はてなキーワード: ギャレス・エドワーズとは
あんまりにも絶賛以外の初期批評がボコボコにされるのを見て恐れをなし増田に投下する所存
現実派の赤坂と理想家の矢口という対立描写がされていたが、矢口が非常にできる人オーラを出しているのであまり対比が感じられない。
冒頭で矢口が巨大生物云々という空気の読めない発言をするが、観客からすれば「真実」を指摘しているわけで、この時点での矢口の未熟さを感じる人はあまりいないと思われる。
赤坂が「空気を乱すな」とたしなめるが、この時点で赤坂は矢口に感情移入する観客からすれば嫌な人でしかない。
その後も矢口は周囲のフォローを受けながら巨災対を回していくわけだが、失敗描写が殆どないのでやはり矢口は有能に見えてしまう(よく見ると矢口1人では全く回ってないのだけれど)
よりわかりやすく示しても良いと思った。決定的な失敗をするとか、巨災対に陰口言われるけど成長して信頼されるとか。
とはいえ、現状の構成にも利点はある。矢口に感情移入すれば(そしてそれは容易である)ヒーローとして楽しめるし、深読みすれば矢口の成長物語としても楽しめるので。
実際この2人と、矢口-松尾コンビのやり取りは楽しく見ることができた。
■カヨコ
さんざん言われているけれど、やはり浮いている。怪獣映画であるとしても浮いている。たまにゴジラが一番リアリティないだとか、ヤシオリに向けたリアリティラインの降下要因だとか言われるが納得できない。
対人物と比較したときにカヨコが浮いているのは紛れもない事実である。
人とゴジラが対話してチームでも組むならカヨコの存在は違和感ないかもしれないが、そんな荒唐無稽なことは起こらない。
ゴジラがリアリティがないからカヨコにリアリティがなくても良いという主張は、実質映画の全てを免罪し映画自体の評価を下げてしまうのであまりよろしくないと思う。
カヨコがいたからリアリティが感じられなくなりヤシオリを素直に楽しめたか?NO。
あのテンプレアメリカンキャラ付けとルー語は勘弁して欲しかった。
個人的には老獪な紳士とかだと良いなぁと思います。萌えるので。
■ゴジラの生態
これはこの映画最大の魅力ではなかろうか?
前段で書いたこと、これから後段で書くことはあくまで映画をそれっぽくするためのオマケ。
ゴジラの設定は最高だった。あのぶるぶるするちょっと残念なサンショウウオが画面に現れたときですら大興奮だった。その後のそれっぽい科学的説明(科学的に正しいかは問わない)もそれに拍車をかける。
絶望感を盛り上げるWho will know (24_bigslow)/悲劇(熱線の時のBGM)もいいが、 Persecution of the masses (1172)/上陸も不気味さと不安感を煽る絶妙な音楽だと思う。
日本の武力の総力を投入しても基本的にはただ平然と前進し続けるゴジラ。お決まりの「やったか!?」。この古典的な台詞ですら場面を盛り上げる。
そして熱線。かっこいいの一言に尽きる。まずガスをはき出してそれに引火し、炎が収束していくあの描写はオタク心を存分にくすぐってくれた。ギャレス・エドワーズの熱線描写で大興奮していた自分にとって、あのシーンだけでもこの映画の価値がある。
ガメラ2ラストのような火の海の中で暴れ続けるゴジラを遠くから描いたカットも最高。そして全てが終わった後、エネルギー切れのロボットのように眠りにつくゴジラ。1連の流れは”美しい”の一言に尽きる。この場面だからこそWho will knowも生きる。いきなりIf I died~で始まる歌詞も無駄に示唆的でよい。
その後東京にたたずむゴジラを見たときは少々ギャグっぽいなと思ったが、熱線を掃き終え眠りにつく描写のかっこよさはそれを上回る。
