数ヶ月前、産院で取り違えられ、数十年ぶりに本当の家族と再会を果たしたと言うニュースがあった。
自分も「お前は橋の下で拾った」という言葉を一時期本当に信じてしまっていた。
実際には血はつながっているのは確かなのだが(骨や目の形が父親そっくり)、実際色々な考えや価値観が違う。
というか取扱が他のきょうだいと違う。
幾つか決定的なことがあり、早く家をでようと思った。
幸い勉強を続けられる環境にあったし、金については問題なかった。
「そこに合格したら行かないのはもったいないし、通うには家を出る必要がある」大学に合格した。
家を出たらほっとした。
緊張しなくていい人生は素晴らしい。
大学卒業しても、実家の近くには就職せず、都合半分近くは海外で過ごしている。
大学に入ってから、平均して2,3年に1度しか家族に会っていない。
冠婚葬祭は付き合う、孫も見せる、それだけと割り切っている。
この程度なら実害はほとんどない。
うまく接することができるのか、不安だった。
ところが出来たらそんな不安どころじゃなく、「わー」「ぎゃー」っとやっているうちに、
今でも、出来る限り寝かしつけるときに本を読んであげている。
子供は半分話を聞いて、半分はおしゃべりをしている。幸せそうにしてくれている。
そういう時間が最高に幸せだ。ああ、こういうのが欲しかったんだと思う。
多分母は父のことが好きでなく、本当は、今は先生としてやっている木工をもっと前から本格的にやりたかったんだろう、と思う。
姉たちの手がかからなくなって、再開しようとした先にでできてしまったのが自分。
また、父にしてみれば「跡継ぎ」が欲しかったのだがその期待を破り(でもいったい何を継ぐのだろう?)、
姉たちにとっては両親、特に母親の手をかけさせる「悪い子」だったのだろう。
・・・そう考えるといろいろなことが全てつじつまがつくと気付いたのは本当につい最近のことだ。
子供に「おいしい?」と聞き、「おいしい」と帰ってくる。
「寒いねえ」「暑いねえ」と言って、服を一緒に着たり、脱いだりする。
そろそろ初期の反抗期の傾向もでてきた。自分もそろそろだろうね、と自然に思える。
ああ、こういうものだったんだね、とつくづく思う。
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