。
と普通に説明してくれる人があまりに少なく、誰もかれも適当に「みんながそうしてるからそれでいいじゃんそうしとけよ」みたいな事しか言ってくれる人がいなかったアスペの末路って感じがするかな。この事例では。
「配信開始告知のツイートできて偉い」の意味みたいだが未だ不気味に感じる
当然のことを褒めすぎることの不安定さもある
あとはリスナーによる「ツイッターも見ているぞ」という示威(自慰?)を読み取ってしまうせいか
何も考えずに周囲を真似してやっているリスナーが大半に違いないが……
>> 参加するという一体感を出すにはテンプレは大事。ライブのコールとかと同じでしょ。
一体感と排他性が裏表の関係にあるから疎外された経験のせいもあって気にしちゃうんだろうな……Vを媒体とした結束感をファンに与えて常連のホールド力を高める反面、「ついえら」についてはストリーマーを見るときの参入障壁、お決まりのあいさつ等は個人の参入障壁として機能する側面があると思われ
>>不気味に感じてる増田に向けたメッセージじゃないからnot for meでスルーするといいよ。
上記の効果から、常連ホールドよりも党勢拡大を優先したいV本人にとってもnot for meになる可能性はないのかな?あえてメンバーやっていない委員長みたいなタイプはいろいろ考えているだろうけど、多くのVはただ成功者の方法を踏襲したり事務所の方針でやってないか?
独自あいさつやファンネーム、ついえらなどを禁止すれば独自色を出しメジャーになれるとまで単純なことは言わないけど、格上の真似をして格上を超えるのは難しいとも思うのよね。
>> 自分の意見をまともに主張したいなら「示威(自慰?)」という高校生みたいな言葉遊びは避けた方がいい。「私は適当なことを言っています」という態度に見られるから。
それはごめんなさい
https://anond.hatelabo.jp/20210228121158
あれから約1年。久々に見ると、それなりに反響があったようだ。
記載の通り、自分は某国立と名の付く病院を辞め、現在は民間企業の情報システム部門のエンジニア職だ。
辞したことは後悔していない。待遇も収入も向上し、環境が良くなり、第一、今の職場は同僚が良い人だ。
上場企業であり、海外の売上が高く、企業名は誰でも知ってると思う。
公的な機関での医療情報の世界から飛び出て、客観的に前職を見つめることができる今、はやり前職は特殊(というか閉鎖的)だったと思わざるを得ない。
前職で目を疑った出来事の1つが、アルバイトの非常勤職員に物理的・精神的暴力を振るう医療情報技師がいたことだ。
しかも、さらに上の管理職に露見しないような場所で行われていた。
上司に対する不満を、上には言えないものだから、立場の弱い職員もしくは請負業者にぶつけていたのだが、現在の職場ではそのようなことは有り得ない。
現職は、ハラスメント対策には非常に厳しく、社員1人1人の意識もそう荒んではいない。
暴力行為なんて私は想像を絶するのだが、国の機関(法人とは言え)で行われていることを目の当たりにしたのがショックだった。
請負業者の社員が頻繁に退職する理由は、おそらく、これだった。
外部業者にも内部通報ができるのだが、制度を教えていなかったと思う。
というのも、某国立病院にいた時、常勤職員であるというのに病院のことを何も知らない人が一定数いたからだ。
業務を切り分けているというより、そもそも責任を含めて時短勤務の非常勤職員(要はアルバイト)に丸投げする例は多々見た。
責任に応じた給料が支払われているという意味では今の職場はちゃんとしているし、逆に言えば、前職の某国立病院はそうではなかった。
縁故採用は賛否両論がある方法で、招聘した人物にも責任が発生するから安心感があるという側面もあるが、反面、
機能しない人物だと後で判明した場合でも、責任問題にされることを恐れてか、仕事はアレでも評価はなぜか良好で管理職に順調に昇進させられるケースが発生する。
事実、某国立病院ではそういう人がいて、その人は周囲からも管理職からも「何をしているのか分からない人」と言われ、すぐに終わりそうな単純作業を深夜まで必死に頑張っていたりしていた。
縁故で呼んだ責任もあるだろうが、トップが実務を理解していないのも一因だ。
呼び入れた人物が評価者なのだから評価は恣意的になるし、組織全体としてはガバナンスの欠如である。
「公募採用」では縁故は禁止されているが、おそらく、どこの独法も似たり寄ったりだろう。
実務経験ゼロ、かつ業者に実務を丸投げする中途採用の情報専門職が行う医療情報(応用情報研究のくせに)の研究なんて、どれほど有益なのだろうか。
今の職場は能力的に適正に評価された人物でないと昇進ができないから、まだ健全だ。
02/03追記
思い出しついでに、追記する。
国立と名の付く某病院の職員のことを思い出すと、考え方というか意識も公務員特有だった(みなし公務員ではあるが)。
何が特有かと言うと、端的に言えば傲慢な意識だ。全員がそうではないが、民間の今では見ることはない気質だった。公的機関の常勤職員というのが彼らの最大のステータスだから。
とにかく勉強偏重な人間が多いから、細かいミスに気付くのは良いが、ある旧帝大卒の人なんてExcelの設計書に余計な半角スペースを1つ見つけるだけで罵声を浴びせかける。そんな些細な粗探しをしても実務的な効用は一切ないのだが、その人物を満足させるためだけに時間を割く必要がある。ただ、IPA資格の高度を複数持っているし旧帝大卒だから、管理職からの評価は高かった。
医療安全講習は全職員が受講するが、「心理的安全性」に関する講習を聞いたであろう直後に非常勤職員に罵声を浴びせかけるところを見たので、学歴があることはイコール知的とは限らないのだな、と思ったものだった。
その人が、自分が知ってる中では一番偉そうな態度の人だった。ただ、管理職に対しては素直で従順だった。縁故採用で入職した人物だから、評価が悪くなることもない。
相手が常勤職員か、請負業者・非常勤職員で態度を露骨に変える職員はそれなりにいた。
これもやはり現職とは違う。
既に書いたが、自分ではない。
けど、同じ業界にいて同じ境遇の人物がいるというあたり、この業界の閉塞性、将来性の無さ、排他性、旧来型の権力構造…を感じた。
まともな職場もあるかもしれないけど、私が見た医療情報の世界は腐っていた。
既に権力を持った層にはいいだろうけど、何の将来性があるのか、分からん。
バイバイ、医療情報技師、診療情報管理士、そして医療情報学会。