熱線描写までは積極的な破壊をしないところも評価したい。サンショウオゴジラはただ進んでいるだけだが、それだけで甚大な被害をもたらすという絶望感は心地よかった。それは見慣れたゴジラの姿になっても変わらない。
従来策のように、なんでビルに戦いを挑むのかと思わせられる部分はなかった。
■前半と後半の乖離
前半部分の完成度の高さに比べて、映画後半はどうしても見劣りする。
ゴジラという強大な存在感に支えられていた映画が、外国という相手(しかも顔も言葉も見えない!)にその対象を変えたことで一気に魅力が薄れてしまった。
この映画に出てくる外国人は、漫画的テンプレか、顔の見えないよくわからない相手である。正しく世相を反映しているのかもしれないが、ずいぶんと内向的な描き方だと感じる。
さて、後半魅力が薄れた理由は核攻撃とそれに対する主人公達の反応に説得力がなかったからだと思う。露悪的な見方かもしれないが、突然嫌悪感を前面に押し出す主人公達の反応があまりにも唐突に感じられる。
核攻撃の有効性は巨災対の中でも認められている。勿論自分も絶対にノーだが、この映画は前半で日本にとって東京がいかに大切かを延々としゃべらせているので、地方在住の自分としては「地方だったらここまで抵抗するか?」と穿った見方をしてしまう。
理想化の矢口の反応はわかるが、ここで赤坂が感情的になるのも解せない。日本人皆の共通認識と言えばそれまでだが、もっと説得力のある反対理由が欲しかった。ぶっちゃけ核がゴジラにきかないのでは...?という手応えが欲しかった。
ヤシオリ作戦もカタルシスに欠ける。絵のシュールさも勿論、電車爆弾程度でゴジラが転ぶのか?と思ってしまう。脚本の都合上仕方ないかと思うが、観客に仕方ないと思わせている時点で失敗といえる。
地面を爆破してバランスを崩すとか、そういう描写の方が説得力があったかもしれない。
口に散水車で液体を流し込む絵もあまりにもシュール。ヤシオリというかヤケクソ。
前半は素晴らしく没入感のある映画だっただけに、後半冷めてしまったのは本当に残念。とはいえ前半があったが故に後半もまあ許せるかぐらいの気分にはなれるし、この映画を良作たらしめている。
■政治云々
初代ゴジラには議会でゴジラの情報を統制したい与党っぽいおじさんと、事実を公表しろと迫るおばさんのやり取りがあったりする。
一方シンゴジラでは政治の描写は殆どない。基本的には現内閣とその下部の各省庁から集められたチームが職務をこなす様であって、あれは行政と呼ぶべきだろう。
ゴジラが海に帰った後、国会でのやり取りがあっても良かったかも知れない。それこそ初代のようなやり取りを。民主主義云々言うのなら国会と野党を欠くのは片手落ちである。
科学者へ無邪気な信頼を置いているのも気に掛かる。今作はわかりやすいほどに震災モチーフと言われているが、であればあのとき科学がどういう状況だったかを考えるとこの映画は無邪気すぎる。
あのとき間違えたものも正解したものもいた。にも関わらず今作の巨災対の科学への絶対的信頼は怖い。
彼ら・彼女らは行政の人間ではあるが同時に科学知識を持つ専門家としても描かれている。そのギーク達が超人のごとき活躍。本当に福島を扱いたいならあまりに呑気ではないか?
これは穿った見方をすればギークが有能な指導者に見いだされ日本を救う物語とも取れる。この設定は映画の魅力を損ねるわけではないが、高める訳ではない。
また日米の主役である矢口とカヨコは両者とも世襲政治家で若くして高い地位についている。きっと矢口は支持率も高いのだろう。親の七光りも存分に使っている。
これが皮肉なのかどうなのかはわからないが、その上矢口は(危機とはいえ)小休止時にシャワーもせずに働きづめで有り、皆もそうであることを賞賛する。
■総評